★阿修羅♪ > 中国6 > 109.html
 ★阿修羅♪  
▲コメTop ▼コメBtm 次へ 前へ
非業の死遂げた劉少奇元主席の娘「普通の家に生まれてたら…」(NEWS ポストセブン)
http://www.asyura2.com/15/china6/msg/109.html
投稿者 赤かぶ 日時 2015 年 5 月 17 日 08:27:05: igsppGRN/E9PQ
 

非業の死遂げた劉少奇元主席の娘「普通の家に生まれてたら…」
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150517-00000005-pseven-cn
NEWS ポストセブン 5月17日(日)7時6分配信


 中国の大規模な政治運動「文化大革命(1966〜1976年)」で粛清された劉少奇元国家主席の娘、劉愛琴さんが中国紙「新京報」の単独インタビューに応じ、文革中に拷問を受けた記憶などを生々しく語るとともに、「普通の家に生まれていたら、父が悲惨な死に方をするなど、こんなに苦しまなくて良かったのに…」などと涙ながらに述べた。

 愛琴さんは1927年生まれで、現在88歳。小さいころ、父の劉少奇は革命運動で忙しく、愛琴さんが12歳の1939年から新中国建国の1949年の10年間、旧ソ連の共産党機関に預けられ、モスクワから300kmほどの養護施設で育てられたという。

 その時の印象について、愛琴さんは「いつもひもじい思いをしていて、冬の間は本当に寒かったことを覚えている」と話している。

 22歳から劉少奇らと一緒に暮らすようになり、人民大学に通うなどの穏やかな生活が始まったが、1966年に文化大革命が始まると生活が一変。同年7月初め、北京・中南海の自宅に紅衛兵が押し寄せ、両親を連れ去っていったのが、永遠の別れになってしまった。

 その後、愛琴さんと兄と弟の3人は内蒙古自治区に連れて行かれて、拷問を受ける毎日を送る。文革では愛琴さんも「ソ連のスパイ」などと批判を受け「歯から血が流れ、腰がおかしくなり失禁」するほどの暴行を受けた。その後、毎日、工場のトイレ掃除を強いられたという。

 留学先のソ連から帰国した兄は同自治区包頭市内で、線路に身を伏せて自殺。弟は8年間、身柄を拘束されつるし上げの毎日で、解放されて数年後に1人暮らしの農家で息を引き取った。

 劉少奇は党籍を永久剥奪され1969年、河南省で農民の「劉衛黄」として病死したが、1980年に名誉回復された。

 愛琴さんは「子どもには政治から遠く離れていてほしい。平穏に楽しく暮らすことができればそれでいい」と語るとともに、「だれかを恨んでいるか」と尋ねられ、「だれを恨めばいいのか。だれも怨んでいない。時代がもたらした悲劇だ」と涙ながらに答えた。


 

  拍手はせず、拍手一覧を見る

コメント
 
01. 2015年5月17日 22:13:29 : OrUmIOsggI
今でこそ堂々と言えるが、あの「文化大革命」の時代は本当に狂っていた。あの頃の北京放送。連日、毛沢東の賛美ばかり。中波で強力な電波だった。名古屋のCBC中日放送の下の周波数だった。当時は中波は10kHzセパレーションだったから、1040kHzだった。

もう子供の頃の話なので、かすかに覚えているだけだが、劉少奇氏を裏切り者だの、一味だの、もうメチャクチャな罵りを電波に載せて日本に送っていたのである。そんなに悪い奴なのか。子供心に疑問が生じた。しかし朝日新聞など、なぜか文化大革命賞賛報道ばかり。日本まで狂っている。そのような中、連合赤軍による浅間山荘立てこもり事件が起きた。

当方も当時、毛沢東が正しいと思い込んでいたが、ある時から急に変わった。「こんな放送を聴いていたらダメだ。」しかし中波の聴けるラジオしかない。そこで両親に頼んで、短波の聴けるラジオを買ってもらった。この出費は痛かったとか。松下電器(ナショナル・パナソニック)のワールドボーイRF-848だった。買ってもらった時のうれしかったこと。今でも覚えている。

文化大革命は多くの文化人や政治家の命を奪った。当方も以前に書いたが、文学者の老舎さんも紅衛兵の攻撃を受け、自殺に追い込まれたのである。後に復権を果たすケ小平氏も、「走資派」として恐ろしいまでの迫害を受けた。

毛沢東が死に、その後の中国大陸の動向に世界の関心が集まったが、中共はこれら中国大陸社会の大混乱を、全て「四人組」の責任にして幕引きした。その後はケ小平氏の「四つの近代化」のために「改革・開放」政策を取ることになり、今日に至っている。

中共は毛沢東の責任を完全にうやむやにして、責任回避を狙ったのである。全て「四人組」に押し付けた。毛沢東の反右派闘争、大躍進の失敗、文化大革命など、今日に至るまで、歴史的重大犯罪について全く触れられることはないのである。天安門には毛沢東の肖像画が掲げてある。

劉愛琴さんも毛沢東の犠牲者なのだが、「私は毛沢東を憎んでいます。」と言えないところに、中共支配の巨大な監獄である「中国大陸」で暮らす厳しさを感じ取ることができる。何とか、彼女の存命中に中共を崩壊させたいものである。そして、堂々と「私は毛沢東を憎んでいます。」と言える社会にしなければならない。


02. 2015年5月21日 00:09:30 : F6wJ83DJQw
これは親が修羅道に飛び込んだから子孫が末代苦しむ、というよくあるパターンでは?

  拍手はせず、拍手一覧を見る

フォローアップ:


★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
投稿コメント全ログ  コメント即時配信  スレ建て依頼  削除コメント確認方法

▲上へ      ★阿修羅♪ > 中国6掲示板 次へ  前へ

★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/ since 1995
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。
 
▲上へ       
★阿修羅♪  
中国6掲示板  
次へ