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冒険せず「金になる車」造る 鈴木修会長兼社長 浜松物語・スズキ(産経新聞)
http://www.asyura2.com/15/hasan96/msg/115.html
投稿者 赤かぶ 日時 2015 年 5 月 03 日 16:26:05: igsppGRN/E9PQ
 

スズキが発売した新型軽自動車「ハスラー」=平成25年12月24日、東京都新宿区(写真:産経新聞)


冒険せず「金になる車」造る 鈴木修会長兼社長 浜松物語・スズキ
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150503-00000503-san-bus_all
産経新聞 5月3日(日)13時15分配信


 −−群雄割拠の浜松で泥仕合にならなかったのか

 「それはありましたよ。ホンダさん、ヤマハさん、スズキオートバイ」

 −−「相手をたたきつぶそう」という気持ちはあったのか

 「どうぞ、どうぞ、だよ」

 −−互いに切磋琢磨(せっさたくま)するというプラス効果もある

 「切磋琢磨っちゅうのは両方がやる場合に切磋琢磨だけど、一方がやるだけじゃ駄目だよ。それは謀略です」

 −−そんなときどう対抗する

 「いや、もう放ってあるんですよ」

 「放っておいたらいいですよ、そんなの。そんなことにエネルギーを使う暇があったら本業をしっかりやったほうがいい。俺は美濃(岐阜県)の出身だけど、(歴史小説『国盗り物語』で知られる)斎藤道三っていう、俺はそんな悪じゃねえ。フェアプレーの精神で行く」

 −−ホンダが軽自動車のスポーツカーを出したとき、「軽は貧乏人の乗る車で、スポーツカーなんていらない」と述べた

 「うん、そう。だから、ハスラーが誕生した。うちらのような場合には趣味で、あんまり売れなくても趣味でいいというようなスポーツカーだとか冒険はできないんですね」

 「実は、悔しいけど。ホンダさんとかダイハツさんは1モデルぐらい売れなくてもシンボルとしてスポーツカー造らせてるんですよ。うちらはその力がないから。1モデルでも金になるモデルを造らにゃいかんっていうことになるから、そういうことですよね。だから、うちでもホンダさんがスポーツカー造られたとか、ダイハツさんがスポーツカー造られてうちも造りたいって言ったけど、これは私が認めなかったんです」

 −−その結果、人気車ハスラーが誕生した

 「で、カーオブザイヤー取った。金になったってことです」

 −−世間からみれば、スズキは堂々たる大企業であり、貧乏人でも中小企業でもない

 「現実がそうだからね。売上高はトヨタさんが26兆円で、日産、ホンダさんは13兆円までいってないもんね。それで俺のとこがまたホンダさんの4分の1ですからね」

 「自分は貧乏人であると自ら言うということでないと駄目なんです」

 −−今年4月からの軽自動車税増税について「弱い者いじめをするな」と、消費者の感性に訴えた。ネットで若者の間で話題になった

 「『弱い者いじめ』って流行語大賞の候補になりゃよかった」

 「俺はストレートだからね。むつかしい言葉を使うことが嫌い。また、むつかしい言葉を考える頭脳はないから、率直に話をするということじゃないかね」(聞き手は産経新聞特別記者 田村秀男)

 

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コメント
 
01. 2015年5月03日 19:41:35 : zt8lI5H7rY
スズキはバイクしか買った事ないが、ヤマハのバイクと比べて動力は強力だけど乗りやすさが劣ると思った。

02. 2015年5月04日 08:54:49 : tedw0qt8Ec
スズキは販売台数では日産以上ですよ。マツダの軽自動車も日産の一部の軽自動車もスズキ製です。
将来の一大市場、インドでも大きなシェアを持っております。

03. 2015年5月05日 21:17:24 : 5pbIw7uOFI
鈴木修社長は、会社の規模に合った堅実な車種展開をしてきた。歴代の車種を見ても、失敗作と呼ばれるものは極めて少ない。反面、冒険はしない。他のメーカーの悲劇を見て、反面教師としたからだろうな。

スズキは1980年代、世界最大の自動車メーカー、ゼネラル・モーターズと提携していた。同社の提携企業とも共同作業していた。日本では、いすゞ自動車がゼネラル・モーターズと提携していて、スズキとも提携した。この、いすゞ自動車が、スズキにとって意外な反面教師になったと思う。

いすゞ自動車は日本最古の自動車メーカーであり、トヨタ、日産と並んで「御三家」と呼ばれていた。商用車では強かったが、乗用車部門は進出以来、ずっと赤字のままだった。トラックの利益を乗用車部門の赤字埋めに使っていたのである。スズキでは考えられなかった。

そのいすゞ自動車がつくっていた乗用車は、1970年代は小型車「ジェミニ」、その上の「フローリアン」、スペシャリティカーの「117クーペ」の3車種であった。他社は、まるで趣味で自動車を作っているなどと揶揄していたものだ。117クーペの後継車として、ピアッツアが1981年より生産開始された。

いすゞ・ピアッツァ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%84%E3%81%99%E3%82%9E%E3%83%BB%E3%83%94%E3%82%A2%E3%83%83%E3%83%84%E3%82%A1

●この自動車が当時ほしかった。今でも欲しい自動車だ。しかし価格が高く、売れなかった。中古車も店に出ることはなかった。当方、それ以上にシトロエンが好きだったが、こちらは外国に住むようになって乗ることができた。しかしピアッツアは、オーストラリアでもGMホールデンが輸入販売していたと聞くが、もう微々たる台数だったらしい。中古車を探しているが、どこにも出ないね。

スズキは、このように最初から不採算だと思われた車種はつくらなかった。だからこそ、他社を尻目に成長し続けることができたのである。しかし、何か物足りない部分もあるね。自動車評論家の言うとおり車種を出していたら、間違いなくメーカーは赤字に転落する。鈴木修社長のやり方は、その意味で正しかったのである。だけど、個人的には、いすゞ自動車の117クーペ、ピアッツアが心に残っている。

スズキで、これらの車種に相当するのは、初代セルボだと思う。リンクしておきます。

スズキ・セルボ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%BA%E3%82%AD%E3%83%BB%E3%82%BB%E3%83%AB%E3%83%9C

フロンテクーペとセルボの比較
https://www.youtube.com/watch?v=3YqH2KDh0-U

昭和55年 SS20セルボ 内外装
https://www.youtube.com/watch?v=8hW9TjzGnwQ


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