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問われる「言論・表現の自由」と宗教 仏 新聞社襲撃事件  BLOGS
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投稿者 ダイナモ 日時 2015 年 1 月 10 日 08:18:12: mY9T/8MdR98ug
 

今月7日、イスラム教預言者モハメッドの風刺で有名なフランスの新聞社シャルリー・エブド社がイスラム教徒と思われる男2人に襲撃され、編集長や風刺漫画家など12名の方々が亡くなりました。亡くなられた方々やご家族のことを思うと本当に胸が痛みます。どのような理由にせよ、暴力によって人を傷つけたり命を奪うというやり方は決して許されません。このような事件が二度と起きないよう祈りつつ、事件の背景を考えてみたいと思います。

■預言者モハメッドの風刺漫画を掲載し続けてきた新聞社

報道によると、犯人の男2人は逃走の際に「預言者モハメッドの敵討ちだ」と叫んだといいます。この新聞社は以前からイスラム教で神聖とされている預言者モハメッドの風刺漫画を掲載し続け、火炎瓶を投げいれられたり、反人種差別法で訴追されたりもしている、イスラム教を風刺することについては筋金入りの新聞社だったようです。

このような編集方針を貫いてきた新聞社の真の目的が何なのか、残念ながら私には知るすべはありません。しかし、預言者として崇拝するモハメッドを風刺漫画で嘲笑されてきたフランスのイスラム教徒の方々の反発は容易に想像できます。今回の事件はある意味、起こるべくして起こってしまったともいえるのではないでしょうか。

■幼少から宗教教育を受けるイスラム教徒

シンガポールでは国民の約13%がマレー系イスラム教徒です。イスラム教徒の家庭に生まれた子供たちはほとんどが小学校入学の頃から週末にイスラム教の宗教クラスに通います。ここでは預言者モハメッドが神から啓示されたという聖典コーランの講義やお祈りの仕方などが教えられ、子供たちは日々の生活の中でどうマホメッドの教えを実践していくかを勉強していきます。

大人になってからも宗教と一体のは続きます。一日5回のお祈りは多くのイスラム教徒が行っており、毎週金曜日は礼拝所であるモスクでの祈りと年1度の断食月が教義で義務づけられています。また、大人が生涯を通じて聖典コーランを学ぶ宗教クラスも多くのモスクで定期的に開催されています。私のシンガポールの親友はイスラム教徒ですが、彼女も長年にわたり熱心に宗教クラスに参加していて、イスラム教についてわからないことを聞くと教えてくれたり、即答できないときには宗教クラスの先生に聞いたり自分で調べたりしてくれます。このように多くのイスラム教徒にとって信仰と日常生活は密接に結びついていて、祈りやコーランはなくてはならない大切なものなのです。

■宗教への侮辱とは何なのか?

今回の事件で亡くなられた新聞社の編集長は以前、NHKのインタビューに応えて「イスラム教徒を侮辱するつもりはないが、風刺や批判をする自由は許されるべきだ」という意味のことを話していらっしゃいました。しかし、風刺や批判される人々にとって、どこまでが侮辱で、どこまでがそうでないのかは本人でないとわかりません。

例えば、昨年12月、ミャンマーでニュージーランド人のバーのオーナーが「宗教侮辱罪」で逮捕されました。理由は、仏陀がヘッドフォンをつけているイラストを広告に使い、仏教を侮辱したから。実際にそのイラストを見ましたが、文字通りヘッドフォンをつけている普通の仏像で、私にはただのお洒落なイラストにしか見えませんでした。しかし、熱心な仏教徒の多いミャンマー人々の目には「仏教に対するたいへんな侮辱」と映ったのです。逮捕されたオーナーは「これが仏教に対する侮辱だとは思わなかった。たいへん反省している」と語っているそうです。

もうひとつの例は「Oh my God!」という英語のフレーズです。日本人でもときおり使っている方をみかけますが、キリスト教圏では4文字言葉とまではいかなくてもかなり「品の悪い言葉」と認識されています。理由は旧約聖書のモーセの十戒に「神の名をみだりに口にすることなかれ」という戒めがあり、「God」という言葉を使うこと自体が教えに反すると考えられているからです。ですから、多くの家庭では子供がこのフレーズを使うと親から注意され「my goodness!」や「Oh my!」などに言い換えるように教えます。

このように、いくら本人に悪意はなくても、こと宗教がからむと相手が「侮辱された」「不愉快だ」と思ってしまう場合も少なからずあるのです。

■ほとんどが善良で常識的なイスラム教徒

近年、アルカイーダやタリバンのテロ行為や非常に好戦的なイスラム国の台頭などにより、先進諸国ではイスラム教徒への風当たりが強くなっています。このような国々では、イスラム教徒だというだけで入国審査が厳しくなったり、女性ではヒジャブと呼ばれるスカーフをつけていると白い眼で見られたり、という差別が頻繁に起こっているようです。

しかしごく少数の過激なグループを除き、ほとんどのイスラム教徒はほとんどのキリスト教徒や仏教徒と変わらない、善良で常識をわきまえた人々です。にもかかわらずイスラム教徒であるというだけでいわれのない差別を受け続けていたり、大切に守り、心のよりどころとしている信仰が風刺されたり批判をされたりしていれば、どんなに平静を保とうとしても堪忍袋の緒が切れてしまう、ということもありえます。特に若者の場合は今回の事件のように鬱積した怒りが暴力となって噴出してしまうケースも少なからず出てくるでしょう。それがまたイスラム教徒に対する怒りや差別をうむという悪循環に陥っているように思えてしかたありません。

■言論と表現の自由は他人が大切にしているものを侮辱するためにあるのではない

以前、シンガポールの言論の自由について書きましたが、建国当初からさまざまな宗教や人種の人々が協力し合って国作りをしてきたシンガポールでは、とりわけ宗教や人種に対する言論と表現の自由は厳しく規制されています。仲間内の冗談ではあっても、マスコミを含め公式な場で侮辱的な発言をすることは決して許されません。

今回の事件をただ「言論の自由を暴力で封じる許せない行為」と切り捨て犯人を糾弾するだけで終わらせるのではなく、逆にこの事件を教訓に、自分たちと異なる宗教や信条を尊重し、多様なな信仰や考え方をもつ人々が調和して暮らしていくための「言論と表現の自由」とは何なのかを、もう一度考え直すべき時期に来ているのではないでしょうか。そして二度とこのような事件が起きない社会に変わっていけるよう、願ってやみません。


http://blogos.com/article/103068/  

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コメント
 
01. 2015年1月10日 12:43:48 : aQq0UGoaxY
このBLOGOSの後藤百合子というオバハンはクルアーンも読めないISISのメンバーが人殺しをしているのを知っているのか。
彼らはイスラム教徒を殺しているのだ。

仏の新聞社襲撃事件に宗教が関係していると思い込ませたいためにこんな記事を書いているのだろうが、殺された人からして襲撃犯はイスラム教の戒律を守っているように見えない。

馬鹿オバハンがウソ記事を書いてもすぐにバレるよ。


02. 2015年1月10日 13:36:51 : CSst5vbVCg
>>1

ずいぶん、興奮して書いてるけど、この事件の背景をどうとらえているかが書いてないので、何が言いたいのかよくわからない。

小生は、思想的背景での殺人(小生はこれをテロとは呼ばない)は、必ずしも殺人者がその思想の深部や周辺を十分理解して起こすわけでもなく、思い込みや偏見・短慮で実行することも十分ありうると思う。
さらに、フランスはイラクやシリアで空爆中であり、当然国内における反撃も想定しうる。ある意味、現代の非対称型戦争の一種。報道機関は、ペンの武器を持つ戦争最前線であるから、当然に攻撃対象。
そう思えば、すべてが小生には納得できる。



03. 晴れ間 2015年1月10日 18:10:33 : FhUYgDFvAt2/E : xni5yVaf3k
明日、日曜日、ほとんどの善良なイスラム教徒は、今回のテロに反対して表現の自由を擁護するために、全国的な統一行動に参加するでしょう。
表現の自由を擁護するということは、他人の権利ではなく自分の権利と自由を守ることなのです。脅しには屈しないということです。

日本人の女って、どうしてこうポイントの外れたものの捉え方をするのでしょう。東京新聞の女性記者?といい、本当に「???」としか言いようがないですね。もっと、世界標準で、理性的に考える能力を身につけましょう。

テロの実行犯は、イスラム教徒musulman ではなく、イスラムを騙る過激派islamiste にすぎません。イスラムについて勝手な解釈をしないようにしましょう。
すでに、フランス国内のモスクでは、イマムたちがテロを強く批判する説教を行っています。
islamistes は同胞である?イスラム教徒を殺し、今回のようにユダヤ系の商店を襲撃対象にしています。これが、平和の宗教であるイスラムというのでしょうか。バカを言いなさい。

風刺漫画紙は確かに預言者を風刺に使っています。しかし「憎しみ抜き」のユーモラスな風刺です。そのどこが悪いのでしょうか。
無暗に何かを信じ込む心性を擁護して、カルト的蒙昧を奨励するのは、カルトに侵されやすい、頭の弱い国民の特徴なのかもしれません。

「自由」というのは西洋の人々が闘いながら、時に血を流し、命を賭して勝ち取ってきたものです。今回も、その血が流れたわけです。
旧植民地を始めとする非西洋の人々も、西洋から自由と権利を獲得する方法を学び、歩んできたのです。(西洋と非西洋の関係は相互的なものです。一方的なものではありません。)
今回は、チュニジアなどがイスラム原理主義の野蛮と戦う方法について、フランスに協力を申し入れているみたいです。
ノーテンキな日本人の女には理解できないことなのかもしれませんが。

それから、アラビア半島のアルカイダがフランスを敵視する理由の一つは、マリなど西アフリカで、フランスにより自分たちの勢力拡大が阻止されたからだそうです。



04. 2015年1月10日 19:00:31 : 77Kno4ENaM
これは大人が書いた文章ですか?中学1年生なみの正義感あふれる歯の浮く空論ではありませんか。こんなものを発掘してきて掲載する投稿者ダイナモとはものを考えるという人間の特性をもたない日本人であるか?
「事件の背景を考えてみたいと思います」と始まったのに、しまいには
「言論と表現の自由とは何なのかを、もう一度考え直すべき時期」
「二度とこのような事件が起きない社会に変わっていけるよう、願ってやみません」
おめでたい日本人ねぇ。
結局言いたいことは、わたしは平和主義者で、お題目を考え直せと勧め、争いの無い世の中を願っている善良な人間なのよ、ということ。

この日本人女のようにエセ平和主義は世界標準からほど遠いことを学習しない人間がいる。歴史的にも地域的にも多くの人間社会で通用してきた平和のつくりかたをしらないか。
過去も現在も多くの人間が考える「平和な社会」のつくりかたは、自分たちが作りたい社会に都合の悪いものはなくなった欲しい、都合の悪い人間は排除する、という仕方なのだよ。
古くはカルタゴやユダヤを抹殺したローマ帝国を見よ。ローマの平和と繁栄を脅かす天敵はもう見たくない、いなくなれば平和だ、としてそれを実践したのだ。
大東亜戦争後のアメリカは大日本帝国はもう存在させたくないと徹底的な精神破戒を行って成功した。
歴史上勝利を得た人間が自分たちの「平和」を実現するには粛清が欠かせないのだ。そうした人間の真実の現れを学習すれば、「2度とこんなことがなくなる社会を願う」などという戯言がどんだけボケてるか知れるというものだ。
 


05. 手紙 2015年1月10日 19:13:30 : ycTIENrc3gkSo : okYIEeje0U

今回の件は言論表現の自殺行為。

なぜ、今、イスラームの預言者を侮辱するようなカリカチュアなのか?

動機が不純で思考が浅いのではないか。

自由。

まず相手の自由を担保するために、

生粋のフランス人こそ、彼らを批判せねばならない。

多くのフランス人も、宗教の中で生きているんだろう?

融和。

融和への道は遠い、果てしなく遠い。

だからそのためにこそ、時に自由を纏い、時にペンを武器にする。

ノートルダムの鐘は、誰のため何のために鳴ったのだろう…


06. 2015年1月11日 21:25:23 : IGQHlRuxno
このパリでの事件、報道の仕方が変だと思いませんか。
背景にプロパガンダの匂い。
表現の自由、というが、宗教上の侮辱が表現の自由なんでしょうか?

07. 晴れ間 2015年1月12日 05:17:02 : FhUYgDFvAt2/E : xni5yVaf3k
>>06

変ではないです。全然。

革命で国王を処刑し、その後も、反革命の側に立ったカトリック教会と100年以上にわたって闘ってきたのが、フランス共和国、フランスの民主主義の伝統ですから。

宗教的蒙昧は、戦うべき対象です。
もちろん、信仰の自由は認められますから、宗教は個人の内面的自由としては許されます。国家と市民社会と両立しうる宗教活動は、当然許されます。

しかし理性的な思考力を奪うカルトは有害であるとして、フランスでは禁止されます。創価学会も統一教会も、フランスではカルトと認定され、禁止されています。

1月11日の反テロ示威行動では、フランスの全ての合法的宗教団体の指導者も、デモの先頭に立って行進しました。フランスでは最も古い(ボビニーの)モスクのイマムの顔も真ん中に見えます。(仏教関係者もいますよ。) 皆、共和国の原理を支持すると言明しています。
信仰の自由(信仰しない自由も含めて)も、表現の自由も、共和国の原理である自由の根幹にあります。

あ、フランスの極右政党FN(国民戦線)の創設者、ジャンマリー・ルペンは、「自分はシャルリではない」(「シャルリエブド」は支持しない)と語っています。彼によれば、シャルリエブドはアナルコ=トロツキズムなんだそうです。
日本人は秩序大好き人間だから、ルペンとの親和性が高いのかな。
移民排撃を主張するFNは、パリでの統一行動に参加することは許されませんでした。彼らがデモに加わると、移民排撃の主張を認めることになるからです。

表現の自由 liberté d'expressionとは、自分の意見を表明する自由のことです。作家や芸術家の占有物ではなくて、全ての人間にかかわる自由です。
自分が何を言いたいのかわからない人、そんなこと考えてもいない人、他人(国家、マスコミ、、、)が言うことを鸚鵡返しに言うだけの人は、表現の自由なんて分からないのではないでしょうか。


08. 晴れ間 2015年1月12日 05:34:37 : FhUYgDFvAt2/E : xni5yVaf3k
>>07

一般常識のレベルのことですが、共和国(=共和政)というのは、君主制の反対概念です。君主、例えば王や皇帝や天皇を戴かない体制のことです。
フランスでは、「自由と民主主義」とほぼ同義です。
単なる議会制民主主義ではなく、「世俗」(非宗教、宗教勢力の介入を許さない)によって担保された体制です。

非宗教は、単に国家の原理というのではなく、理性を狂わせる宗教的蒙昧を断固排するということです。
イスラミスムは、蒙昧の最たるものでしょう。宗教(信仰)としてのイスラムと、イスラミスムを混同してはいけません。



09. 2015年1月12日 16:41:16 : soWh5t2z1M
>>08

晴れ間さんの書いていることは建前論で実態と離れているな。
ではなぜ、フランスはアフリカでリビアで中東でイスラム教徒に爆弾を降らせミサイルをぶち込んでいるのかね。イスラエルやアメリカには同じことをしないのかね。

だいたい、キリスト教国でイスラムを馬鹿にして「表現の自由」とは笑わせる。
風刺とは、弱者が権力を笑い飛ばすものだろう。
「表現の自由」を守れなんて集まって抗議デモなんかやってる連中のほうが、
まともな思考ができないのでは。
共和国の理念なんて言うのも一種の政治カルトなんだよ。


10. 2015年1月13日 23:13:11 : U9cItZHqtM
>>08
あなたの言っていることは建前、きれいごとばかりだね。

>フランスでは、「自由と民主主義」とほぼ同義です。
単なる議会制民主主義ではなく、「世俗」(非宗教、宗教勢力の介入を許さない)によって担保された体制です。

シリアのアサド体制もイラクのフセイン体制も世俗主義を採り共和国を名乗っていたけれど潰したのは「自由と民主主義」の体現国アメリカと欧州だったじゃないか。
フセイン体制は潰れ、アサド体制はからくも生き残っているけれども、イラクは宗派主義と人々の不満を生き血を啜るがごときに喰らい乱立するあなたの言うイスラムカルトが跋扈し、そこを苗床にしながらシリアの一部を食い尽くしてイスラム国がアラブを引っ掻き回している。
イラクにもシリアにも「世俗」(非宗教、宗教勢力の介入を許さない)はあったけれど、「自由と民主主義」は確かに無かった。
しかし普遍的な「自由と民主主義」に値しないからといって、あるいは独裁国家だからと言って、それを理由に他国が一国の主権を侵してよいなどということはない。
しかも前体制より酷くしておきながら、その企てにフランスも噛んでいたいう事実を無視して、

>フランスでは、「自由と民主主義」とほぼ同義です。
単なる議会制民主主義ではなく、「世俗」(非宗教、宗教勢力の介入を許さない)によって担保された体制です。

などとヌケヌケ言うのは盗っ人猛々しいと俺は思うけどね。



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