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2014.02.15 中国で見た日本の軍人(リベラル21)
http://www.asyura2.com/14/senkyo161/msg/536.html
投稿者 gataro 日時 2014 年 2 月 15 日 11:11:02: KbIx4LOvH6Ccw
 

2014.02.15 中国で見た日本の軍人
メール通信「昔あったづもな」第5号   
小澤俊夫 (小澤昔ばなし研究所所長)
http://lib21.blog96.fc2.com/blog-entry-2682.html
              
 ぼくは小学校入学の一年前、1936年(昭和11年)、父の仕事の都合で瀋陽(当時の奉天)から北京に移住し、翌年、北京の日本人小学校に入学した。その頃、北京在住の日本人は約700人といわれていた。ところが1937年(昭和12年)7月に、いわゆる盧溝橋事件が起き、日中戦争が勃発して、日本軍が北京周辺を制圧すると、日本の軍人、民間人が瞬く間に増えていった。ぼくが一年生の時には1クラスだったが、二年生の時には2クラスになっていた。
 
 日本軍が制圧した北京市だから、日本人は威張っていた。あるとき、ぼくの目の前で洋車(ヤンチョウ。人力車)がとまり、日本の兵隊が降りてきた、と思ったらそのまま歩いて行ってしまった。料金を払っていないのである。あれっ、と思って見ていると、洋車引きが追いかけていって、手を出した。すると、兵隊は腰のサーベルを半分くらいさっと抜いて洋車引きをにらみつけた。洋車引きはあとずさりして、何か叫びながら逃げてきた。兵隊はサーベルを鞘に収めると、そのまま行ってしまった。
 ぼくは子どもながらに、これはおかしいと思った。料金を踏み倒して、サーベルを抜いて脅かすとは何事か、とぼくは腹を立てた。日本の兵隊のいやな面を見てしまった思いで、今でも忘れられないでいる。
 
 北京には日本軍の野戦病院が開かれた。それは中国で最も権威有る大学とされていた清華大学だった。清華大学は現在でも中国の中心的な大学である。それを占領して野戦病院にしたのであった。日本で言えば、東京大学を占領して野戦病院にしたようなものである。中国の文化人たちは、「なんと野蛮なことだ」と思ったことだろう。
  小学三年と四年の頃、ぼくはよく、クラスの友だちと、あるいは母に連れられて、傷病兵の慰問に行った。地雷で片脚を失った兵隊、目をつぶされた兵隊、片腕をもぎ取られた兵隊など、胸がふさがるような病室だった。兵隊たちはぼくら子どもが慰問にいくと、とても喜んで、ぼくらの周りを取り囲んでいろいろな話をしてくれた。

 ほとんどは戦場での手柄話だった。進軍していって、途中の畑で人が働いていると、それが老婆であれ、子どもであれ、必ず射殺したものだ、何故なら、その老婆が、われわれのことを通報する可能性があるからだ、という兵隊もいた。敵に自分たちの行動を知られたくないためだという。その兵隊は、手柄話として得意になって話したのだが、ぼくは、子どもながらに、おばあさんや子どもまで射殺するとは、ひどいことだと思った。でも兵隊にしてみれば、スパイを働く人間としか見えないのだろう。
 
 もっとすごいことを、得意になって話す兵隊がいた。抵抗分子が潜んでいるとみて、ある村に進軍した。ところが撃ってこない。どこかに潜んでいるに違いないが、村を捜索してもそれらしき男はいない。そこで、村人全員に食料を配給するという知らせを回した。そして、集まってきた村人を一軒の農家に入れて、農家に火をつけた。農民は大混乱におちいったが、外へ脱出した者は機関銃で皆殺しにした。
 この話は怖かった。でも、兵隊は手柄なのだから、得意になって話した。周りの兵隊たちも満足そうに聞いていた。ぼくはこどもだったけれど、後で思った。これは人殺しじゃないか。戦争でなかったら明らかに犯罪だ、と戦争への疑問が生まれた経験だった。
 
  南京攻略の時のことを話してくれた兵隊がいた。南京城をめぐる攻防は激しく、なかなか埓があかなかった。そこで最後には毒ガス攻撃をしたと、得意げに話した。毒ガスは国際的に使用禁止になっていることは知っていたので、ぼくは驚いた。だが兵隊たちは、当たり前のように話していた。
   また、しまいには膨大な数の投降兵がでたので、奴らに溝を掘らせ、その前に一列に並ばせておいて、機関銃で1遍に片付けたもんだ、と言った兵隊もいた。これは具体的に場面を想像してみると、すさまじい場面である。後に、南京大虐殺として国際的に糾弾された事件だったのだと思う。
  こういう話を、みんな手柄話として、得意満面で話して聞かせるのであった。ぼくらはこわごわ聞いた。それでも、後から、「これは普通の時ならば犯罪じゃないか。戦争だからいいのかなあ?」という疑問はいつも抱いていた。

  1941年(昭和16年)5月、ぼくたち家族は日本へ引き揚げ、東京府の立川市にすむことになった。その頃、戦地に対して国内のことを「銃後」と呼んでいた。明らかに軍国主義国家の生んだ呼び方である。
  戦地から銃後に移住してくると、男たちが次々に召集されていく場面をたびたび見ることになった。父が、夫が、息子が赤紙で召集されていった。家庭では、赤い召集令状が来ると、涙をこらえて別れをし、国防婦人会のたすきを掛けた婦人たちに見送られて入隊していった。近所の住民たちは、弾丸除けの千人針を作って召集兵に贈り、武運長久を祈った。立川駅では町会や隣組の人たちが万歳三唱して召集兵を見送った。「軍国の母は泣かない」と常日頃いいきかせられているので、母や妻たちは涙を見せず、立派に見送っていた。
 
  残された家庭では、慰問袋を作って、戦地にいる父、夫、息子に送った。そこには心を込めた品々が入れられた。皆、戦場の父は、夫は、息子は皇軍兵士として立派に行動しているものと信じていたのである。
  ところがぼくは、戦地での日本兵を知っていたので、そこに大きな差があることに気がついた。銃後では愛する父であり、夫であり、息子である者が、戦地では老婆でも子どもでも無差別に射殺する鬼のような日本兵になる事実。村人たちを一軒の農家に閉じ込め、火をつけて皆殺しにする日本兵になる事実。多数の捕虜を並ばせておいて、機関銃でなぎ倒す日本兵になる事実。この大いなる乖離は、銃後にいる人は全く知らない。愛する、優しい父、夫、息子が立派な殊勲を立てて帰国する日を、ひたすら待ちわびているのである。

  一人一人の人間の、この大きな分裂を銃後の人は知らない。戦地から来る知らせは、せいぜい父が、夫が、息子が戦死したという悲しい知らせである。敗戦後の日本人は忘れてしまっている。無事帰還した兵隊は、家族には何も話さなかった。そのことは、多くの婦人たちが証言している。帰還した元日本兵にしてみれば、平和になった故郷で、家族に話せるような体験ではなかったのだ。

  逆に、外国、特に直接の被害を受けたアジアの人は、、優しい父、夫、息子という日本人は知らない。彼らにとって日本人は、残虐行為をした人間そのものなのである。その認識に基づいて、日本人の犯罪行為の追及が行われる。ところが、日本人にとっての日本兵は、やさしい父、夫、息子なのである。われわれ日本人は、あの戦争のことを考えるとき、目線の方向によって日本人像がまったく異なることを忘れてはならない。つまり、銃後の、そして戦後の日本国内での日本人像を描きながら戦争を論じたら、世界的には全く通じないのである。

  あの戦争は、動機はいろいろあったにせよ、アジアへの侵略戦争であった。そしてその中で残虐行為があった。無関係な女性を引っ張り回して慰安婦とした事実もあった。銃後の人は知らなくとも、アジアの人は知っていた。そして、日本は1945年8月にポツダム宣言を受諾して、無条件降伏をしたのである。
 つまり全体主義をやめ、民主主義国家の仲間に入れてもらうことを約束したのである。だから、全体主義時代に犯した罪を償うのは当然のことである。それをちゃんとしてこないで、なんとなく賠償して、これですんだ、としてしまっても、外国は了承してくれない。今日本はそういう状態に陥ってしまっている。

  一言で言えば、政治家たちは歴史から学ばず、銃後の目で見ているだけなのである。そして、敗戦は終戦になっているから、全体主義は継続して生きているのである。その「日本を取り戻す」ためには官僚機構が強くならなければならない。そこで「特定秘密保護法」が必要なのである。戦争中の「銃後」の世界と戦地での日本兵の世界の乖離を、遅まきながら、しっかり把握して政治を行わなければ、日本は国際社会から置いてきぼりにされてしまうのである。(2014/01/28)

 

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コメント
 
01. 2014年2月15日 11:37:38 : 7W3lDIixQw

 そう言えば子供の頃からずっと不思議に思っていたんだけど、どうして読売ジャイアンツだけ「巨人軍」って軍隊みたいな言い方してきたんだろうね?
 
 バット持った殺人集団みたいな名前だろ?
 
 

02. 2014年2月15日 11:39:08 : SYBnefOvOA
ウヨはこういう話を聞いても
「作り話だ歪曲だ」となどと
言い聞かせてるんだよな


自分に


wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

[12削除理由]:アラシ

03. 2014年2月15日 13:02:53 : GMNqFLVG1g
>>2
作り話でも、パリ不戦条約に調印した以上は
殺した事実として認められることを教えなかった当時の
「日本人に害毒をなす軍部司令」は死刑になるんですけど。

04. 2014年2月15日 13:09:03 : SYBnefOvOA
>>3
何が言いたいのかよくわからんのだが、
ソレを理解すべきは俺なのか?ウヨなのか?
そこをはっきりさせてくれ

[12削除理由]:アラシ
05. 2014年2月15日 13:16:35 : KfEwPKp97j

まったく悲しい話だ。こうやって日本は平和国家になったと、政府も言い庶民もそう思ってきた。


ところがどうだ。アメリカの経済が揺らいだり原発事故を起こしたりしたら、

あらゆる策士が百鬼夜行する日本になってしまった。

その日本にいろいろ仕掛けて一山当てようという外国の政治家まで出現してないか。


つまり国際環境も外国政治家のムーブ方向も激変した。
その中で日本人の歴史を知らない人びとを動員する政治が開始されているわけだ。
国内政治だけ見ていてはでは見失う資金と動員が国際的にかけられている。あたかも外国ファンドの巨額資金が国境を超えるように。


百歩先走って勘ぐれば、安べは忠実な下僕ではないか。日本人オウンゴールのためのヒーローだ。

安べやヒャク田が狂言と軍事費拡大をやればやるほど、中国指導部は頭にくるしアメリカに頼る。安べが吹き上げるほどアメリカは中国指導部とネンゴロになれるし、正義の味方になれる。

アジアで孤立し市場を失い、最後はまたアジアと殺し合いをさせられるための疑似英雄だ。

先の大戦を日本人自身が歴史的に教訓化してこなかったからこそ、また再び転落しつつある「アジアの先進ヒーロー=アジア侵略の番頭」の路線だ。

あべ日本の再軍国化とでもいうようなもんを望む勢力や外国指導者が、アジアにも欧米にもいるであろう。「右傾化日本」なるもの国際的登場でもって国際的国内的におおいに利益を上げる人たちがいるであろう。


アジアの指導者とも民衆とも和解するには(してきたハズだったが)
日本人がどう利用されてきたバカだったかを日本人自身がエグリださないことには始まらない。日本人の歴史対決だからだが、それにとどまらない。

アジアの指導者の中にも、一部日本人のように、利用されて対立を煽り世界に戦争を起こして出世しもうける、そういう番頭路線に立ち至ってしまったひとが、いる、かもしれないからだ(誰とは言わないが)。

===


自衛隊の銃弾提供事件とは、解釈改憲による日本の「集団的自衛権」を、韓国や国連の一部が協力して遂行してるってことだ。

自衛隊の軍拡はどんどんやってくれたほうが嬉しい一部中国指導部がいることだ。


こうした相互挑発や第三者挑発を、世界の民衆がどう断ち切るのか。
この投稿は非常に有意義だ。が今までの平和運動のままに元へ回帰してはもったいない。今かけられてる国際的な戦争政策をやめさせてほしい。

騙されて殺人鬼にさえされてしまった血の出る教訓を、今現在のあべとその操縦者のペテンを暴くために生かしてほしい。中国や韓国、アメリカでも行われているであろう戦争のためのペテン。それを暴く民衆の努力とも結合してほしい。

(ネトウヨとして戦争広告代理店が売り出している思考回路は、中韓しかない近視眼だ。昨夏シリアのときのネトウヨは当初、妙に少なく大人しかった、爆撃に反対してるやつまでいたし。)

ユーゴではある日突然、平和な市場で爆弾が破裂した。民族憎悪があおられた。犯人は一方的に決めつけられた。「民族浄化」があったとされた。

対馬の仏像(その名も百済名の)が盗まれ以後あおられた。従軍慰安婦があったのは事実だが、それを今日の民族憎悪に転化させて得をしようとする政治家が国境の両側と第三国にいるのではないか。

そんな課題に、この有意義な投稿元の話を活かすとはどうすべきであろうか。



06. 2014年2月15日 14:46:31 : vuQpagMXxI
まるでベトナム戦争のソンミ村の虐殺の情景とそっくりだな..病院で,子供達に人を殺した話をして得意になっている傷病軍人か.

一体,どんな日本人が,こんなことを,本当にしたのだろうか.
驚いてしまう.

清華大学はアメリカのルーズベルトが清朝に作ってあげた大学ですね.
義和団事件の賠償金で.
その頃の日本軍人は北京で義和団と戦って租界を守り,
各国から勇敢で規律正しいと賞賛されていたのですがね.


07. 2014年2月15日 14:56:47 : GMNqFLVG1g
>>4 はい、もちろん理解すべきなのはウヨの側です、
この当時から、連合国の側についた各国軍部の指導者から
末端の兵士やメディアに対して緘口令が敷かれてます。
武勇伝は口外せず、敵軍が如何に残虐で「連合軍側」に損害を
与えたかばかりに重点報道されるようになりました。

後のヴェトナムでもイラクでもアメリカ政府は戦線布告せず、
味方の被害だけが大々的に報道されて、「敵認定」された存在に対する
戦果の発表も、パリ不戦条約で許されたものに限られてます。
勝手に「武勇伝」を実行した兵士には不公平は箇所が多いですが
侵略者としての行為をしたと認定される連中には一応罰則を与えています。


08. 2014年2月15日 16:09:53 : mCgYvGbta6
この小澤俊夫さんは小澤征爾の兄弟、お父さんは小澤開作という歯科医師で、協和会の幹部だったのではないかな。ちなみに小澤征爾の征は板垣征四郎、爾は石原莞爾から来ている。ばりばりの大陸侵略派ですわな。

09. 2014年2月15日 18:11:26 : SYBnefOvOA
>>8
>ばりばりの大陸侵略派ですわな。

100歩譲って、それが小澤開作の思想信条であったとしても、
その息子が子供目線で感じた印象の吐露と
いったい何の関係があるのか?

[12削除理由]:アラシ

10. 2014年2月15日 19:51:36 : 9yrMv8RSfQ
もう昔の話だが、関西のある大学で学んでいる中国からの留学生と親しくなった。彼は日本政府からもらう奨学金のかなりの部分を中国政府に上納していたので、ずいぶん切り詰めた生活をしていた。ある日彼の下宿に行って驚いた。近郷農家の畑のそばに立てられた立派な宿舎で、広い8畳間、電化製品はもちろんのことシャワーやトイレも個室に完備されていた。当時私が住んでいた下宿より何倍も快適である。しかも下宿料はタダと聞いてまた驚いた。

わけを聞いて納得した。実は家主は中国で戦った元兵士で、彼への宿舎の提供は中国に迷惑をかけたせめてもの償いの気持ちからである。当時そのような中国に償いをしたいと願う旧兵士の団体が関西にはあり、彼だけでなく多くの留学生がその便宜を受けているとのことであった。この投稿を読んで彼のことを思い出した。戦場と銃後、銃後と戦後のギャップをこのような形で埋めようとした日本人もたくさん居たのである。



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