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中国の「犬肉祭り」に思うこと
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投稿者 rei 日時 2015 年 6 月 26 日 16:42:04: tW6yLih8JvEfw
 

 中国の「犬肉祭り」に思うこと

2015年 06月 26日 15:27 JST

Kim Kyung-Hoon

[玉林(中国)25日 ロイター] - ハンマーで殴られて気絶させられ、絞め殺される犬たち。その後、丸焼きにされ、吊るされた状態で店頭などに並ぶ。この光景は、中国南部の広西チワン族自治区玉林市では、夏の「風物詩」となっている。

「犬肉祭り」はこの5年ほどの間で、中国国内でますます物議を醸している。

「犬を食べるのと、牛や豚や羊など他の家畜を食べるのと何が違うんだ」。地元住民のニンさんはこのように話す。

ニンさんには、玉林市郊外の美しい農家で出会った。家族や友人と共に、この「伝統的なごちそう」を食べるために当地を訪れたという。犬肉は豚肉と野菜、そして地元で作られたライチ酒と一緒に出される。

写真は撮らせてくれなかったニンさんだが、「皆と同じように、自分も子供のころに犬を飼っていた。私たちはペットの犬と食用の犬を区別している。犬肉は日常の食卓にのぼるものではない。大半の人は年に数回、特別な日に食べるだけだ」と説明した。

多くの住民は、この伝統がメディアの報道によって誤って伝えられていると不満を口にした。玉林市を訪れる前、私は同僚から、こうした感情から写真を撮るのは難しいかもしれないと言われていた。

しかし、私と同僚のテレビカメラマンは、街を案内してくれるという地元住民に会うことができた。

彼は初めに、私たちを小さな犬肉レストランに連れて行った。昼時は過ぎていたが、店は客でにぎわっていた。

「犬肉はおいしいし、体にいい。なぜ中国人はこの伝統をやめなくてはいけないのか」と多くの客が言った。

文化の多様性という点から言えば、彼らの主張も無理からぬことだと言えるかもしれない。だが、犬肉処理場と市場を見て、私は考え直した。

暗くて粗末な処理場の裏通りでは、耳をつんざく犬の断末魔の叫びが聞こえた。地面は血の海だった。そこには、殺された犬たちが積み上げられていた。

犬肉処理者と販売者は、写真を撮ろうとする者には誰に対してもとても攻撃的な態度を見せた。彼らは私たちに罵声を浴びせ、犬肉処理者の1人は大きな木の棒で私たちを追い払おうとした。

動物の権利に対するこのような彼らの無知と虐待が、インターネット上で多くの中国人を、犬肉祭り廃止を求める署名へと駆り立てた。

生きた犬が売買される市場とは、かくも悲惨なものなのか。雑種の、たいていは薄茶色と黒色の犬が、小さなおりに目一杯詰め込まれている。玉林市の住民たちは、こうした毛色の犬の方が他の犬よりもおいしいと好むという。

私は写真を撮る間、とても慎重にならざるを得なかった。

一部の犬は見るからに病気で弱っていて、ひどい扱いを受けていたように見えた。暑さにやられ、恐怖におびえた犬たちは、狭いおりのなかで息を切らしていた。業者は犬を荷物のように扱っていた。

この市場は、犬肉食を支持する人たちと動物愛護活動家との戦いの場となっている。

数十人の動物愛護活動家がやって来て、犬を助けるべく業者から買い取ろうとしている。しかし最初に活動家が直面するのは、犬肉食を支持する一部の怒った住民からの反発だ。犬肉祭りが始まった朝、活動家たちは市庁舎前に反対の横断幕を掲げた。

犬肉を食べることの是非について、私は判断を差し控えたい。ただ私がつらいのは、犬たちが食肉処理されるひどい環境と、殺される前の扱われ方だ。犬が人間の最良の友だと思おうが思うまいが、このような扱いを受けて当然だとは思わないだろう。

  http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPKBN0P60HJ20150626#10  

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コメント
 
1. 2015年6月26日 19:37:24 : ViqL6eI1ho
牛や豚を殺すんだって、鶏を殺すんだって、生き物を殺生して食うことを長年当たり前のように続けてきた我々人間。
愛玩動物だから可哀想だとか、知能が高いから止めるべきだとかいう感情論に依拠しては、これら一種の奇祭的な食文化への介入を由とすることはできないだろう。
止められることがあるとしたらそれは、犬を食うより旨く手ごろな食い物が取って代わるほかない。
イルカ漁とそれによってもたらされてきた動物性タンパク質の摂取は、今ではイルカや鯨に頼らずとも可能になったし、珍味として食す以外、食文化保護という観点からはどう見ても遠い。
犬食いもそうなれば自然淘汰するだろうが、民族文化史という側面から見ると奇祭奇食は生活と自然の織り成しを反映してきた部分もないことはなく、野蛮だからとか食うに困らない生活をしているのに犬を食う必要がないという正論はかえって、犬(イルカなど)に代わる他の動植物を人目につかぬ場所で大量にしかも定期的に間引いている現実を見もせずにきれい事を言うなという反論を生むだろう。
なかなかに厄介な問題ではある。

2. 2015年6月28日 05:08:00 : hRHDOPUoY2
野蛮な食文化であることは確かだ。
殺生は、罪だ。

3. 2015年6月28日 09:10:29 : zzUar0es3s
食文化は動植物を定期的に、あるいは大量的に間引く殺生によって成り立っている。
殺生は罪だ、は正しいが、野蛮でない食文化など人間の営みに存在しない。

霜降りの高級牛肉を見て舌なめずりしながら、犬や猫の可愛い動画を見て癒されると悦に入り、保健所で引き取り手のない野良犬野良猫の殺処分やそれに至る野良猫の放置など、一方で愛玩動物として溺愛しながら他方では野良猫の糞や庭先侵入に激怒して毒入りの餌で殺すなどして処置するなど、人間という生き物は矛盾の塊だ。

犬を食うのは文化的相対主義に合致するか否か?
そう設問することができるのは人間だけであり、それに対する答えを用意できるもの人間だけだ。
その答えに否を投じても、あるいは限定的に理解を示しても、動植物たちになんの決定権も用意されていない以上、いや、動植物たちの存在が自然と同じくあるべくしてある以上、その存在は人間の都合によって手を入れられることは逃れ得ない。
自然に抗うことで自然を征服してきた人間たちが、自らの都合によって自然をコントロールする矛盾を自覚していないくせに、賢しらに自然保護を訴えたり異なった食文化を野蛮だと非難することはただの驕りである。
そこには動植物にとっては、人間もただの自然の一種に過ぎず、人間もときに捕食の対象であることを忘れがちだ。


そして人間が襲われればただちに害獣種として殺されるのである。
そういった人間の身勝手さを自覚しない文化相対論や、それをふりかざす者たちこそ自然(動植物)に対する冒涜だと俺は思う。



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