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イラつかない社会に移行する為に必要なものとは?
http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/251.html
投稿者 金十字架 日時 2015 年 10 月 15 日 02:49:23: mfAWtS4GF8MpY
 


http://www.asyura2.com/15/cult15/msg/268.html
投稿者 sogoro 日時 2015 年 10 月 14 日 10:14:54: iZnXJ9u1LRw9I

と云う投稿で思いついた自分なりの解釈を書いてみる。

まずは「不平等がいらつく」という事に対しての解釈をひとつ。

現行の社会性とするものの間では、基本的に人と云うものは、
「したく無い事をしなきゃならない」という、
人の忍耐と我慢の上に成立を見ているものですね。

それが善だ、良識だ、と云う見解で一致してしまっている訳です。

よって、したく無い事をしないのは「ずるい」、
嫉妬とやっかみによって、互いをまた全体性見回して、社会を監視しながら、
義務を負うのは当然だとする価値観を皆で維持しようとしています。

だからそれに反したことが起きると「イラつく」訳です。
自分は正しい事をやっているという認識だから、余計、「イラつく」。

「平等でなければならない」からといって、
全体性の中で皆が同じ負担を背負っている事も無い筈です。そんなことは不可能です。

そこで、ただ一致するのは、
「したいことだけでなく、したくないことをする」と云う一点のみに、
「イラつき」を抑えて、平等性を感じて安堵する事ができる訳です。

様々な背景を抱えて人はなんとか生存しようと試みています。

本来、自分の時間を皆、心行く迄持ちたいと思っていますよね。

じゃあ、どうすればいいんでしょうかね。

イラつくからといって、互いの足を引っぱりあってれば、
全体性としては合理性を欠く結果となるでしょうしね。

てずからちょっと憶った事を書いてみようと思いました。

ついこないだ流行っていた「ゼロベース思考」と云う言葉がありますが、
この言葉自体ある種観念的なものなので、まったくの「ゼロ」に立ち返って、
一から組み立て直す事を基本に物事を考えてみたいと思います。


例えば、逆に、全ての人が「したい事」だけをしていたとしたら、
別に「平等でなくてもぜんぜんイイよ」という声がかえってくるような気がします。

そうした「うん、それでぜんぜんいいよ」と云う互いへの眼差しを基本にして、
全体にとって必要なものは、皆で、無理しない程度に補いあう、ということになれば、
真の意味で「平等である」価値を手にすることが実現するだろうと云う気がします。

全体にとって善いのは、誰かが我慢したり、
忍耐の上に忍耐を重ねて無理をする社会ではない筈ですから。

そういうものを一からつくれば良いだけではないでしょうか。

・職人気質の労働専門に特化した技術屋左脳蟻 2
・ほどほどに特に暮らせれば良いとする中立蟻 6
・したい事だけをしたい芸術的センス右脳蟻 2

2:6:2

これが自然のバランスであるなら、それらをうまく回して、
基本的なライフラインの機能する社会基盤をつくれば良いだけでは?

合理的な国体を目指すというなら、国体を人体に喩えれば判りやすいけれども、
人体の細胞間の働きは、「働かざるもの云々・・」と、
別に鞭打って全体性を維持している訳でもない。

生物の身体とは、人の顕在意識的思考、意思とはまた別の意識レベルで管理されている。

自然に、専門に特化した働きをする細胞に変化して、
それが集まってそれぞれの組織を形成している。

人の意識がどう騒いだって、その運営は完全に自然任せで機能している。
逆に、人があれこれ騒ぐ事によって、人の不自然な意識が、
病気という形に自然のエネルギー変換している訳だから。


理想として善いと思うのは、資本と全体性社会主義を混ぜたようなもの。

まずは、あれほど騒いで実施された、裁判の「陪審員制度」同様に、
同じ名目で、国民ひとりひとりに交代制で、政治の場に就かせる。

これだって実施されて当然のものである筈。
それを始める為に我々は、ただその声を挙げればいい。

そこでは偽りの無い国民の大多数の意見をしっかりと聞き、
不満のでない国策の決定権を最終的に、国民に依存すると云う事ができる。

多数決で意見が半々に別れるなら、
それは国が半分に別れたら文句も無いでしょうに。

それなら、国民を半々に分けて国を二つにすれば、収まりがつく好都合な話です。

実質そうなっているのでは?


些細な事で、この国はいとも簡単に分裂する。

国民の無視出来ない声は、大よそ半分も無視されている。


さて、本題に戻って。
ライフラインにあたる企業とは、例えば人体で云う血管である郵便運輸。
誰でもできるような仕事はどの企業もごまんと有る。
住環境の整備。食だってそう。

これ迄のノウハウを訳合って、皆で出来る事はすればいい。

ホビー分野は増々好みが細分化されるだろうから、
人気の企業に一極集中するなんてことは、それほどない筈。
今既にちょっと資金が有れば、それぞれ独自発信で、個人でつくりたいものがつくれる世の中だ。

どのライフライン企業も、これ迄の倍の人員を確保出来るし、
人手不足になんかならない。

仕事の負担量は皆で分け合えばいい。

国(国民全体)参加で運営されてしかるものは、
その為に必要な資金(現行の円でなくても可)を国から調達し運用する。

だからと言ってそれは国営の仕事でもなく、あくまで、あたりまえに国民の仕事とする。
特別視、または優遇された公務のイメージはそこにはない。

国民の誰もが決まった仕事を持つ、または持てる、と云う事は理想としても、
それが縛りとなって大半の個人が夢を捨てるような世の中とはならず、
誰もが「したいこと」を基本として、とりあえずのなんらかの仕事を持つ、
またはボランティア(無償の仕事)をする。

確か、既に日本でも週四で正社員制の企業も有る。
別にどうした形態であっても非常識でも何でも無い筈だ。

それから国は、国民に毎年、旅行をプレゼントする。
そのくらいの事は当然あってよい筈で、精神性の豊かさを今こそ取り戻す事。
それは国民への感謝システムというもの。

中国のとある村でも確かそんなのが有った。
村民全体が企業の一員と云う村。国民全体が社員という国もあるね。

とにかく、仕事をみつける期間、まずは、
それぞれが当たり前に暮らしていく為に、
国は決まった仕事を提示し、そこに就いてもらうということになる。

それぞれは様々なライフラインとなる企業をまわり、
最低、週3日、週3時間、交代制で、誰にでも簡単な出来る範囲の仕事をすればいい。

基本、その期間のまま一生を終えたって構わない訳で、
ただ、そうして様々な仕事に出会い、社会に貢献する機会は与えられ、
そうして極力何の不満もストレスもたまらない中で、
あらゆる世の中への認識を学び、それを活かす為にそれぞれは、
新たな自分の能力を開発する為に必要とする学びを求めてる事ができる筈。

そうした社会性は何を生むのだろうか。

子供食堂と云った展開が個々人を繋げて、民間の中に生まれているが、
ああいった事がもっと推進されていけばいいと思う。

関心はそこに在り、興味は尽きない。

そこでも基本、資本社会ではあるので、「したいこと」として、
新たな企業の立ち上げ等々、何でもできる訳だが、
基本、生存の為のストレス社会ではなくなるので、
人の行動パターンは変化していくだろうと考える。

そこには、どんな新しい企業形態が生まれてもいいけれども、
もはや競争の為ではなく、より全体性に貢献の出来るものを。

そこに合理性などなかった。単に無駄が生まれ、共倒れしただけ。

新しいものを生むにも、高給を得たいと思うよりも、何を成したいかだけが目的となるだろう。
当然そこでは、それぞれが出来る範囲で、無理をしない為に、
楽な仕事をする為に、何を生むかが発明の動機となる。

本来の文化的発展、発明の動機とは確かそんなものだった筈。

そして生まれた余暇を人間の新たな能力への挑戦に向ければいい。

犯罪も激減するだろうし、あらゆるストレス性を生み出すからくりは消えてしまうだろう。

ただし、そこで同じような問題が起きるとすれば、
それは奪い合う事、また縛られたいとするような、
愛や善性に対しての所有欲と云った、
誤った認識に依る価値観によるものだろうと予想出来る。

金が意味を持たなくなれば、物、そして次に名誉となるから。

となるとまずは人には悟性が必要かもしれない。
それはまた別の機会に投稿することなので省略。

理想の社会を想い描いてみるのは楽しい。
と云う事で頭に浮かんだ事を書いてみた。

合理性という言葉が生きてくるのは、
そこに既にある全体性をどう運用するかで決まってくるのであって、
何か特別視出来るものだけを善として、活かし、残りは排除的、
また排他的に差別するということで生まれるものではない筈。

真の合理性を欠いているのが現代の国体だと思っている。

人々はどんな生き方をしてもいい。それが存在の基本的な価値を示すものである筈。

全体性の為に活きる、本当に人々が活きた社会をつくる為に、
国と云うものの働きが必要なら、いま、国はこの成すべき事をしていない。

そしてまた国民も何が正しいか判らず、考える為の知恵を奪われている。

自分の考えと価値観に自信も持てず、故に、受け売りの言葉の力に圧され、
考える力を削がれている。

そして本当の善、または楽とは、より程度の軽い苦痛を抱き続けることだと信じ、
何か勘違いしたまま、何も変えられないとだけ考えて生きている。

最低限の生きる保障をあらかじめ国は与えるというなら、
本当の善性、本当の愛について、それが何か、まず考える力を与える事だ。

その上で、よりそれぞれの人間性に期待して、
自発性を促す国策をつくれば良いだけである。

国民が過度なストレスなく、国策の中で、様々な企業を回る中に、
より自分に合うと思える仕事を見つける事が望ましい。
それぞれが自分に合う専門的な技術を習得する事が国策として合理性に繋がる筈だから。

景気の善い時には皆明るいが、経済が冷え込むと、
途端に顕著に人が変わると云うのは、根本的にその原因を
人を「性善説」に沿って信じることなど出来ない云々と、
話をすり替えてしまえるものなどではない筈。

↑これは古館さんが「報捨て」で口にしていた事だけども。

やぁやぁ、こどもたち。おとなってどこかおかしなやつらだとは思いませんか?  

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コメント
 
1. 2015年10月15日 11:06:06 : z21ZXlbTkk
このスレの元としてリンクされた投稿者へ。

例えば蟻とか蜂の生態系を、地上の人間社会に投影してみたところで、
それが生態系全体に還元できるとでも?笑止千万。

私は実際、家族単位で、ルンペン兼ブルジョアジー兼プロレタリアートである、
と「事実」を言ってみたところで、理解できる者はごく少数だろう。

だが事実は事実で、そのそれぞれほぼ平等と言えるベクトルに対して、
「いちいち苛立つ」、自称各階層の住人は、常に居るものである。

だが同時に、全ての層の中にも、仲間が、友人が、いる。

その幸運(というより自らの良心のみで勝ち取った縁)を、
お金で代償することは当然ながら、できない。

表層だけ見て苛つく外野に対して、当然掛けがえがない。

したくもないことをしなければならない、
ということに、理由も根拠もない、
と観るちからだけが「仲間」の根拠だ。

誰も、非常識で野放図な迷惑分子等ではない。

「自他」一体の共有良心を分かち合っているだけだ。
上も下も必要としていない。

だから、ズルいも不公平もない。

リアルに。

>資本と全体性社会主義を混ぜたようなもの

これ、北欧では上手く行っている。
ついでに中国も試行錯誤しつつ、いい線に進化しつつあると思う。

日本はいじけてるのか、態々どんどん益々置いてけ堀方向へ・・・。
どうしたよ?(笑)


とりあえず大雑把なレスではあるが、この投稿主のスレ内容に、
まずは、全面賛同。


2. 2015年10月18日 12:30:38 : qFBZAvwg0G

 ベーシックインカムだろうね〜〜〜

 BIで ほとんどの問題は 解決する!!
 


3. 2015年10月21日 01:12:23 : q931E3NW4E
>01,02
コメント有り難うございます。

関係ない話かもしれませんが、自分の昔話をするのが流行のようなので、
そこにかこつけた言いたい放言ですが、「ズルい」で思い出した事を一つ。

私が中学の頃、担任の教師が、一人の不良少年との論争の中で、
我慢の末にその不良生徒の頬を張り、
生徒共々教室を飛び出すということがありました。
そもそもその二人の間の確執がいつからあったのかはわかりませんが、
担任はこう言いました。
「ずるいよなぁ、一人だけ勝手なことして。迷惑だよなぁ!?」

私はそれをショッキングな出来事と記憶して今尚何か違和感を私に投げかけます。

現代の教師と云う立場、役割を考えると、こうした生徒間の対立は避けられず、
悩ましい問題であるでしょう。

しかしそもそも昔学び舎と云われていた場所とは、
「それを学びたいとする」意思を持つものだけに赦されていた学問の場であった筈。

現代は、ただ子供を集めて、そこで、
「決まった金型に押込む場所」と云う認識であるような気がします。

尚、「ずるさ」と云う言葉のもつ背景を考えるほど、
どちらが「ずるいのか」と云う事を改めていま思い起こす事になるのでした。

とにかく私も、学校と云う所がそうした違和感を感じる場所として、
日増しに認識されるようになっていったことは間違いが無いです。

その担任は憎めないところがあって、
個人的にはどの生徒からも好かれていたように思いましたが、
今思えば、その時感じたショックはもしかすると、
幼稚さを表す言葉として認識していた「ずるい」と云う表現が、
大人の、しかも教師の口からでた事に対する驚きだったのかもしれません。

現代の教師もまたそうした言葉を集団側の特権として認識しているのでしょうか。

今、言葉にすれば、そこに感じた違和感とは、
「一体ここに何を習いに自分達は集っているのか」、
「何故こうまで人が非力なのか」、
と云うような疑念が一瞬にして自分の中に湧いた事による混乱だったのかも知れないと、
改めて、いまここに理解しなおすものです。


4. 2015年10月27日 07:18:12 : z21ZXlbTkk
ちょっと思ったんですが。

人の観念の編み出した、実際問題としてイソップ童話的例え話を脇に置いて、
蟻が、昆虫類という共通点しかない、
全く別種で、別の生態的進化の上に共存している、
同じ生き物としてのキリギリスに嫉妬したりディスったり、
又はその逆パターンのようなことが、起こりうるのだろうかと。

それぞれ、尊重しつつ棲み分ける以外の、生き残りとしての選択肢なぞ、
抑々必要でもない筈だし、全くの無駄なのではないかと。

蟻とキリギリスが敵対関係にあって、生存競争を凌いでいるなどという、
生物学的学説には、ついぞお目にかかったことがないもので・・・(笑)


5. 2015年11月04日 05:37:00 : lnyjXfun7s
>>1
金権至上主義者に支配された中国がいい線に進化するには色々な壁を突破しなければならない
それは中国人と人類の生命にかかわる事だ まず公害と砂漠化の阻止、次に高額化する訴訟への歯止め、労働法制の整備と格差の解消
そして、ロスチャ軍需原発黒金経済支配層(オリガルキー)からの脱却

6. 2015年11月11日 08:08:02 : z21ZXlbTkk
05さん、如何にも示唆に富んでおります。

私、実は現行人類の祖としての中国民族に、
マジエール送りたい派だもので・・・

I Love China💗(& Japan).


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