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昨年8月のヨルダン現地対策本部設置がポイント/世界に広げよう I am not Abe @
http://www.asyura2.com/15/senkyo179/msg/369.html
投稿者 街カフェTV 日時 2015 年 2 月 04 日 13:03:04: Hm7C6dkbN36Gg
 

元記事はこちら

http://blog.goo.ne.jp/kochi53goo/e/c542f81705d3be3eb7a521fd3029363a

安倍政権は、昨年、8月に湯川さんが拘束された直後に、イスラム国に敵対し空爆するヨルダンに現地対策本部を置いた。。。中立的なトルコを選択しなかったのは何故か?

最初から、人質の命を助けることよりも、アメリカ主導の空爆(有志連合)の支援を優先していた事は明らかだ。

また、湯川さんの民間軍事会社の業務内容に「治安不安定危険地域での情報収集活動」があるということは、そこに業務委託資金を出していた企業・団体(あるいは政府機関)が存在するはず。

こうした部分を掘り下げて、安倍政権の嘘を見極めなければならない。

野党は国会論戦で的確にこの点を突いて安倍首相の嘘を晒して欲しい。



         世界に拡げよう


I am not Abe !!




【ヨルダンに現地対策本部、昨年8月設置していた】 

http://www.yomiuri.co.jp/politics/20150128-OYT1T50023.html 

 「イスラム国」とみられるグループによる日本人人質事件で、政府は27日、湯川遥菜はるなさん(42)が拘束された昨年8月中旬にヨルダンに現地対策本部を設け、人質解放に向けて早くからヨルダン政府と連携してきたことを明らかにした。

 安倍首相は27日の衆院本会議での代表質問で、「行方不明事案の発生を把握した直後に現地対策本部を設置し、協力要請を行ってきた」と答弁した。 

 菅官房長官は同日午後の記者会見で、湯川さん拘束後の昨年8月16日に現地対策本部、翌17日に首相官邸の情報連絡室、外務省の対策室をそれぞれ設置し、11月1日に、後藤さんの行方不明事案も加えたと説明した。そのうえで、「事案の性質上、非公表とした」と語った。 

2015年01月28日 07時20分 Copyright © The Yomiuri Shimbun

 


 

以下、ウィキペディアから時系列部分を転載

イスラム国日本人拘束事件 

2013年12月 - 元ミリタリーショップ経営者のAが、千葉市の実家を訪れ家族に対し、「生きることに限界を覚えた。」などと話す。Aはミリタリーショップの倒産や、妻の病死などを経験したあと、実家とは長年連絡を絶っていた[2]。

2014年1月 - Aが青海にピーエムシー株式会社(事業内容国際民間軍事業、国外警護、紛争地域等での援護)を設立し、最高経営責任者に就任[3]。日本船を護衛することが夢だったという[2]。

2014年2月 - Aがインド、レバノンに渡航。

4月 - Aが単身で初めてシリアに訪れ、北部の自由シリア軍拠点で拘束されていたところ、自由シリア軍に通訳を依頼されたフリージャーナリスト後藤健二の仲介で助けられ、後藤と知り合いになる。[4]。

Aは穏やかで親しみやすい性格だったため、英語は流暢でなかったものの、反政府勢力の兵士たちに受け入れられ、武装勢力の案内でアレッポを訪れたのち[4][5]帰国したが、帰国後もメールやフェイスブックを通じて武装勢力のメンバーと交流を続けて、「次はいつ来るのか。」などと再度の訪問を誘われた。

またAは後藤とも、帰国後も会食に行くなどして、交流が続いた[6]。

6月 - Aが、後藤に同行を依頼し、助手と称して、後藤とともにイラクに入国。[4]
7月27日 - Aが、帰国した後藤と別れ、後藤の反対を無視してシリア行きを決意し、イスタンブルから空路で単身ガズィアンテプに入る[3]。

7月28日 - Aが、シリアを援助したいとしてガズィアンテプから陸路キリス経由でシリアに入国。その後所持金を奪われたと話してイスラム戦線に保護され、以降イスラム戦線や自由シリア軍の混成部隊に同行[3]。

8月14日 - Aが「現場からリポートを書きたい。」として、反政府勢力とイスラム国の戦闘に同行し、その際イスラム国にアレッポで拘束される[3]。

2014年8月16日、在シリア大使館(内戦で隣国ヨルダンに避難し業務中)にシリア北部アレッポで日本人が拘束されたとの一報が入り、ただちに日本政府に伝達された。在シリア日本大使館は、16日夕(日本時間同日夜)に現地対策本部を設置し、17日に日本人とみられる人物が拘束された可能性があることを明らかにした[7](現地対策本部の本部長は馬越正之駐シリア臨時代理大使[8])。

8月17日までにイスラム国ISISインターネット広報ツイッターアカウント[9]で、拘束された日本人とみられる男性の映像が公開された。地面の上に押さえつけられ、男らが「どこから来たのか」「仕事は」などと英語で尋問。男性は「日本人のA」と名乗り、「自分は兵士ではない。カメラマンだ」[10]「医師だ」などと説明したが、「なぜ武器を持っているのか」と糾弾される。

その後、同ツイッターアカウントで、カメラマンではなく民間軍事会社「PMC JAPAN」CEO、最高経営責任者であると同社のHPサイトURLと共に発表される[11]。

また所持していた田母神俊雄と並んでの写真などが公開される。

なお、「PMC JAPAN」の業務内容に、様々な軍事的活動と「治安不安定危険地域での情報収集活動」が、記載されている[12]。

8月末にはこの日本人救出に中田考が動いたと報道がある。

ただし、中田は公安にマークされているという情報も報道されている[13]。

9月 - ジャーナリストの常岡浩介がイスラム国司令官から、Aについて「見せしめの死刑にはしない。」「身代金は取らない。」と聞く[14]。

12月中下旬 - この頃までイスラム戦線が、Aの解放交渉をイスラム国に対し、2,3回行ったが、イスラム国が国家との交渉に拘ったため頓挫[15][16]。

後を継ぐ形で中東の国家が交渉を行っていたが、その後交渉打ち切りとなった[17]。

後藤健二拉致事件
10月2日 - 後藤健二がトルコ経由[18]でシリアに入国。
10月8日 - 後藤が東京都内のスタジオからTBS「ひるおび!」に生出演[19]。
10月22日 - 後藤がトルコに入国し、ガズィアンテプのホテルに宿泊。
10月24日 - 後藤がキリスのシリア反政府武装勢力が管理する国境検問所を通りシリアに入国し、シリア人ガイドと合流[20]。
10月25日 - 後藤が、ガイドとともにアレッポ郊外のマレアに入り、ガイドの反対を押し切り、Aを助けるため[21]別のガイドとともにイスラム国の支配地域にあるラッカへ向い消息を絶つ。
10月29日 - 後藤の帰国予定日。
10月末 - 東京都に住む後藤の妻が、外務省に相談[22]。
11月 - 後藤の妻の携帯電話に、後藤を拘束している旨のメールが、イスラム国関係者から届く。
12月初旬 - 後藤の妻がメールに気づいて開封し、外務省に相談する[22]。
1月 - 1月までに約10通のメールが後藤の妻に送信され、当初約10億円、のちに約20億円の身代金の要求がなされた[23]。
1月17日 - 安倍首相がカイロでの演説において、イスラム国対策として、人材開発、インフラ整備によるイラク、シリアの難民・避難民支援、トルコ、レバノンへの支援のため、2億ドルを拠出することを表明[24][25]。


 

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