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システム欠陥で双方「青信号」と判明 JR川越線の上下線電車対面接近 別の保安装置「赤」で衝突回避(東京新聞)
http://www.asyura2.com/14/it12/msg/308.html
投稿者 蒲田の富士山 日時 2023 年 6 月 27 日 14:08:38: OoIP2Z8mrhxx6 ipeTY4LMlXiObY5S
 

2023年6月27日 06時00分

https://www.tokyo-np.co.jp/article/259085

 JR川越線で今年3月、単線区間に上下線の電車が同時に進入して約600メートルまで接近したトラブルは、運行を制御するJR東日本のシステムの欠陥が原因で、上下線の信号がいずれも青(進行)になったためと分かった。JR東は既に修正を済ませたとするが、山手線や東海道線など運転本数が非常に多い首都圏の列車を差配するシステムの欠陥だけに「国の運輸安全委員会などによる徹底調査が必要」という指摘も出ている。(嶋田昭浩)

◆強風によるダイヤ変更の際に「ATOS」誤作動 
 トラブルは3月2日午後9時50分過ぎ、川越線の指扇さしおうぎ(さいたま市)―南古谷ふるや(埼玉県川越市)間で発生。2本の電車は計約200人を乗せたまま、約2時間半停車し、上り電車を後退させて復旧したのは3日未明だった。
 本紙が独自に入手した報告書によると、強風による電車の遅れで、ダイヤを変更した際にJR東の東京圏輸送管理システム(ATOS)が誤作動したという。

――――――――――――――――
<ATOS> JR東日本が1996年の中央線を皮切りに順次導入。輸送指令が入力した列車ダイヤの変更を駅に配信し、信号機と線路の分岐器(ポイント)を自動的に制御するなどの機能がある。同社ウェブサイトは「2〜3分間隔で列車が走る首都圏の高密度線区において、列車の自動進路制御を可能にし、その運行状況をリアルタイムに把握できる世界最大規模の運行管理システム」と紹介している。
――――――――――――――――

 トラブル直前、JR東の指令員は、上下線の電車のすれ違い場所を南古谷から指扇に変更する指示をATOSに入力。ところが、指扇の信号は変更前の予定に従って既に青に変わっていたため、下り電車は進み続けた。
 本来、システムがこの状況を検知し、指令員の指示を受け付けない仕組み。ところがシステムエラーが起き、南古谷の信号も青になり、上り列車も発車した。単線区間内の信号は別の保安装置が作動して赤のままで、衝突を免れたという。

◆既に不具合は改修 識者「運輸安全委員会の徹底調査を」
 報告書はシステムを製作した日立がJR東に提出。列車の運行状況と操作のタイミングによって誤作動の可能性があったと認め、JR東に謝罪している。
 日立の広報担当者は取材に「お客さまの設備なので当社は(詳細を)説明できない」と回答。JR東は「(システムとは別の)保安装置が正常に動作し安全上の問題はなかった。不具合箇所のシステム改修を3月4日に実施し、対策は完了している」と答えた。
 曽根悟・東京大名誉教授(交通システム工学)は「システムの設計ミスが原因で、本来あってはならない事故と言える。ATOSは、人員削減を主眼に導入されてきたが、人が行うべきダイヤ変更などの運転整理を、機械が正確に理解できていない事態が明らかになった」と指摘。「利用者に不安を与えただけに、国の運輸安全委員会が重大インシデントとして徹底して調査し、類似の事例を防ぐ必要がある」と話した。

◆「止まれ!」輸送指令が叫んだ…トラブルの背景に何が
 川越線で今年3月に起きたトラブルは、JR東日本の輸送管理システムの欠陥が引き金となった。鉄道の現場では「デッドロック」と呼ばれ、「あってはならない事故」。単線区間に上下線の電車が同時に進入して立ち往生した背景に、いったい何があったのか。
 「輸送指令が『止まれ!』と無線で叫んでいたと、周辺の列車の乗務員から報告があった」。JR東日本輸送サービス労組(約2800人)の世良隆次・教宣サークル部長は話す。
 トラブルの元となった「東京圏輸送管理システム(ATOS)」は、日立製作所がJR東と共同開発し、1996年に導入。交通システム工学が専門の曽根悟・東京大名誉教授によると、ATOSは当初、ダイヤ変更などを行う「運転整理」機能は不要とされ、プログラム上の問題の修正期間も十分に取らずに実用化した結果、問題が山積した。
 曽根氏はトラブルの背景に「京王電鉄をはじめ先行する民鉄のシステムは運転整理も含め慎重に準備を進めた。だがJR東は、運転を熟知しないプログラムの専門家が、後から運転整理機能を追加した経緯があった」と解説する。
 JR東の関係者からは「システムを日立に依存しすぎており、ATOSは社内でもブラックボックスのようになっている」という声も漏れる。その日立もトラブル直後の3月4日にJR東へ提出した報告書で、誤作動の背景に不明点が残っていると認め、トラブル防止対策を講じた場合の影響が「完全に見極められていない可能性がある」と記しており、不安は尽きない。
 だが国土交通省も今回のトラブルは、衝突や脱線など重大事故が起きる恐れのある事態「インシデント」には当たらないとし、主体的な調査などは行わないとみられる。松本陽あきら・元運輸安全委員会鉄道部会長は「今回はATOSが安全な列車運行に支障を及ぼすような信号制御を行っており、従来のインシデントには含まれなくとも、安全上避けるべき事態が生じている。インシデントを幅広くとらえ、新たな事象を追加する姿勢も必要だろう」と指摘した。

【関連記事】東海道線の列車が武蔵小杉に行ってしまった理由は…直前の列車通過を検知できず、分岐が切り替わらなかった
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コメント
1. 蒲田の富士山[1774] ipeTY4LMlXiObY5S 2023年6月29日 13:15:13 : EDK0k1tlsA : N1IxMjFrWEpLLkU=[22] 報告
<■98行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
連想してしまったのが、近鉄特急の衝突事故。
ヒューマンエラーなのか、システムエラーなのか??

以下Wikiから引用(脚注の[xx]を省略しています。

―――以下引用

近鉄大阪線列車衝突事故(Wiki)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91%E9%89%84%E5%A4%A7%E9%98%AA%E7%B7%9A%E5%88%97%E8%BB%8A%E8%A1%9D%E7%AA%81%E4%BA%8B%E6%95%85

近鉄大阪線列車衝突事故(きんてつおおさかせんれっしゃしょうとつじこ)とは、1971年(昭和46年)10月25日に三重県一志郡白山町(現・津市)にある近鉄大阪線垣内(かいと)東信号所(現在複線化により廃止)付近の総谷トンネル内で発生した列車衝突事故である。一般的には「青山トンネル事故」とも呼ばれる。

概要
1971年10月25日15時37分頃、近鉄大阪線西青山駅 - 東青山駅(両駅は現在とは異なる場所にあった)間の青山トンネル東口手前200 m地点で、上本町(現・大阪上本町)発近鉄名古屋行き特急114列車(12200系12202F・12000系12001Fの4両編成、主要駅停車の通称「乙特急」)が、自動列車停止装置(ATS)故障のため誤停止した。この日は本件事故以前にも、青山トンネル内で上り5本、下り1本の列車が同様に緊急停止する事象が起こっていた。原因究明のため現場に派遣された信号保守要員が地上子周りを検査したが、故障原因が特定できなかったため、信号保守要員や東青山駅の助役は電話で中川信号区に連絡し、計測器その他を持ってくるよう要請した。
運転士はATSを解除しようとしたがブレーキが緩解できず、停止地点は下り33 ‰の急勾配であったため、やむを得ず車輪に手歯止め(ハンドスコッチ)を挟み、各車輌の供給コック(ブレーキ装置からブレーキシリンダーにエアを供給するコック)をカットし、ブレーキシリンダーのエアを全部抜くという非常措置を行った。これは制動不緩解故障の際の基本手順通りであった。
しかし、列車停止を聞いて東青山駅から駆けつけた同駅助役が、運転士との何らかのやりとりの後に手歯止めを外してしまい、運転士は供給コックをカットしたまま運転室に戻ってブレーキを緩解した。その結果、114列車は走り出したが、供給コックがカットされていたことからエアの再充填ができず、ブレーキが効かない状態で連続33 ‰の下り勾配を暴走し始めた。この時、114列車の乗客は乗務員から後部車両へ避難するよう指示された、と証言している。
15時58分頃、114列車は東青山駅 - 榊原温泉口駅間にあった垣内(かいと)東信号場の安全側線を推定速度120 km/h以上で突破し脱線転覆、左カーブであったため本線の切り通しへ転落した。3両目以降は総谷トンネル入口付近の壁に激突して止まったが、先頭の2両が横転した状態でトンネル内へ突入、直後に対向してきた賢島発京都・近鉄難波(現・大阪難波)行き特急1400N(1400K)列車(12200系12226F・10100系C編成10118F・18200系18205Fの7両編成)が前方の異変を察知して非常ブレーキをかけるも間に合わず、両列車は正面衝突した。
これにより死者25名(1400N・1400K列車の運転士・車掌と114列車に乗っていた東青山駅助役の計3名および乗客22名)、重軽傷者288名を出す大惨事となった(中日新聞1971年11月9日朝刊や、『関西の私鉄』には負傷者354人と記されている)。
なお、1400N・1400K列車は前方5両(12200系・10100系)が大阪難波行きであった一方、後方2両(18200系)は京都行きで、折しも京都で医療関係者の学会が行われる予定であったことから複数の医師が乗車しており、その医師らによって応急治療が行われた。その他、地元白山町上之村地区をはじめ、榊原温泉では旅館組合が中心となって負傷者の救出に、白山町役場では対策本部を手早く設け、町役場職員、地元消防団、地元住民等が現場にいち早く到着し救出活動、地元婦人団体が炊き出しを行い、救助作業に大いに貢献した。
事故直後の模様は、事故現場に唯一直接たどり着くことができた報道機関であったNHKのテレビ取材班によって、全国に報道された。

事故後の調査
東青山駅助役が死亡したため、事故後の調査では114列車の運転士が供給コックをカットしたまま運転室に戻った理由や、手歯止めを外す際の運転士と助役の連絡状況などは明確には解明できなかったが、1973年6月に津地方裁判所で行われた裁判で弁護側の主張はほとんど採用されず、同地裁は名古屋行き特急の運転士に禁錮10か月、執行猶予2年を宣告。一審で確定し、近鉄はこの運転士を懲戒解雇処分とした。
その後の調査で、事故の発端となったATS故障の原因は、ATS電源装置のヒューズの端子締め付けナットの緩みからくる接触不良によるものと判明した。事故当日はATS装置の故障が相次いでおり、本件事故で5回目の故障だった。それ以外にも現場を通過した列車は多数あったが、接触不良の間欠性によって通電している場合としていない場合があり、列車によっては正常に通電していたのでATSの誤作動が発生せずに現場を無事に通過できたものと推測されている。また事故を起こした特急は、東青山駅から2.7km名古屋寄りの垣内西信号所前を異常な速度で通過した事実があり、この事故はブレーキが何かの原因で壊れたうえに、33‰の急勾配のため暴走した。

影響
事故現場が山間のトンネル内という悪条件が重なり、普段は地元の人たちでさえ滅多に通らない獣道を使って、救急車が待機する場所まで負傷者を人力で運んだ。体力が尽き、担架に載せられたまま絶命した負傷者もいたという。遺体は現場の付近の寺や小学校の講堂に運び込まれた。事故現場のおよその状況が分かったのは事故発生から2時間後、死傷者数の情報が掴め始めたのは3時間以上も経ってからだった。16時頃、東青山変電所から「ブレーカーが飛んだ」「架線の断線事故があった」との報告があり調べたところ、本件事故が判明したという状態だった。
復旧作業は10月28日の午前中に終了し、同日13時16分、事故から69時間ぶりに運転再開した。同日から翌日にかけて、バラストを固めるため事故現場を中心に30 km/hの徐行運転を実施した。しかし、この時点では名阪ノンストップ特急は引き続き運転を取りやめていた。
本件事故を重く見た近鉄は、かねてより予定していた大阪線の完全複線化を前倒しして行う事を決定した。まず、事故区間を含む榊原温泉口駅 - 垣内東信号所間に新総谷トンネル、新梶ケ広トンネルの2つの複線トンネルを開通させ、この区間を先行して複線化した。その後、1975年11月に青山トンネルに替わる新たな複線用トンネル(新青山トンネル)が開通したことで工事が完成し、西青山駅および東青山駅も同時に移転。かつての青山峠越えの旧駅などは廃止された。
114列車の各車両(12200系12202F・12000系12001F)は廃車となったが、1400N・1400K列車の各車両(12200系12226F・10100系10118F・18200系18305F)は修理の上で復旧されている。

2. 蒲田の富士山[1775] ipeTY4LMlXiObY5S 2023年6月29日 13:33:25 : EDK0k1tlsA : N1IxMjFrWEpLLkU=[23] 報告
↑この事故について、人から聞いた話なので、信憑性あるかどうか、わからないが、複線から単線区間に移る際には、ダミー線というのか、逃げ線があり、もちろん行き止まりだが、正面衝突は最低限避けることができる。近鉄の件では、この逃げ線へのポイント切り替えが自動で行われていて、そのプログラミングに欠陥(バグ)があり、作動しなかった。ということだ。
プログラマーなりSEなりは、責任を問われない??
3. 蒲田の富士山[1776] ipeTY4LMlXiObY5S 2023年6月29日 16:26:56 : LGoQDLqvXE : WUxaSW1keW9Ma1U=[23] 報告
この話はずいぶん前のお話なので、Wikiのほうを信用するとすると、「垣内(かいと)東信号場の安全側線を推定速度120 km/h以上で突破し脱線転覆、左カーブであったため本線の切り通しへ転落した。3両目以降は総谷トンネル入口付近の壁に激突して止まったが、先頭の2両が横転した状態でトンネル内へ突入、直後に対向してきた賢島発京都・近鉄難波(現・大阪難波)行き特急1400N(1400K)列車(12200系12226F・10100系C編成10118F・18200系18205Fの7両編成)が前方の異変を察知して非常ブレーキをかけるも間に合わず、両列車は正面衝突した。」
側線(逃げ線)にははいっていたわけね。
4. 蒲田の富士山[1778] ipeTY4LMlXiObY5S 2023年6月30日 12:16:19 : LGoQDLqvXE : WUxaSW1keW9Ma1U=[24] 報告
「安全側線(分岐)を推定速度120 km/h以上で突破し脱線」とも読める。
とすると、やはり分岐がトンネル側を向いてた?


コメント1の訂正
(脚注の[xx]を省略しています。
   ↓
(脚注の[xx]を省略しています。)

5. 蒲田の富士山[1813] ipeTY4LMlXiObY5S 2023年7月12日 14:49:47 : LGoQDLqvXE : WUxaSW1keW9Ma1U=[28] 報告
「安全側線(終点)を推定速度120 km/h以上で突破し脱線」という事か?
脱線したまま、車体は本線に合流しちゃったわけ・・・。
安全側線は本線のすぐ隣なので、側線終点車止めを突破しちゃったら、本線に脱線合流しちゃうわけか・・・。

そうすると、私の聞いた話っていうのが、嘘だったのかな?

まあ、それにしても、もっともらしい嘘だった。

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