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唖然、呆然、戦慄、驚愕! 日本の裁判は本当に中世並みだった! 『ニッポンの裁判』著者・瀬木比呂志氏インタビュー
http://www.asyura2.com/14/senkyo177/msg/766.html
投稿者 赤かぶ 日時 2015 年 1 月 12 日 08:45:05: igsppGRN/E9PQ
 

            『ニッポンの裁判』著者・瀬木比呂志氏


唖然、呆然、戦慄、驚愕! 日本の裁判は本当に中世並みだった! 『ニッポンの裁判』著者・瀬木比呂志氏インタビュー


『絶望の裁判所』は序章にすぎなかった・・・・・・
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/41659
2015年01月07日(水) 瀬木比呂志 現代ビジネス



瀬木比呂志氏は、最高裁判所中枢を知る元エリート裁判官であるのみならず、民事保全法や民事訴訟法のエキスパートとして法曹界で高い評価を得ている。このような信頼できる専門家による、横断的な判例解説は過去に例がない
 2015年1月16日、講談社現代新書より、日本の裁判のリアルな実態を描いた『ニッポンの裁判』が刊行される。著者の瀬木比呂志氏は、明治大学法科大学院専任教授で元裁判官。 裁判官たちの精神の荒廃と堕落を描いた、前作『絶望の裁判所』は法曹界を騒然とさせたのみならず、司法をテーマとした一般書籍としては異例のベストセラーとなった。「『絶望の裁判所』は序章に過ぎなかった・・・・・・」と帯のコピーにあるとおり、『ニッポンの裁判』の衝撃度は前作をはるかに上回る。冤罪連発の刑事訴訟、人権無視の国策捜査、政治家や権力におもねる名誉毀損訴訟、すべては予定調和の原発訴訟、住民や国民の権利など一顧だにしない住民訴訟、裁判の「表裏」を知り抜いた元エリート裁判官の瀬木氏をも驚愕させた「ニッポンの裁判」は、もはや中世の暗黒裁判並みの「超」絶望的なものだった。


Q: 『絶望の裁判所』刊行から約1年が経過しましたが、あらためて司法批判の第2弾、しかも私のみるところより強力、衝撃的で、分量も大きい書物を刊行されたのは、なぜでしょうか? 


瀬木:『ニッポンの裁判』は、『絶望の裁判所』の姉妹書です。『絶望』が司法制度の構造的批判の書物であったのに対し、『ニッポン』は日本の裁判の総体としての分析、批判を内容としています。


ですから、内容は関連していますが、相互に独立した書物です。もっとも、双方の書物を読むことでより立体的な理解が可能になることは間違いありません。その意味では、車の両輪のような関係ともいえます。


裁判所、裁判官が国民、市民と接する場面はまずは各種の訴訟ですよね。そして、その結果は、判決、決定等の裁判、あるいは和解として、人々を、つまりあなたを拘束します。


つまり、裁判や和解の内容こそ国民、市民にとって最も重要なのであり、制度や裁判官のあり方は、その背景として意味をもつにすぎないともいえるのです。その意味で、『ニッポンの裁判』は、どうしても書いておかなければならない書物だと思っていました。


裁判というものは、日本人の多数が思っているよりもずっと重要なものです。各種の法規は、個々の裁判、判例によって初めて具体化されるものだからです。


また、裁判の結論というものは、個々の裁判官の思想、人間性、能力等によっていくらでも変わりうるものであって、その裁量の幅も非常に大きいのですよ。


Q:なるほど。それでは、なぜ、『絶望の裁判所』のほうを『ニッポンの裁判』に先行させることを決められたのしょうか?



『ニッポンの裁判』執筆に当たって、瀬木氏は様々な判例を詳細に分析し、凄まじいまでに劣化した「ニッポンの裁判」の実態に絶句したという


瀬木:それは、裁判の内容を正確に理解するのが、それほどやさしいことではないからです。法学部や法科大学院の学生たちにとってさえ、最初のうちはそうです。


僕が、裁判の分析に先行して、まずは、誰にとってもその形がみえやすくその意味が理解しやすい制度の分析を行ったのは、そのほうが裁判の内容の理解も容易になるからということが大きかったのです。でも、逆に、『ニッポンの裁判』を先に読んでから『絶望の裁判所』を読むという順序でも、裁判と制度の絡み合いはよくわかると思います。ああいう裁判所、裁判官だから、ああいう判決が出るのだ、ということですね。


『ニッポンの裁判』では、僕のこれまでの裁判官、学者、そしてライターとしての経験とキャリアを総動員して、日本の裁判のあり方とその問題点、その核心を、具体的な例を挙げながら、詳しく、かつ、できる限り興味深く、わかりやすく、論じることに努めました。



これまで語られることのなかった最高裁暗部を告発し、ジャーナリストの魚住昭氏から「最高裁に投じられた爆弾! 10年に1度の衝撃作」と絶賛された『絶望の裁判所』


Q:確かに、興味深いだけでなく、非常にわかりやすい書物ですね。『絶望の裁判所』の大きな書評(斎藤環氏。2014年5月11日朝日新聞読書欄)にあった、『複雑明快』という言葉が、この本にもぴったり当てはまるような気がします。


320頁というヴォリュームですが、その内容はそれこそ500頁ほども「濃密」なのではないか。しかも、面白く、また、すごくリアリティーがあって、一気に読ませられてしまいます。


瀬木:ありがとうございます。


僕は、先ほど述べたような3つの仕事で、興味深く、わかりやすく、正確に「伝える」のがいかに難しいかということは肌身にしみて感じてきました。『ニッポンの裁判』では、正確さや的確さは保ちつつ、よくある無味乾燥な法律的記述は絶対に避けるように努力しています。その成果が実ったとすれば、うれしいですね。


Q:『絶望の裁判所』も衝撃的な作品でしたが、『ニッポンの裁判』の衝撃度はそれをはるかに上回ると感じました。日本の司法は、「絶望」という言葉ですら控えめに思えるほどの「超」絶望状況にある。驚きました。


2012年まで裁判官だった瀬木さんでさえ、あきれ果てられているようですが・・・・・・。


瀬木:そうですね。この本を書くために、日本の裁判の全分野についてかなり掘り下げたリサーチを行ったのですが、それが進むにつれて、自分でも驚いてしまったというのが事実です。「ここまでひどいのか、ひどくなっているのか!」ということですね。


僕は、子どものころから一度として左派や急進派の思想に傾倒したことはなく、基本的には、芸術と科学を愛する一自由主義者、一介のボヘミアン学者にすぎないのです。


『絶望』と『ニッポン』では、表現やレトリックについてはかなり鋭利なものを用いていますが、僕の思想や考え方自体は、基本的には、欧米一般標準の自由主義にすぎず、特に先鋭なものではないと思います。


たとえば、僕の筆名の書物や専門書のタイトルや内容をみていただいても、そのことは明らかだと思います。


しかし、そんな僕でも、あらためて日本の判例群を、虚心に、また、分析的に読み直すと、大きな違和感を感じざるをえませんでした。それらの判例群から僕が得た率直な印象は、残念ながら、「未だ社会にも政治にも裁判にも前近代的な残滓(ざんし)を色濃く残す国のそれ」というものだったのです。この事実は、僕自身が、この書物を書くために、素材になる裁判、判例を選択してゆく過程で、少しずつ気付き、やがて確信するに至った、大変苦い真実といえます。


Q:とにかく全編次から次へと驚きの連続ですが、特にショッキングだったのが、第3章で詳しく分析、批判されている刑事裁判の腐敗です。袴田裁判の冤罪、そして恵庭OL殺人事件の「超絶望的」な再審請求棄却決定には震撼させられました。ひとたび刑事事件で訴えられたらもはや逃れる手はない、という印象を持ちました。



袴田事件、恵庭OL殺人事件などは、日本の冤罪裁判の「氷山の一角」にすぎないと、瀬木氏は分析する


瀬木:袴田事件再審開始決定は、最重要証拠であったところの、袴田巌さんのものであるとされた、血液の付着した五点の衣類について、捏造(ねつぞう)の疑いがきわめて強いと明言していること、そして、死刑の執行停止のみならず、裁量により、拘置の執行まで停止して袴田さんを釈放したことなど、刑事系にも良識派裁判官は存在することを示した決定でした。


しかし、一方、刑事に詳しい弁護士たちが、「現在は『再審冬の時代』であり、袴田事件のように新たなDNA型鑑定結果が出た、あるいは、真犯人が判明したなどの『誰が考えても無実』という事件以外では再審は開始されなくなっており、次々と棄却決定が出ている」との意見を述べていることにも注意すべきです。


たとえば、先の恵庭OL殺人事件再審請求棄却決定です。全体として、この裁判の証拠評価は本当にほしいままで、本当に呆然とせざるをえません。


簡単にまとめれば、こういう事実認定なのです。


「片手でどんぶりも持てない小柄で非力な女性が、被害者に怪しまれることなく車の運転席から後部座席にいつの間にか移動し、自分より体格、体力のまさった被害者を、後方から、タオル用のものを用いて、ヘッドレスト等に妨げられることもなく、やすやすと、また、一切の痕跡(被害者の指紋、毛髪、失禁の跡等)を残さず絞殺し、自分より重い死体を間髪を容れずに抱えて車両外に下ろし、ごく短時間のうちに、そしてわずか10リットルの灯油で、内臓が炭化するまで焼き尽くし、さらに街路灯もない凍結した夜道を時速100qで走ってアリバイ作りをした」


そして、細かな部分をみてゆくと、さらにおかしな点が多々あります。そういう点を数え上げてゆくと、きりがないのです。たとえばアメリカの陪審制でも、この証拠関係で有罪はありえないだろうと思います。あるとすれば、黒人に対する偏見が根強く、その人権がほとんど認められていなかった時代の南部における、黒人被告人に対する裁判くらいではないでしょうか。「疑わしきは被告人の利益に」という刑事裁判の鉄則が踏みにじられていて、本当にこわいです。


国策捜査の標的とされた者の立場から書かれた『国家の罠』(佐藤優、新潮文庫)の中にある「『あがり』は全(すべ)て地獄の双六(すごろく)」という言葉は、日本の刑事裁判においては、決して誇張ではありません。「明日(あした)はあなたも殺人犯」であり、「高裁でも、最高裁でも、再審でさえも救済されない」のです。また、地裁で無罪なのに高裁で有罪とされた冤罪事件(東電OL殺人事件)もあります。実際、日本の裁判では、民事でも刑事でも、地裁が一番よく、高裁や最高裁がおかしいということが多々ありますね。


昔の映画になりますが、冤罪を扱った『真昼の暗黒』という作品があります。左派良心派として知られた今井正監督によるものです。その映画の中に出てくる「まだ最高裁があるんだ!」というセリフが有名になりました。でも、実際には、「まだ高裁・最高裁があるんだ!」は、日本では、権力側の言葉ですね。


Q:刑事系裁判官はなぜかくも有罪にこだわるのでしょうか? 誰の目からみても無理が大きいことが明らかな判決を重ねて追認するような司法判断が続くことは、素人にはおよそ理解できません。


瀬木:正直にいって、僕にも、全く理解できません。僕には、33年間裁判官を務めてもなお、総体としての裁判官たちの姿勢や考え方に、理解しにくい部分が数多く残っていました。まあ、だからこそ、筆名の本を書き、研究に打ち込み、大学人に転身することにもなったのですが。


でも、民事系の裁判官の場合には、よくない判決でも、まだ理由がわかることが多いのですね。たとえば、「裁判所当局がこわかったのだろうな」とか、「子どもが難しい時期に遠方に左遷されたりしたら困っただろうから」とか、「ともかく出世しかない人だから」とか、あまり立派な理由ではないかもしれませんが、まあ、想像はつく(笑)。また、ある意味、人間的な理由という面もないではないですね。ただ判例の大勢、無難で保守的な先例に事大主義的に従っているだけという場合が一番多いですが、それはそれでわかりやすい。


ところが、刑事のかたよった裁判、たとえば恵庭OL殺人事件再審請求棄却決定などだと、もう、全然理解できない。その裁判長自体はちゃんとした裁判官にみえたのに、という声は弁護士からも出ていて、いよいよわけがわからない。1人の人間の人生が、その裁判の結果にかかっているわけですからね。それにもかかわらず、有罪推定どころか、可能性に可能性を重ね、無理に無理を重ね、何としてでも「有罪」という結論に到達しようと、なりふり構わず突き進んでいる印象を受けるのです。


袴田事件の証拠の脆弱性は明らかであり、無罪にしても検察、警察がそれを非難できるわけがない。


恵庭OL殺人事件についても、再審請求における検察の主張立証は、事実上白旗を掲げているに等しいようなものであったといわれます。だからこそ、よもやの請求棄却決定に、弁護団にも、報道に携わっていた記者やジャーナリスト、関心を抱いていた学者の間にも、戦慄が走りました。


なお、今の質問については、第5章の、「刑事・行政・憲法訴訟等における裁判官たちの過剰反応の根拠は?」という項目で、僕に推測できる限りのことはまとめています。


Q:刑事訴訟も悲惨ですが、第5章の行政訴訟も本当にひどいですね。官僚にひたすら甘く、住民にひたすら厳しい。「地方議会の住民訴訟債権放棄議決是認判決」には驚きました。怒りを通り越して、これはブラックジョークですね。


瀬木:住民訴訟で大変な苦労をして住民と弁護士が勝っても、そうして成立した地方自治体の首長等に対する債権を、首長等と結託した地方議会がその議決で放棄してしまう。地方自治法96条1項10号(議会に権利放棄の議決を認めている)に基づく議決なのですが、この条文が放棄を予定しているのは、誰が考えても放棄が相当といった、たとえば形骸化した債権等であって、債権管理の効率化のための規定のはずです。


先のような議決は、明らかに法の悪用です。それは、首長等の行った違法行為を議会が許すことを意味しますが、議会にそのような権限があるかは、誰が考えても疑問でしょう。


実際、住民訴訟を規定する地方自治法を所管する総務省の一部局に近いとさえいわれる地方制度調査会(内閣府の審議会等の一つ)でさえも、さすがに、2009年6月の答申で、「このような債権放棄議決は住民訴訟制度の趣旨をそこなうことになりかねないからこれを制限するような措置を講ずるべきである」と述べていました。


ところが、最高裁は、2012年に、このような議決について原則有効という判断をしてしまいました。「住民が勝っても首長の債務は帳消し。原則それでOKよ」ということです。「唖然、呆然の『債権放棄議決原則有効判決』」であり、弁護士や行政法学者からも猛反発がありました。



住民訴訟で勝訴しても、地方議会が首長の債務を帳消し。これだけでもあきれ果てるのに、最高裁がこの決定にお墨付きを与える。日本の住民訴訟はもはやブラックジョークの極みに達したと、苦笑する瀬木氏


ホント、ブラックジョークですよね。『黒イせぇるすまん』(藤子不二雄A)というブラックジョークの漫画がありましたが、あのセールスマンが漫画の「オチ」で下しそうな判決です。「住民が勝っても首長の債務は帳消し! ホーッホッホッホッ・・・・」と、彼の高笑いが聞こえてきそうですね。


しかも、千葉勝美裁判長(裁判官出身)は、その補足意見で、債権放棄議決について、「住民訴訟がもたらす状況を踏まえた議会なりの対処の仕方なのであろう」と、「深い」理解を示しています。さらに、判決の判断枠組みには同調しつつも、「さすがにこの事案では下級審の結論(議決は違法)が支持されるのではないか」と述べた須藤正彦裁判官(弁護士出身)の意見に対し、これを執拗に批判しつつ、須藤意見は「裁判所が議会の裁量権行使に直接介入していると見られるおそれ」があるものだ、と論じているのです。


すごいですね。ここまでくると、「黒いセールスマン」も恐れ入って退散してしまうのではないでしょうか。「さすがの私も、最高裁判事には負けました。もはやアートの域に達したブラックです」って。


Q:第4章では、政治家の圧力により名誉毀損損害賠償請求訴訟の認容額が一気に高額化したことが明らかにされています。しかもその後の判決はメディアにひたすら厳しい。最近は、質の高い調査報道でさえ訴えられれば名誉毀損訴訟で勝つことは至難といわれています。裁判官の権力追随判決で、私たちジャーナリストも随分と仕事がやりづらくなっています。


瀬木:これも、事実関係を調べているうちに呆然としてしまいました。裁判所当局が、政治家の突き上げに応えて2001年に司法研修所で御用研究会を開催し、御用論文の特集が法律雑誌に掲載され、その後、一気に認容額が跳ね上がっているのです。


さらに問題なのは審理、裁判のあり方です。


たとえばアメリカでは、この種の訴訟については、表現の自由との関係から原告にきわめて高いレヴェルの立証が要求されており、2000年以前の日本の判例にも、同様の考慮はありました。


ところが、近年の日本の判例は、被告の、記事の真実性、あるいは真実であると信じるに足りる相当性(たとえ真実ではないとしてもそう信じるに足りる相当な理由があれば免責されるということ)の抗弁を、容易なことでは認めなくなってしまいました。その結果、メディアの敗訴率は非常に高くなり、「訴えられればおおむね敗訴」というに近い状況となっています。


それが、「最近は、質の高い調査報道でさえ訴えられれば名誉毀損訴訟で勝つことは至難」という状況なのです。これは、認容額の一律高額化以上に大きな問題です。いわば、「知る権利」の基盤が裁判所によって掘り崩されているわけです。


「日本の裁判所は『憲法・法の番人』ではなく『権力の番人』である」という傾向は昔からあったのですが、それでも、ここまで露骨なことはさすがにかつてはなかったような気がします。


また、こうした訴訟は、たとえ被告が勝つ場合であっても、莫大な金額の損害賠償請求を起こすことだけで、ライターや出版社を意気阻喪、萎縮させる効果があります。


第5章で触れているスラップ訴訟、つまり、国や地方公共団体、あるいは大企業等の大きな権力をもった者が、個人の反対運動や告発等に対抗し、それを抑え込むことを目的として提起する民事訴訟、ということですが、弁護士から聞いたところによれば、その疑いのある名誉毀損訴訟もかなりあるということです。


Q:超絶望の判決群に本当にゲンナリしますが、大飯(おおい)原発訴訟など思い切った判決も出ています。特に、原発訴訟は大きく舵を切ったように見えますが?



大飯原発訴訟は、司法が原発訴訟に対するスタンスを大きく変えたかのように報じられているが、瀬木氏は、最高裁による司法統制はそう簡単には変わらないと分析する(写真は白煙を上げる福島第一原発3号機)


瀬木:大飯原発訴訟の第一審差止め判決自体は、この裁判長の従来の判決が「大きな正義」を貫く方向のものであったことを考えるなら、一貫しており、基本的には評価すべきであると僕も思います。


ただ、原発訴訟一般についていえば、僕は、やがて原発運転差止めの判決が出ること自体は、ある程度予想していました。


それは、第一に、福島原発事故後のこの時点では日本の原発がすべて運転停止中であって(もっとも、その中で、大飯原発だけは2012年7月から2013年9月までは稼働していましたが)、その意味では差止め(実質は運転再開禁止)がむしろ世論の動向に沿った判断だったからです。


第二に、福島原発事故後の2012年1月にやはり司法研修所で全国の地裁裁判官を集めて行われた研究会で、裁判所当局が、原発訴訟について方針転換を行っているからです。


こうした研究会を裁判官たちが自主的に行うことは120%ありえず、この研究会が、名誉毀損損訴訟に関するそれの場合と同様に、裁判所当局が表に出ない形で裁判官たちをコントロールするために開催されたものであることは、間違いないでしょう。最高裁事務総局は、1976年と1988年に最高裁で行った裁判官協議会では露骨に原発訴訟の方向を却下、棄却方向に統制しているのですが、原発訴訟に限らずそうしたやり方が批判されたことから、近年では、司法研修所の研究会で、よりみえにくい形で、同様のことをやっているわけです。


僕がこの研究会について集めた情報から判断して、この研究会は、裁判所当局、最高裁事務総局が、原発事故を防げなかった裁判所やもんじゅ訴訟最高裁判決等に対して強い批判があったことから、裁判官たちの手綱を多少ゆるめるために開いたものとみてよいと思っています。


「おまえたち、世論がうるさいから、原発については、とりあえず踏み込んだ判断をしてもいいかもよ」というサインを出したということですね。


もっとも、この研究会の開催意図やそこで示された裁判所当局の意向(研究会の中核発言者である一部裁判官を通じて示唆されたと思われるそれ)は、名誉毀損訴訟の場合のように明確なものではありません。政治と世論の雲行きを見ながら、原発容認の空気が強くなればまた路線を元に戻す可能性は十分にあると思います。


ただ、もう一度確認すれば、大飯原発訴訟第一審判決自体は、判断の枠組み等には書物でも一定の留保は付けましたが、基本的には評価すべきものと思っています。


Q:そうですか。そうだったんですね・・・・。いや、真相をうかがうと本当に驚くしかありません。原発訴訟についてさえ、「ガス抜き」という権力側の要請が裏面で働いているのですね。最高裁事務総局による裁判官の裁判・思想統制の見事さは、さっきのお言葉にもありましたが、もはや芸術の域に達していますね。


瀬木:権力というのは、本当に強力で、したたかなものですよ。それは、正直にいって、権力の動き方を近くでみたことのある人間にしかわからないかもしれません


半沢直樹シリーズ(池井戸潤)という皆さん御存知の人気小説があって、僕も1冊だけ読んでみましたが、ああいうふうに、権力のほうから、「これからやっつけるよ」と言ってくれれば、反撃もできるでしょう。でも、たとえば裁判所当局は、そんなわかりやすいことはまずしません。都合の悪い判決や論文を書いた裁判官に対する報復や締め上げは、時間が経ってから、じわじわと、真綿で首を締め付けるように行われます。


また、「こんなひどいことをしている」と指摘したところで、半沢シリーズの銀行みたいに簡単に非を認めたりはしません。『絶望の裁判所』に詳しく記し、『ニッポンの裁判』でも第7章、第8章で触れたとおりです。知らぬ存ぜぬで「静寂の嵐」のような沈黙を押し通すだけです。これでは、たとえ半沢氏が裁判官だったとしても、リベンジなどおよそ無理ですね。


小説の悪口を言うつもりは全くありませんが、半沢直樹の「倍返し」は、とってもわかりやすいが現実にはありえないファンタジーだということです。権力というのは、そんな甘いものではありません。それは、基本的には、どこの国でも、ことに大国ではいえることでしょう。ただ、司法やジャーナリズム、あるいは学者等の知識人がそれを厳しくチェックしている国と、日本のようにそうでない国とはあると思います。


「あとがき」にも書きましたが、現在の世界でシステムに対する有効、先鋭な批判を行っている人々のかなりの部分が一度はシステムの中枢に近い部分にいた人々であることには、理由があると思います。権力というものが、もはや、古典的な一枚岩の単純な存在ではなくなっているのです。的確な批判は、相当の情報をもっていないと、また、客観的な視点や構造的な理解を対象に対してもっていないと、できにくくなってきている。


「55年体制」を未だに引きずっているような古い現状認識では、現代の権力の問題を解き明かすことはできません。それは、僕の知っているすぐれた学者、法律家、ジャーナリスト等の一致した見解です。日本における左翼の著しい退潮には、そういう背景があると思います。特に政治、行政や司法に関心のない人々でも、無意識のうちに、そういうことはわかっているのだと思いますよ。


Q:竹ア前最高裁長官等が敷いたといわれる思想統制と近年の司法の劣化はどの程度リンクしているとお考えですか?


瀬木:これは、『絶望の裁判所』に詳しく書き、『ニッポンの裁判』第7章でも裁判との関連からさらに掘り下げて分析したことですが、竹ア前長官を含む刑事系トップの裁判官たち(もちろん、これに追随した民事系の人たちも相当いました)が行った思想統制や情実人事の傷跡は深いですね。


民事系の裁判官だと、たとえば権力志向、官僚的支配で有名な矢口洪一長官のような人でさえ、ある限度はわきまえるということがありました。たとえば、情実人事はまあまあの規模にとどめ、若手については従来どおりの能力主義を変えない、といったことです。日本の裁判所は閉じられた絶対主義的ヒエラルキーの、世界に珍しい裁判所組織ですから、そうした部分まで汚してしまうと、あっという間に腐敗してしまいます。ある意味、戦後長い間、裁判所が、保守の砦とはなっても決定的な腐敗まではしなかったということには、評価すべき点もあるのです。また、矢口長官も、彼なりのヴィジョンと実際の行動の乖離という人間的な問題を抱えていたという側面はあるでしょう。


しかし、2000年代の刑事系トップの人たち、そして、これに追随した民事系の人たちには、もはやそうしたものすらなくて、先のような方針を下まで貫徹してしまった。これは致命的です。僕が、2000年代の半ばすぎには、「もう転身するほかない。現在の状況は全体主義国家からの亡命待ちの知識人と変わらない」と決意したのは、そういう背景があってのことでした。


Q:『ニッポンの裁判』では、判例とともに裁判長の名前が挙げられていますね。判例雑誌ならいざ知らず、一般書ではこれまで例がないことでは? 裁判官たちは戦々恐々の状態になるのではないでしょうか?



『ニッポンの裁判』は、難解な判例を、法律の基礎知識のない一般読者でも理解できるように『複雑明快』に書いた力作。2015年を代表する新書の一冊となるだろう


瀬木:僕が、『ニッポンの裁判』で、具体的な検討を行った裁判および重要と思われる裁判については裁判長の氏名を記すことにしたのは、第3章以下の裁判分野別総合分析に先立って、第1章、第2章で論じたように、「価値」に関わる訴訟の裁判には、裁判官の総合的な人格が深く関係しているのを考慮してのことです。


それに、裁判官がその良心と憲法を含む法律に従って下すべきものとされ(日本国憲法76条3項)、「公文書中の公文書」ともいわれる裁判については、それらを分析、批判する場合に、その判断につき国民、市民に対して責任を負う者の氏名が記されることが、本来、適切でもあり、必要でもあると思います。


また、僕は、よい裁判はよいと分析し、まずまずの裁判はまずまずであると分析していて、客観的な評価に努めていますし、論理一貫性や法律の趣旨をも重視しています。また、僕が消極的な評価を行った判決についても、わずかではあるが、良識派として知られる裁判官(元学者を含む)が裁判長となっている例があることも事実です。僕自身、あらためて裁判の難しさを痛感させられました。


瀬木 比呂志(せぎ・ひろし)一九五四年名古屋市生まれ。東京大学法学部在学中に司法試験に合格。一九七九年以降裁判官として東京地裁、最高裁等に勤務、アメリカ留学。並行して研究、執筆や学会報告を行う。二〇一二年明治大学法科大学院専任教授に転身。民事訴訟法等の講義と関連の演習を担当。著書に、『絶望の裁判所』(講談社現代新書)、『リベラルアーツの学び方』(ディスカヴァー・トゥエンティワン、近刊)、『民事訴訟の本質と諸相』、『民事保全法〔新訂版〕』、『民事訴訟実務・制度要論』(以上、日本評論社、最後のものは近刊)等多数の一般書・専門書のほか、関根牧彦の筆名による『内的転向論』(思想の科学社)、『心を求めて』、『映画館の妖精』(ともに騒人社)、『対話としての読書』(判例タイムズ社)があり、文学、音楽(ロック、クラシック、ジャズ等)、映画、漫画については、専門分野に準じて詳しい。



 

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コメント
 
01. 2015年1月12日 10:29:45 : C1n4PfFPfc
民事裁判の一度でも経験した人は、裁判長や若い裁判官の実態に唖然としますよ。よく考えてみれば、彼らは生涯、実社会で働いた経験や実務経験がない訳ですから当たり前なのですが、時代遅れの法律上で遊ばれたらたまらない。しかも戦後、餓死せず生き残った裁判官が組織の上にいるのですから、犯罪者に裁かれているようなもの。

02. 2015年1月12日 10:42:16 : JjSQKQLkmo
2冊の本を本屋に予約。間違っても蔦屋には買いに行かない。地元の書店を利用しようよみなさん。

03. 2015年1月12日 19:06:17 : zWyo4NgVoY
明治以来裁判官、官僚のトップは「出世指向」が強すぎる。出世のためなら人事権を持つ先輩のいう事を聞く学閥組織。裁判官の人事権を持つ最高裁総務局が検察首脳と打ち合わせた通りの判決を出すのが裁判官の出世の近道。こんな事昔から辞め検弁護士が言っていたが、弁護士稼業も官の締め付けがあるので、声も弱くなる。こうして官僚天国ができあがって「正論」は無視されていく。
官僚で一番権力を持っているのは、検事総長起訴するもしないも思うまま。逮捕権を振りかざして「冤罪作り」は当たり前。小沢一郎の陸山会裁判では小川裁判長の無罪の判決文に「あってはならぬ事(虚偽公文書の作成、行使)をした検察は検察内部で処分するのが妥当」と記載されたにも係わらず、担当の田代検事は減給処分を受けただけ。今弁護士をしているという。
役人万歳!検察万歳!これで良いのか?

04. 2015年1月13日 00:41:53 : f5wCgWXG2k
  彼は昔から左派でも無く、リベラルでも無かったそうだ。そうだろう、そうでなければ裁判官になることは出来ない。研修所の教官から判事、検事へと肩を叩かれるのは、従順で権威に忠実そうな研修生でなければならないからだ。
   司法試験に合格するだけではなく、この二年間の司法研修所にて完全に、言葉は悪いが、国家を統治するエリートと巷の弁護士という方向性が与えられてしまうのだから、その後の法廷闘争にも確実にこうした選別の影響が出ることは容易に想像出来るのではないか。まさに官僚機構のシナリオ通りである。
   このような中で、瀬木氏の存在は秀逸である。現判事も、平均年間200件も案件を持たされて、国民の運命をところ天式に処理せねばならないことに、法治主義最後の砦の番人としての理不尽を覚えないことこそがおかしいのだが、後に続く判事が皆無であるのが真に絶望的である。

05. 白猫 2015年1月13日 10:04:20 : 3UXZ9G0eyfiL6 : po61uoQ0ZM
03さんのご意見に賛同する。
エリートの強すぎる出世思考がその根本にあると私も思う。
なぜそうなるのであろうか?
これは中国、朝鮮、日本と東アジアで特に強いように思え、それは歴史的に中国の科挙の制度に起因しているように思う。
皇帝の国家統治の為の官僚制度の柱が科挙の制度であり、記憶力と頭の回転の速い人材を統治の任に当たらせ、その代償として高い地位と報酬を与える制度だ。
市民革命を経て近代国家が成立した欧米ではこれは事実上消滅している。

一方、司法についていえば絶対神を持つ一神教では神との約束となるが東アジア諸国は多神教が多く絶対神は存在せず、従って人治主義となってしまい、結果として法治主義も形式に堕してしまう。
以上が新藤宗之氏の「司法官僚」、瀬木比呂志氏の「絶望の裁判所」を読んでみて私が思ったことである。


06. 2015年1月13日 13:06:27 : qF4T1YwunA
03さん
>小沢一郎の陸山会裁判では小川裁判長の無罪の判決文に「あってはならぬ事(虚偽公文書の作成、行使)をした検察は検察内部で処分するのが妥当」と記載されたにも係わらず、担当の田代検事は減給処分を受けただけ。今弁護士をしているという。
役人万歳!検察万歳!これで良いのか?
  ↓
田代検事はまがりなりにも減給処分”を受けたと思いますが、同じく検察審査会に提出する報告書で悪事をなしたキャメルコート佐久間達哉は前橋地検から千葉地検へと要職を渡り歩いています。

07. 2015年1月13日 16:42:44 : W1ULAU6lcc
保険・ 司法 ・ デタラメ裁判が 人を殺す時代が来た 金融保険主義国家日本

08. 2015年1月13日 16:52:16 : dDE2YUAWW6
日本という国の法学部そのものが
絶望の学部でしょうね。

彼らは真の正義を学ぶことは出来ないのだから。

哀れな存在ですよ。

旧約聖書の
コヘレトでも読めばよい。

法体系がそもそも欺瞞なのだから。


09. 2015年1月13日 19:20:31 : RQpv2rjbfs
まともな判断力を持った人なら同意せざるを得ない事実に基づく批判、告発はいつものように見事にスルーされるのであった。

めでたくなし、めでたくなし、おめでたいのは小判鮫裁判所やサナダ虫検察を信じる国民であった。

こんなでは間違いなく日本は衰退、没落する、そのへんの危機感が国民にあるとは思えない。ソクラテスの言うように正義とは法律なのだから。


10. 北の吟遊詩人 2015年1月13日 23:23:00 : 3lfvZQ5gr4BHg : HQSDrbNBIQ
>03さん>06さん
田代が弁護士に転職、キャメルは千葉に栄転(怒)・・はわかりましたが
石川元議員の女性秘書を監禁した民野検事はその後どうなりましたか?


11. 2015年1月14日 02:00:09 : dDE2YUAWW6
この国の現在の法体系とは、パリサイ人集団であり、ユダヤ・サンヘドリンが管理する集団

ということです。

その血脈がこの島に流れ着いて寄生しているのだから

さもありなん。イエスを血祭りに上げた愚か者らと同族なのだから。

人間という、崇高なる存在、その気高さ、全てを包容する愛と光が
法律家という機械には無い。

ということです。法律家を養成する教育機関そのものが
愚かであり、そこに光がない闇なのです。

こんな簡単な真実がわからない。それを
下僕に使うこの国の「所有者」(のつもりだろうが)

の程度も知れる。



12. 2015年1月14日 12:44:18 : ZrMDpsyito
卑しい奴、倫理観の無い奴、私利私欲の塊のような奴等が警察、検察、裁判所に一定程度いて、こういう奴らだから汚い手を使って権力を握る。袴田さんを苦しめたのもこんな下らん奴らだ。こいつらこそ死刑に値する。死刑制度においらは反対だけど。

13. 2015年1月15日 13:01:52 : qF4T1YwunA
■検察・司法がしかけた「小沢一郎追放プロジェクト」に使った費用は?

●特捜・キャメルコート佐久間の捜査費用だけでも30億円・・・

小沢一郎の捜査に使った費用は30億円と推計されている。

しかし、以下に見るようにこのキャメルコート佐久間の使った費用は「小沢一郎追放プロジェクト」のほんのわずかな一部でしかない。

検察審査会法の改悪から始まり、佐久間の捜査、秘書の捜査、検察審査会開催(幽霊?)、検察審査会イカサマソフト、小沢さんの裁判、秘書の裁判、江田五月や仙谷由人の費用、民主党代表選のイカサマ費用等々を含めると、捜査費用の10倍を優に超える費用が使われていると考えられる。

これは全て国民の税金であり、こうした一連の犯罪プロジェクトの実行犯のふところや最高裁の裏金(?)となって消えているのである。

「小沢一郎追放プロジェクト」は2004年から2012年までの長期に渡るものとなった。

●検察・司法による「小沢一郎追放プロジェクト」の軌跡(2004年〜2012年)

【2004年〜2009年:事前準備ステップ】

@最高裁事務総長:竹崎博允→『検察審査会』増設再編。(2008年)

 司法制度改革審議会事務局長:樋渡利秋→『検察審査会』制度改悪。(2004年)

⇒もし万が一特捜が小沢を起訴できなかった場合でも、素人審査員を使って小沢を強制起訴できる準備を完了した。(実際の制度改悪の施行は2009年5月から)

A最高裁長官:竹崎博允→突然のそして異例の大抜擢で就任。(2009年)

 検察庁長官:樋渡利秋→『検察審査会』改悪コンビによる実行体制完了(2009年)

 特捜部長:佐久間達哉→樋渡の覚えめでたく異例の出世。(2008年)

【2009年〜:実行ステップ】

B検察庁長官:樋渡利秋→麻生政権の指揮権発動で小沢秘書逮捕。(2009年3月)

 特捜部長:佐久間達哉→小沢一郎強制捜査開始。(2009年)

C『検察審査会』改悪法(素人審査員が共生起訴できる)施行。(2009年5月)

D検察庁長官&特捜部長:樋渡利秋&佐久間達哉は小沢起訴を断念。(2010年)

E最高裁事務総長:山崎敏充→(幽霊)『検察審査会』起訴議決。(2010年10月)

 特捜部長:佐久間達哉→『検察審査会』に「ねつ造報告書」等提出(後日懲戒)

F民主党内自爆団:江田五月,仙谷由人→代表選イカサマ選挙他(2010年10月)

G指定弁護士:『検察審査会』議決に基づいて小沢一郎を強制起訴(2011年1月)

G最高裁長官:竹崎博允→「推認有罪」等なんでもありの秘書裁判判決(2011年9月)
⇒小沢一郎無罪となることが分かっているので、なにがなんでも秘書を有罪にして置きたかった。

H最高裁長官:竹崎博允→小沢一郎無罪判決(2012年4月)

Iダマスゴミ:ナベツネ他→全過程に於いて執拗な小沢人格破壊報道

●「小沢一郎追放プロジェックト」は検察・司法官僚によるクーデター

こうして整理してみると検察・司法(竹崎、樋渡、佐久間ほか)が周到に準備し、パシリ政治家(麻生太郎、江田五月、仙谷由人など)とゴミメディア(ナベツネなど)を使いながら10年弱をかけて実行したクーデターであったことがよくわかる。

この国の支配者である悪徳官僚どもは国民の巨額な税金を使って、国民が正当な(民主的な)手続きで選んだ小沢一郎を追放したのだ。

これによって国民は物的にも心理的にも甚大な被害を被ったのである。

そして有罪の判決を受けた秘書達(石川元議員は控訴中)の人生の無念を、我々は忘れてはならない。



14. 2015年1月15日 13:27:10 : qF4T1YwunA
13(D、Eの内容を一部追記します)

D検察庁長官&特捜部長:樋渡利秋&佐久間達哉は小沢起訴を断念。(2010年2月)

謎の市民団体(在特会代表櫻井誠)『検察審査会』に不起訴不当を申立て(2010年2月)

E最高裁事務総長:山崎敏充→(幽霊)『検察審査会』起訴議決。(2010年10月)

⇒この日は小沢一郎が立候補している民主党代表選の議員投票日であった。
検察・司法とパシリ政治屋(江田五月、仙谷由人)が一体となっている証左である。

 特捜部長:佐久間達哉→『検察審査会』に「ねつ造報告書」等提出(後日懲戒)


15. 2015年1月15日 17:08:00 : VoWqwudshM
「恵庭OL殺人事件」なんて誰がどう考えたって冤罪間違いない。

一審判決もメディアは当然に無罪を予測していたほどだったが、この不思議な役所は証拠が一切ないのに警察のでたらめな筋書きをうのみにして有罪を宣告した。そのことが大ニュースだったなだ。その上、上級審もことごとくでたらめな一審判決を合理的説明を一切しないで支持した。

http://biz-journal.jp/2014/05/post_4963.html

その上、新たに無罪の証拠を丹念に積み重ねた再審請求も棄却した。

何という残酷でどす黒い役所なんだろう。この役人たちに税金で高給を施していることに絶望する。この著者がこの役所に居続けられたことが奇跡というべきだろう。

メディアはもっと追跡するべきだった。


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