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国家は、なぜ性表現を規制?表現の自由の危機?警察は珍妙な指導、最高裁判断とズレも(Business Journal)
http://www.asyura2.com/14/senkyo173/msg/855.html
投稿者 赤かぶ 日時 2014 年 11 月 04 日 07:39:06: igsppGRN/E9PQ
 

国家は、なぜ性表現を規制?表現の自由の危機?警察は珍妙な指導、最高裁判断とズレも
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20141104-00010004-bjournal-soci
Business Journal 11月4日(火)6時0分配信


 このところ、公権力による性表現への介入が続いている。

(1)5月、東京都は、漫画『妹ぱらだいす!2』(KADOKAWA)について、描写の過激さではなく近親相姦を賛美・誇張していることを理由に、都青少年条例の定める「不健全図書」に指定。これを受けてKADOKAWAは同書を自主回収した。

(2)7月、警視庁は「女性器」をテーマに創作活動を続ける、漫画家・美術家のろくでなし子氏を逮捕。自身の性器の3Dデータ(このデータを3Dプリンターに取り込むと、形状を再現できる)を支援者に配布した疑い。

(3)8月、愛知県警が、愛知県美術館に展示中の写真家・鷹野隆大氏作品の男性の性器が写った写真をわいせつ物であるとの理由で撤去を求める。結局、性器の部分を薄い布や紙で覆うなどして展示することになった。

 こうした事件に関して、新聞・テレビはそこそこの紙面・時間を割いているのだが、その割には、議論はあまり活発ではないようにみえる。

●性表現規制は表現の自由への介入?

 もしかすると、「性表現には関心はない」「一般常識で判断すればいい」といった世間の空気なのかもしれない。しかし筆者には、実はこうした一連の動きは、「秘密保護法」や「朝日新聞バッシング」と同列とまでは言わないが、表現の自由にとって意外に重たい問題を内包しているように思えるのである。

 そもそも性表現の規制は、名誉毀損と並んで最も歴史の長い表現規制である。なぜ性表現が早くから権力者に目の敵にされたのか定かではないが、おそらく、あらゆる面で庶民より「価値の高い人間」であると自任していた王や貴族たちにとって、自らの華麗な衣装の下の醜い肉体と比べて、粗食に甘んじ激しく肉体を酷使して生きていた庶民の鍛え抜かれた肉体の美が、強い嫉妬の対象であり脅威でもあったことがその主因であろう。

 美しい肉体の魅力は昔も今も、理屈や秩序を超えて強烈に人を引きつけ酔わせる力を持っているのである。支配者は、そういう性の価値紊乱性、つまり体制を根底から転覆しかねない潜在力を恐れ、徐々に「性=下品なもの、汚いもの、隠すべきもの」という道徳を私製して、自らの権威を保全しようとしたのではないか。

 1972年に起きた日活ロマンポルノ裁判の際、被告人とされた映画監督・山口清一郎氏は「国家は『豊かなる性』に嫉妬する」という言葉を残したが、これは古今東西の性表現規制の本質を射抜いた名言であると筆者は思っている。

 実際、現在でも日本は、刑法の中に厳かに「わいせつ物頒布・販売罪」を安置しているが、それが何のための規制なのか、つまりその保護法益について国は十分に説得力のある説明をしているとはいえない。それにもかかわらず、警察など規制当局は、現在に至るまで、あたかもそこが呪われた場所であるかのように、性器を目の敵としてしつこく取り締まりを行っている。また最近では、パソコンやスマートフォンの登場で大きく変容する青少年の情報環境に“ついていけない”大人たちの漠然とした不安に便乗するように、「青少年の健全育成」を名目とする表現規制を次々に強化している。しかしこれは、一種の思考停止状態ではないだろうか。

●最高裁判断は、芸術目的の作品への規制は消極

 もちろんこれまで、日本の性表現問題にまったく進歩がなかったわけではない。2008年2月には最高裁判所が、性器の写された写真であっても、それが「現代美術に高い関心を有する者による購読、鑑賞を想定したもの」であれば、いたずらに禁圧されないという判決を出している。この最高裁の示唆を踏まえれば、警察などは少なくともアートの文脈で提示された作品については、仮にそれが性器を写したものであっても、それを取り締まる際には相当に抑制的でなければならないことになるはずである。そうだとすれば、少なくとも前記の(2)(3)の事例などは、最高裁判例に背く過剰な規制の疑いが濃厚であるということになろう。

 9月24日付東京新聞の報道によると、(3)の事件の際、警察は美術館に対し「女性器は足を開かなければいい、男性器は股間にはさめばいい」などという珍妙な指導を行ったと報じられているが、彼らはいったいなんの根拠・権限があって、表現活動にこのような野蛮な口出しをしているのであろうか?

「たかが性のことで何をムキになっているのか」との指摘もあるかもしれないが、公権力が過剰に市民社会の道徳に踏み込み、それを善導しようとすることに、私たちはもっと警戒心を持つべきであろう。その小さな「アリの一穴」が、秘密保護法や集団的自衛権などと相まって、市民を再び危険な「あの時代」――奇妙な精神論がまかり通る中、止めようもなく無謀な戦争に突き進んでいった時代――に連れ戻さないとも限らないのだ。

大石泰彦/青山学院大学法学部教授


 

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コメント
 
01. 2014年11月04日 07:59:42 : jXbiWWJBCA

「転落者」「軍国主義復活」「ブラック企業」・・・、
思考停止がもたらすレッテル貼り
2014年11月04日(Tue) 筆坂 秀世
 広辞苑によれば「レッテルを貼る」というのは、「一方的に或る評価・判断を下す」とあり、用途例として「反逆者のレッテを貼る」と紹介している。

 人は誰でも他者に対してレッテルを貼りがちである。私なども知らず知らずのうちに、他者に対してあるレッテルを貼ってしまっていることもあると思う。何と言っても「一方的に或る評価・判断を下す」という作業は、分かりやすいし、簡単だからだ。

 ただ当然のことだが、これは危うさを免れない。多くの場合、レッテル貼りは、よく吟味もせずに独断と偏見に満ちたものになりがちだからである。いわば思考停止なのである。

 これが個人の場合には、特定の個人を著しく傷つけることになる。あるいは企業や団体に対してであれば、企業活動や団体活動を妨害することにもなりかねない。実際、村社会では現代でも、「厄介者」というレッテルを貼られたため、事実上「村八分」状態にされたという事例もある。

一方的に「転落者」呼ばわりされた

 私自身も日本共産党を離党し、新潮社から『日本共産党』(新潮新書、2006年4月発売)を出版した際、筆坂は「落ちるところまで落ちた」「転落者」というレッテルを共産党によって貼られた。この結果、共産党内では、私の本を読まなくても「筆坂は転落者だ」という評価が行きわたることになる。「筆坂の本など読まなくても、転落者だということは分かる」という趣旨の記事が「しんぶん赤旗」に掲載されたことさえある。「私のことを何と思おうと勝手だが、せめて人を批判するときには、その著書ぐらい読んでからにしなさいよ。そうでないとあなたの知性が疑われるよ」と言いたかったが、貼られたレッテルをなんの吟味もなく信じきっている党員には、無駄なだけであった。

 だから私が共産党に批判的な意見を書くと、「落ちるとこまで落ちた筆坂の意見など読むに値しない」とか、「議員辞職させられた怨み言」などという頓珍漢な反応がツイッターなどに書き込まれる。

 明言しておくが、私には共産党への怨みなど毛頭ない。共産党を政党として応援してはいないし、おそらく今後も応援しないが、今でも友人の党員には友情として金銭的なカンパもしている。参議院議員を経験できたのも共産党に在籍していたからで、私の人生にとってかけがえのない貴重な経験をさせてもらったと思っている。

 私自身は、もちろんどこからも「落ちた」という自覚はない。正しい選択をしたと確信している。離党後の生活も充実している。それにしても他者に対して、「落ちるとこまで落ちた」というような表現を楽々とする政党ほどうぬぼれた存在はない。自分たちは、よほど高みに立つ“偉い”政党だと勝手に思い込んでいるようだ。

レッテルを貼られ続けた共産党

 だが、その共産党という政党は、実はもっともレッテルを貼られてきた政党である。「アカ」「非国民」「国賊」などがそれである。

 もともと非合法政党として誕生し、暴力革命を目指していたのが日本共産党である。治安維持法によって激しい弾圧も受けてきた。戦後、合法政党として再出発するが、1951年には武装闘争方針を掲げたいわゆる「51年綱領」に基づいて火炎瓶闘争などを行った。このために国民の支持を急速に失うことになった。

 今では暴力革命は否定し、議会で多数派を占めて革命をという方針に「転落」、否、転換したが、共産党という政党の特質として「暴力的」というイメージはなかなか拭い難いものとなってきた。これはもちろん誰の責任でもない。共産党自身が暴力革命方針、武力闘争方針を採用し、その方針の下で実際にも暴力的な活動を展開してきたのだから仕方がないことである。

 「アカ」「非国民」「国賊」などというレッテルが妥当なものかどうかは、また別である。このいずれのレッテルも2つの面で国民に「怖さ」を与えるものとなってきた。

 1つは、言うまでもなく暴力革命への「怖さ」を印象付けることである。もう1つは、共産党に近づけば、いわんや入党などすることになれば、必ず官憲の弾圧を受ける、あるいは居住地や企業の中で「村八分」状態にされるという「怖さ」である。私自身も銀行員時代、共産党員だということで間違いなく差別を受けてきた経験がある。親、兄弟も、私が共産党に入党したことを知ると必死にやめるよう説得してきたものだ。差別されることを知っていたからである。

 それにしても「国民には非(あら)ず」という「非国民」という決めつけや「国賊」「売国奴」などという決めつけが安易に使われる社会や時代がまっとうなものであったとは言えない。人はそれぞれに様々な思想や考え方を持っている。この胸中にまで権力が入り込む社会は、断固として拒否しなければならないと思う。

日本は軍国主義が復活しているのか?

 レッテル貼りにもっとも苦しめられてきた政党が共産党だが、皮肉なことにこの党はレッテル貼りを得意としている。

 離党者や除名された党員への「転落者」呼ばわりや「裏切り者」呼ばわりは、常套句となってきた。かつては除名された党員に対し、「反党分子」などと人間扱いしない罵詈雑言を浴びせてきた。この類だけでなく、政治的な問題でも同様だ。

 安倍政権に対し、「安倍暴走政権」とネーミングしたのも共産党である。党中央がこのネーミングをすると全国すべての地域で県議や市議が「安倍暴走政権」と何の証明もなしに、宣伝活動に精を出すわけである。

 かつての共産党綱領には、日本は「軍国主義的帝国主義的復活のみちをすすんでいる」としていたが、現在の綱領でも日本は「軍国主義復活の動きを推進」していると規定している。

 軍国主義とは何か。広辞苑では、「国の政治・経済・法律・教育などの政策・組織を戦争のために準備し、軍事力による対外発展を重視し、戦争で国威を高めようとする立場」と解説している。今の日本がこんな国を果たして目指しているのだろうか。同意する国民はごく少数であろう。だが共産党は、半世紀以上も「軍国主義の復活強化」を大声で糾弾し続けている。では、どこまで軍国主義が復活したのだろうか。そのことに言及はない。まさにレッテル貼りそのものである。

共産党にブラック企業批判ができるのか

 最近で言えば、「ブラック企業」というネーミングもある。誰が言いだしたのかは知らないが、「しんぶん赤旗」は「ブッラク企業連続追及」キャンペーンが日本ジャーナリスト会議(JCJ)からJCJ賞を授与したことを大いに自慢している。

 だが「ブラック企業」とは何なのか。サービス残業など労働法規を蹂躙している会社のことか。こう言ってはなんだが、私が都市銀行に勤務している時、サービス残業は当たり前であった。おそらくほとんどの企業でそうであったろう。今でもおそらくそう変わりはないはずだ。

 もちろん、それが良いことだとは思わない。法令違反があれば、改善するのは当然のことである。私も銀行員時代、そのために戦った。しかし、特定の企業だけを狙い撃ちにして「ブラック企業」批判をするのはいかがなものか。

 例えば、最近やり玉に挙がっているのが「すき家」だ。深夜営業時に店員が1人しかいない「ワンオペレーション(ワンオペ)」などが問題にされ、「すき家」を配下に置くゼンショーホールディングスは、第三者委員会に改革案を立案してもらい改善に取り組んでいるという。ところが、ある市民団体が東京や大阪などの約80の店舗を調査したところ、2店舗がまだ「ワンオペ」であったと告発している。ゼンショー側は、その2店について「ワンオペではなかった」と反論しているが、2店舗だけならば着実に改善に向かっているということではないのか。こんな“受け狙い”のような個別企業への狙い撃ちは止めた方が良い。

 共産党はブラック企業批判で党勢の拡大を狙っているが、自らの組織で給料(共産党では専従活動家の給料を「活動費」と呼んでいる)の遅配や欠配がある現状をどう考えているのか。もちろんすべての専従活動家に残業手当は出されていない。「サービス残業」ではなく、「革命残業」というわけだ。

 もちろん企業と政党は違う。ましてや革命政党なので、活動費の遅配、欠配も仕方がない。革命的気概で頑張れということかもしれない。だが、頑張りにも限界がある。革命のことを考えている党員など皆無であろう。そんな現状にありながら革命的気概と言っても、もはや通用しない。まず、この現状こそ改革に取り組むべきことではないのか。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/42111


02. 2014年11月04日 10:35:37 : KzvqvqZdMU
共産主義国家はすべて崩壊したというのに、厚顔にも、まだ共産党を名乗っておる。たとぃ間違っていても、百回繰り返せば愚民はその気になる、なんてゆぅヒトラーと同じ体質なのだな。
 自分らの間違いは絶対に認めない、中国やソ連と同じ独裁政党なのだ。




[32削除理由]:削除人:アラシ

03. 2014年11月04日 17:50:15 : C3lq0gpU9A

  ”性”は人間(動物)の基本的な欲望、”性”をコントロールすることで、政府は国民をコントロールしようとしているのです。


04. 2014年11月05日 09:41:13 : Y7zvMSoIHQ
国にしては良い判断
少子化を憂うなら青少年雑誌における近親相姦はもとより同性愛の性表現の規制もしなければならないね。


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