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移住者が殺到で出生数も急上昇! 「五島列島」自給自足できる小さな島――白石新(ノンフィクション・ライター)〈週刊新潮〉
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投稿者 赤かぶ 日時 2015 年 5 月 03 日 08:37:05: igsppGRN/E9PQ
 

移住者が殺到で出生数も急上昇! 「五島列島」自給自足できる小さな島――白石新(ノンフィクション・ライター)〈週刊新潮〉
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150503-00010002-shincho-life
「週刊新潮」2015年4月30日号


 楽園などありはしない。だからIターンやUターンを試みて挫折する人が絶えないのだが、五島列島の小値賀島(おぢかじま)にかぎっては、移住希望者が絶えず、その定着率も50%を超えるという。現地でその理由を探ると、自給自足が可能なほどに豊かな“資源”があった。

 ***

「ブリが降ってきた」

 小値賀島では、こんな言葉を耳にすることがある。

 ブリが旬をむかえた今年2月。島民からの電話をとった西山美保さんの声がはずんでいた。彼女は神奈川県平塚市からの移住者だ。

「魚が獲れ過ぎた時には連絡がきて、おすそわけしてもらえるんです。島に元々住んでいた人は、“ブリは買うもんじゃないから”と真顔で言うんですよ。私も手に入れるのに、あんまりお金を出していない」

 長崎県佐世保市の西に位置する五島列島。その北部にある小値賀島が、ひそかに注目を集めている。

 この小さな島を中心に周囲17の島々からなる北松浦郡小値賀町は、長崎県で最も小さな自治体である。島へ渡る船便は、佐世保港から1日に3便、博多港から1便。東京から訪れるには、飛行機と鉄道、船を乗り継いで、どんなに早くても半日かかる。

 そして数多の離島がそうであるように、小値賀島もまた、過疎化と産業の衰退に悩まされてきた。

「計算上、そう遠くない将来、無人島になる可能性があったといわれてきた」

 そう語るのは、大阪から移り住んだ高砂樹史さんだが、ここにきてにわかに観光客が増え、移住者も定着しはじめている。Iターンでやってきた人の定着率は50%を超え、現在、島の人口の1割を超える約300人がUターンもしくはIターンによる移住者。

「年収は前職の半分くらいに減ったけど、暮らしはずっと豊かになった」

 と、そのひとりは語る。なかでも特筆すべきは、出生数の増加だろう。この数字は、住人の地域に対する希望の度合いを如実に反映するとされる。今や出生数がゼロに近い離島も珍しくないが、小値賀島では毎年、2桁を維持しているのである。人口減と財政難で悲鳴をあげる地方自治体が多い中、なぜこの島は息を吹き返しつつあるのだろうか。

 その答えを導く前に、檀一雄の小説『火宅の人』にも登場する島の歴史や風土に触れておきたい。

 海底火山の爆発によって生まれたという小値賀島の面積は12・22平方キロ。自動車で30分も走れば1周できてしまう。比較的平地が多く、弥生時代の墳墓群なども発見されており、古事記に登場する「両児島(ふたごのしま)」は、かつて浅い瀬によって2つに分断されていたこの島のことだとする説もある。

 また、五島列島は「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」として、ユネスコの世界文化遺産の暫定リストに入っているように、古くからカトリック信徒が多いことで知られる。だが、小値賀島だけは、昔から仏教徒が多数派だった。

 島の最大の産業は漁業である。ブリ、イサキ、ヒラメ、カレイなど美味しい魚の宝庫で、前出の西山さんの夫で、やはり神奈川県出身の今田光弘さんは、

「この島の人はカワハギなんて刺身にしません。薄造りにするのは面倒だからと、味噌汁にドカンと入れてしまう。贅沢な出汁です」

 と、島の海産物の豊かさについて語る。とくにアワビ漁は、かつて年間漁獲高日本一を誇り、全国から集まる漁師たちのために、島の中心部に花街が存在したほどである。

 そんな島の人口は現在、約2700人。最盛期の1950年には1万人を超えていたが、以降、減りつづけている。日本が急激に工業化して漁業や農業が衰退すると、島からの人口流出が止まらなくなった。小値賀町を構成する島のひとつ、野崎島にいたっては、600人を超える島民がすべて島を離れ、昭和40年代には無人島になってしまった。

 だが、小値賀島に住む人たちは、野崎島の惨状にわが島の未来を重ねながらも、前向きだったようだ。

「もともと小値賀に住んでいる人も、新たな住人も、この島を永らえさせたいという意識が強いんです」

 と、大阪から夫婦で移住してきた小高秀克さんは言う。実際、島内の酒場などでは、島の行く末について熱く語る場面にしばしば出くわすが、そこに諦観が感じられないのだ。前出の今田さんは、こう口にした。

「島は、誰もが自給自足できる環境にあると思う。それは島民がもつ共通した感覚だと思います」

 食料自給率がカロリーベースで40%に満たない日本で、自給自足の可能性が語られる。小値賀島が息を吹き返す理由を解くヒントが、そこにありそうだ。

■おすそわけ

 もっとも、食べものが豊富だからといって、誰もが島に適応できるものでもないだろう。近畿地方の過疎の村の移住担当者が、

「都会の喧騒からはなれたくて田舎暮らしをはじめたはずなのに、刺激が少なくてつらくなる人もいる。たった1年であきらめて、逃げ出した人もいます」

 と言うように、地方への移住者が早々に“挫折”するケースは多い。ところが小値賀島の場合、

「島民は、島外から来た人の面倒をとてもよくみてくれる。移住者がそれにちゃんとこたえれば、ここは本当にいいところです」

 と、今田さんは言う。そんな島民気質の由来を物語る逸話がある。船で10分ほどのところにある人口100人程度の大島での話だが、かつてそこには「自力復活援助システム」が存在したという。借金などで困窮した家族が立ち直るまで、数百メートル離れた無人島の宇々島に住まわせたのだ。困窮一家は宇々島でアワビなど豊富な海産物を独占的に獲って、現金を得ることができたという。

 この地域にはそんな“伝統”が息づいているからか、小値賀島への移住者たちは口々に「暮らしやすい」と語る。庭付き一戸建てでも平均して月に1万円ほどという家賃も、暮らしやすさの理由だろう。それに加え、三重県から夫婦で移住した稲森章志さんは、

「ここでは、生活していけるところまでちゃんと面倒をみてくれる。移住者にとってはとても心強い」

 と、トマトが育つビニールハウスの前で汗をぬぐった。大手電機メーカーに勤めていた稲森さんに、農業の経験はなかったが、

「島の農業研修制度によって、独り立ちできるまでしっかり教えてもらった」

 とのこと。自立するまで、きちんと生活していけるだけの給与が与えられたうえで、農業を基礎から学ぶことができたという。たしかに、島で新たに就業する人は、条件を満たせば準備金が援助されるし、農業研修を修了すれば、島から農機を通常料金の半額で借りられ、農地の斡旋もうけられるのだ。さらには、

「小さい島なのに保育所が充実しているうえ、高校まである。しかも子どもが小さいうちは、繁忙期になると近隣の人が積極的に面倒をみてくれます。お礼に収穫したトマトをさしあげたら、代わりに魚をいただいてしまったりして」(同)

 そうした作物のやりとりに、現金がからむことはないという。

「これ、“型(かた)”が悪くて出荷できないヤツ。味は大丈夫なんで、どうぞ」

 そう言って、稲森さんは島の人に、ビニール袋いっぱいのミニトマトを手渡した。一粒おすそわけにあずかると、野趣あふれる薫り豊かなトマトだった。ほかにもブロッコリーからエンドウ、キュウリ、メロンまで、惜しげもなくふるまうのが小値賀島の日常だ。

 2キロほど離れた野崎島のダムから、海底パイプラインで水を引き込んでいるので、畑作の灌漑用水にもこと欠かないという。また、意外にも、島には水田もあり、島内では主に地元の米が食べられている。

 だが、言うまでもなく、農業以上に盛んなのは漁業である。イサキやタチウオなどのブランド化が進められているが、島に暮らす人にとっては夏場にサザエやウニなど磯ものの捕獲が解禁になる、通称“磯”がひとつの山場だという。漁業組合に加入していなくても、2500円支払えば参加できる。箱メガネで海を覗くと、“珍味の水族館”で、

「ふだんは足元がおぼつかないご老人も、この時期はスタスタと歩いて参加している」(前出の西山さん)

 また、前出の今田さんによれば、必ずしも“磯”の時期でなくても、

「腰がくの字に曲がったおばあさんが、島で“ぞうてぼ”とか“ふりてぼ”と呼ばれるカゴを担ぎ、ふらりと海をめざして行かれたりします。カゴの中には釣り道具が一式入っていて、見事に晩のおかずを釣り上げてしまう。釣果が少なかったときは、周囲からおすそわけしてもらえます」

■暮らし自体が観光資源

 年間を通しての豊富な水産資源。島はそれを雇用の創出にもつなげている。

「“醤(ひしお)”などの加工食品を産み出して、島の新たな産業にしたい」

 と意気込みを語る吉岡美紀さんも移住者。食品産業に従事した経験はなく、小値賀島で一からこの仕事をはじめた。

 また、和牛の繁殖も盛んで、島のいたるところで立派な牛を見かける。海風を浴びながら牧草を食んで育った長崎和牛は、品評会で全国1位になるほど評判が高いのだ。

 このように第1次産業が充実すればこそだろう、小値賀島の第3次産業にも注目が集まりはじめた。NPO法人「おぢかアイランドツーリズム協会」が推進する「民泊」と「古民家ステイ」という2つの事業がそれで、島民にも移住者にも、島の魅力を再確認するよい機会になっている。

「民家に泊まって、島民の暮らしを味わってもらいます。この島の暮らしそのものが観光の目玉として、都会の人に訴えると思う」

 そう語る前出の高砂さんは、先のNPO法人と足並みそろえて島の観光を促進する「小値賀観光まちづくり公社」の社長でもある。高砂さん自身、この島に移り住んだ理由について、

「家族と一緒に自給自足の生活ができ、なおかつ大手のチェーン店やコンビニがない場所を探していて、小値賀島に出会った」

 と言う。事実、山奥にもコンビニがあるのが当たり前の日本にあって、小値賀島には大資本による店はまったく見当たらない。だからといって、不便であるかというと違う。自給自足が可能なほどにあふれる農産物、水産物の豊かさの前に、現代的な利便性の価値などすっかり霞んでしまう。その意味で、島の民家に泊まること自体が「観光の目玉になる」という高砂さんの話には、説得力がある。

 だが、当初は島民には理解されなかったという。

「旅館は1軒、民宿もちょっとしかない島で、民家に泊まるのが観光になるという意味がわからなかった」

 と正直に話すのは、先祖代々、小値賀島に暮らす漁師。実際、民泊に参加した家は、当初7軒にすぎなかった。それが現在、約40軒までに増えたばかりか、

「民泊した観光客のなかに、本気で移住を考えはじめる人がいる。実際の暮らしを目の当たりにして、移住をよりリアルに考えることができるのでしょう」

 と、役場関係者。観光が結果的に、移住者のリクルーティングにもなっているようだ。

 そんな小値賀島の民泊は、2度も「世界一」に認定されている。アメリカの民間教育団体ピープル・トゥ・ピープルは、高校生を国際親善大使として各国に派遣しているが、2007年と08年、参加者から「世界一」の評価を得たのだ。すでにのべ2000人以上、アメリカの高校生が島を訪れ、

「“また絶対に小値賀に来ます”と、泣きながら帰っていく子も珍しくありません。海外から若者が来るのは、島民にとってもよい刺激になっています」

 と、50代の民泊経営者は誇らしげに語る。

 また、築100年以上の家をリノベーションし、宿泊できるようにした「古民家ステイ」も人気を集めており、島を訪れていた60代の観光客に尋ねると、

「高級ホテルなみの雰囲気を、離島で味わえるとは思いませんでした」

 と満足げである。

■「絶対に移住したい」

 小値賀島の“資源”を活かしたこれらの観光事業は、短期間に華々しい成果を上げている。07年におぢかアイランドツーリズム協会が設立される以前は、島を訪れ、かつ宿泊する観光客は年間数千人程度だったが、すでに2万人にまで増加。島全体の観光収入も、協会設立までは数千万円だったのが、現在は2億円規模に達した。

 ところで、小値賀島には一般的な娯楽施設はほとんどない。パチンコ店、カラオケ店、そして飲食店が点在する程度だが、たったひとつの例外がある。

「“死ぬまでに一度はプレーしてみたいゴルフ場”といったアンケートをとったら、必ず上位にランクインするに違いない、素晴らしいゴルフコースがある」

 と、ゴルフ誌のベテラン編集者が言うのは、島の北西に位置する浜崎鼻ゴルフ場である。

「かつて牧場だった場所をゴルフ場にして、“はまゆう会”という島民の団体が維持管理しています。姫高麗芝が一面に自生しているグリーンの先に、いきなり東シナ海が広がるゴルフ場など、日本にはほかにありません。“日本のセントアンドリュース”と呼ぶ人もいます。こんな場所で毎日ゴルフができたら、どれだけ楽しいか」(同)

 申し込めば誰でもプレーでき、ここでプレーするためだけに、遠方から島を訪れる人もいるという。定期便が着く港の近くで観光客に声をかけると、

「畑仕事をして、魚を釣って、ゴルフもできる。いつか絶対に移住したい」

 と、力強く言い切った。

 昨年、小値賀島の出生数は20名を超えた。島民が5000人以上いた、20年以上前の水準にまで持ち直してきている。

 グローバルスタンダードや自己責任といったかけ声の下、敗者にはチャンスが与えられにくくなった現代日本にあって、今なお、日々の「おすそわけ」が当たり前の島。昔から貧困家族にチャンスを与える文化があり、今もよそ者を積極的に受け入れ、あまつさえ出生数さえ増加している。そんな小値賀島に一歩足を踏み入れれば、閉塞感が漂うこの国の未来に少しは希望が感じられるかもしれない。もっとも、すぐに移住を決意してしまいかねないという“危険性”と隣り合わせではあるけれど。

 ***

白石新(しらいし・しん)
1971年、東京生まれ。一橋大学法学部卒。出版社勤務をへてフリーライターに。社会問題、食、モノなど幅広く執筆。別名義、加藤ジャンプでも活躍し、「今夜は『コの字で』」(原作)がウェブ連載中。

 

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