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「合法化」へと向かう米欧「安楽死」の現場(フォーサイト)
http://www.asyura2.com/14/iryo4/msg/249.html
投稿者 赤かぶ 日時 2014 年 9 月 01 日 14:02:15: igsppGRN/E9PQ
 

「合法化」へと向かう米欧「安楽死」の現場
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20140901-00010000-fsight-int
新潮社 フォーサイト 9月1日(月)13時40分配信


やがて訪れる「人生の終わり」。この瞬間を、私たち誰もが避けることはできません。愛する家族や仲間に、いずれかのタイミングで、最後の別れを告げなければなりません。非常に感情的な瞬間です。死にいく人の恐怖感や孤独感、残される家族や仲間の悲しみやストレスの大きさは計り知れません。その人生の終わりを決定するのは誰でしょうか? 自分で決めるべきなのでしょうか? それとも、家族、医師、あるいは政治家や法律家が決めるべきなのでしょうか?

■「医師による自殺幇助」

 先日、スイスにおける「安楽死」の調査結果が、チューリッヒ大学の研究者より報告されました。調査によると、2008年から2012年までに、31カ国、611人が、安楽死のためにスイスの主にチューリッヒ州に渡航しています。その数は、2008年(123人)に比べ、2012年(172人)は39.8%増加しています。

 611人のうち約半分はドイツ(43.9%)、続いて英国(20.6%)、フランス(10.8%)の渡航者が多く、全体の58.5%は女性で、平均年齢は69歳(23−97歳)でした。安楽死を選択する原因となった疾患は、神経疾患(47%)が最も多く、続いて、がん(37%)、リウマチや心臓疾患でした。

【Suicide tourism: a pilot study on the Swiss phenomenon,Journal of Medical Ethics,Aug.20】

 ここで論じられている「安楽死」は、「医師による自殺幇助」を意味します。つまり、終末期の耐え難い苦痛を伴う患者さんの要請に基づいて、医師が致死量の薬剤を処方し、患者さんが自ら服用することです。現在、ヨーロッパではオランダ、ベルギー、ルクセンブルクの3つの国において、「安楽死法」として法制化されています。

 一方、英国、フランスでは安楽死は違法であり、ドイツでは、安楽死は法律では規制されていませんが、倫理的な理由から、医師が自殺の幇助をすることが事実上禁止されています。スイスでは、法律でも倫理的にも医師による自殺幇助が明確に規制されていないため、安楽死を目的とした渡航者が増えているのです。

■「尊厳死」は「自然死」

 世界で安楽死が最も受容されている国は、オランダです。オランダのメディアによると、オランダでは、安楽死を選択する人は、2006年の1923人から着実に増加し、2012年には4188人(うち3251人ががん患者)で、すべての死亡の3%を占めます。増加の理由としては、医師と患者、また家族や友人など、さらにいえば社会全体に、安楽死を抵抗なく受け入れる風潮が広がってきたのだと考えられています。2012年には、自宅に医師を派遣する“安楽死の出張サービス”までもが導入され、約80%の方が自宅で安楽死を迎えています。

【Euthanasia requests rose in 2012,DutchNews.nl,Sep.24,2013】

【Dutch euthanasia clinic offers mobile service,CNN,Mar.9,2012】

【Euthanasia cases in the Netherlands rise by 13% in a year,The Guardian,Sep.24,2013】

 ちなみに、安楽死とは区別された「尊厳死」という死の迎え方があります。現代は医療の技術が進歩し、回復する見込みが全くない状況においても、生命維持装置によって命を保つことが可能になりました。しかし患者さんにとっては、延命治療は非常に大きな苦痛とストレスになる可能性があります。そのような無駄な延命措置を拒否し、人間の尊厳を保ちながら死を迎えることを「尊厳死」といいます。

 この尊厳死は、米国では「自然死」を意味しています。現在ほとんどの州で、「患者の人権」として、リビングウィル(生前の意思表示)に基づく尊厳死や自然死が、法律で許容されています。英国、ドイツやフランスでも、リビングウィルは法制化されています。

【Healthcare and decision-making in dementia,Alzheimer Europe,Apr.27,2011 】

■米国内では5州が合法化

 尊厳死までは認められている米国ですが、「医師による自殺幇助」である安楽死の合法化については、現在激しい議論が巻き起こっている段階です。冒頭で触れた今回のスイスの報告も、米国では様々なメディアが取り上げ、議論を呼んでいます。

 米国では、1994年、オレゴン州で「医師による自殺幇助」が法律によって認められましたが、すぐには米国民全体の理解は得られませんでした。その後14年が経過し、2008年にワシントン州において合法化され、さらに相次いでモンタナ州やバーモント州においても容認されました。そして今年、ニューメキシコ州も加わり、現在では5つの州で合法化されています。そしてオレゴン州では、1998年から2012年までに、計673人が「医師による自殺幇助」による死を選択しています。

 2013年、医学雑誌『ニューイングランド・ジャーナル・ オブ・メディシン』に、ワシントン州のあるがん専門病院における「医師による自殺幇助」の詳しい状況が公表されました。

【Implementing a Death with Dignity Program at a Comprehensive Cancer Center,The New England Journal of Medicine,Apr.11,2013】

 その調査結果によれば、ワシントン州で合法化された2008年から2011年の間に、彼らのプログラムに問い合わせをしてきた余命6カ月未満の末期のがん患者114人のうち、40人が自分の意思で致死量の薬の処方を受け、うち24人が実際にその薬を服用したことによって死亡しました。

 米国での議論の場合、「医師による自殺幇助」に対する反対意見として、低学歴、貧困層のいわゆる社会的弱者や精神的疾患の患者さんへの乱用が懸念されています。しかし、このがん専門病院でのケースを分析してみたところ、「医師による自殺幇助」を選択して死を迎えた人たちの大半は、教育水準の高い白人男性であり、それまで自分の人生をコントロールしてきた、がんに苦しむ患者さんでした。

 また、仮に精神疾患の可能性がある場合、専門医などのカウンセリングを受けなければならず、そこで患者自身に判断能力がないと診断された場合は、致死量の薬の処方を受けることができません。セーフティネットともいえるそれなりの仕組みも確立しているようです。

 この調査報告によって、結果的に、同プログラムは患者と医師双方に肯定的に受け入れられてきているとの評価を受けているようです。恐らくは今後、「医師による自殺幇助」は、他の州でも相次いで合法化されていくと思います。

■まずは日本でも議論を

 こうして見てきた通り、文化や歴史などが異なる各国で、安楽死に対する考え方は様々です。ただし、多くの欧米諸国では、リビングウィルによる尊厳死は自然死だと考えられていることは紛れもない事実です。それが現状です。

 翻って日本の医療現場では、患者さんが急に重篤になったときに、リビングウィルが明らかではないため、家族も医師も混乱することがいまも多く認められます。どうしても感情的になってしまうそのような状況において、誰もが冷静な判断を下すことは非常に厳しくなります。

 私自身は、少なくとも20歳以上の成人は、誰もが人生の最後を自分自身の意思で決める権利があるべきだと思います。そのためには、早急に、医療現場におけるリビングウィルを法制化する必要があると思います。その前段として、日本でももっと安楽死についての議論が活発化することを願っています。医療現場でばかりではなく、社会全体で、そして国会の場でも、おおいに議論すべきだと思うのです。


内科医師、米国ボストン在住・大西睦子


Foresight(フォーサイト)|国際情報サイト
http://www.fsight.jp/


 

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コメント
 
01. 2014年9月03日 01:48:18 : BwJHPvup8Y
> 私自身は、少なくとも20歳以上の成人は、誰もが人生の最後を自分自身の意思で決める権利があるべきだと思います。

私もそう考えるが、

日本では金になりそうな臓器移植などはカードまで作るほどだが、尊厳死や安楽死など金にならない(むしろ儲けが減るだけ)事など、議論にも上らないのではないだろうか。
安楽死センターや認定団体を作って厚生省あたりの天下り場所にすれば事情は変わるだろうが。


02. 2014年9月26日 05:05:09 : 358VeCXh4E
「遙なるコンシェルジュ「男の悩み 女の嘆き」」
高齢男子の幼児化とマリア化する介護

それは、仕事を辞めるべき介護ですか

2014年9月26日(金)  遙 洋子

(ご相談をメールでお寄せください。アドレスはこちら)

 ご相談
親の介護が始まりました。この先、仕事をどうしようか迷っています。(40代女性)

 遙から
 「また介護が始まる」。私はある時、沸々と怒りが湧いたことがある。ひとことで介護と言っても、なぜ介護することになるかの流れは人によって違う。老いや病気、と、ひとことで片づけられない個人差がある。老いだけでも健やかに老いる人もいればいくつもの病気とともに迎える老いもある。

 前者はハイキングコースに参加するし、後者は10年来の寝たきりになったりする。その後者もまた、今の時代のように健康啓発が盛んになる前の時代の病気と、バラエティ番組でも健康のノウハウを伝え、「あれ?」と思った時にはインターネットで情報を調べられる時代の病気がある。その現代でも注意していてもなってしまう不可避な病気(ストレスなどが原因で)と、「そりゃなるだろうよ、病気」という生活習慣系の病気がある。

 私が腹が立つのはあきらかにその後者の末の介護の場合だ。つまり、健康啓発に満ちあふれた現代で、避けられた病気に巻き込まれる介護だ。

報いを受ける時は、家族もろとも

 今から要介護期を迎える世代は喫煙家が少なくない。また野菜を極端に食べなかったり。そして家事をせず動きもしないそんな時代。同世代でもせっせとスポーツクラブに通う人もいるが、定年後、特にどこかの社会参加をすることもなく家で食事だけを楽しみに生きて、趣味は喫煙、時々ゴルフ、というタイプだ。

 もう断言してもいい。このタイプは必ず将来その報いを受ける。家族もろともだ。

 思えば、定年後何もしない暮らしのなんと入院生活に近いことだろう。入院してみればわかるが3度の食事が唯一の楽しみ、身体は"誰か"が診てくれる。他人事のように、本当はいけないのだけどコソッとタバコを忍ばせて休憩室に行く。そして「やっちゃだめ」ということをやるスリリング。そうやって、身体はずっと他人事のように自分は己の欲望だけを果たし、結果、そのツケが自身の身体のみならず家族にも及ぶというのがそのタイプの介護への流れだ。

 もう他界したが、私の母が愛煙家だった。機能を失った肺をなんとか蘇生させようと医師は気管切開を迫ったが私は拒絶した。喧々諤々してようやくとりとめた命。意識を戻した母が最初にしたのは"喫煙"だった。コソッと。いたずらをするように。

 この命を救うためにいったいどれほどの人たちが努力したと思っているのかと声を荒げたことを覚えている。だが本人は「タバコ吸いたい」があるのみ。もう薬物中毒と一緒だ。タバコ会社さんには申し訳ないが、薬物中毒とタバコ依存に違いを私は感じない。それが原因で家族全員がえらい目に合っても、本人はそれをやめられないのだから。

 介護を共に歩んだはずの兄が、次なる要介護者として待機していた。喫煙と偏食を続け、運動せず、あとは「はい、介護」という流れに、介護保険を使っていいのか。使う権利はあるのか。"病気"と我々はひと言で言うが、健康努力をしていたにもかかわらず病気になってしまうのと、やりたい放題の上に病気になるのを分けたほうがいいのではないかとさえ思う。

 後者の介護を、私は「ほらよっ」とばかり投げつけられた介護としか思えないからだ。あるドキュメンタリーで介護を受ける男性の心的苦痛を、妻や介護士がまるで赤子をあやすように取り囲んでケアする光景を見た。「ほら、前向きに生きてみようよ」と男性の笑顔見たさに女性たちが囲み込む構図に私は違和感を覚えた。

 高齢男子の幼児化の姿がそこにあった。周りはマリア様だらけ。その光景事体"天国"に映る。

オロオロし、甘え、オロオロするばかり

 愛煙家で病気になったタイプは、私の経験上何を言っても馬耳東風であることが多かった。運動嫌いも同様。まだ健康な頃から幼児を扱うように外出を促し、ようやく外出しても本人の頭の中は「どこでタバコを吸えばいいのか」に占められる。

 すると家族全員がやっと外出してくれたご褒美に「タバコを吸える場所探し」に日々刻々の行動を縛られる。外出するなりどこで授乳できるかと思いながら赤子を連れ歩く母親のプレッシャーのように。結局、家が最もタバコを吸いやすい場所として落ち着く。つまりまったく歩かず喫煙だけを続ける生き方に家族が根負けする。

 やがて足の筋肉は萎え、まるで2本の箸のようになり、腹だけはでっぷりと内臓脂肪で飛び出す。本人はテレビで流れるCMで、薬局で購入できる程度の薬で気をまぎらわす。だが運動は絶対しない。家族の悲痛な「もう介護はこりごりだから、タバコをやめて運動してくれ」という叫びも聞き流し、案の定、介護が始まる。

 本人は本人なりにオロオロしているのだ。前の世代の要介護者の苦痛を見てきている。それでも自分だけは努力せず、苦しい前例を見てきたのにもかかわらず、その前例を追うように自分も動けなくなっていく。

 病気の恐怖を知り、知っているぶんオロオロし、だから安易な番組情報で「トマトジュースが身体にいい」と聞けば毎日ジュースは飲む。だが、そんなレベルの健康法では取り戻せないほど病んでいる事実は、見なかったこと、聞かなかったことにする。

 ジュースを飲みながら、いっさい運動せず、喫煙を数分ごとに繰り返し、そして病む。その間ずっとオロオロとしながら。

将来の介護要員を生む環を断ち切らねば

 我が家の寝たきりはほぼ全員がこのルートをたどっている。私が過敏なまでに健康志向なのはその反動ともいえる。努力していてもストレスで病気は誘発されるし、努力する暇がないほど忙しく倒れる人もいる。だが定年後のある高齢男性はなんの努力もせず(本人は最も安直なものに手を出し、喫煙と相殺したつもりでいる)、「ご飯まだ?」と言いながら、要介護者になっていく。

 女性たちは説教したり、あやしたり、なだめたり、総マリア化する構図がこのタイプの介護スタイルだ。

 亡き母がそうだったように兄もまたずっと死ぬまでタバコを止めないまま、心の不安をマリアたちに吐き、マリアたちはだだをこねる幼児を叱りながら、その聞き分けのなさにまたタバコを与え、そうやって10年ほどの人生を幼児の介護に捧げる。

 私の経験してきた介護とはそういうものだ。こちらが説教をしている限り、本人は赤子のように他人事でいられる。どこか甘えているような表情もする。自分の替わりに必死になってくれる他者を眺めていると、安心を感じるのだろう。そういう幼児がえりを要介護者に見てきた。健康へと努力してくれと頼もうが本人が望んで病気になった。しまったと必死になるのがまた家族という理不尽な方程式から逃れる術はないのだろうか。

 たった一度の心筋梗塞でピタッと禁煙できる人を、大人、といいたい。それは本人の「しまった」がそれを可能にするからだ。「喫煙してたら本当に心臓にくるんだ。ヤッベー」という感覚は大人でなくとも高校生でもできるはずだが。

 家族がうるさく言い、家族が「しまった」と思っている限り、そこにいるのは何歳であっても幼児だ。幼児だからこそ「だって吸いたいんだもん」と吸い続ける。そして「病気が怖いよー」とエンエン泣き続けるというわけだ。だから周りの大人が「よしよし」と「これっ!」を繰り返す。

 日経ビジネス本誌で介護要員として労働人口が減る将来を訴えているが、老化=介護、ではない。どう老化するかにすでに将来の介護の有無を含む。それは現役で労働している年齢からすでに始まっており、成人病体型で愛煙家でアルコール好きで運動嫌い、というある種類の生き方が肯定的に存在する限り、否応なしにその将来に引きずりおろされる介護要員が誕生するのだ。好きに生きた結果、誰かが引きずりおろされるのだ。

「大人同士」が助け合う仕組みに

 介護が怖いのではなく、病気でもなく、老いでもなく、今現在の生き方が将来の"誰か"を労働から引きずり降ろす行為なのだ。こういった幼児化した生き方から、本来の自分の身体であるべき自覚を持つ大人としての「しまった」があれば、ある程度、介護年齢は引き上げられるはずだ。病気も本来避けられるものは避けられるはずだ。

 健康努力をした人がそれでもなってしまった病気のみ介護と位置付けるなら、介護要員の数は圧倒的に減ると私は思う。達者なお年寄りと、不幸にも病気になってしまった人たちでできあがる社会になるはずだ。私の憤りは、不幸にも病気になった人の介護に対してではない。なるべくしてなった病気のツケをなぜ現役労働者がその現場から離れるというツケの支払いをせねばならないか、にある。

 私は「よしよし」と要介護者をあやすマリアタイプではない。だから虐待ギリギリの自制心で向き合うことになると予測できる。そして介護ヘルパーはじめ、その圧倒的な女性比率の高さに、なにが企業の女性登用だ、と思う。介護が、あらゆる生き方を肯定的に引き受けるマリア様型である限り、どれほど女性を登用しようが介護期には女性は職場を去る。

 これまでは介護現場にあまり役に立たなかった兄をはじめとする高齢世代の男性の在り様を見てきたが、今、私はそちらの方が正しいのではないか、と思えてならない。役に立とうとするからマリア化する。役に立たなければ、自分の生きたいように生きた人はそのツケを自分で支払う人生が待つだけのこと。「介護で仕事を辞めます」という方に問いたい。

それは仕事を辞めるに足る介護ですか

 それはあなたが仕事を辞めるに足る介護ですか。辞めて診てあげたいと思える生き方をしてきた方の介護ですか。マリア化しない自責の念から逃れるための介護ではありませんか。高齢者が皆介護を必要とするのではない。"長期介護"が仕事を辞める決断を促す。健康寿命が長ければ子は仕事を辞めずともその時期を共有するのも不可能ではないはずだ。

 団塊世代の兄は救急車でも病院の引き受け先がなかった。いよいよ団塊世代の病院たらいまわし流浪時代の幕開けだと感じた。

 集団的自衛権の是非を問う番組の制作者が言った言葉が忘れられない。「これからの日本のあり方を考える時、集団的自衛権の議論も必要ですが、それより直近の、高齢者が医療を受けられないとんでもない時代をどうするのか。そうした議論もまた、この国のあり方を考えるのに、とても重要なことだと思う」。

 「介護をとるか。仕事をとるか」。それが全国民的に迫られる時代が本格的に始まろうとしている。ここでは、どちらが正しいかということを言いたいのではない。老い=介護=職場撤退、の構図そのものに、違う、と一石を投じたかっただけだ。

このコラムについて
遙なるコンシェルジュ「男の悩み 女の嘆き」

 働く女性の台頭で悩む男性管理職は少なくない。どう対応すればいいか――。働く男女の読者の皆様を対象に、職場での悩みやトラブルに答えていきたいと思う。
 上司であれ客であれ、そこにいるのが人間である以上、なんらかの普遍性のある解決法があるはずだ。それを共に探ることで、新たな“仕事がスムーズにいくルール”を発展させていきたい。たくさんの皆さんの悩みをこちらでお待ちしています。
 前シリーズは「男の勘違い、女のすれ違い」


3. 2015年10月21日 08:22:33 : jXbiWWJBCA
2015年10月20日 橘玲
相続より「死の自己決定権」について議論しよう[橘玲の日々刻々]

 日本はこれから、人類史上未曾有の超高齢化社会を迎えます。2020年には人口の3分の1、50年には約4割を65歳以上が占めると推計されており、どこの家にも寝たきりや認知症の老人がいるのが当たり前になるでしょう。

 そこで話題になっているのが「終活」で、エンディングノートや遺言の書き方、相続を争続にしないための財産分与、葬儀や墓、戒名を自分で決める方法など、さまざまなアドバイスが巷に溢れています。しかし、これがほんとうに「いかによく死ぬか」を考えることなのでしょうか。

 オランダでは1970年代から安楽死合法化を求める市民運動が始まり、80年代には安楽死が容認され、94年には、自殺未遂を繰り返していた50歳の女性を安楽死させた精神科医が「刑罰を科さない有罪」という実質無罪になりました。

 この女性は22歳で結婚して2人の男の子を産みますが、夫の暴力で家庭生活は不幸で、長男は恋愛関係のもつれを苦に20歳で拳銃自殺してしまいます。息子の死のショックで精神に異常を来たした彼女は、精神病院から退院すると夫と離婚、次男を連れて家を出ますが、その直後に次男はがんであっけなく死んでしまいます。

 生き甲斐だった2人の息子を亡くした女性は大量の睡眠薬を飲んで自殺をはかるものの死にきれず、かかりつけ医に「死なせてほしい」と頼んでもあっさり拒否され、自発的安楽死協会を通して精神科医と出会います。

 この精神科医は彼女を診察し、「自殺願望を消す方法はなく、このままではより悲劇的な自殺をするだろう」と診断し、同僚ら7人の医師・心理学者と相談のうえ、致死量の即効睡眠剤によって患者を安楽死させたのです。

 自殺幇助罪で起訴された精神科医は一審、二審とも「不可抗力」として無罪、最高裁では、第三者の医師を直接患者と面談させなかったとの理由で形式的な有罪となりました。この歴史的な判決によって、肉体的には健康なひとが自らの意思で「平穏に自殺する権利」が認められたのです。

 その後、ベルギーやルクセンブルグなどヨーロッパの他の国でも自発的安楽死が認められるようになります。スイスにいたっては外国人の安楽死も認めているため、ドイツやイギリスなど安楽死できない国から「自殺旅行者」がやってきます。彼らの多くは末期がんなどを宣告されており、家族や友人に囲まれ、人生最後の華やかなパーティを楽しんだあと、医師の処方によってこころ穏やかに最期の時を迎えるのです。

 日本では自殺の半数は首吊りで、電車に飛び込んだり、練炭自殺するひともあとを絶ちません。ヨーロッパでは、「いつどのように死ぬかは自分で決める」というのが当たり前になってきました。

 同じ人生を生きてきたのに、なぜ日本ではむごたらしい死に方しかできないのか――。それを考えるのがほんとうの“終活”だと思うのですが、残念なことに日本では、「死の自己決定権」というやっかいな問題から目を背け、相続や葬儀、戒名など、死んだあとのどうでもいいことばかりが熱心に議論されているのです。

参考文献:三井美奈『安楽死のできる国』(新潮新書)
『週刊プレイボーイ』2015年10月13日発売号に掲載

橘 玲(たちばな あきら)

作家。2002年、金融小説『マネーロンダリング』(幻冬舎文庫)でデビュー。『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』(幻冬舎)が30万部の大ベストセラーに。著書に『日本の国家破産に備える資産防衛マニュアル』(ダイヤモンド社)など。中国人の考え方、反日、歴史問題、不動産バブルなど「中国という大問題」に切り込んだ最新刊『橘玲の中国私論』が絶賛発売中。●橘玲『世の中の仕組みと人生のデザイン』を毎週木曜日に配信中!(20日間無料体験中)
http://diamond.jp/articles/-/80246


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