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亡き夫の遺志を継ぐ妻:原発差し止め求める女性
http://www.asyura2.com/15/genpatu42/msg/242.html
投稿者 妹之山商店街 日時 2015 年 3 月 11 日 09:47:24: 6nR1V99SGL7yY
 

亡き夫の遺志を継ぐ妻:原発差し止め求める女性
https://www.youtube.com/watch?v=5ICBvZnHbwg


水戸喜世子さん(79)
「被曝してくわけだから、そりゃやっぱり
食い止めながら裁判を闘うしかないですね」


高浜原発運転差し止め仮処分申立
「原発絶対ゼロにしたいという思いの第一歩に
どうしてもしたいという思いがとても強くて」


夫の水戸巌さんは、東大原子核物理学者
1970年代から原発訴訟に関わった反原発の草分け的存在
芝浦工業大学教授当時、
チェルノブイリ事故が起きる以前から市民集会で講演
「ソ連の人達のような目に遭わないためにどうしたらよいか
私は原発を止める他ないと思う。
原発は事故を起こしちゃったら
もう僕達が個人的にどうしようと思っても
どうしようもないということをよく知っていただきたい」


1986年冬、双子の息子と共に遭難死
「どうして私だけ残ったの」
喜世子さんは、三人の死を受け入れられず、
世間とのかかわりを避けてきました。


「3.11のあの画像を見た時は
もう本当に滅茶苦茶泣きました。
嗚咽が止まらなくなって
どうして貴方今ここに居ないのって
本当に居ないのねって確認させられた、あれで。
私の人生が変わった瞬間でした」
夫の遺訓を継ごうと決意したのです。


「何が何でも勝ちたい、その思いだけです」
「彼らは現実にいないんだから私がやる他ない。
それは全くためらいなく、そう思いました。
私の生きてる証
生きるってことは大切だと思う。
生きる意味を見つけたというか
家族全部の思いを背負って生きてる」
 

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コメント
 
01. taked4700 2015年3月11日 19:13:29 : 9XFNe/BiX575U : lL965uNJuw
こんな方が居たのですね。知りませんでした。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B4%E6%88%B8%E5%8E%B3

>1986年(昭和61年)12月30日、双子の息子である京都大学大学院生の共生、および大阪大学学生の徹とともに、親子3人で北アルプスの剱岳の北方稜線で消息を断つ、翌夏3人は遺体として順次見つかる、満53歳没。

1986年と言えばチェルノブイリ原発事故が起こった年。4月に事故で、その年の冬に多分、反原発であったであろう息子さんたちと一緒に遭難とは、出来過ぎではないだろうか。

結局、こんな工作をやっているから、福島第一原発事故のように地球環境全体に大きな影響を与えるような事故になってしまったのだ。今度同じような本格的事故が起これば地球環境全体が本当に生物生存に適さなくなるだろう。

戦争に勝てたって、生命存続自体が不可能になれば意味はない。

原発は即刻廃炉にするべきだ。


02. taked4700 2015年3月11日 19:43:26 : 9XFNe/BiX575U : lL965uNJuw
次の記事によると、息子さんたちも反原発だったようです。

>京都大大学院だった共生さんは「裁判で原発の危険性を証言してくれる地質学者がいない。おまえがやってくれ」という水戸さんの思いに応え、同大防災研究所の地震予知計測部門に所属。大阪大生だった徹さんは、同大講師だった科学者久米三四郎さん(故人)らと学内で反原発運動を展開していた。

http://blogs.yahoo.co.jp/okerastage/9739565.html
水戸巌さんの遺志を継いで・・水戸喜世子さんの奮闘を伝える記事 0
2012/9/21(金) 午前 0:29日記練習用
はてなブックマーク転載
もし水戸巌先生が生きていらしたら・・・私たちの反原発運動の先頭で
頑張っていらしたことでしょう。
先生の遺志を継いで、首相官邸デモや大飯原発再稼働反対の集会にも
高齢をおして参加していらっしゃる水戸喜世子夫人の記事です。

・・・・と、とても感動的な東京新聞記事をお読みくださいとURLを書いたのですが、
それでは読めないことが分かりました。

芝浦工大有志のブログに記事が転載されています。
そちらでどうぞ!

http://trackback.blogsys.jp/livedoor/shibakodai_zengakuto/51688811

また全文書き起こしもいただきましたので、どうぞ!
全文「曲げなかった反原発 夫の遺志 伝えねば」9/18【東京新聞・こちら特報部】

かつて日本の反原発運動を引っ張った核物理学者、故水戸巌さんの妻喜世子さん(76)の願いはすべての原発がなくなることだ。夫は二十六年前、双子の息子とともに北アルプスで遭難死した。喜世子さんはそのショックを引きずりながら静かに生きてきたが、今はこう考える。「黙っていては何も変わらない。夫の遺志を一人でも多くの人に伝えるのが私の役目」(上田千秋)
>
 夫と二人の息子を一度に亡くした悲しみや「痛み」は誰にも想像できない。悲しみが大きかった分、どんなに時間が経過しようとも、それが完全に消え去ることはないだろう。しかし、その分、喜世子さんは人の命の重さ、大切さが誰よりも、分るのではないか。喜世子さんの言葉に耳を傾けたい。(栗)
—————————————
息子と遭難死 喪失感乗り越え
「黙っていては変わらない」
「福島の子どもたちを一日も早く避難させ、全原発の廃炉を実現する。この場所でそれを訴えたい」。毎週金曜日高齢の首相官邸前デモ。十四日夜、喜世子さんも「再稼動、反対」と声を張り上げた。
 喜世子さんはこのデモに六月以降、時間が許す限り大阪府高槻市から通っている。再稼動問題に揺れた関西電力大飯原発がある福井県おおい町にも足を運び、時にはマイクを握った。
 今でこそ積極的に動き回る喜世子さんだが、ためらいの時期もあった。自身も東京理科大などで物理を学び、原発の危険性は十分認識していたが、なかなか行動に移せなかった。「夫を息子の死をひきずっていて、同情されたくないという気持ちもあった」と語る。
 夫と息子が亡くなった山岳事故は一九八六年十二月に起きた。東京大と同大大学院で学んだ水戸さんは同大原子核研究所助教授などを経て、芝浦工業大教授に就任。五十三歳になり充実した研究生活を送る一方で、暇を見つけては学生時代からの趣味だった登山を家族と一緒に続けていた。
 この時も、双子の長男共生(ともお)さん、次男徹(てつ)さん(いずれも二十四歳)を伴って北アルプス・剣岳(富山県)を目指して入山。下山予定日を過ぎても連絡がなく、翌年六月から九月にかけて、三人の遺体が発見された。
 「一つ年上の長女と家族五人、仲が良かったので、喪失感は大きかった。息子二人の姿が若いころの夫と重なって、「後継者もできた」と頼もしくも感じていた」と喜世子さんは当時を振り返る。
 京都大大学院だった共生さんは「裁判で原発の危険性を証言してくれる地質学者がいない。おまえがやってくれ」という水戸さんの思いに応え、同大防災研究所の地震予知計測部門に所属。大阪大生だった徹さんは、同大講師だった科学者久米三四郎さん(故人)らと学内で反原発運動を展開していた。
 三人の死後、心の傷を癒しながらも、やり切れない思いを抱えたままの喜世子さんの気持ちを切替えさせたのは、東日本大震災だった。
 夫の父は、津波で大きな被害を受けた福島県新地町出身。親戚の安否を確認するためインターネットの伝言板に書き込みを残したところ、「水戸先生の講演録を探している」などの反応があった。「水戸巌が言ってきたことが今、求められている。夫の分まで行動しなければと思った」。喜世子さんはそう決意した。

日本での事故 危険性に警鐘
「責任自覚、科学者もっと発言を黙っていては変わらない」

 「寝食忘れて反原発に取組んだ人だった。二つ返事で講演を引き受けて青森まで来てくれるなど、頼りになる存在だった」。ルポライターの鎌田慧さんは、水戸巌さんをこう評する。
 水戸さんは一九七〇年ごろから反原発運動に取り組み、七三年、住民が国を相手に東海第二原発(茨城県)の設置許可取り消しを求めた訴訟では証人として出廷。首都圏に原発があることの危険性を指摘し「(事故が起きれば)一千万人を越える人が転居の対象になる」と訴えた。
 八六年四月のチェルノブイリ事故直後には本紙の取材に「原発には潜在的な危険性がある上に、核分裂の制御が微妙なのだから事故が起きないはずがない」「日本でも起きる可能性はある」と主張。福島第一原発を予期したような発言をしていた。
 ただ、当時は原発推進派の影響力が圧倒的に強く、水戸さんの主張は軽視され、嫌がらせも受けた。家に子どもしかいない昼の時間帯に、脅迫めいた電話が何度もあった。「おまえのお父ちゃんを殺してやるからな」。自宅近くには不審な車が止まっていた。万一に備え、水戸さんはズボンのポケットに「応戦」用の石つぶてをいっくつも入れていた。喜世子さんは「危険を感じて、私の弟がいた大阪の高槻に私と子どもだけ移り住んだ」と言う。
 しかし、水戸さんが反原発を曲げることはなかった。そんな姿勢に多くの科学者や学生が影響を受けた。京都大原子炉実験所の小出裕章助教もその一人だ。東北大の学生だった七二年ごろ、女川原発(宮城県)の建設反対運動を通じて水戸さんと知り合った。小出さんはある日、「原子炉発電所と呼ぶのは間違いだ。海温め装置と呼びなさい」と水戸さんに指摘されたという。
 出力百万キロワットの原発は、いったん三百万キロワットの熱を生み出す。それを大量の海水で冷やし、温度が七度上がった水を海に戻すからだ。「原発は環境を破壊するんだということを一言で教えてくれた。一介の学生にも決して偉ぶらない、誠実で信頼できる人だった」
 水戸さんの死から四半世紀。生前の警告は無視され、福島第一原発事故が起きた。いまだ原発に固執する政府の姿勢に「水戸さんが生きていれば・・・」と考える関係者は少なくない。
 水戸さんは六九年、学生運動などで逮捕された人を支援する「救援連絡センター」を仲間と一緒に設立。当時を知る山田真医師(子どもたちを放射能から守る全国小児科医ネットワーク代表)は「優れた理論と行動力を併せ持った人だったから、どう政府と向き合えばいいのか、きちんと戦略を立てて動いていたと思う」と話す。
 政府は二〇三〇年代に原発ゼロとする方針を打ち出したが、核燃料サイクルは継続させるなどの矛盾に満ち、脱原発そのものが実現するかでさえ疑問がある。喜世子さんが期待するのは、夫と同じ、科学者がもっと発言することだ。
 「科学者は真実を国民に伝える役目を担っている。その社会的責任の重さを自覚してほしい。彼らが正しい知識を伝え、それに政治家が耳を傾けるようになれば、未来は必ず変わる。私もかって専門知識を学んだ科学者の端くれとして、一市民として、共に頑張っていきたい」


03. taked4700 2015年3月11日 20:34:19 : 9XFNe/BiX575U : lL965uNJuw
こんな方が居たのですね。知りませんでした。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B4%E6%88%B8%E5%8E%B3

>1986年(昭和61年)12月30日、双子の息子である京都大学大学院生の共生、および大阪大学学生の徹とともに、親子3人で北アルプスの剱岳の北方稜線で消息を断つ、翌夏3人は遺体として順次見つかる、満53歳没。

1986年と言えばチェルノブイリ原発事故が起こった年。4月に事故で、その年の冬に多分、反原発であったであろう息子さんたちと一緒に遭難とは、出来過ぎではないだろうか。

結局、こんな工作をやっているから、福島第一原発事故のように地球環境全体に大きな影響を与えるような事故になってしまったのだ。今度同じような本格的事故が起これば地球環境全体が本当に生物生存に適さなくなるだろう。

戦争に勝てたって、生命存続自体が不可能になれば意味はない。

原発は即刻廃炉にするべきだ。


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