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男はなぜ駅の待合室で警官に射殺されたのか 81歳の母と3人の子の眼前で起きた惨劇の顛末「中国・キタムラリポート」
http://www.asyura2.com/15/china6/msg/165.html
投稿者 rei 日時 2015 年 5 月 22 日 07:44:42: tW6yLih8JvEfw
 


「世界鑑測 北村豊の「中国・キタムラリポート」」
男はなぜ駅の待合室で警官に射殺されたのか

81歳の母と3人の子の眼前で起きた惨劇の顛末

2015年5月22日(金)  北村 豊

 中国では5月1日の金曜日が"労働節(メーデー)"の祝日で、週末の土・日の休日を加えて5月1日から3日まで3連休であった。その連休の中日、5月2日の正午過ぎ、黒龍江省"綏化市"に属する"慶安県"の鉄道駅で中年男性が、その母親と3人の子供の目の前で警官によって射殺されるという惨劇が発生した。中国メディアは5月3日付で次のように報じた。

「理由が分からない」慶安県射殺事件

 2日午後、黒龍江省慶安県にある"慶安火車站(慶安鉄道駅)"の"候車室(待合室)"で1人の中年男性が慶安駅派出所の警官ともみ合いとなった後、警官に拳銃で撃たれて死亡した。

 ハルビン鉄道公安局の説明によれば、当日12時頃、ハルビン市"鉄路局(鉄道局)"管内の慶安駅の待合室内にある安全検査所で、中年男性が待合室へ入ろうとする乗客の進路を塞いだ。中年男性は警官の制止を聞こうとせず、6歳の子供を警官に向けて放り投げたばかりか、警官が携帯する道具や拳銃を奪おうとしたため、警官はやむなく男性を拳銃で撃った。撃たれた男性は地上に倒れ、駆け付けた救急隊員によって死亡が確認された。

 死亡した男性の母親によれば、当日午後自分は息子と孫たちと慶安駅から列車に乗る予定であったが、息子がホームへ入場するための検札を受けた際に、理由は分からないが、1人の警官ともみ合いとなり、その後すぐに警官が拳銃を取り出して息子を撃ったのだという。この事件については現在調査が行われている。

 上記の記事には射殺されて地上に仰向けに横たわる男性をその傍らで見つめる白髪の老婦人と3人の幼い子供たちの写真が掲載されていた。白髪の老婦人は男性の母親であろうし、まだあどけない3人の子供は男性の子供であろう。目の前で我が子を射殺され、その遺体を見つめる母親の悲しみはどれほどのものか、目の前で父親を射殺された幼子たちはその現実を理解しているのか。筆者はその写真にやり場のない憤りを感じると同時に、なぜ男性は警官に射殺されねばならなかったのか、その理由を知りたいと考えた。

 慶安駅には多数の監視カメラ(待合室には5台)が設置されていたので、事件の全貌は監視カメラによって録画されていた。その録画を基に中国メディアが報じた事件の全体像を取りまとめると以下の通り。

酒を飲み、駅の待合室を突如封鎖

【1】射殺された男性は慶安県の"豊収郷豊満村李公屯"の農民で、45歳の"徐純合"であった。5月2日9時51分、徐純合は母親の"権玉順"(81歳)および3人の子供(それぞれ6歳、5歳、4歳)を引き連れて慶安駅の駅前広場に姿を現した。徐純合を先頭に、3人の子供がふざけながらこれに続き、最後尾に手押し車を押す権玉順がいた。広場から駅舎に入った徐純合は切符売り場で行列に並び、慶安駅発16時14分発のK930列車の切符を遼寧省の"金州"駅まで2枚購入した。切符を買った徐純合は一家5人で待合室を出て、駅前の"金縁飯店"で食事をとった。

【2】1時間後の11時18分に徐純合一家は駅前広場に姿を現したが、すぐには待合室へ入らず、広場に留まっていた。食事の際に、"白酒(アルコール度の高い蒸留酒)"を1杯と瓶ビールを半分飲んだ徐純合の足取りはふらついていた<注1>。11時49分に家族を連れて待合室へ入った徐純合はしばらく椅子に腰かけていたが、56分に母親と一緒にトイレに立った。数分後に徐純合はトイレから出て来た。

<注1>黒龍江省"公安庁"の検死報告によれば、徐純合の血中アルコール量は128mg/100mlで、ほろ酔い基準である80mg/100mlを上回り、酩酊レベルであった。

【3】トイレから出た徐純合は母親の手押し車を安全検査所まで引っ張って行き、安全検査所の横にある鉄柵で囲われた通路を塞ぐと同時に、その横にある待合室へ入る扉を封鎖して、他の乗客が待合室へ入れなくした。安全検査員の"斉貴民"がこれを制止しようとしたが効果なく、斉貴民は速やかに"公安執勤室(公安当直室)"へ通報した。当日の当直であった警官の"李楽斌"は直ちに安全検査所へ急行した。

【4】李楽斌は鉄柵の外から徐純合に口頭で警告した上で入口の扉を開けようとしたが、扉を開けさせまいとする徐純合の抵抗にあった。李楽斌は鉄柵越しに徐純合の右手を制御し、扉の外にいた40人程の乗客が待合室の中へ入れるようにした。この時、徐純合は自由な左手で水の入ったペットボトルを李楽斌に投げつけたが、李楽斌はこれにひるむことなく、徐純合の左手も抑え、両手を制御することで全ての乗客を待合室へ入れることに成功した。

警官を棍棒で殴打、警告も効かず射殺

【5】乗客が全て待合室へ入ったことを確認した上で、李楽斌は徐純合の両手を解放し、徐純合に対して口頭で警告を続けた。この間に徐純合は腰から刃物を取り出そうとするかのしぐさをしたので、李楽斌は拳銃に手を掛けたが、何事も起こらなかったため、拳銃から手を放した。両手が自由になると、徐純合はますます激昂し、鉄柵を隔てて李楽斌に対してわめきたてた。危険を感じた李楽斌は警具を取ろうと公安当直室へ引き返した。徐純合は李楽斌を追って公安当直室まで来て、閉められていた扉を蹴飛ばした。

【6】この時、中にいた李楽斌は"防暴棍(暴動鎮圧用の棍棒)"(以下「棍棒」)を手にして公安当直室を出ると、徐純合を制圧しようとしたが、徐純合は棍棒を奪おうと抵抗する。そうこうするうちに、徐純合は2人の争いを止めようとして近づいた母親を李楽斌の方へ押し出した後、自分のすぐ後方にいた6歳の娘を両手で持ち上げると李楽斌をめがけて放り投げた。女の子は直接地面にたたきつけられ、数秒してから大声で泣き始めた。

【7】狂暴の度合いを深めた徐純合は李楽斌の持つ棍棒を奪おうと手を振り回し、その手が李楽斌の頭に当たり、李楽斌の警帽は地面に落ちた。李楽斌が一瞬ひるんだ隙に棍棒を奪い取った徐純合は、両手で棍棒を握ると李楽斌の頭部を強打した。頭部をしたたか打たれた李楽斌はもはやこれまでと考えたのか、拳銃を抜くと徐純合に照準を合わせた。この時、2人の距離は1メートル程だった。徐純合は李楽斌の拳銃を持つ手を棍棒で一撃したが、李楽斌はこれに動ぜず、拳銃を構えたまま、徐純合に「動くな」と何度も叫んだ。しかし、徐純合は聞く耳を持たず、さらに李楽斌を棍棒で叩こうとした。

【8】12時23分、口頭の警告が効かないことを確認した李楽斌は徐純合に向けて、至近距離から拳銃の引き金を引いた。心臓近くを撃たれた徐純合は傍らの椅子に座るように倒れたが、その直後に横に倒れ、うつ伏せの形で頭を椅子に載せたまま動かなくなった。すると、母親の権玉順が徐純合の手から棍棒を取り上げ、ぴくりとも動かない息子の生死を確かめるかのようにその身体を棍棒で2度叩いた。それから25分後に"120(救急電話番号)"への通報を受けて駆け付けた救急隊員が現場へ到着し、徐純合の死亡を確認した。

 ここで問題となるのは、李楽斌の拳銃使用が合法だったかということである。"中国刑事警察学院"の専門家によれば、『人民警察の警具および武器使用条例』および2015年5月1日に施行された『公安機関・人民警察の銃器携帯使用規範』に基づき李楽斌の発砲は合法であり、その理由は以下の規定によるのだという。すなわち、前者の第9条には、「暴力の方法が反抗できない、あるいは人民警察の法に基づく職務履行を妨げる、あるいは人民警察を暴力で襲撃し、人民警察の生命の安全が脅かされる緊急事態が出現した際には、警告が効き目のないことを確認した上で武器を使用できる」とあり、後者の第2条には、「人民警察が警具を使用しても制止できない、あるいは武器を使用せずに制止すると、深刻な危害の結果をもたらす可能性がある場合は、本条例の規定に基づき武器を使用することができる」とある。

過剰防衛か? 正当な職務執行か?

 事件が報じられた後、世論は早期に現場の監視カメラの映像を公表するように要望したが、関係当局は映像の公表を渋るかのごとく、映像は一向に公表されなかった。これを受けて世論は李楽斌の過剰防衛による"故意殺人"ではないのかと疑問を提起したのだった。

 5月7日には、22人の弁護士が連名で"最高人民検察院"および中国政府"公安部"に対して李楽斌を故意殺人罪で告発した。こうした世論の圧力を受けて公安部および検察機関は同事件へ介入する旨を公表した。

 一方、事件発生後、ハルビン鉄道公安局は速やかに調査チームを組織して事件の全面的な調査を展開した。彼らは現場検証、検死、銃弾検査を行うと同時に、現場の監視カメラの映像を確認した。さらに彼らは"済南(山東省)"、"大連(遼寧省)"、"伊春(黒龍江省)"、チチハル(黒龍江省)など十数か所の都市へ人を派遣し、60人以上の現場の目撃者を探し出して聞き取り調査を行って、基本的な調査を終えた。この調査結果を踏まえて、5月14日、公安部は最終結論として、李楽斌の発砲は上述した条例および規範に合致する正当な職務執行行為であったと結論付けたのだった。

 その後の調査によれば、射殺された徐純合は先天性の心臓疾患、腎臓炎、肺炎などを患い、早くから労働能力を喪失していた。また、その妻も重い精神病を患っており、夫婦ともに子供の面倒を見ることも、自分の身の回りのことを処理することもできなかった。このため、徐純合はしばしば母親と3人の子供を引き連れて、遠く遼寧省の大連市などまで出張って物乞いを行っていたという。また、徐純合はこうした困難な状況を上部機関へ陳情する"上訪人(陳情者)"としても知られていたようだ。

副県長が"厄介者の射殺を歓迎"

 徐純合の住む慶安県豊収郷豊満村では、困窮する徐純合一家に対して生活保護を与えるだけでなく、電気代も支給していた。それのみならず、徐純合一家は土地を他の農民に貸し出すことで年間6000元(約12万円)の収入があったという。しかしながら、徐純合は大酒飲みで、そのほとんどを酒代に費やしてしまい、家は常に困窮し、その穴埋めが物乞いによる収入であったようだ。慶安県政府にとって、外地へ出張って物乞いする徐純合一家は県の体面を傷付ける存在であり、また、徐純合のような陳情者はいてはならない目の上のたんこぶであった。

 事件発生前に徐純合がなにゆえ唐突に安全検査所で騒ぎを起こしたのか、その理由は死人に口なしで不明だが、どうやら慶安県のブラックリストに載っていた徐純合が列車に乗ろうとしていることを誰かが慶安県政府に連絡し、徐純合を乗車させないように慶安県政府から慶安駅に要請があった可能性があるのだ。それを知った徐純合が怒りを爆発させ、待合室へ入ろうとする他の乗客を閉めだそうとしたことが事件の発端となったように思えるのである。

 その証拠に、事件発生翌日の5月3日、慶安県共産党委員会常務委員で、慶安県副県長である"董国生"は県政府を代表して事件の最中に負傷した李楽斌を慰問したのだった。しかも彼は、「警官が人民大衆の生命、財産を保護するために、負傷した状況下で"歹徒(暴徒)"との格闘し続けた行動はたたえられるべきである」と述べたという。事件の真相が未だ判明していない段階で、射殺された徐純合を「暴徒」と断定して、加害者である李楽斌を慰問するとはどういうことなのか。しかも董国生はいやしくも徐純合が居住する慶安県の副県長なのである。これはどう考えても軽率な行動であり、副県長として無責任も甚だしいと言わざるを得ない。要するに、慶安県は厄介者の徐純合が射殺されたことを歓迎し、その犯人たる警官に感謝したことに他ならない。

 このニュースが報じられると、董国生に対する非難が全国から殺到した。腹の虫が収まらないネットユーザーは、ネット上で董国生に対する"人肉検索(特定の個人のプライバシーを侵害して、隠された事実をあぶり出すこと)"を呼び掛けた。その結果、董国生に関する種々の事柄がネットユーザーたちによって暴露されたのだった。この"人肉検索"の情報を基に、"綏化市紀律検査委員会"が調査を行ったところ、以下の事項について間違いのない事実であることが確認された。

真相不明ながら"人肉検索"で不正発覚

(1)年令詐称:実際の出生年月は1974年11月だが、身分証明書の出生年月は1975年11月であり、戸籍上の年令を詐称していた。

(2)学歴詐称:董国生が所持する卒業証書には「黒龍江省経済管理幹部学院経済管理専攻通信教育本科卒業」と書かれているが、その通し番号と所持者の氏名が合致せず、偽卒業証書であることが判明した。

(3)董国生の妻である"姜艶萍"は県の教育部門に採用されて慶安第一小学校の教務課に配属されたが、2011年8月から2015年5月まで病気による長期休暇を取り、1日も出勤することなく給与をもらう"吃白餉(給与不正受給)"を行っていたことが判明した。

 この結果、董国生は停職処分となった。また、董国生の人肉検索の余波は慶安県の他の役人たちにも波及し、検察官による規律違反の公用車使用および偽ナンバープレートの使用が確認されたし、300以上の教員の職位が売買されていたことなども判明したのだった。中国では悪いことをする役人は腐るほどいるので、一度問題が発生すると、それがどこに飛び火するか分からない。董国生も意気揚々と李楽斌を慰問して褒めたたえたことが、まさか火の粉となって自分自身に降りかかろうとは夢にも思わなかったに違いない。

 酒に酔っていたとはいえ、徐純合は騒ぎを起こしたことにより、母と子どもたちの目の前で警官に射殺されるとは思っていなかっただろう。徐純合が騒ぎを起こした真相は分からないまま事件は幕を閉じることになるが、彼が非業の死を遂げたことによって、彼が陳情をしてまで願っていたことは実現された。事件後、81歳の母は慶安県の"中医院(漢方医院)"に収容されて治療を受けており、今後は養老院に収容されることになるだろう。また、3人の子供たちは慶安県政府の協力の下で"福利院(福祉施設)"に収容された。

 棍棒で打ちかかる徐純合に危機を感じた李楽斌が身を守る手段は発砲以外になかったのか。心臓付近を撃たなくてもよかったのではないかとの声もある。しかし、それは当事者にしか分からないことであり、李楽斌にそれだけの余裕がなかったということだろう。とにかく、徐純合はその死によって後顧の憂いを解消したのだった。

このコラムについて
世界鑑測 北村豊の「中国・キタムラリポート」

日中両国が本当の意味で交流するには、両国民が相互理解を深めることが先決である。ところが、日本のメディアの中国に関する報道は、「陰陽」の「陽」ばかりが強調され、「陰」がほとんど報道されない。真の中国を理解するために、「褒めるべきは褒め、批判すべきは批判す」という視点に立って、中国国内の実態をリポートする。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20150520/281376  

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