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《保阪正康寄稿》岸田文雄のように無機質、無感動、無責任な宰相が生まれた理由を歴史から考える 歴史から現代史を斬る/現代ビジネス
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投稿者 仁王像 日時 2023 年 2 月 12 日 06:53:46: jdZgmZ21Prm8E kG2JpJGc
 

《保阪正康寄稿》岸田文雄のように無機質、無感動、無責任な宰相が生まれた理由を歴史から考える 歴史から現代史を斬る/現代ビジネス
保阪 正康 - 50 分前
https://www.msn.com/ja-jp/news/national/%E4%BF%9D%E9%98%AA%E6%AD%A3%E5%BA%B7%E5%AF%84%E7%A8%BF-%E5%B2%B8%E7%94%B0%E6%96%87%E9%9B%84%E3%81%AE%E3%82%88%E3%81%86%E3%81%AB%E7%84%A1%E6%A9%9F%E8%B3%AA-%E7%84%A1%E6%84%9F%E5%8B%95-%E7%84%A1%E8%B2%AC%E4%BB%BB%E3%81%AA%E5%AE%B0%E7%9B%B8%E3%81%8C%E7%94%9F%E3%81%BE%E3%82%8C%E3%81%9F%E7%90%86%E7%94%B1%E3%82%92%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E3%81%8B%E3%82%89%E8%80%83%E3%81%88%E3%82%8B-%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E3%81%8B%E3%82%89%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E5%8F%B2%E3%82%92%E6%96%AC%E3%82%8B/ar-AA17nm1D?pc=EUPP_LCTE&cvid=e7117b09bf314ae29df71e747f5dc340

なぜ秘書官の差別発言は生まれたか
岸田首相の秘書官だった荒井勝喜氏が、性的マイノリティや同性婚をめぐる差別発言をして、更迭されました。

荒井秘書官の発言は2月3日にオフレコを前提とした記者懇談でなされたもので、同性婚のカップルについて「隣に住んでいたら嫌だ。見るのも嫌だ。秘書官室は全員反対だ」と語り、「同性婚が導入されれば社会のありようが変わってしまう。国を捨てる人、この国にはいたくないと言って反対する人は結構いる」と話したとされています。

これは、人間同士の多様で自由な繋がり合いを肯定するようになってきた世界的な同時代性に逆行する、露骨な差別発言と言うしかありません。荒井秘書官は岸田首相のスピーチライターも務めていたということですから、公的には政治思想、施政方針を首相と最も共有する立場にあったと言っていいと思います。その人物が記者懇談の場でこのような認識を口にすることには驚きを覚えます。

オフレコ懇談での発言であろうと、新聞記者が報じたのは当然であり、もし報じなかったら、記者はその懇談の場で荒井秘書官の発言を拝聴するばかりで、その内容を共有し受け入れてしまっていたということになります。

また荒井秘書官の発言は、2月1日の衆議院予算委員会で岸田首相が同性婚の法制化を「すべての国民にとっても家族観や価値観、社会が変わってしまう問題だ」と述べたことを正当化しようとして語ったものだったことも見逃せません。

そもそも岸田首相は、家族観や価値観、社会が世界的に変わりつつあることにほとんど目を向けておらず、同性婚をめぐって、復古的な家族観を押しつけようとする右派勢力、宗教勢力におもねるような立場に固執するばかりのように感じられます。

これは、自らの政治信条から言葉を発するのではなく、自らの有力な支持基盤が差し出す「問題」に対して、差し出した側が満足するような「解答」をもって応えるという、岸田首相特有の思考と行動のパターンではないでしょうか。岸田首相は荒井秘書官の発言を「言語道断」として、すぐに彼を更迭しましたが、実は今回の事態は自らの政治姿勢に関わって責任を負うべきことがらだと言えます。

私は、戦後の保守リベラルを体現してきた宏池会出身ということで、岸田首相に一片の期待を抱いたことをいま強く後悔しています。率直に言って、ここまで無機質、無感動、無責任な首相が登場したことに啞然としているのです。極端な言い方をすると、岸田首相は人間を人間として見ることができないのではないかという気さえしています。

近代史と現代史で大きく変わった首相のタイプ
近現代の日本において、1885(明治18)年に成立した第一次伊藤博文内閣以来、岸田内閣に至るまで、64人の首相が行政のトップとして指揮を執ってきました。この64人の顔ぶれを概観すると、官僚出身者が圧倒的多数を占めているわけですが、1885年から1945年8月の敗戦までの「近代史」と、それ以降の「現代史」では、首相のタイプが大きく変わっています。

私がこのことに気づいたのは、警察官僚トップから政治家になり、中曽根政権で官房長官を務めた「カミソリ」こと後藤田正晴と会話を交わしていたときでした。後藤田は内務省出身者でしたが、よく「私は地方局畑育ちだから」という言い方をしました。

内務省は近代日本の地方行政や警察を管轄し、国民の保護と統制を共に担いました。ことに戦時下においては中央集権制の中核となり、1947年にGHQの指導もあって廃止されています。しかし内務省出身者は、戦後日本においても権力中枢に存在し続けました。そして重要なことは、内務省出身者には「地方局育ち」と「警保局育ち」がいるのです。

後藤田が自らのアイデンティティとして語った「地方局育ち」は、当時のシステムのなかでは、最終的には官選の知事になります。つまり国民の民生全般に目を向ける官僚として育っていくのです。これに対して、「警保局育ち」は特別高等警察を動かし、国民生活を治安維持の対象として見ていきます。治安維持法を元に、国民を弾圧することが主要な仕事というわけです。

1945年8月の敗戦までの「近代史」における首相は、タイプとしては、内務省警保局育ちのような肌合いを持つ政治家が中心を占めていました。その性格は、天皇制下の官僚主義、強権主義、上から目線、特高的支配と言えるでしょう。

対して、敗戦以降の「現代史」における首相は、内務省地方局育ちの感性を持つ首相が多かったと思います。もちろん首相によっては戦前的感覚を振りかざすタイプもいましたが、基本的には、国民生活に密着した民主主義、地域主義、経済と平和の重視などが共通の傾向と言えるでしょう。戦後の民主主義社会のなかで、首相のキャラクターも変わらざるを得なかったのです。

ところが、岸田首相はそのどちらのタイプでもありません。  

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