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学ぶの語源を考える
http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/226.html
投稿者 よしゆき 日時 2015 年 8 月 20 日 15:10:07: .fHdROTysEMxI
 

良くしたり顔で学ぶの語源は真似ぶからなので、しっかりと学ぶためにまず真似をしましょうと仰る人がいます。
本当にそうなのか気になったというか違和感もあったので、少し調べてみました。

まず、「まなぶ」と「まねぶ」は文献上同時期に存在しており、どちらが先に生じた言葉かの前後関係は明確になってないそうです。
そうするとそもそも前後関係があるのかも問い直すべきだと思いますが、一旦前後関係、少なくとも関係があるという前提で進めます。

よく聞く「真似ぶ」語源説の場合「真に似せる」の意味になり、「学ぶ」から「真似ぶ」が生じた場合は「誠に習う」が元となっている可能性が高いそうです。
この2つだけを見比べると感じとしては「真に似せる」→「真似ぶ」説では「にせる」が「ねる」に変わったことになるので音として違和感を覚えます(ただし、「ま」と「ね」という元の大和言葉の意味を検証しなければ違和感自体勘違いの可能性が残ります)。
この違和感を手掛かりとするのなら、「誠に習う(まことにならう)」から「学ぶ(まなぶ)」は音としての違和感はありません。

では仮に「誠に習う」→「学ぶ」→「真似ぶ」だとして、「誠に習う」の「誠」は何を指すのでしょうか?「誠に習う」とはどういう意味になるのでしょうか?

「誠」なる存在(ギリシャ哲学的な意味での「イデア」?)を想定し、そのことを指しているのか(目的語として捉える)。それとも「誠」を誠意と解して正しく、あるいは誠実にならうの意味なのか(形容詞として捉える)。
またもしかしたら、上の2つの意味を両方とも兼ね備えていた可能性もあります。つまり、学ぶとは習う行いであり、かつその行いの中から何がしかを発掘・探求することでもあると(個人的な「学ぶ」行為の経験からすればこれが一番近いような気もします)。
しかし、そうだとすると「まなぶ」から「まねぶ」が分化されていった理由がわかりません(学ぶ→真似ぶ前提の場合)。

これは残っている文献の実用例から判断するしかないのかもしれません。


何れにしも何も考えずにしたり顔で「学ぶ」にはまずは「真似る」こと!とか偉そうに言っている人が嫌い(笑)  

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コメント
 
1. あやみ 2015年8月21日 04:04:14 : oZZpvrAh64sJM : YfNunUgNC6
こんにちは、僭越ながらコメントさせていただきます。

「まなぶ」が先で、「まねぶ」は平安時代に雅語として分化したらしいです。どちらが先かが重要なのではありません。「まなぶ」の語幹は「ま」ではなく、名詞の「まな−真」です。それに助動詞「ふ」が膠着して(くっついて)「まなぶ」になりました。やまとことばは膠着語であります。

「まな」はご指摘のとおり「まこと−真事」です。
「まなぶ」を「まことに習(倣)ふ」と解釈しても同じことになります。「ならふ−習ふ」は「並ぶ」、即ち「近づく」、「まこと」に近づこうと尽くすことが「まなぶ」というわけです。

>何も考えずにしたり顔で「学ぶ」にはまずは「真似る」こと!とか偉そうに言っている人が嫌い(笑)

同感。しかし西洋的価値観からすればやまとことばは非常に非合理なことばであるため、西洋式教育を受けた現代人が解析するのはもはや困難なのです。残念ながら。


2. 手紙 2015年8月21日 14:30:46 : ycTIENrc3gkSo : LjMCkTbcIQ

よしゆきさん、記事おもしろかったです。

以下は道教古典の文子から。

文子問道。老子曰:學問不精,聽道不深。凡聽者,將以達智也,將以成行也,將以致功名也,不精不明,不深不達。故上學以神聽,中學以心聽,下學以耳聽,以耳聽者,學在皮膚,以心聽者,學在肌肉,以神聽者,學在骨髓。故聽之不深,即知之不明,知之不明,即不能盡其精,不能盡其精,即行之不成。凡聽之理,虛心清靜

私は、まなぶというのは 上學以神聽 と記されているとおり、神(天)との関係に深慮してからということだと思っています。

親しみをこめて、あやみさん。

>>。ヨならふ−習ふ」は「並ぶ」、即ち「近づく」、「まこと」に近づこうと尽くす
>> ことが「まなぶ」というわけです。

なーるほど、学習の 学 も 習 もよい字ですね。

私においては未だ、学なり難し…

よしゆきさん、あやみさん、ひとつ、情が広がりました。

ありがとうございます。


3. 2015年8月21日 19:24:11 : q931E3NW4E
何かに気付かないように目を逸らし、気を紛らす為に目を凝らす。

学ぶとは何なのか。
何の為に何を学ぶというのか。
学びの現場とは何か。
そこで何をどう捉えるのか。
何を想定し、そこで何が必要と判断するのか。
何を限りとし、そこで何を身につけようとするのか。
何が必要なのか。
そもそも何か必要なのか。
何故学びが足りていないと感じるのだろうか。
何か足りてないのか。
何故足りてないのか。
必要とは何か。
必要でないものとは何か。
あなたが何を学ぶ為に何がどれだけ必要とされるのか。
学ぶとは何なのか。
それを学ぶ為に学ぶのか。
何を知り尽くす為に学ぶとするのか。
もう学ぶものが無いとする所に辿り着く為なのか。
なら、その辿り着いた果てで、それ以上何ももとめないのか。
その先で何を学んだと言うつもりなのだろうか。
学ぶ為に学ぶと言うのか。
いつ迄そう言い続けるのか。
何か意義あるものが残るのか。
誰かの評価を受ける為に学ぶだけが学びなのか。
期待するものの評価の為にあなたは生まれついて何かを必要とするというのか。
何かをもとめる場所、そこはもとより何も無い。
何も無いところで何か足りないとあなたは言う。
何も無いところであなたは何を生んだのか。
疑問は回答とワンセットである。
あなたがそこで何も感じないなら何も生まれない。
あなたがあなたである為に何を感じる必要があると言うのか。
あなたの中に生まれた問いかけに対しあなたはいつ何に気付くのか。
学びと言えるものとはたったひとつしかないと知る。
あなたがあなたに必要とするものを探す事を止めた時、あなたは何を手に入れるだろうか。

今あなたは何にどれだけ気づき、勘づいているのだろうか。
それともただ鈍感に徹した暗がりの中で、何かに没頭しているのだろうか。
あなたは暗闇に目を凝らして何を観るのだろうか。


4. よしゆき 2015年8月21日 23:34:46 : .fHdROTysEMxI : w8YiBxKuWo
あやみさん、手紙さん

コメントありがとうございます。
お二人にコメント頂けたおかげで自分の中でも一つ情が広がりました。

まなぶとまねぶならまなぶが先で、まな(まこと?)に近づく行為が学ぶという意味だったのですね。どうしても直感的な所で「真似ることが学ぶこと」という考え方は浅薄過ぎると感じていたので納得した思いです。
老師の教えの中でも神を以って聴くと同じようなことを言っているのが凄いですね。「聽」という字が「何かを介さず直接耳に入れるの意」らしいのでより天に通じるというニュアンスを感じます。
大和言葉の世界でも老師の教えの世界でも、学ぶという行為は真似がきっかけになり得るとしてもまことに至らんと探求する行為なんですね。

(ところでもしご存知でしたら「まな」という大和言葉の意味を教えていただけますでしょうか。)

引き続き宜しくお願い致します。


5. あやみ 2015年8月22日 22:36:28 : oZZpvrAh64sJM : nVFzRxucEw
よしゆきさん、こんにちは。手紙さん、ご無沙汰しております。

「まな」はすなわち「まこと(真実)」です。
では「まこと」とは何か、この答えにたどり着くのは容易ではないでしょう。
たとえば「1+1=2」は「まこと」でしょうか、違います。これは一般数学の上での約束事に過ぎません。投薬すれば体を病気から救うことができる、これも「まこと」とは程遠いものであり、現代医療の前提でしかありません。
我々が学校で学習させられたことはこの手の約束事のみです。結局は誰かの利権のためにしかなっていません。
太古の先祖たちが見出した「まこと」はもっと深く大きいものでしょう。春に夏、そして秋に冬がつらなり、月の満ち欠けが潮を誘い、人はいつか朽ち果て再びもどることはなく、そして我が子には亡き親の面影がある…当たり前であり、しかし決して覆すことのできない数々の「ことわり」を司るものこそが「まこと」です。それを「神」と言い換えることもできるでしょう。


>以神聽者,學在骨髓

伝統工芸の職人技から日々の雑用に至るまで必ずやその「道」があります。そしてその道は材料と向き合い、道具と向き合い、対話してこそ開けます。材料や道具が口をきく筈はないのですが、謙虚に道を探る者には声が聞こえてきます。その声の主はほかならぬ「神」だと思います。「まなぶ」とはそういうことだと思います。


平安時代、教養の必須項目として「書」があります。書蹟を学ぶにはそれこそ「模倣」することから始めるほかありません。この学習法が今で言う「模倣する」という意味に強く傾き、その結果「まねぶ」が分化したのではないかと予測できます(確信はありませんが)。

もうひとつ、「まね−真土」という興味深いことばがあります。銅鏡などの金属が根付くころにはやまとことばの枝葉はさらに広がりますが、「真土」とは原型から複製品を作るときにつかうキメの細かい粘土を指し、この粘土で原型から型(真土型)を取り焼成して鋳型にするわけです。「オリジナルからコピーする」作業の源はここです。「まなぶ」とは別に「まねる」という語彙は古い時代(弥生時代)に生まれていたのかも知れません。  


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