11. taked4700 2015年5月18日 20:53:41
: 9XFNe/BiX575U
: zbp6mBiVPc
>軍部の暴走は止まらず、最後の一人まで戦うとバカなことを叫んで、地獄の底へと落ちていった。 >70年後の現在、戦争と原発という違いはあるが、日本の状況は当時にそっくりである。数年前のサンデー毎日で終戦前後の日本政治のことを論じた連載記事で読んだことがありますが、軍部は本当に竹やりで市民が応戦すればなんとかなると思っていた様子です。その原因は、やはり、組織の風通しの悪さであり、現実に起こっていることが上層部にあまり伝わっていなかったからだと思います。つまり、海外での戦闘は、餓死ではなくて、皇軍が勇ましくたたかった結果の名誉の戦士であり、アメリカのB29による爆撃も地上戦では蚊らしき弱虫のアメリカ軍が考え出したずるい作戦だというような評価だったのでしょう。 そして、軍部の中堅どころは、一般市民に多大の犠牲を強いてしまったために今更本当のことを言って敗戦を本当のことにすると今度は自分たちが責任をとることになるため、現場からの情報をなかなかはっきりと一般市民へ伝えることも、上層部へ伝えることもできなかった。 当時の政治家はどうかというと、226事件などの軍部のテロの記憶が強く、軍部にものが言えない雰囲気が出来ていた。マスコミも同じ。憲兵の検閲が効いていて、本当のことが言えなかった。 結果的に、本来必要ではなかった犠牲を多大に一般市民に強いて、やっと敗戦を認めた。この際も、天皇制維持にこだわったが、これは、何も天皇制そのものが重要だったわけではなく、戦争責任を軍部や政治家が負いたくないためだった。実際、形式的には軍の統帥権は天皇にあり、戦争責任は天皇が一身に負ってもおかしくはない制度だった。 では、なぜ、太平洋戦争時、勝ち目のない戦争に突っ走ったか? 1.日露戦争に勝ち、白人国家に勝った唯一の有色人種国家との傲りがあった。 2.同じアジアの国々が植民地化されて、反奴隷状態に置かれていることを身近に見て、同じ状態になったらいやだという恐怖感があった。 3.上の二つの結果、同じアジアの国々を犠牲にして、西欧に対抗する国を作ろうとした。これが八紘一宇の思想。 上のことを考えると、多分、二つのポイントがある様子。 まず、当時の日本の実力はどの程度だったか。それをなぜ間違えたか。 次に、欧米の圧力に対抗するためには武力しかなかったか、その他の方策は無かったのかという点。 日本の実力と言う事から言うと、太平洋戦争開戦時、既に民間物資の供出が始まっていて、出征兵士を町内会で盛大に見送るという風習も無くなっていた。各家庭は、なべかまから、先祖伝来の仏像なども供出していて、家庭で犬を飼うこともなかなかできない時代だった。太平洋戦争中、家庭で犬を飼っていることが分かると、人間が食えないのになぜ犬を食わせるのかという非難を浴びたという。20代前半より若い人々はほぼみんな太平洋戦争前の中国での戦争に駆り出されていて、太平洋戦争開戦時には、それまでの戦争で一度出征し、帰って来た人が再招集されることが多かった。既に男手がなく、一家の働き手を送り出すことになるので出征兵士の壮行会のようなものはとてもできなかった。 一方で、既に財閥が形成されていて、相当に豊かな人々がいた。彼らは、軍に物資を納入すること、または軍から物資を払下げでもらうことで大儲けが出来ることを知っていて、戦争を仕掛けてていた面があった。特に、中国にいた商社系の財閥関係者は日本軍と組んでぼろもうけをしていた。 つまり、太平洋戦争は、軍部の独走というよりも、軍上層部をけしかけた財閥関係者が仕掛けた戦争という面もある。天皇制のもと、華族や貴族、財閥、軍上層部と青年将校、一般市民も選挙権を持つ富裕層と選挙権を持たない平民層に分かれていた。基本的にこういった階層化社会が、自分よりも低い階層の人々を使って戦争をすればいいという考えを許したことが太平洋戦争の原因であり、ほぼ同じ事情がどの国にも見られるはず。そして、だからこそ、ベトナム戦争では反戦運動がアメリカ国内で吹き荒れ、その後、徴兵制は廃止された。 階層化社会があると、徴兵制のもと、上層部はあまり犠牲にならず、階層が下のものがどんどんと犠牲にされてしまう。強制性があり、抵抗できないため、抗議は当然のもの。ところが志願制になると、勝手に志願したんだからという理屈でその背後にある階層化社会の姿が隠されてしまう。現状でも戦争で実際に戦うのは平民層。 翻って現代を見ると、階層化社会は戦前とは別の意味で進んでいる。つまり、典型的なのは派遣社員制度と学歴化社会だ。現状である程度いい仕事に就こうとすると大学院での博士号や修士号が求められる。しかし、現実の大学院教育はとても行き詰っていて、昭和40年代から50年代の大学教育と同じく、あまり意味がない。一つには、学生が勉強を実際にはほとんどしないこと。次に、そもそも勉強の対象があまり学問の対象として捉えられていない点がある。単なる興味本位でいろいろな子細な知識を積み上げるだけであったり、それさえもなく、ただただフィールドワークのような活動をやり続けると言ったものが多い。 反面、コネなどで安定した職を得る人たちもかなりの人数いて、彼らは自分たちの特権・利権が命の次に大切で、それにしがみついている。 基本的に、このしがみつきが日本社会の硬直化を招いていて、非常に多数の人びとを犠牲にして、つまり、派遣社員などの低収入に追い込んで一部の人びとが楽な暮らしを謳歌しているが、もう一つより問題なのは、公的な借金で現体制が維持されている面も大きいこと。派遣社員や片親世帯の問題はかなり表面化しているが、公的借金の積み上がりはその影響が隠されたまま。このことが現在の実を言うと一番の問題で、対処するすると言いながら、現実にはほとんど対処されていない。その結果、社会全体が一気に崩壊するような事態になりつつある。仕組みは簡単で、円安による輸入物価高であり、化石燃料や鉱物資源、食料品、飼料などが一気に数倍の値段になる。物流が途絶え、基本的な食品が手に入らなくなる。都市部ほどこの影響は強く出るはずで、東京、名古屋、大阪と言った都市部は将来、それも近い将来、かなりの影響を受けることになる。 つまり、20世紀は武力を使った戦争の世紀だったが、21世紀は武力を直接的にはあまり使わない、実際には経済戦争になっていて、その仕組みは階層化であるということ。とても興味深いのは、第1次・第2次世界大戦では一般兵士が戦争の現実を担っていたため、一般市民の人権を高めていく方向で社会が改革され、民主主義の基礎が出来たこと。ところが、21世紀は基本的には経済戦争で、その仕組みは情報をコントロールして階層化して支配し利潤を得ること。だから、より大きな情報を扱うことが出来る人たちがどんどんと富を独占して行っている。TTPはある意味、その仕上がりとでもいうべき制度のはずで、軍産複合体が実質的に国際社会に君臨し、各国政府はその下請け機関になる。多分、この行く末は、究極的な階層化であり、命そのものの差別が行われていくはず。当然、そういったことは現在の民主主義には反するので、差別が当たり前と意識されるような社会を作ろうとしている。その手始めがイスラム教との文明の衝突と言われるもので、ISによる凶悪宗教集団と言うイメージ作り。 同時に、世界的に教育の私立化が進められていて、公教育の無意味化が始まっている。インターネット、パソコン、スマートフォンと言ったものが現実の学習場面に入り込んでいて、表面的にはあまり目立たないが実際には学習活動自体をこういったメディアが支配しつつある。例えば、共産党支配下のソ連で、言論の自由といったことを論じた書物は図書館に置かれることは無かったはずだが、それと同じようなことがネット社会で行われている。典型例が被曝被害に関することで、放射性キセノンの被曝被害は研究が相当進んでいるはずだがほぼ完全に隠されている。面白いのは、ネットを使った通信添削と言ったものがあまり広まっていないこと。サイト上に基本的に誰にでも公開された30とか50のノートを置いて、サイト管理者が出題し、それに受講者が解答や質問を残す。それを管理者や一般人が採点や解説をするといった形は当然あり得るはずだが、多分、未だに出てきていない。プライバシーの問題は、まさにハンドル名でやれば回避できる。 ところで、 >70年後の現在、戦争と原発という違いはある について、この違いはかなり大きいと思います。つまり、戦争の場合は兵士が戦い、戦死をするのわけですが、原発の場合、直接戦うのは作業員であり一般市民ではないが、原発事故が起こった場合、一般市民が原発作業員と同じ立場に置かれ、しかも単に生活しているだけであるのに、被曝被害を受けてしまうこと。電力会社から補償を貰うこともできないまま、低線量被曝が長年続き、10年後、20年後にそれが表面化する。 >被ばく被害により人口は急減、生きている人も病人だらけになる。 まともに働ける人が激減するのだから、復興は絶対に不可能である。 >次世代を背負うはずの子どもたちも、被ばくから守ってやらなかったから、健康はボロボロ、 >頼りになるどころか、重荷になるだけだろう。 >日本は放射能にまみれて、何十年、いや何百年も地獄の底でのた打ち回ることになるだろう。 多分、半減期30年のセシウムの影響はその程度ですが、ウランやプルトニウム、または半減期90年のストロンチウムなどがあるため、被曝被害は多分数万年以上続く。まあ、1万年もすれば、土壌中から拡散して、世界的に同じような程度になる。 しかし、重金属毒性は、放射能毒性が低減してもそのまま残るため、こちらは永遠に続く。多少は地球全体に拡散するが、多分、1万年経っても相当程度に地元に残り続ける。 しかも、事故にならずとも高レベル核廃棄物は既に大量に溜まっているため、永遠に管理が必要。あと30年もすればほぼすべての原子炉は廃炉になっていて、単なる核廃棄物管理だけになる。原発がある地元は2050年以降はどこもかも単に管理を押し付けられ、被曝被害があるためまともな企業は寄り付かないという状況になる。 特に問題なのがフランスで、MOX燃料を大々的に使ってきたため、数百年もの長期間プールでの冷却が必要な核廃棄物が大量に溜まっている。いつまでも電気を使って保管はできないはずで、どこか他国の地下へ埋めてしまいたがっている。しかし、地下へ埋めても環境中への漏れ出しはいつかは起こる。せいぜい地下500メートル程度だから、地下水汚染は避けられない。現実の現役世代の利害と将来世代の利害、または、フランスの利害と他国の一般市民の利害の対立になるわけで、多分、今は、核兵器保持国のほとんどが、どこかの国を犠牲にして、その国土を廃棄物処分場にしようと狙っている。問題は、いかにそういったシナリオを自然なものに見せるかと言う事であり、主に二つの問題がある。一つは、処分場になる国が自ら望んで廃棄物を受け入れるようにすること。もう一つは、その国が安全に管理できるというウソをいかに本当のことかと世界中の一般市民に信じ込ませるかと言う事。 基本的に、結局、このシナリオでは数百年か数千年、または遅くとも数万年で環境中への大規模な漏れ出しが起こる。現世代の問題は、このことが分かっているのに、それを認めることができずにいること。科学の問題と言うよりも政治、またはモラルの問題。 ほぼ100%、世界の核廃棄物処分場となりつつあるのが今の日本。 多分、日本と共にアラビア半島も核廃棄物処分場とされてしまう。
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