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2014年の日本政治を振り返る ─総選挙を中心に─ 内山融・東京大学大学院教授(THE PAGE)
http://www.asyura2.com/14/senkyo177/msg/163.html
投稿者 赤かぶ 日時 2014 年 12 月 28 日 10:25:05: igsppGRN/E9PQ
 

[写真]「アベノミクス解散」は自公連立政権の圧勝に終った(ロイター/アフロ)


2014年の日本政治を振り返る ─総選挙を中心に─ 内山融・東京大学大学院教授
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141226-00000005-wordleaf-pol
THE PAGE 12月28日(日)9時0分配信


 2014年の日本政治について、12月に行われた衆議院議員総選挙を中心として振り返ってみたい。

 今回の総選挙の特徴をひとことで言えば、「選択なき選挙」ということになるだろう。そもそも総選挙というのは、各党が政策プログラムを提示しつつ国民の支持を巡って競争し、より多くの支持を勝ち得た政党が政権に就いてその政策プログラムを実行するという仕組みである。すなわち、政党間の政策競争を通じて、国民が政権と政策を選択するというのが本来の姿である。しかし、そのような「選択」が今回の総選挙で本当になされたか、疑問なのである。

 安倍首相は、「この解散はアベノミクス解散であります」と断言し(11月21日記者会見)、争点はアベノミクス継続の是非であるとした。結果は周知のとおり与党の勝利であったが、それは国民の主体的な選択が示された結果だといえるのだろうか。

 選挙論戦では、株高や企業収益増加などアベノミクスの成果を強調する与党側に対して、民主党を始めとした野党陣営は、その恩恵が地方や中小企業には行き渡っていない点などを指摘し、アベノミクス批判を行った。しかし、野党側が経済政策について現実的かつ有効な対案を提示できていたかというと、心許ない。たとえば民主党はマニフェストで「国民生活に配慮した柔軟な金融政策」を訴えたが、それが何を意味するのか今ひとつよくわからなかった。この点で、経済政策について国民に十分な選択肢が与えられていたとは思えない。

 さらに大きな問題は、アベノミクスが強調されるあまり、他の争点が陰に隠れてしまったことである。安倍首相は、消費税引き上げ延期について国民の判断を仰ぐという言い方もしていた(11月18日記者会見)。多くの論者が指摘するように、消費税引き上げ延期は国民の中に大きな対立を生み出すような性質のものではないので、それ自体は争点にはなりにくい。しかし、実はここには隠された争点があった。もともと、消費税引き上げによる増収分は社会保障の充実に向けられる予定であった。であれば、消費税引き上げを延期した分、社会保障充実も先送りにされるはずである。すなわち、与党側は、本来であれば、消費税引き上げ延期と社会保障充実の先送りをセットにして提示し、それについて国民の判断を仰ぐべきだったのである。この点を曖昧にし、アベノミクスの成果と消費税引き上げ延期だけを強調したのは、有権者への責任ある態度だったであろうか。

 他の争点としては、集団的自衛権、憲法改正、原発などもありえた。集団的自衛権に関しては、安倍内閣は7月に閣議決定による憲法9条の解釈変更を行った。これは戦後政治史上の画期的な出来事だったので、選挙論戦でもっと関心を集めてもよかったと思われる。しかし実際は、この争点もアベノミクスの陰に隠れてしまっていた。集団的自衛権については野党陣営内でも態度が分かれており、統一した代替案が出せなかったのが大きな要因であろうが、政権側の巧妙さも無視できない。安倍首相は2月の国会答弁で、「(憲法解釈の)最高の責任者は私だ。政府答弁に私が責任を持って、その上で私たちは選挙で国民の審判を受ける」と述べている。しかし選挙戦中、集団的自衛権について国民の判断を仰ぐ旨が安倍首相により正面から訴えられていたようには思われない(安全保障に関しては「切れ目のない安全保障法制を整備する」といった言い方が中心であった)。

 憲法改正や原発についても、同様に、政権側から明確なメッセージが発せられていたとはいえない。一方の野党側も、陣営内での意見集約が困難だったこともあり、的確な代替案を提示することに必ずしも成功しなかった。

 要するに、今回の総選挙では、経済政策や安全保障などの各争点において、有権者に対して有効な選択肢が与えられていなかった。選挙の結果により政権の路線が「信認された」というためには、有権者が十分な選択の機会を持つことが前提のはずである。その前提が満たされていないのであれば、選挙で勝利したといっても、国民は本当に政権を信認したのか、政権に何を信託したのか、曖昧であると言わざるを得ない。今回の選挙を「選択なき選挙」と名付けたゆえんである。

 このような事態となったのは、主に、政権による争点設定の巧妙さと、野党陣営の合意形成不足のためである。特に、野党陣営内部で(政党間だけでなく同じ党の中でも)安全保障政策や原発に関する意見のばらつきが大きく、明確で現実的な代案についての合意を形成するのが困難だったことが大きい。今回、多くの選挙区において野党間の候補者調整が行われたのは注目すべきだが、政策調整までは手が回らなかったのである。

 加えて、選挙制度の問題も指摘しておきたい。よく知られているように小選挙区制は二大政党制を生み出しやすいが、ある選挙区で、有効な(つまり泡沫でない)候補者が二大政党のそれしか存在しなかったら、有権者は、それらのうちどちらかを選ばざるを得ない。そして、ある有権者がA党を選んだら、A党の提示する政策のうち支持できないものがあっても(たとえばA党の経済政策は支持するが安全保障政策は支持できないといった場合でも)、それを受け入れざるを得ない。つまり、小選挙区制では各政党が様々な政策を「セット販売」することになる。気に入らない政策がセットに含まれていても、有権者はそれを購入せざるを得ないのである。

 その点、比例代表制はそうした問題が少ない。多党制を生み出しやすい比例代表制では、単一の争点に絞った政党(たとえば環境政党など)が存在できる余地がある。その場合、有権者は、自分の重視する争点に基づいて政党を選ぶことができる。いわば、政策の「ばら売り」が可能なのである。現在、衆議院議長のもとに置かれた「衆議院選挙制度に関する調査会」で選挙制度に関する検討が進められているが、多様な民意の表出を尊重する立場からは、比例代表制の一層の活用も考慮に値するように思われる。

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内山 融(うちやま ゆう)
東京大学大学院総合文化研究科教授。専門は日本政治・比較政治。著書に、『小泉政権』(中公新書)、『現代日本の国家と市場』(東京大学出版会)など。


 

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コメント
 
01. 2014年12月28日 16:19:36 : oA9GE6uXgc
 
「共産化」する安倍政権

小池晃 ✔ @koike_akira
レベル低すぎでワロタ。 RT @ikedanob: 共産党にとっては統制経済が当たり前。RT @koike_akira: 内部留保で賃上げ。当たり前のことなのに、統制経済呼ばわりする倒錯。
2014年12月16日 22:39


このツイートがいろいろ話題になっているが、ちょっと考えさせられる。
このもとは「内部留保を吐き出して賃上げしろ」という麻生財務相の話に共産党が賛同しているのを私が批判したことだが、共産主義が統制経済でなかったら何なのだろうか。共産党が資本主義を守るなら、党名を変えたほうがいい。

安倍首相を極右と思っている人が多いようだが、彼の経済政策は「大きな政府」をめざす左派に近い。彼の祖父を初め、保守派は世論には一喜一憂しないで国家百年の計を考えるものだが、安倍氏は世論や支持率に非常に敏感だ。

これは共産党が躍進したことと関係がある。安倍氏も麻生氏も「デフレ脱却」したら賃金が上がると思っていたのだろうが、これは逆だ。インフレは、実質賃金を下げて企業収益を上げることに意味があるのだ。事実、企業収益は上がっているが、所得格差が拡大して共産党が支持を伸ばした。

55年体制のもとで共産党は革命路線を捨て、短期的な所得分配を求める党として生き延びてきた。同じくバラマキ政党である公明党の政権に対する影響力も強まっている。かつて反共の闘士として活躍した岸信介の孫が「共産化」し、それに共産党が意気投合しているのは皮肉なものだ。


  
安倍晋三氏のユートピア

国家とは何か (文春学藝ライブラリー)
安倍首相には「右翼」というレッテルがついて回るが、彼の政策は右派ではない。安全保障政策は常識的だし、経済政策はむしろ左派だ。田崎史郎氏によれば、安倍氏の靖国参拝の動機は、第1次内閣を投げ出して批判を浴びた失意の時期に、彼を助けてくれた保守派への「恩返し」だという。

そういう保守派論客の元祖が福田恆存だが、本書に集められた評論にみられるのは、一般のイメージとは違って英米的な個人主義だ。彼は戦前も全体主義を嫌悪し、自由主義を擁護した。彼が社会主義を批判したのも、それを「左の全体主義」とみたからだ。
しかし現実の政治では一貫して主流だった保守派は、論壇では一貫して傍流だった。主流派が東大法学部などのアカデミズムにいたのに対して、傍流は作家や評論家で、質量ともに劣っていた。その中でもっとも高水準だった福田でさえ、本書に収められた政治評論はみずから「アマチュア」と認めるレベルだ。

もちろん今からみると、高度な学識にもとづく丸山眞男の「非武装国家」論より、福田の常識的な疑問のほうが正しかったのだが、それはアカデミズムでもジャーナリズムでも主流にはならなかった。社会党が国会で万年野党だったように、保守派は論壇の万年野党だった。

福田もいうように新憲法は、敗戦のどさくさでつくられた「当用憲法」であり、日本語としても悪文である。しかし日本は、それを改正するチャンスを逃し、憲法で保持しないはずの軍隊をなし崩しに保持し、日米同盟で長い平和を守ってきた。今では安全保障の立場からみても、それを改正する必然性はなく、その可能性はゼロに近い。

2016年の参院選で与党で2/3を獲得して憲法改正を発議するのが安倍氏の目標らしいが、公明党は改憲に賛成しない。次世代の党などの改憲勢力と協力するのも無理だ。安倍氏の信頼する田母神俊雄氏は、東京12区で最下位で落選した。

論壇の主流だった左派の空想的平和主義が左のユートピアだったとすれば、福田から安倍首相に至る憲法改正も、右のユートピアなのだ。現実に日本を動かしたのは、アメリカの核の傘に守られて成長した資本主義と、その果実を分配して既得権を守った官僚機構だった。

ユートピアは「どこにもない国」である限りでは美しいが、何かの間違いで実現すると、ロシアや中国のような悲劇をもたらす。丸山の主張した非武装国家が消え去ったように、福田のとなえた「押しつけ憲法」の改正も、見果てぬ夢に終わるだろう。それはマンハイムもいうように、「保守主義のユートピア」というのが形容矛盾だからである。

 
憲法改正は「大改革」ではない

安倍首相の組閣後の「戦後以来の大改革進める」という記者会見に違和感を覚えた。憲法改正が困難であることは事実だが、それによって具体的に何が「改革」されるのだろうか。
たとえば第9条を改正しても、自衛隊の名前を「国防軍」と変える以外の変化はほとんどない。大事なのは一院制にするとか衆議院の優越を明確化するなどの国会改革だが、自民党の改正案は参議院にまったく手をつけない。これでは改正する意味がない。

憲法改正で「戦後レジームから脱却」した先に、安倍氏はどういう「国のかたち」を考えているのだろうか。彼の祖父は、一時は日米同盟を破棄して日本が「アジアの盟主」になる構想を描いていたが、首相になってからはあきらめた。

日本が「武装中立」をめざすとすれば、核武装するしかないが、それには莫大なコストがかかり、戦争を誘発するリスクが高まる。米ソの核の均衡のもとでは、どちらかの核の傘の下に入る以外の選択肢はなかったのだ。

日本はアメリカの世界戦略に組み込まれた「属国」だというのは、安倍氏も平和ボケの左翼も批判しているが、それは何と平和で豊かな属国だろうか。日本の「宗主国」がソ連だったら、どうなったか考えてみればいい。国家としてのプライドさえ捨てれば、これほど安上がりで快適な属国はない。

安倍氏にとって問題なのは、そのプライドだろう。彼が靖国参拝でみせた強い決意には、戦後レジームを超える「美しい国」を求める執念を感じる。それは、かつての左翼の「社会主義」のように理想化され、戦後70年、失われたままであるがゆえに美しく見えるが、実はもう戻るべき国はないのだ。

日本は日米同盟で実質的に核武装しているので、憲法を改正しても大きな変化はない。むしろ日本がそなえる必要があるのは、アメリカが日本を見捨てるリスクである。彼の祖父は日本中から非難を浴びても安保条約を改正し、日米同盟を守ったのだ。


 

集団的自衛権と集団安全保障は違う

日本人が知らない集団的自衛権 (文春新書)
来年の国会では集団的自衛権をめぐる論戦が始まるが、せめて本書に書かれている基礎知識ぐらい理解してほしいものだ。本書のQ31では、今年6月15日の「後方支援、独軍55人死亡 アフガン戦争」という朝日新聞の記事を取り上げている。これは「集団的自衛権 海外では」というシリーズの1本で、ドイツの例をあげている。
1990年代に専守防衛の方針を変更し、安倍首相がやろうとしている解釈改憲の手法で北大西洋条約機構(NATO)の域外派兵に乗り出したドイツは、昨年10月に撤退したアフガニスタンに絡んで計55人の犠牲者を出した。[…]

2001年の米同時多発テロで、NATOは米国主導のアフガン戦争の支援を決定。ただ、独国内では戦闘行為への参加に世論の反発が強く、当時のシュレーダー政権は米軍などの後方支援のほか、治安維持と復興支援を目的とする国際治安支援部隊(ISAF)への参加に限定した。
ISAFは国連の安保理事会の決議にもとづいて派遣された集団的安全保障の活動であり、NATO条約にもとづく集団的自衛権とは別である(ドイツはNATOにもとづいて陸軍特殊部隊も派遣している)。この記事は両者を混同し、ISAFを集団的自衛権の例としてあげている。

国連が本来、想定しているのは集団安全保障のための国連軍であり、その手続きは国連憲章の第7章にくわしく書かれている。集団的自衛権は、その末尾(第51条)に書かれているだけだ。これは各国の「権利」を書いただけで、国連の活動についての規定ではない。

これは些末な話のようにみえるが、きわめて重要な違いである。集団安全保障は、憲法が想定している「諸国民の公正と信義に信頼して」行なう国連活動なのだ。これを禁止すると、湾岸戦争ときのように世界からバカにされるだけでなく、いざというとき国連に助けてもらえない。

しかし正式の国連軍は、一度も結成されたことがない(朝鮮戦争や湾岸戦争は変則)。安保理事会で拒否権が発動されるからだ。この難点を回避するために利用されるのが集団的自衛権である。国家の自衛権は自然権であり、国連が認める必要はない。集団的自衛権は安保条約で最初から認められている権利であり、今さら閣議決定するような問題ではない。

ただ国連の集団安全保障体制が機能しない現状には問題がある。集団的自衛権がきらいな野党やマスコミは「何でも反対」を叫ぶのではなく、国連部隊がもっと機動的に活動できる国連改革を提案してはどうだろうか。
http://ikedanobuo.livedoor.biz/


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