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新宿の女、藤圭子の人生。旭川からニューヨークまで。
http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/580.html
投稿者 エロ百景 日時 2018 年 3 月 09 日 08:31:22: ZfBHQPKjiGvP. g0eDjZVTjGk
 

素人丸出しでバラエティー番組のカラオケステージな立つ藤圭子 乱れ髪のイントロに乗せて踊る藤圭子がまるで幸せの白い蘭に手を伸ばしているかの様 美空ひばりのみだれ髪を熱唱する藤圭子

みだれ髪をバラエティー番組で熱唱する藤圭子


https://asadafuroda.blog.fc2.com/blog-entry-117.html
簡易な踊りだけども美しいと思った。この振り付けから藤圭子は曲への感情移入を果たし、視聴する私はここで藤圭子の虜となってしまう。そして、藤圭子の熱唱を聴いて私は涙してしまうのである。


この動画の時代には藤圭子は深夜特急に乗った後だろうか。アメリカに渡り、寄生虫極道の宇多田某に貯金を全部食いつぶされてしまった後だろうか。


そんなことも分からない私が藤圭子の人生を書きます。



自らが招いた事とは言え、藤圭子の不運な人生と感動の歌声がオーバーラップして何度でも泣けてしまう藤圭子熱唱のみだれ髪です。

心奪われる、藤圭子のみだれ髪熱唱

乱れ髪のイントロに乗せて踊る藤圭子にしきのあきらが司会者の様に映るバラエティー番組で美空ひばりのみだれ髪を熱唱する藤圭子です。この動画をネット上で初めて見た時はその歌唱力の凄まじさに心を奪われて連続して10回聞いてしまいました。画面に映る藤圭子もそれは興味深く見たのです。何より驚くのはその美貌です。この時代に藤圭子は何やら、美しくなる要素を手に入れた様です。引退を2年で撤回して再起を図るそのキャンペーンでのバラエティー出演でしょうか。スターダムから転落した経験を持つにしきのあきらが番組出演を取り持ってくれたのでしょうか。ともかくも相も変わらぬ大迫力の歌唱力でスタジオを総立ちにさせた藤圭子なのです。

藤圭子の境遇を推察

踊りの動作で感情移入完了して歌う準備OKとなる藤圭子着ているものが演歌歌手としてはあり得ない程質素なものであることから、稼いだ金の全てを寄生虫の宇多田某にしゃぶられ尽くされて無一文となって帰国して、カネの為生活の為に再デビュー活動をする藤圭子なのであると推察されます。


それにしてもこの質素な出で立ちを見るにつけ引退したことが悔やまれてならない藤圭子ですが、藤圭子本人としたら、歌があるから自信があるから逆境にあっても平気で引退を悔やむ事も無かったのかも知れません。


藤圭子の人生

藤圭子の育った時代

北海道旭川の路上でママ友と子供が並んで記念写真 藤圭子はジャムパン1つ買ってもらえなかった貧乏な家庭で育つが、当時の日本は丸ごと貧乏で、藤圭子一家の貧乏はさほど目立たなかったものと思われる。


一家は浪曲一座を率いる父親に連れられて、北海道旭川の暮らしとなるのです。そしてテレビの普及とともに仕事を奪われた両親は娘の歌の才能で食って行こうと思い立ち、上の2人の兄妹は旭川に残して、藤圭子1人連れて東京暮らしを始めるのです。


デビュー当時の貴重な写真

東京の四畳半アパートで取材を受ける藤圭子の両親曲が売れてスターとなった藤圭子の家を取材に訪れて貴重な写真を残したのは歌本雑誌の明星に違いない。いや、平凡かもしれないが、そんなことはともかくも、デビュー曲の新宿の女が売れて足の速い雑誌編集者が新人シンデレラガールの藤圭子の自宅を取材に訪れて、両親にもインタビューして、家族写真を撮ったものと思われる。テーブルに置かれる果物類などは、演出の為に編集者が買って来て配置したものと思われる。


東京の四畳半アパートで取材を受ける両親の間に入って写真に写る藤圭子大金が入って来る前の、まだ貧乏なままの藤圭子の家庭を写す貴重な写真。この東京の四畳半アパートに両親と暮らしながら十五十六十七と、夜の飲屋街を流しで歌い歩き日銭を稼いで一家の生活を1人で支えた藤圭子。


現在ではあり得ない、十五才の少女の夜の飲屋街での流しも、この写真に写る藤圭子を見れば、当時の日本では普通の光景としてあったのかもしれないと思えて来るから不思議です。


石坂まさを

演歌歌手藤圭子にとって、石坂まさをとの出会いが全てなのでしょうか。石坂まさをとの出会いは母親の澄子によって成されるのです。経緯は分かりませんが、母親の澄子が娘の歌の才能を作詞家の石坂まさをに猛烈に売り込んだことが全ての始まりの様です。石坂まさをの著書を読めばこの辺りの事も詳しく書かれている筈です。


この出会いは間違いなく運命でもありました。この出会いにより、藤圭子は後に運命の曲、新宿の女を歌う事になるのです。そしてこの石坂まさをの精神が少し歪んでいた事から藤圭子の洋々たる前途に暗い影が落とされているのを未だに誰も気付きもしません。石坂まさをが女性に対して普通の男であったのなら、自分の気持ちに素直にしたがって藤圭子を真正面で受け止めて愛してやる事が出来た筈です。しかしそれは人間の運命を担当する神様が許しませんでした。


それもこれもあれもこれも、大きな事象も鼻くその様な取るに足らない様な事もなんもかもひっくるめて、全ては運命の新宿の女へとつながって行くのです。


デビュー曲、新宿の女

藤圭子のデビューにあたっては、既に圭子の夢は夜開くも、女のブルースもこの時点で出来上がっていて、戦略的に新宿の女をデビュー曲にしたということです。その新宿の女を歌ってデビューした藤圭子は新宿の女の歌詞の通りに悪い男に騙される女となって生きて、新宿の女となって自殺してしまいます。


参照した藤圭子劇場へのリンク


藤圭子は七回も宇多田某めに騙されたのです。七回結婚して七回離婚するのです。八回目はありません。娘の宇多田ヒカリからしゃぶれる様になったから、用済みの藤圭子に寄生虫の宇多田某が寄生する事は二度とありませんでした。


楽曲としての新宿の女はえも言われぬ歌詞とコード進行になっている、名曲中の名曲です。この歌が作られた経緯については未だに知る事の出来ない私ですが、謎は謎のまま残しておいた方が良い事もたくさんあるので、あえて追っては行かないでいます。


日本人なら誰もが歌えた、圭子の夢は夜開く

藤圭子の5年遅れで人生を歩く私が当時この曲を聴いた時はまだ、園まりの夢は夜開くが耳に残っていましたが、そんなものは十五十六十七と私の人生暗かったの一節を聞いて一気に吹き飛んでしまいました。このもの凄いインパクトをともなう藤圭子の歌声を最初に聞いたのはTVで、当時大ブレイクしていた笑福亭仁鶴の番組でした。その会場が熱狂する映像を半世紀経つ今も忘れていません。


ビートルズ世代

藤圭子はビートルズど真ん中の世代なのです
尾藤イサオを羅真ん中にして歌う3人 ビートルズメドレーを熱唱する藤圭子 ビートルズサウンドで踊りまくる藤圭子リズムに乗って完璧なるダンスを見せてしまう藤圭子なのです。最後の締めでは1人外してしまうお茶目な藤圭子が映ります。それにしても一体どこでこんなスイングを覚えたのでしょうか。結構遊んだのかも知れません。実は藤圭子はグループサウンズのファンであり、追っかけまでしていた少女でもあるのです。石坂まさをに顔を叩かれて泣かされた時は必ず東中野の公園に行って、そこのベンチに座って追っかけしてるマー坊の部屋をずっと涙目で見ていたそうです。Asageiへのリンク


藤圭子の失敗

前川清との結婚の失敗

藤圭子と前川清との結婚はセンセーショナルなものでしたが、当時中学生の私の目にもそれは危うい結婚に見えました。それは前川清がまだ子供に見えたからです。結局は多くの人が予想した通りに1年で離婚となりました。藤圭子の失敗は前川清と結婚した事ではなくて、前川清と離婚した事が失敗でした。後の前川清の発言から推察するに、離婚の原因は藤圭子が股を開かなかったことにあります。初夜の時に前川清が痛い思いをさせて、そのことがトラウマとなってセックス恐怖症となった様です。男勝りの藤圭子は初夜以来、断固としてセックスを拒絶したのです。


せっかく掴んだ幸せも、十五十六十七と、女の修行が無かったばっかりに簡単に手放してしまう藤圭子です。幸せを逃したらそしたらもう不幸が待っているだけの新宿の女の人生となってしまう藤圭子なのでした。


引退の失敗

何で歌手を引退なんかしちゃったのでしょうか。ピーナッツが引退してキャンディーズが人気絶頂のその時に引退して以来、日本の女性歌手には引退と云う概念が植え付けられてしまいました。引退はキャンディーズ以来セレモニーになってしまいました。新たな人生を見つけて歌うのに疲れたら休めば良いだけなのに、ケジメは付けなければならない様な風潮に巻き込まれたのでしょうか。藤圭子はあっさりと引退してしまいます。歌に逃げられたら自分の方から追いかけて行くと言っていた、その大切な大切な歌をあっさりと手放してしまいます。

幻の愛が不幸の始まり

お待たせしました。深夜特急の発車時刻となりました。偽善者の沢木耕太郎の登場です。沢木耕太郎が頑強な藤圭子の股をこじ開けてセックスしてしまったこの事実を知った時私は驚愕したのです。ほんの半月前です。沢木耕太郎の深夜特急に感化されて香港に一週間ですが、貧乏旅行をした私です。


それは無いだろーと思ったのは沢木耕太郎がその時妻帯者だったからではありません。それは無いだろーと言うのは、藤圭子との浮気は仕様がないけども、夢を枕元で言うことは無いだろう。実行出来もしない約束をすることはないじゃないかと言うことです。沢木耕太郎は、偽善者故に藤圭子との約束を破ってしまいます。偽善者では無い私には理解出来ない事です。


そしてアメリカへ

藤圭子は歌を捨てて愛に走ってしまいます。真実は知りませんが、そう見えます。痛快事ではありますが、深夜特急に席を取ったのが運の尽きでした。15才から歌1つで家族を支えて大金を稼いだ女の演歌ドリームが終焉を迎えるのです。


ニューヨークまでの足取

アメリカのコロンビア大学に留学すると言う偽善者の沢木耕太郎の嘘を真に受けて、歌手を辞めてアメリカに渡る藤圭子が最初に降り立つのはハワイです。芸能人として馴染みのある土地であり、ファンも居る事から挨拶も兼ねてハワイに降り立ったものと思われます。ここで早速英語のスクールに通い出す藤圭子。高校に行けなかった事から学歴コンプレックスのある藤圭子はキット学ぶ事が、教わる事が大好きだったものと思われます。最終目的地のニューヨークに行っても、最初に始めるのは英会話スクール通いです。


そしてロサンゼルスに立ち寄った後に、寄生虫宇多田某の棲むニューヨークへと運命のままに吸い寄せられて行く藤圭子でした。



深夜特急とは、インタビュー作家の沢木耕太郎の代表作のタイトル名で、沢木耕太郎のことを皮肉って言ったものです。沢木耕太郎こそが藤圭子転落人生のその始まりの張本人です。


みだれ髪とは、美空ひばりが作らせた歌謡曲の頂点に立つ曲です。死の病を凌いだ美空ひばりのその一瞬の生命の期間に、1人の男が設計して美空ひばりの再起を信じて、日本を代表する2人の天才作詞家、作曲家に依頼して作らせた、わが国歌謡界珠玉の名曲です。作詞の星野哲郎も、作曲の船村徹も、もしかしたらこの任務を果たす為だけにこの世に生を受けたのかも知れません。


 

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コメント
 
1. ダイナモ[203] g1@DQ4Npg4I 2018年3月13日 00:06:24 : wdo3wDCwuo : HuPaWmJvBPw[1]
間違いだらけの記述ですね。こういうことだから藤圭子が誤解されるのです。

>当時の日本は丸ごと貧乏で、藤圭子一家の貧乏はさほど目立たなかったものと思われる。

違います。北海道時代の暮らしは文字通りの極貧生活でした。当時、藤の一家は生活保護を受けていたのですよ。このことは藤自身が言っています。今以上に生活保護に対する強い偏見がある時代にもかかわらずです。当時の藤一家の貧困ぶりは周りから同情されていたほどだったのです。まぁ、この記事でも読んでください。
http://h-keizai.com/?p=367

>上の2人の兄妹は旭川に残して、藤圭子1人連れて東京暮らしを始めるのです。

違います。兄はすでに上京して流しをやっていました。その兄が上京する藤らのためにアパートを見つけてあげたのです。

>デビュー曲の新宿の女が売れて足の速い雑誌編集者が新人シンデレラガールの藤圭子の自宅を取材に訪れて

違います。デビュー曲の新宿の女は思ったほど売れませんでした。ましてやその時はシンデレラガールなんかではありませんでした。新宿24時間キャンペーンがスポニチに取り上げられて少しづつ売れるようにはなりましたが、本格的に売れるようになったのは2曲目の女のブルースからです。女のブルースが売れてそれにつられる形で新宿の女もようやく売れるようになったのです。このことは藤が言っています。

>この東京の四畳半アパートに両親と暮らしながら十五十六十七と、夜の飲屋街を流しで歌い歩き日銭を稼いで一家の生活を1人で支えた藤圭子。

違います。六畳と四畳半の二間に台所のあるアパートです。藤がこのアパートに住んでいたのは1年だけです。それからデビューを果たすまでの1年半は石坂まさをの自宅の2階に藤だけが居候していました。上京してから藤が一人で一家の生活を支えていたという事実はありません。初めは両親だけが流しをやっていて、途中から藤も加わり3人で流しをやったのです。藤がそう言っています。

>それにしても一体どこでこんなスイングを覚えたのでしょうか。

居候時代に石坂まさをに殴られて家を飛び出し、捜してみたらゴーゴー喫茶で黒人を相手に踊っていたと当時石坂の恋人だった花井清子が話しています。藤は、時々ゴーゴー喫茶に行っていると花井に打ち明けています。

>現在ではあり得ない、十五才の少女の夜の飲屋街での流しも

違います。藤が流しをしていたのは16から17にかけてです。藤がそう言っています。警察に質問されると20歳と言い張りそれが通ったそうです。

>楽曲としての新宿の女はえも言われぬ歌詞とコード進行になっている、名曲中の名曲です。この歌が作られた経緯については未だに知る事の出来ない私ですが

圭子の夢は夜ひらくは、石坂と同じ作詞家のみずの稔からある詞を見せられたことにはじまります。そこには圭子の夢は夜ひらくの最も重要なフレーズが含まれていました。石坂はみずのに使わせてくれないかと頼み、みずのは了承します。石坂はそれに残りのフレーズを加えて作詞したのです。石坂は青山ミチが歌う「叱らないで」のメロディーの一節が浮かび、その音階を逆にしてみたら気に入ったメロディーができたと言っています。

>初夜の時に前川清が痛い思いをさせて、そのことがトラウマとなってセックス恐怖症となった様です

違います。デタラメを言ってはいけません。藤は結婚したものの前川清には兄弟のような感情しか持てなかったと言っています。離婚した後でも藤は、前川が歌手として日本一だし人間として誰よりも格が上だといい、とてもリスペクトしています。デビューして大スターになったものの、芸能界の人間関係になじめず淋しかった藤が、レコード会社が同じため企画もののアルバム制作で前川と知り合うようになり、双方が同じ境遇にあると知り、淋しさを埋めてくれるから付き合うようになったのです。それがマスコミの知るところとなり、あれこれ書かれるのが嫌だったのでいっそ二人で結婚してしまえとなったと言っています。

>何で歌手を引退なんかしちゃったのでしょうか

藤は引退の理由として、喉の結節を手術してから声が変わり、以前のような凄みのある声が出なくなり、歌うことが辛くなったと言っています。それもあるかもしれませんが、段々人気が落ちてきて事務所から、売れなくなった元スターという雑な扱いを受けるようになり、歌手としてプライドの高い藤がそれに我慢できなかったのだと思います。従って一旦休むという選択肢もありません。

>藤圭子は歌を捨てて愛に走ってしまいます。真実は知りませんが、そう見えます

違います。藤が沢木と知り合ったのは藤が引退を決めていた後です。そう藤は言っています。

それからあなたは宇多田照實のことをひどく言っていますが、そう言うだけの根拠はあるのですか。確かに照實は藤の収入に頼っていましたが、それは藤も承知の上です。藤が2000年頃から異常な言動をするようになったことは、藤の周囲の人が知っています。藤自身が妄想めいたことを周囲に言い出すようになったからです。藤が照實に騙されて自殺したなんて、藤がそんなヤワな人間だとあなたは思っているのですか。藤が自殺するまでに追い詰められた理由は、照實に騙されたからなどといった卑小なことでは無いと思います。あなたはどこまで藤を貶めるつもりですか。


2. エロ百景[3] g0eDjZVTjGk 2018年3月13日 19:24:55 : 9uo2dizYkk : jwsbOZdnFc8[1]
>>1
これは削除依頼してる記事だから返事するのも何だけども。。

最初に、そんなことも分からない私が藤圭子の人生を書きます。
と、ことわって書き出している記事です。

それに対してあなたのコメントは、違います 違いますで全て始まります。
どうやら寄生虫の記述が気に入らなくて、それで攻撃して来たというわけですか。

情けないねー。文章を読み物として読む能力もない。人間も見れないのではどうもなりませんね。

最初のうちはふむふむと、感心してコメントを読ませて頂いてたのですが、びっくりです。

汚らしい寄生虫の名前を書かないで欲しいですね。その名前を見ただけで不愉快に思う人がたくさん居られるのをご存じないのですか。

そして、藤圭子をキチガイにしないでくれますか。キチガイは貴方ですよ。キチガイが飛び降り自殺しますか。キチガイの貴方なら分かるでしょう。


3. ダイナモ[204] g1@DQ4Npg4I 2018年3月18日 00:46:02 : wdo3wDCwuo : HuPaWmJvBPw[2]
人生街道
https://www.youtube.com/watch?v=5RpT6LQrfbg
畠山みどりのカバー。詞の意味も分からない子供の時に歌って以来十五年ぶりに歌うと言っていますが、いやー凄い歌唱です。
ギター弾き語りで静かに歌いはじめるのですが、弱音から強音へのいきなりの変化。暴力的とすら言えるダイナミックレンジの広さ。
「で〜きて〜ええいるの〜さ〜 い〜つだ〜あ〜て〜」
この部分。女性が歌っているとは思えない歌唱です。


別れの旅
https://www.youtube.com/watch?v=kKknCfeWq5M
1972年のオリジナル。
前川と離婚することが決まっていた時に阿久悠が藤圭子と前川の1年の暮らしを2年に変えて作詞。
藤圭子はいつもリハーサル1回、本番1回で録音をすませていましたが、「2年ありがとう しあわせでした」の箇所で涙声になってしまい6回目でやっと録音完了。ステージで歌う時も同じ箇所で嗚咽し歌にならない。以降、ステージやテレビで歌うことを封印。B面を歌ってました。
同じ阿久悠作詞の「京都から博多」は久々のヒット曲とされていますが、オリコン最高20位止まり。一方それに続いて発売となったこの「別れの旅」はオリコン最高14位でより人気がありました。にもかかわらずこの曲が京都から博多よりも圧倒的に知名度が低いのにはこうした事情があったのです。
これほどの名曲。藤圭子がプロ意識に徹し、ステージやテレビで歌えていれば、その後の展開も変わっていたのではないかと思うと残念です。


さすらい
https://www.youtube.com/watch?v=MnGGEDup6SE
「泣いて〜くれ〜るな〜 な〜がれ〜のほしよ〜」
のちに殺人事件を起こす克美しげるのカバー。藤圭子はこういうブルースを歌わせたら天下一品。別れの旅もブルースですし、大ヒットした女のブルースはもちろん、圭子の夢は夜ひらくもブルース。
藤圭子の歌唱の魅力は低音から高音にかすれ声で引っ張り上げて爆発するところ。惻々と胸をうつ寂寥感がたまりません。


君恋し
https://www.youtube.com/watch?v=dmWqx6uRRss
フランク永井のカバー。
藤圭子の魅力的な声質の特徴が最もよく出ている録音。藤圭子はいつも真っ向勝負全力投球。圭子ワールドに染めてしまいます。
女性が歌っているという感じがしない。この表現力はオリジナルをはるかに超えるレベル。
YouTube音源の歪みがひどいのが残念。なんで藤圭子のYouTube音源は歪んだのが多いんだ。魅力の半分も伝わらない。


逢わずに愛して
https://www.youtube.com/watch?v=a0XN7edrHLo
リードボーカルが前川清の内山田洋とクールファイブのカバー。
これも声質の魅力が発揮されており、情感豊かに歌い上げています。藤圭子は発音が一音一音はっきり明確に歌うのが特徴。
「逢わずに 愛して」を他の歌手が「あい〜して」とさらっと歌うところを「あいいして」と一音一音区切って歌う。そこがまたいい。


なみだの操
https://www.youtube.com/watch?v=U3ARdQBTxlY
殿さまキングスのカバー。
どこまでも男に尽くす女歌なのに藤圭子はここでも全力投球。出だしから「あっなった〜の」とただならぬ凄みを感じさせる歌唱です。
節回し、こぶし、しゃくりあげ。持てるテクニックを総動員。この歌にこの歌唱は藤圭子にしかできません。オリジナルは3分40秒なのにこの歌唱では4分10秒と超スローテンポ。怖いほどの情感表現となっています。
こんな女に擦り寄られたら怖いです(笑


刃傷松の廊下
https://www.youtube.com/watch?v=u398NwAEDng
真山一郎のカバー。歌謡浪曲というジャンル。セリフ入りです。初めて聴いた時は度肝を抜かれました。浪曲師の母の胎内にいた時から聴いていた浪曲の素養があるのでしょう。自身、「いい歌なんだよ、凄くいい歌」と話しています。
それにしてもこれは凄いとしか言いようがありません。女性が歌っているという感じがしないんですが。男以上に男らしい。


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