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原爆投下は全く必要が無かった−−アメリカ人歴史家の指摘    西岡昌紀
http://www.asyura2.com/14/warb13/msg/666.html
投稿者 西岡昌紀 日時 2014 年 8 月 09 日 19:55:28: of0poCGGoydL.
 

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http://blog.livedoor.jp/nishiokamasanori/archives/7443227.html
http://mixi.jp/view_diary.pl?owner_id=6445842&id=1930677102


「戦争を終結するために、原爆投下はやむを得なかった」と言ふアメリカ人は、アメリカ人歴史家が書いたこの文章にどう反論するのだろうか?


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 原子爆弾使用の決定にまつわる謎は数多くあるが、なかでも興味深いのは、第二次大戦の二人の最高司令官に関するものだろう。広島と長崎が破壊されてから数年後、ウィリアム・D・レイヒ海軍大将は次のように公言している。


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私の意見では、広島と長崎に対してこの残忍な兵器を使用したことは対日戦争で何の重要な助けにもならなかった。日本はすでに打ちのめされており、降伏寸前だった。・・・・・
  あれを使うことによって、われわれは暗黒時代の野蛮人なみの倫理基準を選んだことになると感じた。あのように戦争を遂行するようには教えられなかったし、女、子供を殺すようでは戦争に勝利したとは言えない。・・・・

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 レイヒは、アメリカの政策に対するいわゆる批判派ではなかった。この保守的な五つ星将軍はアメリカ統合参謀本部(米英合同参謀本部も)を取り仕切っていただけでなく、陸海軍最高司令官(大統領)の首席補佐官として、1942年から45年まではルーズベルト、45年から49年まではトルーマンに仕えていた。そればかりか、トルーマンの無二の親友で、二人はお互いに尊敬し合う間柄だった。広島への原爆投下の決定に対する公然たる批判は、決して個人的なものではなかった。
 今日で言えば、コリン・パウエル大将が、統合参謀本部議長時代の1991年の湾岸戦争における大規模空爆や、そして友人であるブッシュ大統領の決定を、公に批判することに匹敵する行為だと考えればいい。
 レイヒはなぜあえて口を開いたのか。広島から優に半世紀を経た今日も、この問いは尾を引いている。われわれに挑んでいる、と言ってもいい。
 もう一人、この第二次世界大戦の司令官よりももっと大きな存在の男に関しても、同じような謎がある。ドワイト・D・アイゼンハワーは、英米の対ヒトラー作戦を指揮した連合軍最高司令官であり、言うまでもなく、後のアメリカ合衆国大統領である。冷戦のさなか、「軍産複合体」を批判したあの有名な告別演説の直後に、アイゼンハワーは広島の決定についても公に発言している。1945年に日本の都市に対して原爆が使用されることをヘンリー・L・スティムソン陸軍長官から知らされたときのことを想起して、アイゼンハワーはこう述べている。

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 彼が関連の事実を述べるのを聞いているうちに、自分が憂鬱になっていくのがわかって、大きな不安を口にした。まず、日本の敗色は濃厚で、原爆の使用はまったく不必要だという信念をもっていた。
 第二に、アメリカ人の命を救うために、もはや不可欠ではなくなっていた兵器を使用することによって世界の世論に波紋を広げることは避けるべきだと考えていた。日本はまさにあの時期に「面目」を極力つぶさない形で降伏しようとしていると、私は信じていた。・・・・

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 高官は職務上知りえた議論の余地のある事柄について沈黙を守らなくてはならない、という不問律がある。それを破ってまでレイヒとアイゼンハワーが口を開いたのには、何か明快な理由があるはずだ。それに、これから見ていくように、軍幹部でルール破りをしたのは、レイヒとアイゼンハワーだけではない。原爆投下から一年とたたないうちに、アメリカ戦略爆撃調査による大がかりな研究も、原爆が投下されずとも、ソ連の参戦がなくとも、さらには、アメリカによる本土侵攻がなくとも、日本は降伏していただろうという結論を公刊している。


(ガー・アルペロビッツ著 鈴木俊彦・岩本正恵・米山裕子・訳 『原爆投下決断の内幕』(上)(ほろぷ出版・1995年)10〜12ページ)
http://www.amazon.co.jp/%E5%8E%9F%E7%88%86%E6%8A%95%E4%B8%8B%E6%B1%BA%E6%96%AD%E3%81%AE%E5%86%85%E5%B9%95%E3%80%88%E4%B8%8A%E3%80%89%E2%80%95%E6%82%B2%E5%8A%87%E3%81%AE%E3%83%92%E3%83%AD%E3%82%B7%E3%83%9E%E3%83%8A%E3%82%AC%E3%82%B5%E3%82%AD-%E3%82%AC%E3%83%BC-%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%9A%E3%83%AD%E3%83%93%E3%83%83%E3%83%84/dp/4593570328/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1365710889&sr=8-1&keywords=%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%9A%E3%83%AD%E3%83%93%E3%83%83%E3%83%84

原書 Gar Alperovitz : THE DECISION TO USE THE ATOMIC
BOMB


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広島と長崎の犠牲者の御冥福をお祈りする。

核時代69年(平成26年)8月9日(土)

西岡昌紀


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ケネディ大使 長崎の式典参列
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=3003257

<長崎・平和祈念式典>ケネディ大使が初めて参列9
2014年08月09日 12:40 毎日新聞


 キャロライン・ケネディ駐日米大使が長崎市の平和祈念式典に初めて参列した。6日に開かれた広島市の平和記念式典に続く参列。黒い服のケネディ大使は、平和祈念像前に献花し、長崎市長の平和宣言や被爆者代表による平和への誓いに、神妙な表情で耳を傾けていた。

 参列後、ケネディ大使は「本日の式典に参加できたこと、そして長崎市の人々がより平和な世界を築くために献身されていることに感謝しています」と語った。

 ケネディ大使は、着任から1カ月足らずの昨年12月に長崎を初訪問、長崎原爆資料館などを見学し平和祈念像前に献花した。長崎市長からオバマ大統領の長崎訪問を要請されると「長崎で感じたことも加えて、大統領に話をしたい」と応じていた。【古賀亮至】

 

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コメント
 
01. 2014年8月09日 20:38:37 : A4GQ7o9O02
チャールズ・ハンブロー:原爆産業の黒幕工作員 by 鬼塚英昭
http://satehate.exblog.jp/9467115/

グローブス将軍の『原爆はこうしてつくられた』に戻ることにする。
冒頭の「このトラスト」とは、英・加・米の三国が世界のウラン供給のできるだけ多くの選択権を獲得すること、やさしくいえば「ウランの独占化を狙う組織」のこと、である。

このトラストの協定によって、"連合開発トラスト〃といわれた機関がワシントンに設置された。この機関の評議員として、米国側から有名な採鉱技師C・K・リース氏、スチムソン陸軍長官の特別顧問ジョージ・L・ハリソン氏、そして私(グローブス少将)が、英国側からチャールズ・ハンブロ卿とフランク・G・リー氏が、カナダ側からジョージ・C・べートマン氏が任命された。この機関は英米連合政策委員会の指示を受け、英米領土以外の原材料の取得を監督する。これら材料の配分は英米連合政策委員会の責任であった。トラストは機能を十分に発揮した。原材料をコントロールするいくつかの国際協定を締結する推進力になっただけでなく、マンハッタン工兵管区が着手していた探究と調査の規模を大きくし、品位の低い鉱石の晶位を高める分野での貴重な研究も促進した。

このトラストの協定により、グローブス将軍は書かないけれども、イギリスの原爆支配がはっきりとしてきた。「“連合開発トラスト”といわれた機関がワシントンに設置され」て、その実質的な最高責任者にチャールズ・ハンブローがなったからである。この機関に名を連ねたメンバーについては、すでに書いた。この機関に、英・加・米の原爆産業とその関連銀行の重役たちが入ってきたのである。

『資料マンハッタン計画』から、「資料72 チャーチル英国首相からスチムソン米国陸軍長官にあてた書簡」(一九四三年七月二十八日)を引用する。

スチムソン殿
われわれがチューブ-アロイズ〔管用合金=原爆計画の偽称〕のことで話し合ったのち、大統領から大いに意を強くするメッセージをいただきました。それは、協力再開の取り決めについて協議するため、こちらからだれかがワシントンヘ出向いてくれればありがたいのだが、という文面です。
そこで私は、枢密院議長に対し、できるだけ早く出発するよう要請しました。ついでに、きょう私が大統領に送った電文の写しを添付します。
枢密院議長は、月曜日または火曜日にワシントンに到着したいと考えており、到着したらすぐに貴下と連絡をとるでしょう。
議長は、私が作成する旨を会談の席で約束した協定要網案を携えて行きます。しかし、この書面にも要網案の写しを添えます。
貴下ならびに議長が、われわれみなが切望している協力再開に関する細部の取り決めをまとめ上げることができるものと確信するとともに、この目的を達成するために貴下が与えてくださったご助力に深く感謝いたします。
ウィンストン・チャーチル

この文章を読むと、アメリカ最高の政治的支配者がスティムソン陸軍長官であることが理解できるはずである。「われわれがチューブ-アロイズのことで話し合ったのち」に、チャーチルはルーズヴェルトに同意をとりつける手紙を出している。勿論、われわれとは、チャーチルとスティムソンである。

「到着したらすぐに貴下と連絡をとるでしょう」とあるのは、枢密院議長がスティムソンに「私が作成する旨を(スティムソンとの)会談の席で約束した協定要調案」をまず見せて協議をする。しかる後に、枢密院議長はルーズヴェルトに会い、チャーチルの要調案を見せて「スティムソン陸軍長官が認めました」という段取りになっているのが見えてくる。

しかし、この書簡はとても信じられない一面を持っている。ヒトラーと天皇ヒロヒトの軍隊とイギリスとアメリカが死闘(本当はすべて八百長だが)をくりひろげているときなのだ。その要綱案の中で、チャーチルは三つの提案をしている。その「第二」は重要である。

第二に、われわれは、相互の同意なしに、第三者に対してこれを使用しない。

この条項は、「チューブ-アロイズに関するアメリカ合衆国と連合王国当局間の協力協定書」(一九四三年八月十九日)で正式に決定した。この条項は、広島と長崎に原爆を落としたのは、アメリカ大統領や国務長官によってではなく、アメリカ合衆国と連合王国(イギリス)の当局間の協定のもとに、協力協定書によって決定されたことを証している。(引用注:というわけで、ロックフェラーばかり強調する議論は、真相を覆い隠すことにも繋がるのである)

この協力書はながい。前文を省略して途中から、しかもダイジェストして引用することにしよう。

第一は「相互に(相手国に対して)原爆を使わないこと」、第三は「互いに原爆情報の秘密を守ること」である。イギリスが原爆の開発を中止し、アメリカに全面的に協力するというのが協定の主要な内容である。

この計画を完遂するために両国間の全面的かつ有力な協力を保証するため、次の取り決めを結ぶ。
(a)下記をもって構成される合同政策委員会をワシントンに設置する。
陸軍長官ヘンリー・スチムソン(合衆国)
ヴァニヴァ・ブッシュ博士(合衆国)
ジェイムズ・B・コナント博士(合衆国)
陸軍元帥ジョン・ディル卿GCB、CMG、DSO(連合王国)
陸軍大佐J・J・ルーエリン閣下CBE、MC、MP(連合王国)
C・D・ハウ閣下(カナダ)

この協力協定書の狙いはイギリスヘの援助ということにつきる。「戦争の現状にかんがみれば、大西洋を隔てた両国で大規模な製造施設を二重に建設することは、戦争遂行力の無思慮な空費である」と協定書には書かれている。

イギリスに巣食う国際金融寡頭勢力は、イギリスで原爆を製造しようとした。しかし、イギリスは、ナチス・ドイツとの戦争で「戦争遂行力の無思慮な空費」のために、原爆製造の能力を失った。ベルギー領コンゴのウラン鉱山も閉山に追い込まれた。そこで、ルーズヴェルトを脅して原爆製造をアメリカにやらせることにした。そのときに、彼ら寡頭勢力と深い結びつきのあるスティムソン陸軍長官が唯一の味方となった。かくて、原爆製造の主体はイギリスからアメリカに移る。この合同政策委員会は、便宜上設立されたものである。実権は前に書いたように、英・加・米連合政策委員会にあった。

グローブス将軍が書いている文章をもう一度見てみよう。この連合政策委員会が連合開発トラストという機関をワシントンに設置した。 「スチムソン陸軍長官の特別顧問ジョージ・L・ハリソン氏、そして私(グローブス少将)が、英国側からチャールズ・ハンブロ卿と・・・」

このチャールズ・ハンブローこそがベルギー領コンゴの、役たたずとされたウラン鉱石をアメリカに売りつけた主役であった。彼の経歴を見れば、それは歴然たる事実であることが判明する。

チャールズ・ハンブローは、イギリス特殊作戦部(SOE)の長官である。そしてハンブローズ銀行の役員でもあった。

彼は、スチュアート・メンジース大佐(特殊情報部〔S-1〕長官[SIS長官])とともに、アメリカの戦略事務局(OSS)を、SIS(引用注:口語でMI6)対米工作責任者ウィリアム・ステフェンソンを使い設立させた。

また、一九四二年にアメリカが立てたプラン「勝利の計画」をルイス・マウントバッテン卿とともに工作して破棄させた。

ハンブローズ銀行はクルト・フォン・シュローダー男爵の銀行シュローダー銀行とともにヒトラーに多額の援助を続けていた。

ハンブローはネルソン・ロックフェラーが南米の子会社を使いヒトラーに石油を供給するよう説得し続けた。

また、ハンブローはキム・フィルビーを使い、アメリカの原爆情報をソヴィエトに提供していた。一九三五年以来、ヨーロッパ全域でソヴィエト諜報網が活動を行っていた。「赤い楽団」と呼ばれていたこの諜報網を助けたのはハンブローその人であった。

ハンブローは、この「赤い楽団」とOSSのアレン・ダレスを使い、アルフレット・E・ウェディマイァー将軍が立てて実行寸前にまでいった一九四三年中にドイツを敗北させるという「勝利の計画」をマウントバッテン卿(国王のいとこ)とともに放棄させた。

どうして戦争は一九四五年まで延ばされたのか?その最大の目的は原爆産業を将来にわたって確立することにあったのである。  

ハンブローはSOE長官の地位を秘して、ワシントンに乗り込んで、連合開発トラストのイギリス側の評議員の一人となった。この男こそが、マンハッタン計画の主役であり、国際金融寡頭勢力の代表者の一人として、原爆投下にむけて、スティムソンとともに、その指揮をとったのである。

彼は後に、ハンブローズ銀行会長、ノーベル平和賞選考委員を歴任した。

鬼塚英昭 原爆の秘密[国外篇] 第五章 原爆投下のための周到工作 p169-174 より

また、広瀬隆 プルトニウム人体実験 によると

ロスアラモス研究所に戻ってみよう。原爆の製造に必要とされたのは、核分裂性物質のウランであった。ウランの最大の産地はコンゴにあり(引用注:実は当時既にカナダだったかもしれない。これは、意味深長である)、この鉱山利権を握っていたのが、ベルギー王室とウニオン・ミニエール社を指一本で動かすロスチャイルド財閥であった。そのためマンハッタン計画でウラン原料を調達する監督官として国際的な役割を果たしたのが、ロスチャイルド一族のイギリス人チャールズ・ハンブローであり、彼は戦時中にスパイ組織OSS(後年のCIA、引用注:CIAはアメリカではなくイギリス王室&ロスチャイルド[両者はすでに親戚]のために働くといってもよい。「特別な関係」のために働くのである)を設立してナチスを裏から(引用注:育て、長持ちさせ、その後)「壊滅」(「」は引用者。この1994年の広瀬氏の文章は、まだ甘かった)させた大物でもあった。のちに世界的なマーチャント・バンク「ハンブローズ銀行」の会長となり、イングランド銀行と南アフリカの大鉱山利権を支配した男である。 p314より

ユダヤ人であるロスチャイルド家、ハンブロー家、グッゲンハイム家、オッペンハイマー家は、何重にも血のつながりを持つ一族だった。しかもこの血族関係の中心に、ルーズヴェルト大統領が入り込んでいた。そして大統領の四男が、死の商人デュポン家の娘エセルと、第二次世界大戦直前の1937年に結婚していた。それは、プルトニウムを大量に製造する工場を建設するとき、誰にこの巨大な仕事を任せるか、という答えでもあった。 p315より (−> ロスチャイルド-モルガン-デュポンのプルトニウム連合へ。-ロックフェラー-メロン連合はウラニウム爆弾を担当した)


02. 2014年8月09日 20:42:59 : A4GQ7o9O02
グローブスの語るサンジエー・エピソード(藤永茂ブログ「私の闇の奥の闇」より)
lhttp://huzi.blog.ocn.ne.jp/darkness/2007/11/post_393a.html

 広島と長崎を一瞬に壊滅させた原子爆弾がどのようにして出来上がったか、私はその詳細にわたって強い関心を持っています。この最も悪魔的な人間の所業がどのようなビジネス・ディールの連なりによって成し遂げられて行ったか、その一つの取引きがサンジェー・エピソードです。
 主にネットで集めた資料に頼って、前回(11月21日)ベルギー人実業家エドガー・サンジェーがウランをアメリカに売りつけたエピソードを書きましたが、その直後に、10年ほど前に読んだ筈の一冊の本の中に、その話が当事者によって書かれていたことを見つけました。ふと思い出したと言いたいのですが、10年前には、アフリカについての私の意識が低く、おそらく、この部分を読み飛ばしていたのだと思います。
 アメリカの原爆製造プロジェクト「マンハッタン計画」の総帥レスリー・グローブス将軍の回顧録『今だから話そう(NOW IT CAN BE TOLD)』(1962年)の第3章にエドガー・サンジエーの話が出ています。冒頭に「(第二次)大戦勃発の数ヶ月前、もし一人のベルギー人と一人のイギリス人とがたまたま顔を合わせなかったら、連合国側が先に原爆を持つことにはならなかったかも知れない」とあります。大戦中、ウラン資源の最重要な供給源はベルギー領コンゴのシンコロブエ鉱山で、それを掌握していた最重要人物がユニオン・ミニエール社の‘the managing director’(前回は社長としました)エドガー・サンジエーでした。
 1939年5月ロンドンを訪れていたサンジエーは、ユニオン・ミニエール社の取締役の一人であるイギリス人ストーンヘーブン卿のオフィスで、もう一人のイギリス人ヘンリー・タイザードに引き合わされました。サンジエーとタイザードの出会い、これがグローブスのいう運命の出会いです。タイザードは化学者出身、当時はロンドン大学の理工学部の長でしたが、間もなく、イギリスの軍事科学研究行政のリーダーとして、連合国側の勝利に大きく貢献することになる人物です。タイザードはコンゴのウランを全部イギリスに売ってもらえないかとサンジエーに持ちかけますが、計算高いサンジエーは急には応じません。タイザードは、別れ際にサンジエーの手をしっかりと握って「くれぐれも慎重に。もし、この資源が敵国の手に落ちることになれば、あなたの國も私の國も破滅に瀕する、その活殺権があなたの手中にあることを決してお忘れなさるな」と重い言葉をサンジエーに残しました。
 その数日後、フランスの核物理学者ジョリオ・キュリーが数人の同僚を伴ってブリュッセルにサンジエーを訪ね、ウラン核の分裂反応を使う超爆弾を造り、そのテストをサハラ砂漠で行いたいので、シンコロブエのウランを売ってくれと頼み込みました。サンジエーは一応承諾しましたが、その後まもなくの9月に戦争が始まり、計画は頓挫しました。サンジエーは、10月、ドイツ軍の進駐せまるブリュッセルを後にしてニューヨークにビジネスの中心を移しますが、9月から10月にかけて、シンコロブエにあった1250トン以上のウラン鉱石をポルトガル領アンゴラの大西洋岸の港ロビト経由でニューヨークに送り、ニューヨーク湾内のスタテン島のユニオン・ミニエール社の倉庫に秘かに収納しました。つまり、1940年の暮以降、サンジエーはアメリカ政府にこのウラン鉱石を売りつける機会の到来を待っていたのでした。
 1942年3月、サンジエーはアメリカ国務省からベルギー領コンゴの非鉄金属資源についての報告書の提出を求められてワシントンに出向し、その時に面会した国務省の高官トーマス・フィンレターの注意をスタテン島のウランに向けようとしたのですが、アメリカの原爆計画について未だ何も知らされていなかったフィンレターはサンジエーの話に興味を示さない。4月21日には書簡を送り、“As I told you previously during our conversation, these ores containing radium and uranium are very valuable.”と書いたのですが、それでも反応がないままに終りました。
 一方、「サンジエーのウラン」の存在をグローブスが嗅ぎ付けたのは9月14日、ブローブスは副官のニコルズに翌15日朝サンジエーと会うアポイントメントを取らせます。その日ニコルズがサンジエーを訪れてウランの話を切り出すと、以前にフィンレターに袖にされたサンジエーは、「大佐殿、はじめにお伺いしたいのですが、あなたはただ話をしに此処にいらっしゃったのですか、それとも、ビジネスのためにおいでになったのですか」と念を押したといいます。前回のブログに訳出したのはウィキペディアにあったサンジエーの“歴史的”名言「You can have the ore now. It is in New York, a thousand tons of it. I was waiting for your visit.」というものでしたが、グローブス版の方は、やや実務的でドラマ不足です。グローブス自身はその場に居なかったのですから、サンジエーの言葉がこの通りだったという保証はありませんが、まあ信憑性はこちらの方が高いでしょう。
 グローブスは果敢な決断の早さで知られた男、商談はたちまち成立、ニューヨーク湾内のスタテン島の倉庫に眠っていた1250トンを越す極めて優良な品質のウラン鉱石はアメリカ陸軍の手に収められました。ユニオン・ミニエール社からのウラン鉱石の入手は、アメリカの原爆製造計画にとって、かけがえなく重要なものであったとグローブスは書いています。 
 ヒロシマ・ナガサキの悲劇は、人間にとって、人類にとって、20世紀最大の事件であったと、私は考えます。この確信は、最近の世界情勢の進行によって、ますます深められるばかりです。「哲学的」という形容詞を、概して、私は好みませんが、ヒロシマ・ナガサキの悲劇の本質は、まさに、もっとも深遠な哲学的想像力、もっとも鋭敏な詩的想像力によって把握されなければなりません。終戦直後から暫く、優れた哲学者、優れた文人たちから、ヒロシマ・ナガサキの悲劇の本質を剔出する発言が散発的に行われた時期がありました。大文人とは言えないにしても、私の大好きなロマン・ギャリーやトーマス・マートンやカート・ボネガットもそうした発言をしたものでした。しかし、核の絶対悪、核の廃絶を唱える声が、「核による抑止」という悪魔の声に次第にかき消されて聞こえなくなってゆきました。ヒロシマ・ナガサキをかき消そうとする声は特にイスラエルから声高に聞こえてきます。Alan Dershowitz といえば、知る人ぞ知るハーバード大学の法学部の大教授です。そのダーショウィッツのベストセラー『イスラエルのための弁明(THE CASE FOR ISRAEL)』(2003年)の167頁にはヒロシマ・ナガサキの悲劇が次の文章で片付けられています。
■The atomic bombings of Hiroshima and Nagasaki killed thousands of innocent Japanese for the crimes of their leaders. The bombing of military targets inevitably kills civilians.■
ただこれだけ。人間の数が数万を越える場合には「thousands of」とは書かないことは、中学生ならば誰もが知っています。これはダーショウィッツ先生の記憶違いなんてものではありません。はっきりした意図をもってこう書かれているのです。おそろしいことです。私は此処でこそ、『闇の奥』のクルツのように、“The horror! The horror!” と叫びたくなります。私が「マンハッタン・プロジェクト」の詳細について強い関心を持ち続ける理由もそこにつながっています。

藤永 茂 (2007年11月28日)


03. 2014年8月09日 21:44:43 : 77Kno4ENaM
 
いま必要なものは、アメリカに原爆犠牲者のメモリアルを建てることだ。

今月4日、ニュージャージー州ユニオンシティに全米7番目の慰安婦記念碑が建てられた。
いずれもコリア系アメリカ人コミュニティが建てたものだ。しかし南朝鮮の慰安婦に関する活動が謝罪と賠償を要求するのに対してアメリカの動機は異なる。一枚岩ではないのだ。

 アメリカはいま『人権』が絶対正義で、これを掲げれば何でも通る。昨日オバマがイラク空爆を少数民族やキリスト教徒の人権を守るために必要だから実行許可を与えると発表した。議会も国連も通さず大統領令で即実施だ。人権のためだから正しいと受け入れるのがアメリカ人だ。

 アメリカが日米戦の中で行なった日本の数十都市に対する無差別爆撃と広島・長崎への原爆投下はいずれも日本人を無差別に焼き尽くす(ホロコーストという)行為だった。ナチスが陸上でユダヤ人を強制収容所に連行してガスで抹殺したのと同じことを、上空から焼き尽くす火を生きた人間の上に降り注いで抹殺した。違いは何もない。

 ニュージャージーに建てられた慰安婦の碑のまわりには世界中の人権犠牲者の碑が建っている。そういう場所が提供された。ユダヤ人ホロコースト記念碑、アルメニアの虐殺犠牲者記念碑、アフリカの…と、いずれもアメリカとは関係のない場所アメリカ人ではない人たちの記念碑だ。
 それらが建てられるのはその国出身者のアメリカ国内コミュニティが存在を示すために行なった結果だ。「人権」のためならば何でもとおる。

 広島と長崎の原爆犠牲者の「人権」を訴えるため、『原爆犠牲者の記念碑』を建てるべきだ。それを拒否する理屈はアメリカには無いはずだ、人権を至上の善とする今のアメリカには。
 アメリカの今の常識は「原爆投下は戦争を早く終わらせ100万のアメリカ兵の命を救うために必要だった」というものだ。教科書がそれを教えるのだから、奇特なアメリカ人が否定したって100年経っても変わりはしない。しかしこの「必要だった」には日本人の無差別に生きたまま焼かれた人、放射線障害を負った人、家族も家も思い出もすべてを失った人の姿は見えてこない。

 だから原爆が必要かどうかの議論をふっかけるのは無意味。大事なのは犠牲者の人権を訴えることだ。アメリカに原爆犠牲者記念碑をいたるところに建てたい。
 


04. 2014年8月10日 12:17:10 : Fr4ZcsevKp
日本人は猿とみなされていたようです。

日露戦争開戦前、ロシアの将軍は猿どもは、ひと一ひねりだ、という意味の発言している、当時白人からみれば、日本人は猿。


昔、「猿の惑星」という映画にでてきた猿は日本人がもでるだ、

と副島隆彦氏などは指摘されています。白人からみれば、日本人は猿

そういう意識なんですかね、今でも?


05. 2014年8月10日 21:33:00 : ztQPQj7kJE
03さん
>だから原爆が必要かどうかの議論をふっかけるのは無意味。大事なのは犠牲者の人権を訴えることだ。アメリカに原爆犠牲者記念碑をいたるところに建てたい。

賛同します。
アメリカはスミソニアン博物館での原爆資料の展示さえ許さなかった卑怯極まりない国である。「原爆犠牲者記念碑をアメリカに」、サテどう出るか、「人権」好き?アメリカの反応を見てみたいものだ。
この役目はA級戦犯を祖父に持つ、「日本をトリモロス」安倍にやってもらおう。

アメリカは九州全土の34か所に<九州の地図上に34の○印有り>毒ガス<化学兵器>投下の準備をしていた。しかし原爆2発落としたので思いとどまったのだそうだ。
日本民族絶滅作戦用に大量の毒ガスが用意されていた。今日のテレビ番組でその用意された日本向け大量の毒ガスのシーンを観て身震いした。
この、世界一「人殺し」が好きな国のどこに「人権」などを語る資格があるというのだ。


6. 2017年1月15日 18:29:44 : w3M1BHSquE : 5KToaZSVnLw[1134]
1955年にアインシュタインが亡くなったとき、その追悼会において生化学者ライナス・ポーリングは、晩年アインシュタインが彼に語った後悔について触れている。「私はひとつ大きな間違いを犯してしまった。 ルーズベルト大統領に原子爆弾を作ることを勧めた手紙に署名したことだ。」[34]

ルーズベルトへの2度目の手紙[編集]

シラードの求めに応じて再びアインシュタインがルーズベルトへの手紙を書いたのは上述のように戦争末期のことであった。 1945年3月にナチス・ドイツが原爆を開発していないことが明らかとなり、自分たちが開発してきた原爆が日本に対して使われるという懸念が広がった。 シラードにとってそれは元々の原爆開発の動機と相容れないものであるだけでなく、科学者の研究チームの結束も、戦後世界の安定をも壊す行為だと思われた[35]。

シラードは自らの意志を再び大統領へと伝えるために覚え書きを執筆し、大統領への紹介状をプリンストンのアインシュタインに依頼することにした。 マンハッタン計画の機密保持条項による厳しい規制のため、シラードは、計画外にいたアインシュタインに紹介状を依頼する目的を告げることも、自ら執筆した覚え書きを見せることもできなかった。 それでもアインシュタインはこの求めに応じ、1945年3月25日、内容にまったく触れられないままルーズベルトへのシラードの紹介状をしたためた[36]。

シラードは、機密性の問題から紹介状のみを大統領夫人エレノア・ルーズベルトへと送り、夫人と5月8日に面会を行う約束を取りつけた。 しかし4月2日のルーズベルトの突然の死によって、この機会は失われた[37]。 新たなつてを頼り、シラードはこのルーズベルト宛のアインシュタインの紹介状をトルーマン新大統領に送ることとなった。 これによりシラードは、ワシントンでトルーマンの秘書と会い、新政権で国務長官となる予定のジェームズ・F・バーンズとの会見が設定された[38]。

5月末のこのバーンズ訪問でシラードは、原爆の実戦使用が、戦後の国際的核管理体制を不可能とし、危険な核開発競争を招くであろうことなど持論を訴えたが、バーンズに理解されることはなかった[39]。 その後もシラードら科学者によっていくつかの原爆実戦使用への反対活動が続けられたが、これら科学者側からの活動は広島と長崎への原爆投下という政治決定に影響を与えることはできなかった[40]。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%B3%EF%BC%9D%E3%82%B7%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%89%E3%81%AE%E6%89%8B%E7%B4%99
__________________________________________

原爆投下など不必要という意見は 当時のアメリカ軍部内(アイゼンハワー マッカーサーなど) ですら
叫ばれていた事 さらにこの アインシュタインの猛反対である

しかし、対日強硬派の ヘンリー スティムソン(昭和天皇を処刑せよと主張したのもこの男) が 最大のガン
トルーマン大統領を焚き付けたのも この人物である
________________________________________

真珠湾攻撃の一報をルーズベルトから受けたスティムソンは日記に「パールハーバーのニュースを聞いたとき、最初に浮かんだ思いは、これで優柔不断のときは終わり、この危機でアメリカ国民は団結するであろうという安堵(relief)の気持ちだった(ウィキより)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%A0%E3%82%BD%E3%83%B3


7. 2017年1月16日 14:07:30 : 1GzLNGaKsc : PkNGKpe@u9U[40]

>西岡昌紀
>アメリカ人歴史家の指摘
>原爆投下は全く必要が無かった

今頃今更の話に聞こえるのは濁悪世間に翻弄されてるからなんだろう。

あの戦争は何だったのかとエンドレス劇場が輪廻する間に人は寿命が尽きる。

正統な日本人として過去を正しく認識して共有すべきができてない現実がある。

戦争を本分とする日本の武士道精神が現代に相応しくないことを確認し合おう。

話はそれからでも遅くはないだろう。あの戦争は全くする必要がなかったでも良い。

日本は鎖国して世界に孤立した逆族武士が支配する野蛮な国だったからしょうがない。

人の考え方は自由で結構だが歴史の正統性は逸脱できないのだから冷静に客観視すべき。


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