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天孫族 その正体と歴史
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投稿者 れめく 日時 2015 年 4 月 21 日 09:48:53: 2a13jxQagsSNg
 

BC701年前後にアッシリア人がイスラエル方面に侵攻した際、ダン族などの神官氏族がフェニキア人の大航海時代に参加して各地に亡命した。その詳しい面々は、フェニキア人(テュロス人)を筆頭に、マゴ家、カルタゴ人、ポエニ人、シュメール人、ビュブロス人、シドン人、アッカド人、エフライム族、アシェル族、ガド族、イッサカル族、レビ族、ルーベン族、ナフタリ族、マナセ族、ペリシテ人、フォキス人に及んだ。シメオン族(司馬氏)だけはシルクロードを介して中国に移住している。
今回は東方ルートのみ言及するが、東方ルート組はそれぞれアラビア半島、イラン、インダス流域、ガンジス流域、ジャワ島、メコン流域、マカオ、九州、黄河流域に移住している。この旅からは、マゴス、エフタル、ガンダーラ人、チェーラ人、アングル人、シャム族、タイ族、ペー族、スンダ族、ブギス人、倭人、韓氏、劉氏、波多氏、熊襲、天孫族、多氏、大伴氏、久米氏が誕生している。

BC6世紀頃にカルタゴに君臨するマゴ家はイランでは「マゴス」になり、日本ではマゴに「孫」を当て字して「天孫族」を称した。当初、マゴ家はマカオに残留し、マカオの現地人にフェニキア文字のひとつ「オメガ」を与え、「多氏」と呼んだ。「オメガ」の読みは「オー」であり、意味は「大、多、太」である。マカオももともとはオメガが由来であり、初期には「アマカオ」と呼ばれていた。
多氏は天孫族に先駆けて日本・北九州に移住し、そこから出雲国に侵攻して大国主命を祀った。ちなみに「出雲」の由来は「エドム」である。江角マキコはエドム人の神官の直系の可能性がある。

ここで、天孫族よりも以前に日本に来た神官氏族を紹介する。「長脛彦」はナーガ族(エノク族)とシャン族(カナン族)の連合で、中曽根氏が直系の子孫である。物部氏、隼人はアルメニア人(エラム人、アミ族、サバエ人の連合)である。アルメニア人の自称「ハヤ(サバエ)」が「隼人」の由来だ。猿田彦はアルメニア人と一緒に日本に来たシェルデン人だ。
安倍彦はナイジェリアから来た「イボ人」である。イボ人の先祖は「エベル」であり、イベリア人、ヘブライ人と同族である。また、イボ人の神官は現地で「オニ」と呼ばれていたが、日本の「鬼」の由来はこのイボ人の神官「オニ」である。そして、賀茂氏はゴメル族(クマルビ、ゴモラ)、加賀氏はマゴグ族、因幡氏はナホル族の子孫である。

天孫族は多氏のあとにフェニキア人と共に日本・北九州に移住した。フェニキア人は北九州の現地人にフェニキア文字の一つ「シグマ」を与えた。北九州は顔が濃い人が多いが、フェニキア人の子孫だろう。後に、このシグマが分離して知訶島(五島列島)、久米氏が誕生した。フェニキア人は「フェニ」に「判」を当て字して多氏(大)と連合した。ここに「大伴氏」が誕生した。大伴氏、久米氏は天孫族を先導して北九州から日向国に移住する(日本書紀)。

フェニキア人、マゴ家、カルタゴ人は地中海時代には「太陽神アメン」を祀っていた。フェニキア人は国家を持たなかったが、彼らの勢力圏は「アメンの領域=アマゾーン」と呼ばれた。天照大神も実際にはアメンのことだが、古事記の時代に大太麻呂が「アメン」に日本語「照らす」を加えて、始めて「天照大神」と呼ばれた。ちなみに鳥居の由来はカルタゴの「ダリの神殿」である。ダリ=鳥居というわけ。ダリの神殿は石造りで入り口が鳥居の形をしていた。日本は地震国なので彼らは石造りの神殿部分は割愛し、入り口の部分だけを残して「鳥居」としたのだ。

だが、実は天孫族は日本にいつかずに、神武天皇東征の際にそのまま満州に移住している。彼らはマカオのときと同様に満州の現地人にフェニキア文字のひとつ「オメガ」を与え、「現地読みイェマック/日本読みワイヒャク」と呼んだ。つまり、天皇家は代々満州の王族だった。そこにマヤから親戚筋といえるマゴス(聖地タラ、タラスカ、タラシ彦)がやってきて混合したこともあったが、概ねマゴ家の血筋だった。

しかしAD1世紀頃、そこにパルティアからポントス人がやってきた。ここで地味な民族ポントス人の歴史をかいつまんでみたい。

BC4世紀にマケドニアがエウボイア島に侵攻した際、イオニア人、コルキス人、イベリア人、エウロペ人がコーカサスに移住した。イオニア人はポントス王国を、コルキス人はグルジア王国を、イベリア人はイベリア王国を、エウロペ人はアルバニア王国を建てた。

だが、BC62年にローマ軍がコーカサスに侵攻すると、ポントス人、コルキス人、イベリア人、エウロペ人は隣のパルティア王国に逃げ込んだ。
さらにサーサーン王朝がたつと、ポントス人、コルキス人、イベリア人、エウロペ人はパルティア人、パルニ人を連れて日本に移住した。
イベリア人は「忌部氏」、エウロペ人は「卜部氏」、パルニ人は「春名氏」、コルキス人は「黒木氏・春木氏」となった。一方、ポントス人、パルティア人は日本移住はパスして満州に移住。空位だったイエマックの天皇家を乗っ取る。
七十年近い空位は、マゴスの血を引く仲哀天皇が一族を率いてマヤ、アイルランドに帰還したことにある。
この時、ポントス人は「誉田別尊」を輩出、宇文部を結成して鮮卑を統一、モンゴル高原の覇者となった。誉田別尊は応神天皇である。宇文部(ユーウェン)の名の由来は「イオニア」である。
正統な鮮卑(シェンヴェイ)の血統はヨーロッパに落ち延び、「スエビ人」となった。彼らが北欧に神話をもたらした。オーディンとは応神天皇のことであり、バルハラとはカラコル、つまりヒマラヤ山脈のことである(ハザール=カザール、ホラサン=コラサンのようにユーラシアにはカ行がハ行を兼ねる法則がある)。応神天皇は、オーディーンとして語り継がれるほどの豪傑だったのだ。
宇文部が引き継いだ天皇家からはパルティア人の血統を継ぐ仁徳天皇、武烈天皇などが輩出された。だが、鮮卑が消滅した時、ポントス人、パルティア人は日本に移住した。ポントス人は「本多氏」になり、パルティア人は「鈴木氏」になった。ちなみに、ポントス人はヨーロッパに移住して「デュポン/DU PONT」を名乗る。

ポントス人に天皇家を奪われたイエマックの王族(首長モグル)はラーオ族と李氏の連合、ローランや建州女直ジェチェンと組んで「柔然」を組む。柔然(ゼンゼン)のなの由来はジェチェンである。その後、イエマックとローランはジェチェンを追放するが、イェマックはローランの勢いに負けて配下になった。
ところが、柔然が消滅してローランがヨーロッパに移住してアヴァール人と連合すると、イエマックの王族は天皇家を取り戻した。それが継体天皇の時である。
継体天皇の子息には、安閑天皇、欽明天皇、宣化天皇がいた。欽明天皇、宣化天皇は日本に帰還し、はじめて日本の天皇家が始まる。しかし、安閑天皇だけはモンゴルに残留して、「マジャール人」となった。
マジャールの名の由来は安閑天皇の御名「マガリ(マゴ由来)」である。マジャール人は丁零(ディングリング)、ハルハ部、赤狄(ベイディ)を率いて遠くヌビアに移住した。マジャールは「マクリア王国」、ハルハ部は「アルワ王国」、赤狄は「ノバティア王国」を建てた。丁零はマクリアの首都「ドンゴラ」に名を残した。

イスラム帝国がヌビアに侵攻すると、マクリアは「クマン人(熊野由来)」、アルワは「アールパード家」、ノバティアは「ペチェネグ族」、ドンゴラは「ジュンガル部」となった。
更にその後をかいつまむと、クマン人は「ヒメノ家(スペイン王家)」「コムネーノス家(ビザンツ王家)」となり、マジャール人は「ムガール帝国」を築き、アールパード家は「ハンガリー王国」を建てた。

マジャール人からはビリー・ジョエル、ラス・メイヤー、ぺチェネグからはジミー・ペイジ、アラン・ベイツ、ジュンガルからはルドルフ・シェンカー、マイケル・シェンカーなどの芸術家が輩出された。
ちなみに、春名氏は「大和人の大航海時代」に参加してブリテン島に移住。その後、単独でアイルランド島コナートに移住してレノン姓、レーニン姓を輩出している。レノン、レーニンはパルニが由来である。
ジョン・レノンがインドや日本に興味を持った理由。それは遺伝子に刻まれた先祖(パルニ人、春名氏)の記憶だ。

「大和人の大航海時代」には多氏も参加していたが、マヤを経由してイギリスに移住した際には「デヴォン(大和の音読み由来)」を拠点にした。この旅からも、有力な氏族が多く誕生した。天孫族からはモーガン家(マゴ由来)が誕生し、倭人からはキング姓(王氏由来)、ゴールドマン姓(金氏由来)が誕生した。スミス姓はシャム族の「太陽神シャマシュ」由来だ(スミスはその後、九州に帰還して島津氏となる。ばってんはBUT由来)。

アングロサクソン侵攻前夜、日本語を解する人々はみなイギリス風のファーストネームをつけて「さん付け」で呼び合った。それがジョンソン、リチャードソン、スティーブンソンなどの由来である。「ジョンさん」が「ジョンソン」になったのだ。それが更に短縮されて、例えばリチャードソンはリチャーズ、スティーブンソンはスティーブンスになった。つまり、エジソン(エディーさん)、ジョージ・ハリソン(ハリスさん)、キース・リチャーズ(リチャードさん)などSONが付く有名人は多いが、彼らはみな日本人の子孫なのだ。

日本の天皇家はと言えば、文徳天皇のときから藤原氏の支配化になった。時にはプシェミスル家が入り込んで「伏見天皇」や中臣氏の系統から天皇が出たが、天孫族の末裔、中山家が明治天皇を生み、天孫族の手に天皇家が戻り、現在に至っている。


 

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