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孫が介護する時代 「とりあえず」から始まり人生設計に影響も〈週刊朝日〉
http://www.asyura2.com/14/hasan88/msg/715.html
投稿者 赤かぶ 日時 2014 年 6 月 27 日 08:15:05: igsppGRN/E9PQ
 

孫が介護する時代 「とりあえず」から始まり人生設計に影響も〈週刊朝日〉
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20140627-00000001-sasahi-soci
週刊朝日  2014年7月4日号より抜粋


 孫が祖父母を介護する――。そんな時代が、やってきたのだろうか。

 日本ではいま65歳以上が4人に1人に達している。高齢者は今後も増え続けるなか、1人のお年寄りを少人数で支えねばならない「肩車型」は年金と同様、介護でも当てはまる。

 だが、その実態を示す詳しいデータはほとんど見当たらない。

 国は12年の就業構造基本調査で、初めて介護をしている人の数を年齢別に調べた。それによると30歳未満で約18万人、30〜39歳で約33万人。しかし、「孫」であるかは不明だ。

 そこで本誌は今回、30代までの「孫」で、介護を必要とする祖父母がいる男女500人にウェブアンケートを実施した。過去も含めて「介護している」は106人で2割強だった。このうち、一番よく世話している人を「自分」と回答したのは10人。内訳は20代以上の男性6人と女性4人で、うち8人が未婚だった。

 若者介護の実態を調べている成蹊大専任講師の澁谷智子さんは「祖父母の介護にかかわる孫たちは、社会の高齢化とともに増えているはずだ」と話す。英国ではすでに「ヤングケアラー」と呼ばれる18歳未満の介護者の支援が進んでいるが、その研究をきっかけに、澁谷講師は日本での調査に取り組んでいる。

 そもそも日本は「介護は家族が担う」という考え方が依然として根強い。

 実際、「同居の家族による介護」が全体の64%と、「事業者」「別居の家族」をはるかに上回っている(10年国民生活基礎調査から)。だが、共働き世帯が増える今、「専業主婦が介護を担う」という従来の構図はもはや成り立たない。さらに「ひとり親世帯」や単身者も急増している。

「妻の収入が家計の大きな割合を占める場合、自分の親や義理の親たちの介護が必要になっても、簡単に離職できない。そんなときの合理的な応急処置として、孫が『とりあえず』と手伝うことから始まり、祖父母の状況が重度化していくなかで、介護から離れられなくなるケースは今後、増えていくと思います」(澁谷講師)

 介護が6〜7年に及ぶケースも珍しくない。

「あくまで個人的見解ですが、短期的には合理的な選択だとしても、親が定年してしまうと家族の収入は激減する。孫は介護を担ったことで自分のキャリアを築けなかった場合、その後の人生設計にも影響は出てきます」(同)


 

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コメント
 
01. 2014年6月28日 15:33:32 : Zb4a8FvMiE
ブログ:続・日本人と死の覚悟
2014年 06月 26日 11:10 JST
http://jp.reuters.com/news/pictures/articleslideshow?articleId=JPKBN0F105R20140626&channelName=jp_blog#a=1
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[東京 26日 ロイター] - 高齢化が進む日本の社会保障費は、着実に、急ピッチで膨らんでいる。平成27年度の給付額は約120兆円に上る見込みで、公的債務膨張の最大の原因となっている。

政府は「骨太の方針」で、社会保障改革を掲げているが、大幅な負担増や、給付減を伴う具体的な道筋は示さず、なし崩し的に、あれこれ手を付けているのが実情だ。先週も、一定の所得がある高齢者が介護サービスを受ける際の自己負担を、現行の1割から2割に引き上げる法律が成立したばかりだ。

一方、供給側の制度変更だけでは、社会保障を持続可能な制度にすることが厳しいのも事実だ。

医療や介護に対する国民の意識が変わらない限り、根本的な改革はできないと、京都市伏見区の社会福祉法人「同和園」附属診療所長で医師の中村仁一氏は指摘する。

昨年5月10日の本ブログ(here)で紹介した同氏は、日本人の医療に対する「過度な期待」が医療財政破たんの一因であり、その背景には、戦後の大きな社会的変化があるという。

「かつては、病院ではなく、自宅で死ぬケースが多くあった。しかも、家族や親族の数が多かったため、身近なところに日常的な死があった」と中村氏。人が死にゆくさまを見ながら、自然に生命の尊さを学び、自分の人生や死についても考えることができた。

しかし、高度成長期を迎え、産業構造や就業構造が変わり、核家族化が進むと、家庭の介護機能の低下とともに「生」のみが謳歌(おうか)されるようになった。その結果、極端に忌避されることになった「死」は、施設や病院など隔離空間に閉じ込められた。

これによって、日本人は「死」のみならず、「老」や「病」に向き合う覚悟を失った。その一方で、医療(医療者、薬、技術)に対しては「信仰」にも似た過度な期待を持つようになったと、中村氏はみている。

例えば、日本は、抗インフルエンザ薬タミフルの消費大国で、世界の生産量の7―8割を使い、さらに備蓄も進めている。これは極めて「異常な事態」だと同氏は指摘する。

ちょっと具合が悪いと、すぐ医者にかかる。病名がつかないと不安。薬をのまないと病気は良くならない。病気は注射を打った方が早く良くなる。大病院ほど信頼できる医者がたくさんいる──。これらは、全て医療に対する思い込みだと中村氏は説明する。医学が発達したといっても、診断(見立て)が発達しただけで、病名が分かっても、好転させる手立てがあるかは別問題だからだ。

特別養護老人ホームの常勤医として多くのお年寄りの死を看取ってきた中村氏は、病気やケガを治す主役は、患者自身の「自然治癒力」であって、医師の腕や薬の力ではないと語る。自然治癒力は、年齢と共に衰える。

お年寄りが大病院に押し掛けるのも「根は一つ」という。お年寄りの不具合は老化が原因で、完治することはありえないが、色々やった挙句でないと納得しない。つまり、諦めるのに時間とお金がかかることになる。

中村氏は医療を全否定するわけではなく、激烈な疼痛の緩和など、利用できるものは大いに利用するのがいいとする。ただ一方で、無条件に任せたり、医療に何もかも頼ろうとしないことが肝心だという。

「老・病・死」への覚悟を失い、医療への過信が広がる中で、特に問題となるのが、死の場面での医療の関与だ。

「死ぬのを防ぐことは不可能なのに『死は医療の敗北』と考え、本来は治すための医療を徹底するほど、死から穏やかさを奪い、死にゆく人に無用な苦痛を与え、悲惨な結果を招来することになる」と中村氏。

日本では、病院での死亡が7割を超える(2011年は76.2パーセント)。医療の関与という「濃厚介入」により、死が「より悲惨、より不幸になったような気がしてならない」と中村氏。「簡単に医療を受けられなかった以前のほうが、よほど安らかに死ねたのではないか」と同氏は問う。   

http://jp.reuters.com/article/jp_blog/idJPKBN0F105R20140626


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