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原発事故被災地支援の倫理について
http://www.asyura2.com/15/genpatu42/msg/785.html
投稿者 rei 日時 2015 年 5 月 15 日 01:05:22: tW6yLih8JvEfw
 

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/43785
原発事故被災地支援の倫理について
2015.5.15(金) 堀 有伸
 福島県には、福島のことを「フクシマ」とか、”Fukushima”などと表記されることを嫌う人が少なくない。地域の問題が世界的な課題となっていること、それが見知らぬ場所で見知らぬ他者たちの議論の題材となっていることを、受け入れ難く感じている。

 福島の問題の難しさの1つは、原発問題に関心を寄せるような「意識の高い人たち」と、地元で生活している住民の多くの価値観や感覚とが、大きく異なっていることに由来している。この2つは、まるっきり正反対のように見えるときすらある。

「意識の高い人たち」が抱いている空想と、その人々が福島に関わる時に(無意識的に)抱いている願望は、次のようなものだろう。私は平成24年に東京から福島県南相馬市に引っ越したが、これから書く内容は、その時に抱いていた空想の内容でもあることを、あらかじめ告白しておく。しかし私の考えは、その後に現地で3年暮らす間に、ずいぶんと変わったと思う。

「原子力ムラをめぐる空想」と仮に名付けよう。政府、電力会社、国際機関、大手マスコミ、大学などの学術機関と権威ある立場の学者や医者、大手企業、その協力企業などが作り上げている「仲間たち」が、ズルズルベッタリと結びつきながら、表面ではキレイなことを言いながらも、裏ではあらゆる策謀を張り巡らし、嘘と秘密で固めた上で、国土や国民を汚し、その富を奪い、危険にさらしている、そういう空想である。

 そして「意識の高い人たち」が、福島の問題にかかわる時にさらに無意識的に連想しているのが、そのような嘘と秘密に乗せられていた住民たちが、真実に目覚めて「原子力ムラ」の人々に対して正当な抗議と闘争を開始し、やがて勝利をおさめるというストーリーであろう。

 外部から原発事故被災地に関わろうとする支援者の一部には、この「偉大な闘争」において重要なポジションを占めることを無意識的に願っている人々がいる。そこにある微妙な傲慢さ(ナルシシズムの問題)が、現地の人々の心には負担となる。

 ここで考えを進めるためには、「原子力ムラをめぐる空想」が真実であるか否かを判定しなければならない。しかし、この判断は容易ではない。

 私個人の考えを述べるならば、ここで空想されている内容は潜在的にいつでも現実になりうるものだと思う。そして、2011年の原発事故によって実際にそれは一部現実化してしまった。しかし、「原子力ムラ」と名指して諸悪の根源のようにこれを切り捨て、一方的に断罪してこれを攻撃するだけの姿勢は、この問題の解決にはつながらず、かえってそれを複雑化して解決をより困難にしてしまう。

 適切な監視と干渉は必要である。部分的には対立や闘争も必要となるだろう。しかし、それを含みつつも、多くの人々が、原子力ムラの外部として、潜在的な原子力ムラの内部の人々と社会的な関係を続けていくことが、原子力ムラを原子力ムラとして堕落させずに、それを社会的な責任を果たしうる原子力産業として成り立たせるための、必須の条件であるように思える。

 現実に、事故を起こした東京電力福島第一原子力発電所の廃炉の作業をやり遂げねばならないという問題がある。これは、「原子力ムラ」の人々の力が無ければ、決してやり遂げることのできない事業である。

 そして、その原発に近い所に暮らしていると、現場で働いてくださっている人々へは、素直に尊敬と感謝の思いが湧いてくる(東京電力という企業の社会的な責任を考える時に、現地で苦労している人々と、上層部の責任のある管理的な立場にある人々を分けて考える必要がある)。

 東京電力が、地域の経済を長年支えてきたのは紛れもない事実である。何十年にもわたって、その存在が地域に恩恵を与えてきた。そのことを心から感謝し、たとえ原子力発電所事故後に生活の基盤が奪われようとも、恩を受けた企業に仇をなすようなことをしたくはないと考える人々も、間違いなく存在している。

「意識の高い人」として現地に入った私は、そのような事情に大変困惑した。「恩を受けたことに感謝して、自分の分をわきまえて大きなことには関わらないようにし、不平や不満を言って他人を攻撃しない」のは、一見すると道徳的であるが、社会的な責任を負うことを実は回避しているのではないだろうか。地域の将来、つまり原発という産業にはもはや頼れず、農業や漁業も大きな打撃を受け、高齢化や医療や教育の立ち遅れという課題が山積している状況では、道徳的ではあるが受身的な姿勢を脱却し、批判精神を含んだ能動的な姿勢を身につける必要に迫られているのではないだろうか、そのような疑問を感じてしまった。

 ある時期、地元の人々とどのようにかかわってよいのか分からなくなった。

 今は、震災後でたくさんの復興関連の予算が投入され、人的にも多くの応援に恵まれている。だからこそ、将来を見据えて地域を構築していく戦略的な行動が必要なはずである。しかし、地元の人々の一部は、目の前の利益や名声に惑わされているのではないだろうか、そんな風に感じてしまった。

 賠償金の存在が、さらに物事を難しくしているように見えることがある。

 その額に差がありすぎることが、地域の分断を招いている。震災によって生活の基盤が失われて混乱している時に、急激にそれまで手にしたこともないような高額の現金を手にすれば、それを適切に管理できない人が出てくるのも必然である。

「お金によっておかしくなってしまう」人もいるだろうし、「お金があるために変な人に狙われてしまう」ことも起こり得るだろう。

 持ちなれない現金を持った人が派手な振る舞いをするのを見れば、それに周囲が反感を持つことも避けがたい。

 私のそのような「意識の高さ」が、時には地元の人々をとても不愉快にさせ、イラつかせていることも感じ取れた。そして私は、ついに悟った。今の日本に暮らす人の中で少なくない人々が、特に年配者の多くは、「原子力ムラ」として戯画的に描かれるものの現実を決して見ようとしないし、その帰結について反省することも責任を取ろうとすることもなく、その中にどっぷりと浸かりながら、それを批判する者には手厳しい報復を与える反応を死ぬまで続けるということを。

 そして、私はそれを受け入れなければならない。その現実の中に生きていくのが、今の時代に生きる日本人として適切なことであると思った。

 そうであるとするならば、そのような人々とどのような社会的な関係を構築して生きていくのかを考えねばならない。

 そして、そのためには自分の「意識の高さ」の中にある傲慢さ(ナルシシズム)の問題に、直面しなければならない。

「原子力ムラ」と戯画的に描いたもの、受身的に体制の中にどっぷりと無批判につかり、その枠の中でより良い地位を得たいと望むような心は、どこかの他人の中にだけあるのではなく、自分の中にこそある。その受け入れたくない現実を、他人に投影しているだけなのかもしれないのだ。少なくとも、今の日本に暮らして物質的に豊かな生活を享受しているものは皆、「原子力ムラ」の恩恵を受けてそれを支えている一部ではないだろうか(敢えて言うのならば、私たちは皆、被害者であるのと同時に加害者でもある)。

「意識の高い私」は、傲慢にも自分が主体的で能動的であり、将来を考えていると高ぶり、「原子力ムラ」に社会的・経済的に飲み込まれている人々を受動的で現在にのみ拘束されていると見下すかもしれない。しかし、見方を変えれば逆である。

 「福島の問題」は第一義的には福島の現地に暮らす人々の問題である。たとえ外から見て依存的に見えても、地元の人々が必死に何十年と生きていた中で、主体的に作り上げてきた生活である。それを他人が簡単に批判することや、貶めることはできない。

 逆に、支援者や評論家とは何だろうか。私を含めてそのような人々は、自分の人生に主体的にかかわるのを避けて、福島の問題に自分の問題を託して扱おうとしているのではないだろうか。少なくとも、私は自分が日本社会とのかかわり方が分からなくなっていたことを、「南相馬市を支援する」と称して、何とか解決しようとしていた。これはしかし、「他人の褌で相撲を取る」依存性、もっと言えば剽窃ではないだろうか。

 以上を踏まえて、私は原発事故被災地における支援者の倫理は、次のようなものであると考えるようになった。

 地元に密着しすぎて飲み込まれるのでもなく、批判的に攻撃するのでもない。

 他の誰でもない、公共の高い理念でもない、自分が自分としてちゃんとするように努力を続けること、その上で現地に留まり、適切な社会的な関係を周囲と構築していくこと。

 つまりナルシシズムを克服して自我を適切に確立することを、不断に求めていく姿勢こそが倫理的なのである。

(*)本記事は「MRIC by 医療ガバナンス学会」(Vol.091、2015年5月14日発行)を転載したものです。  

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コメント
 
01. 2015年5月15日 08:53:05 : 8hoNl2VIyY
制御を放棄した未曾有の放射能汚染の果てに待つものは、福島のみならず国全体の破滅だ。残念ながら堀氏の考察は、僅か10年を経ずして福島の地域社会の瓦解と共に、過去の記憶として留まることすらないだろう。

原発爆発地域の復興と支援という根本的に有り得ない幻想の元に、「福島の問題」を語る。大局の倫理を放棄した結果残された膿んだ腫瘍の如き現実に在るべき姿を求めることほど、無意味なものはない。

かつて、大日本言論報国会というのがあった。そこでの演題には、「大東亜新秩序」やら「皇国の婦人の役割」から果ては当時の小学生、所謂「少国民」の在り方にまで言及するものがあった。それらは、云わば体制の求める倫理論だった。

ここに言う「自分が自分としてちゃんとするように努力を続けること」は、将兵の戦死者の6割が餓死であった破滅の無責任体制下の臣民の「倫理」も似た閉塞がある。


02. 2015年5月15日 08:56:07 : aiMZAOJQqY
この中身のないアホ臭い文章を書いたのは、東大医学部卒で、現在は南相馬市の病院で精神科医を
している堀有伸という人。あの越智小枝と同じ御用医者だ。

「南相馬の心のケアのために」 
http://www.ut-life.net/people/3-11/a.hori/

この人の記事をいくつか読んでみたが、ナルシシズムだとかストレスだとか精神医学の範疇でしか
福島の事故を捉えていない。香山リカに似ていなくもない。

堀有伸さんによる記事一覧 Huffington Post
http://www.huffingtonpost.jp/arinobu-hori/

放射能汚染の恐ろしさを全く理解していないのか、あるいは無視しているのか、どちらだろう。

おそらく福島の放射能汚染の深刻さを知っていたら、絶対に現地の常勤医にはならないだろうから、
無知なのだろう。

東大医学部卒もこんな程度だということ。
原発マフィアに自分が利用されていることに気づいていない悲劇。

あんな汚染のひどいところに住んでいたらとても長生きはできないだろう。ご愁傷様。


03. 2015年5月15日 09:01:38 : tctY4BgZcg


>自分が自分としてちゃんとするように努力を続けること、その上で現地に留まり、適切な社会的な関係を周囲と構築

       何を ちゃんとする 努力する? 詰まりは みんなと一緒

>ナルシシズムを克服して自我を適切に確立することを、不断に求めていく姿勢こそが倫理的なのである

        自己主張を 我慢して 決断しないこと が 道徳?

                 あほ臭


   本来 法治国家なら 個人の健康 生命 財産 は 守られている

  何で 糞盗電に 騙され アホ阿部政権で 最低の権利を奪い取られる?

   同じことを やらない やらせない と個人で 実行することが 倫理



04. 2015年5月15日 12:51:20 : BLqL2LUvlg
昭和の戦争を見聞きしている人たちには洗脳と金融支配が効果てき面だった
のだろう。ドンパチやらないまでも現在の日本は戦時下にあると思われる。

侵食型の悪魔支配によって人命よりもカネという価値観が植えつけられてし
まい、社会に貢献しているように見せかけた原発安全神話にまんまと洗脳さ
れてしまった。原発の真の目的は核濃縮であり電力供給ではないと思う。

皇族・財界・政府などは対立を装っていても実は絡み合っていてつながって
いる。次の金儲けのためにどこかを焼き払ったり絶えず覇権争いをしている。

一般人にどうにかなる問題ではないのだが、悪魔信仰の支配者達に天罰が下
ることを願ってやまない。



05. 2015年5月16日 12:21:36 : o6ZgqTuSYQ
医者はガン死が多いと聞くが、己の知識を過信してるのではないか。
先生と呼ばれる職業の者は例外なく謙虚さが足りない。

06. 2015年5月16日 15:47:41 : Yvr1mfBjgg
久々に阿修羅を覗いてみたら、こりゃまた阿修羅で大爆笑したのも久々だ。
会員番号4153番氏の投稿文以外で、これだけ笑えるのも珍しい。

南相馬市を双葉・大熊・富岡のような原発依存の自治体と勘違いしているな。
否、分っていて敢えてミスリードさせるように間違った印象を与えるように書いているのだろう。
堀 有伸氏は aiMZAOJQqY さんが指摘しているような御用医者だろう。

南相馬市の歴史や背景を全然知らない空想や机上論で語っている。
南相馬市は311以前に原発絡みの補助金は貰っていない。
何度かコメしたことがあるが、唯一補助金らしきものは
平成の大合併前小高区は南相馬市ではなく小高町だった時期に
隣町である浪江町と小高町の境付近に一時期東北電力の原発誘致話が持ち上がり
それで用地調査費の名目で1億程度金が出た。
その金は農業用地整理:用水路整備費で使われた。
結局原発誘致は中止になっている。
というか相馬地域では原発関連予算が継続して直接注入されていない。

そもそも相馬地域は原発ではなく1980〜1990年代に掛けて相馬共同火力(新地)と原ノ町火力を選択している。
その設備維持管理用のプラント設備会社や、おこぼれ仕事を貰う会社はある。
それに付随しての原発関連仕事も貰っているが
家主というか父ちゃんが原発関連も仕事としていたのは400〜500人程度
4人家族としても家計で考えたら多くても範囲として2000人程度
南相馬市は311以前は人口7万強で2〜3%が原発関連で飯を喰っていた?
どう考えても、多くても4%未満の市民しか関わりがない。
それも相馬共同や原ノ町火力も含まれる兼業みたいなものだ。
アクロバティックな解釈をしても堀 有伸氏のような文面は出てこない。
個人的な解釈では空想の産物であるとしかいえない。

若しくは南相馬市に避難している双葉・大熊・富岡・浪江の原発関係者だけを見ているのか?
精神科医(精神病理学)として調査分析能力の資質を疑われるのに充分な駄文である。

因みに雲雀ヶ丘病院の副院長とあるけど、私の母校である原三小のスグ近くで
どういった種類で、どのようなレベルの精神科医院か充分知っている。
放射線量等の環境もね。
また南相馬市に住んでいるといっても汚染度がまばらで十把一絡げにできなくて
鹿島区や国道6号線付近は関東広域の表面的な放射線量と差異はない。
南相馬市のほうが危険度も高く安全ではないのは当たり前であるが計算づくではないのか?
参考:雲雀ヶ丘病院の外来担当医の表
http://www.k-washinkai.or.jp/hibari/gairai/b-gairai.html
堀氏と越智氏が出てくる。


07. 2015年5月18日 05:39:35 : Xz4MCg18wA
この人は、自分も医学ムラの住人であることを知らないらしい。
特に精神科医は、麻薬と変わらない薬で人を薬依存にしている。
そのひどさは、東電以上かもしれない

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