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盧溝橋事件の銃声と集団的自衛権
http://www.asyura2.com/14/warb13/msg/173.html
投稿者 平成一郎 日時 2014 年 6 月 05 日 16:25:23: upNo7z4P2yRmo
 

たった1発の「銃声」が戦争を引き起こすということを、私たちの国は歴史上の事実として知っている。日中戦争の発端となった「盧溝橋事件」は、歴史の授業で誰もが教わる話である。中国側の発砲だったとされるが、じつは一人の日本兵も撃たれてはいない。しかし、意図的かどうかは別として、事を重大視した日本軍は本格的な戦闘へ突き進み、大陸での8年間に及ぶ泥沼の戦いにつながっていくことになる。


戦後約70年。安倍晋三という戦争好きの政治家は、こうした歴史上の事実を無視し、再び「いつか来た道」へと、国民を引きずり込もうとしている。彼は、いったい何が望みなのだろう……。


1937年(昭和12年)7月。北京郊外の盧溝橋で、数発の銃声が響いた。中国軍兵士による発砲だったとされるが、銃弾が日本兵にあたったわけではない。しかし、付近で演習中だった日本軍は、発砲を敵対行為とみなし中国軍を攻撃。これを契機に本格的な戦争へとなだれ込む。日中戦争は、実害の伴わない「銃声」が発端だったのである。


盧溝橋で銃声が聞こえた時、たまたま点呼で兵士が1名足りない状況だったことが、騒ぎを大きくした原因ともいわれる。しかし、軍は中央の不拡大方針を無視して戦線を拡大。それに伴って日本は、次々と兵力を増強し、広大な中国大陸での消耗戦に突入していく。盧溝橋で発砲したのが国民党軍だったのか、共産党軍だったのかさえ定かではなく、日本軍の謀略だったとする説もあるほどだ。いずれの発砲だったにせよ、戦闘行為をエスカレートさせたのは日本側。全面戦争に持ち込む口実を探していた軍部にとっては、じつに好都合な「銃声」だったということだろう。


日本軍には、盧溝橋での謀略を疑われるだけの根拠がある。1931年(昭和6年)、旧満州(中国北東部)の奉天(現・瀋陽市)近郊にある柳条湖で、南満州鉄道(満鉄)の線路が爆破された。日本の軍部はこれを中国側の仕業であると公表し、満州事変の起点に利用したが、満鉄線爆破は日本軍によるものだったことが戦後になって証明され、謀略の実態が明るみに出る。戦争好きの日本陸軍が、盧溝橋でもでっち上げをやったのではないか―そう思われても仕方のない状況が、当時は存在したのである。


今日の日本で、自衛だの国益だのという言葉に胡散臭さが付きまとうのは、戦前の軍部が、武力行使の理由を邦人保護や自衛のためだと主張したことと無関係ではなかろう。太平洋戦争を「自衛のための戦争だった」と強弁する向きもある。しかし、他国の領土を軍靴で踏みにじる行為は、相手国から見れば「侵略」でしかない。自衛であれ他国からの解放であれ、戦後、アジア諸国が日本に向けてきた厳しい視線は、そうした屁理屈が通らないことを示している。


先月、「安全保障の法的基盤の再構築に関する有識者会議」(安保法制懇)の報告書提出を受けて会見に臨んだ安倍首相は、集団的自衛権を行使することの意義について、次のように語っている。


日本が再び戦争をする国になるといった誤解があります。しかし、そんなことは断じてあり得ない。日本国憲法が掲げる平和主義は、これからも守り抜いていきます。このことは明確に申し上げておきたいと思います。むしろ、あらゆる事態に対処できるからこそ、そして、対処できる法整備によってこそ抑止力が高まり、紛争が回避され、我が国が戦争に巻き込まれることがなくなると考えます。


皆さんが、あるいは皆さんのお子さんやお孫さんたちがその場所にいるかもしれない。その命を守るべき責任を負っている私や日本政府は、本当に何もできないということでいいのでしょうか。内閣総理大臣である私は、いかなる事態にあっても、国民の命を守る責任があるはずです。そして、人々の幸せを願ってつくられた日本国憲法が、こうした事態にあって国民の命を守る責任を放棄せよと言っているとは私にはどうしても考えられません。


会見の中で、首相は何度も「抑止力」という言葉を口にした。抑止力とは「武力」「戦力」のこと。つまり「目には目を、歯には歯を」という考え方だ。だが、紛争当事国でもない日本の自衛隊が、首相のいう「攻撃国」とやらに反撃したとたん、今度は日本が「被攻撃国」になるのは道理。そうなれば、本当の戦争になることぐらい、子どもでも分かる話だろう。それでも首相は、憲法をねじ曲げ、集団的自衛権を行使して戦争をやらせろという。扇情的で、現実性に乏しい内容を、高揚感を漂わせて話す姿が、かつての軍部とダブって見えた。


安倍晋三という軍国主義者が心底待ち望んでいるのは、他国からの攻撃。それが、ただの「銃声」であろうと安倍には関係がない。戦争が出来さえすれば、柳条湖のような謀略も、盧溝橋の時のような勝手な戦線拡大もいとわないだろう。この首相は一日も早く辞めさせるべきだ。それが歴史に学ぶということではないか。


http://hunter-investigate.jp/news/2014/06/20140605-101500.html
 

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コメント
 
01. 2014年6月05日 17:34:47 : cUchBPexSM
陰謀はあって当たり前で当時はとくに偽旗作戦は実に簡単であった。実際には何も起きていなくても起きたことにするくらいのことは朝飯前だ。どこまで事実でどこから作り話か、後々に至るも解明不能になるために、我々の信じている歴史的事実もいつ消えてなくなるか知れたものでない。

02. 2014年6月05日 18:37:11 : nJF6kGWndY

>盧溝橋事件 安倍晋三という戦争好きの政治家は、こうした歴史上の事実を無視し、再び「いつか来た道」へと、国民を引きずり込もうとしている

この手の煽りは多いが

今のように、責任回避を続け安全保障のタダ乗りを続けられるものではない

逆に外患を招き安全保障を損なうことになるのは、既に明らかになりつつある


スイスが安全を守っているのは、別に永世中立を自己主張しているせいではなく

自国を守るための、備えがしっかりしているからであり

過去の永世中立国が簡単に侵略されてきた


また冷戦時には大国間の戦争が無かったことからも、集団安全保障の重要性は明らかだろうな


03. 母系社会 2014年6月05日 19:22:48 : Xfgr7Fh//h.LU : xef968k4SM

>>02さん

世界銀行系の機関によると、今年、中国は米国を抜いて、
世界一の経済大国になるそうです。

遅くとも、来年、米国を抜くのは確実です。

これは「購買力平価」ベースですが、米国のCIAも、
「購買力平価」でのGNPを使用しているように、
通貨ベースよりも、「購買力平価」ベースの方が正確です。

今世紀半ばまでには、少なくとも、米国の2倍の規模には
なるでしょう。

その頃には、中国も民主化しています。

ついに、アジアが世界をリードする時代が始まります。

そう遠くない将来、「東アジア共同体」が結成され、
アジアの安全保障条約、そして、アジア版のNATOも
できますから、日本も安泰です。

日本やアジアの文化は、家族を大切にする文化であり・・・

米国のように、家族同士が、お互いに裁判所に訴え
合ったり、子供が犯罪を犯した場合、親は絶対に謝罪
せず、むしろ、親も被害者と見なすような極端な
個人主義国とは、文化が違います。

そろそろ、米国風の極端な個人主義とは縁を切らないと、
家族は社会の基礎ですから、日本は崩壊してしまいます。

というか、日本の家族の崩壊は、既に始まっていますが、
まだ、大丈夫でしょう。


04. 2014年6月05日 19:35:58 : TGZjS8iB2r
●1936年
12月12日、西安事件。蒋介石が張学良に騙されて監禁されるも、共産党の周恩来が蒋介石に抗日戦線の統一を約束させ釈放

●1937年
7月7日、盧溝橋事件。夜10時30分頃、演習中の日本軍が2度にわたって銃撃を受ける
7月8日、午前3時25分に支那側から3度目の射撃、4時20分に牟田口連隊長が反撃を命令、5時30分の4度目の銃撃をきっかけに反撃開始
7月9日、午前4時に現地で停戦の約束がされるまで日本側戦死11人・負傷36人、支那側(推定)戦死30人・負傷約100人。蒋介石は4個師団と戦闘機を北支に派遣
7月10日、支那側が攻撃を再開、日本側も応戦、日本側に戦死6人、負傷10人。参謀本部第三課と陸軍軍事課は、支那側が「対日武力戦争を準備」しており、北京地区1万2千人の居留民保護に不安があり、支那第29軍7万5千人に対抗するため10万人規模の「北支出兵」を主張。石原部長も承認して陸軍の決定となる
7月11日、現地で停戦協定が成立。支那の何応欽部長が、7月末までに戦争準備を整える全兵力動員の「戦争計画」を指示。14時、日本の閣議で5個師団の「北支派兵」が決定し声明
7月13日、支那兵が移動中の日本軍トラック2台に手榴弾を投げ込み全員を爆殺
7月14日、支那兵が日本の騎馬兵を惨殺
7月16日、事件を収拾させようとする宋哲元に対し、蒋介石は「日本の策謀に乗じるな、戦備を整えよ」と打電
7月17日、蒋介石が『生死関頭』演説を行い戦争の決意を表明
7月25日、郎坊事件、日本軍が攻撃を受ける
7月26日、広安門事件、日本軍が攻撃を受ける
7月28日、日本軍が北支への攻撃を開始
7月29日、通州事件。日本人居留民約260名が虐殺される


05. 2014年6月05日 19:39:59 : TGZjS8iB2r
1937年8月31日付のニューヨーク・タイムスは次のように報じている。
「外国人は日本を支持」 上海における軍事衝突を回避する試みによりここで開催された様々の会議に参加した多くの外国政府の代表や外国の正式なオブザーバーたちは皆、以下の点に同意するだろう。日本は敵の挑発の下で最大限の忍耐を示した。日本軍は居留民の生命財産を多少危険にさらしても、増援部隊を上陸後数日の間、兵営の中から一歩も外に出さなかったのである。 8月13日以前に上海で開催された会議に参加したある外国使節はこうみている。 「7月初めに北京近郊で始まった紛争の責任が誰にあるのか、ということに関しては意見が分かれるかもしれない。しかし、上海の戦闘状態に関する限り、証拠が示している事実は一つしかない。日本軍は上海では戦闘の繰り返しを望んでおらず、我慢と忍耐力を示し、事態の悪化を防ぐために出来る限りのことをした。だが日本軍は中国軍によって文字通り衝突へと無理やり追い込まれてしまったのである。中国軍は外国人の居住している地域と外国の権益を、この衝突の中に巻き込もうとする意図が有るかのように思えた。」
(HALLETT ABEND 上海特派員)
ニューヨーク・タイムスは、当時全般的傾向としては日本に対して批判的で、中国に同情的な論調であった。そのニューヨーク・タイムスも中国軍の一方的な攻撃によって、上海の戦いが始まったことを伝えているのである。

http://hassin.org/01/wp-content/uploads/The-Second-Sino-Japanese-War.pdf


06. 2014年6月05日 21:31:15 : TGZjS8iB2r
・盧溝橋事件の徹底拡大を図った共産党

日本軍が一斉侵攻を行った事実などないのであるが、共産党はそれを望んでいたことをスノーの文章は図らずも暴露している。蒋介石が剿滅作戦を放棄せざるをえなくなったことを喜んでいるが、さらに進んで日本軍と戦わせることが彼らの本当のねらいであった。盧溝橋事件後に出されたコミンテルン指令(注9)は1項、2項で次のように言っている。
1)あくまで局地解決を避け、日中全面衝突に導かなければならない。
2)右目的貫徹のためあらゆる手段を利用すべく、局地解決や日本への譲歩によって中国の解放を裏切る要人は抹殺してもよい。
共産党の苦境打開という直接的な狙いの他に、盧溝橋事件の真の狙いは日中全面衝突を起こすところにあったことが、これではっきりと理解できる。共産党は抗日を叫んではいたが、自らが直接日本軍と戦うことよりも、日本軍と蒋介石軍との間の本格戦争を引き起こすことこそが、真のねらいだったのである。
これによりソ連の安全確保という目的が達成でき、そして日中両国の疲弊・共倒れをもたらすことによって、共産党の勝利を実現しようという長期的な戦略である。コミンテルンの世界戦略とそれを推進した中国共産党のこの最終目標はその後1949年に実現したことは言うまでもない。

http://hassin.org/01/wp-content/uploads/The-Second-Sino-Japanese-War.pdf


07. 2014年6月06日 12:53:34 : w3M1BHSquE
盧溝橋事件に遡る事6年前、柳条湖事件を自作自演し 満州制圧のキッカケを作った石原莞爾が
一転して この盧溝橋事件に伴う戦火の拡大には反対を唱え、戦果不拡大論を説きに満州へ乗り込んだ

しかし、その石原にたいして 当時の軍務局長 武藤章は こう言い放っている
「我々は、貴方の6年前の行動を 見本として倣っているだけです」
これを言われて石原は 何も言い返せなくなったと言う

この発言だけを捕っても、盧溝橋事件が関東軍の謀略であった可能性は極めて高く
また、もし偶発的だったとしても、「これ幸い」 として 戦火拡大に喜んで利用した事だけは
間違いの無い事実であり、日本の国を“戦争への道”に引きずり込んだのは こやつ等 陸軍軍人たちである

これが、全ての日本人が壮絶な苦しみを味わう 「敗戦」 への序章なのである

馬鹿ウヨ連中が“御題目”の如く言う 自衛のための戦争などとは 間違っても言えないのである
全ては日本による侵略行為に端を発した 自作自演の 「自滅戦争」 なのである。


08. 2014年6月06日 16:25:18 : hNpSIt9SQI
盧溝橋の銃弾は、日本軍でも国民党軍でもないよ。毛の共産党軍が闇夜に紛れて両軍に発砲したの。共産軍は何が何でも日本軍と国民党軍を戦わせたかったんだよ。そして実際そうなった。最終的には通州事件によって日本の世論が『シナを撃て』となり、沸騰させた。
 それはそうだろう。居留民の婦女子残らず、人間とは思えないような残虐な方法で殲滅したんだからね。証拠写真もワンサカある。しかしその写真を、日本軍が中国人民に行った虐殺の証拠写真として 各所記念館では展示してる。 中国人の歴史ねつ造・歪曲は太古の昔からの伝統だね。

 毛は飛び上がって喜んだ。国民党軍がもし日本軍と交戦せず消耗しなかったら、間違いなく共産軍は敗退していた と彼自身が認めている。
 だから毛は角栄にお礼を言ったんだよ。『よく戦ってくれましたね』 と。国民党軍の戦意は高かった。蒋介石は妻を米国中回らせて、日本の非道さを訴えさせた。米国民の同情を買うためにね。
 毛が漁夫の利を得たわけだね。


09. 2014年6月06日 17:20:12 : w3M1BHSquE
南京虐殺についても同様である その人数についてだけは諸説あるが
日本軍による理不尽な虐殺が 「有った」 事だけは、覆しようの無い事実である

松井岩根陸軍大将の、「南京事件ではお恥ずかしい限りです・・・」 以下のコメントはもとより

旧陸軍の親睦団体であり、旧軍人の立場に立った活動をする 「偕行社」 による調査が行われたのは
80年代の事であるが、この偕行社は当初 南京大虐殺は捏造であるとの立場から調査を開始した

旧軍人の立場に立った偕行社だからこそ 軍人たちは重い口を開いたのである
するとどうだろう、偕行社の当初の思惑とは裏腹に 虐殺に加わったと言う証言が次から次と出て
ついには偕行社も南京虐殺が“実在”する事を認めて謝罪したと言う経緯が有る

松井岩根陸軍大将という指導者立場の軍人が、そして偕行社という軍人立場の団体が
右の立場にいる人間達が 南京虐殺が実在した事を、【認めて】いるのである
左翼マスコミや左翼団体だけが指摘しているのでは無いのだ。

そして、盧溝橋事件“だけ”は誰の仕業かは判明してはいないが

張作霖爆殺事件 柳条湖事件 上海事変 などに関しては、実行者たちである
河本大作、石原莞爾と板垣征四郎、田中隆吉 など旧軍人たちが完全に認めているのである
(田中隆吉少将などは 本まで出して暴露している 「敗因を衝く」 で検索すると判る)
自作自演であった事をである 盧溝橋事件だけが“バレて”いないだけである
しかし、一連の事件の流れから見ると 盧溝橋事件だって関東軍による謀略であった可能性は
極めて高い事は、世界中の歴史家 誰が見ても想像は容易い事である。


10. 2014年6月06日 17:32:46 : w3M1BHSquE
盧溝橋事件で得をしたのは、華北地帯の制圧を 虎視眈々と狙っていた関東軍である事は
誰の目にも明らかであり、これが解っていたのは何よりも陸軍中枢と日本政府であろう

昭和天皇 裕仁陛下でさえ この事態を深く憂慮し、戦果を拡大させぬよう近衛首相に指示している
しかし、関東軍は中央の命令を無視したのである、陛下の意向すら聞かぬふりをしたのである。


11. 2014年6月07日 07:12:47 : IY4HXDuims
細かい事言うけど、関東軍じゃなくて支那駐屯軍ね。

12. 2014年6月07日 12:36:24 : w3M1BHSquE
>>11
別に関東軍で間違いは無い、現地の駐屯軍は あくまでも関東軍司令部の指揮下にある
戦線を拡大するか 収束させるかは、すべて関東軍司令部が決定する事である
これ幸いと戦果を拡大した張本人は 牟田口廉也ではあるが
制止するか否かは関東軍司令部が決める事だからだ。

13. 2014年6月07日 20:32:18 : P7G9ZBa5Ns
>12
いつから支那駐屯軍が関東軍の指揮下に入ったんだよ!
このにわかオタクが。

14. 2014年6月08日 03:03:45 : w3M1BHSquE
沿革 (支那駐屯軍)

明治33年(1900年)5月、義和団の乱が勃発し、日本政府は清国臨時派遣隊を天津に送った。その後の事態の悪化により、6月に第5師団を中心とした部隊を増派し、欧米諸国との連合軍を構成し、8月に事変は沈静化した。同年10月、第5師団の指揮下にあった混成一個旅団により清国駐屯隊を編成し、他の部隊は順次復員した。明治34年(1901年)5月から清国駐屯隊も順次復員した。

そして、同年5月31日には北京議定書に基づき新たに清国駐屯軍が編成され、日本の公使館、領事館、在留邦人の保護を担うこととなった。その後、清国の滅亡に伴い明治45年(1912年)4月26日に清国駐屯軍を支那駐屯軍と改称した。

昭和11年(1936年)4月18日、北支情勢の悪化に備え支那駐屯歩兵旅団を新設し、それまで駐屯軍全体で歩兵10個中隊程度の規模であったのを混成旅団規模に強化し、同年5月1日から司令官は親補職になった(昭和11年軍令陸第2号「支那駐屯軍司令官の親補に関する件」)。

強化した翌年の、昭和12年(1937年)7月7日に盧溝橋事件が発生し日中戦争(支那事変)が勃発した。盧溝橋事件発生後、まず朝鮮の第20師団と関東軍の独立混成第1・第11旅団を隷下に入れ、さらに7月27日に内地の第5・第6・第10師団も隷下に入れた。その後8月31日には第1軍に改編され、支那駐屯軍は廃止された。廃止に当たり直属部隊は支那駐屯混成旅団に改編された[1]

盧溝橋事件で戦線拡大を唱える関東軍の対中強硬姿勢とは正反対に、支那駐屯軍は積極的に中国側と停戦交渉を行っているなど対中穏健姿勢である。

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なるほど、厳密に言えば 支那駐屯軍は 関東軍の別組織と言えるが
盧溝橋事件を“利用し”日中の全面戦争に持って行ったのは 間違いなく 「関東軍」 である
日中戦争を防ぐべき立場にあったのも、日本政府の意向や 天皇陛下の憂慮も 無視したのは
関東軍司令部でおかしくはなかろう。


15. 2016年9月20日 14:12:07 : JbxWxlYvGU : ni4DvTer@vM[2]

ふうりんの備忘録

中国での生活・体験など


お勧め書籍


2015-09-07 16:30:11
テーマ:知識のお勉強


書籍:大東亜戦争の正体 −それはアメリカの侵略戦争だった−
著者:清水 馨八郎
http://ameblo.jp/dyqe/entry-12070466547.html(全文)

P116〜118 毛沢東、周恩来、劉少奇の証言

昭和12年7月7日、午後10時過ぎ、盧溝橋近くに駐留していた日本軍に何者かが発砲した。
銃撃は数回にわたったが、日本軍は反撃せず、隠忍自重していた。
が、翌日になって日本軍は遺留明の保護と自衛のため反撃に出た。
この最初の発砲事件が中国共産党が仕掛けた謀略であることは、先にも述べたとおり、次の発言で明らかとなった。


@劉少奇の「盧溝橋事件は中共軍の謀略だった」という発言
当時中国共産党の副主席であった劉少奇が、戦後になって

●「盧溝橋事件の仕掛人は中国共産党で、現地の責任者はこの俺だ」

と証拠を示して西側記者団に発表した。
●この発表が契機となって、当時戦犯として巣鴨プリズンに拘置中の河辺大将、牟田口中将は理由も告げられず釈放された。
●東京裁判で、盧溝橋事件を起こした罪を、日本軍に負わせるため現地の日本軍指揮官を処罰しようとしていたところへ、事件を起こした真犯人は中共軍だと発表され、あわてて右のような処置に出たのである。
●劉少奇の発表を聞いた時、東京裁判の主席検事だったキーナンはあわてふためき、顔面蒼白になったそうである。


A周恩来の「中共軍が日本軍と国民党軍の鉄砲を撃ち込み、相戦わせた」という発言
周恩来首相は昭和24年(1949年)の中華人民共和国樹立宣言の際、

●「われわれ中共軍が日本軍と蒋介石の軍隊の両軍に鉄砲を撃ち込み、さらに日華協定を妨げたことが、中国共産党の今日の栄光をもたらした起因である」

と言明した。


B毛沢東の「日本軍のお陰で、中華人民共和国をつくることができた」という日本に対する感謝発言
●右の周恩来や劉少奇の言と同じように、毛沢東も日本軍と蒋介石軍を相討ちさせたお陰で、中華人民共和国をつくることができたと認めている。
昭和39年(1964年)7月10日、毛沢東は当時の日本社会党の委員長だった佐々木更三氏と、会見した時の対話の中で、はっきりと、こう述べている。

<中略>


何も申し訳なく思うことはありません。
日本軍国主義は中国に大きな利益をもたらし、中国人民に権力を奪取させてくれました。
●皆さんの皇軍なしにわれわれが権力を奪取することは不可能だったのです。
この点、皆さんと私は意見を異にしており、われわれ両者の間には矛盾がありますね(皆が笑って会場が盛り上がった)。


16. 2017年8月06日 01:55:35 : NQO0ApT5mk : Jfp6zyQtewg[4]
news-us

【緊急】南シナ海で米軍兵が行方不明に!!!?  ヤ バ す ぎ る 事件が発生!!!  2ch「始まるってことだよね」

2017.08.06
http://www.news-us.jp/article/20170806-000011c.html

【国際】南シナ海で任務中の米駆逐艦から水兵ひとりが失踪。日米の艦が捜索中。中国ネット民「これ盧溝橋事件に似てね?」

(以下略)


______

さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」

保守の会会長 松山昭彦のブログ

東京新聞「日本人は歴史の愚を学べ」

2017/7/8(土) 午後 11:59
https://blogs.yahoo.co.jp/bonbori098/34801926.html?__ysp=6Kaq5pel5rS%2B44Gg44Gj44Gf6JKL5LuL55%2Bz44GM5Y%2BN5pel44Gr44Gq44Gj44Gf44Gu44Gv55un5rqd5qmL5LqL5Lu244GL44KJ(一部引用)

盧溝橋事件80年 歴史に「愚」を学ぶとき

北京郊外で旧日本軍に銃弾が撃ち込まれた盧溝橋事件から八十年になる。これが八年間に及ぶ日中戦争の発端になった。止められた戦争と歴史は教える。

(略)

(2017.7.8 東京新聞)

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まず、歴史上には「日中戦争」という言葉はない。この言葉は戦後、左翼歴史家が作った言葉で、当時は「支那事変」と呼んでいた。ここから東京新聞の歴史認識は失格である。



-----「現地で停戦協定が成立したにもかかわらず、華北への派兵が決定し、戦争拡大へと歯車は動きだした」(東京新聞)-----



ものごとには必ず理由がある。日本が派兵した理由を書かずに「日本は派兵させたため戦争拡大となった」と書くのは意図的すぎる。



満州事変の停戦協定である「塘沽停戦協定」からしばらくは平静であったが、昭和10年に日本人に対する殺人事件など反日事件が50件ほど起きた。



現地の日本人居留民が不安になると、日本軍は国民党に「華北を安定しなければ軍が実力で治安を担当する」と通告した。治安を安定させるのは当事国の務めだ。しかし国民党政府はそれをしなかったために、日本人の生命・財産を守るために派兵したのだ。





-----「盧溝橋事件は幾重にも謎に包まれている。それなのに戦争を始める。「愚」である。不要な戦争であった」(東京新聞)-----



人民解放軍の兵士用教科書『戦士政治課本』に「盧溝橋事変は劉少奇の指揮する学生が起こした」と、シナ共産党が戦争に導いたと書いてある。



支那派遣軍情報部北平支部長の秋富重次郎大佐は「盧溝橋事件直後の深夜、北京大学構内の通信所から、延安の共産党軍司令部に緊急無線で、成功した、と三回連続反復送信していたのを傍受した」と証言している。



さらには1949年、中華人民共和国の樹立宣言で「我々共産党軍が日本軍と蒋介石軍の両軍に鉄砲を撃ち込み、日華協定を妨げたことが共産党の今日の栄光をもたらした起因である」と盧溝橋事件はシナ共産党が仕掛けたと自ら述べているのだ。





-----「戦争の公式目的が「中国を懲らしめるため」である。そんな荒っぽい理屈が当時の国際社会に受け入れられるはずもない」(東京新聞)-----



●これも、当時の日本の感情を無視した解釈だ。東京新聞は歴史をきちんと調べもせずに思い込みだけで書いているのか?



●シナを懲らしめるとなったのは、7月29日に260人の日本人女性や子供が凌辱され惨殺された「通州事件」が起きて、日本国民の怒りと屈辱で「支那を懲らしめよ」となったのだ。



●これを指令したのが日支全面衝突させたかったコミンテルンであり、工作したのはシナ共産党北方局の劉少奇の部下の黎巨峰と王自悟であることがシナで明らかにされている。



●東京新聞は「コミンテルン」と「通州事件」を書かずに「荒っぽい理屈」と書くのはあまりにもお粗末ではないか。





-----「和平はとても成立しなかった。寛容さがあれば、戦争を止めることもできた。和平を台無しにした「愚」もあるのだ」(東京新聞)-----



●この和平を妨害していたのもコミンテルンだ。理由は「第七回コミンテルン会議」にある通り、日支の戦いを長引かせて日本軍の体力を消耗させようとしていたからだ。



●この時、蒋介石に和平をさせないようにしていたのが黒田善治である。反日日本人が蒋介石に指導、工作していたのだ。





-----「こういう時こそ、歴史の「愚」を学ぶとき」(東京新聞)-----



●今まで指摘してきた通り、歴史をきちんと学ぼうともせずに、戦前の日本がやってきたことは全て「愚」と決めつける東京新聞。よくもこんな幼稚な記事を書けたものだ。





戦後言われている歴史は嘘が多い。

●まず日本軍は上海事変から南京、徐州、漢口と攻め入って支那民衆を苦しめたように教えられているが、全く違う。



●上海も南京も徐州も日本軍が国民党軍を追い出したことにより治安がよくなり、支那民衆から大変感謝されていたのだ。



●日本軍が蒋介石国民党を追い出したことで、国民党に深い恨みのある支那民衆は「和平救国、反蒋大会」を上海、南京、杭州、九江など各地で開催し、支那民衆は「親日」を要望し、「日の丸」や「五色旗」(満州の旗)を掲げて「打倒蒋介石」の声を高らかに上げて、反蒋デモが行われた(下画像)。

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広東では支那人が「日の丸」を背中に、襟に「親日突撃隊」と書いた法被(下画像)を着て、東亜新秩序を集会を行っていた。これは日本軍が来たことで治安が回復した感謝の祝賀であった。

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●支那民衆を苦しめたのは「蒋介石国民党」や虐殺と粛清を繰り返していた「毛沢東共産党」であった。これを戦後は「日本軍」にすり替えたのだ。



●当時の支那人はみんなそれを知っていた。



水間政憲著『一目で分かる日中戦争時代の武士道精神』にはこう書かれている。

1990年頃、上海出身の知人が教えてくれた言葉の意味が全て理解できました。それは筆者が「日本を批判している中国から、なぜ留学してきたのか」との質問に「お母さんは上海に日本軍が来てから治安が回復し、夕方でも外で遊べるようになった。日本軍は信頼されていた」と語った。


_______

迷える夏の恋人たち


◆ 「南京虐殺」宣伝の裏に共産勢力


◇ 中国大陸・沖縄尖閣諸島
2013/06/1517:34 0 0
http://natsunokoibito.blog.fc2.com/blog-entry-595.html?sp(全文転載)


「南京大虐殺」
宣伝の裏に共産勢力
2011.06.23
(http://sankei.jp.msn.com/world/news/110623/chn11062305000001-n1.htm )
  ↓
(The page cannot be displayed )

「『南京大虐殺』という、戦時プロパガンダが行われた経緯を解明する、新たな糸口になるかもしれない」。


『別冊正論』 15号(中国共産党 野望と謀略の90年)の編集を終え、そんな期待が膨らんできました。


●中国の『国民党』が主導したと考えられてきた『南京大虐殺』の宣伝に、『中国共産党』または『ソ連』が大きく関与していた可能性が、論文筆者たちの指摘で、浮かび上がってきたのです。


虚実不明の『南京大虐殺』を、初めて世に紹介したのは、イギリス『マンチェスター・ガーデン紙』の 特派員ティンパーリーが、1938年(昭和 13年)に刊行した『戦争とは何か』です。


ティンパーリーは、当時、中国の『国民党』中央宣伝部顧問で、資金提供も受けていたことが、北村稔・立命館大教授らの研究で判明しています。


●『戦争とは何か』をはじめとする『南京大虐殺』宣伝 は、世界中で反日論を高める戦時プロパガンダだったのです。


『別冊正論』 15号では、3人の筆者が、このプロパガンダへの『中国共産党』または『ソ連』の関与を示す根拠を、提示しています。


(1) 『戦争とは何か』の中国版の「序文」を書いた有名文化人の郭沫若 (かく・まつじゃく)は、日中戦争勃発にあわせ、亡命先の日本から『中国共産党』や『コミンテルン』(戦前〜戦中の『国際共産主義運動指導組織』。本部はモスクワ)の支援で極秘帰国し、戦時宣伝を担当した。(中西輝政・京大教授)


(2) 『戦争とは何か』の日本語版の「序文」を書いた青山和夫こと★黒田善治という人物は『コミンテルン』の秘密工作員とともに中国で活動していた。(近現代史研究家・長塩守旦氏)


(3) 『南京大虐殺』の証拠の一つとされた『ラーベ日記』の著者ジョン・ラーベは、『ソ連』 大物スパイだったゾルゲの活動を上海で支援していた『赤軍』 報部員の 友人だった。(江崎道朗・日本会議専任研究員)


●『戦争とは何か』の英語版に『コミンテルン』の影が見え隠れすることは、北村教授も著書『「南京事件」の探求』で指摘しています。


●『南京大虐殺』宣伝に国際共産主義勢力が積極的にかかわっていたとすれば、相当の規模をもった「対日宣伝戦」だったことを意味します。


●アメリカでは近年、第二次世界大戦前後のルーズベルト政権内に『ソ連』と通じた『秘密共産党員』が多数潜入して政策に影響を与えていたという実証研究が進み、共産主義の世界革命戦略が当時の情勢分析に欠かせない、という見方が強まっています。


●『南京大虐殺』宣伝も、その中に位置づけられるとしたら・・・。


今後の検証が待たれます。


_______

なぜ、「南京事件」は捏造されたのか?

mediawatchjapan

2009/08/16 に公開
https://www.youtube.com/watch?v=9jWIHnks7uo&feature=related


(コメント引用)

eitman184 年前

南京虐殺はないでしょ。証拠は毛沢東が戦後、国民党の蒋介石が共産党員を南京で大虐殺したとして、捏造宣伝した、。また、毛沢東は日本軍の欠点として占領しても虐殺しなかったことだと明言した。残念だがその教訓から文革で大虐殺をやったということらしい。また、日本が支援した汪兆銘の南京臨時政府がポツダム宣言まで存在していた、。つまり、中国人の指導者が統治していた、。また、当時の中国人の認識では蒋介石、毛沢東もただの地方の盗賊集団という認識。だから、日本が統治すると治安が回復し住民が戻ってきたということらしい。ただ、アメリカはそれでは日本は正義の見方になり、アメリカが参戦した動機をごまかせなくなるから、戦後、あらゆるところで、日本軍を悪く宣伝したということだ。朝鮮が反日で侵略と盛んに言うのは、アメリカもその方が都合がいいでしょということだよ。


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