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安倍政権「経済再生ケース」に暗雲?今年度GDP目標、毎四半期+1%は高いハードルか(Business Journal)
http://www.asyura2.com/14/hasan91/msg/220.html
投稿者 赤かぶ 日時 2014 年 10 月 21 日 07:10:46: igsppGRN/E9PQ
 

「中長期の経済財政に関する試算」(「内閣府HP」より)


安倍政権「経済再生ケース」に暗雲?今年度GDP目標、毎四半期+1%は高いハードルか
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20141021-00010004-bjournal-bus_all
Business Journal 10月21日(火)6時0分配信


 安倍政権は、内閣府が2014年7月25日に公表した「中長期の経済財政に関する試算」に基づき、13−22年度の実質GDP成長率を年率平均で2%にする「経済再生ケース」を目標(標準ケース)に設定し、その実現を目指している。例えば、13年度の目標は年率2.3%、14年度は年率1.2%としている。このうち、内閣府の統計データによると13年度の実質GDP成長率は年率2.3%程度となり、安倍政権は13年度で目標を達成したことになる。

 だが、13年度の成長率には注意が必要である。というのは、12年度末に策定された10兆円規模の補正予算や14年4月の消費増税前の駆け込み需要が、成長率をかさ上げしているからだ。他方、14年4月以降は、消費増税に伴う反動減が成長率を押し下げる。このため、14年度の実質GDP成長率の目標は13年度よりも低めの年率1.2%を見込んでいる。しかし、四半期ベースで、14年4−6月期の実質GDP成長率(季節調整値)は、内閣府が8月に公表した1次速報で前期比1.7%減、9月に公表した2次速報で1.8%減の下方修正となり、東日本大震災の11年1−3月期を上回る落ち込みとなった。メディア等では「想定を上回る落ち込み」として、増税に伴う景気の腰折れを懸念し、政権が14年度の成長率1.2%の年率目標を達成できるか否かに関心が集まっている。

 では、14年度の成長率1.2%の年率目標を達成可能とする四半期ベースの成長率は、前期比でいくらか。

 まず、14年度の4−6月の実質GDP成長率は前期比1.8%減であるから、7−9月の実質GDP成長率、10−12月の実質GDP成長率、15年1−3月の実質GDP成長率を各々○%とすると、「1.2%=○%×3−1.2%」が成立する必要がある。これを解くと、○は前期比+1%となる。つまり、14年度の残りの3四半期の実質GDP成長率が前期比で平均+1%以上を実現できれば、政権は14年度の年率目標を達成できることになる。

●現実的ではない14年度の経済成長目標

 しかし、これは相当高いハードルだ。なぜなら、00年代の実質GDP成長率(年平均変化率)は1.4%(リーマン・ブラザーズ破綻後の金融危機の影響を除くため、00年−08年の平均を取った場合。09年も含めると0.7%)であるためだ。年率1.4%という成長率は、「中長期の経済財政に関する試算」において、13−22年度の実質GDP成長率が年率平均1.2%と想定する「参考ケース」に近い。また、年率1.4%という成長率は、四半期データで表現すると、前期比+0.35%(=1.4%÷4)となる。前期比0.35%は、上記で試算した前期比+1%以上の条件を遥かに下回る。つまり、年率1.2%という14年度の成長は現実的ではない。

 では、14年度の残りの3四半期の実質GDP成長率が00年代と同じ値、つまり前期比で平均+0.35%であれば、14年度の実質GDP成長率は年率でどうなるか。14年度の実質GDP成長率は年率でマイナスとなり、0.75%減(=0.35%×3−1.8%)となる。

 もっとも、14年7−9月期の実質GDPは増税の反動減に対するリバウンドで大幅なプラス成長が予想され、今回は5.5兆円の補正予算もある。GDPの4−6月期2次速報では、公的資本形成の伸びがマイナスで、反動減対策として予算の前倒し執行を試みた割には十分進捗していなかったことが明らかになった。だが、それは工事の進捗に応じた出来高でみるGDP統計ではラグが生じるためであり、逆に経済対策の効果が7−9月期以降に表れることを意味する。

 このような影響を含め、14年度の実質GDP成長率が年率でプラスになるためには、上記と同様の計算で、14年度の残りの3四半期の実質GDP成長率が前期比で平均+0.6%以上である必要がある。

●トレンド成長率低下は「自然な姿」

 ところで、年率1.4%(四半期ベースで前期比+0.35%)というトレンド成長率は低すぎるという意見もあろう。だが、経常収支の黒字縮小や継続する貿易赤字から明らかなように、日本経済の構造変化により、異次元緩和で円安が進んでも国内生産能力の低下や世界経済の停滞から実質輸出が伸び悩む一方で、円安による輸入インフレが家計の実質所得を目減りさせている。むしろ低成長の原因は供給側の制約も大きい。高度成長期は、人口増や高貯蓄を背景とする労働人口や資本ストックの増加が成長の牽引となった。

 だが、急速な少子高齢化に伴う人口減や貯蓄率の低下により、労働力の減少や民間の純資本ストック(粗資本ストック−資本減耗)の伸び鈍化が顕在化しつつある。現状では、生産性が上昇しない限り、トレンド成長率が低下してしまうのは自然な姿である。年末の再増税判断を含め、正しい政策を推進するには、日本経済の実力を十分に認識した成長目標の設定が重要となる。

小黒一正/法政大学経済学部准教授


 

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コメント
 
01. 2014年10月21日 07:32:37 : jXbiWWJBCA
金融市場異論百出
【第154回】 2014年10月21日 加藤 出 [東短リサーチ代表取締役社長]
日銀の異次元緩和策に衝撃
資金供給策の限界間近を示唆
 10月3日に日本銀行が実施した、日本国債の一種、国庫短期証券(Tビル)の3.5兆円買い入れオペは衝撃だった。この時期に日銀がこれほど大量にTビルを買うということは、今の資金供給策が限界に近づいていることを意味するからだ。


欧州の情勢次第では、異次元金融緩和の目標達成が危ぶまれる日本銀行
Photo by Ryosuke Shimizu
 日銀は昨年4月に量的質的緩和策(異次元緩和策)を導入した際、ある補足資料を提示した。それが「マネタリーベースの目標とバランスシートの見通し」だ。その中で、2014年にマネタリーベース(現金+日銀当座預金)を70兆円増加させ、年末に残高を270兆円にすると説明していた。

 その主要手段は長期国債の買い入れで、このオペで年間50兆円が供給される。それは来年も実施可能だろうが、問題は残りの20兆円の増加部分だ。その大部分は貸出支援基金とTビル買い入れオペで埋めなければならない。

 ところが、9月以降、そのTビルは市場で大幅に不足し、日銀の買い入れ金利はたびたびマイナスとなった(債券の価格と金利は逆に動くため)。市場でのTビル発行量は、9月末時点で127.5兆円と依然として巨額だが、三つの理由から不足感が強まった。

 第一に、日銀の買い入れ額が累増してきた。今後も、多少の上下動は伴うが基本的に増加する。

 第二に、四半期末は金融機関がバランスシートの見栄えを整えるため、Tビルを買い増す傾向が強まる。この要因は10〜11月には消えるが、12月に再び現れるだろう。

 第三に、海外勢のTビルへの需要が一時強まった。この動きは、グローバルな市場環境次第では12月に再び強まるかもしれない。

 欧州中央銀行(ECB)は、追加の金融緩和策をパッケージで打ち出しており、これらで年末までにユーロ圏への資金供給を大幅に増加させたら、なおさらだ。マイナス金利政策が行われているため、まともな運用先がないのだ。

 欧州の機関投資家や企業は、ユーロのMMF(マネー・マネジメント・ファンド。公社債投資信託の一種)の利回りがマイナスになることや、銀行が預金金利にマイナス金利を課すことを恐れている。もしそうなったら、いよいよ行き場を失った短期の余剰資金は、相対的にマイナス金利の幅が小さい日本のTビルに向かうだろう。

 となると、12月はTビルを日銀と日本の金融機関、海外の投資家の三者が、奪い合う恐れが出てくる。12月に買い難くなるリスクを考慮すると、日銀は今のうちから年末越えのTビルを大量購入して、マネタリーベースの年末目標達成の確率を上げておきたいようだ。

 こう見ると、今のやり方で日銀が来年マネタリーベースを70兆円増やすのは、極めて困難といえる。

 実は、昨年4月に日銀が出した声明文の「本文」には、マネタリーベース年間増加額は「60兆〜70兆円」と書いてあった。本当は10兆円の幅が設けられているのだ。来年の供給予定額を60兆円とするなら、それは技術的に実現可能だ。

 しかし、その場合、資金供給額がテーパリング(減額)されたような印象を与えないように、市場にうまく説明しなければならない難しさがある。

 なお、確率は当面低いと思うが、もし政府が急激な円安の進行を嫌がって円買い・ドル売り介入を実施したら、Tビルの発行額は減少する(Tビルの大部分は、過去に実施した円売り介入の資金調達のための発行)。その場合、日銀の資金供給可能額も減少し得るので、異次元緩和策にとっては厄介な展開になるだろう。

(東短リサーチ取締役 加藤 出)

http://diamond.jp/articles/-/60788


 
“事件”でよむ現代金融入門
【第2回】 2014年10月21日 倉都康行 [RPテック(リサーチアンドプライシングテクノロジー)株式会社代表取締役]
日本にとってのニクソン・ショックは
金融問題にとどまらぬ実体経済の問題だった
ニクソン・ショックの衝撃
アメリカが世界に向けて「ドルと金の交換を停止する」と宣言した「ニクソン・ショック」の背景には、どのような問題があったのでしょうか。また、日本では、どのように受け止められていたのでしょうか。そして、その後の変動相場制は本当に理想的なのでしょうか。資本市場の本格的なグローバル化が始まった、1971年の“ニクソン・ショック”を検証します。

1971年8月15日
ドルと金の交換はなぜ停止されたのか?

 8月15日は、日本人にとって今も特別な日と言えるでしょう。欧米の人びとのなかでは第2次世界大戦が終了したのは必ずしもその日ではなく、日本がポツダムで降伏文書に署名した9月2日とみなすことが多いようです。しかし、日本人が玉音放送の流れた8月15日を強く意識していることはご存知のとおりです。

 その1945年から26年たった8月15日、アメリカは世界に向けて「ドルと金の兌換を停止する」と電撃的に発表しました。いわゆる「ニクソン声明」です。日本時間ではすでに8月16日の月曜日に日付が変わっていましたが、中高年層には、この衝撃的な日と敗戦記念日とは無関係だと分かっていても、何か因縁めいたものととらえてしまうようです。

 長い歴史を通じて、通貨とは金に変換できるもの、という考えが定着していた中で、世界で唯一、金と自国通貨ドルとの交換を約束していたアメリカが突然、金との交換を停止すると宣言したこの「ニクソン声明」とその後の市場の混乱を「ニクソン・ショック」と呼びます。現在でも「オイルショック」や「リーマン・ショック」など、経済における想定外の出来事は「ショック」と表現されますが、この「ニクソン・ショック」こそ、その先駆けです。そしてこの声明は、後述する1944年以来の「ブレトン・ウッズ体制」の終焉を意味する、重要なものでもでした。

 1971年8月16日の夕刊を見ると、朝日新聞では「米、ドル防衛に非常措置」というヘッドラインに続く「10%の輸入課徴金」という大きな見出しが目に付きます。また、日本経済新聞にも「米、金交換を停止」「輸入課徴金10%」という見出しが躍っています。日本にとって最大の輸出先であるアメリカが、輸入品への課徴金を導入することが相当の衝撃であったことがうかがえます。

 つまり、当時の日本経済にとっての「ニクソン・ショック」は、金融システムの大問題というよりも、輸出が減少するのではないかという、いっそう現実的で差し迫った実体経済の問題だったわけです。

 実際にニクソン大統領が打ち出した「新経済対策」と呼ばれる政策には、景気刺激対策として種々の項目が盛り込まれていましたが、なかでも世界が目を見張ったのは、やはり「ドルと金の交換停止」でした。

 この声明の直後、欧州諸国は混乱を回避するために為替市場を閉鎖します。それまで金との交換性を保っていた唯一の通貨であるドルが、もはや金と交換できないとあっては、ドルへの信頼が揺らぐのは当然でしょう。市場を開ければドル売りが殺到するのは目に見えていたことから、欧州各国は市場閉鎖を決断したのでした。

 その一方で、日本は市場を開いたままにしました。東京市場は予想通りドル売りの嵐が吹き荒れました。この措置は、当時の大蔵省が輸出業者を救うために、できる限り1ドル360円でドルを売れるように配慮したためだった、とも言われています。猛烈なドル売りの嵐に応えた結果、日本の外貨準備は前年の43億ドルから一気に146億ドルへと3倍以上増えました。そして8月28日には、ついに日本政府も固定相場の維持を断念し、1949年から続いてきた1ドル360円の時代は、ここで幕を閉じることになったのです。

ドルが主役になった
ブレトン・ウッズ体制を振り返る

 ドルと金の交換が停止されたということは、アメリカにせっぱつまった何らかの理由があった、ということです。それを知るため、もう少し時代をさかのぼってみましょう。

 時計の針を第2次世界大戦が終焉に迫っていた1944年7月にまで巻き戻し、視線の先をアメリカ・ニューハンプシャー州北部にあるリゾート地ブレトン・ウッズの舞台に転じてみます。

 すでに日本は敗色濃厚で、本土防衛のためにマリアナ沖やサイパン島での死闘を繰り広げていたころ、勝利を確信するイギリス、アメリカなど連合国側は、先行して戦後の国際経済体制の構築を始めていました。その協議の場となったのがブレトン・ウッズであり、連合国45か国から約730名が参加していいました。

 同地で議論された主なテーマは、1930年代の大恐慌を招いたブロック経済など保護主義的な経済体制への反省に基づく、世界経済の安定化を目指す制度設計でした。大きくいえば、世銀(国際復興開発銀行)とIMF(国際通貨基金)という2つの組織設立です。前者は戦後の経済復興に向けて長期的資金を援助するための機関として、後者は為替相場の安定化を図るために短期的資金を供与する機関として、それぞれ設立されました。こうした体制は、「ブレトン・ウッズ協定」として1945年に発効されます。

 ニクソン・ショックに関わるのは、このうちのIMFです。IMF協定は1947年3月に発効されましたが、その国際通貨制度の設計を巡る議論の中で、イギリスとアメリカが正面衝突することになったのは、よく知られています。

 世界中央銀行のような性格を持つ組織の下で「バンコール」という新たなバスケット通貨制度の導入を主張するケインズ(イギリス)と、ドルを中心とする基金という新たな通貨秩序を作り出そうとするホワイト(アメリカ)が真っ向から激論を交わした末、その軍配は経済的な勢いで圧倒するアメリカに上がりました。

 ここに、従来の金を絶対的な国際通貨とする体制から金とドルを両軸とする通貨制度への移行が、正式に決定されることになったのです。その具体的内容は、金1オンスを35ドルに設定し、ドルを唯一金と交換可能な通貨とするものでした。いわば、金とドルとが東西の横綱に並ぶ「金・ドル本位制」です。それは、経済力の飛躍的拡大に比例するように金がアメリカに集中した現実を、追認する制度でもありました。

 ほかの通貨は、ドルとの交換比率が固定化され、変動率は上下1%未満とすることが定められました。たとえば日本円は1ドル360円という平価に固定され、変動率は上下0.5%の設定でした。いわゆる「固定相場制度」です。

 この制度の下、戦後の不景気にあえいでいた各国は経常赤字をIMFによるファイナンスで支援されるとともに、各国が保有するドルはいつでもアメリカが金との交換に応じることで、為替相場の安定化が図られるものと期待しました。もっともアメリカによるドルの金兌換は、1934年の金準備法に「財務長官の判断でいつでも停止できる」と付されていたのですから、世界を揺るがせたニクソン声明は、単にその例外措置の発動に過ぎなかったのです。

ベトナム戦争で
アメリカが受けた本当の痛手

 ブレトン・ウッズ体制の構築は、ほぼアメリカの狙い通りに進んだといえるでしょう。19世紀から世界の基軸通貨として貿易決済の大半に使用されていた英ポンドは、徐々にドルにその座を脅かされ、1950年代には、ついに準備通貨トップのシェアを奪われました。

 ただし、アメリカの目算が大きく狂ったのは、ベトナム戦争介入の泥沼化です。

1954年のジュネーブ協定でフランスからの独立を果たしたベトナムは、北緯17度で暫定的に分断された南北を、2年以内に選挙を通じて統一することになっていました。ですが、その協定に参加しなかったアメリカは、意向の通じる傀儡(かいらい)政権だった南ベトナムを「固定化」する方針へと傾いていったのです。

 その外交戦略は、南ベトナムにおける反米闘争に火をつけ、1960年の南ベトナム民族解放戦線の設立と同時に、本格的な内戦突入へ背中を押してしまいます。それが、南を支援するアメリカと北を援護するロシアの代理戦争へと発展していったのは、冷戦構造の必然でもありました。

 アメリカはジョンソン大統領の時代に北爆開始など積極的な介入方針を採っていましたが、その後戦争が長期化し、かつ泥沼化したために、結果的に巨額の財政支出を強いられることになりました。それは、米軍の増強状況を見れば一目瞭然です。1961年には1000人に満たなかったベトナム戦争向けの兵力数は、1966年には30万人以上にも膨れ上がっていました。

 その結果、第2次世界大戦後に急減し、朝鮮戦争で再び増加に転じていたアメリカの軍事支出は、このベトナム戦争でさらに増加して、GDP比約10%規模にまで達することになりました。ベトナム作戦への支出額も1967年には年間200億ドルを超え、国防費のほぼ半分を占めるようになっていたのです。最終的にアメリカがこの戦争から手を引いたのは、約15年を経た1975年のサイゴン陥落の日でした。

 ブレトン・ウッズ体制が崩れた理由として、ベトナム戦争でアメリカ経済が疲弊したからという説明もよく聞かれます。でも実際には、この軍事支出増は短期的には経済活動を活発させる結果をもたらしてもいたのです。1960年代は景気対策として、減税や設備投資への税控除、減価償却期間短縮などの政策が打ち出されてはいましたが、軍事支出の増加もまた間違いなくアメリカ経済の拡大に追い風となっていました。

 ただしそれは必然的に、輸入増を通じた貿易黒字の縮小と、国債発行増によるインフレ率上昇をもたらします。それが、健全だったアメリカ経済の姿を急速に変えていきます。

 一方で、着実に経済回復を果たしたのが欧州経済でした。

 第2次世界大戦の主戦場となってすっかり疲弊していた欧州は、アメリカによる支援や戦後経済の復調の中で徐々に経済の安定性を取り戻し、1958年にはイギリス、ドイツ、フランスなど15ヵ国が通貨の交換性を回復します。それはブレトン・ウッズ体制の大きな成果でした。

 アメリカが底なし沼のようなベトナム戦争に引き込まれていく中で、欧州諸国は生産性を回復して競争力を高め、金や外貨準備を増やしはじめていきました。それが世界の経済構造の変質を促し、各国の金準備にも顕著な変化が見られるようになります。端的に言えば、アメリカから欧州諸国へと金が流出しはじめたのです。

ドル不安はどのように
高まっていったのか

 1940年代には、世界の6割以上の金がアメリカにありました。前述の通り、ブレトン・ウッズ体制は、そのアメリカに集中する金準備を土台にして設計された制度です。しかしアメリカで中央銀行の役割を担う、FRB(連邦準備制度理事会)の統計によれば、1950年代には200億ドル相当以上あったアメリカの金準備は1958年以降次第に減り始め、1963年には150億ドルにまで減少してしまいました。

 唯一金と交換可能な通貨を持つアメリカの金準備は、国内通貨に対する準備と、外国通貨に対する自由準備の2つに大別されます。仮に、金準備が100億ドルあっても、国内準備として80億ドル必要であれば、海外保有のドルを金に交換する要求に対して応じられるのは20億ドルというわけです。

 たとえば、ブレトン・ウッズ会議の5年後に当たる1949年時点のアメリカの金保有高245億ドルのうち、国内準備が105億ドル、つまり海外の要求に応じられる自由準備は140億ドルでした。当時、外国通貨当局が保有するドル資産は29億ドルに過ぎなかったことから、アメリカはいつでも金交換に応じられる余裕があったのです。

 しかし、そうした横綱相撲も、長くは続きませんでした。軍事支出や経済援助など政府部門の赤字増加によってドルが海外に流出し、金保有高は急速に減少していったからです。それに伴い自由準備が減少する一方で、海外諸国のドル保有高が増えていきました。ついに1959年には、アメリカの自由準備75億ドルに対して海外当局のドル資産が91億ドルと、逆転してしまったのです。

 もちろん、欧州諸国がすべてのドルを金に交換しようとするわけではないので、このシステムが一気に崩れることはありません。ですが1960年代にいわば「マイナスの金準備」が100億ドルを越えるようになると、欧州諸国はドルに対する不安を抱きはじめました。

 工業製品の競争力を強める欧州は、1951年の欧州石炭鉄鋼共同体の発足以来、1957年の経済共同体や原子力共同体などの組織化を通じて、アメリカ経済の強力なライバルと化していきました。金のフロー変化は、そんな欧米経済力の相対性を反映していたのです。

 こうしてアメリカ国外で「ドルの過剰」が認識されるのにともなって、ますます「ドル不安」は高まっていきました。ベルギー生まれの経済学者ロバート・トリフィンは1960年の著書『金とドルの危機』の中で、特定国の通貨に依存する金本位制(すなわち金ドル本位制)の下で、基軸通貨の供給とその信用の維持は両立し得ない点を論じています。いわゆる「トリフィンのジレンマ」です。

 つまり、アメリカが経常赤字でドルを垂れ流さない限り国際的な流動性は保てない一方、そうした状況が続けばドルの信認は低下してしまう、という矛盾を指摘していたのです。その構造的な不安の中で、特にフランスのドゴール大統領がアメリカに対して執拗に、保有するドルを金へ交換するように迫ったことはよく知られています。最終的にニクソン大統領が1971年8月15日に決断を下した直接のきっかけは、盟友であるイギリスが20億ドル程度の金兌換を要求してきたことだった、といわれています。

察知していた欧州と
蚊帳(かや)の外だった日本

 叡智を集めて構築されたブレトン・ウッズ体制により、通貨システムがひとまず安定化していたことで、各国はその制度の永続性を過大に評価し信じすぎてしまったのかもしれません。しかし、1960年代にはドル不安が高まり、システムの脆弱性は日増しに強くなっていきました。ドル不安を通じた金価格の上昇という現象も観測されはじめていました。

 そんな状況で、アメリカの金兌換停止という決断が、本当に世界にとって「寝耳に水」だったかは疑わしいところです。特に欧州諸国が、ドル交換要請に対するアメリカの消極的対応に不信感を募らせていたことは間違いありません。

 たとえば、1961年に設立された「金プール制」という制度があります。これは欧米7カ国が手持ちの金をプールして、ロンドンの金市場の操作を通じて金価格の安定を図ろうとしたものです。これは、明らかにブレトン・ウッズ体制の脆弱化をサポートする仕組みでした。

 おそらく欧州勢は、この金プール制を通じて、金ドル本位制という通貨制度の崩壊は時間の問題ととらえていたと考えられます。残念ながら、極東の敗戦国であった日本にこうした制度への参加機会すらなく、金融情報戦で大きく遅れを取っていたようです。

スミソニアン協定後の
変動相場制は理想的か

 さて、ニクソン・ショックの後、新たな水準での固定相場制への復帰が議論されました。その回答が、1971年12月にアメリカワシントンDCにあるスミソニアン博物館で合意された「スミソニアン協定」です。そこでは、金兌換停止のまま各国通貨をドルと交換する場合の新たなレートが確認され、円は16.88%切り上げられて1ドル=308円となりました。ドイツ・マルクやフランス・フラン、オランダ・ギルダーなど欧州通貨も、切り上げた水準でドルとの為替レートが決められました。なかでも切り上げ幅が最大だったのが円でした。

 それぞれ通貨の変動幅は上下2.25%に設定され、金価格も1オンス=38ドルに切り上げられました。これで新たな固定相場制度に戻れると期待されましたが、アメリカが金とドルの交換を復活させない状況下では、不安定な相場推移が続くことになります。最初の投機のターゲットになったのは英ポンドでした。

 スミソニアン協定で8.57%切り上げられたポンドには、当初から過大評価が指摘されていました。ポンドへの売り圧力が増すと、介入に耐えられなくなったイギリスは1972年6月に変動相場制に移行しました。そして投機の矛先は、ポンドから米ドルへと向かい始めたのです。こうなると、スミソニアン体制の維持は難しくなるばかりです。

 1973年にはイタリアの二重相場制への移行を契機に、スイスが介入を停止、円も変動幅に収まらなくなって変動相場制へと移行するなど、通貨体制の綻びが拡大しました。最終的には同年3月に、ドイツなど主要国も変動相場制への移行に踏み切ったのでした。その結果、スミソニアン体制は1年半ももたずに幕を下ろすことになりました。

 当時、変動相場制をあくまで暫定的措置と位置づけ「いずれは固定相場制に戻るべき」という考え方が根強かったのに対し、現実には21世紀以降も変動相場制が継続されています。それは、“国際金融のトリレンマ”としても知られているように、「固定相場制、自由な資本移動、独自の金融政策」をすべて成立させることはできないからです。

 日米英などは、自由な資本移動と独自の金融政策を確保するために、固定相場制を放棄しています。これに対しユーロ圏は、共通通貨ユーロの導入という固定相場の導入と自由な資本移動を選択して、各国は独自の金融政策を放棄しました。また中国は、従来の固定相場と独自の金融政策の下での資本規制から、変動相場制への移行による資本の自由化へとモデル・チェンジしようとしています。

 ニクソン・ショックは、固定相場の仕切り直し(スミソニアン協定)を経て、変動相場制を生みだしました。その制度は現代にまで受け継がれていますが、決して理想的なシステムとして認知されているわけではありません。たとえば、ブラジルやインド、中国などの新興国は、急激な資本の流出入を回避しようとして、一時的に資本規制による為替変動抑制策を採ることが少なくありません。また先進国においても、輸出競争力を高めるために為替介入や金融政策を通じた自国通貨安誘導を行う例が、今なお見られます。

 金との交換性を断ち切り、固定相場を断念したことは、当時として大きな決断であったことは間違いありません。結果的にその英断が、1970年代以降の世界経済の成長に貢献したことも事実でしょう。しかし、40年以上が経過した今なお、為替相場に関する各国の不平・不満は収まらないのです。通貨制度や為替レートに関わる問題が、新たな金融危機のタネにもなり得ることは次回以降でも論じていきます。
http://diamond.jp/articles/-/60814


02. 2014年10月21日 08:01:27 : jXbiWWJBCA
 
「アベノミクス」と無縁なまま沈んでいる地方経済 地域別DIに見る景況感のかい離
2014年10月21日(火)  上野 泰也


 地方の機関投資家の方々と面談していると、「地方経済は相変わらず良くない」「『アベノミクス』効果めいたものは全く感じられない」といった話が出てくることが多い。
 大都市圏の経済は「飛行機の前輪」に、地方経済は「飛行機の後輪」に例えられる。飛行機の後輪は、離陸時(好況期)は地面から離れる(上向く)のが最後で、着陸時(不況期)は着地する(悪化する)のが最初だという意味だ。
 景気後退局面であると後日正式に認定されるかどうかはまだわからないが、景気動向指数の動きから考えて、日本経済全体のベクトルは、少なくとも短期的には下向きになっている。飛行機の「高度」は下がっているわけで、地方経済の状況は先に悪くなりやすい。
地方景気に加わり続ける下押し圧力
 また、賃金増加の波が地方に波及してこないうちに、ガソリンなどの「悪い物価上昇」と消費税率の引き上げのダブルパンチに見舞われて実質賃金が大幅に減少しているため、家計関連の地方のビジネスは苦戦しがちとなっている。さらに、地方の経済は人口減・少子高齢化という構造的な面からも、循環的な景気の良し悪しにかかわらず、下押し圧力を受け続けている。
 地方の景況感が大都市圏よりも悪いことを確かめるため、景気ウォッチャー調査のデータを少し加工してみた。この調査では、景気の「方向性」を示す景気の現状判断DI(ディフュージョンインデックス)と先行き判断DIが主要データになっている。だが、筆者がここで探りたいのは、景気の「水準」についての大都市圏と地方における認識の違いである。
 そこで、「景気の水準自体について把握することも必要と考えられることから」参考として内閣府が公表している、景気の現状水準判断DIを用いた。
 具体的には、水準に関するこのDIのうち、家計動向関連の地域別DIを使用する。そして、「大都市圏」については東京都を含む「南関東」、愛知県を含む「東海」、大阪府を含む「近畿」の3つを選んで平均値を算出。「地方」については残る地域のうち「沖縄」を除くすべての地域の平均値を算出した(「北海道」「東北」「北関東」「北陸」「中国」「四国」「九州」の平均値)<図1>。さらに、両者のかい離幅(「地方」−「大都市圏」)もグラフにしてみた<図2>。
■図1:景気の現状水準判断DI 家計動向関連 「地方」と「大都市圏」

注:「地方」は、北海道・東北・北関東・北陸・中国・四国・九州の平均値。「大都市圏」は、南関東・東海・近畿の平均値。
■図2:同上 「地方」と「大都市圏」の格差(「地方」-「大都市圏」)

(出所)内閣府資料より筆者作成
 これらのグラフから分かるのは、2012年12月に第2次安倍内閣が発足して「アベノミクス」が開始された後に、家計動向関連の景気ウォッチャーが回答した景気の現状水準判断において、「地方」と「大都市圏」の格差がはっきり拡大したということである。
 安倍内閣は「地方創生」を掲げ、「まち・ひと・しごと創生本部」を設置。地方創生担当大臣には石破茂氏が就いた。地方経済の底上げを図るためのさまざまな施策が今後展開される。
 だが、筆者が1つ危惧しているのは、人口減・少子高齢化という日本全体の問題が、地方経済固有の問題であるかのように誤って認識されやすくなる結果、「下向きの人口動態」を食い止めようとする全国ベースの抜本的な政策がかえって打ち出されにくくなってしまうのではないかという点である。
 いずれにせよ、「地方創生」の取り組みは基本的にはタイムフレームの長い話にならざるを得ない。したがって、地方と大都市圏の景況感格差が拡大した状態は、このまましばらく続く公算が大きい。
「消費税率引き上げと円安で地方経済にダブルパンチ」
 そうした中で、地方の実情に詳しい識者の一部から、2015年10月の次回消費税率引き上げは地方経済へのダメージが大きいので見合わせたほうがよいという声が出てきており、注目される。
 慶応義塾大学教授の片山善博元総務相は時事通信のインタビューで、次回消費増税は「見合わせた方が良い。消費は確実に落ちる」と明言。地方の経済には「アベノミクス」の恩恵が伝わっておらず、給料は上がっていない中、「消費税率引き上げと円安でダブルパンチだ」とした。
 さらに、地域経済が疲弊した原因について片山教授は、「外から買う物が圧倒的に多く、外に売る物が少ない。こういう経済構造では、お金も雇用も外に出て行く。広い意味での地産地消が必要だ」とした。地方経済の本質的な弱点が指摘されている。
 なお、地方経済でありながら唯一、景気の現状水準判断DI(家計動向関連)が全国平均をほぼ恒常的に上回っているところがある。先に「地方」の平均値を計算する際に除外した沖縄である<図3>。
■図3:景気の現状水準判断DI 家計動向関連 沖縄は全国より高い

(出所)内閣府
沖縄だけはDIが高水準
 沖縄県保健医療部によると、2013年の沖縄県の出生数は前年から135人増加し、1万7209人。人口千人ごとの割合を示す出生率は12.2で、全国平均を4.0ポイント上回っている(40年連続で全国1位)。1人の女性が生涯に産む子供の数を推定した合計特殊出生率は、前年から0.04ポイント上昇の1.94(29年連続で全国1位。全国平均である1.43を大きく上回っている。県の人口は14年9月1日時点の推計で142万1793人にすぎないが、日本のほかの46都道府県の人口動態が「下向き」であるのに対し、沖縄県では「上向き」なのである。そうした面の強さゆえに、沖縄の経済は「若くて元気」である。



上野泰也のエコノミック・ソナー
景気の流れが今後、どう変わっていくのか?先行きを占うのはなかなか難しい。だが、予兆はどこかに必ず現れてくるもの。その小さな変化を見逃さず、確かな情報をキャッチし、いかに分析して将来に備えるか?著名エコノミストの上野泰也氏が独自の視点と勘所を披露しながら、経済の行く末を読み解いていく。


http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20141020/272767/?ST=print


03. 2014年10月21日 08:03:12 : jXbiWWJBCA
日本のデフレはまだ止まらない

日銀は今後も金融緩和を続けよ

2014年10月21日(火)  ロベルト・リゴボン

 来週は、日本の経済政策の成功を追い求めている者たちにとって、極めて重大な週となる。10月29日に新しい金利が発表されることになっているが、この金利の数字が、日本の安倍晋三首相の掲げる、「アベノミクス」と呼ばれる政策に対する最新の成績表となるからだ。

 アベノミクスは2012年、安倍が政権に就いてから数週間後に、ほぼ20年にわたる日本の経済停滞を打破するための根本的な解決策として打ち出された。政策は、金融緩和、構造改革、および新たな財政刺激策、の3つの柱からなる。アベノミクスの最も重要な目標の1つは、インフレを促進し、そして最終的にインフレ予想を変え、10年のデフレから脱却することである。そのため政府は円の大量印刷を開始した。

当初は効果があったように見えたが…

 最初の頃は、為替レート、資産価格、インフレ率に成功の兆しが見られた。実際、2014年7月の消費者物価指数(CPI)では、年間インフレ率が3.4%と今の日本の標準より大きな伸びを見せた。そして、その点では、安倍の政策は効果があったようで、任務を果たしたようだった。

 しかしながら、最近になって、経済は再び低迷の兆しを見せている。予想インフレ率は1%前後と、驚くほど低いままで、資産価格や債券市場はアベノミクスの成果に納得していないらしく、実質経済は減速し始めている。

 それにもかかわらず、安倍首相は引き続き楽観的で、彼の政策を推し進めている。9月18日付米ウォールストリートジャーナル誌に次のようなタイトル寄稿をした:「日本は間違いなく景気縮小から脱却し、新分野へと進み出て、新たな課題に取り組んでいく」

 しかし安倍首相の政策は、これまでのところ彼が目標とする成功を達成できずにいるし、我々の調査では、今は自己満足している時ではないことが示されている。

「増税で値上がり」は間違い

 筆者が働くマサチューセッツ工科大学(MIT)が独自に調べている「ビリオン・プライシズ・プロジェクト(The Billion Prices Project)」で、我々は日本のオンライン・ストア(ネット取引を提供している小売業者のウェブページ)からデータを収集し、日本全体と食料品を対象にしたインフレの代替的測定値を計算している。我々のデータには、アベノミクスの取り組みにもかかわらず、日本市場が引き続き低迷していることが如実に現れている。

 我々は特に4月1日に政府が導入した消費税率の引き上げに対する市場の反応を考察した。多くの人は、消費税率が上がると、小売価格も同じくらい値上がりすると信じている。これは合理的な仮定ではあるが、実際には間違っている。

 どれだけ値段が上がるかは、需要の健全性による。需要が活発であれば、小売店は問題なく増税分を消費者に転嫁することができる。しかし一方、需要が弱いと、小売店は値上げによって需要が崩壊することを知っている。

 例えば、スペインで付加価値税(VAT)が3%引き上げられたとき、小売店は価格を3%引き上げなかった。実際、スペインの小売店は、増税分を完全に価格に転嫁するまでに6ヶ月以上かかった。その間、小売店は自分たちの利幅を調整し、基本的に増税分を吸収していた。よって、需要の健全性を測るには、価格への税の転嫁に注目すべきである。そうすることで、我々は日本政府が増税したときに何が起こったのかを見ることができ、その反応をいかに日本経済が健全かの尺度として使用することができる。

 下図の4つの指標は、総務省が発表した全国消費者物価指数(CPI)、食料品のCPI(CPI食料品)、そして我々が毎日計測している日本全体のCPI(PS)と食料品のCPI(PS 食料品)である。データは、消費税引き上げ前後の動きを見るために、3月1日の指数を100としている。


 どの指標も価格の変動パターンが異なり、特にそのタイミングが異なっているが、ほぼ同じ傾向を示していることに注意していただきたい。タイミングが異なっているのは、一般にオフラインの価格(総務省のCPIに使用される)の方が、常にオンラインの価格より動きが遅いからである。

「日本は峠を越した」と思ったが…

 我々のデータでは、増税の2週間前後で食料品の価格が3.5%上昇しているが、物品・サービスを含めた全体的な価格は1.6%の上昇だった。もちろん、これは非常に健全な需要を示している。

 この動向を見て、金融当局の中には達成感と満足感を抱いた者もいたと思う。実際、私も全く同じ間違いをした。

 この動きを見て、筆者らは「日本(の景気)は峠を越した」と思った。しかしその後、予想インフレ率に向かって突進を続け、インフレ期待を変え続けていくエネルギーが減退してしまった。現在では、データはかなり異なった様相になっている。5月1日以降の動向に焦点を当てると、経済は非常に異なる姿を描いている。

8月〜9月のインフレ率は全費目で「ゼロ」

 5月1日から8月15日までのPriceStats CPIインフレ率は全費目が0.54%で、食料品は0.06%だった!。

 これは、全費目では1.8%の年間インフレ率、そして食料品ではたった0.2%の年間インフレ率に相当する。8月15日から9月28日までのインフレ率は、あらゆる費目に対して基本的にゼロだった。

 私はインフレ面におけるアベノミクスについて、評価し直す時だと思う。日銀は、予想インフレ率が2%に誘導され、実質インフレ率がデフレから遠ざかるまで経済の舵取りを続けるべきである。当局に課せられた宿題はまだ終わっていないのだ。

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日々、生み出される膨大なニュース。その本質と意味するところは何か。そこから何を学び取るべきなのか――。本コラムでは、日経ビジネス編集部が選んだ注目のニュースを、その道のプロフェッショナルである執筆陣が独自の視点で鋭く解説。ニュースの裏側に潜む意外な事実、一歩踏み込んだ読み筋を引き出します。
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