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「実質的なアジアの首都」シンガポールの建国の父・リー・クアンユー元首相が亡くなりました(古村治彦の酔生夢死日記)
http://www.asyura2.com/15/kokusai10/msg/381.html
投稿者 五月晴郎 日時 2015 年 3 月 30 日 03:55:22: ulZUCBWYQe7Lk
 

(回答先: シンガポールのリー・クアンユー元首相が死去−建国の父 (Bloomberg) 投稿者 五月晴郎 日時 2015 年 3 月 23 日 11:15:59)

http://suinikki.blog.jp/archives/25452388.html

2015年03月26日

古村治彦です。

 2015年3月23日、シンガポールの建国の父であるリー・クアンユー元首相が91歳で亡くなりました。謹んでご冥福をお祈りします。

今回記事を書いている、パラグ・カンナについてですが、私は『ネクスト・ルネサンス』(講談社、2011年)という本を翻訳しました。若手の国際政治学者です。

リー・クアンユーについて、そしてシンガポールについて、この論文を通じて学んでいきたいと思います。

==========

リー・クアンユーのライオン・シティーよ、永遠なれ(Long Live Lee Kuan Yew’s Lion City)

―シンガポールを長年にわたって率いた指導者が亡くなった。しかし、彼の考えは彼が作り上げた国でこれからも生き続けることだろう

パラグ・カンナ筆

2015年3月22日

『フォーリン・ポリシー』誌

http://foreignpolicy.com/2015/03/22/long-live-lee-kuan-yew-s-lion-city-singapore/

 ヘンリー・キッシンジャーは彼を「歴史上の非対称」と呼んだ。マーガレット・サッチャーは「彼は決して間違わなかった」と言った。バラク・オバマは彼を「アジアにおける伝説的な人物の一人」と呼んだ。トニー・ブレアは「私がこれまで出会った中で最も優秀な指導者」だと語った。サミュエル・ハンチントンは、彼は20世紀の「優秀な建設者」の一人だと述べた。

 シンガポールの建国の父リー・クアンユーが2015年3月22日に亡くなった。彼について言えることは単純なことである。それは、21世紀において彼は最も称賛される指導者の一人だということだ。

 リーはこの8月に迎えるシンガポール建国50周年まで数カ月を残して亡くなったことを残念に思っていることだろう。しかし、彼が1959年から1990年まで率いた国シンガポールが植民地から独立した国々の中で最も成功を収めた国であることを知りながら安らかに眠りについたかもしれない。ペルシア湾岸地域の諸王国はうわべだけ立派だが、戦争、クーデター、石油価格の低落に苦しんでいる。アフリカは植民地時代の傷を癒すのに半世紀を要している。インドはようやく力を結集して経済成長を始めたばかりだ。更に言えば、シンガポールは経済成長を遂げた。1965年の一人あたりのGDPは516ドルであったが、現在では5万5000ドルにまでなっている。

 シンガポールは元植民地の国々と自国を比較することを止めて久しい。シンガポールは、競争力、住みやすさ、義塾革新、その他の指標で世界のトップグループに入っている。シンガポールはサウジアラビアよりもスイスに近い。最近、ある西洋人のジャーナリストがシンガポールに仕事で赴任した。彼はシンガポールの切れ目のない効率性、伝説的な清潔さ、超高層ビルと浜辺の適切な混合に魅了されていった。彼と私がお酒を飲んでいる時、彼は「近代性は今や東から始まり、西に流れている」と呟いた。私も2年前に事実上のアジアの首都シンガポールに居を移したが、同じことを感じている。シンガポールは驚くほど住みやすい都市だ。飛行機で4時間の範囲に40億人が住んでいるのである。(情報公開:私はこれまでいくつかのシンガポール政府の各部署と企業の有給の顧問を務めている)

シンガポールは、1963年にイギリスから、1965年にはマレーシアから独立した。独立当時、リーが参考にすべき国家建設モデルはほぼ存在しなかった。1950年代と60年代、リーはスリランカからジャマイカまで各国を訪問し、イギリスの元植民地の国具で真似ることが出来る国を探した。幸運なことに、リーは全く別のモデルを選んだ。彼はオランダの都市計画と埋め立て、石油・天然ガス会社最大手のロイヤル・ダッチ・シェルの経営構造、シナリオを中心とした戦略作成を学ぶ決心をした。「シンガポールは世界で最もうまく経営されている会社だ」とよく冗談のネタにされている。こんな冗談がうまれるのもリー・クアンユーがいたからだ。

アジア的な方式は借りることと改善することで成り立っていると考えられている。リーはそれをかなりうまくやってのけたのだ。その一つがイスラエルの徴兵制である。しかし、彼はまたシンガポールで生み出し世界で真似られているオリジナルのそして革新的な政策を実行した。交通渋滞を緩和するための電子道路課金システムはロンドンとストックホルムで利用されている。一方、エストニアと韓国では個人特定パスワードであるシングパスの自国版を利用している。これはデジタル身分認証システムで、政府のデータとサーヴィスをインターネットで利用できる。

 シンガポールは人口当たりの大富豪の割合が最も高い国の一つである。収入格差は大きいままだ。しかし、シンガポールで最低の収入層で生まれ、トップの収入層にまで上昇する人々の数はアメリカの2倍になる。コロンビア大学経済学教授ジョセフ・スティグリッツは、2013年に有名な記事を発表した。この中で、アメリカはシンガポール様式の効果的な公共住宅と年金システムの必要性を強調した。

リーはシンガポールを東京に次いで世界第2位(エコノミスト・インテリジェンス・ユニット調べ)の安全な大都市に作り上げた。「法と秩序」の順番は逆だとリーは主張した。秩序が最初に来て、法は次だというのだ。もちろん、リーにとって秩序は公共の安全と政治の予測性が高いことを意味していた。リーはイギリスのケンブリッジ大学で法律家としての訓練を受けた。リーは政治の世界に入って来て自分のライヴァルになりそうな人物たちを躊躇なく排除した。作家、大学教授、ジャーナリスト、法律家、批評家といった人々が排除された。彼らは破産させられたり、投獄されたりした。もっと酷い場合には破産させられた上に投獄された。西洋諸国のマスコミがチューインガムと落書きに対する厳しい罰則に目を向けている間に、リーは政治的なライヴァル、チー・スウンジュアンとJ・B・ジェイアレトナムを排除した。

リーは頑固であったが、それまでのやり方を変化させることを恐れなかった。社会主義からリバータリアニズムまで、彼は、シンガポールにとって適切なモデルを見つけるまで、実践的に思想の良い部分を取り入れた。このモデルが、自由奔放に動き回る乳母国家(freewheeling nanny state)である。彼はこの複雑な世界において矛盾を恐れてはならないと考えた。彼が残した有名な言葉に「私は常に正しくあろうとしたが、それは政治的な正しさという意味ではない」がある。

リーは権力の継承者を探すのに苦労した。まず、1990年から2004年まで首相を務めたゴー・チョクトンに権力を譲った。その次にリーの息子であるリー・シェンロンが首相になった。リー・クアンユーは、彼個人ではなく、シンガポールのシステムに対して世界が注目することを望むだろう。リー・クアンユーが存命中であれば、彼が力強い実力者であるか、目立つ人物であるかについて考えることも良いだろうが、今では、基準となっているのは、個人や個性ではなく、機構なのである。リー・クアンユー主義はリー・クアンユー個人ではない。これこそは、リー・クアンユーが21世紀を象徴する人物である理由であり、西洋民主政治体制の象徴的人物であるトーマス・ジェファーソンやヨーロッパ連合の創設の父ジャン・モネが21世紀を象徴する人物ではないことの理由でもある。

 20世紀、超大国がブロック化し、それぞれが争っていた。21世紀は自治都市国家と州(省)が数多く共存する時代である。約150の国々は人口1000万人以下である。こうした国々の指導者たちは、ワシントン(アメリカの首都)、ブリュッセル(EUの中心)、北京(中国の首都)ではなく、シリコンヴァレー、ドバイ、シンガポールに目を向け、インスピレーションを受けている。

 当時の中国の最高指導者ケ小平は、1978年、シンガポールを訪問した後に深圳経済特区を創設した。30年に及ぶ前代未聞の中国の近代化がここから始まった。これ以降、シンガポールは、中国全土に工業化された都市を建設し、統治する際に参考となってきた。インドの政府高官たちはインド首相ナレンドラ・モディが選挙期間中に100の「スマート都市」建設を公約に挙げるのを手伝った。21世紀は都市化の世紀であるが、世界第1位、第2位の国家がそれぞれ、シンガポールのような繁栄した都市の集合体として主権国家になろうとしているのだ。

 シンガポールには統治がある。シンガポールのスタイルは、西洋諸国の政府が行っているようなひどい行き当たりばったりの対処は言うまでもなく、テクノクラートをうまく使い、現代の民主政治体制の欠点を少なくすることは明らかだ。シンガポールのスタイルが持つ解決法、それは、データ主導の統治であり、実力主義の公務員システムである。

シンガポールの公務員システムは螺旋階段のようなものだ。各段階で公務員たちは、全く別の省庁でキャリアを積み、幅広い知識と実戦的な経験を積む。対照的に、アメリカ政治はエレベーターみたいなものだ。ある人がシステムの一番下に入って、そこから一気にトップにまで行くことが可能なのだ。その間で学ぶべきことをスキップすることが出来るのだ。選挙前、選挙期間中、選挙後、国民に対して常に問いかけ、主要な指標で進歩を測定することがシンガポールの特徴なのである。そこにあるのは政策であって、政治ではない。

現在、シンガポールの最高指導部は、「情報国家(info state)」と私が呼ぶ適応力の高いモデルを構築中である。このモデルでは、データと民主政治体制を混合した形での統治が行われる。データは、シンガポールの「スマート国家」戦略において具体化されている。この戦略では、全ての国民が年金から納税までをそれぞれの持つモヴァイル装置で行えるようにするというものだ。

 民主政治体制の構築は進行中である。2011年、与党人民行動党は得票で過半数を得られなかったが、何とか議会で過半数を維持した。2016年、有権者たちは政治的な多様性をより推し進めていくだろう。政治的な多様性の欠如のために、シンガポール国民の「幸福度」調査の結果はいつも低いものとなっている。本当のところは、シンガポール国民は他の国々の人々同じく位に幸せではあるが、決して満足している訳ではない。建国の父と同じくらいに、若いシンガポール国民は矛盾を抱えている。彼らは不平不満を漏らす完璧主義者でありながら、野心的な怠け者である。リーは、複雑になり続ける世界における創造的な問題快活者である。シンガポール国民の次世代は、リー・クアンユーのようにならねばならない。これからのシンガポールはリー・クアンユーと同じくらいに時代を象徴する存在となっていくのだから。

(終わり)  

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