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16年ぶりのル・マンで惨敗、ニッサンGT−Rはその名を辱めるほど遅すぎた!(週プレNEWS)
http://www.asyura2.com/15/hasan98/msg/114.html
投稿者 赤かぶ 日時 2015 年 6 月 23 日 09:57:05: igsppGRN/E9PQ
 

16年ぶりのル・マンで惨敗、ニッサンGT−Rはその名を辱めるほど遅すぎた!
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150623-00049680-playboyz-soci
週プレNEWS 6月23日(火)6時0分配信


F1モナコGP、アメリカのインディ500マイルレースとともに「世界3大レース」のひとつとして知られる「ル・マン24時間耐久レース」。

そのル・マンにニッサンがGT−Rの名前を使った奇妙なマシンで参戦した。

ニッサンの本格的なル・マン参戦は1999年以来と、実に16年ぶり。今シーズン、ル・マンを含む全8戦で争われる世界耐久レース選手権(WEC)に「ニッサンGT−R LMニスモ」(以下、GT−Rニスモ)という新開発マシンでエントリーする力の入れようだった。

ところが、ニッサンが持ち込んだこのニューマシン「GT−Rニスモ」とはル・マンのトップカテゴリー、「LMP1−Hクラス」(ル・マン・プロトタイプカー1・ハイブリッドクラス。ポルシェやアウディの他、トヨタも参戦)の常識を根底から覆すフロントエンジン、フロントドライブ…つまり「FF」方式を採用した前代未聞の珍マシン!

しかもコレがシャレにならないほど「遅い」のだ……。

初心者のためにル・マンに出場するマシンのクラス分けを簡単に説明しておくと、トヨタ、ポルシェ、アウディなどが出場する「LMP1−H」は、レース専用に設計された屋根付きのスポーツプロトタイプカーといわれる車体にエンジンとモーターを組み合わせたハイブリッドエンジンを搭載した最上位のクラス。

このLMP1−Hと、通常のエンジンを搭載する「LMP1−L」と「LMP2」までがいわゆるプロトタイプマシンで、いずれもエンジンはミッドシップが基本。ル・マンでは、こうしたプロトタイプとフェラーリやポルシェ、アストンマーチンなど市販車ベースのGTEクラスが混走する形になっている。

ニッサンはLMP−1クラスに常識破りのFFマシンで殴り込みをかけた…のだが、結論から言えばレース結果は「惨憺(さんたん)たる」ものだった。

そもそもマシンの完成が予定より大きく遅れ、世界耐久レース選手権の開幕戦である4月のシルバーストン(イギリス)、5月の第2戦スパ(ベルギー)欠場を早々と発表していた。

そのため事実上、「ぶっつけ本番」に近い形での参戦となったル・マンでは、予選で同じLMP1−Hクラスのポルシェ18号車がマークした最速タイム3分16秒887より20秒以上遅い3分36秒995を記録(ニッサン勢では最速)。

レギュレーションで定められた「同クラストップタイムの110%以内」という基準を満たせず「ペナルティー」対象となり、3台そろってスターティンググリッドをLMPクラスの後方まで下げられる降格処分を受ける始末。

決勝でもスタートから約時間後、日本人ドライバー、松田次生のドライブする21号車が右フロントホイールの脱落でリタイア。他の22号車と23号車は、度重なるトラブルでピットでの修理を繰り返しながらなんとかレース終盤まで走り続けたものの、23号車はサスペンショントラブルにより残り1時間というところでストップ。

唯一、生き残ってチェッカーフラッグを受けた22号車もレースの3分の1、約8時間ピットガレージで修理に費やした結果、合計で242周しかできず規定周回数の不足で完走扱いにもならなかった(ちなみに優勝したポルシェの総周回数は395周)。

ニッサンの技術力を世界にアピールする絶好の機会どころか、返って「GT−R」というブランドの名前を貶める結果となってしまったのだ…。

●発売中の『週刊プレイボーイ』27号では、恥辱の結果となったにもかかわらず悪びれないニッサンチームの“愛のなさ”についてリポートしたこの続きをお読みいただけます!

(取材・文・撮影/川喜田 研)

■週刊プレイボーイ27号(6月22日発売)より


 

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コメント
 
1. 2015年6月23日 12:09:15 : sHcLADhhLp
これもカルロスさんのおかげです。
カルロスさんのふんだくった数十億円があれば
もっとまともな参戦ができていたでしょうに。

カルロスさんって、ホント、寄生虫だね。


2. 2015年6月23日 15:00:44 : BgoqRwveH6
「その名を辱める」ようにわざと参戦した・・・かどうかはわからない。
まあマツダがル・マンで優勝したときの、欧州のあの冷めた空気の映像は今でも忘れない。
詳細や映像はみればわかる。
ル・マンとかは参戦すべきではない。

3. 2015年6月23日 20:46:05 : kKYk7TI9ZU
まあ優勝した車や日本のに勝った車も青色LEDを使わないと、ダイナモの発電負荷が多くなる分、そのタイムは出なかったのだろうから、「日本の技術はスバラシイ」と言う看板をつけて走ってくれた、と見れば良いのではないのかな?
日産車は青色LEDをわざと使わない車で最下位を目指すべきでしたね。

4. 2015年6月23日 21:29:32 : a77N1YxZrg
ミッションに ゴーン成功 ボロ敗けで

5. 2015年6月27日 06:21:57 : gLB0XBDW8A
1978年のことだが、作家の高斎正(こうさい ただし)氏が、小説「ニッサンがルマンを制覇する時」を執筆された。

高斎正
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E6%96%8E%E6%AD%A3

●1966年8月に日産自動車に吸収合併されたプリンス自動車は、かつての中島飛行機の末裔。GHQによる解体と航空機産業の禁止で自動車に転向。同じ中島飛行機だった富士重工は、スバル360とサンバーで軽自動車に進出。敗戦で痛めつけられた当時の日本は貧しく、自動車なんて夢のまた夢だった時代。軽自動車に進出したのは妥当な経営判断だったと言えよう。

ところがプリンス自動車は違った。彼らは現在の天皇陛下(明仁親王)にスカイラインを献上した。当時の明仁親王・皇太子殿下は自ら颯爽と運転されたのである。プリンス自動車は、同業他社と違って最初から欧米と張り合う姿勢を見せたのである。第二次世界大戦で負けて航空機を禁止されたものの、それならば自動車で連合国に勝ってやろうという意気込みである。

プリンス自動車の石橋社長は、部下の中川良一氏に、日本グランプリに勝てる車種の開発を命じた。中川良一氏は、中島飛行機の2,000馬力級航空機エンジン、誉(ほまれ)を開発した人物である。

中川良一
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%B7%9D%E8%89%AF%E4%B8%80

第二回日本グランプリでは、ポルシェ904と歴史的大接戦を演じ、ここからスカイライン伝説が生まれる。スカイラインは、欧米のスポーツカーと互角に戦える自動車であり、航空機を失った日本が、自動車分野で彼らに勝つための兵器でもあった。

プリンス自動車は経営危機を迎えたが、社長は本格的プロトタイプ・レーシングカー、R380を開発させる。これはミッドシップ配置のエンジンを備え、4バルブDOHCであった。まさしく、自動車の「誉」エンジンであった。

プリンス・R380
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%BBR380

このプリンスの作品は、日産自動車にも引き継がれた。富士スピードウェイで開催された日本グランプリでは、ポルシェ906と死闘を演じた。

Prince R380 vs Porsche 906 in 1966 Japanese Grand Prix
https://www.youtube.com/watch?v=b_zCeEkw7LI

日産自動車はR380の後継車として、R381を開発した。5ℓのV12エンジンを自社開発して搭載する予定であったが、間に合わなかったため、アメリカGM製のV8エンジンを搭載した。

日産・R381
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E7%94%A3%E3%83%BBR381

日産自動車はR381に続いて、自社開発した5ℓのV12エンジンを搭載したR382を開発。宿敵トヨタも対抗してトヨタ7を開発。1969年の日本グランプリには、当時世界最強のポルシェ917も参戦したが、そのような中で日産R382は勝利したのである。これは、今に語り継がれる歴史的快挙であり、日本は外国のレーシングカーに勝利したのである。

しかし、本場の欧米のレースに参戦して勝利しないと、国際的な名声は得られない。日産自動車は、アメリカのカンナムに挑戦することを真剣に考えていた。この勢いで、次はルマンに行くつもりであった。

Nissan R382 | V12 Sound | Onboard
https://www.youtube.com/watch?v=An-ObSOnj10

しかしアメリカで自動車の排気ガス規制(マスキー法)が成立し、これに対応できない自動車メーカーは販売できなくなることから、日産自動車はレース活動から手を引いて排気ガス対策の研究開発に全力投球することを決定。レース活動はここに途絶えたのである。

●どうですか。日産自動車は、あのプリンス自動車のレース活動を引き継いでいたのです。第二次世界大戦に負けて、連合国は日本の航空機産業を禁止した。こんな逆境に負けてたまるか。その執念から生まれた数々のレーシングカー。あいつらに自動車で勝ってやる。その意気込みがみなぎる日産自動車。年配の人たちは、このような経過を知っているからこそ、日産に拘るのです。

その日産が、こんな「情けない」自動車をつくって負けるとは。酷いものですね。その情けない自動車を作らせたゴーンは、年収なんと10億円ですよ。いい加減やめてレバノンでもシリアでも行ってくれ。ISILとのスリリングな死闘で世界に貢献してくれよ !!


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