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世の中おかしな事だらけ 三橋貴明の『マスコミに騙されるな!』 第90回 '94 年以降、最も消費を減らした内閣()
http://www.asyura2.com/14/hasan92/msg/235.html
投稿者 赤かぶ 日時 2014 年 12 月 11 日 17:55:25: igsppGRN/E9PQ
 

世の中おかしな事だらけ 三橋貴明の『マスコミに騙されるな!』 第90回 '94 年以降、最も消費を減らした内閣
http://wjn.jp/article/detail/6451466/
週刊実話 2014年12月18日 特大号


 11月21日に衆議院が解散され、2年ぶりとなる年末の選挙戦が始まった。

 与党である自民党は、実績として「日経平均の上昇」を盛んにアピールしているが、株式という金融資産の価格がどれだけ上昇したとしても、それ自体では国民の所得は創出されない。

 所得とは、
 「生産者が働き、生産したモノやサービスという付加価値に、誰かが消費、投資として支出(購入)する」
 というプロセスを経なければ創出されないのだ。

 株式はモノでもサービスでもなく、単なる企業の「資本」だ。企業の資本を意味する証券の価格がどれだけ上昇しても、国民の所得は増えない(証券会社の手数料収入のみ、所得となる)。

 日本経済が首尾よくデフレから脱却し、「需要牽引型」の物価上昇局面に入り、国民の実質賃金が上昇していき、内需が拡大する。さらに、企業の利益が拡大し、日経平均が上昇する。こんなプロセスを経て、株価が上がっているならば、自民党は大いに誇るべきである。

 とはいえ、現実は、金融政策の拡大で円安が進み、株式取引の65%を占める外国人投資家が日本株を買い越し、日経平均が上昇しているに過ぎない。さらに、円安による輸入物価の上昇は、実質賃金を切り下げる方向に機能する。

 需要(名目GDP)が十分に拡大していない中、消費税増税と円安でCPI(消費者物価指数)が上昇したところで、国民が豊かになる(実質賃金が上昇する)わけではないのだ。

 実体経済(所得=需要=生産)が成長していないにもかかわらず、株価のみが上昇するとは、
 「金融経済と実体経済の乖離」
 が発生していることを意味する。

 両者の乖離が行き過ぎると、一般に「バブル」と呼ばれる環境になり、将来的にはバブルが崩壊し、実体経済が大ダメージを被ることになるわけだ。

 上記の事態を避けるためには、株価の上昇に「実体経済の拡大」を追いつかせなければならない。そのために必要なのは、総需要(名目GDP)の創出であり、国民の実質賃金の上昇なのだ。

 そして、現在の日本は「総需要拡大」が可能なリソース(資源)を十分すぎるほど持っている。金融市場に日本円が溢れかえり、長期金利が世界最低水準で推移しているのである。

 日本政府が「国民の安全保障の強化」「耐震化、防災・減災」「生産性の向上」などを目的とした公共投資を拡大し、需要を創出すれば、デフレギャップが埋まり、名目GDPは拡大に転じる。政府が長期的なプロジェクトを提示すれば、土木・建設会社も安心して「人材投資」を始め、公共事業など建設現場における人手不足問題も解決することになる。

 ところが、第二次安倍晋三政権下では株価を押し上げる代償として、実質賃金の下落を引き起こす円安政策が推進され、さらにGPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)の運用ポートフォリオ(性格の異なった複数の銘柄へ投資することにより、より安定した収益を上げるための投資の方法)における日本株の割合の目標値が、12%から25%に引き上げられた(同時に、外国株も12%から25%に引き上げられた)。

 今後、為替レートが円高に振れ、外国人投資家が日本株を売り越し始めれば、政府はGPIFを活用し、株価を下支えせざるを得ない。何しろ、日本国民の年金が人質になっているも同然なのだ。

 株価は、金融市場の状況次第で上昇する。日本の場合は、円安になれば外国人投資家が日本株を買い越すため、ほぼ確実に株価が上がる。

 所得創出という「実体経済」の状況がどうであろうとも、「金融経済」の世界にマネーが溢れれば、株や為替(外貨)などの金融商品は値上がりするのだ。

 ところが、株価上昇は実体経済と無関係に起き得るのだが、株価暴落となると、今度は実体経済がダメージを受ける。そもそも、長期に渡り日本経済と国民を苦しめたデフレーションは、土地及び株式の価格暴落というバブル崩壊に端を発しているのだ。

 総選挙の結果が、いかなるものになるか、現時点ではわからない。いずれの政党が政権を握ったとしても、経済政策の舵輪を「実体経済中心」あるいは「実質賃金中心」の方向に回さなければ、日本経済は大嵐の中に突っ込まざるを得ないだろう。

 我が国の実質GDPの成長率は、4〜6月期、7〜9月期と、二期連続でマイナス成長になった。2四半期連続で経済成長率がマイナスになることを、何と表現するか。英語でいう「リセッション」、日本語なら「景気後退」だ。

 しかも、今回のリセッションは、消費税増税により“人為的”に引き起こされたものなのである。

 さらに、民間調査会社の多くは、2014年は一年を通じて「マイナス成長」になるとの予測を発表している。すでにGDPデフレーター(国内総生産算出時の物価指数)もマイナスになってしまっているため、実質のみならず、名目GDPも縮小するだろう。その場合、
 「2014年の税収は、2013年と比較して増えるのか、否か」
 がポイントになってくる。

 とにかく、安倍政権は「増税」をしたわけだ。

 「デフレ期に増税すると、総需要(名目GDP)が抑制され、税収は増えないか、下手をすると減る」
 と、散々に警告してきたにもかかわらず、4月に増税が実施され、実際に名目GDPが縮小を始めている。「増税によりデフレ深刻化、税収減」は、まさに'97年以降の橋本龍太郎政権がたどった悪夢の道だ。

 安倍政権にせよ、自民党にせよ、株価上昇を誇っているような状況ではない。

三橋貴明(経済評論家・作家)
1969年、熊本県生まれ。外資系企業を経て、中小企業診断士として独立。現在、気鋭の経済評論家として、わかりやすい経済評論が人気を集めている。


 

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コメント
 
01. 2014年12月11日 19:31:51 : 5P3YwNOeeo
・大門ゼミ〜政治・経済キホンのキ!(最終回)《日本共産党》
https://www.youtube.com/watch?v=NWCHpMug7ug&list=UU_7GbtufUtR9l3pwvvn7Zlg

02. 2014年12月11日 20:16:26 : N1xbFAyXHw
 兎に角、アベノミクスは失敗認定されてるのが世界の目ですな。大成功なら国内海外特派員の会見拒否などしないよねー自民党は。 誤魔化しとイカサマもどきじゃねーーー。
実体経済重視こそが大事なのに。敗戦を認めない戦中と同じ構図が透けてくるねーーー。

03. 2014年12月11日 22:42:48 : ZeE1I3iZbI
日経平均は天井だ。

04. 2014年12月12日 06:19:21 : jXbiWWJBCA

歴史に学ぶ「日本リバイバル」 元内閣府事務次官・松元崇
【第1回】 2014年12月12日 松元 崇 [第一生命経済研究所特別顧問]
アベノミクスの原型・高橋是清の経済政策を顧みる
積極財政の誤解と国債の日銀引き受けから学ぶこと
これほど誤解されている人もいない
アベノミクスの原型、高橋是清

 12月の総選挙は、アベノミクスの是非を問うものになった。アベノミクスとこれまでの政府の政策との最も大きな違いは、デフレからの脱却のために思い切った金融政策を断行したことである。

 デフレからの脱却といえば、厳しいデフレから脱却し経済を活性化させた戦前の高橋是清が思い浮かぶが、高橋財政と言われるその政策の本質も、思い切った金融政策であった。

 筆者は長年にわたり、戦前の経済財政政策を研究してきたが、アベノミクスの是非が問われるようになった今日、当時の高橋是清の政策運営から学ぶべきものが何かについて、改めて整理してみることとしたい。

 最初に、ごく簡単に高橋財政が登場した頃の時代背景を振り返っておこう。当時の日本は、昭和5年(1930年)に井上準之助蔵相が実施した旧平価(日本経済の実力以上の円高水準)による金解禁で、不況のどん底にあった。そんな中で、昭和6年(1931年)には満州事変が起こり、世を挙げて軍事最優先になっていった。

 つい10年ほど前の加藤友三郎内閣(1922年−23年)においては、その前の高橋是清内閣の緊縮財政路線を引き継いだ大軍縮が行われ、「電車に乗るのにも軍服では気がひける」といわれていた状況だったのが、様変わりしていた。そこで、景気回復と軍事予算抑制による健全財政への復帰という課題を背負って登場したのが、このときの高橋是清であった。

 はじめに言うと、高橋是清くらい誤解されている人も少ない。その最たる誤解が、高橋は経済成長最優先の積極財政論者だったというものである。経済成長最優先だったというのはその通りであるが、そのために高橋が何よりも重要と思っていたのは、効率的な金融制度の確立であった。そして、効率的な金融制度を守るためには健全な財政基盤が必要と考える健全財政論者だった。ただ、時に応じて臨機応変の積極財政も断行したのである。

 高橋が健全財政論者だったことは、明治44年(1911年)6月に高橋是清が日銀総裁になったときに政府に提出した意見書を見れば、明らかである。同意見書で高橋は、「歳出ノ増加ハ断然之ヲ避クル」として、日本銀行総裁の立場から健全財政を求めていた。

 ちなみに、高橋是清を財政の専門家と思っている人が多いが、高橋は本来金融の専門家である。そのことは、高橋のキャリアを振り返ってみればわかる。

 高橋が日本銀行総裁から大蔵大臣になったのは、大正2年(1913年)、山本権兵衛内閣においてであったが、当時高橋は59歳だった。59歳までの21年間を日本銀行で、うち12年間を日本銀行副総裁として過ごしたのが、高橋是清だったのである。

 井上デフレからの脱却期、80歳を前にした高橋蔵相の下で事務次官を勤めた黒田英雄は、戦後の懇談会で、経済学者の大内兵衛から高橋が予算とか租税について一通り知っていたのかと問われたのに対して、「特にそういうものに対する知識はないが、つまり一般的な知識はありました。金融方面が専門ですから、大体こちらから言うことはわかります」と答えている。

重点は財政政策ではなく金融政策
アベノミクスと高橋経済政策の比較

 そのような点をまずは押さえた上で、昭和6年(1931年)末に4度目の大蔵大臣に就任して井上デフレからの脱却を果たした後、昭和11年(1936年)の2.26事件で暗殺されるまでの4年余りの期間の高橋の経済政策を、アベノミクスの3本の矢との比較で整理してみると、以下のようなことが浮かび上がってくる。

 まず、第一の矢である思い切った金融政策こそが、高橋が一貫して行った政策であった。第二の矢として積極的な財政政策を行ったのは当初の半年余りで、それ以降はデフレ脱却後に取り戻した効率的な金融制度を守るために財政を健全化する、軍部からの予算増要求を抑え込む闘いであった。

 第三の矢の成長戦略として高橋が意図的に行ったものはなかったが、井上デフレからの脱却後には実質経済成長率7.2%、インフレ率2%という、戦前で最も理想的な経済成長がもたらされた。

 以上のような整理は、一般的に理解されているところとはかなり異なることから、戸惑う読者も多いと思われるので、以下、時系列に従って何が起こったか、それに対して高橋がどう対応したのかを追っていくこととしたい。

 なお、高橋自身の成長戦略は、地域の実情に応じた自主的な取り組みを低利融資で助成するとのものであったが、本稿ではスペースの制約もあるので、別途機会があれば論ずることとしたい。

 満州事変から3ヵ月後の昭和6年(1931年)12月11日、井上デフレを推し進めていた民政党の若槻内閣が閣内不一致で総辞職。当時の政党政治における憲政の常道に従って組閣の大命を受けたのは、政友会の犬飼毅であった。

 犬養は、その足で高橋是清を訪れて「井上の金解禁の後始末が重大だから、どうしてもお前、大蔵大臣を引き受けて一緒にやってくれ」と要請した。そのようにして蔵相に就任した高橋は、即日、金輸出再禁止を行った。

 就任2週間後の12月26日には、満州事件費を計上した昭和6年度追加予算案を提出し、年が明けると昭和7年度予算にも救農土木事業費などを盛り込んだ三次にわたる追加予算案を提出した。

 自らの編成となった昭和8年度予算案は、井上蔵相が編成した対前年度当初予算比51.4%増の22億3900万円余となり思い切った財政支出による「非常時代予算」と新聞に書きたてられた。そのような高橋の井上デフレ脱却策は、積極財政をその特徴とする高橋「財政」と認識されている。

 しかしながら、このような認識で見落とされているのが高橋の金融政策である。高橋の蔵相就任即日の金輸出再禁止によって進んだのが、大幅な円安であった。円レートは、ほんの2週間余り後の12月末には、それまでの1円=49ドルから34ドル台と3割もの円安となり、昭和7年に入っても円安の流れは止まらず、6月末には30ドル台、年末には19ドル台にまで低下した。6割もの円安となったのである。

 その状況で、高橋蔵相は、昭和8年(1933年)3月に円を当時不安定だったドルではなく、ポンドに1円=1シリング2ペンスで固定した。そのような為替政策と平行して高橋蔵相は、昭和7年(1932年)3月から強力な低金利政策を推し進め、昭和7年6月には、それまで33年間据え置かれていた日本銀行の通貨発行限度額を1億2000万円から10億円へと8倍以上に引き上げたのである。

高橋「金融」が日本にもたらした影響は
高橋「財政」よりもはるかに大きかった

 そのような円高是正策及び金融緩和政策、すなわち高橋「金融」が日本経済にもたらした影響は、高橋「財政」よりもはるかに大きなものだった。というのは、高橋「財政」を象徴する昭和8年度の「非常時代予算」の実態は、その実質的な規模が井上デフレで削減される5年前の昭和3年度予算とほぼ同じで、かつ追加予算後の前年度実行予算と比べれば実質マイナスというものだったからである。

 そもそも、高橋是清が克服した井上デフレの不況の原因が、それまでの歳出規模を3分の1も削減するという井上前蔵相の無理な歳出削減策だったのである。

 6割もの円安は、井上が設定した旧平価からすると3分の1の水準であった。随分と大幅な円安になったものだと思われようが、大正12年(1923年)の関東大震災で受けていた損害からすればそれが実力相応のレートであった。同種の前例としては、第一次世界大戦で大損害を被ったフランスが旧平価の5分の1の水準で金本位制に復帰していたことがあった。大正12年(1923年)9月1日の正午前に関東地方を襲った大震災は、国民総生産の3分の1にも及ぶ被害をもたらしたものだったのである。

 そのように言うと、井上の旧平価での金本位制復帰はとんでもないことだったということになるが、当時の多数説は日本経済を立て直すためには無理な旧平価でも、まずは金本位制に復帰することが重要としていた。当時、金本位制は先進国にとってマクロ経済運営の良好さを示す認定証(Seal of Good Housekeeping)とみなされており、第一次世界大戦で金本位制から離脱した国々は次々と金本位制に復帰し、昭和3年(1928年)にフランスが復帰すると、日本だけが取り残される形になっていた。

強力な緊縮財政策で公債発行を減らし
金利低下で景気回復をもたらす必要性

 そこで、日本も早晩金本位制に復帰(金解禁)するとの思惑から円投機が行われ、円レートが変動して輸出入業者の採算が不安定になり、貿易振興に支障をきたしていたのである。

 そこで、とにかく早期に金本位制に復帰することが、貿易振興からの経済立て直しにつながると考えられていた。それにしても、過激な緊縮財政によって、わざわざデフレにしてまで旧平価での金解禁をすることはなかったというのが、今日の感覚であろう。

 しかしながら、当時は、関東大震災後に悪化した財政を賄うために発行された公債が金利の上昇をもたらし、それが経済成長を阻害している。したがって、強力な緊縮財政策を断行して公債発行を減らし、それによる金利低下で景気回復をもたらすことが必要。緊縮財政によるデフレは一時的には困難をもたらそうが、それを乗り越えていくところに経済成長があるというのが、財界一般の考え方でもあった。

 デフレの恐ろしさが認識されていなかったのである。そして、そのような考え方に沿った政策を強力に打ち出したのが、井上準之助であった。

無理な旧平価での金解禁
井上デフレの破壊力は想像以上に

 ところが、そのような実力不相応の旧平価での金解禁は問題だと考えていたのが、高橋是清であった。それは、高橋が明治28年(1895年)、横浜正金銀行の本店支配人として、わが国の銀行で始めて外国為替業務を扱えるようにしたという実体験に基づくものであった。

 高橋は外国為替業務の専門家として、明治30年(1897年)、我が国の金本位制導入に際して、実勢に従って当時の公定の円レートを半分に切り下げるべきだと、時の大蔵大臣・松方正義に進言したという体験も持っていた。そのような高橋にとって、井上が断行しようとしていた旧平価での金解禁は無理なものであった。

 しかしながら、井上準之助は、高橋是清にとって、日本銀行時代の長年の部下であり後継者だった。そこで、井上が濱口内閣の蔵相になって金解禁を断行すると挨拶に来たのに対しては、高橋はしっかりやりなさいとしか言わなかったのである。

 昭和5年(1930年)1月11日、金解禁は予定通り旧平価で行われる。井上デフレの破壊力は、高橋の心配をも超え、人々の想像を絶するものとなった。円高と厳しい緊縮財政によって、景気は時を追って悪化していった。

 当時の状況を描いた城山三郎の小説『男子の本懐』によると、「都会で職にあぶれた人々は、やむなく郷里へ帰ろうとする。だが、汽車に乗る金さえなく、東海道などの主要街道は、妻子を連れて歩いて帰る姿が目立った」という状況になった。

 昭和6年(1931年)の冷害・凶作が追い討ちをかけた東北地方では、餓死者が伝えられ、欠食児童や子女の身売りが大きな社会問題となった。そのような経済の行き詰まりに直面し、折から起こった満州事変への対応でも迷走した民政党政権は、昭和6年(1931年)12月に閣内不一致で瓦解する。そこで、高橋蔵相の登場ということになったのである。

 蔵相に就任した高橋は、円レートを実力相応のものにし、低金利を実現すれば経済は活性化する。そこまでで自分の役割は終わると考えていた。それは、4年余り前の昭和2年(1927年)、田中義一内閣において、田中首相からの要請で金融恐慌の後始末をするために30〜40日という約束で蔵相に就任し、実際に42日間で退陣したのと同じことを考えていたのであった。

斎藤実首相に請われて
軍部を抑え込む財政健全化へ

 大蔵省の調査企画課(当時)が取りまとめた『大蔵大臣の思い出』によれば、昭和7年(1932年)の5.15事件で犬養首相が暗殺された後、高橋是清は身を引くつもりだった。ところがそれを、「軍の予算抑制のために是非とも」と引き止めたのが、犬養の後継首相に指名された斎藤実海軍大将であった。

 斎藤の「軍の予算抑制のために」という言葉は、満州事変以降の軍事最優先となった世の中における軍事予算拡大の流れが、軍人出身の首相にも抑えられなくなっていた状況を示すものであった。

 このとき高橋を引き止めた斎藤は、国際派の海軍軍人で、若い頃には4年間、在米国公使館付武官を務め、グルー在日米国大使とは親友という人で、後に2.26事件で高橋是清と同じく暗殺されることになるのである。

 その斎藤首相と高橋蔵相の関係は、「高橋さんは斎藤さんの政治的な相談役で(中略)一にも二にも高橋さんというように、何でもご相談なさっておった(高橋蔵相秘書官だった久保文蔵の証言)」というものであった。

 そして、そのようにして蔵相に留任した高橋の、これ以降の役回りは、財政健全化のために軍部と厳しく対決するということになっていった。その姿勢は「自分も、もっと若ければ先へ行って奉公する機会もあろうが、自分はこの歳だ。自分はもうこのまま死ぬつもりだ」(『昭和大蔵省外史(中)』有竹修二)と語っていたほどのものだったのである。

 高橋財政期の高橋蔵相の財政健全化路線は、一貫していた。昭和6年(1931年)12月に犬養首相から要請されて蔵相を受諾した当初から、井上前蔵相の緊縮財政路線を承継することを対外的に公表していたのである。5.15事件後に斎藤内閣の蔵相として編成し、高橋の積極財政の看板と認識されている昭和8年度の「非常時代予算」の国会審議でも、歳出増加分は臨時的なものなので、2年後の昭和10年度には財政均衡を図る旨の答弁を行っている。

 そもそもこの昭和8年度予算も厳しい歳出削減を行ってのもので、積極財政の実態など無かったのであるが、そのことを示すエピソードが、高橋の「随想録」に載っているので、ここでご紹介しておくこととしたい。

 高橋は、当時を振り返って「各省に我慢をしてくれといったら、皆も忍んでくれた。それで心からただそれに酬ゆるつもりで皆に辛抱してもらふのだから自分も何か辛抱することがなければならぬと思って(中略)、どうしても今やめることの出来ない煙草をやめようと思って、やめた」というのである。

今日では忘れ去られている
高橋の健全財政路線

 このように厳しい歳出削減を行った昭和8年度予算が実質、対前年度実行予算比マイナスだったことは先に見たとおりであるが、それが新聞に「日本始まって以来の非常時代予算」と書きたてられたのは、名目上前年度当初予算比5割増だったことと、大蔵省も努めて大きく発表したからであった。デフレ脱却にマインドが大事だということからすれば、デフレ脱却からまだ間がなかったこの時期に、新聞にそのように報じられることはいいことであった。

 しかしながら、そのイメージだけが今日まで残って、高橋蔵相がどうしてもやめられなかった煙草をやめるほど厳しい緊縮予算だったという実像は、すっかり忘れられてしまっている。昭和9年度以降の予算編成になると、厳しい歳出削減が誰の目にも明らかになり、当時の人々から健全財政の時代と言われるようになったのであるが、今日ではそのことも忘れられてしまっている。

 軍部と衝突しながら、必死の思いで健全財政路線と守ろうとした高橋是清の姿を浮かび上がらせるエピソードとしてもう1つ、昭和11年(1936年)の2.26事件で高橋が暗殺される前の最後の予算閣議の模様をご紹介しておきたい。

 閣議は、昭和10年(1935年)12月29日午後2時半に始まり、翌30日朝の7時までの17時間半にも及んだ。そこに高橋は世界地図を持って臨み、米ソと戦って勝とうとしても無理だとして、軍の非常識な予算要求を激しく弾劾した。高橋は「国防というものは、攻め込まれないように守るに足るだけでよいのだ。大体軍部は常識に欠けている。(中略)常識を欠いた幹部が政治にまでくちばしを入れるというのは言語道断、国家の災いというべきである」とまで述べて、軍事予算を押さえ込もうとした。

 その高橋の断固たる姿勢は、当時の日本銀行総裁の深井英吾から、国債の市中消化に問題ありとの進言を受けてのことであった。それは明治44年(1911年)の日本銀行総裁就任の際、政府に対して効率的な金融制度を守るために歳出増加を断然避けるように申し入れた高橋としては、当然の姿勢であった。

効率的な金融制度を守るため
財政健全化に命を懸けた教訓

 以上でご紹介したところからアベノミクスの原型と言える高橋是清の経済政策が、デフレ脱却によって効率的な金融制度を取り戻すことを基本にしていたこと、その金融制度を守るために強力な健全財政路線をとったことが、ご理解いただけたであろうか。

 高橋は、デフレ脱却のために日本銀行の国債直接引き受けによる積極的な財政政策も行ったが、それは一時の便法(深井英吾の解説)だった。しかしながら、そのような高橋の政策の基本は、当時でも、高橋のように実体験に基づく金融政策がわかっていない周辺の人々には、理解されないものであった。高橋蔵相の直接の部下だった、大蔵省の西村淳一郎国債課長にも理解されなかったのである。

 西村は、「井上さんのときには公債は全くいけない。この上公債を出しては国家が破滅するとまで言われたものが、高橋さんの時代になると、10億円(国会予算の半分程度)出しても順調に行っている。(中略、それをここにきて)公債発行額を徐々に減らさなければならないといった。世間の人はこれを冷やかして、10億円もの公債を出していながら、減らす減らすというのはどうも滑稽ではないかと言っておりましたが、高橋さんとしては主義として、(中略)わずか2千万円、3千万円程度であっても、とにかく少しずつ」減らしていったと述べている。

 世間で滑稽だと言われようとも、部下から「主義として」と言われようとも、「自分としてはもうこのまま死ぬつもりだ」との覚悟の下、経済成長の基盤である効率的な金融制度を守るために財政健全化に命を懸けたのが、高橋是清であった。アベノミクスの是非が問われるようになった今日の財政・金融政策として、高橋是清から学ぶべきことは多いといえよう。

 なお、軍部の無理の前に多くの人々が暗殺される世の中になっても、決して希望を失うことなく、最後まで天真爛漫に、人を信じ、国家を信じるという人生を貫いたのが、高橋是清であった。
http://diamond.jp/articles/-/63586


05. 2014年12月12日 06:48:29 : jXbiWWJBCA

ピケティと同じ手法で「日本の富」を分析してみた!
格差大国・アメリカの後を追う日本

2014年12月12日(金)  岡 直樹

 世界中で100万部を超える異例のベストセラーとなっているフランスの経済学者トマ・ピケティの『LE CAPITAL AU XXIe SIECLE』が12月8日、『21世紀の資本』(山形浩生他訳、みすず書房)のタイトルで日本でも発売された。
 膨大な世界各国の税務データの歴史的分析から、例外的な時期を除き、
 「資本収益率(r)>経済成長率(g)」
 であり、放置すれば、資産を持つ人と持たない人の所得格差は拡大する一方であるという分析結果をピケティは導き出した。
 世界で最も所得格差が大きいのは米国である。その所得階層の1%に富が集中している事実はよく知られているが、実際には、1%の中でも0.1%の層にますます富が集中していく傾向が強まっている。
 日本はどうか。ピケティ同様の手法の税務データの分析から「ほぼ同じ傾向がある」と結論付けたのが、筆者の岡直樹氏(前国税庁長官官房国際課税分析官)だ。
 財務省財務総合研究所が発行する「フィナンシャル・レビュー」(平成26年第2号)に掲載された論文「日本の所得税負担の実態―高所得者を中心に―」で日本の富が高所得者に集中する傾向を明らかにした。
 このコラムでは、岡氏に日本と米国の税務データに観察される「富の集中化」の比較分析について3回にわたって解説してもらう。第1回は日米の所得と納税額の比較分析。
 気が付いたら今年も12月になった。私たち多くのサラリーマンにとってボーナスが待ち遠しい季節だ。そしてほどなく、今年最後の給与とともに1年間に受取った給与の総額が通知される。自分と家族が健康で無事に生活できる収入があれば幸せで、周りと比べる必要はないはずだが、本音を言えば他の人のことも少しは気になる。……自分の所得は社会の中でどのあたりの位置にあるのだろうか。

 「1億総中流」(20代の方、聞いたことありますか?)といわれた日本で「富裕層」という言葉を頻繁に目にするようになって久しい。今年は先進国で所得が上位1%さらには0.1%といった少数に集中する傾向が強まっていることが話題になったが(※1)、所得が100人に1人(Top1%)や、1000人に1人(Top0.1%)といった“スーパーリッチ”の所得金額はいくらで、どのような所得を得ているのだろうか。

 Top1%をわが国にあてはめてみる。総務省によれば、わが国の個人の納税者は平成24年度において5484万人とされている。したがって、Top1%は上位55万人、Top0.1%は上位5万5000人の高額所得者だ。ちなみに米国のTop1%は2011年に136万人いる。

 国税庁がホームページで公表している申告所得税に関する統計データによれば、上位5万人に入るために必要な所得は3000万円〜5000万円超であり、上位50万人の場合は1200〜1500万円超である。

 2014年にTop1%などスーパーリッチへの所得の集中が話題となった背景の1つに、フランスの経済学者トマ・ピケティによる、格差や所得の分配の問題、富の分配と所得と富の関係の問題といった、低経済成長下で誰もが関心を持ちそうなテーマについての学術書「Capital in the Twenty-First Century」)が米国などで話題となったことがある。

 ピケティは、所得格差は1980年代前後に最も小さくなった後は拡大し、現在は所得の集中が進行していることを実証的に示した。また、それに基づいて政策提言も行っている。しかし、ピケティが興味を持って迎えられたもう1つの側面として、税務統計データをフルに活用したことがある。ピケティによれば、学者は税務統計の利用価値を見落としていたかもしれないのであって、これは残念なことだということになる。ピケティは、格差は一時点で捉えるべきものではなく歴史的に捉えることが不可欠であり、これは長期の税務統計の利用により初めて可能になるからである、とも言っている。(※2)

 確かに、所得税は民主主義の全ての国に存在するし、文字通り私たちの所得に基づいて支払う税金である。徴税や政策の企画立案に必要なので、各国の税務当局は納税者の行動や申告状況に関する詳細な統計的データを収集し、分析している。また、データはホームページなどで公表されている。こうしてみれば、確かに、税務統計は財政当局の役に立つだけでなく、様々な分析に利用可能な情報を提供している。

 筆者は、税務統計データからみたわが国の高額所得者の実態や日米比較についての論考を発表したことがある。そこで、本コラムでは日・米の税務統計データに直接基づいてどのようなことを観察することができるのか、上記論考などに基づいて紹介することとしたい。

 本コラムは高額所得者への所得や納税額の集中の問題を扱うが、政策的な考察を目的としない。税務統計といった地味な存在から、所得分配という経済社会の重要な側面の一端を垣間見ようとするものにすぎない。また、本コラムにおけるデータの解釈や見解は筆者個人のものであり、当然のことだが筆者が所属する組織等とは無関係である。

[本コラムは、財務省財務総合政策研究所編集・発行「森信茂樹中央大学法科大学院教授責任編集 特集「家計の消費・貯蓄行動と税制の在り方」に収録された、岡直樹 国税庁国際課税分析官「日本の所得税負担の実態」ファイナンシャルレビュー通巻118号(2014年3月)47頁(以下「FR118号」と略す)に基づいて執筆した]。

日・米における所得分配と集中

 米国では、所得上位1%,10%など分位階級別で区切った統計情報が公表されており、米政府及び研究者等により,様々な分析・研究が活発に行われている。

 たとえばIRS(わが国の国税庁に相当)の1億3500万件の申告に基づくデータによると、2010年において所得の分配は次のようになっている。

図1:所得・納税額の分配(米国)2010

出所:FR118号50ページ図1
 これによれば、2010年において、米国ではTop1%(所得金額36万9000ドル以上。約3700万円(※3)が全体の約18.8%の所得を、また、Top10%(所得金額11万6000ドル以上。約1200万円)の納税者が全体の約45.1%の所得を得ていた一方、下位50%の納税者(3万4000ドル以下。約340万円)は所得の11.7%を得ていたことになる。

 そこで、米国の分析に着想を得て、国税庁が作成・公表している統計データを用いて、米国と同様にTop1%、10%などの所得階級別の所得分配の実態を調べてみた。

 わが国の統計データには、米国との比較を行う上でいくつかの重要な制約があるが(※4)、申告所得に関する統計に基づいて所得の分配を示すと次のようになる。

図2:申告所得・納税額の分配(日本)2011

出所:FR118号51ページ図3
 図2の基となったデータは納税額のある607万件の申告である。Top0.7%の階層が4.9兆円、Top8.8%が15兆円の所得を得ているが、ここで示されている所得シェアは申告所得34.6兆円に対する割合である。

 給与所得2000万円以上の者は申告書を提出する義務があるので、Top1%の所得や税額についてのデータは実態を正しく反映していると言える。しかし、申告書の提出が不要な給与所得者が多数存在しているので、それらを含めた納税者全体の所得に対するシェアは、図2に示されたものより低くなるはずである。

 そこで、よりデータ数の多い給与所得者について給与収入の分配状況をみると、2013年(平成25年)において1年を通じて勤務した給与所得者4565万人に支払われた給与192兆円のうち、(1)給与所得者の1.1%に相当する49万人(1500万超の給与収入のある者)に11.7兆円(給与総額の6.1%)が支払われ、(2)給与所得者の8.8%に相当する375万人(800万円超の給与収入がある者)に45兆円(給与総額の23.3%)が支払われている。

 以上を総合的に観察すると、日本においても所得の偏在・高額所得者への集中傾向は存在するが、米国に比べその程度は緩やかであると思われる。

日米ともTop1%の所得レベルは中位値所得の10〜15倍

 日米における所得の集中の程度の違いを観察するため、Top1%などに該当するために必要な所得(閾値・しきいち)の金額や、上位グループの閾値の中位値 (たとえば、5人のうち3番目の人の所得のこと)の所得に対する倍率といった物差しをあててみる。

 まず、Top1%などに該当するために必要な所得レベル(閾値)については、日米でそれほど大きな開きはないように見える(表1)。

表1:上位1%等に該当するために必要な所得(閾値)
所得階層 日本(申告所得)2012 米国2011 米国2007
Top400 6億5100万円(2010) 7740万ドル(2009)
約77億円 1億3881万ドル
約138億円
Top0.1% 2億円(Top0.19%)と5億円(Top0.05%)の間 171万ドル
約1.7億円 225万ドル
約2.2億円
Top1% 5000万円(Top1,97%)と1億円(Top0.77%の間) 38万8000ドル
約3880万円 42万6100ドル
約4261万円
Top10% 1200万円(Top11.6%)と1500万円(Top9.05%)の間 12万ドル
約1200万円 11万6000ドル
約1160万円
Top50% 300万円(Top56.62%)と400万円(Top47.89%)の間 3万4000ドル
約340万円 3万5000ドル
約350万円
出所:国税庁・IRS 統計及びFR118号63ページにより筆者作成(※5)
 しかし、上位グループに帰属する所得の下位50%グループに帰属する中位値の所得に対する倍率でみると、Top10%の場合、日本では3倍である一方、米国では4倍となっている。この日米の集中度の開きは、Top1%の場合、日本では下位半分と同程度であるのに対して米国は1.62倍であり、米国ではより集中が顕著になっている(表2)。

表2:所得額の集中
日本・申告所得(2012) 米国(2011)
所得階層 所得金額(億円) 下位50%に対する倍率 所得階層 所得金額(百万ドル) 下位50%に対する倍率
Top 0.1%
(推計) 22,374 0.40 Top 0.1% 737,251 0.77
Top 0.773% 54,058 0.97 Top 1% 1,555,701 1.62
Top 9.054% 158,372 2.84 Top 10% 3,774,978 3.93
Bottom 52.12% 55,833 1.00 Bottom 50% 960,561 1.00
出所:国税庁・IRS税務統計により筆者作成
米国のTop400の所得水準は中位値の2000倍以上

 閾値の倍率は、Top400の申告書を提出したウルトラリッチの場合日米で極端な違いがみられる。米国で全申告のTop400に達するためは中位値の所得3万4000ドル(340万円)の2260倍の所得が必要であるが、日本においては平均給与354万円の180倍程度であり、10倍以上の開きがある。

 また、米国のTop400に該当するための所得レベルは、日本のTop400の10倍以上高い。米国のウルトラリッチのスケールがいかに図抜けて大きいかがわかる(表3)。

表3:Top400に必要な所得の平均的な所得に対する倍率
日本(2010) 米国(2009)
Top400に該当するための所得(閾値) 651百万円 77,409千ドル
平均的な所得 354万円(平均給与) 34.15千ドル(Top50%の閾値)
Top400 vs.平均的な所得 184倍 2,267倍
出所:FR118号63頁より筆者作成
所得より税額の方が集中している

 以上、所得の分配や集中についてみてきたが、最後に所得税の目的である税収の高額所得者への集中について触れておきたい。なぜなら、前述の図1(米国)および図2(日本)に示されているように、日米ともTop10%が所得税額の7割を納税している事実があるからである。給与所得でもTop10%が6割あまりを納税している。

 他方、所得ベースで下位50%の者が納付した所得税の割合は、日米とも2〜3%程度にすぎない。Top10%はBottom50%の20〜25倍あまりの税を納税しており、所得より税額のほうが上位グループへの集中の程度が強い(表4)。

表4:所得税額の集中
米国(2011) 日本・申告所得(2012)
所得階層 税額
(百万ドル) 下位50%に対する倍率 所得階層 税額
(億円) 下位50%に対する倍率
Top 0.1% 168,222 5.59 Top 0.1%
(推計) 5,859 4,21
Top 1% 365,518 12.14 Top 0.773% 14,160 10.18
Top 10% 711,663 23.63 Top 9.054% 36,710 26.38
Bottom 50% 30,111 1.00 Bottom 52.12% 1,391 1.00
出所:国税庁・IRS税務統計により筆者作成
 それでは、Top1%のスーパーリッチとは、どのような種類の所得を有する人々なのであろうか。次回は、わが国のTop1%(所得5000万超の納税者)の所得の内容、なかんずく富からの所得である金融資本所得の状況などから読み解くこととしたい。

(次回に続きます。掲載は12月19日の予定です)

(※1) OECD「Focus on Top Incomes and Taxation in OECD Countries」(May 2014)は、1981年から2012年の間にOECD各国におけるTop1%の税引前所得のシェアが上昇したことを示している。特に、米国では10%以下から20%に増加した。日本はこれによると10%程度とされている。

(※2)Thomas Piketty「Capital in the Twenty First Century」17ページ

(※3)本コラムでは、便宜上100円=1ドルで換算している。

(※4)米国との比較を行う上でのわが国の税務データの制約として次がある(主なもの)。@国税庁の統計は所得階級別のデータを表示しており、Top1%、10%等の分位階級別のデータの集計はない。このため、国税庁の統計から極力1%等の区切りに近似したデータの利用で代替した。A米国の分析はすべての申告に基づいて行われているが、日本では申告書の提出が不要な給与所得者が多数存在しており、全納税者を網羅した統計資料がない。このため、税務データから直接得られるシェアは申告納税者の所得、給与所得それぞれに占めるシェアであり、全納税者についてのものではない。

(※5)米国についてはSOI Tax Stats 「Individual Income Tax Rates and Tax Shares」Table 5より作成。日本については、国税庁「申告所得税標本調査」平成24年第1表により作成。

岡直樹(おか・なおき)
東京国税局、大蔵省・財務省、国税庁、税務大学校、OECD(出向)などに勤務。

 トマ・ピケティがフランスの日刊紙リベラシオンに月1回連載しているコラムをまとめた時論集、『トマ・ピケティの新・資本論』(村井章子訳)が2015年1月下旬、日経BP社から発売される(アマゾンで予約販売中)。
 トマ・ピケティは2015年1月に来日、31日に東京大学で講義を行います。一般から300人が参加可能です(有料)。みすず書房のサイトで参加申し込みを受け付けています。


このコラムについて
ピケティと同じ手法で「日本の富」を分析してみた!

 世界中で100万部を超える異例のベストセラーとなっているフランスの経済学者トマ・ピケティの「LE CAPITAL AU XXIe SIECLE」が『21世紀の資本』(山形浩生他訳、みすず書房)のタイトルで日本でも発売された。ピケティは本書で膨大な世界各国の税務データの歴史的分析から、放置すれば、資産を持つ人と持たない人の所得格差は拡大する一方であるという分析結果を導き出している。

 世界で最も所得格差が大きいのは米国である。では日本はどうか。ピケティの手法と同様の税務データの分析から「ほぼ同じ傾向がある」と結論付けたのが、筆者である岡直樹氏だ。日本と米国の税務データに観察され見える「富の集中化」の比較分析について3回にわたって解説する。  
http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20141210/274995/?ST=print


06. 2014年12月12日 06:50:41 : jXbiWWJBCA

アベノミクスと『赤字の民主主義』
ケインズ政策と財政健全化の二兎は追えない

選挙の争点を考える

2014年12月12日(金)  土居 丈朗

 衆議院が解散された11月21日、安倍晋三首相は記者会見で、今般の解散を「アベノミクス解散」と称し、選挙戦に突入した。与党側は、現政権の「アベノミクス」の是非を争点としたい意向だが、野党側は「アベノミクス」に代わる対立した経済政策の軸を打ち出し切れていない。だから、「アベノミクス」の是非だけを判断材料として投票したいとは思わない有権者も多い。

 結局、衆議院の解散の引き金となった消費再増税の先送りについては、どの政党も賛同しており、与野党間の差異がなくなった時点で争点から消えた。その代わり、景気対策については、各政党の公約にテンコ盛りである。円安対策、中小企業対策、農林水産業対策、地方経済向け対策、低所得者対策……。

 「予算のバラマキ」はしないとか、経済再生と財政健全化を両立するとか、勇ましく言っても、景気対策となると、タガが外れたようにどの政党も、公約やマニフェストの中で多くの字数を割いている。

 これは、残念ながら民主主義のサガなのかもしれない。ブキャナン=ワグナー著『赤字の民主主義』は、その本質を見抜いている。なぜ政治家や政党は、選挙時に景気対策となると熱心に訴えるのか。それは、20世紀のイギリスの経済学者ケインズが提唱した学説に基づく政策(ケインズ政策)という麻薬の味をしめてしまったからである。

政治家の本質を見抜いた学者ブキャナン

 ご存知の方には釈迦に説法だが、ケインズ政策は、不況期には需要を喚起すべく、国債を発行してでも公共事業や減税を行い、好況期には国民の所得が増えて税収が自ずと増えるからそれを用いて国債を返済することを意図している。

 しかし、そううまくいかない。このことを、1977年に既に指摘していたのが、ブキャナンとワグナーの前掲書である。不況期に国債を増発してケインズ政策を行っても、好況期に国債を返済して累増を食い止められればよい。しかし、実際の民主主義は、好況になっても、税の増収分を使って国債残高を真っ当に減らそうとせず、むしろ政治家が国民に対して相変わらず財政支出を振る舞い続ける。

 選挙になると、政治家は、有権者の前で、痛みを伴うようなつらいことは言わず、ついついリップサービスをしたがる。そんな政治家が、不況期に増発した国債を好況期にまじめに減らそうとはしないだろう。その本質を、ブキャナンとワグナーは見抜いたのである。ブキャナンは、こうした政治を経済学的に分析する公共選択論の業績で、1986年にノーベル経済学賞を受賞した。

 だから、ひとたびケインズ政策で国債の増発を認めれば、ルールを定めないと際限なく国債が累増する恐れがあると警鐘を鳴らした。それは、日本だけのことではない。ちなみに、ケインズは、賢明な政策立案者が好況期には国債残高の累増を食い止めるとの前提(ハーベイロードの前提)に立っていたが、民主主義政治では自律的にそうなる保証がないことは、歴史が物語っている。

 欧州諸国では、自国で自律的に国債残高の累増を食い止めるのが難しいことを踏まえ、EU加盟国で協定を結び、隣人監視で他律的にその累増を食い止める方策を採用した。国債残高が累増して協定を破りそうになれば、他の加盟国が叱咤し、場合によっては制裁を下せるようにした。

 アメリカは、一貫して「小さな政府」を志向する国民がそれなりの規模で存在する。時として、その勢力が中心となった政権も誕生している。この一派は、政府支出の規模が拡大することも嫌うし、政府債務の累増も嫌う。なぜなら、政府債務が累増すればそれだけ利払費が多くかかり、その分多く税負担を強いられるからである。だから、アメリカ国内では、政府債務の累増を伴うような政府支出の拡大が起こりそうになれば、その動きを厳しく批判し、政府債務累増の抑止力となっている。

負担感の麻痺に起因するワナ

 では、日本はどうか。今般の衆議院総選挙で、そんな勢力は存在しない。確かに、公務員人件費の膨張に嫌悪感を抱く有権者は一定数いる。しかし、公務員人件費の膨張を批判する有権者の中で、社会保障費や教育費など、他の政府支出についても規模の膨張を、一貫して批判する人はかなり数が限られる。公務員人件費の膨張を批判する有権者の中には、社会保障費をやみくもに削減すべきでないという考えを持つ人の方が多いだろう。公務員人件費削減を主張しつつも、政府債務の累増には目をつむっていたりするのだ。

 この考えが悪いと言いたいわけではない。ただ、日本では、公務員人件費を削減するということと、「小さな政府」志向であることとは、多くの場合必ずしも一貫していないということだけは確かである。もしアメリカにあるような真に「小さな政府」志向の考え方に基づけば、政府支出の膨張だけでなく、政府債務の累増も批判すべき対象なのである。

 どうやら、今般の衆議院総選挙では、各政党は、税負担と政府支出との対応関係について、整理が不十分なままに論戦を行っているようだ。これこそ、ブキャナンらが指摘した、政府債務による負担感の麻痺に起因するワナである。

 増税反対という主張は、一つの立派な考え方だ。それと対応して、(公務員人件費以外の)政府支出も減らせ、というなら一貫性がある。しかし、国債で財源を賄えば政府支出を増やせるから、増税に反対しつつも政府支出は増やせる、というなら、まさにケインズ政策のワナである。国債はいずれ誰かの負担で返済しなければならない。自分は増税の負担を負わないで、政府支出の恩恵だけ受けたい、というなら、単なる負担のつけ回しにすぎない。そのつけ回す先が、自分よりお金持ちの人なのか、まだ見ぬ将来の子孫なのかを不問にして。

 まさに、ケインズ政策は、景気対策という美名の下に、これと同じことをしている。景気対策だから、目先の不況の痛みを免れることを優先すれば、負担を他につけ回すことが許されるかのようだが、そんなことはない。高い率の経済成長をすれば増税しなくても好況期には財政健全化できる(国債を返済できる)というが、そんなこともない。

 その理由を説明しよう。まず、前述のように、民主主義のサガで好況期に政治家が国債残高(対GDP比)をまともに減らさないから、「好況期には財政健全化する」という約束は反故にされやすい。それに加えて、好況期に税収が自ずと増えるといえども、負担しているのはそのときの国民であることには何ら変わらない。だから、経済成長を促せば財政収支は改善するといっても、結局は経済成長と連動して税負担を強いられているだけである。

 ちなみに、国債残高自体が増えても、国債残高対GDP比が減ればそれでよい。ところが、国債残高対GDP比を減らすのに、経済成長率(=分母のGDPの増加率)さえ高ければそれでよい(厳しい歳出削減や増税はしなくてよい)との見方は、間違っている。それは、借金をねずみ講式に将来に先送りできる、と言っているにすぎず、応益負担(政府支出の便益を受けた人が負担を負うこと)が全うされていない。

 つまり、別の言い方をすれば、所得の増加率(経済成長率)が高いと、親の所得より子孫の所得の方が増えるので、同額の借金でも、返済負担を子孫に繰り延べれば、親が負担するより子孫が負担する方が負担感は和らぐと見える。しかし、そもそも借金で賄った政府支出の便益は、子孫でなく親世代が享受し、ちゃっかり負担だけ子孫につけを回しているにすぎない。経済成長率が高くなることはよいことだが、子孫が負う必要のない負担をつけ回しても何ら問題の解決にはならない。

 ケインズ政策によって一時的に国債を発行して景気を刺激すれば、やがて景気が回復して、そのときの税収で国債を返済できるから財政健全化にも資する、というのは、幻想である。「ハーベイロードの前提」が成り立たない民主主義を前提とする限り、ケインズ政策と財政健全化は両立しない。

逃げ道のない形で約束するしか方法はない

 これを踏まえ、ブキャナンらは、均衡財政を主張した。筆者は常に均衡財政がよいとは思わないが、わが国の国債残高(対GDP比)に鑑みれば、受益と負担の世代間格差をこれ以上助長しないよう、国債残高(対GDP比)をこれ以上累増させないようにすべきと考える。

 ケインズ政策は、1990年代の日本でも多用された。当時はそれを公共投資で行っていたが、結局多くの人にとって景況が回復したとの実感が湧かない程度の結果に終わった。このことから、景気対策に公共投資を行っても効果が小さいという認識を持つ人が増えた。ケインズ政策は無駄なバラマキというわけだ。しかし、それでケインズ政策の芽が摘まれたわけではなかった。公共投資ではなく、高齢者向けの給付とか、特定の業種向けの補助金とか、形を変えて今もケインズ政策は延命している。その財源は国債の増発で賄い、そしてその返済負担は、自分でなく別の誰かに押し付けて……。

 これを食い止めるには、逃げ道のない形で国債残高の抑制を約束するしかない。いつ、どのような形で誰を対象として税負担をお願いするかについて、事前にコミットした形で約束することである。前掲書『赤字の民主主義』では、「憲法(改正のしにくい法律の意)」で財政健全化ルールを規定することを提案した。

 安倍首相は、今般の衆議院解散の意向を表明する際、2020年度の財政健全化目標(国・地方の基礎的財政収支の黒字化)は堅持し、それを達成するための具体的な計画を2015年夏までに策定すると明言した。その真意は、まさに『赤字の民主主義』が示唆する通りなのか否か。答えは総選挙後に出る。

土居丈朗(どい・たけろう)
慶應義塾大学経済学部教授
1970年生まれ。1993年大阪大学経済学部卒業。東京大学大学院経済学研究科博士課程修了、博士(経済学)。カリフォルニア大学サンディエゴ校客員研究員などを経て、2009年4月から現職。『地方債改革の経済学』(日本経済新聞出版社、2007年)で第50回日経・経済図書文化賞、第29回サントリー学芸賞を受賞。2013年4月より日本経済新聞の毎月最終日曜日の朝刊で「経済論壇より」を執筆中。


このコラムについて
アベノミクスと『赤字の民主主義』

 2014年12月の「アベノミクス解散」後、各政党は円安対策、中小企業対策、農林水産業対策、地方経済向け対策、低所得者対策と、景気対策についてテンコ盛りの公約を掲げた。「予算のバラマキ」はしないとか、経済再生と財政健全化を両立するとか、勇ましく言っても、景気対策となると、タガが外れたようになる。これは民主主義のサガだ。ブキャナン=ワグナー著『赤字の民主主義』は、その本質を見抜いていた。なぜ政治家や政党は、選挙時に景気対策となると熱心に訴えるのか。同書を読み解きながら、民主主義と財政赤字について考える。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20141210/274987/?ST=print


07. 毛沢山 2014年12月12日 20:15:48 : SehJQjCCtOcsg : 8HJBBMPIuw
安倍が急いで総選挙を2年も前倒しした理由が分かる時が来る
無理に無理を重ねた株価は近々大暴落する
通貨を大量に印刷しバブルを作ろうとしたが結局は小バブルに終わり破裂は今まで以上に悲惨な結果となる
会社は倒産が激増し、大企業は日本を見切りを付け国外に脱出する
日本はアジアの先進国から貧乏国になり下がり、どこからも相手にされない観光産業だけの国と成り下がる
これが安倍と黒田の安倍コベの経済政策の結果であり、日本は完全に破壊される
今の日本の指導者層は政界、官界、財界とも肩書きだけの無能力者が幅を利かせ、戦後のようには立ち直ることはできない
これも本物と偽者の区別のつかない国民にとって自業自得、因果応報と言うことだろう



08. 増税反対 2014年12月12日 23:27:09 : ehcoR2LmdzYII : lP51oLFskQ
 「給料が増えてきます」と言ってる公明党の山口代表の演説に、

なぜか多くの年金暮らしのおじさんおばさんが拍手していました。

 学会員はバカばかりだと改めて認識したしだいです・・・


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