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アメリカに迫りくる、イラクとシリアの泥沼(マスコミに載らない海外記事)
http://www.asyura2.com/14/warb14/msg/282.html
投稿者 赤かぶ 日時 2014 年 9 月 22 日 01:44:05: igsppGRN/E9PQ
 

アメリカに迫りくる、イラクとシリアの泥沼
http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/post-0e02.html
2014年9月22日 マスコミに載らない海外記事


Wayne MADSEN

2014年9月19日|00:01

バラク・オバマ政権が、グローバルな“ナンバー・ワンの公共の敵”としての“アルカイダ”も失墜させた最新の過激派イスラム原理主義の子供だまし用怪物に対するアメリカ国防省の、正式名称「シリアとレバントのイスラム国(ISIL)」と対決する為の信頼できる同盟者を探そうとしている中で、アメリカ合州国は、次の中東の泥沼にはまり込む瀬戸際にある。

“イラクとレバントのイスラム国”(ISIL)や、別名、“イラクとアッシャームのイスラム国”(ISIS)、“アル・ダウラ”(国家)、あるいは“ダーイシ”(“アル・ダウラ・アル・イスラミヤ・フィ・イラク・ワ・アッシャーム”の略語を取り巻く動きを、深く調べれば調べるほど、イスラム原理主義武装反抗勢力集団の、欧米やイスラエル諜報組織とのつながりが、益々明らかになる。ISILは、アブ・ムサブ・アル-ザルカウィが率いた、二つの川の国における聖戦基地組織、あるいはイラク・アルカイダ(AQI)から派生したものだ。現在のISIL指導者、アブ・バクル・アル・バクダディ同様、ザルカウィの背景は疑問だらけだ。

イラク多国籍軍(MNFI)が製作したパワー・ポイントのスライドに書かれている通り、ザルカウィは、概して、シーア派、穏健スンナ派、スーフィ教徒や、クルド人を含む、イラクの宗教・民俗集団の、外国人嫌いの反応を活用するため、ペンタゴンの心理作戦や、マスコミ作戦や、特殊作戦によって作り上げられた、恐ろしい人物だ。

2004年の“結果”と題するスライドで、イラク多国籍軍(MNFI)は、ザルカウィの脅威を作り出したことで、下記の望んでいた結果が得られたと自慢していた。

“アブ・ムサブ・アル-ザルカウィは、現在、下記を代表している。

a. イラクにおけるテロ

b. イラクにおける外人戦士

c. イラク国民の苦難(インフラへの攻撃)

d. イラク国民の熱望の拒絶(主権委譲の粉砕)

スライドは、ザルカウィを、イラクで一番脅威があるテロリストとして売り込むことによる、効果を説明して終わっているが、それはこうだった。

“共感できる可能性がある反体制派への大衆の支持を無くすこと。反体制派が、大衆の中に‘根付く’能力を失わせること”

ワシントン・ポストによれば、イラクのアメリカ中央軍の、広報担当将校マーク・キミット大将は、2004年に、中央軍内部のブリーフィングで "ザルカウィ心理作戦は、これまでの中で最も成功した諜報作戦だ。"と語っていた。

イラク瓦解後、アメリカ諜報機関が支配するザルカウィ・テロリスト“手先”の多くが、シリアに移動し、そこで彼等は、現在バシャール・アル・アサド大統領政権を脅かしている。こうした連中の一部は、シリア国境を越えて急襲し、シーア派が支配するバグダッド政権や、アルビルのクルド地域政府を脅かしている。最新の子供だまし用の怪物は、ザルカウィ配下の元中尉で、自らをイラクとシリアにおける新カリフ国“首長”と名乗っているアブ・バクル・アル・バクダディだ。

ザルカウィの本名は、アフメド・ファデール・ナザル・アル-ハライレフだ。彼はヨルダンのザルカという町で生まれた。アブ・ムサブ・アル-ザルカウィというのも、アブ・バクル・アル・バクダディも、現在の、ISIL指導者と同様、偽名だ。イラク、サマラ生まれのアル・バグダディは、本名は、イブラヒム・イブン・アッワド・イブン・イブラヒム・イブン・アリ・イブン・ムハンマド・アル-バドリ・アル-サマライだ。対ソ連聖戦に参加するまで、ザルカウィは、飲んだくれの麻薬常習者として知られており、イスラム教原理主義として、サウジアラビアやアラブの首長国か大量の資金援助をうける玉からは、ほど遠い人物だった。

バグダディ同様、ザルカウィも、イラクを意味する“二つの川の国のアルカイダ首長”を自称していた。アメリカの諜報当局筋の中には、ザルカウィは、イラクでのアメリカ軍作戦を継続するのを正当化する為に、ネオコンが作り出した“神話”だと主張するむきもある。ところが、滅多に同意することがない、イラクのスンナ派とシーア派指導者達だが、スンナ派武装反抗勢力の指導者は、デイリー・テレグラフに、ザルカウィは、アメリカ人か、イスラエル工作員だと思うと語り、イラク人シーア派指導者ムクタダ・アル-サドルは、ザルカウィは、アメリカ合州国に雇われたエセ過激イスラム原理主義背教徒だと主張している。

ザルカウィは、アメリカの最も危険な敵の一人として喧伝されているが、シリアでISILのトップとして彼を最終的に継いだ人物は、アブ・バクル・アル・バクダディで、アメリカが最も信頼する同盟者の一人となった。アル・バグダディは、アル・ヌスラ戦線の指導者達と共に、当初は彼等の軍隊を、自由シリア軍の傘下に置いた。ところが、アル・バグダディも、ザルカウィがそうだったのと同様、彼もCIAが作り上げたものだというあらゆる兆候がある。

元アルカイダ最高司令官で、レバノンのイスラム民主聖戦党の創設者であるナビル・ナイームは、ベイルートのアル-マイディーン・テレビに、ISILは、CIAとモサドの創作だと語った。ナイームはまた、ISILの狙いは、アメリカの主要シオニスト・ネオコンによって精巧に作り上げられた、Clean Break(きっぱりお別れ): 領土確保の為の新戦略としても知られている、イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相の1996年の“Clean Break(きっぱりお別れ)”政策を実施することだと語っている。Clean Break(きっぱりお別れ)作戦が、アサドを打倒するためのアメリカのシリア介入の詳細計画である、2003年のアメリカ・シリア責任法案の土台を築いたのだ。

アル・バグダディは、モサド軍とイスラム原理主義者の神学訓練を、イスラエルで、一年間受けたと報じられている。ナイームはまた、ISILとの同盟を誓った、アル・ヌスラ戦線の司令官、モハメッド・アル・ジャウラニは、CIA工作員だと語っている。

モスルのアル-ヌリ大モスクで行ったアル・バグダディの演説ビデオで、全てのイスラム教徒のカリフであると自称したが、イラク政府当局者からは詐欺師と見なされていた。

自由シリア軍(FSA)や、その一部のシリア革命戦線(SRF)は、ジョン・マケインや、リンゼイ・グラハム上院議員等の主要なアメリカ・ネオコンの支援を受け、民主主義防衛財団の様なネオコン非営利団体、密接なつながりを維持している ISILと、アル・ヌスラ。戦時の仮名で、ジャマル・マールードと称するシリア革命戦線司令官は、シリア革命戦線は、ISILとは戦うが、アルカイダとは戦わないと、公式に述べた。シリアとイラク現地には、この二つの集団の違いを示すほとんど証拠はない。

自由シリア軍とISILは、8月アルサルの戦いで、レバノン侵略時に仲間になったと報じられている。ISILと自由シリア軍は、レバノン軍部隊と現地警察を攻撃した後、数人の人質をとった。自由シリア軍の司令官達は、彼等と、ISILと、アル・ヌスラ・テロリストは、アルサルと国境のエラムーン地区で、レバノン部隊を攻撃した際に、仲間になったとも述べている。

ISILがイスラエルと深いつながりがあることを示すあらゆる兆しがある。逆の主張もあるが、ISILは、アルカイダと提携している、シリアのイスラム原理主義者武装反抗勢力集団、ジャバト・アル・ヌスラ(アル・ヌスラ戦線)の兵卒の大半を吸収した。アル・ヌスラ戦線は、ゴラン高原国境沿いのシリア軍の位置把握で、イスラエル国防軍(IDF)と協力している。ゴラン戦線のシリア側にいるアル・ヌスラの位置に反撃するのではなく、イスラエルは、シリア軍の位置を攻撃し、特にアル・ヌスラと、ISIL全般の、シリア攻撃作戦を後押しした。イスラエル軍が、アル・ヌスラ/ISILが、ミサイルを発射したり、国境のイスラエル側から、無人機攻撃したりできるようにする為、シリア軍とヒズボラ勢力や、アラウィー派の“祖国防衛委員会”民兵部隊、シーア派、キリスト教徒や、ドゥルーズ教徒をの位置を教えているという報道がある。

イスラエルは、ISILに対し、非常に楽観的で、イスラエル日刊紙ハーレツは、イスラエル当局は、日常的に、カメラと双眼鏡だけを持ったイスラエル人旅行者が、ゴラン高原を訪れ、クネイトラ渓谷を見下ろし、アル・ヌスラ/ISIL聖戦戦士達がシリア軍と戦うのを目撃するのを認めていると報じている。イスラエルは、イスラエル人が、渓谷での戦闘を見下ろす為の大型望遠鏡まで提供している。イスラエル人には、昼食、コーヒー、芝生用の椅子まで用意するむきもあり、丸一日、アラブ人が、他のアラブ人を殺すのを眺めてすごしている。

ドイツでは、ドイツ人のISILイスラム教志願兵、クレシニク・ベリシャは、ISILのメンバーであるかどで、公判中である。ベリシャは、ISILに参加する前は、ドイツ最大のユダヤ人サッカー・チーム、TuSマッカビ・フランクフルトでサッカーをしていた。

イスラエルが、聖戦戦士に関しては、現状に満足していることは、イスラエル政府とシリア聖戦戦士の間では、ゴラン戦線を越えて、イスラエルに紛争を持ち込まないという交渉がまとまっていることを示唆している。あるいはシリア人聖戦戦士達は、モサドやイスラエル国防軍の何らかの作戦統制の下にあり、イスラエルの標的は攻撃しないという厳格な命令下にあるのかも知れない。

イスラエルは、アル・ヌスラ/ISILゲリラの国境を越えたシリアへの潜入脱出の出入りを、負傷したシリア反政府派に医療援助を提供しているという主張で隠蔽している。こうした活動の一部は、最終的にアル・ヌスラ/ISILに攻撃されたフィリピンとフィジーの国連平和維持軍兵が証人だ。テロリストは、45人のフィジー人平和維持軍兵を人質にとり、カタールが膨大な身の代金を支払うまでは解放せず、ISILの既にかなり豊かな懐を潤すこととなった。別のシリア“穏健派”集団は、サウジアラビアとイスラエル両国から支援を受けている、バシャール・アル-ズービという名の人物が率いる“南部戦線”集団だという。

イラク、シリア、レバノン、そして、おそらく間もなく、ヨルダンや、エジプトのシナイ半島での仲間同士で争う戦いは、忠誠を誓う相手を変え、裕福な湾岸アラブ諸国や、イスラエルの右翼シオニストとサウド王家との益々緊密な関係は、泥沼化に向けたあらゆる要因となる。ネオコンのおかげで、アメリカ合州国は次の徹底的混乱に突入するわけだが、アメリカは、デラウェア州ドーヴァー空軍基地の葬儀部隊への着実な遺体袋の到着の最後を見届けてはいないのだ。

記事原文のurl:http://www.strategic-culture.org/news/2014/09/19/the-looming-american-quagmire-in-iraq-and-syria.html


 

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01. 2014年9月22日 05:12:25 : jXbiWWJBCA
『グリフィス版 孫子 戦争の技術』より
戦争論に関する簡明かつ最高の入門書

B・H・リデル=ハート、「孫子」を語る

2014年9月22日(月)  リデル=ハート


『グリフィス版孫子 戦争の技術』(漆嶋稔訳、日経BPクラシックス)
 20世紀を代表する軍事戦略家ベイジル・ヘンリー・リデル=ハートは、その間接アプローチ戦略を含め、いまなお世界の軍事関係者に大きな影響を与え続けている。
 リデル=ハートは、元米海兵隊准将のサミュエル・B・グリフィスが解説・翻訳を手がけた『SUN TZU The Art of War』(1963年刊行、オックスフォード大学出版)に序文を寄せ、孫子論を展開している。
 今回、英米で最も普及している孫子本であるグリフィスの著書が『グリフィス版孫子 戦争の技術』(漆嶋稔訳、日経BPクラシックス)として翻訳出版されたのを機に、リデルハートの孫子論の全文を掲載する。
 『孫子』は最も古い戦争論として知られていて、その総合的な見方や理解の深さでこれを凌駕する著作は今日に至るまで現れていない。『孫子』が戦争指揮に関する智恵の真髄を凝縮した内容であることを考えると、「The Art of War」(『戦争の技術』)という書名は秀逸だ。過去の軍事思想家を振り返ってみて、孫子と同列に論じることができるのはクラウゼヴィッツだけだ。

 孫子より二千年以上も後に戦争論を書いているのだが、それでも孫子より「時代遅れ」であり、ともすれば骨董品のような印象を受ける。言い換えると、孫子の方が鮮明な展望を持ち、深遠な洞察力を備えており、発想の新鮮さは少しも失われることがない。

 第1次世界大戦以前の欧州軍事思想の原型となったクラウゼヴィッツの金字塔的著作である『戦争論』(「On War」)の影響が、『孫子』で展開される知見と絡み合ってうまくバランスが取れていたなら、今世紀の二度にわたる世界大戦による被害は相当小さくてすんだかもしれない。孫子が説く現実主義と中庸の精神は、クラウゼヴィッツが強調しがちな合理的な理想や「絶対的戦争」とは好対照だ。

クラウゼヴィッツの軌道修正を軽視した信奉者

 クラウゼヴィッツの信奉者は、この「絶対的戦争」では究極的な「総力戦」の理論や実践が展開されるものと理解した。この破滅的な考え方は「戦争哲学のなかに中庸の原理を持ちこむのは愚かなことだ――戦争とは暴力の極限的表現なのだから」というクラウゼヴィッツの断定によってさらに助長された。

 もっとも、後にクラウゼヴィッツは「戦争の当初の動機である政治目的は、軍事目的と軍事力の投入量を決定する基準とすべきである」とも認めており、前述の断定を軌道修正している。さらに、合理性を究極まで突き詰めていくと、「手段は目的との関係を一切失うことになる」という結論にも達していた。

 信奉者がこのようなクラウゼヴィッツの軌道修正を軽視し、あまりに浅はかで極端すぎる解釈をしていたのは、クラウゼヴィッツの教えの負の側面といえる。だが、彼自身は信奉者の解釈が間違っていると認めていた。彼の理論はある意味で抽象的過ぎるために、現実的に考える軍人には自分の主張についていけなくなる恐れがあると考えていたのである。

 その証拠に、理論的にある方向に行くように見えても、実はそこから引き返すことも少なくなかったからだ。一方、心酔して思考停止に陥った信奉者は、クラウゼヴィッツの生き生きとした魅力的な言葉に目を奪われ、実際には孫子の結論とそれほど違わないクラウゼヴィッツの根本思想に気がつくことはなかった。

 本来は孫子の思想の明確さを通じてクラウゼヴィッツの思想の曖昧さを修正できたのかもしれない。だが、不幸なことに、孫子はフランス革命前夜にフランス人宣教師による抄訳の形で紹介されたに過ぎない。18世紀の軍事思想における合理主義の潮流を考えると、孫子は魅力的だったはずだが、その影響は革命の熱狂的高まりの前に霞んでしまっただけでなく、それに続いてナポレオンが形式に堕した戦術を使う旧勢力に勝利したことで湧き起こった熱狂にかき消されてしまった。

 クラウゼヴィッツはこの異常な興奮に包まれた雰囲気の中で思考を始めたが、著作の見直しを終える前にこの世を去った。このため、彼が遺言で予言していたように、「終わりなき誤解」にさらされることになった。その後、孫子の訳本がいくつも欧州に紹介されたが、当時の軍事関係者はクラウゼヴィッツの熱狂的信奉者の影響下にあったため、この中国の賢人の声が反響を呼ぶことはほとんどなく、軍人も政治家も「長期戦が国家の利益になったことはない」という孫子の警告に耳を傾けることはなかった。

孫子の思想が求められた背景にあった中国の再登場

 一方、孫子の思想をより的確に説明してくれる新しい全訳が久しく求められていた。人類の自殺行為に等しい大量殺戮兵器となり得る核兵器が発達するに伴い、その必要性は増すばかりであったからだ。それ以上に、孫子の思想を解明する必要に迫られたのは、毛沢東率いる中国が軍事大国として再登場してきたからである。だからこそ、本書の刊行が企画されたのは歓迎すべきことであり、その必要に応えのは、戦争と中国語、中国思想に精通した学究であるサミュエル・グリフィス将軍である。 

 私が孫子に興味を抱いたのは、1927年春、サー・ジョン・ダンカンから届いた手紙を読んでからのことだ。ダンカンは、蒋介石の国民党による北伐に伴う緊急事態に対処するために、英国陸軍省が防衛軍司令官として上海に派遣した人物である。ダンカンの手紙は、次のように始まっていた。

 「私は今、とてつもない本を読み終えたばかりです。それは紀元前五〇〇年に中国で書かれた『戦争論』です。本書には貴兄の「水の理論」の応用編を思い出すところがありました。すなわち、「軍隊は水のようなものだ。水は高いところを避け、くぼんだところを探す。水の流れは地形に従う。同じように、勝利も敵方の状況に応じて行動すれば得られる」と説いています。また、この本のもう一つの考え方は、現在の中国の将軍が応用しており、それは「最上の兵法とは、戦わずして敵を屈服させることだ」というものです」

 本書を読んで、私と同じ考え方が少なからずあることに気づいた。特に、奇襲や間接アプローチ戦略の追求を何度も強調していることだ。これにより、戦術論も含め、原理的な軍事思想ほど不変の価値があるという確信を得た。

「君たちは『孫子』に立ち戻るべき時期にきている」

 それから第二次世界大戦の真っ只中の約15年後、蒋介石の教えを受けたという中国の駐在武官の訪問を何回か受けた。彼によれば、中国の陸軍軍官学校では、私の著書やフラー将軍の書物が主たる教科書として使われているという。私は「『孫子』は使わないのか?」と質問した。すると、「古典としては尊重されていますが、青年将校の大半は時代遅れと考えています。従って、近代兵器の時代ではほとんど研究するには値しないと思っています」という答えが返ってきた。

 そこで、私は「君たちは『孫子』に立ち戻るべき時期にきている」と指摘しておいた。この短編には、私が20冊以上の本を書いても論じられないほど多くの戦略や戦術の原理が説かれているからだ。要するに、『孫子』は、戦争論に関する簡明かつ最高の入門書であるだけでなく、研究を深めるほどに座右の書として手放せなくなる一冊なのだ。

ベイジル・ヘンリー・リデル=ハート(1895-1970)
イギリス生まれの軍事戦略家。1914年に第一次世界大戦が勃発すると、イギリス陸軍に志願。西部戦線に送られ、負傷している。退役後、執筆活動に入る。主な著書に『第一次世界大戦』、『戦略論 間接的アプローチ』、『ヒットラーと国防軍』など。


このコラムについて
『グリフィス版 孫子 戦争の技術』より

 英米で最も普及している孫子本であるグリフィスの著書が『グリフィス版孫子 戦争の技術』(漆嶋稔訳、日経BPクラシックス)として翻訳出版されたのを機に、リデル=ハートの孫子論の全文を掲載する。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/book/20140918/271446/?ST=print


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