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カストラート
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投稿者 ピノキ 日時 2015 年 3 月 08 日 02:52:18: /cgEbzQ/iEx0c
 

カストラートとは、成人男性の体力を持ちながら、少年の声を保持している男性歌手のことである。実際、カストラートの時代は不幸な時代だった。彼らはどのような人々だったのか。その答えは、ぞっとするような風習―宗教の名のもとに行なわれた切除手術―と関係がある。


西暦325年のニケア公会議で定められた第一カノン(公会議規則)では、自らを去勢した男性は司祭職に就けないことを明示した。キリスト教世界の宗教指導者たちはこのような決定を下すことで、異教由来の忌まわしい風習を永久に除去しようとする。ところが、この風習はやがてローマ・カトリック教会の中で、教会の歌唱のために促進されるようになる。


歌唱は東方正教会やローマ・カトリック教会の典礼の中で重要な役割を演じており、教会の聖歌隊の主力はボーイ・ソプラノであった。しかし、少年は十代の初めに声変わりする。そのために聖歌隊の隊員が絶えず変わり、それに伴って訓練が必要になる。その問題を教会はどのように克服しようとしたのか。ファルセット(裏声)がしばしば用いられたのは事実だが、ボーイ・ソプラノの代わりになるものではなかった。ボーイ・ソプラノに代わるものと言えば明らかに女性ソプラノだったが、教皇は昔から女性が教会で歌うのを禁じていた。
1588年、教皇シクストゥス5世は女性が教会だけでなく公共の劇場やオペラハウスの舞台で歌うことを全面的に禁じる。それから約100年後、教皇インノケンティウス11世もその禁令を繰り返す。しかし、教会はこうした不動の立場を取りつつも、カストラートの問題を招くことになる。


オペラ劇場や公立劇場はソプラノ歌手を必要としていたが、教皇庁の聖歌隊も同様だった。少年は去勢すれば、声変わりを起こさないことが、すでに長い間知られていた。声帯はほんの少し大きくなるだけだが、胸郭や横隔膜は普通に発達する。その結果、カストラートは成人男性の体力を持ちながら少年の声を持つことになる。「バチカンの秘密の公文書保管所」という本の中のマリア・ルイーザ・アンブロジーニの言葉を借りれば、「み使いたちが持っていると考えられていたような声」だったという。
ギリシャ教会は12世紀以来、カストラートを聖歌隊員として採用していたが、ローマ・カトリック教会はどうだったのか。
バチカンにカストラートがいることは、1599年以来認められていた。教会の最高権威者がこの風習をひとたび公認すると、カストラートは受け入れられるものとなった。特にカストラートのために宗教音楽と世俗音楽の両方を作曲した人たちの中には、グルック、ヘンデル、マイヤベーヤ、ロッシーニなどがいる。


カストラートはたちまち人気の的になった。例えば、教皇クレメンス8世(1592–1605年)はカストラートの声の柔軟性と美しさに非常に感動したと言われている。去勢にかかわった人間は
だれでも破門されることになっていたにもかかわらず、教会の音楽上の必要が大きくなるにつれ、大勢の年若い少年がしだいに集まるようになっていく。「当店では少年を去勢いたします」という広告を出した店もあったと言われている。ローマには、「教皇庁聖歌隊の歌手は当店で去勢された」と誇らしげに宣言した理髪店が1軒あった。18世紀のイタリアでは4,000人ほどの少年がそのために去勢されたであろうと言われているが、その手術の際にどれほどの少年が死んだかは知られていない。


親はどうして息子がそのような切除手術を受けるのを許したのか。カストラートは大抵、貧しい親から生まれた人たちだった。息子に何らかの音楽の才能のあることが分かると、その子を、時には公然と音楽院に売ることができた。ローマのサン・ピエトロ大聖堂の聖歌隊や同様の教会の学校から引き抜かれる子供たちもいた。もちろん、親たちは、息子が有名なカストラートになって、自分たちの老後の面倒をよく見てくれることを願っていた。
教皇ベネディクトゥス14世は自ら昔のニケア公会議の決定に言及し、去勢は不法行為であることを認めた。しかし、同教皇は1748年に、カストラートは禁止すべきであるという司教たちからの提案を退けた。もし禁止したなら、教会が空っぽになるかもしれないことを恐れたためだ。教会音楽の魅力と重要性はそれほど大きかった。それで、聖歌隊のカストラートたちは、イタリアの教会の聖歌隊の中で、またサン・ピエトロ大聖堂や教皇のシスティナ礼拝堂の中で歌い続けた。


去勢反対の世論が盛り上がった1898年に、教皇レオ13世は慎重に行動し、バチカンのカストラートに恩給を与えて退職させ、同教皇の後継者である教皇ピウス10世は1903年に、教皇の礼拝堂でカストラートを用いることを正式に禁止した。しかし、カストラートを導入した教皇シクストゥス5世の大勅書が正式に撤回されたことはなかった。


最後のプロのカストラートだったアレッサンドロ・モーレスキーは、1922年に亡くなる。その歌は1902年と1903年にレコードに吹き込まれたので今でも聞くことができる。そのレコードのラベルには彼のことが、「システィナ礼拝堂のソプラノ歌手」と記されている。音楽評論家のデズモンド・ショー‐テーラーは、「その声は疑いもなくソプラノであるが、少年の声にも、女性の声にも似ていない」と書いている。


そのアレッサンドロ・モーレスキーの歌がこれだ。



 

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コメント
 
01. 2015年3月08日 09:22:06 : SjpcN9BriI
異教由来の忌まわしい風習とは、中国の宦官制度のことを言ってるのかな?

歌のほうは、お婆さんが歌ってるみたいな感じね。
そう思って聞くと、映画フリークスのような、奇形を見る時の面白さがある。

では


02. 2015年3月08日 14:39:26 : 6RvWO7E8Us
宗教的な意味合いの去勢は、西アジアや地中海地方でも広く行われてました。
エフェソスのアルテミス神殿には処女と閹人が仕えてましたし、ヒエラポリスのアスタルテをたたえる儀式の際には男性が自らを去勢したと言われてます。
キリスト教会内でも、2,3世紀の人オリゲネスは「天の王国のゆえに自らを閹人とした閹人がいる」(マタイ 19:12)というイエスの言葉を文字通りに解釈し、自らを去勢しています。何年か後に彼はそのことを大いに後悔しますが、彼を手本とし追随する者がいたかもしれません(Wikiによると彼は古代キリスト教最大の神学者でしたからw)。

(ピ)


03. 2015年3月08日 15:32:41 : SjpcN9BriI
なるほど、いろいろあるんですね、去勢の風習というのは。

自ら去勢したというのは、「自分で切った」ということなのかな(キャアアアアー)

湯川さんが、去勢による自殺を図ったらしいけど、あれは、・・・・・99.9パーセントの男が同意するだろうが・・・・、「ありえない」自殺の方法なのね(笑)何かやむにやまれないものがあったのか・・・、あるいは、宗教的な幻想みたいなもんがはいってるのかもね。「自分を浄化したい」みたいなね。

オレは、自分を浄化するならば、身体の皮膚を、アタマからヒッベがして、裏表逆さにし清流でジャブジャブ洗う・・・みたいな幻想がよいですな(笑)

ではでは


04. チベットよわー 2015年3月08日 21:38:57 : Xy93FIMaJupUQ : cBa5MPKO5k

何年か前に東京で、男性が生殖器切除してそれを料理して全員で食するとかいう有料の集会が
摘発されていたな。もう男を捨てる心構えのできた人間、つまり性転換者ならそれも自宅出産のような感覚でありえるのかもしれない。

しかしそうで場合はやはりかなり度の強い狂気が伴うことは容易に予想される。宗教的理由であろうが職業的理由であろうが芸術的理由であろうが狂気をプロモートするアイデアには賛成できないなあ。

一高の学生で「自慰がやめられない」と遺書を残して自殺してしまった奴がいたが、自分が邪な情動に支配されることを拒絶する意識というのは知的な青年にはつきもの。しかし問題は煩悩が生じること、生物としての再生産に心身が順応していくことにあるのであって、排尿器官まで失うことはナンセンスだ。

僕の自浄とはあっけなく訪れた。はじめて海外に出て中南米系のデカい女がかがんだ姿を後ろから観察していたときのことだ。ケツの先から子宮口までおそらく40センチ以上はありそうなそのセックス機能体に自分の性がはじかれてしまったのを実感した。騎乗位で物理的に膣の筋肉の一部とコンタクトを持ったところでやはり淫らに十分たりえるセンセーションは生じないだろう。この手の女にとって俺は性的対象にはなりえないのである。その認知こそが自浄であった。逆に小柄な邦人女性なんかで収縮する度に外れるような不自由の中にいかがわしさがあるのかというとそれも違う。やはりある程度のコンパティビリティ―の下に、そのユトリや心地よさに後押しされたココロの隙間に卑しさが生じるのだろう。


ゴッホが耳を切ったのだって一つの自殺的試みだったろうね。


05. 2015年3月09日 08:07:31 : 6RvWO7E8Us
人というはとんでもないことを考え出すもんだね。

桑名正博がアンルイスの出産に立ち会った際、女性器は子供を産む場所だと感動した、なんて話してたことを思い出した。

(ピ)


06. 2015年3月09日 20:27:47 : odP8cf5fGg
そういや、昔読んだフロイドの本で、去勢コンプレックスというのがあったな。幼少期に、自慰行為を母親に見つかって「そんなことしていたらオチンチンをちょんぎっちゃいますよ」と脅され、後年それが、強迫神経症かなんかの原因になるみたいな・・・。(詳細は忘れた)

やはり男にとって、去勢というのは究極の恐怖なのだろうな。チベ氏の体験なんかも、象徴的な意味での去勢なんだろう。自分のイチモツが性的に無用の長物、なくてもよいものになっちゃうという。だから、トラウマになっちゃう。

いやー、この投稿、カストラートという存在の痛ましさ、奇形の持つ邪悪さ、底意地の悪さとおぞましさ、面白いですえね、怖かったですね。それでは、また、お会いしましょう。さいなら、さいなら、さいなら(笑)


07. チベットよわー 2015年3月10日 10:51:52 : Xy93FIMaJupUQ : E3EMgHlKRi

>やはり男にとって、去勢というのは究極の恐怖なのだろうな。チベ氏の体験なんかも、象徴的な意味での去勢なんだろう。自分のイチモツが性的に無用の長物、なくてもよいものになっちゃうという。だから、トラウマになっちゃう。

ごきげんいかがですか。

40センチの女は、ガソリンスタンドと合体したAM/PMのレジの近くにしゃがんでいたオバサンでした。私も『都市中心部ラッシュアワー朝晩駆け込み野郎』の経験が長かったので、激デブには慣れっこであり森久美子レベルでは驚かないのですが、やっぱ120Kg超級の霜降りロースで腰高サイ型というのはびびりました。こんな女の相手ができるレッドネックやウェットバックと同じ俳句の会には参加できねえな、と悟りました。自分の男性が完全に否定されたので、秋の空のように澄み切ったすがすがしい気持ちで40センチ女には接せるかもしれないと思いましたが、それ以降極デブとの縁はありませんでした。

『収縮する(が起きる)度に外れる』というのはたぶん違う意味です。でもどっちでもいいです。一般論であり、私事ではないので。

いやあ、それにしてもカストラートっていいものですねえ。


08. 2015年3月10日 12:00:33 : 5CkloJ9rfw
なんと、40センチは誇張ではなかったのか(笑)

https://www.youtube.com/watch?v=4q7199FlrgU

こういう映画があった。カストラートオペラ歌手の自伝映画ね。
しかし、英語字幕の位置が微妙なのよな・・・。
別の字幕がかぶさって見えにくい。

オレこの話、全然しらなかった。
こういうのがあるから音楽板はいいんだよな。

それでは


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