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戦争に至る人間のメカニズム 住民至上主義 裁判所に仕組まれた「あさましい日本」 竹原信一のブログ/じゃ、どうするべき?
http://www.asyura2.com/14/warb14/msg/696.html
投稿者 初心に帰るお天道様に恥じない生き方 日時 2014 年 12 月 24 日 07:52:30: 4hA5hGpynEyZM
 


戦争のメカニズムについて述べてみたい。
 「知っておきたい日本の仕組み」の中で、戦争に関して説明したのは、1 すべての戦争は八百長である事、2 日本政府は危険物である事、3 国民は戦争に加担したことについて何の反省もできていない事だ。

  この社会は、人びとがやすやすと戦争に至るよう出来ている。人は戦争の魔力に魅せられる。まるで、蛾が炎の光に魅せられて焼け死ぬように、戦争の光に魅せられてしまう人間の精神に、本当の原因がある。

 常識では概ね、「理想を追究するのは、人の権利であり、国家の責任」と理解されている。そのため、国家の 理想に人々が我を忘れる国家システムになった。
政治家の役目は国家の理想を実現する事だ。 選挙のときに候補者は、国民が我を忘れるように運動する。なるべく、「この人に任せれば理想の社会から幸せを貰える」と思わせる。 当選したら、国家の理想に賛成するのが役目になる。 実を言えば、国家の理想は国民の完全支配である。完全に統制の取れた美しい戦争マシーンが国家システムの理想である。 だから、理想を目的に選挙するたびに社会がおかしくなる。この国家に於ける政治家の役目は戦争をする事だ。 

 戦争に至る過程で、国民、政治家、国家にある共通のキーワードは「理想」だ。「理想」を理解する必要がある。理想とは我を忘れる事だ。 人びとは理想に死んでいる。悲惨な戦争を避けようと思うならば、理想を諦めなければいけない。 それは、今を大切にする事である。政治家や国家に夢を見ないことだ。

  国家は人々を追い詰める。国家が国民を苦しめ、怖れさせておきながら、別の犯人を仕立てる。テロリストや外国人だ。本当の犯人は国家。それを許すのが政治家や国家に夢を見る国民である。誰が政治家になっても官僚になっても、同じようにやってきた。 自分の理想を諦めることから始めるしかない。今に生きる。今を生かす。真の自分に気づいているということだ。 国家が作り出すテロ、恐慌、パンデミックに恐怖し、無意識にならない事だ。


クリシュナムルティ  動画 危機はどこにあるのか



https://www.youtube.com/watch?v=Zmd--o48Kh8



戦争に至る人間のメカニズム 住民至上主義 裁判所に仕組まれた「あさましい日本」 前阿久根市長 竹原信一のブログ
http://blog.livedoor.jp/jijihoutake/archives/55072975.html




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じゃ、どうするべきでしょう?




日本の問題点


天皇を中心とする傀儡日本 (政府は国民を使い捨て)/日本社会の感情 住民至上主義  仕組まれた「自滅する日本」
http://www.asyura2.com/14/senkyo174/msg/490.html



そして、
あなたの心の内部の秩序、混乱し矛盾した意識を静穏で安定した状態に導く…変革への端緒


じゃ、その全体主義への方向を合法的に崩すには?/藤原直哉の「日本と世界にひとこと」  増税・値上げは効いている
http://www.asyura2.com/14/senkyo164/msg/803.html


その思考の先


あるべき持続可能な、循環型社会と、その、平和的な移行方法に関する考察。 
コメント6番が最新全文バージョンですので、本投稿は無視して、こちらをご覧ください。
http://www.asyura2.com/09/dispute30/msg/892.html




 

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01. 2014年12月24日 08:59:43 : jXbiWWJBCA

冷戦体制からの脱却を意味する
「国家安全保障戦略」と「防衛装備移転三原則」
2014年12月24日(Wed) 田中 伸昌
 1945年2月のヤルタ会談から始まった冷戦は、1989年の米ソ首脳会談における「冷戦終結宣言」により終結し、1991年のソ連消滅により名実ともに終焉した。

 これに伴い世界は、東西両陣営対立の時代から伝統的脅威および非伝統的脅威が混在する予測困難な安全保障環境の時代へ、そして時を同じくして起こっていた情報通信技術の急速な発達により機械化時代から情報化時代へ、さらに社会的、経済的、文化的活動におけるグローバル化の時代へと変化していった。


ヤルタ会談に臨む右から英国のウィンストン・チャーチル首相、米国のフランクリン・ルーズベルト大統領、ロシアのヨシフ・スターリン共産党書記長(肩書きはいずれも当時、ウィキペディアより)
 欧米先進国は、冷戦終結後におけるこのような変化に対応して新たな戦略・政策を確立し、変化への適応を図っていった。

 一方、我が国は昭和27(1952)年の対日講和条約発効により主権を回復して以降これまでの間、「国家安全保障戦略」と称する文書を制定したことはなく、昭和32(1957)年に制定した「国防の基本方針」をそれに代わるものとして防衛戦略ならびに防衛体制整備の基本に置いてきた。

 その間、政府は必要の都度第三者機関である安全保障に関する諮問委員会を設置して、その答申をもって「国防の基本方針」を補完し、防衛体制整備を実施してきた。

 しかしながら冷戦終結後から今日に至る国際情勢や防衛体制整備を取り巻く環境は、昭和32年当時とは著しく異なってきており、現状に即しかつ長期を見通した確固とした戦略を確立する必要があるという認識の下に、安倍晋三内閣は平成25(2013)年12月4日に「安全保障会議」を「国家安全保障会議」に改組再編した後、同年12月17日に「国家安全保障戦略」を閣議決定し公表した。

 これにより国家の基本理念を示し、国益と国家安全保障の目標を定義し、安全保障環境とその課題を見積もり、その環境下で国益と国家目標達成のための戦略についての指針を示すとともに国家安全保障関連分野の政策に指針を与えた。

 さらに政府は、平成26(2014)年4月1日に「防衛装備移転三原則」を閣議決定し公表した。

 これは「国家安全保障戦略」に則って、国家安全保障目標および国益を達成するための手段の1つとして防衛装備移転を捉え、これに大義名分を与えるとともに、健全で競争力のある防衛生産・技術基盤を国内に維持することが防衛の成否を左右する重要な要素であり国の存立の基盤であるという認識の下に、防衛装備移転を厳正な管理の下に実施することを示したものである。

 これに加えて政府は、平成26年7月1日に「集団的自衛権の行使を容認する」とする閣議決定を行った。

 以下、冷戦終結後における欧米先進国の動向について概観し、それと対比しつつ我が国の対応について論じる。

冷戦終結後における欧米先進国の防衛体制整備の動向

 冷戦終結による安全保障環境の変化に直面して、欧米先進国(ここでは米国、英国およびスウェーデンの例を取り上げる)は防衛体制整備をどのように適応させていったかについて概観する。

 米国においては安全保障上の重要な転換点となった冷戦の終結にあたって、ジョージ・W・ブッシュ政権は従来の「大規模核戦争抑止戦略」および「ソ連封じ込め戦略」から「地域紛争対処戦略」へ転換するとして、「基盤戦力構想」を1991年9月に発表した。

 その後に誕生したビル・クリントン政権は、冷戦後の国防所要と計画に関する積み上げ方式による検討を行い、「ボトムアップレビュー」(Bottom-Up Review: 以下BUR)を1993年に策定した。

 BURに基づく本格的な防衛体制整備は、1995年に策定された「関与と拡大に関する国家安全保障戦略」によって本格的にスタートした。この国家安全保障戦略で、“グローバルかつ単純な冷戦間の米ソ2極対決と異なり、冷戦終結後の予測困難で複雑かつ多様な事態に対して、米国は国益に照らして柔軟かつ効果的に対処する”として、関与の事態と軍隊の投入規模及び投入条件を具体的に定めた。

 また、この時期における湾岸戦争および冷戦終結による戦略の転換や科学技術の進展に伴って、陸海空軍戦力を統合して運用することの重要性が強く認識されるようになってきたことから、統合作戦戦略ならびにその実施に当たり必要とする戦力と体制整備の基本的な考え方を示すため、統合参謀本部議長が、BURを受けて(その後は「4年毎の防衛見直し」:以下QDRを受けて)「統合ビジョン」を策定し、各軍の戦力運用並びにそのための戦力整備と体制整備について方向性と整合性を与えた。

 最初の統合ビジョンは1996年に策定された「統合ビジョン 2010」であり、続いて2000年に「統合ビジョン 2020」を策定し、これを統合戦力発揮のために整備すべき具体的な目標と指針とした。

 2001.9.11米国同時多発テロの直後、米国防省は同年10月に「QDR 2001」を策定した。

 これ以前においては、米国防省は脅威に焦点を当てて戦略を策定していたが、脅威を特定することが困難となったために、9.11以降は能力に焦点を当てて戦略を策定することに変更するとともに、21世紀の安全保障環境において防衛を全うするためには、作戦に関わるエレメントをネットワークで連接して戦う概念、いわゆるNetwork Centric Warfare(NCW)の概念を中心に据えて、組織、ドクトリン、装備等を含めた総合的な軍の“変革”が必要であるとした。

 これを受けて各軍は,2003年11月にそれぞれの軍の変革計画を策定した。また、9.11の米国同時多発テロ後、ブッシュ大統領は2002年9月に発表した「国家安全保障戦略」において、「テロリストグループを匿う国に対しては自衛権行使のための先制攻撃を正当化し得る」と宣言し、これを受けて国防長官は同年12月「大量破壊兵器と戦う国家戦略」を策定し、統合参謀本部議長は、2006年2月「大量破壊兵器と戦う国家軍事戦略」を発表してテロと戦う姿勢を明確にした。

 英国においては「国家安全保障戦略」(National Security Strategy: NSS)および「戦略防衛・安全保障見直し」(Strategic Defence and Security Review: SDSR)を国家安全保障会議で策定し、首相の承認を得たのち議会の国家安全保障合同委員会(上院10名及び下院12名の議員で構成)に提出し承認を得て決定される仕組みとなっており、NSSは安全保障の目的達成のためにおよそ10年先までに必要とする能力を達成目標として示し、その目標達成のための指針、直面している脅威およびリスク、対処についての基本的考え方などを内容としている。

 SDSRは具体的な対処の要領(軍事・外交・法の執行等)を示している。従来、英国は米国と違い、成文化した「国家安全保障戦略」は伝統的に策定してこなかったが、防衛・安全保障に関する様々な重要なドキュメントは、それぞれ個別に策定していた。

 しかしながら冷戦後の予測不能で多様な脅威やリスクのある安全保障環境、英国が直接関わってきた湾岸戦争やイラク戦争などの経験、および9.11米国同時多発テロなどを踏まえて、このような事態に的確に対処するためには、国の防衛・安全保障に関わるすべての省庁及び軍がとるべき行動の目的及び計画の指針を1つに取りまとめた包括的な唯一の戦略を定める必要があるとして、英国政府は2008年3月に「英国の国家安全保障戦略―相互に依存する世界における安全保障」を策定した。

 以後はNSSおよびSDSRを毎年見直して、議会の承認を経てその年のNSS及びSDSRとして公表している。英国は英国が直面する最も高いリスクの1つがテロであると認識し、9.11米国同時多発テロの2年後の2003年に内務省が「対テロ戦略」を策定し、2003年6月に16の省庁代表者からなる独立機関として「統合テロ分析センター」を設立し、2007年に内務省に「対テロ安全保障及び対策オフィス」を設立した。

 一方国防省による防衛体制整備については、NSS及びSDSRで示された防衛目的、達成目標および防衛体制整備の指針に基づいて各種計画を定めている。

 防衛計画については5か年を見通した計画を策定し、装備品の取得に関しては正面装備品の取得に伴う10年間にわたる予算の推移を見積もった計画を策定し、いずれも毎年見直しを行って公表している。なお、米国防省が進めているNCW概念を中心に据えた軍の変革に対して、英国もITを駆使した同様の変革をNATO(北大西洋条約機構)体制の中で進めている。

 英国防省は、防衛技術戦略と防衛産業戦略を別々に策定していたが、それを改めて1つのドキュメントとしてまとめ、2012年2月に「技術による国家安全保障」を策定した。

 スウェーデンについて、スウェーデンの軍事非同盟中立政策は、ナポレオン戦争末期1812年にロシアとの争いを回避するために採用した政策から始まり、その後およそ200年間これがスウェーデンの安全保障政策の基本となった。

 冷戦の時代、戦時の中立を目的とする軍事非同盟政策を堅持したが、これにより国の平和と安全を確保するため、徴兵制と強力な国内防衛産業を擁することにより成り立つ大規模な通常戦戦力を保持した。

 冷戦間NATOにも加盟せず中立を保ったが、ソ連によるベルリン封鎖、朝鮮戦争、およびチェコ事件などの影響を受けて国内防衛体制整備は一段と強力に進められていった。しかし、1991年のソ連消滅による冷戦の終焉により大きな転機を迎えることとなった。

 従来の自存自立による中立政策では、冷戦終結後の安全保障環境、防衛装備技術環境、グローバル化した経済・社会の状況等を考えると、国の平和と安全を保障できないとの考えが支配的となり、2002年時点においてスウェーデン議会の大多数は、他国と協力して自国の安全を確保する新しい体制を構築することに同意していた。

 この脈絡の中で、スウェーデンは次々と諸外国や国際機関との連帯を強めていった。これらの経緯を経て、スウェーデン議会は2009年に「連帯宣言」を議決した。

 ここで「スウェーデンは、万が一他の加盟国や北欧諸国が脅威を受けまたは攻撃された場合、受動的ではないであろうし、またスウェーデンが脅威を受けた場合、他国が同様の行動をとることを期待する。スウェーデンは、そのような軍事的な支援を提供する能力および受ける能力を保持すべきである」と宣言した。

 以上のように、冷戦の終焉に伴い、スウェーデンは「軍事非同盟」は堅持しつつ「中立政策」を転換して、多様な連帯関係を確立することによって安全の増進を図る「連帯による安全保障政策」へと移行した。

冷戦終結後における欧米先進国の防衛産業政策の変化と防衛産業の対応

 米国の防衛予算は、冷戦間の米ソ対立構造及び米国の経済発展ならびに1981年のロナルド・レーガン政権の登場に伴って、防衛予算は急激に拡大していっていたが、1985年をピークに徐々に減少し始め、1991年のソ連消滅による冷戦終焉を経て急激に減少していき、1999年から緩やかな増加へと向かっていく。

 しかし、このような長期にわたる大幅な予算削減に伴い、冷戦間に巨大化していた防衛産業は、生産能力の削減を余儀なくされ、生き残りと発展成長のため企業の合理化、近代化、効率化を迫られ、大規模な整理、統合、再編を進めていった。

 これにより冷戦間に肥大化していた生産能力の縮小ならびに過当競争環境の適正化が図られる方向へ進んだ。その結果、1990年代半ば以降防衛産業の大規模な吸収合併が進み、ロッキードマーチン社をはじめとする5つの巨大企業が出現するとともに、様々な中小企業が第2層および第3層を形成する階層化が進んだ。

 一方欧州においては、このような米国の巨大防衛産業の出現を目の当たりにして、米国企業により欧州武器市場が席巻されることを恐れて、米国に対抗し得る規模と技術を有する企業からなる防衛生産・技術基盤を欧州域内に確保することを目標に、欧州域内の防衛産業の吸収合併による統合・再編ならびに科学技術振興施策を、英国、フランス、ドイツなど武器生産先進国が中心になって進めていった。

 それまで欧州各国の防衛産業はほとんどが国営であったが、吸収合併を進めるためにはこれを私企業化する必要に迫られ、各国は防衛産業の私企業化を進めた。

 同時に欧州域内の吸収合併を促進するため、英国、フランス、ドイツ、イタリアが主導して1996年に「共同装備協力機構」を設立して防衛装備品の共同開発のための環境を整備し、続いて1998年に上記4か国にスペイン及びスウェーデンを加えた6か国で「装備協力基本合意」協定書を取り交わして調印し、その後これを「枠組み合意」として2000年に締結した。

 これにより国境を越えた防衛産業の吸収合併にとっての障害が取り除かれ、欧州域内の防衛産業の統合・再編が円滑に進むこととなった。このようにして吸収合併が進展した結果、1999年にBAEシステムズ社、2000年にはEADS社、THALES社など、米国に対抗し得る規模と技術を擁する企業が誕生するに至った。

 また、冷戦間欧州各国はそれぞれ自国内で武器を生産する国産中心主義であったが、これを改めて欧州域内企業による事業分野・技術分野の住み分けを行い、協業により事業を実施するとともに、研究開発についても重複を排除するなど、予算、人材、設備等資源の効率的な活用を図る、あたかも欧州が1つの国であるかのような体制が出来上がっていった。

 今日においては、欧州各国は国家主権に関わる防衛装備品を除き、それ以外のものについては共同開発・生産を多用する方向へとシフトしていっている。このような欧州域内における防衛装備協力の進展及び防衛産業の吸収合併が進む状況にあって、EUでは防衛装備行政を管理・統制する必要性を痛感し、加盟各国の同意を得て2004年に欧州防衛庁を設立した。

 英国国防省は2002年10月に公表した「防衛産業政策」において「冷戦の終結によりグローバルな政治の世界は劇的に変化し、軍事作戦の様相及び兵器の性能・特質並びにこれらを支援する技術も同様に変化した。圧倒的な兵員、重厚長大な兵器および予見可能なドクトリンは過去のものとなり、現在ではこれに代わり複雑化した迅速精密な軍事的解決を要求するものへと変わってきた」と述べ、政府自ら改革に取り組むとともに防衛産業界にも変革を求めた。

 英国はそれまで国有化されていた防衛産業を民営化して吸収合併をし易い環境を作り、市場をオープン化して外国企業の参入を促進させた。その結果、オールラウンドな防衛・安全保障装備品の大企業となったBAEシステムズ社が1999年に誕生し、米国のロッキードマーチン社およびボーイング社に次ぐ大企業となった。

 また造船業においても1960年代におよそ30社あったものが国有化されたのち吸収合併が進み、2008年には唯一の水上艦艇造船企業としてBVT社1社のみとなった。

 このような企業の自由な経営活動が進展していくのに伴って、英国政府は、英国企業の海外進出を支援するとともに外国企業・資本の英国への進出を促進するため、貿易と投資の2つの部門から成る政府機関、British Trade Internationalを1999年に発足させ、さらにこの2つの部門を統合再編して貿易投資総省(UK Trade and Investment: UK TI)と名称を変えて2003年に発足させた。これにより英国防衛産業の海外での企業活動を政府として支援する体制を整えた。

 フランスも英国と同様に、防衛生産・技術能力を各国レベルで保持するのは効率的ではなく、欧州レベルで考えるべきであると考え、欧州全体で構成する企業群として自己完結的な世界レベルの能力を持った防衛生産・技術基盤をEU内で育成し保持することを目標としており、そのため欧州域内の企業の吸収合併を積極的に進め、米国企業に匹敵する防衛産業を欧州域内で擁するまでに至っていっている。

冷戦終結後における国際社会および欧米先進国の武器輸出管理

(1)安全保障環境の変化が武器輸出管理に与えた影響

 冷戦時代においては、東西両陣営の国家は相手陣営の軍事力の強化を阻止し、自陣営の軍事力優位を確保することを主眼として武器輸出管理を実施していたが、冷戦の終結によりこの制度は意義を失い西側陣営の対共産圏輸出統制委員会(ココム)は1994年3月に解散し、東側のワルシャワ条約機構は1991年に廃止された。

 冷戦の終結に伴い米ソ両軍事大国による国際社会の安全保障秩序が崩壊し、民族、宗教、領土等に起因する様々な紛争などが顕在化するとともに、国際的なテロ活動や海賊の横行などの事象の多発は、武器に対する需要の増大をもたらし、必然的に国境を越えた武器移転の拡大をもたらした。

 また、大量破壊兵器およびその運搬手段としての弾道ミサイルの拡散の問題がある。旧ソ連が開発したミサイルは世界の多数の国に拡散し、さらにそれらをベースに開発した発展型の弾道ミサイル及び技術が多数の国に拡散している。

 また、旧ソ連消滅に伴い旧ソ連の冷戦時代の遺産としての核兵器及び化学兵器等の大量破壊兵器の処分問題は、様々な問題を提起した。核兵器等の廃棄物質の海外への不正流出、および核兵器開発に従事してきた多くの技術者の海外への頭脳流出や技術情報の流出などは、完全には防げておらず実効ある大量破壊兵器の拡散防止措置の実施が求められてきた。

(2)防衛産業の変容が武器輸出管理に与えた影響

 冷戦終結に伴い、米国は防衛予算の大幅な長期にわたる削減が引き金となって大規模な吸収合併によって巨大防衛産業の出現を見たが、同じように欧州においても欧州域内における国境を越えた吸収合併が進展していった。

 このような国境を越えた吸収合併により企業の設計・製造拠点の多国籍化及び企業所有権者の多国籍化が進展した。このことは必然的に人、モノ、金、情報の円滑な移動を促し、そのための仕組みが整備されていくのに合わせて国際調達が常態化していった。

 また、欧米間の大企業同士の提携等も頻繁に生じている。このようにグローバル化が進展している防衛産業基盤であるため、モノや情報の流通機会は増大している。これらは、武器輸出に関して相反する2つの施策、即ち流通の迅速化及び効率化を志向する規制緩和と、流通機会の増加に伴う違反のリスク増に対処するための規制強化、即ち武器輸出管理との両面の施策の強化が求められることとなった。

(3)科学技術の進展が武器輸出管理に与えた影響

 いわゆる情報化時代は1980年代に始まるが、1990年代に至りインターネットが普及するに至って、IT産業は飛躍的な発展を遂げた。情報通信技術は民生品分野で飛躍的な進歩を遂げ、これの軍用品への転用が強く求められ、指揮統制システムとかミサイル誘導システムなど、ほぼあらゆる分野にわたる防衛装備品へ導入されていった。

 このことは武器輸出管理において管理対象品目が多種類多数にわたりかつ技術革新が急速であるため、これに追随する管理制度を整備することが求められてきた。また先進民生技術の多用化に伴い、軍事品と民生品及び軍民両用品の区分およびその管理要領を明確にする必要が生じている。

 さらに、科学技術の進展に伴って軍事作戦領域が、伝統的な陸、海、空の3つの領域の他に宇宙空間及びサイバー空間が加わった。今日の軍事作戦は宇宙に配備したアセットの利用なくしては成り立たない。

 これらのアセットは民生産業を含めた幅広い裾野の生産・技術基盤から得られたものであって、従来の武器輸出規制の枠組みで管理するのは困難であり、新たな施策を講じる必要が生じている。

 また、陸、海、空、宇宙へと広域に配備された多種多様なアセットをネットで連接した極めて複雑な環境の下で秘密度の高い作戦上の重要情報を送受しているサイバー空間は、敵による傍受や妨害といった攻撃を受けやすい脆弱性があり、これに対処するための十分に保全されたネット空間の構築が必須の要件である。

 サイバー空間並びにそのセキュリティーに関わるアセットは、宇宙アセットと同様に民生品を含めた幅広い製品及び技術を活用しており、輸出管理にあたっての管理対象品目並びに管理要領を綿密に検討する必要が生じている。

冷戦終結後における武器輸出管理の変化への国際社会および欧米先進国の対応

(1)国際社会

 ここまで見てきたように、冷戦終結後の安全保障環境の変化や科学技術の急速な進展などの結果、武器移転の迅速化・円滑化を必要とする環境と、不正流通や紛争の助長防止などのために武器移転の規制強化を必要とする環境とが併存することとなった。

 いずれの場合においても自国だけで対処できるものではなく、様々な協定やレジームを設けて国際的な連帯によって対処すべきものである点においては共通している。このうち武器移転の規制強化に関して、国際社会は様々な施策をとってきた。

 冷戦終結によりココムは1994年に解消され、これに代わり武器主要生産国から通常兵器及び関連汎用品・技術の第三国への過度の移転及び蓄積を防止するための措置として、「通常兵器及び関連汎用品・技術の輸出管理に関するワッセナー・アレンジメント」が設立された。欧米先進国や日本をはじめ世界41か国が加盟している。

 通常兵器の輸出入規制に関しては、2013年4月に国連で採択され156か国の賛成を得た「武器貿易条約」があるが、発効までには至っていない。また、大量破壊兵器の拡散防止に関して設定された条約あるいはレジームの主要なものは次のとおりである。

「核拡散防止条約」(1970年に発効)
「ミサイル技術管理レジーム」(1987年に発足し、1992年に追加修正)
「化学兵器禁止条約」(1997年に発効)
「生物兵器禁止条約」(1975年に発効)

「オーストラリア・グループ」(化学および生物兵器の開発・製造に使用し得る関連汎用品及び技術の輸出管理を通じて生物・化学兵器の拡散防止、1985年に第1回会合開催、2010年現在40か国が参加)

「拡散に対する安全保障構想」(大量破壊兵器及びその運搬手段であるミサイルの拡散阻止、2010年12月現在98か国参加)

「対人地雷の使用・貯蔵・生産及び以上の禁止並びに廃棄に関する条約」(1999年3月発効、2007年4月現在153か国が署名し批准)

(2)欧州連合(EU)

 EUは加盟国の武器輸出を規制するため、EU加盟国が最低限守るべき共通の規則とその運用を定めた「武器輸出に関するEU行動規則」を1998年に制定した。

(3)米国

 米国は1976年制定の「武器輸出管理法」で武器輸出に関する基本的な事項を定め、これに則って制定された「国際武器貿易規則」で武器リスト並びに細部実施要領を定めている。

 武器輸出管理法は議会によって毎年のように修正されるが、基本的なことはほぼ変わらず、武器輸出の基本的な理念、輸入国が満たしておくべき条件、輸入国の輸入目的の正当性、議会および大統領の責任と権限、輸出承認基準等を主要な内容としている。

 クリントン政権は武器輸出を積極的に推進する政策をとり、冷戦終結に伴い世界の武器市場はそれまでの約2分の1に縮小したにもかかわらず、米国の武器輸出額は冷戦中と同じかもしくは冷戦中より増加している。

 その後のブッシュ政権になってから今日に至るまでの米国の武器輸出政策については、1つには、9.11米国同時多発テロ後にとられたテロとの戦いが大きく影響を与えている。もう1つは、欧州諸国との間における先進防衛装備品の共同開発・生産の推進である。

 これによりリスクシェア、コストシェア、技術の向上・平準化、相互運用性の向上などのメリットを相互に享受しようとするものである。

(4)スウェーデン

 スウェーデンは長く軍事非同盟中立政策をとってきたため、国営の自国防衛産業からの国内調達により軍事力を整備してきた。しかしながら防衛産業の維持・発展のためには、国内需要のみではやっていけず積極的に武器輸出を実施してきた。

 これにより国内に優れた独自技術を有する防衛産業を維持するとともに、武器輸出に関しても長い経験と歴史を通じて築き上げられた効率的な武器輸出管理体制を確立している。

 冷戦終結後スウェーデンは、防衛産業を国営から民営に移管し、市場を開放するとともに国内企業も米国市場や欧州市場に積極的に進出し、また国内外の防衛産業による吸収合併を奨励して国内外企業との統合再編を進め、防衛産業基盤の維持・強化育成を図ってきた。

 スウェーデンは武器輸出の増加に伴い新しい環境に適応した武器輸出管理を実施するため「軍事装備品法」を1992年に制定した。また、武器輸出の増加並びに武器輸出内容の複雑化に伴い、防衛装備品並びにデュアルユース物品の輸出管理を専門に所掌する官庁として、1996年2月1日に外務省の管轄下に戦略物資検査庁を設立した。

 戦略物資検査庁は、防衛・安全保障に関わる戦略物資の輸出管理および不拡散に関する管理および規則遵守状況の監視、化学兵器禁止条約の履行および大量破壊兵器の開発・製造・取得に関わる制裁等の監視、ならびに輸出管理に関する国際協力についての責任と権限を有する。

 さらにスウェーデン政府は、冷戦後における安全保障政策の転換による国際協力の進展、防衛装備品の国際共同開発・生産の機会の増大並びに武器輸出により国内防衛産業の維持・発展を図る必要性等の理由から、政府として武器輸出並びに防衛産業の国際共同活動に対する支援、協力等を促進するため、国防省並びに防衛装備庁などの輸出に関わる部門を集約して、2010年8月に防衛・安全保障輸出庁を設立した。

 任務は、防衛・安全保障に関する装備品の輸出振興、政府間取り決めなどにおける国の代表としての交渉、防衛産業の輸出奨励ならびに支援などである。

我が国の冷戦体制からの脱却

 1945年2月のヤルタ会談から始まりおよそ45年間続いた冷戦には様々な局面があったが、冷戦間の戦略を総括すれば、1つには大規模核戦争抑止戦略があり、2つ目には西側自由陣営から見たソ連封じ込め戦略があり、3つ目には対共産圏輸出統制委員会(ココム)による東側陣営の軍事力強化阻止戦略、があったと言うことができよう。

 1989年に冷戦が終結し、上に見てきたように欧米先進国が様々な政策・戦略の変更を実施していく中、これまで我が国においては、各方面にわたる大局的な変革が実施されることはなかった。

 しかしながらやっと平成24(2012)年に至り、同年12月に誕生した第2次安倍内閣は、以下に述べる国の安全保障に関わる重要な4つの政策決定を逐次行っていった。

(1)国家安全保障戦略の策定(平成25年12月17日)

 冷戦終結後の国際社会の安全保障環境をはじめとする様々な変化に鑑み、欧米先進国は国の防衛・安全保障に関わるすべての省庁および軍がとるべき行動の目的及び計画の指針を取りまとめた包括的な唯一の戦略を定める必要があるとして、「国家安全保障戦略」を定め、これを受けて各種戦略そして計画を体系的に定めることとしてきた。

 さらに米国は冷戦終結後の安全保障戦略において、「米国が関与する事態及び関与の規模・程度は国益に照らして柔軟かつ効果的に対処する」ことを基本としている。

 冷戦時代において我が国は日米安保体制の下で米国を盟主とする西側自由陣営の一員としてその一翼を担ってきたが、核抑止については米国の拡大核抑止戦略に全面的に依存することが現実的な唯一の選択肢であり、そのためには緊密な相互信頼関係を築いて日米安保体制を堅持し、米国の拡大核抑止戦略の信憑性を高めることが戦略であり、我が国が独自にとり得る戦略の余地はなかった。

 ソ連封じ込め戦略については、我が国は日本列島によってソ連を包囲する地理的な関係から、極東ソ連海軍の太平洋への進出を海上自衛隊が警戒監視し、同様に航空自衛隊が極東ソ連空軍の日本周辺空域における行動を警戒監視する、これらは取りも直さず我が国の防衛行動そのものであり、冷戦構造に大きな変化がなくかつ米軍に重大な戦略変更がなければ、「国防の基本方針」で定めたところに従って自衛のために必要な防衛力を整備してこれを行使し、精強な自衛隊を存在し続けさせることで十分に対処できた。

 したがって、特段の国家安全保障戦略のようなものは必要としなかった。しかしながら、冷戦終結後における国際社会の安全保障環境は、欧米先進国の対処の状況からも明らかなように、我が国が冷戦時代の時のような変化に乏しく、かつ米国に多くを依存する、通り一遍な戦略で済まされる状況ではなくなった。

 このことを強く認識した安倍内閣は、内閣を挙げて安全保障体制の強化に取り組む必要があるとの認識の下に、まず国家安全保障会議を改組再編して組織・機能を拡充強化し、次いで「国防の基本方針」を廃して「国家安全保障戦略」を策定して国家安全保障に関する基本方針を示し、この中で国益を定義するとともに国家安全保障の目標を定め、国益を守るとともに国家安全保障の目標を達成するための戦略的アプローチを明らかにした。

 このことによって、我が国は冷戦後世界に適応した安全保障態勢を構築するための基幹となる根本的な体制が、やっと整えられたと言うことができる。

(2)防衛装備移転三原則の策定(平成26年4月1日)

 我が国はココムが設立された1950年(昭和25年)から西側自由陣営の一員としてココムに参加していたが、1967年(昭和42年)に至り武器輸出三原則政策を定めて、共産圏諸国の他に国際社会の共通的理念であった武器輸出禁止対象国も加えて武器輸出を禁止した。

 さらにその後我が国は、実質的に全面的な武器輸出禁止政策を採用したが、これは西側自由陣営諸国の軍事力造成に対する支援も実施しないという政策決定であった。その後、武器輸出を限定的に容認する方向へと徐々に政策を変更していったが、基本的には「武器輸出三原則を適用しない例外的措置」という枠組みであった。

 安倍内閣はこれを改めて、平成26年4月(2014年4月)に「防衛装備移転三原則」を策定した。これは冷戦体制の遺産である「武器輸出三原則」からの離脱を意味するものである。

 「防衛装備移転三原則」は、新しく策定された「国家安全保障戦略」に基づいて定められており、防衛装備の移転は国益及び国家安全保障の目標の達成という文脈の中で捉えるという位置づけであり、国家安全保障戦略から導かれた3つの原則、即ち、

第1:移転を禁止する場合
第2:移転を認める場合の限定ならびに厳格審査及び情報公開
第3:目的外使用及び第三国移転に係る適正管理の確保

 に則って武器輸出の是非を判断し実行するとした。即ち、防衛装備の移転を国家安全保障戦略の重要な要素の1つとして位置づけたものであり、防衛装備の移転に明確な大義名分を与えたと言うことができる。

 我が国の安全保障に資する海外移転という案件として、国際共同開発・生産の他、物品・役務相互提供協定(ACSA)に基づくもの、米国との相互技術交流に基づくもの、米国からのライセンス生産に係るもの、救難・輸送・警戒・監視・掃海に係る協力に関するもの、並びに邦人の安全確保に係るものが新たに追加されたが、これらは我が国の防衛力の強化に資するのみならず、我が国との安全保障面での協力関係のある国の防衛力強化に寄与することによって結果として我が国の安全保障に資する道を開いたものである。

 また、従来武器輸出は極めて限られた枠の中で審議されており、国の中長期にわたる総合的な安全保障、あるいは国内防衛生産・技術基盤へ与える影響など、幅広い視点で審議されてこなかったが、今回の防衛装備移転三原則の策定により、防衛装備の海外移転を安全保障を含めた幅広く総合的な視点から審議する体制を整えたことは、武器の本質を考えるとき極めて妥当なことである。

 また、安倍内閣は「防衛装備移転三原則」を運用するにあたっての実施要領の基本的な事項を「防衛装備移転三原則の運用指針」として示したが、「防衛装備移転三原則」を示すだけでなくその原則の運用要領を具体的に示すことにより、事業を要求する側(防衛当局)、およびこの要求に対する提案を行う側(企業)、ならびに原則への適合性を審査する側(政府)いずれもが共通の理解の下に、要求し、提案し、審査するというプロセスを踏むことができる。

 これにより、提案する側の企業は、防衛装備移転の具体的なイメージを描くことにより適切な提案を実施することができ、また、政府による防衛装備移転の審査は、防衛・安全保障戦略に照らして高度かつ総合的な視野で行うことができ、結果としてわが国の防衛の強化や地域あるいは国際社会の安全の増進にタイムリーに寄与することにつながるであろう。

 そして我が国の防衛装備移転の実態を公表して国の内外に明らかにすることも定めているため、これにより透明性を確保して近隣諸国や国際社会の理解と信頼を得られるものとなるであろう。

(3)国家安全保障会議の改組再編(平成25年12月4日)

 冷戦間における国防会議又は安全保障会議の主たる任務は、防衛計画の大綱および防衛力整備のうちの重要事項等を審議することが主たる任務であったが、安全保障環境の重大な変化あるいは日米安保体制に影響を及ぼす重要な事態の生起等がなかったとの判断の下に、国防会議又は安全保障会議は形骸化していた。

 しかしながら、冷戦の終結および科学技術の進展などに起因する安全保障に関わる環境の変化などに鑑み、国の安全保障体制を見直し、再構築する必要があるとの認識の下に、第1次安倍内閣において、国家安全保障の基本となる「国家安全保障戦略」の策定が急務であると認識して、これの策定に任ずる「国家安全保障会議」の設立を試みたが果たせず、第2次安倍内閣によって「国家安全保障会議」が設立された。

 これにより冷戦終結後における複雑で多様、予測困難な安全保障環境において、国の安全保障に関わる事項を一元的かつ継続的に審議する制度が確立された。またこのことによって米国の国家安全保障会議(National Security Council: NSC)と情報交換・協議を随時実施できる体制が整えられたということができる。

(4)集団的自衛権の行使容認(平成26年7月1日)

 安倍内閣は、2014年(平成26年)7月1日に集団的自衛権の行使を容認する閣議決定を行い公表した。集団的自衛権については、政、官、学、法曹界等から多くの意見、文献などが出されているが、基本的なこととして、まず集団的自衛権の定義を見てみると「集団的自衛権は、自国と政治的・軍事的な協力関係にある他国に対して武力攻撃がなされたとき、その攻撃が直接自国に向けられたものでなくても、自国の平和と安全を害するものとみなして、これに対抗する措置を取ることを認められた権利である」(城戸正彦『戦争と国際法』)とされている。

 次に基本的な認識として、まず第1に「国は個別的自衛権及び集団的自衛権を固有の権利、即ち自然権として持っている」ということ、そして第2に「個別的及び集団的自衛権行使の目的は、国の主権を維持し国民の生命と財産を守ることである」ということ、そして第3に「個別的及び集団的自衛権行使の判断基準は、正当性があるか否か、および過剰であるか否かである」ということができる。これは普遍的な真理であって誰も反対する者はいないであろう。

 集団的自衛権についての従来の政府の判断は「集団的自衛権の行使は、憲法が許す自衛のための必要最小限の武力行使の範囲を超えるものであるので認められない」とするものであった。

 このように「個別的自衛権行使は合憲であるが集団的自衛権行使は違憲である」という線引きは、故岡崎久彦氏が言っておられるように、おかしいと言わざるを得ない。そうではなくて、個別的であれ集団的であれ行使する自衛権が憲法の精神に則っているか否かは、先に挙げた第3の基本的事項、即ち、当該自衛権の行使に正当性があるか否か、および当該自衛権の行使は過剰であるか否かという2つの評価基準によって判断すべきである。

 以上の観点から今回の政府決定を見てみると、集団的自衛権の行使を認める場合の正当性の判断基準として、

(1)密接な関係にある他国に対する攻撃が、我が国の存立を脅かし、国民の生命、自由及び幸福の追求の権利が根底から覆させられる明白な危険があること

(2)これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないこと

 を挙げている。次に、当該集団的自衛権行使が過剰か否かの判断基準として、

(3)必要最小限度の実力行使であることを挙げている。

 (1)の基準は厳しすぎるが、これまでの集団的自衛権の行使を認めないとする政策からこれを認める政策へと変更したことは評価できる。

 さらにもう1つの点として、戦争そのものは「Fog of War」と言われるように予測不能な事象で満たされているが、それでも冷戦時代の脅威は概ね予測できたし、従って抑止するための対策及び有事の対処についてもかなりの確度で準備することができた。しかしながら冷戦終結後における今日の脅威は、サイバーなどの無形のものから物理的な脅威まで多様であり、脅威を配備しあるいは利用する空間も陸海空の他、宇宙およびサイバー空間等幅広い。

 そして戦争の形態や主体さらには開始や終了の時期は多様、不明、シームレスである。従って、今日の脅威に対してこれを抑止するため、あるいは抑止が敗れてこれに対処するためには、あらゆる可能なオプションを準備して対処することがこれまで以上に求められる。このたびの集団的自衛権の行使容認の政府決定は、有事対処のオプションの幅を広げるものであり、従ってそのことが抑止効果を上げるものである。

おわりに

 冷戦終結後、欧米先進国において、政府は国の安全保障に関わる様々な分野の政策決定を環境の変化に応じて行うとともに実行に移し、防衛産業をはじめとする民間部門は、変化を先取りしあるいは政府の政策決定に応じて変化への適応を図っていった。

 一方我が国は、欧米先進国に見られるような冷戦終結後における大局的な変化を求めることなく、冷戦体制の延長線上で平穏無事な状態を継続維持できると考え、今日まで過ごしてきた。これに警鐘を鳴らして安全保障体制の抜本的な整備を訴え、実行に移していったのが第2次安倍内閣であった。

 安倍内閣による安全保障に関わる一連の政府決定は、我が国がこれまでの一国平和主義を排して国際協調主義に基づく積極的平和主義を追求する国家へ変身することの明確な意思表示であり、我が国の平和と安全の増進のみならず、国際社会の平和と安全の増進に積極的に関与していくことを内外に明らかにしたものである。

 これは時代を画する政府決定であって、我が国の戦後体制、なかんずく冷戦体制からの脱却を意味するものである。しかしながらこれは、冷戦体制から脱却するためのスタートラインに立ったことを意味するものであって、この体制に基づいて各種施策が生み出され、実行に移されて、国家安全保障戦略に掲げる目標が着実に達成されるよう、国を挙げてのこれからの努力が強く求められる。

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/42518


02. 戦争とはこういう物 2014年12月25日 08:25:11 : N0qgFY7SzZrIQ : WJiCmAappI
> 国民は戦争に加担したことについて何の反省もできていない

 それ故「国益」という実態も無い国の都合に安易に乗せられてしまう。「お国の為」と言えば何でも許される風潮が戦争の遠因。
 国益とされる「何とか自衛権」も「ぼうえいそうび」輸出も含め、所詮は祖父が戦犯にされた負け戦の後の歴史を「(戦前)日本を取り戻」したい為政者の妄想。

03. 2014年12月25日 23:37:45 : wtCHYcH7t6
現在に生きる人々にとって対立軸は 国 対 国 ではない。
共通するキーワードは 1% 対 99% である。
むしろトロツキーが提起した形で利害関係が成立している。

それがアホが騙され1%に者の利益になるだけの 国対国の対立を煽られ他国に敵愾心を持つ。それが恵まれない立場の貧乏人だから何をか言わんやだ。


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