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要約の達人 人間は「脳」の下僕?自由意思は存在するのか 『は脳に操られているのか』
http://www.asyura2.com/15/nature6/msg/437.html
投稿者 軽毛 日時 2016 年 12 月 13 日 02:14:30: pa/Xvdnb8K3Zc jHmW0Q
 

要約の達人 from flier
【第24回】 2016年12月12日 flier
人間は「脳」の下僕?自由意思は存在するのか
『<わたし>は脳に操られているのか』
要約者レビュー


『<わたし>は脳に操られているのか』
エリエザー・スタンバーグ著、太田 直子訳
334ページ
インターシフト
2300円(税別)
 私たちは、<脳>に操られるマリオネットなのだろうか? 本書はその疑問に正面から立ち向かった意欲作だ。

 本書『<わたし>は脳に操られているのか』には、脳が私たちの心や行動を操っている研究や事例が次々と登場する。脳障害による人格の変貌、心を変えるクスリ、犯罪傾向のある脳の特色――こういった例を見聞きしていると、人間の思考や行動は脳によって支配されており、自由な意志など存在しないという「決定論」が正しく思えてくるかもしれない。事実、神経科学者の間では、そういった意見が多勢を占めているのだという。

 だが、著者は神経科医という立場にありながら、「自由意志」はあると声高に主張する。つまり、脳による無自覚な決定を超えて、人間には意識的に熟考する能力があると考えているのだ。

 神経科学・認知科学における自由意志の主な論点が、本書では次々と登場する。そのため、「神経哲学」と呼ばれる、日本ではあまり知られていないこの分野の概観を把握するうえでも、きわめて役に立つ一冊と言える。同時に、読みすすめていくうちに、この問題がいかに広範な領域をカバーしているのかに気づかされるはずだ。

「脳と心は別物である」というたんなる二元論に陥らず、脳自体がアルゴリズムを基盤としていることを認めたうえで、いかにしてそこから自由意志の存在を明らかにしていくのか。その議論の行方は、ぜひご自分の目で確かめていただきたい。 (石渡 翔)

本書の要点

・現代の神経科学者のほとんどは、私たちの選択や信念、行動が、すべて脳によって決められていると考えている。これがもし正しければ、道徳的責任は原理的に存在しないことになる。
・自由意志がないと考えるのは早計である。科学者のあいだで、決定論が優勢なのは、それがたんなる世界観だからにすぎない。
・私たちの意思決定は、特定のアルゴリズムを経て、思索的内省へと移ったあとで下されている。この内省こそが、人間の自由意志を構成している大きな要因である。

要約本文

◆私たちの決断はすでに脳が下しているのか
◇道徳的責任の所在

 一般的に、私たちは自分には自由意志があると思っている。だからこそ、それぞれの判断には責任が伴うと考えられているし、どう行動するべきなのかをよく吟味し、苦労しながら結論を導かなければならないと信じている。このように、道徳的責任についての考えは、人は自分の思考と行動をコントロールできるという前提の上に成り立っている。

 一方、現代の神経科学者のほとんどは、物事の決定をくだしているのは意志ではなく脳だと考えている。彼らによれば、私たちの選択や願望、信念、思案、行動といったものは、すべてニューロンの通信によって決まっており、そこには判断の自由は存在しない。こうした考えを「神経生物学的決定論」と呼ぶ。この場合、自由にならない行動に道徳的責任を負うことはできないため、道徳的責任は原理的に存在しないことになる。

◇そもそも自由意志とは何か

 現代の哲学において、自由意志に関する考えは大きく分けて2つある。

 1つは、「自由を有する自己が持つ思考と行動をコントロールする能力」を自由意志と見なす考えである。あらゆる行動は、それについて熟考する機会があるからこそ、自由な行動である。熟考する能力と行為を開始する心の働きが組み合わさって、自由意志を構成しているというわけだ。つまり、自由意志は心の力であり、人の知的能力が損なわれていない限り、確実に存在する。

 だが、あらゆる人間の行動の自由意志を無効にできるものがある。それは脳だ。もし神経生物学的決定論が正しければ、私たちの思考と決断を決めるのは脳であり、脳が心をコントロールしているという状態になる。その場合、自由意志があるとは見なされない。そのため、自由意志は神経生物学的決定論と真っ向から対立する。

 もう1つの自由意志の考え方は、自由意志と決定論は両立するというものである。これは「両立論」と呼ばれる。これが可能なのは、両立論者は自由意志を「意識の能力ではない」し、「そもそも能力ですらない」と主張しているからだ。両立論における自由意志とは、たんに「ほかに取りうる選択肢がある」という意味にすぎない。もし選択肢自体が存在しているのであれば、選ぶものが仮に脳の働きによって決定されていたとしても、自由はあるというのが彼らの言い分なのである。

 このような両立論を受け入れることは、自由意志の問題自体をすべて否定するのと同義だ。しかし、科学の完璧な因果律をすんなり信じられる立場でありながら、人間の自由という発想も含まれている理由から、両立論を受け入れる科学者は非常に多い。

◇決定論者の考える意識の生まれ方

 特別な意思決定力のある道徳的主体性が、どうやってコンピューターのように意識のない神経系の機構から生まれるのか、興味深い2つの仮説がある。 そのうち1つは神秘論的なものであり、もう1つは科学的なものだが、どちらも満足とは程遠い回答だ。

 神秘論的な答えとは、行為主体性をもつ人間の意識を、根本的に脳とは異なるものととらえる「二元論」のことである。これは17世紀の哲学者、ルネ・デカルトに端を発したもので、心を身体(=脳)から切り離して捉える見方だ。

 ただ、このような考え方は、今や科学界では嘲笑の対象となっている。たしかに、心と体が別だと考えれば、自由意志と道徳的主体性は存在するとあっさり断言できる。しかし、二元論を裏付ける科学的証拠は一切ないのが実情である。

 一方、科学的な答えのひとつは、「創発」あるいは「創発特性」と呼ばれるものだ。創発特性は自然界のあちこちに見られる。例えば、油はベトベトするが、それを構成する化学元素はそうでない。同様に、砂糖は甘いが、その成分には甘さのかけらもない。この発想をニューロンにも適用し、意識も行為主体性もないニューロンがたくさん集まって相互作用を起こすと、そこにパーツの合計以上のものが現れると考えるのが創発論だ。

 意識問題のさまざまな面にとりくむ科学者の多くが創発論を受け入れているし、実際に意識は脳の創発特性によるものなのかもしれない。だが、こういった創発論は自由意志と道徳的行為主体性の議論にはあまり役に立たない。なぜなら、創発特性はパーツの合計以上ではあるが、「それでもそのパーツによって決まる」からだ。成分によって決定している以上、結局のところは決定論の支配から逃れられていないのである。

◆決定論を否定する
◇決定論はただの世界観である

 現在の決断に関する研究は、ほとんど事前の考慮が必要ないものばかりだ。そのような研究だけをもとに、自由意志がないと考えることには早計である。

 科学者のあいだで、神経生物学的決定論が人間の行動に関する前提として優勢なのは、理論というより世界観だからに他ならない。科学者の多くは、自然界の多くのものが決定論的に動いているため、ほかもすべて決定していると信じることにしているだけである。

 実験室での物理的相互作用が決定しているのだから、人間の行動もすべて決定しているというのには明らかに飛躍がある。ある出来事が起こったあと、決定論的原因のせいだとするのは簡単だが、その説明が正しいとほんとうにわかるかといえば疑問だ。もっと言えば、ある出来事をもたらす要因または影響力であることと、原因であることは異なるのである。

 自由意志は人間行動に対する常識的な見解であるため、仮にこの見解を退けようとするのであれば、その立証責任は決定論者の側にある。そして、現在の決定論仮説では、人間の深い意思決定のケースを扱うことができていない。

◇アルゴリズムだけでは不十分である

 すべての意志や思案、行動といったものを、ある一連のアルゴリズムと方程式のアウトプットと見なすのが決定論だ。そしてそれはすなわち、充分なデータさえあれば、どれも数学的に推論できるということである。

 だが、厳密な一連のルールで定義できない「限りのない問題」は無数にある。創意あふれる原稿を書いたり、戦略的情報について道徳の観点から熟考したりするという課題は、特定のルールにもとづくシステムだけでは対処できない。そして私たちには、決定論的なシステムに解決できないはずの問題を、うまく解決してみせる能力が備わっている。したがって、私たち自身の考えや行動が、特定のアルゴリズムから導き出された結果だとは言えないはずだ。

(改ページ)

【必読ポイント!】

◆思索的内省
◇アルゴリズムから内省へ移行する

 私たちの意思決定は、アルゴリズムだけによって導かれるのではなく、経験の蓄えられた内面世界を意識的に旅することによって行われる。

 利用できる無限とも思える量の情報から、とくに重要だと判断した要素についてだけ思索し、重要でないものは放っておく。熟考のあらゆる段階で、自分の目的と方法について思索し、心のなかをどうさまようかについて思案する。これが「思索的内省」の真髄であり、この能力こそが人間の自由意志を構成している。

 もちろん、私たちの決断は、内省だけでもたらされるわけではない。脳、すなわちアルゴリズムは、たしかに私たちの自由意志に影響を与えている。それは事実だ。だが、たとえ決断をするうえでの最初の一歩がアルゴリズムによってもたらされているのだとしても、最後の一歩はやはり内省なのである。

◇ソマティック・マーカー仮説

 研究者のアントニオ・ダマシオが提唱したソマティック・マーカー仮説は、アルゴリズムから内省への移行を説明する有力な仮説だ。これによると、私たちが何かを経験するたび、それに関連するなんらかの感情または身体症状が生じる。その感情は神経系に刻みつけられ、その出来事と記憶を結びつけられて、ソマティック・マーク(身体的標識)として残る。

 ソマティック・マーカーは、本人が気づいていないときでも意思決定に影響する可能性がある。公平な心で決断を下していると思っても、実際には無意識のバイアスがたくさんかかっているし、プラス面とマイナス面を純粋に比較したと思っていても、そもそも比較のやり方がソマティック・マーカーの働きによって偏っている。

 だが、ソマティック・マーカー仮説は、私たちの将来がアルゴリズムで決定していることを意味しない。たしかにこれらのマーカーは私たちのすることをある程度コントロールするが、それだけではない。ソマティック・マーカーはあくまで影響をおよぼすだけで、最終的な決断を下すのは意識のある自己である。すなわち、意志の力には厳しい制限がかけられているが、それでも最終的な発言権はあるということだ。

 ソマティック・マーカーは、知覚的な刺激と、過去の情動や記憶・意識的な経験のあいだをつなげる。そして、その連携は、脳内の前頭葉が担っている。これに似て脳は、まず知覚や経験のデータ処理をアルゴリズムとして行いながら、内省的な思索へと移行していくのではないか。だからこそ、アルゴリズムで解釈できなかったものが、その重要性をじっくり検討できる脳のシステム、すなわち意識のある行為主体に移されるのである。

◇解明には新たなアプローチが必要

 意識は脳から生まれている。それはあらかじめ決定されたものではないし、逆にまったくのランダムでもない。脳そのものが厳密な生物学的システムであるにもかかわらず、それが可能なのは、特殊な「創発」が起きているからだと考えられる。

 つまり、意識はニューロンの相互作用から、新たな特性を持ちながらも、決定していない状態で出現している。それはまるで、アイザック・ニュートンの物理学が、決定論の法則にしたがっていながらも、その決定論自体は非決定論的でランダムな量子レベルの相互作用から生まれているのと同じである。

 科学者が意識についてほとんど何も理解していない理由のひとつは、意識がこうした非アルゴリズム的性質を持っているからだ。人間の意思決定はルールにもとづくものではない。自由意志と行為主体性は、脳の決定論的および非決定論的相互作用から生まれるものかもしれないが、依然として予測不可能なふるまいをする可能性を消すことは不可能なのである。

 意識が科学者の理解を超えているもうひとつの理由は、科学者のアプローチの仕方にある。思考、決断、そして意志による行動を、生物学的な働きの一部だととらえてしまえば、謎の解明は期待できない。意識の研究を行なうためには、これまでにない新しいアプローチが必要になるはずだ。

 そのためには、物理学の理解を拡張することが必要不可欠である。ボーアの時代、物理学という分野は、量子の相互作用を説明するために広げられた。これからの物理学も、思考の相互作用を含めるよう、再び拡張されるべきなのかもしれない。

一読のすすめ

 これは、自由意志という基盤を、「脳」から取り戻そうとするための冒険譚だ。神経科学、心理学、コンピューターサイエンス、哲学、文学、そして量子物理学……とにかく本書が扱う範囲は多岐にわたる。ぜひ、知を総動員してぶつかっていただきたい一冊である。

評点(5点満点)


※評点基準について
著者情報

エリエザー・スタンバーグ (Eliezer J. Sternberg)

 イェール大学附属のイェール・ニューヘイブンホスピタルの神経科医(レジデント)。脳神経科学と哲学をバックボーンに、意識と意思決定の謎について研究している。本書を含め、3冊の著作がある。
http://diamond.jp/articles/-/110492?  

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コメント
 
1. 2016年12月18日 08:44:23 : F9uwab2vpM : sUT3eqZW4IE[59]
原書を読まないでのコメントですが、「脳と心」に関しする、これまでの見解の中で一番、真理に迫っているようですね。
これまで「心脳問題」とされていた問題の解決法は、どれも無理があって、完全に行き詰まっているように思っていましたが、この発想なら、多くの研究者(脳科学者も哲学者も)なっとくできるのではないのでしょうか。

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