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朝日新聞に食い込むチャイナマネー(心に青雲)
http://www.asyura2.com/15/cult14/msg/363.html
投稿者 会員番号4153番 日時 2015 年 3 月 21 日 12:15:11: 8rnauVNerwl2s
 

「心に青雲」から
http://kokoroniseiun.seesaa.net/article/405704608.html


朝日新聞に食い込むチャイナマネー


 「朝日新聞GLOBE」は、朝日新聞朝刊に日曜版として発行されている。2008年10月より月2回挿入されるようになり、2011年4月以降に特別紙面日曜版になった。

 私は朝日新聞を購読していないから知らなかったけれど、これは興味深い事に、紙面は横組み(横書き)である。横組みだから普通の新聞が右開きなのに、逆の左開きだ。
 これを関西テレビのニュース番組アンカーで、青山繁晴が取り上げていた。

 遠くから見ると、支那の新聞のように見えたが、れっきとした「人民日報築地支局」と揶揄される会社のもの。
 もう忘れてしまったが、日曜日版が各紙に登場したのは、たしか月に1回の休刊日を設けたいので、その代わりに日曜版を入れます、とのことだった。
 似たものどうしの新聞「あかはた」や聖教新聞は、この日曜版を宣伝用に各戸に配布しているようだが。

 評論家・青山繁晴は、このところの朝日新聞の騒動で、世間から集中砲火を浴びている朝日は今後どうなるかの予想として、保守派は廃刊へと期待を込めて言われるようだがそうは絶対にならない、それよりチャイナマネーが入るだろうと述べていた。
 青山はこれからそうなる、そういう準備がこの日曜版「GLOBE」だ。だから横組みで実験していると。
http://ameblo.jp/blogdetox/
 (アンカーの動画サイト。9月17日の分の4つ目)

 それはわかるが、これまでも支那や韓国から、朝日その他の新聞にはチャイナマネーが入っているに決まっている。
 アメリカではとっくに「ニューヨーク・タイムズ」などはチャイナマネーで“飼育”されている。だから、奴らはせっせと反日記事を書く。
 そうした流れのなかで、新聞やテレビだけが支那や韓国のターゲットになっているはずがなく、☓☓☓☓はカネに釣られて支那の走狗になったのだと思う。

 何度も書いてきたが、☓☓は支那が全部正しい、韓国も正しい、世界基準に従え、安倍は極右だ、靖国に参拝する奴はカルトだと喚く際に、決して根拠を示せないで、無駄吠えする。
 支那・韓国の言いなりに書いているから、その根拠を示せと言っても☓☓は黙るしかない。

 ☓☓が、われらの先祖を貶めて「カルト・オブ・ヤスクニ」と嘲るが、その根拠は「世界基準」が靖国に反対しているから、欧米人が言っているのだから…、それだけを根拠にしている。

 もう一つの根拠は、ただ「アジア人同士戦うな」だけ。だから支那・韓国のやりたい放題の反日は全部OKにするのが副島である。
 新聞を横組みにするのは、新しいようで、日本文化の破壊である。
 パソコンやスマホも基本は横組みなので、いつまでたってもなじめない。

 顕著な例としては、俳句や短歌を横組みにすると、情緒も思想性もなくなってしまう。
 だからチャイナマネーで朝日新聞が横書き新聞になれば、日本文化破壊の急先鋒になってゆくのだ・・・


<参考リンク>

■ノリミツ・オオニシこと、大西哲光の基礎知識
http://norimitsu-onishi-nyt.blogspot.jp/


■朝日新聞の慰安婦誤報騒動はゾルゲ事件に似ている-北朝鮮の影
http://agora-web.jp/archives/1625795.html


■ゾルゲ諜報団 尾崎秀実の活躍
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BE%E3%83%AB%E3%82%B2%E8%AB%9C%E5%A0%B1%E5%9B%A3#.E5.B0.BE.E5.B4.8E.E7.A7.80.E5.AE.9F.E3.81.AE.E6.B4.BB.E8.BA.8D

1934年9月、尾崎が朝日新聞東京本社に移るよう招請され、東亜問題調査会に携わることになる。彼は既に中国専門家として嘱望されつつあり、アグネス・スメドレーの『女一人大地を行く』の翻訳を出版したのもこのときであった。東京に移ってからの尾崎は彼の人的ネットワークを大幅に拡大する。

尾崎は東京に落ち着くと、毎月、定期的にゾルゲと接触しはじめた。2人はレストランや、待合などで会うようになる。後に尾崎は調査官にその名前を教えており、例えば雅叙園、ローマイヤー、上野の明月荘、築地の花月、赤坂の君永楽、虎ノ門の満鉄ビル(2015年時点で商船三井本社ビル)6階のレストラン「亜細亜」、銀座のバー「ラインゴールド」[2]などがあった。尾崎はこれらの会合の際、最初は「尾竹」の偽名を用いたが、逆に嫌疑を招くことになると感じ、すぐに本名で通した。

1934年から1935年の冬にかけての2人の主要な話題は国家主義の急成長に関してであった。すでに東京移転前の1934年7月の会合で、尾崎はゾルゲに五・一五事件の報告を行っていた。また尾崎は、国家主義運動の情報を得るため川合貞吉を利用しようと考える。

川合貞吉は尾崎の上海時代の友人で、いわゆる大陸浪人として活動しており、尾崎のことを心から尊敬していた。1932年5月、川合は上海の日本警察に捕らえられ、3週間を獄中で過した。7月に日本に帰ると、すぐに尾崎と接触し、しばらくは静かに潜むよう勧められるが、その年の末には、中国北部に帰って、中国共産党のために活動するよう言われる。

尾崎自身も2、3日の間、川合とともに北京へ行き、アグネス・スメドレーと接触する。川合は中国人連絡員から与えられた資金で、天津に本屋を開く。この本屋の道を隔てた向かい側には特務機関の事務所があり、川合はかつての右翼活動家、大陸浪人としての評判と人脈により、ここから中国共産党への価値ある情報を集めていたが、次第に中国人連絡員との関係が薄くなり、ついには途切れてしまう。

そこで、彼は1934年2月に再び日本に帰り、尾崎と接触した。上記の理由から、尾崎は東京で活動するよう勧め、川合は東京の郊外に住んでいた藤田勇の家に転がり込む。藤田勇は天津特務機関の関係者で、中国北部で川合と交際していた。川合はゾルゲと直接に接触することはなく、彼の得た情報は尾崎を介してゾルゲに報告されていた。一方で、1935年5月に尾崎の紹介で宮城とは上野の料亭で会っており、そこで2人はたちまち意気投合することになる。同年6月、2人は日本陸軍内部で対立している派閥の関係を示す図表を作成し、宮城からゾルゲに手渡される。

この図表を受け取ったゾルゲは、彼の使命とその見通しについて赤軍第4部に報告するため、モスクワに行くことになる。ゾルゲは協議とベルンハルトよりも優秀な無線技師を得るために召還するようモスクワに要求しており、それが1935年5月に認められたのである。  

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