★阿修羅♪ > カルト15 > 244.html
 ★阿修羅♪  
▲コメTop ▼コメBtm 次へ 前へ
「いいじゃん、戦争になれば」モーリー・ロバートソン
http://www.asyura2.com/15/cult15/msg/244.html
投稿者 チベットよわー 日時 2015 年 10 月 03 日 20:53:38: Xy93FIMaJupUQ
 


いいじゃん、戦争になれば。何がだめなのか、全然わからん…(自身のツイッタ―にてツイート)


プチブレイク中のインテリ風サブカル言論人モーリー・ロバートソンの中二病に基づく放言が愉快だ。

戦争というと前回(え〜もう70年もやってないんだって〜人畜無害すぎ〜だっせ〜もしかしてデキナイの〜ぷぷぷっ)の大東亜自虐戦争のインパクトがあまりに強かったものだから、総力で精根尽きるところまでダラダラと無駄なこだわりに捕らわれ続けるような頭の悪い痴態しか思い浮かばないが、もっと効率よく国家意思を内外に表わし国民の理想を積み上げていくような政策の延長上にあるスマートな局地戦なら積極的に着手すべきだろう。

戦争なんてものは、そんなしかめっ面して是非を争うようなものではない。成り行きによって合理的な判断を下しながら同盟国と相談の上、ちょちょっと取り組んで、打ち上げパーティーで盛り上がればそれでよし。それが国家を運営する仕事の一環である。日本だと地政学的にも文化的にも中立でいつづけることは無理があるし、中立を目指すための、たとえばスイスやシンガポールにあるような異人種、異文化が構成した独特のバランス関係が築かれていない。

日本人はエライ人が号令かけてみんなで同じことやっているのが一番合うわけで、そうやって戦争をも含めた各種のお祭りで団結して国力を高めていくのが正解なのだ。

戦争をする上で気を付けなくてはいけないこととは何か?それをモーリー・ロバートソンは教えてくれないので、私が基本的見解を適当な言葉で言います。

戦争慢性状態になると現場至上主義が横行して文官が士官に排除される、もしくは抑圧をうける段階が訪れます。これがいけないので、メリハリをつけた計画的な戦争案に追従できるように、しっかり戦争の持つテーマを消化していく方向に文官が管理統制をはかる。

日本の10世紀台の大部分は、武家国家でしたが、これは警備員が会社の実権をのっとったありえないクーデター時代だった。

日本の柔道はどうだろう。自由競技化がもたらされ慢性戦争状態になるがいなや、頭の悪い体力だけが優れた豚みたいなのがふんぞりかえって業界を牛耳るようになった。

インテリと運動君が入れかわってしまい、ヒエラルキーのケアスが起こるのが戦争だということだ。それを防止するためには、政府を動かすべき文官のほうに戦争行事を超えるだけの強い人生観、世界観、宇宙理解が求められるということである。

なお、元警備員であるインテリ、桜井誠は朝鮮・シナとの国交断絶を主張しているが、それも一つの手であろう。  

  拍手はせず、拍手一覧を見る

コメント
 
1. 2015年10月03日 21:03:18 : Ox4Chl0nSM
モーリー・ロバートソン
この記事には複数の問題があります。改善やノートページでの議論にご協力ください。
出典が求められています。存命人物の記事は特に、検証可能性を満たしている必要があります。(2015年3月)
宣伝広告的であり、中立的な観点で書き直す必要があります。(2015年3月)
モーリー・ロバートソン
出生名 Morley Robertson
出生 1963年1月12日(52歳)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ニューヨーク州ニューヨーク
学歴 東京大学(中退)
ハーバード大学
ジャンル ダブステップ
ドラムンベース
電子音楽
パンク・ロック
職業 DJ、ミュージシャン、ラジオパーソナリティー、ジャーナリスト、作家、通訳者
活動期間 1981年 -
公式サイト Office Morley
著名使用楽器
Serge synthesizer
モーリー・ロバートソン(Morley Robertson、1963年1月12日 - )は、日本を中心に活動している米国籍のDJ、ラジオパーソナリティー、ミュージシャン、ジャーナリスト。妻は女優の池田有希子。
目次 [非表示]
1 生い立ち
2 活動
2.1 ラジオ番組
2.1.1 Across The View
2.1.2 NOMAD CITY
2.1.3 Jam the WORLD
2.1.4 Elan Vital
2.1.5 Early Morley Bird
2.2 ネット配信
2.2.1 i-morley
2.2.2 tibetronica(チベトロニカ)
2.2.3 PWR LIVE! with Molitter
2.2.4 SYNCING
2.2.5 Morley Robertson Show
2.2.6 モーリー・ロバートソン チャンネル
2.3 テレビ出演
2.3.1 現在
2.3.2 過去
2.4 連載
2.5 その他の活動
3 エピソード
4 著書
4.1 「知的サバイバル」シリーズ
5 ディスコグラフィー
5.1 Dubstep DJ Mix
6 脚注
7 外部リンク
生い立ち[編集]
アメリカ合衆国ニューヨークで[1][2]、スコットランド系アメリカ人の父親と、毎日新聞社記者である日本人の母親のロバートソン黎子の間で出生。生後2か月から、幼稚園に通う頃まではサンフランシスコに在住していたが、1968年に、父の仕事の転勤で広島県広島市の比治山近くに移住[2][3]。父は比治山上の原爆傷害調査委員会、通称:ABCC(現・放射線影響研究所)に勤務し原爆患者の研究にあたった医師[2][4][5]。広島市の幼稚園を経て、小学校5年生まで広島市のインターナショナルスクールで過ごす[6]。1973年、小5の2学期から五日市町の公立小学校に転校。1975年、広島学院中学校の入試に失敗して修道中学校に入学するも、父の転勤で2年1学期末に同校を中退し、米国ノースカロライナ州チャペルヒルに転居[2][7]。同年9月、チャペルヒルの公立校に入学したが同校の教育に不信感を持ち、1ヶ月足らずでデューラム市の私立校に転校。ここで1年飛び級したが1977年夏、父の転勤でサンフランシスコへ転居。同年9月、現地の公立高校に入学。のち留学生として高校から修道に戻るも、友人の自転車に対する器物損壊事件を起こして[8]同校から自主退学を勧告された。
修道高等学校を自主退学した後、カリフォルニア州の予算削減をめぐるストライキで学校が一時閉鎖状態に陥っていたため復学が困難になった上、折あしく両親が別居生活に入ったため1977年、母の実家がある富山県高岡市に母や弟と移住[2][9]。当初、高岡高校は転入に難色を示し、聴講生の扱いでしばらく通学。その後に編入を認められた。
1981年3月、富山県立高岡高等学校卒業。同年4月、東京大学理科一類に入学、日本語で受験した初のアメリカ人東大生となる[5]。同時にハーバード、マサチューセッツ工科、スタンフォード、イェール、バークレー、プリンストンの各大学にも合格[5]。しかし、東京大学は同年7月に中退する。
CBSソニー(現:ソニー・ミュージックレコーズ)から酒井政利のプロデュースで自作自演のパンクロックのアルバムを発表[5]。前後して週刊誌に取り上げられたりテレビ番組にも出演。落ちこぼれなのに東大に入学、という意味が当時の大人には理解されづらく、出演した『ルックルックこんにちは』ではバンド、ストイックスと生演奏を繰り広げ、スタジオで暴れながら歌い、沢田亜矢子、竹村健一ら出演者たちの失笑を買っていた。上京していきなり夢が叶えられる一方で、芸能界の現実をも目のあたりにする。子供の頃からテレビで見聞きしていた芸能人がプロダクション経営者になっていて、裏社会につながったような発言を連発する光景に遭遇し、ショックを受ける。ソニー社内でも売り上げ一辺倒の会議にもまれ、消耗品のような立場に置かれていることに不純さを感じる。その後、当初は憧れていた日本の音楽業界に嫌気がさしたために、渡米(つまり、もう一度アメリカへ戻ること)を決意し、1981年9月にハーバード大学へ入学する。入学当初は電子工学を専攻する予定だったが、1982年から電子音楽を研究した。イワン・チェレプニン教授に師事し、特殊なアナログシンセサイザーであるSerge Modular Music Systemを修得した。1983年秋から大学を休学し、1986年に復学。視覚環境学を専攻し、電子音楽とビジュアルを組み合わせたアニメーション制作によって、1988年、美術学部を卒業する。
大学卒業後は、自称ミュージシャンのニートであったと本人が語っている[要出典]。
活動[編集]
ラジオ番組[編集]
特に但し書きの無いラジオ番組については、基本的にJ-WAVEの番組を表す。
Across The View[編集]
1991年より、FMラジオ・J-WAVEの深夜番組『Across The View』のナビゲーターを6年半にわたって務める(新日鉄のスポンサー降板にあわせて降板した)。番組では、バンドザ・スターリンの遠藤ミチロウと渡米、サンフランシスコでギグを行い、さらにアリゾナ州にあるネイティブ・アメリカン(インディアン)のホピ族を共に訪ねる。バンド突然段ボールとコラボレーションを種々雑多に行い、一年間バンドメンバーとして参加。アルバム『スーパー』を共に発表、クアトロでもライブを行った。また、リスナーを巻き込んだアート式のプロジェクトも目まぐるしく発案。「シンセで勝負」というアマチュア演奏者同士の即興バトルや、リスナーが即興で書いた詩や散文をファックスで募集するという「クリエイター」寄りのものもあれば、大勢のリスナーを動員してのクラブイベント「Love Camp」も主催した。また、ラジオ業界では初めてニフティサーブ(当時)の文字チャットをスタジオ内で立ち上げ、生放送にフィードバックできる方式を作った。
1996年には自主制作のアルバム『空からモーリーが降ってくる』を徳間ジャパンから発表。フジテレビのインターネット紹介の深夜番組『Revolution No.8』の司会や、プラズマ・レーベルと契約し松武秀樹のユニット「Tansu Matrix」にゲスト出演。松武のプロデュースによるミニマル・ミュージックのアルバム『ビーナス』を、オンライン配給形式で発表(Liquid Audio)。その後『ビーナス』は発売元の音楽配信サイトの業務譲渡にともない、市場から消える。
NOMAD CITY[編集]
2001年から2003年まで、『NOMAD CITY 〜THE モーリー・ロバートソン計画〜』のナビゲーターを務める。当初は、J-WAVEのLIVING IN TOKIOキャンペーンの間の期間限定番組であったが、好評のため、その後毎週日曜夜8時より放送された。2002年4月から番組終了までは日曜深夜2時に移った。
番組では、インターネットなど新しいメディアの台頭を独自の視点で解説した。自主制作による表現を後押しするために、自らNOMAD TOOLというMac向け音楽制作ソフトを開発したり、視聴者からの素材をベースに作ったNOMAD SONGも誕生した。
2002年、2ちゃんねるでムネオハウスムーブメントが起こると、自身もDJとしてイベントに参加しようとしたものの、2ちゃんねる住民との意見の不一致により断念する。
Jam the WORLD[編集]
2001年10月より、『Jam the WORLD』の木曜日と金曜日ナビゲーターを担当するも、穀田恵二へのモーリー流の挑発的なインタビュー後、突如降板。弁護士を雇い、J-WAVEと交渉した結果、新番組を担当することになった。
Elan Vital[編集]
2006年4月から福岡県のLove FMにおいて『Elan Vital』月曜日と火曜日のエア・ジョッキー(パーソナリティ)を担当した。ちなみに同番組の水曜日 - 金曜日の担当は、親友でもあるJ-WAVEナビゲーターのロバート・ハリスで、東京の六本木にあるスタジオから生放送された。
しかし、2007年初頭より「チベトロニカ」プロジェクトの始動が決まったことなどにより、同年12月26日の放送をもって降板した。担当最終日は、ロバート・ハリスとのダブルキャストで放送された。降板後も数回、ロバート・ハリス担当時にゲストとして出演した。
Early Morley Bird[編集]
2004年から、J-WAVEより時事解説・放談番組『EARLY MORLEY BIRD』を日曜朝5時より放送していた。扱うテーマは国際情勢から国際的な格差問題、文化、旅行、新しいメディア、インターネット等、様々で「世界の小難しい話を分かり易く解説する」と公式ページにはあった。
2007年8月19日の番組ではウィキペディアをテーマとして取り上げた。「モーリー・ロバートソン」の項目、つまりこのページについても言及している。
2009年12月27日の放送をもって番組終了。
ネット配信[編集]
i-morley[編集]
2005年8月より不定期に配信されているポッドキャスト番組。女優の池田有希子(当初は河野麻子)との対談形式で収録されている。
採上げられる主なトピックは、人権問題、JASRAC及び著作権問題、国際情勢、格差問題、文化、音楽、ヨガ、メディア、インターネット、大麻、環境問題、移民、THE BIG ISSUE、インタビュー等がある。
2009年3月7日の番組では、リスナーにウィキペディアの「モーリー・ロバートソン」のエントリーを日本で一番長くするようにと指令通達がなされた。
tibetronica(チベトロニカ)[編集]
2007年2月6日から3月22日まで、日本ポラロイドが協賛するアート・プロジェクト「tibetronica(チベトロニカ)」で総指揮を務め[10]、チベット自治区、新疆ウイグル自治区などへ渡航し現地取材した。この取材旅行には写真家の相田年一や前述の池田有希子も同行していた。現地から送られた映像や音声は、ビデオポッドキャストあるいはポッドキャストとして配信されたほか、公式ウェブサイトでも直接視聴ができた(ビデオポッドキャストで配信された映像は、YouTubeにも掲載され、それを公式ウェブサイトでシェアする形式をとった)。また、ライブドアが提供するねとらじを利用して、現地からインターネットラジオの生放送も行い、その一部も編集されポッドキャストとして配信された。
ロバート・ハリスもゲスト出演したこの生放送では、2ちゃんねるのスレッドを読みながら放送したり、生放送を聴いているリスナーをSkypeを通じて出演させたりして、3月末までほぼ連日放送し続け、時には放送時間が5時間にも及んだ。アメリカ在住の弟が「はにゃばり」という名前で出演し、差別発言を繰り返していた(2chにも書き込みをしていた)。
同年6月15日にその活動報告会が催された[11]後、公式ウェブサイトではクリエイティブ・コモンズ・ライセンスの下、取材時に撮影された映像や写真、録音された音声などが公開された。その後、とある上映会にトークゲストとして出演した際に、モーリーが映画化をほのめかすような発言をしたが、出資元のポラロイドの破産などが重なり、立ち消えになっている。
PWR LIVE! with Molitter[編集]
2009年8月30日から10月31日にかけて行われた旅プロジェクト[12][13]。エヌ・ティ・ティ・ブロードバンドプラットフォームが開発した「Personal Wireless Router」を携えて、日本の各地からUstreamによる生の動画番組が配信された。
2009年8月31日、新潟県十日町市松代の旅館より最初の生放送を行う。この回では、生放送のことを「モーリーの車座通信」と呼んでいる。「画面に向かって話すことは大変なんです。僕をほめてください」と語っている。
2009年9月1日、新潟県十日町より生放送を行う。冒頭ではiPod touchの入力に苦戦している様子が伺える。マムシドリンクを飲んだのはこの回が最初で最後。この日の放送の終わりに「アンコールの大絶賛があれば、また放送を再開したい。だが保証はできない」と語っている。
2009年10月24日、講演のため鹿児島に滞在していたラビア・カーディルを取材し、そのインタビューの模様を生中継する。
SYNCING[編集]
2012年3月よりYoutubeに不定期公開されている映像番組。モーリーのプロジェクトに度々技術者として登場しているたらきゅうが司会という形式だが、実質上モーリーの番組。TVや書籍などのメディアに出演した際、言い足りなかったこと等を番組内で掘り下げている。特別編としてチュニジア革命の立役者スリム・アマモウとの対談を日英の字幕付きで発表した。
Morley Robertson Show[編集]
2012年4月よりm-floの☆Taku Takahashiが主催するインターネット放送局block.fmで生放送している番組。トークとDJが中心で、合間に最新のクラブミュージックも紹介している。次の放送まで一週間アーカイブとして公開している。現在は毎週木曜20:00-21:30に放送中。
モーリー・ロバートソン チャンネル[編集]
2014年5月よりニコニコ生放送で月2回配信開始。多彩なゲストとのトークを中心に、世界中の話題をリアルタイムで取り上げていく。
テレビ出演[編集]
現在[編集]
レギュラー
チャンネル生回転TV Newsザップ!(2014年10月6日 - BSスカパー)毎週月曜コメンテーター
(2015年3月27日までは月曜コメンテーターおよび金曜MC、2015年3月30日からは月曜コメンテーターを担当。)
所さん!大変ですよ(2015年4月2日-、NHK)コメンテーター
不定期出演
TOMORROW(2014年5月-、NHK BS1、NHK WORLD)毎週水曜14:00-14:28(BS1)
チャージ730!(2015年4月9日- テレビ東京)コメンテーター
過去[編集]
レボリューションNo.8(1994年10月-1995年3月、フジテレビ)メイン司会
情熱大陸(2001年3月18日放送、毎日放送)
日本の、これから「学力」(2008年3月22日放送、NHK)
あさイチ(2012年4月5日、19日放送、NHK)
情報LIVE ただイマ!(2012年4月-12月、NHK)海外情報通
ゴールデンアワー Golden Hour(2012年4月3日-9月、TOKYO MX)曜日MC
BAZOOKA!!!(2012年9月3日 、BSスカパー!)ゲスト
ニッポン・ダンディ(2012年10月-2014年3月、TOKYO MX)ダンディ(コメンテーター)[14]
有吉のバカだけどニュースはじめました(2013年4月2日放送、テレビ東京)国際ジャーナリスト
連載[編集]
水道橋博士が編集長を務めるメールマガジン「メルマ旬報」[15]に『Into The 異次元』を連載中。
週刊プレイボーイに『カオスを飲み干せ! モーリー・ロバートソンの挑発的ニッポン革命計画』を連載中。
その他の活動[編集]
2003年1月、いぬん堂よりアルバム「疾風怒濤る」をCD発売。ロック調の仕上がりにコミカルな調子のボーカルが絡む、ガレージサウンド。韓国に遠征ツアーも行ったが、バンドの寿命は短かった。
2006年8月23日、徳間ジャパン・コミュニケーションズより旧譜『空からモーリーが降って来る』がCDで再発売。新たにiTunes Store上でも発売を開始した。モーリー率いるアバンギャルド・バンドが実験的に演奏。電子音・ノイズ・フリー演奏・ロック・カントリー・メキシカンなどのスタイルがごっちゃにあつらえてあり、一言で言うなら本人の趣味をとことん追求した仕上がりになっている。再発盤には、新曲「君の歌」が追加され、この曲のベーストラック・シンセトラック・ボーカルトラックは、それぞれ著作フリーのサンプル音源として同梱されている。
2007年9月、いぬん堂のショップで、アルバム『TRANSHART』を販売。これは1996年頃に一部の店頭にて発売されたもので、ジャケット、レーベル面、曲名表などが全く無いCDである。発売当時は、縁日などで見られる金魚をいれるビニール袋に入れられて販売されていた。当時担当していた『Across The View』の中で放送した楽曲も収録されている。
2008年6月1日、エレクトロ&トランス・レーベルの「Big Crunch」からリリースされたコンピレーションアルバム『E.T.』に、"Analog"名義で「Analog」という楽曲を提供している。
2012年3月14日、m-floのオリジナルアルバムSQUARE ONEにサージシンセサイザーで参加。
音楽活動・ライブ活動の他にも、ヨガイベントや、食事会、ポッドキャスターを育成するためのワークショップ、「モーリー大学」と称されたセミナーなどの、各種イベントを開催することもある。
Dubstep DJとして日本で5本の指に入る腕前を持つ(DJ TOBY談)。MacBook AirとTraktor S4、Mixed In Keyを使ったハーモニックミキシング(Harmonic Mixing)[16]を経て、現在は更にアグレッシブなスタイルへと進化を続けている。
ダンスミュージックサイトBeatportのDJ Mixチャートで世界第二位を記録する。
エピソード[編集]
服はユニクロを愛用し、収入が多くても、変える予定はないと公言していた。しかし「チベトロニカ」で高地順応をしたことがきっかけでティンバーランドに路線変更。ナイキのスポーツウェアも着るようになった[要出典]。
矢沢永吉の大ファン[17]。
番組では度々、ウィキペディアのページをソースとして引用している。
ハーバード大学在学中、尊敬する作家ウィリアム・バロウズに手紙を送ったところ、タイプライターで打ち込まれた情熱的な返信をもらった事に感激し、バロウズのようなアウトローな人生を歩んでいく決意をする[要出典]。
著書[編集]
『よくひとりぼっちだった』 文藝春秋、1984年。ISBN 978-4163386706。
『ハーバードマン』(1991年、文藝春秋、ISBN 4163452303; ISBN 978-4163452302)
『魔術師の弟子』(1993年、自主出版)
「知的サバイバル」シリーズ[編集]
『自分を信じていい時代 水平化した世界で生まれる多様性』(2013年、カドカワ・ミニッツブック、電子書籍)
『モーリーの「知的サバイバル」セミナー 第1回 知識×直感=しなやかな強さ』(2013年、カドカワ・ミニッツブック、電子書籍)
『モーリーの「知的サバイバル」セミナー 第2回 煽動・プロパガンダ』(2014年、カドカワ・ミニッツブック、電子書籍)
『モーリーの「知的サバイバル」セミナー 第3回 洗脳・マインドコントロール』(2014年、カドカワ・ミニッツブック、電子書籍)
『モーリーの「知的サバイバル」セミナー 第4回 善意の力と現実』(2014年、カドカワ・ミニッツブック、電子書籍)
『モーリーの「知的サバイバル」セミナー 第5回 失敗した麻薬との戦争』(2014年、カドカワ・ミニッツブック、電子書籍)
『モーリーの「知的サバイバル」セミナー 第6回 ルールが変わった世界で自由に生きるために』(2014年、カドカワ・ミニッツブック、電子書籍)
『モーリーの「知的サバイバル」セミナー 番外編01 学生との対話「プランBを持って世界へ!」』(2013年、カドカワ・ミニッツブック、電子書籍)
ディスコグラフィー[編集]
空からモーリーが降って来る(徳間ジャパン、1996年・2006年)
疾風怒涛る(いぬん堂出版、2003年)
Be-nas (プラズマ・レーベル、1997年)
無題(自主出版、1996年)
ハイパー・ギター・デュオ(日本カセット・テープ・レコーヂング) 
「モーリー・ロバートソン+ツタキ・シュンジ」名義によるギター・ライブ盤。
スーパー「突然段ボール+チコ・ヒゲ+モーリー・ロバートソン」名義。(徳間ジャパン、1995年)
かみさまレボリューション(日本カセット・テープ・レコーヂング、1994年)
トラッシュアート(自主出版、1984年・1996年・2007年)
ストイック・哀愁ゼミナール(CBSソニー、1981年8月)
Dubstep DJ Mix[編集]
Morley's Beautiful Melody Mix(2013年、Beatport、Dubstep DJ Mix)
Dubstep with the Serge Analog(2013年、Beatport、Dubstep DJ Mix)
This Is Your Brain On Dubstep(2013年、Beatport、Dubstep DJ Mix)
脚注[編集]
[ヘルプ]
^ よくひとり、著書略歴
^ a b c d e モーリー・ロバートソン×平川克美「ラジオの街で逢いましょうプラス1」
^ よくひとり、pp.18-24
^ 世界の現実と日本の“反原発”の距離感 モーリー・ロバートソン「日本だけ脱原発……って、どうなんだろう?」
^ a b c d サンデー毎日、1981年8月23日号pp.11-13
^ よくひとり、pp.18-24
^ よくひとり、pp.42
^ よくひとり、pp.211-219
^ よくひとり、pp.228
^ ポラロイド社とモーリー・ロバートソンの共同ウェブ発信計画スタート 豪華製作メンバーが創る 〜真実・感動・楽しさ!〜(日本ポラロイド株式会社サイト内)
^ 日本ポラロイドが「チベトロニカ・プロジェクト」の活動報告会(六本木経済新聞)
^ PWR LIVE - PWR LIVE! 公式サイト
^ PWR LIVE! NOW - Google マップ - 有志によるPWR LIVE!プロジェクトの追跡地図
^ 2012年10月-2013年6月は金曜ダンディ、2013年7月-9月は水曜ダンディ、10月以降は不定期出演
^ 水道橋博士のメルマ旬報 - BOOKSTAND
^ モーリー・ロバートソンによるDJ講座 - MIXED IN KEYの使用法 - ニコニコ動画
^ よくひとり、pp.118-119、237-238
外部リンク[編集]
Office Morley - 公式サイト
モーリー・ロバートソン (gjmorley) - Twitter
Morley Robertson Show
i-morley
tibetronica(チベトロニカ)
PWR LIVE! with Molitter
モーリー・ロバートソン チャンネル

2. 2015年10月03日 21:52:18 : G9pRncd5P6
モーリー・ロバートソンなんて久しぶりで聞いたな。
たしか、お母さんが天才を育てたみたいに言われて本まで書いたんだよな。
20過ぎればただの人っていうけど。

3. 2015年10月04日 02:28:10 : EAkIk2fULU
自分の住んでいる場所が戦場になることをまったく想定しないでやっている
放言など、まったく意味がない。

自分のいる場所で戦争していい、と言っているなら認めてやる。狂人として。

自分自身が当事者でも当事者でなくても戦争していいという言葉は狂って
いるとしか思えん。これが、まさに平和ボケだ。実生活の中で戦って
いない人間ほど平和ボケする。


4. チベットよわー 2015年10月04日 04:09:35 : Xy93FIMaJupUQ : DQ8MFFQ7To

こないだモーリーに大学中退のことを言及すると
「学歴差別をするな」と言い返された。

まるで坂口憲二が「男の値打はルックスできまるのか!」
とからんでくるような違和感があるな。

早稲田中退者には大成する人物が男性には結構いるが、
東京大学は基本的にそれ自体がキャリアだから辞めるというのは
何らかの修正のきかない欠落があると見做されるだろう。

まあどうせ鬱なら何かやってから死になしゃい


5. チベットよわー 2015年10月04日 04:54:43 : Xy93FIMaJupUQ : DQ8MFFQ7To

平和への勇気を持つ安倍総理は、日中戦争など望んでいるはずがないし、その可能性はない。

世界大戦だとか現実離れした白昼夢に捕らわれてないで、日本は一体、誰と戦争をするかという明確なビジョンを持っていなくてはいけない。相手とは誰なのか?

勝つための戦争であることに違いはないが、あまりに弱い奴だとモラルの敗北を喫する。
そこそこ強い奴でないといけない。

そして単独戦争は結局孤立を招くので、チームとの友好を維持しないといけない。

そこでだ!私の想像する平成ジャパンの復帰戦とは、フィリピンとタッグを組んでボルネオ
の海上盗賊征伐の名分のもと、南シナ海に7万の兵力導入。そこからイスラムテロリスト
を現地のイスラム政府の要請で駆除するという10年計画に発展させ、マレーシアから
インドネシアの領域を特殊保護地区に制定、アメリカ・イギリス・イスラエルの支持を得ながら
仮統治へ。テロリストをでっちあげてはその征伐という名目でインドシナまで勢力を伸ばします。

同時にモンゴルでは年行事の武術祭典を開き、旧ソ連や内モンゴル、日本・韓国からの
選手を大量に集めプーチン大統領の号令により華々しい開会を宣言。選手村で中国人一団
が謎の死。ウイグルのテロをでっちあげロシア・日本の合同軍を中国に駐留させる。



6. 2015年10月04日 09:10:16 : bTISgfdlHA
だれも知らん、弱わっちーそうなアメリカ爺いの宣伝もういいよ・・・そんなことよりチビよわーさんがニッポンに怨念を抱くようになった経緯をききたいな♪ 恨六十年の個人史の方がだんぜん興味ぶかい。

7. チベットよわー 2015年10月05日 16:14:00 : Xy93FIMaJupUQ : DQ8MFFQ7To

確かに、この鬱オヤジはコロンバインと同じノリで行き詰った自分の人生の展望を短絡的に崩壊させる自虐を一つの賛美儀式になぞらえながら戦争カモーンといっているだけかもしれんな。

戦争がはじまって一番喜ぶのは、通常の競争社会でついた差を無化できることに望みを見出す負け犬だからな。

私が(正しい目的の)戦争をある程度肯定するのは、今のグローバリズムの結果できた非情に粗雑な後進国の発展の仕方に整頓を加えるための政策としてである。成長していく彼らを抑制することに正義はないが、成長に倫理的な指導を施すことは先進国の義務である。


8. チベットよわー 2015年10月05日 16:25:16 : Xy93FIMaJupUQ : DQ8MFFQ7To

民度の高い国、発展をとげて複雑化した社会が複雑な政治を実践させている国、などは
無論、戦争の対象外である。とくにアメリカ、イギリス、イスラエルとは一蓮托生で
リスペクトしあえる仲をキープすることは最前提である。

問題は、ろくな指導がなされていない生産奴隷の分際で、外資投資のおかげで産業やインフラ
が潤い間違った形での近代化を体現することで自国の地位を勘違いしたアジア人などに
代表される愚かな民族を徹底的にビシビシ厳しく鍛えてやるための愛の鞭が必要だということだ。

そのためにはふんぞりかえったコイツらの根性を戦争で戒める必要がある。それが正義という
ものである。


9. 2016年3月19日 03:22:29 : 4K5V6N8xGw : pvRopVzrnCY[8]
ナチスに学ぶ安倍の統一教会

イルミ富士山テレビ

ショーン川上のあとがこいつ

まるで謀ったような人選だな


  拍手はせず、拍手一覧を見る

フォローアップ:


★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)|(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(なしでも可能。あったほうが良い)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
投稿コメント全ログ  コメント即時配信  スレ建て依頼  削除コメント確認方法

▲上へ      ★阿修羅♪ > カルト15掲示板 次へ  前へ

★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/ since 1995
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。
 
▲上へ       
★阿修羅♪  
カルト15掲示板  
次へ