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人生を豊かにし、富裕層入りするためのキャリアモデル 日常生活に組み込むべきプロセス(Business Journal)
http://www.asyura2.com/14/hasan91/msg/748.html
投稿者 赤かぶ 日時 2014 年 11 月 22 日 08:21:05: igsppGRN/E9PQ
 

人生を豊かにし、富裕層入りするためのキャリアモデル 日常生活に組み込むべきプロセス
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20141122-00010000-bjournal-bus_all
Business Journal 11月22日(土)6時0分配信


 前回連載記事『プロの仕事師は、なぜ数十億円の年俸を捨てたのか? 会社に捨てられ慌てる中間層』では、アメリカの富裕層(年収1億円以上)の仲間入りを果たしたランチョ・サンタフェに住むT君の話を紹介したが、そうしたキャリア設計は、若いうちから意識して自分の生活をコントロールしないと難しい。プロの仕事師としてどう自分をつくり込むか。自分なりのゴールイメージを考え続けて、若いうちから少しずつ具現化するよう取り組んでいく必要がある。今回から数回にわたり、筆者の恩師である一橋大学の野中郁次郎名誉教授が唱えて世界的に有名になった知識創造理論のSECI(セキ)モデルに基づいて、それを筆者なりにキャリア論に当てはめた「SECIキャリア」モデル、さらにはイノベーションを起こすワークスタイルについて考えてみよう。

 SECIモデルとは、知を創造する(イノベーションを起こす)基本的なプロセスを表しており、「Socialization」「Externalization」「Combination」「Internalization」の頭文字をとったものだ。

・Socialization(S)
 さまざまな体験や勉強、OJTなどを通じて、暗黙知として自分の中に基礎的な知見をぼんやりとでもため込む。

・Externalization(E)
 たまった知見を整理して自分なりの考え、コンセプト、仮説、ビジョンなど、自分の見識を言葉としてしっかりまとめ、イノベーションで狙う価値を見定め、形式知化する。

・Combination(C)
自分の見識を他者の見識や違った分野の知見と結びつけて形(モノやサービス、ビジネスモデルなど)に体現したり、より大きな知識体系に仕立てたりしてイノベーションを形にする。

・Internalization(I)
 出来上がったモノを使い、フィードバックを得て反省し、より深い知見をため、自分の暗黙知を豊かにする。そして次のイノベーションの土壌をつくる。

 以上のプロセスにより知見は深まり、次々と新しい価値を創造することに結びついていく。

●人生を豊かにするSECIモデル

 例えば、本づくりでは、まずさまざまな経験や勉強から自分なりの問題意識や考えが頭の中に浮かんでくる。師や先輩からの教え、背中を見て気づくこともあるだろう(S)。暗黙知が豊かになってきたところで、そこから自分の問題意識を整理し、何を書いて世に問うのかを明確に形式知化する。筋書きをきちんとするわけだ(E)。それができたら、本のストーリー、構成を考え、必要な調査、先行研究や情報の収集・分析などを行い、体系化を図り、本にする(C)。出版されれば読者からの反響があり、思わぬ発見や批判・激励を受けて、自分の考えがさらに深まる(I)。

 このようなプロセスを踏んで、知は創造され、発展していく。これがSECIモデルである。私たちは実は日常生活の中で、無意識的にこのSECIモデルを回しているともいえる。しかし、これを意識的に回す、しかも高質な(S)からスタートし、深く考えて(E)をしているか。広く豊かに(C)をしているか。またじっくり孤独の中で(I)をしているか。むしろ毎日バタバタと過ぎてしまっているのが実情ではないだろうか。

 それゆえ、SECIモデルを意識的に人生の中に組み込むことは、私たちの人生を豊かにし、イノベーションをもたらしてくれるわけだ。SECIキャリアモデルの所以である。次回は、SECIキャリアモデルについて紹介したい。

徳岡晃一郎/経営コンサルタント、多摩大学大学院教授


 

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コメント
 
01. 2014年11月22日 13:11:27 : jXbiWWJBCA

SECIモデルの具体例(Scrum・チケット駆動開発など)
Uploaded on Dec 19, 2013
SECIモデルの具体例(データマイニング・IT情報共有・見える化・Scrum・チケット駆動開発など) ...
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• 1. オリジナルの SECIモデル モデル 真っ先に目がつき、プロセ ス改善される箇所。 例:情報共有、見える化 見える化 暗黙知 →暗黙知 暗黙知 →形式知 共同化 表出化 (共体験などによって、 暗黙知を獲得・伝達するプロセス) (得られた暗黙知を共有できるように 形式知に変換するプロセス ) 内面化 (利用可能となった形式知を基に、 個人が実践を行い、 その知識を体得するプロセス) 形式知 →暗黙知 連結化 (形式知同士を組み合わせて 新たな形式知を創造するプロセス) 見落としがちなプロセス改善の箇所。 プロジェクトファシリテーションが有効。 プロジェクトファシリテーション 例:実践、運用、自律化 自律化の促進 自律化 形式知 →形式知
• 2. データマイニングの データマイニングの SECIモデル化 モデル化 暗黙知 →形式知 暗黙知 →暗黙知 組織のナレッジとして 資産化 (共同化) 関連性を ノウハウとして認識 (内面化) 形式知 →暗黙知 データの関連性 を抽出 (例:レコメンド) (表出化 ) 関連性を洗練・法則化 (連結化) 形式知 →形式知
• 3. IT情報共有の 情報共有の 情報共有 SECIモデル化 モデル化 「問題 vs 私達」の構造を作る プロジェクトファシリテーションが有効! 暗黙知 →暗黙知 暗黙知 →形式知 組織のナレッジとして 資産化 Wiki等のツールに 各人のノウハウを書き出す (共同化) (表出化 ) Wikiの内容を 各人が実践する Wikiの内容を 整理・洗練 (内面化) (連結化) 形式知 →暗黙知 ・プロジェクトファシリテーションでメンバーの行 動を促進する。 ・Wikiの内容を利用できる状況はコン テキストに依存する点に注意! 形式知 →形式知
• 4. 見える化の 見える化の SECIモデル化 モデル化 「問題 vs 私達」の構造を作る プロジェクトファシリテーションが有効! 暗黙知 →暗黙知 暗黙知 →形式知 (共同化) SWかんばん、 SWあんどん等で 問題を噴出させる 是正対策を 各人が実践する 課題へ洗練させて 是正対策を導く (内面化) (連結化) 対策の評価結果を 全員で共有する 形式知 →暗黙知 (表出化 ) ・プロジェクトファシリテーションでメンバーの行 動を促進する。 ・是正対策を利用できる状況はコンテ キストに依存する点に注意! 形式知 →形式知
• 5. パターン言語の パターン言語の SECIモデル化 モデル化 「問題 vs 私達」の構造を作る プロジェクトファシリテーションが有効! 暗黙知 →暗黙知 暗黙知 →形式知 (共同化) 問題となる状況と 解決策を パターン形式で 抽出する 頻出する問題解決法を パターンとして 各人が再利用する パターンを組合せて ナビゲーションマップを作り、 相乗効果を認識する (内面化) (連結化) 何度も繰り返される 問題となる状況を 全員が共有する 形式知 →暗黙知 (表出化 ) ・パターンはプラクティスなので実践 しやすい利点がある ・パターンを利用できる状況はコン テキストに依存する点に注意! 形式知 →形式知
• 6. Scrumの の SECIモデル化 モデル化 日次スクラムは暗黙知を表 出化する場である! 暗黙知 →形式知 暗黙知 →暗黙知 (共同化) 日次スクラムやペアプロで ノウハウや障害となるもの (課題: 課題:Sprint Inpediments)を抽出 課題: ・業務知識として認識 ・自律的に課題解決する ・ノウハウを洗練させる ・課題の解決策を立てる (内面化) (連結化) スプリントで得られた 経験をチームで共有 形式知 →暗黙知 (表出化 ) Teamのメンバーは自己組 織化されているので、自律 的に行動して実践する 形式知 →形式知
• 7. チケット駆動開発の チケット駆動開発の SECIモデル化 モデル化 朝会、KPTによるふりかえりは 暗黙知を表出化する場である! 暗黙知 →形式知 暗黙知 →暗黙知 問題となる状況、 チケット化で得られた ノウハウをチームで共有 (共同化) タスク、課題、障害などを チケットに抽出 (表出化 ) タスク完了・課題解決・ 障害検証後のリリース へ自律的に動く チケットへ 作業方針・課題解決策・ 障害修正を記載する (内面化) (連結化) 形式知 →暗黙知 チケット消化、チケット棚卸 し、イテレーション計画変更 で運用していく 形式知 →形式知
http://www.slideshare.net/akipii.oga/seci-29355905 

 

一橋大学名誉教授 野中郁次郎氏 今の時代に求められるリーダーとは
知識創造理論を世界に広め、ナレッジマネジメントの権威として国内外で活躍中の野中郁次郎氏。2008年『The Wall Street Journal』誌では「The Most Influential Business Thinkers(最も影響力のあるビジネス思想家)」トップ20に選出された氏が、知識創造理論以降の組織の知識創造プロセス、リーダーシップ論、さらに自らのキャリアについて語った。(文中敬称略。肩書は2011年6月24日登壇当時のもの)


 
スピーカー:
野中郁次郎 一橋大学名誉教授
堀義人 グロービス経営大学院学長
企業は新しい未来をつくる知の創造体である

野中郁次郎氏
野中:ただいまご紹介いただきました野中です。今日はリーダーシップというものを中心にお話をしていきたいと思います。まずは私自身のことを少しばかりお話ししたいと思います。が、自分で自分のことを紹介するというと、なにかこう…、自慢話のようになってしまうんですが、(会場笑)、とりあえず2008年に『The Wall Street Journal』が発表している「The Most Influential Business Thinkers」というトップ20ランキングで20位になりました。‘Business Thinker’とは何らかの面白いコンセプト、あるいはセオリーを提唱した人と言えばよいのでしょうか。必ずしも学者に限定されず、コンサルタントやビジネスマンもいます。ビジネスマンもトップ、ミドルにかかわらず、とにかく何か一生をかけて商品コンセプトやビジネスモデルをつくっている人々、あるいはトップマネジメントやリーダーシップに関する新しい概念をつくる人々だと思っています。

 ランキングに入っている方を少し紹介すると、たとえばゲイリー・ハメル。ご承知の通り「コア・コンピタンス」というコンセプトをC.K. プラハラードとともに提唱した方です。トーマス・フリードマンは『The World is Flat』(『フラット化する世界』)でお馴染ですね。心理学者もランクインしているのが最近の特徴です。それからクレイトン・クリステンセン『The Innovator's Dilemma』(『イノベーションのジレンマ』)、そして、マイケル・ポーターは今回2008年に発表された2回目のランキングでは14位でしたが、1回目はたしか1位でしたでしょうか。当時は戦略論が盛んでしたから。

 現在のランキング基準は少しずつ変化しているようです。戦略の本質に突き進んでいった結果として、「大切なのはイノベーションではないのか?」という流れが現在は生まれているように思います。同時に、競争戦略論で中心的なマーケット分析にも、もっと自分たちの主観で解釈して「未来をつくる」というアプローチが出てきました。「人間の主観がもっと重要なのではないのか」という考え方で、イノベーションはまさにそれにあたります。人々を説得することで主観を客観にしていくという、人間くさい側面が出てきているのが現在の流れなのかなと理解いただければと思います。

 私自身が「The Most Influential Business Thinkers」でぎりぎり20位に入ったのは『知識創造企業(The Knowledge-Creating Company)』という著書が大きなきっかけだったと思います。それと『流れを経営する(Managing Flow)』などですね。ですが今日は、むしろ知識創造のあとの展開、およびその中心となるリーダーシップ論を中心にお話ししていきたいと思います。

 ここでいうリーダーシップは、私の場合はやはり「知を創造するリーダーシップ」となります。イノベーションを支援・促進し、実現するリーダーシップに大変関心があるのです。最近また流行っているお馴染のピーター・ドラッカーはマネジメントに関するいくつかの重要なコンセプトをつくったと言われております。彼は「知識社会」という非常に重要な概念も提言していますね。「21世紀は知識社会(knowledge society)である」と。私たちにとって最も重要な資源は知識であることを洞察し、それを言葉にしたわけです。ただしドラッカーはコンセプトは出したのですが、きちんとした論理体系や関係性をつくりあげ、理論化するところまではあまりやっていませんでした。

「知識(Knowledge)」はわけのわからない資源だから、それがどんなふうにつくられていくのかという理論が私としては欲しかった。我々がこれまでずっとしてきたことは「どうやって組織的に知を生み出すか」ということ、つまりイノベーションで、私はそれを改めて説明したかったのです。会社員生活を9年続けたこともあって、イノベーションというものに以前から非常に深い関心がありました。現在はナレッジがつくられる過程についてしつこく理論化しているというふうに捉えていただければよいかなと思っております。

 まず、企業をどのように見るかは大切です。我々は、企業とは単なるマネーメイキングマシーンではないと思っています。新しい未来をつくる知の創造体であり、イノベーションを持続させるもの、限りなく未来に向かって知をつくり続けていくのが企業なのではないかと考えています。
知とは、関係性の中で創りだすもの、そこでは「主観」が重要になる
 そしてもうひとつ重要なことは、知を「誰がつくるのか」ということです。それは「我々」であって、知識は自分の思いや信念を真理に向かって社会的に、すなわち人々と説得し合いながら、人と人との関係性をマネージしながら、実現し正当化していくそのダイナミックプロセスであるということです。さらに、知識とは自分の想いを実現していくプロセスであるととらえると、マーケットはまさに知の宝庫と考えられるわけです。これについてはフリードリヒ・ハイエクという経済学者が「マーケットの基本的機能とは新しい知を獲得することではないか」という重要な洞察をしています。単に競争だけをする場ではないという考え方です。

 マイケル・ポーターを含め、経済学をベースにした現在の戦略論の基本にあるのは「完全情報」という仮説です。消費者も企業も完全な情報を持っているという仮定のもと、一人ひとりが自己の利益を追求すべく合理的な行動をとれば、自ずから神の見えざる手がそこに均衡をもたらしてくれる、そこで需要と供給がバランスする均衡があるという考え方にたっています。

 しかし、ハイエクはそうは考えませんでした。彼は、「マーケットは不完全情報だ」ととらえ、とりわけ「暗黙知」という考え方に目をつけました。我々がなかなか言葉に出来ない、“見える化”することができない膨大な知がマーケットには埋めこまれているため、完全情報に基づく均衡というようなものは存在しない。つまり誰もが部分的な知識しか持っていないということです。ハイエクは、そういった見えない知をいかにして人と人との相互作用を経て産み出していくかが重要であると考えたのです。

 そういう意味で、我々は知識がはじめから“見える化”されて客観的に与えられているもの、それは「形式知」と言ってもよいかもしれませんが、そういうものではないという立場をとっています。知はあらかじめ形式的に与えられているのではなく、人と人との関係性の中で主体的につくりだすものではないかと思うのです。我々は何らかの思いを持ち、人々と暗黙知を共有し合いながら、あるいは相手の暗黙知を引き出しながら、新しい知をつくっていく。それがイノベーションなのだと考えています。

 繰り返しますが知は関係性の中からつくるものであり、そこでは人間の持っている主観、想い、夢、感情といった主観が非常に重要になります。ただし、主観が主観に留まっているかぎりは、普遍にはなりません。いかに自分の持っている主観を人々との相互作用を通し共感し合い、説得し合い、概念化し、実現していけるのか。そうした主観を客観化していく過程こそがイノベーションなのです。

 次に、知を創造するために重要なのは関係性を読むことですが、我々はこれを「文脈(context)」と呼んでいます。言葉が置かれた状況と言語との関係性あるいは前後関係のことで、非常に重要な概念です。なぜならば、何にせよ前後関係を見ることでしか意味を知り得ることが出来ないからです。たとえば「結構です」ということばが「よい」という意味なのか、あるいは「必要ない」という意味なのかは、前後関係で決まります。また「俺はうなぎだ」などという言葉、これはどう考えても論理的におかしいのですが(会場笑)、和食屋に行って「お前は何を食べるんだ」と聞かれたら、「俺はうなぎだ」という返事で十分に伝わります。重要なのはこの文脈を読むことです。つまりこれは解釈なんです。

 言葉以外の物事やデータが置かれた状況、物事やデータの関係性や意味も、周りの関係や文脈を知ることではじめて判断できます。その意味で、関係性から世界を見ることが非常に重要になります。同時にそのためには、言語・文章で表現するのが難しい主観的・身体的な経験知である「暗黙知」と、言語・文章で表現できる客観的・理性的な言語知である「形式知」を絶えずスパイラルに回していく必要があります。

 こうした観点から、マネジメントとは分析だけではなく。アートでもあると言えます。実はこれまでのマネジメントというのは極めて分析が多く、特にアングロサクソンは徹底的な分析をしており、マネジメントはサイエンスであるという考え方が非常に強くありました。マイケル・ポーターが提言している競争戦略にも完全競争と完全情報による均衡という考え方が背後にあります。

 ところが均衡状態では皆がフェアでイコールなので、フェアな利益を獲得できても、利益の最大化は極めて限られます。企業は寡占や独占の状態でこそ利益を最大化できるわけで、それでは完全競争の状態を不完全競争の状態に持っていくことになります。つまり、参入障壁を高め、サプライヤのパワーを高め、消費者のパワーを低める。完全競争の状態を不完全競争の状態にもっていくことで利益を獲得します。それが戦略であり、ファイブ・フォース・モデルになります。しかしこれでは人間の想いや、未来をつくるであるとか、社会のために何をするか、という話が出にくくなります。我々の言う「知識創造」では、こうした人の想いや社会のために何をするかといった企業観が重要で、マネー・メイキング・マシーンを超えて未来をつくことこそが、知識創造企業の戦略であると考えているのです。
プラトン以降の西洋の知は「身体」という主観を否定してきた

 さて、「暗黙知」という考え方は、西欧からはなかなか出てきませんでした。もともとはマイケル・ポランニーという人が生み出した言葉ですが、基本的に西欧哲学の伝統においては、身体、暗黙知、あるいは主観といったものは知ではないとされてきたため、彼は極めて少数派でした。あくまでも純粋、理想、分析、つまりマインドによって合理的かつ論理的に到達出来るものこそが真理であって、身体は主観であって客観化できないという考え方が非常に強かったのです。プラトンはまさにそうで、彼はマインドのみによって真理に到達出来るとし、「身体(Body)」は信じてはいけないと考えていました。ある種の理想型であり完全競争ですね。あるのかないのかはわかりませんが、いずれにせよ論理的に突き詰めていって、そこから現実を診断するという考え方でした。

 プラトンはすべてのものにイデアという理想郷があるとしていました。目に見えない、普遍、かつ万古不易のイデア、あるいは理想型があるということです。たとえば「女性のイデアは永遠不滅のマリアである」などです。私の場合は、原節子という女優がイデアでした(会場笑)。これがもう永遠の美女であり、イデアなんだと。しかしそれでは私の女房はなんだということになってしまいます(会場笑)。よって実践と現実のただなかに真実があるという考え方を我々はしているのです。
知識創造は「暗黙知」と「形式知」の相互変換運動である
「暗黙知」と「形式知」は両方ともに必要なものであると我々は考えます。それは「経験」と「言語」が創造的関係にあるということにもつながると考えています。ソムリエである田崎真也さんの著作でも「ソムリエは良いワインというものをまず体感しなければいけない」と述べられています。そしてその背後にある本質を探るのだそうです。本質は見えないもので、これはもう徹底的に考え抜き、分析する必要があります。ワインの味わいと五感で得た直感について、思いついたことを田崎さんはすべてメモして言語化していくそうです。

 たとえば我々は、ワインの香りを「ブルーベリーのなんとかの香りのように…」と言われると、暗黙知が触発されます。「ああ、そうか」と。本質的な直感を言語や概念で表現していくことで、それを使って暗黙知に働きかけることができます。概念とは新しい意味を持った言葉のことであり「コンセプト」です。大変難しいですが、考え抜いて本質をぴたりと言い当てた言葉こそがコンセプトになるのです。しかも田崎さんの場合は、ワインが持つ前後関係をも読み取っていきます。先ほどお話しした「文脈(context)」ですね。その時に給された料理や場の雰囲気も読みながら一期一会という関係のなかで、即興的に暗黙知を形式知にぴたりと変換し、相手の知をさらに触発していく。こういうことが出来るプロフェッショナルなんです。

 一方で、野球の長嶋茂雄さんは暗黙知を形式知に変換する能力が若干乏しかったのかなと思います。暗黙知というのはイメージです。彼はイメージをイメージのまま語るからわからないんですね。具体的にはどう打ったら良いのかと聞かれると「来た玉をパッと打つ」などと答える。それはそうだよと(会場笑)。これに対して野村克也さんは徹底的にぎりぎりまで言語化していきます。野村さんは「私の哲学は阪神タイガースでは機能しなかった」と反省されていましたが、それは阪神の選手のほとんどが体育会系の言語を使っていたためだと言います(会場笑)。

 こういった暗黙知と形式知の関係はいろいろな例で提示出来ます。たとえばトヨタ経営の本質は暗黙知と形式知のスパイラルアップにあります。トップがあらゆるところで徹底的に暗黙知を形式知化しています。もちろんすべてを言語化出来るわけではありませんので、暗黙知が暗黙知のまま残るものに関しては、それは暗黙知のまま共有していこうとしています。それはまさに人づくりでもあるのだということです。高質の経験をつくる場をつくりあげていくんだと。こういうことであります。
SECI モデルが創造性と効率化を両立させる知の総合力となる
SECI モデルが創造性と効率化を両立させる知の総合力となる

 こういった話を理論化しますといわゆるSECIモデルになります。今日は詳しく説明しませんが、まずは身体・五感を駆使すること、直接経験を通じた暗黙の獲得、それを共感・共振・共鳴する「共同化」が非常に重要です。人々の持っている暗黙知を相手の視点に立ちながら共感するということですね。その次に共感したものの本質をきちんと言語化するというのが、「表出化」であります。ここでコンセプトが生まれる。そしてそこで生まれたコンセプトをきちんと関係づけ、情報活用と知識の体系化をするのが「連結化」です。そして最後にそれを実践し、形式知を行動を通じて具現化、新たな暗黙知として理解・体得するのが「内面化」です。

 これら「共同化(Socialization)」、「表出化(Externalization」、「連結化(Combination)」、「内面化(Internalization)」、4つの頭文字をとってSECIモデルと呼んでおります。世界では“セキモデル”と発音されています。これをスパイラルに回すことで個人の知がチームの知、組織の知、グループの知になり、そして再び個に還っていきます。個と組織がともに無限に知識をつくりあげていき、ひいては社会の知を豊かにしていくということです。


 イノベーションとは実はSECIスパイラルなのです。直接経験を通じて現実に共感することが「共同化」で、そこで新しい“気づき”が起きる。相手の視点になりきったとき、「あっ」という気づきが起こる可能性が非常に高くなり、自己を超えることができます。その気付きの本質について徹底的に考え対話を重ねていくと、そのなかで“真因”が見えてきます。色々と要因があるなかで、「これだ」というものが真因であり、本質です。トヨタでは原因ではなく真因という言葉で表現していて、「きちんと真因を識別する」などと言います。そしてそれを言語化し、外見化する。これが「表出化」です。次にそれを関係づけて体系化してモデルにすることが「連結化」です。

 さらにそれを技術、商品、ソフト、サービス、経験に具現化、実践していきます。価値化して知を自分のものにします。これが「内面化」ですが、内面化を通じて思いが言葉に、言葉が形になります。そして具体的な組織・市場・環境の新しい知を、具現化した形の商品・ソフト・ソリューションを媒介にしてさらに触発していきます。そして再び「共同化」に繋がっていく。こういったSECIの高速回転化が創造性と効率性をダイナミックに両立させる知の総合力(Synthesizing Capability)になるのです。

 まとめますと、「企業はなんのために存在するのか」、これは「未来をつくるため」です。そして未来をつくるためにはイノベーションが必要になります。そしてイノベーションの本質はSECIスパイラルであって、これをいかに高速回転化していくかが21世紀の知識社会における最大の課題なのです。SECIスパイラルを絶えず未来に向かってリードするということはどういうことかを次に話します。
イノベーションはひとりの人間ではなく、コミュニティで起こる
 オーストリア学派の経済学者のヨーゼフ・シュンペーターもイノベーションに大きな関心を持った経済学者でしたが、彼は「イノベーションというのはすべて新しいコンビネーションだ」と言いました。人々がそれぞれ持っている想いや夢を、いかにして共感し合いながら言葉にしていき、コンビネーションを成立させるかということですが、彼の場合はその暗黙知の観点が抜けていました。

 また、シュンペーターは「イノベーターはひとりなんだ」と言っていましたが、我々は「全員経営である」と考えています。これを言ったのは松下幸之助で、彼の「衆知経営」とは実に立派な言葉です。我々はある意味で衆知経営の理論化をしていると言っていいのかもしれません。イノベーションはひとりの人間によって起こすのではなく、コミュニティに分散するのです。

 コミュニティにおける知の創造では、リーダーシップが根本的に重要となります。全員がリーダーであるということです。ユニクロの柳井正さんも全員経営という言葉を使っていますが、これも松下幸之助の衆知経営に通じるものです。我々はイノベーションのリーダーシップ、コミュナル・リーダー、あるいはコミュナル・イノベーションのリーダーというものはどういうものかということを10年来考えてきました。そこで行き着いたコンセプトが「フロネシス(Phronesis)」というアリストテレスが唱えた言葉です。この言葉を日本ではじめて言ったとき、ある方から「風呂に入って死ぬのか」と言われまして(会場笑)、なかなかうまいことを言うなと思いました(笑)。
関係性の中で“Just right”の解を見つける実践知がフロネシス

 フロネシスとは、つまり賢慮(Prudence)、賢人の思慮分別であり、実践的知恵(Practical Wisdom)、知(Knowledge)を磨いて‘Wisdom’にするということです。重要なことは、フロネシスは単なる知識ではなく、すべて個別具体に存在する文脈のただなかで「ちょうど」の判断する能力ということです。さまざまな関係性を見抜き、関係性の中で判断するのですから、単なる分析だけでは到達出来ません。当然、経験も必要になります。フロネシスを一言で表現すると「実践知」となります。

 現実を洞察するためには、やはり何が良いことかという自分なりの価値観を持たなければなりませんが、これは共通善(Common Good)と言います。世のため人のために何が‘Good’か、という自分なりのブレない価値観です。絶えず動いている現実のなかで自分なりに共通善の価値基準を持ち、個別具体に存在する文脈のなかで最善の判断をすることが実践知であり、フロネシスなのです。

 これまでのマネジメントにおける中心概念は「意思決定(Decision)」でした。しかし我々は「判断(Judgement)」を中心に据えました。人が集まって、ある現象の背後にある人間心理を含めた関係性を徹底的に調べあげたうえで、最後に「こうじゃないか」と決めるのがジャッジメントです。

 マネジメントにおける「ディシジョン」はコンピュータに例えることができます。まさに情報処理の結果がディシジョンです。ですから良いソフトをつくればコンピュータでもディシジョンは出来ます。しかし、ジャッジメントをするには見えない関係性の背後にある本質を見抜かなければいけません。ですからやはり人間がやらなければなりません。将来はコンピュータの素晴らしいソフトが生まれるかもしれませんが、それでもあらゆる関係性は一点一様ですから、なかなか普遍化はできません。そのような状況において、経験を積みあげて「こういう場合はこれだよ」という判断を下していく、それが我々の考える暗黙知なのです。

 ちなみにオバマ大統領がよく「ジャッジメント」という言葉を使いますね。米国でも最近になってやっと‘Practical Wisdom’という考え方が普及しつつあります。ただ、個別具体に存在する関係性のなかで‘Just Right’の解を見つけるのは大変なことです。たとえば公文という会社がありますよね。「くもん式」で非常に重要なポイントは先生が生徒ごとにその日の文脈(Context)を読み取り、「今日はここまで」という‘Just Right’の判断をすることです。優れた先生は生徒が戸を開けて入ってきた瞬間に、そのジャッジメントができるそうです。

 こういったジャッジメントをどのようにして共有していくかということは、我々も現在は色々と試しているところです。個別具体のジャッジメントだけでは不十分で、それを普遍化していく作業が欠かせません。絶えず暗黙知は形式知、形式知は普遍を求めます。そのようにして個別具体の暗黙知と普遍をスパイラルに回していくということが非常に重要となるのです。

 また、動きながら考え抜く‘Contemplation in Action’、行動のただなかの熟慮も重要です。現場を知らなくては文脈が読めないですし、文脈を読んでいるだけでは普遍化出来ません。だから動きながら考え抜かないといけない。そうして文脈に即した判断(Contextual Judgment)と、適時絶妙なバランス(Timely Balancing)をできるようにすることが実践知として非常に大切です。
実践知リーダーシップの6つの能力−1)「善い」目的をつくる
実践知リーダーシップの6つの能力−1)「善い」目的をつくる
 実は日本の経営者には実践知豊かな人がかなりいらっしゃいまして、それについては同僚の竹内弘高と『Harvard Business Review』に論文を書きました。今年の5月号で巻頭論文に採用されたのですが、実践知リーダーシップに求められる6つの能力についても触れています。


 1番目は何が‘Good(善い)’かという目的をつくる能力。2番目がタイムリーに場をつくる能力です。そして3番目はありのまま現実を直観する能力であり、4番目は直観の本質をきちんと概念化する能力です。これは私があまり得意としていない分野です。「わかるだろ?」「うーん…」みたいなやりとりになるので、私はどちらかというと長島派です。しかし同僚の竹内は徹底的な分析派です。だから毎日喧嘩をしながらこの論文を書いていました。『知識創造企業』も暗黙知と形式知、ひとりでは出来ないから二人でやろうと毎日喧嘩しながら出来あがった本です。そして5番目は概念を実現する、絶対にやり抜く政治力で、これは、菅政権は、ゼロでしょ?(会場笑) そういうことを雑誌『Voice』にも書きました。「リアリズムなき政治家が国を壊す」というタイトルです。私としては珍しく人の批判をしたのですが、「これはもう言わざるを得ないなあ」と。そして6番目がそれを皆で共有するということ、実践知を組織化する能力です。

 この考え方を『Harvard Business Review』が“The Wise Leader”という一枚の絵にしました。その絵の背景にはいろいろと、‘Fraud(詐欺行為)’‘Greed(強欲)’‘Lack of Integrity(誠実さの欠如)’‘Unethical Managers(非倫理的なマネージャー)’etc…、さまざまな言葉が浮かんでいます。これは、アメリカのマネジメントが行き過ぎた結果、現在はこういったものが蔓延していて、それを治すビッグアイディアがあり、それが“The Wise Leader”ということです。

 今回の論文は1年越しの葛藤でした。特に最近は、政治の貧困が大きな要因とは思いますが、『Harvard Business Review』で日本の経営に対する関心がまったく落ち込んでいました。そこで我々は「日本の経営者をなめるな」「こういった会社のトップマネジメントを見てみろ」と言おうとしました。具体的にはまた後でお話をしますが、こうした考えが『The Wise Leader』に込められています。震災をきっかけに日本人の連帯(Solidarity)は世界に冠たるものがあるということが発信されました。しかしリーダーシップは相変わらず欠落していると思われている。政治はたしかにそうだとしても企業はそんなことはないと、我々は見せていきたかったのです。

 先ほどの6つの能力に戻って、具体的事例を織り交ぜていきましょう。まずは本田宗一郎。彼なら皆さんもイメージを共有出来ますよね。米国の事例ではいま一番面白い人ということでスティーブ・ジョブズをご紹介します。ジョブズ自身は本田宗一郎や井深大、あるいは松下幸之助といった日本人経営者を大変尊敬しているそうです。

 まず1番目の「『善い』目的をつくる」ということですが、何が‘Good’かについては深い哲学的洞察も必要になります。アリストテレスは「世の中の価値のなかには、絶対に手段にならない、それ自体が追求に値する価値が存在する」と言っていますね。それは幸福や自己実現であり、これらは決して手段にはならず、我々はそれ自体を追求します。自己実現の原点はアリストテレスです。彼は金銭は手段であるから、それは自体で‘Good’にはならないという指摘をしています。

 もうひとつ重要な点があります。マルティン・ハイデガーという哲学者は‘Good’ということを考えるために、まず「我々はなんのために存在するか」と存在について考えなければいけないと述べています。我々は、あるいは我が社はなんのために存在しているのか、それをベースにして何が‘Good’かを追求するということです。何が絶対の価値なのかと問う前に、なんのために存在するのかと。ハイデガーによれば「未来のために存在する」となっています。絶対の真理は死ぬことであり、逆に言うと死は可能性の限界ですから、我々が今をより良く生きるためには未来に軸足を置こうということです。

 と同時に、「こうありたい」ということを断固として決意すると、これまで自分が産み出してきた知に新しい意味が生まれてきます。そして未来と過去が一体となり、今をよりよく生きることができる。これが本当の生き方であるということです。たとえばある女性が「詩人になりたい」と言ったとします。そう決意すると、今まで考えたこともなかったけれど、自分の経験を「何か詩のネタにならないか」と真剣に見直すようになります。もしくは、詩人仲間を見つけようとしたり、詩の読者のニーズはなんだろうとか、出版社にネットワークをつくることができないだろうかと考えたり、新しい世界が広がってくる。そういう話なんですね。アリストテレスとハイデガーのこうした言葉は非常に重要です。

 本田宗一郎は「なんのために我が社は存在するのか」という点について、「3つの喜び(作る喜び、売る喜び、買う人の喜び)」だと言っています。ここでいう喜びは‘Extreme Satisfaction’、歓喜ですね。一方のスティーブ・ジョブズはスタンフォード大学の卒業式における有名な講演で語っています。彼は大きな意思決定を自分でするとき、必ず「いつかは死ぬんだ」と考えるそうです。そこまで突き詰めたとき、本当に自分のやりたいことはなんなのかということが見えてくると。彼はそれで思考の落とし穴は回避できるといって実践しているのです。
実践知リーダーシップの6つの能力−2)場をタイムリーにつくる

 2番目の「場をタイムリーにつくる」という点ですが、そもそも「場」というのはなんのためにつくるのか。ここで先ほどお話しした共振・共感・共鳴に戻りますが、いわゆる人と人との関係性において根底に存在するのは「相互主観性」です。一人ひとり、誰もが主観を持っていますよね。それを皆の主観にできないかということです。相互に他者の主観を全人的に受け容れ、関わり、共同化しあうときに成立する、自己を超える「われわれ」の関係性が相互主観性です。これはむしろ客観に近づいてきます。場づくりの目的は皆の主観をつくることで、主観を大切にしながらも一人ひとりの主観を超えて、共通善に向かって皆の主観をつくる、それが場づくりの目的です。

 ホンダでは「ワイガヤ」という生きた時空間の共有をしますよね。典型的かつ理想的なワイガヤは3日3晩かかるそうです。まず何らかのプロジェクトチームを編成したとして、皆が赤の他人であり、かつそこで何かチャレンジングなことをしようというときにワイガヤをやる。そこではまず良い宿、良い食事、良い温泉を手配します。これが重要で、身体の共振・共感・共鳴には欠かせません。さらに大いに飲むということも重要ですから金もかかります。初日はエゴとエゴのぶつかい合いになる。それを徹底的にやっていくと、薄っぺらな形式知はすぐに枯渇します。ぶつかり合いを30分するのは相当大変で、私なんて2時間以上もたないですね。とにかくガッツで対応しないといけなくなる。そこで人間としてまっとうに向き合うようになります。思いをぶつける。会社でやると逃げてしまいますが、外でやっているから逃げ場がない。そこから全人的に向きあいはじめます。そこで主観と主観、あるいはガッツとガッツを全人的にぶつけ合いながら、「俺たちの思いは突き詰めていけば共通項があるじゃないか」と思うようになります。そこから「ではどういうコンセプトをつくっていくのか」ということになる。そして2日目には相互理解が起こり、3日目には、大きな飛躍が起きる。これがホンダのワイガヤだそうです。

 私が言いたいのは、やはり身体と身体がまっとうに向き合う状態でないと、なかなか相互主観性には到達出来ないという点です。それほど身体の共感は重要であると考えています。スティーブ・ジョブズも本当に正面から向き合って話します。目を合わせて‘I care you.’と話す。「俺とお前で、お前のためにまっとうな議論をしよう」と、全人的に向きあう。だからいつでもアイディアがあれば夜中でも皆をたたき起こして議論をしようということにもなります。残業がどうのこうのと言っていられない。人間の創造性はいつ生まれるかわからないから、そこでタイムリーに場をつくることができるのであればそれが理想の組織なのです
実践知リーダーシップの6つの能力−3) 現実を直視し、4)直観を概念化する

 3番目は現実の直視です。時々刻々と変化するなかにあって、全身で共振・共感・共鳴をする。本田宗一郎は走行中のライダーを見る際、目線を合わせて全身で向き合ったそうです。手を地面について、手で音を聞いて、五感をひとつにして共振・共感・共鳴をしていたのです。そして相手に目線も合わせる。そうすることで次の仮説が浮きあがってくるんですね。スティーブ・ジョブズも同様です。絶えず考えながら現実のただなかで“気づき”を概念化していった。

 4番目は、ジョブズのようにそのような直観をきちんと概念化することです。つまり徹底的な対話のなかで「どうだ」とやり合いながら概念を紡いでいくことです。デトロイトにある自動車殿堂の本田宗一郎コーナーには、本田宗一郎という実践知リーダーを見事に表現した2枚の写真が飾られています。1枚は先ほどお話しした走行中のライダーを見る写真で、もう一枚は工場で床の上に設計図を書いている写真です。現場のただなかで本質を、対話を通じて言葉にしていく。まさに概念にしていくという姿です。

 一方、スティーブ・ジョブズはコンセプトづくりの能力が極めて高い。モノというよりもコトで世界を捉えているんですね。たとえば「iPod」はモノですが、彼はモノでなくもっと大きな関係性を見ていました。モノというのはどうも孤立して考えられがちですが、本来は関係性をつくるためのものなのだということを彼は理解していた。コトづくりのためのモノづくりという発想が非常に強かったのです。「iPod」は音楽配信という感動経験を与えるためのモノなんだという考え方です。簡単に取り替えることが出来て、持ち運びも簡単。自分でダウンロードしていつでも手軽に好きな音楽を聞くことが出来るというイベント(コト)を提供するためのモノが「iPod」なんです。そこで必要なモノのテクノロジーが優れていれば感動経験の質も高まっていく。これを徹底的にやるためには店が必要になる。だからこそ彼は『Apple Store』まで徹底的にコントロールして顧客に何が善いかを伝えていったのです。そういったコンセプトとビジネスモデルをつくる能力に長けていた。
実践知リーダーシップの6つの能力−5)概念を実現、6)実践知を組織化

 そして5番目は概念を実現する政治力です。政治力の本質はレトリック、言葉で人を行動につなげていくことです。情熱と勇気、あらゆる方法を駆使しながら状況に応じてビジョンを周りに説得して、人々をその実現に向かわせる能力。ここではレトリック、すなわち言葉が大変重要になります。

 本田宗一郎のマン島TTレース出場宣言はまさにそうです。給料もまともに払えない時期にマン島TTレース出場を全社員に向けて宣言した。その文面を読むと今でも震えますよね。「何を言ってるんだ」と最初は思ってしまいますが、聞いているうちにだんだん「やれるんじゃないか」とか、「やろう」という気持ちになってくる。こうしたことはスティーブ・ジョブズもうまいです。アップルではジョブスが持つその能力を「現実歪曲空間」と表現しています。現実を自分の情熱のなかに引きこんで、聴衆を「よしやろう」という気にさせる能力です。これはやはり素晴らしいと思います。日本の政治家に一番欠落しているのはこのレトリックです。塩野七生さんの『ローマ人の物語』はほとんどレトリックの話です。たとえばジュリアス・シーザーが観衆を前に30分、延々と演説して人々の心を変えてしまい、新しい行動に向かわせるといった話など。これは非常に重要な能力だと思います。

 そして最後は、今までお話しした1から5までの能力を全員で共有する、という考え方です。‘Distributed Leadership’です。全員経営、あるいは衆知経営にできるかどうか、これが6番目の課題になります。ホンダの社長であった福井威夫さんは「従業員全員が本田宗一郎にならなきゃいけない」と言っていました。これは大変チャレンジングな考え方ですよね。

 では、どうすれば実践知を育成することが出来るのか。ひとつは「修羅場」を経験することです。‘Extreme Experience’、そのような経験が人間の実践知を豊かにしてくれるのです。いわば可能性の限界に挑戦するという極限体験です。そして優れた手本と共体験することも大変重要です。そこでは成功だけでなく失敗も学ぶ。とりわけ失敗の経験というのは‘Just Right’の判断に不可欠ですから。そういう意味でも実践知育成の基本は徒弟制度と言えるでしょう。上司のフィードバックと自己修正を繰り返す意識的練習の積み重ねによって、脳内に自動的・直観的に特定の反応をする経路が刻まれ、一流の判断力の基盤となります。そこで絶えず無限にエクセレンスを追求していくという“型”が非常に重要になるのではないかと思います。
これからは、「ミドル・アップ・ダウン」が必要

 これはつまり、通常のOJTでは不十分だということです。人の3倍も4倍もする負荷を意図的にかけなければいけないのです。人間の持っているポテンシャルはまさに乱世で花開くのです。ただ、そういう乱世を待っていたのでは遅過ぎるわけで、負荷を人為的につくるということです。それがコンセントリック・ラーニングです。

 このような育成においては、トップダウンとボトムアップを両立させていく必要が出てきます。そのためミドルの役割が大変重要になっていきます。ここでいうミドルとはまさにプロジェクトリーダーでありプロデューサーです。大局観と現場がミドルを中心に回転していく、これを全員経営と言いますが、我々は「ミドル・アップ・ダウン」とも呼んでいます。この呼称がなかなか伝わらないのですが(笑)、イメージとしては分かりますよね。そうしたプロデューサー型の人間をどれぐらい育てられるかが非常に重要になります。我々はこの考え方を1995年に提唱しました。ちなみにアップルは一見するとスティーブ・ジョブズが極めて強烈なトップダウン経営を行っているように見えますが、実は彼もチームが大好きなのです。チームをベースに、チームとチームを連動させて組織をつくっているのです。

 チームを重視する組織として私が最近注目しているもうひとつの企業にCisco Systemsがあります。こちらには強烈なトップダウン経営を行っていたジョン・チェンバースという人がいました。しかし彼は現在、それまでとは180度異なる経営を行っています。ひとりの人間ではこれだけ複雑な世界に対応出来ないから、これからは‘Distributed Idea Engines’、「アイディアを持ってエンジンになるようなミドルを育てていく」と述べています。それで「以前、自分の後継者は二人だったけれども、今や500人いる」も言っています。これはまさにミドル・アップ・ダウンの実践ですね。

 こうなってくると衆知経営にはICT(情報・通信に関する技術)の徹底活用も重要になります。SNSやTwitterを経由して、世界中の人間がプロジェクトベースで世界中の知を自在に共有し、リンクしていくという考え方です。今はまさに世界がグローバル・ミドル・アップダウン・マネジメントという方向に動いているのではないかと思います。これこそ共同体をベースにした知の創造だと思います。日本が持つ共同体の良さと、それをグローバルにリンクさせていくICTの徹底活用を両立させながら、イーストとウェストのハイブリッドをつくる。現実はそんな方向に動いているのではないでしょうか。

 最後に申しあげたいのですが、実は震災前に栃木にあるホンダの研究所を訪問し、いろいろと議論をしてきました。そこで研究所の50周年記念でしたか若手のプロジェクトメンバーがホンダ研究所のあり方なようなものをまとめたビデオを見て非常に感動しました。かつて本田宗一郎が通っていた小学校の石碑には、「試す人になろう」という言葉が刻まれているのです。ビデオでは「もう一度ホンダの原点とは何か、そして我々はなんのために存在するのかを見つめ直そう」ということで、「試す人になろう」という本田宗一郎のその言葉が語られていました。人生は見たり、聞いたり、試したりという3つの知恵でまとまっているが、多くの人は見たり聞いたりばかりで一番重要な“試したり”をほとんどしない。ありふれたことだが失敗と成功は裏腹になっている。みんな失敗を恐れるから成功のチャンスも少ないと。だから‘Be Someone Who Tries’となる。「やってみようじゃないか」ということです。徹底的に考えてもわからないことはあります。しかしだからこそ共通善に向かって一歩一歩無限に、実践を通じて真・善・美に近づく以外方法はないということです。経営にマジックはありません。しかしながら「共通善に向かって何をやりたいんだ」、そして「それを実現する手段は一体なんなんだ」と考えてみれば、結論はアクションになります。とにかくやってみる。それを無限に続けていく以外に方法はないのではないか、というのが彼らの結論でした。

 革新共同体をつくるということは、最終的にはそういうことであると申しあげておきたいと思います。そしてそのDNAは日本経営のなかにたくさんある。この日本経営の良さを再認識することは必要だけれども、懐古趣味に留まっていてはダメで、革新(イノベーション)と再創(リ・クリエーション)が必要です。もう一度、我々が世界に向かって「なんのために存在するのか」ということを突き詰めていったとき、改めて我々のあり方、生き方、そして日本の経営が世界に発信すべきものが生まれてくるのではないかと思います。この辺でいったん区切らせていただきたいと思います。ご清聴ありがとうございました(会場拍手)。
判断をするには、関係性の幅と深さを読まなくてはならない

判断をするには、関係性の幅と深さを読まなくてはならない

堀:野中先生、ありがとうございました。ここからは私との対談ですが、質問をいくつかしたあと、会場の皆さまにご質問いただこうと思っています。まず、野中先生のキャリアについてお伺いしたいと思っております。もともとは富士電機に入社されて、そこからアカデミックな世界へ進まれたのですよね。この辺りの経緯などをお伺いしてもよろしいですか?

野中:自分のキャリアに関する話はあまり人前でしたことはなかったのですが、僕自身は早稲田の政経学部出身です。親父は政治家にしたかったらしいのですが、私の顔を見て「やっぱりやめたほうがいい」と考えたようで(会場笑)。それで企業に行き、富士電機という会社に9年在籍していました。そこであらゆる経験をしたんですね。工場、人事、労務、組合…、学校をつくって経営者教育もしましたし、そのあとはマーケティングも。最後はカネ関係をやっていないということで、企画部で関係会社を見るようになりました。ですからあらゆるオペレーションを9年間で経験させてもらったというのが、私としては非常に良かったと思っています。

 ですから基本的には現場人間として、本を読んでいても現実のイメージが直感的にすぐ湧くんです。これは先ほどお話ししたような「文脈を読む」ことにつながってきます。ある事象の背後にある関係性を読むには、どうしても教養を数多く身につけると同時に経験が必要になりますから。それが同じものを見ても背後にあるものの見方を変えていくわけです。判断をするには関係性の幅と深さを瞬時に読めることがとても重要だと思います。そこで修羅場、‘Extreme Experience’が大切になる。私は9年かかりましたが、それをもっと人為的なコンセントリック・ラーニングにするというのもあり得るなと感じています。

 もうひとつ。小学生4年生のときに終戦を経験しました。私自身は疎開先で空襲に遭ったのです。グラマンのFGFという戦闘機がありまして、これに機銃掃射を受けた。生き延びることはできたのですが、たまたまパイロットが低空飛行してきたときにそのパイロットが笑っているように僕には見えた。「こいつら今に見ていろよ」「必ずリベンジしてやる」という怨念がありまして(会場笑)。今でもあるんですよ。それが米国留学などともどこかでつながっているんですよね。

堀:それでアカデミックな世界に入られたんですか?

野中:そういうことです。「今に見ていろ」と。ただ、そこで面白かったのは留学した先がハーバードでなくてバークレーだったという点ですね。当時のビジネススクールでは最も理論的な学校だったんです。事例研究なんてやらなかった。「事例なんていくらやったって理論にならない」というプラトン的発想が強かったためです。僕自身も現場で9年やっていたから「また同じ事例研究をいくらやったって大したことはないだろう」と思っていました。それでバークレーでは、理論を徹底的に純化し、モデルにするという訓練を受けました。幸か不幸か、いろいろなところに願書をばらまいているうち、最初に入学許可をくれたのがバークレーだったというだけの話なんですが(会場笑)。ですから分析的に、あるいは経営学的にやった覚えは今までひとつもないですね。

堀:最初からPh.D.(博士号)取得を考えていらしたんですか?

野中:マスター(修士号)で帰ろうと思ったのですが、バークレーとはカリフォルニアのいいところでしてね、ヒッピー・ムーブメントの頃でしたし「もう少し残ろうかな」「会社に帰って仕事をしたくないなあ」という思いがあって(会場笑)。面白いことに会社は留学を最後までバックアップしてくれました。「お前が帰ってくるんだったら留学期間中はすべて出張扱いにする」と言われまして。

堀:結局帰らなかったわけですね(笑)。わかりました。ではもうひとつだけキャリアに関してお伺いしたいのが、先ほどの最も影響力あるビジネス思想家トップ20について、野中先生は日本人で唯一トップ20に入られました。ご自身を分析するのは難しいと思いますが、ほかの‘Business Thinker’とはどういった部分が違ってそのような評価につながったとお考えですか? 「こういった点が出来たから」ですとか、ご自身なりの分析をお願いできますか。

野中:ひとつは9年の社会人経験だと思いますね。会社員時代、あらゆるオペレーションを一応すべて経験出来たというのは恵まれていたと思います。ちなみに最初に工場では事故担当でした。何か事故が起きると僕が行く。山の遭難、鉄道自殺の検死、それから自殺…。自殺未遂で岡山に行った人間を迎えに行ったりもしました。先ほどハイデガーのお話を少ししましたが、人間の死についてさまざまな角度から見たということはひとつの影響になっていると思います。それからもうひとつ。ビジネススクールのドクターコースについてですが、バークレーでは専門を2つ持たなければならず、私の場合は、ひとつはマネジメントでもうひとつは社会科学でした。社会科学では社会学、心理学、社会心理学、オペレーションズリサーチ、それから経済学のうちひとつを専門としなくてはならず、私は社会学にしました。数学が出来なかったので経済学は選びませんでした。ところが社会学は現実事象の背後にある本質を突き詰めて概念をつくるという理論構築で大変厳しいところだったんです。そこで理論構築の方法、概念や理論の作り方を徹底的に叩き込まれました。今思うと、これがその後も生きていたのだと思います。

 具体的にはどういう教育かというと、優れた理論をケーススタディするんです。たとえば「マックス・ウェーバーのプロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」など社会学の傑作中の傑作を10点、徹底的に読んで議論し、教官がそれに解説をつけるなどです。最後のペーパーでは自分の理論構築を提案しなければいけなかった。それは『組織と市場』という、たまたま日経賞を貰った本に日本語訳されました。これがデビュー作だったのですが、そういうことを1年間叩き込まれていたんですね。

堀:よくわかりました。ちなみに『失敗の本質』は私も大好きな本のひとつですが、一方では今日お話しになっていたようなSECIモデルや6つの能力、さらには社会学的な分析で自分の暗黙知を表出しながらそれを概念化するプロセスについてまとめた著作もありますよね。こういったお話は、野中先生ご自身の経験を踏まえて書かれたものと考えてもよいかもしれないですね。

野中:そう思いますね。先ほども「現場のただなかで考え抜く」というお話をしましたが、私が一番足を運ぶのは現場なんです。他の研究者と抽象的な議論をしてもあまりピンと来ないし、学者と話をしても面白くない(会場笑)。現場でビジネスマンと直接対話をしながら背後にある関係性や概念をいつも探っています。先ほどソムリエの事例もご紹介しましたが、「これを言葉にしたらどうなるか」「関係づけてモデルにしたらどうか」と。そんなことを絶えず動きながら考え抜いています。だから大変なんですよね(笑)。

堀:実は野中先生の思考プロセスそのものがSECIモデルなんですね。そしてその一方で理想的なリーダーシップのあり方を具現化されたものがフロネシスの考え方であると。そんなふうに捉えると非常に分かりやすいですね。
経験があって初めて事例研究が生きてくる

堀:ではもうひとつ質問させてください。今回、実践知のリーダーは訓練を通じてしか育たないというお話もありましたが、野中先生が育ったのは教育の場でもあったわけですよね。ということは、教育の場でも同じような徒弟制度を当てはめることでリーダー育成が出来るのではないかなという仮説も持ちました。徒弟的な教育メカニズムを導入することによってリーダーを育成することは可能なのでしょうか。

野中:たとえばハーバードのMBAであれば恐らく300ぐらいのケースをやりますかね。やはりそれぐらいやると、かなりの疑似体験になってきます。そこは事例研究のよさだと思います。2〜3のケースをやっただけでは逆に分析で終わってしまう。米国では最近問題になっていることがありまして、それはPh.D.取りたてで経験のない教師が事例研究をリードすると、モデルにしてしまうということです。本来であれば事例研究は経験があり、かつ理論的な分析力のあるインストラクターが「この文脈であれば私はもっとこの点に突っ込む」といったことを言わなければいけない。経験があれば事例そのものをもっと豊かにできるのですが、ただ抽象化して普遍化してしまうと事例の意味がなくなってしまう。そういう意味で「インストラクター自身に現場体験がないといけないのではないか」といった反省が今は起こっています。事例というものはインストラクター次第で疑似体験に近づくこともあれば、単なる分析で終わってしまうこともあるのだと思います。

堀:なるほど。グロービスの講師は全員が実践経験を持っていますが、徒弟制度的に具現化してインストラクターの背中を見せながら学ばせるということが出来れば、もしかしたら座学でもリーダー育成が可能かもしれないということですね。

野中:それと同時に…、私たちもそうなのですが、やはり「こうなりたいな」という人、手本が必要です。私が会社にいたときも何人かいました。そういう人と一緒に仕事をしたということが非常に重要だと思います。大切なのは皆さま自身がそういった‘Exemplar’から学ぶと同時に、皆さん自身も‘Exemplar’になり、ディストリビュートしていくこと。そういった考え方が今後はますます重要になるのではないでしょうか。
インターネットでも限りなく身体性に近づき、“共振”できる

堀:今日は身体と身体とのぶつかり合いというお話がありました。しかし現在はインターネットというものがあって、ネットを介して無数の人々と出会っていく側面も出てきています。仮想世界における出会いの場では暗黙知の共感といったものは難しいのでしょうか。現在の技術であれば映像や音声でも通じていくことは可能ですが、そうはいってもやはり限界があるのかなと。この点についてはどのようにお考えですか?

野中:場をつくる目的は皆の主観をつくることだと申しましたが、では皆の主観をつくるときに根底にあるのは何か。これは身体的に触れ合わなければいけないということです。ヨーロッパの哲学者が言っていたことですが、たとえば右手で左手を握ると、最初は「右手が左手に触れている」と感じます。ところがしばらくすると「左手が右手に触れている」と感じるようになる。これは身体の共感が相互に移転するという意味です。これは他者との関係でも同様で、間身体性(Intercorporeality)の概念と呼ばれています。先ほどご紹介したホンダのワイガヤは、実は同じ場で大いに飲み、温泉に入り、身体的に共感しあるいは共鳴しているというポイントがあるんですね。これはホンダの知恵だと思います。理論的に言えばやはり間身体性と言いますか、身体がどこかで共振・共感・共鳴するという必要がある。

 最近「ミラーニューロン」という神経細胞が発見されたのですが、これはとにかく一切の言語や分析が排除された状態でも、相手が動いたらまったく同じ反応を示すものです。ですから身体で共振・共感・共鳴すると自分の行動を通じて相手の意図が読める。これは非常に画期的な発見で、今日の話で言えば「共同化」の部分にあたります。共同化というのは言語や相手の対象化によってなされる分析ではなく、とにかく身体が共振・共感・共鳴することで相手の意図が分かることで、そこから気づきが生まれるのです。ですから、ボディとマインドを分けることはできません。これがフランシスコ・ヴァレラというフランスを拠点に活躍した生物学者が最初に提唱した「身体化された心(Embodied Mind)」ですね。我々日本人が持っているDNAのようなものを深く洞察して概念化したのは、残念ながらヨーロピアンだったということにもなりますが。

堀:ということは、やはり触ったほうがよいということですね。

野中:そうです。触ったほうがいい。ただし「目で触れる」というのもありますよね。これは全人的に相手と向きあうときにも生まれる状態です。スティーブ・ジョブズが相手を必ずファーストネームで呼び、相手の目を見て話しかけるというのも、実は目で触れているのです。フィジカルにやり過ぎると最近はセクハラになりますが(会場笑)。いずれにせよ触れるというのは、まっとうに、そして全人的に向き合うという意味を含んでいるのです。

堀:ということはやはりインターネット上では新たな知の創出は難しいということになるのでしょうか。

野中:インターネットではたしかに身体性を得られませんが、身体性に限りなく近づくことは可能です。身体性の本質は、その要件のひとつに即興性があることです。向こうが動いたらパッと動くという即興性。そういう意味で、たとえばTwitterは身体性に近い。今ここでつぶやいているわけですから。累積的に考える前に思いついた瞬間に語れば、共振・共感・共鳴のリスポンスは限りなく速くなりますよね。ですから身体性に近づくということ自体は可能なんです。ただし、それを完全に代替することは出来ないということです。
現実直視できていない点で、かつての日本軍と民主党は似ている

堀:こういったご時世ですので「リアリズムなき政治家が国を壊す」と仰っていた部分についてもお話を伺えればと思います。雑誌『Voice』に野中先生は「浜岡原発を止めたことに哲学が見えない」と書かれておりました。私もまったく同感でして、これについてお聞かせいただけないでしょうか。滅多に人物批判をされない野中先生がここまで書こうと思われた問題の本質とはなんだったのでしょうか。

野中:記事の表題には「リアリズム」という言葉がありましたよね。リアリズムというのは現実直視。今日お話しした6つの条件のなかで3つ目にお話ししたものです。ありのままの現実を直感・直観する能力。直感の感は感情の感ですし、そもそも直観とは「見る」ことです。両方を含めて現実直観。これはSECIモデルでも非常に重要なポイントです。実は以前書いた『失敗の本質』という本がなぜか今売れているんですよ。例年なら8月15日近辺に売れるのですが(笑)。私としては、どうも日本軍の本質と菅政権の本質に人々が類似性を読み取っているのではないかと思っています。

 それで雑誌『Voice』の編集者が来まして、「『失敗の本質』の著者のひとりとして何か言って欲しい」と。結局、日本で一番大きな問題は、現実を直視する能力の乏しさでではないかと私は思っています。絶えず過去の成功体験の枠組みを見てしまい、それが真理であると考えてしまう。ですから日本軍でも、大艦巨砲とか銃剣突撃、なんて言っていた。日露戦争での成功が聖典化してしまっていたためです。それが大前提となり、真理となった。真理になるほど、絶えず変化する現実を見えなくしていったのです。そういう意味で、民主党のイデオロギーもどこかに共通項を抱えているように感じます。ある種のマルキシズムと言いますか…、そういうものが正義としてあるわけです。そして日本軍と同様、現実を素直に直視する能力を落としてしまっているのではないかと。

 外に向かって開いていく場合は絶えず新しい知が入ってきます。世界のなかの日本という関係性で捉えるのと、日本のなかの日本でという関係性で捉えるのとでは、全くものの見方が違ってきます。過去の日本人は第一次大戦の経験がほとんどないまま、つまり近代戦の経験がないままに、第二次大戦に過去の成功体験を持って突入してしまった。これは世界に向かって閉じており、内向きになっていたということです。組織や場が内向きになればなるほど閉鎖的になり、内部葛藤や政治闘争が起こります。つまりサイロ化していった。そして世界に向けてより大きな関係性で自分のありようを考える能力まで失い、組織を退化させてしまったのがかつての日本で、それと同じようなことが民主党でも起きている。今の政権は世界に人脈を持っていないですし、世界に向かって開かれていない。すべて内向きです。だから権力闘争になるし、現実を直視出来ない。現実を直視すると自分を否定しなければいけませんが、そうした自己否定の勇気がないのです。子ども手当てを含めたマニュフェストの本質的な見直しといった自己否定も未だ出来ていません。そうした閉ざされたコミュニティに欠如しているのは、やはりリアリズムであると言わざるを得ないと思います。世界に向かって開かれた日本でなければいけないのですが。

堀:ありがとうございました。ではご質問を募りたいと思います。
「共通善」に向かって仕事をするために一番必要な場とは
「共通善」に向かって仕事をするために一番必要な場とは

会場:共通善に向かっていくなかで、「文脈(context)」に照らし合わせてジャッジメントしていくというお話に大変感動しました。私は共通善に向かっていくための背景としてリベラルアーツの素養がとても大切であるという印象を受けております。今日は哲学の総合的な話も出ておりましたが、我々日本人が持つ東洋的思想のなかで「基本的にこれは押さえておいたほうがよい」といったものがあれば、ご教授いただきたいと思います。また、リーダーにはレトリックの能力が不可欠とのことでしたが、日本人はレトリックの教育を小さな頃からほとんど受けておりません。この弱みに対して、日常的にはどのような点を意識していけばよいのか、お聞かせいただけないでしょうか。

野中:哲学についてですが、大学の教養課程に哲学がありましたよね。学生時代の皆さんはほとんど関心を持たれなかったと思います。しかし教養というのは大切です。人生に悩み悩んで「我々はなんのために存在するのか」「真・善・美とは一体なんであるのか」、それこそ悩み悩んで教養を身に付けていく必要がある。ビジネスパーソンとして経験のある皆さんにとって、今むしろ学ぶべきものが教養だと思います。教養となる哲学のなかで東洋的なものとなると、よく知られているもので西田哲学がありますね。

 また、私自身は古今東西の哲学者8人の著作をすべて読み、それぞれの哲学者が何を言っているのかを考えさせるというエクササイズをしています。プラトン、アリストテレス、西田幾多郎、毛沢東など…。毛沢東を哲学者と呼ぶかどうかは別問題ですが、とにかく東と西の哲学者8人の著作を皆に読ませるというグループスタディです。一人ひとりで読んで書いてきてもらい、さらにそれをチームで「プラトンはこういうことを言っているんじゃないか」と話し合う。これはかなり好評でした。いずれにせよ哲学は存在論と認識論という面がありますから、「なんのために存在するのか」「真・善・美とは何か」ということは学んでおく必要があると強く感じます。

 それともうひとつ。私は三井物産の社外取締役をやっておりますが、三井物産では「良い仕事」をすることをひとつのモットーにしています。非常に重要な商談を含めた何らかのプロジェクトについてチームで判断をするとき、皆で「誰にとって‘Good’なのか」を考えるのです。自分にとっての‘Good’なのか、チームにとっての‘Good’なのか。さらには、部門、会社、社会にとってどうなのか。そういった議論をするといろいろな解が出てきて、そのなかで「やはり今回はこのコンテクストでやってみよう」といった話になっていきます。それで間違っていたらそのときに直せばいのです。 “良い仕事”というのはなかなか英語にできませんよね‘Good Job’なんて訳すと少し浅い感じがします。ですから、「グローバルに展開していく良い仕事」としていますが、その代わりに、「何が‘Good’か」「徳とはなんだ」という議論をいつもしています。こうした議論の場を与えると皆も本を読まざるを得なくなります。

 つまり、仕事のなかで何が本質かを考え抜くような場をつくることです。皆が自主的に読書会をやるなどでもよいと思います。哲学といっても別に哲学者を呼んでこなければわからないわけではありません。とにかく自分の問題意識で本を読みながら皆でワイワイガヤガヤやることによって、見えてくる部分が非常に多いと思っています。だからこの議論を仕事のなかに組み込んでしまうのです。「ときには青臭い議論をやろうよ」と。

 それからレトリックですが、学ぶべきもののひとつはメタファーです。特に暗黙知を形式知にするとき、我々は新しい言葉をつくらないといけない。もちろん新しい言葉はそう簡単に生まれませんが、ここでは零戦の例を紹介させてください。坂井三郎さんという、僕も一度お会いしたことのある零戦元パイロットの方に伺った話ですが、零戦の飛術には「左捻り込み」というものがあったんです。それで敵機の後尾につくという技術ですね。そこで加藤寛一郎先生という東大の先生がその飛術をマニュアルにすれば今日の空中戦にも活用出来るということで、この技術をどうやって形式知化するかという話になった。しかし坂井さんはそこで上手く言えなかった。暗黙知ですから。とにかく身振り手振りで話してみたり、二人が一緒に席に座って「操縦桿はここでこうします」なんて言ってみたり…、いろいろとやったのですがそれでも伝わらなかった。ところがあるとき坂井さんがぼそっと「その瞬間、左足で“味噌をする”ように踏み込むんだ」と言ったんです。この“味噌をする”というのがメタファーです。そこで加藤先生も「ああ、あの感触ですね」となった。そして分析を行なってスペック化し、最終的には形式知化に成功したというのです。

 そんなふうに、例えが豊富であることが非常に重要です。なぜ重要か。こうした暗黙知は味噌をすったことのない人にはわからないからです。他者と暗黙知を共有するときにはお互い経験を共有している別の物事を媒介にして言葉をつくります。これがメタファーです。メタファーを可能にするには、日ごろから文学に親しむといったことが鍵になるのではないかと思います。詩も同様で、「何々のように」というメタファーの塊ですから。そのようにして自身の“在庫”を増やしていくことが非常に重要になると思います。
関係性を読む能力は、女性が長けているのではないか

会場:私はリーダー育成のためには、ダイバーシティを尊重出来るか否かが非常に重要だと考えております。本日の『The Wall Street Journal』に掲載されていた記事には「日本の政界は女性比率が低い。この場合、必要な議席数を設けて強制的にでも男女比率を…同数まではいかなくともそれに近いぐらいにしなければいけないのか」といった論調もありました。こういった多様性の尊重に関して野中先生の見解を伺いたいと思っております。

野中:私は以前、エーザイという会社の社外取締役で諮問委員会の委員長を務めていたことがあります。で、当時は女性の取締役がおらず、株主総会でその点について理由を訊かれたことがありました。エーザイのビジョンはヒューマンヘルスケアだったのですが、そもそもヒューマンヘルスケアというビジョンは、実はナイチンゲールが最初に言ったものです。「そんな会社の株主総会で壇上の人間が全員男性というのはいかがなものか」というご意見だったのです。当時から我々は絶えずダイバーシティを試みていたのですが、残念ながら現実には母集団として女性が非常に少なかった。しかし現在は優れた女性の方々も引く手あまたと言いますか…、そういう意味で、これからいかにして女性の母集団を増やしていくかが重要になると思います。そしてその努力はトップが率先してやらなければシンボリックにならないと思います。

 あとは、特にミドルマネージャーですね。先ほどは時間の都合もあって省略したのですが、今回資料として用意したミドルマネージャーによるイノベーション事例のうち、2つは女性がマネージャーでした。ひとつはキリンビールの「FREE」開発、プロジェクトのマネージャーは27歳の女性です。もうひとつはJR東日本構内の商業施設である「エキュート」をつくった蒲田さんという女性。この二人は非常に優れたプロジェクトリーダーでした。実は「暗黙知の共感」という点については、女性のほうが豊かな能力を持っているのではないかと思っています。プロジェクトのリーダーやプロデューサー型の人材には、コンテクストを読む力や現実の直感力が重要となり、特に関係性を読む力が不可欠なため、女性に向いている面が多いのではないかという気がします。我々が育成していかなければいけないのは、そうしたいわゆるミドルマネージャーの人材だと思います。女性を登用していく傾向は、現在、ソフトウェア開発を含めたソリューション業界やファッション業界すでに台頭してきており、そこが突破口になるかなと考えています。そうしたプロジェクトチームはグローバルに編成していきますから、ダイバーシティという点で捉えても非常に面白いですよね。
コミュニケーションはコストではなく創造の源泉をつくる投資である

会場:私は現在、社内コミュニティを活性化させる仕事をしていることもあり、本日の「イノベーションを阻害しているのは知識の不在ではなくて関係性の不在」といったお話には大変共感致しました。実際、経営者と話をしていると我が社はたしかにコミュニケーションが不足しており、もっと意見をぶつけ合わなければいけないという意識はあります。ただ一方で、「コミュニケーションというのは生産活動ではなくコストなのではないか」と感じることもあります。ありていに言ってしまえば「余計なことをしゃべっていないで仕事をしろ」といった考え方も、経営者の心理としてあるのが事実ではないかと思います。その葛藤に対してどのように向きあっていけばよいでしょうか。

野中:「企業とは知識創造体である」と概念化した場合、社内のコミュニケーションは知的財産、あるいは物的資産を含めて、ソーシャル・キャピタル、「社会関係資本」と考えます。ですから場づくりを含めた企業におけるソーシャル・キャピタルの蓄積は極めて重要なイノベーションの源泉になりうると考えています。そうなるとコストというよりも投資ですよね。今回の大震災で世界が絶賛したのは、やはり日本社会が持つソーシャル・キャピタルの深い蓄積であったと思います。「連帯」こそソーシャル・キャピタルだと思いますし、ソーシャル・キャピタルこそが場の根本です。これが構築出来ない限り相互主観にも至らず、さまざまな分析を踏まえた暗黙知と形式知のスパイラルも起こらないと考えられます。だからこそソーシャル・キャピタルが場づくりの根幹になければいけないと思います。

 今日お話ししたリーダーシップにおける6つの要件では、場をタイムリーにつくる能力を2番目に入れてありますが、言ってみればこれこそがイノベーションの源泉です。そうなるとソーシャル・キャピタルの触発や創造はまさに投資です。ですからコストと考えるのではなく、創造の源泉となる基盤づくり、あるいはプラットフォームづくりと考えていただければと思います。。
無限のエクセレンスを追求していくプロセスそのものが‘Good’

会場:「共通善に向かって絶えず無限にアクションを起こすことが重要である」というお話があったと思いますが、野中先生ご自身の‘Good’はどのようなもので、またなぜそのように思われるか教えていただければ幸いです。

野中:アリストテレス的に言えば、それ自体を追求する絶対価値のようなものが世界にはあり、それは幸福や自己実現になります。たしかにその通りですが、そこに日本的な伝統を織り交ぜてみると私の解釈は少し変わります。新渡戸稲造の『武士道』を読むと、武士道というのは形而上学的で哲学をまったく教えていなかったことがわかります。しかし「世のため人のため」というある種の‘Common Sense’というか、自己犠牲のようなディシプリンは徹底的に教えていた。私としては我々が‘Common Good’のためと言うときに思いつく「世のため人のため」という言葉が、もっと‘Common Sense’的なものではないかと思います。今、何がこの我々のコミュニティにとってよいのか、そのコミュニティの背後をどこまで絞るか…。これは先ほどお話ししました三井物産の例のように人さまざまです。しかしそこで対話を重ねていくうちに「まあこの辺だよな」といったある種の曖昧さを抱えながら、かつそれを実践をしながら絶えず追求をしていくことで、もうひとつの‘Common Good’が出てくるのだと思います。

 それは“徳”ということになるのですが、では‘Virtuous’ってなんだろうかと。「徳とはなんぞや」ということです。これに対してはヨーロッパでも日本でも共通だと思いますが、職人道と言いますか、何かの卓越性に向かって無限に努力する、そのプロセス自体が‘Good’なのだと私は考えます。‘Artisanship’、‘Virtuoso’、あるいは‘Professionalism’という呼び方でもよいでしょう。日本の伝統のなかには“型”というものがありますよね。いわゆる「守・破・離」。無限に自己を磨きあげていくというこの考え方そのものが‘Good’ではないかと感じています。守破離で絶えず無限のエクセレンスを追求していくプロセス自体が‘Good’であり‘Virtuous’である、という考え方はアリストテレスの哲学にもあります。日本では武士道なのですが、私自身はそういうところに近いのではないかと思っています。

 問題はそのエクセレンスが何であるかということですが、やはりコミュニティの持っている伝統というものだと思います。こういうことが我が社にとって‘Good’なんだ、あるいは卓越性なんだということです。ホンダであれば「現場・現物・現実」というのはある種エクセレンスの基準だと思います。現場に行って何をしたのか。傍観者的に見ていたのか、それとも一緒に汗をかいて相手の視点に立ち世界を見ていたのか。そんな「現場・現物・現実」というエクセレンス。トヨタなら‘Repeat Why Five Times’とかね。「本質、本質、本質…」と5回は繰り返しましょうと。これがエクセレンスの基準です。ユニクロなら「今やる、すぐやる、ぜんぶやる」。こういったエクセレンスの基準には、やはりコミュニティの伝統が深く関わっていると思います。

 ただし、伝統というのは固定されてしまいますから、それに挑戦して絶えず超えていくために伝統自身が進化していく必要があります。閉じた瞬間におかしくなってしまいますから、開かれた伝統がコミュニティでは大切になるのではないかと思っています。いずれにせよ、そんなふうに私自身はエクセレンスの無限追求自体が‘Virtuous’であるという考え方に近いと思っています。

堀:野中先生、大変長いことありがとうございました。皆さんも盛大な拍手をお願い致します(会場拍手)。
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この記事の目次
一橋大学名誉教授 野中郁次郎氏 今の時代に求められるリーダーとは
1ページ 企業は新しい未来をつくる知の創造体である
2ページ SECI モデルが創造性と効率化を両立させる知の総合力となる
3ページ 実践知リーダーシップの6つの能力−1)「善い」目的をつくる
4ページ 判断をするには、関係性の幅と深さを読まなくてはならない
5ページ 「共通善」に向かって仕事をするために一番必要な場とは
プロフィール
野中 郁次郎
Ikujiro Nonaka
一橋大学名誉教授

早稲田大学卒業。富士電機製造(株)勤務ののち、カリフォルニア大学経営大学院(バークレー校)にて博士号(Ph.D)を取得。南山大学経営学部教授、防衛大学校教授、一橋大学商学部産業経営研究所長、北陸先端科学技術大学院大学知識科学研究科長、一橋大学大学院国際企業戦略研究科教授を経て現職。カリフォルニア大学(バークレー校)経営大学院ゼロックス知識学特別名誉教授、クレアモント大学大学院ドラッカー・スクール名誉スカラーを併任。知識創造理論を世界に広め、ナレッジマネジメントの権威で海外での講演も多数。主な著書に『失敗の本質』(共著、ダイヤモンド社、1984)、『The Knowledge-Creating Company』(共著、Oxford University Press、1995、米国出版社協会経営書部門「ベスト・ブック・オブ・ザ・イヤー」賞)、『流れを経営する』(共著、東洋経済新報社、2010年)、『イノベーションの知恵』(共著、日経BP社、2010年)など。他に海外、国内ともに多数の論文を発表している。2002年、紫綬褒章を受章。2007年8月には米国の経営学会で一番権威のあるアカデミー・オブ・マネジメントのインターナショナル部門エミネントスカラーに選出。2008年5月のウォールストリートジャーナルでは、「最も影響力のあるビジネス思想家トップ20」に選ばれる。2010年11月には公務等に長年にわたり従事し、成績を挙げた人に贈られる瑞宝中綬章を受章した。

堀 義人 
Yoshito Hori
グロービス経営大学院 学長
グロービス・キャピタル・パートナーズ 代表パートナー

ハーバード大学経営大学院修了(MBA)。住友商事(株)を経て、(株)グロービスを設立。
YEO(現EO)日本初代会長、YEOアジア初代代表、世界経済フォーラム(WEF)主催
New Asian Leaders日本代表等歴任、現在、経済同友会幹事。
著書「創造と変革の志士たちへ」(PHP研究所)、「人生の座標軸」(講談社)、「吾人の
任務」(東洋経済新報社)等。
この記事へのコメント
HBRのTHE WISE LEADER を英語で何度か読み、今回この日本語での講演を読ませていただきました。論文の中ではふれられていない話題もあり、さらに理解を深めることができました。グローバルなビジネス環境において、日に日に日本の存在感が薄れていくことに、残念さや悔しさも感じていました。そんな中、野中先生の唱えるリーダーシップのあり方において、いくつかの日本企業やそのリーダーたちが素晴らしい事例として紹介されていることは嬉しく思いました。また、最も刺激を受けた部分はコンテキストに最適なジャッジメントができるようになるために、ぶれない自分の価値観感が重要であること、また、広くリベラルアーツ、教養を身につけることが重要であるというところです。自らの専門分野に偏りがちな知識の幅を広げることを意識しながら生きて行こうという気持ちになりました。スティーブ・ジョブスが、リベラルアーツとテクノロジーをミックスさせて世の中を変える商品を生み出していったように、一見無関係のような点と点を結びつけることで新たな価値が生まれたり、あるコンテキストにおいてJust Right な判断ができたりするのだろうと思います。THE WISE LEADERの論文とともに、何度も読みたい講演記録です。
T. Abionさん[2012年4月1日]


http://www.globis.jp/1917-1

ナレッジマネジメント - Wikipedia 
SECIモデル[編集]
「個人の知識を組織的に共有し、より高次の知識を生み出す」ということを主眼に置いたナレッジマネジメントを実現する場合、そのフレームワークとして以下の4段階のプロセスが提示されている。このプロセスは、各段階の英語名称の頭文字をとって“SECI(セキ)プロセス”、あるいは単に“SECI(セキ)”と呼ばれる。これは野中郁次郎(一橋大学国際企業戦略研究科 名誉教授)と竹内弘高(ハーバード大学ビジネススクール 教授)が執筆したThe Knowledge Creating Company(『知識創造企業』梅本勝博訳、東洋経済新報社)において、提唱された。 知識とは「正当化された真なる信念 (Justified true belief)」であり、個人と個人の相互作用、あるいは組織と組織の相互作用により、ダイナミックに変化・深化・進化していくものであるという考えの下に構築されている。
共同化(Socialization)とは、組織内の個人、または小グループでの暗黙知共有、およびそれを基にした新たな暗黙知の創造である。
表出化(Externalization)とは、各個人、小グループが有する暗黙知を形式知として洗い出すこと。
結合化(Combination)とは、洗い出された形式知を組み合わせ、それを基に新たな知識を創造することである。
内面化(Internalization)とは、新たに創造された知識を組織に広め、新たな暗黙知として習得することである。
具体的な手法[編集]
主に以下の手法があるが、それぞれ独立したものでなく、相互依存的なものである。
データマイニング[編集]
データマイニング(data mining)とは、人工知能や統計学を利用してデータから知識を取り出そうとする試み。主に共起現象を探り、セールスに結びつけようとしている。
例1:スーパーでビデオとガムが共に売れる → 両者を同じ場所に置く。
例2:本Aを買う人は、後に本Bを買うことが多い → 購入者に本Bを薦めるダイレクトメールを送る。
従来の統計学と大差ないが、POSやオンラインショッピングによる大量のITデータの中から法則性を見つけ出すことに主眼が置かれている。
データウェアハウス[編集]
データウェアハウス(data warehousing)とは、データを多次元的に処理することにより、通常では察知しにくい傾向性を発見する技法。多次元データベースなど、幾つもの次元によって処理が可能なソフトウェアが開発されている。
例:時間、空間、取り扱い物によって販売量が明示される → 時系列や地域、取り扱い物の傾向が分かる。
知識共有化[編集]
知識共有化(knowledge sharing)とは、電子掲示板やメーリングリスト、知識ベース、オンラインコラボレーションなどを使って、一部の人の資産であった知識の、集団全体への共有を図るもの。基本的には文字や印刷といったメディアの問題であるが、電子通信技術の一新によって、電子メール・電子掲示板に代表されるような新しい共有化のあり方が模索されている。
具体的には、企業内ではグループウェアなどを使って知識共有の試みが行われることが多い。インターネット上でも、OKWave、はてなのように広範な分野を扱うサイトや、Apple Support Discussion[1]のような特定者向けサイトによる知識共有化の試みが始まっている。近年、エンタープライズ2.0と呼ばれる大企業での情報共有が積極的に行われるようになってきた。
可視化[編集]
可視化(visualization)とは、人間における視覚の優位性を利用し、多次元・多要素で理解しにくい情報を、見える形で表現し、理解しやすくさせること。原理的にはグラフや図画であるが、ナレッジマネジメントではCGを利用した立体的で動的な画像を使って表現するケースが多い。
様々な手法はあるものの、通常の技法と同じく、それを使いこなすのは熟練と才能が必要とされるため、電子メールやQ&A知識ベースなど幾つかを除けば、実際に有効活用されている例は少ない。また暗黙知を明示化するには原理的に大きな困難が伴うため、共有化された知識は余り役に立たない常識的なものがほとんどで、実際にほしい熟練した技能や知恵は掘り出せないことが多いため、研究自体は尻すぼみになっている。
エンタープライズサーチ[編集]
エンタープライズサーチ(enterprise search)とは、企業組織内の書類、人事、経営情報等を検索できるようにするためのシステム、またはそのコンセプトのこと。
脚注[編集]
^ Apple Support Discussion
関連項目[編集]
eラーニング
エキスパートシステム
知識 - メタ知識
知識ベース
知識表現
手続き的知識
セルフサービスソフトウェア
Semantic Web
社会的ネットワーク
インフォグラフィック
外部リンク[編集]
日本ナレッジ・マネジメント学会
http://www.kmsj.org/


02. 2014年11月23日 00:40:50 : SD8fkcXUvI
しょせんこの人は富裕層に入ることが人生の目的ということですか。
何かやっていることもすべて目的が金(かね)ですか。

そうですか。


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