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今日、2月20日は小林多喜二が特高警察に連れられ拷問で虐殺された日。(wantonのブログ)
http://www.asyura2.com/15/senkyo180/msg/310.html
投稿者 赤かぶ 日時 2015 年 2 月 20 日 19:45:05: igsppGRN/E9PQ
 

今日、2月20日は小林多喜二が特高警察に連れられ拷問で虐殺された日。
http://ameblo.jp/64152966/entry-11992336665.html
2015-02-20 19:07 wantonのブログ





きょうのマッサン  2015/2/20(金)
http://blogs.yahoo.co.jp/macchi105/19095195.html


たまたまNHKの連続ドラマ「マッサン」をみてたら、
マッサンの妻エリーが特高警察に連行されるシーンだった。
ときは太平洋戦争が始まったところで、敵国人のエリーは
スパイ容疑がかけられたのであった。


土足で家の中に入り込んできた特高警察の刑事たちは
「軍機保護法および軍用資源秘密保護法違反、亀山エリーの
スパイ容疑で家宅捜索する」と家の中をメチャメチャにしていく。
ラジオを受信するために取り付けたアンテナも
「あれで我が国の機密通信を傍受してるんじゃないのか?」と
いがかりをつけ、ついにはエリーを連行しようとする。


そこでマッサンのセリフ。
「亀山エリーはわしの妻です! 妻はこの国で生きとります! 
わしと、生きとります! わしら夫婦は生涯、この国で生きていきます! 
死ぬときも、わしとエリーは一緒です! 
エリーを連れていくんならわしも連れていけ!」
さらに、エリーのセリフが心を打つ。
「どうぞ、私を連行して下さい。
それがあなたの望みなら何でも調べて下さい。
私は悪い事は何もしてません。
だからあなたの事を怖いと思いません」


うそぶく特高にエリーはさらにいう。
「何が望みですか? 私がこの国を出ていけばいいのですか? 
私はここにいてはいけないのですか? 
それはどうして? 教えて下さい。
どうしてここにいてはいけないのか私に分かるように教えて下さい! 
私が日本人ではないからですか? この鼻ですか? 
この髪の毛ですか? この瞳ですか? 
私は亀山エリーです。あなたと同じ人間です。
私にはこの国に愛する夫がいます。愛する娘がいます。
ここには私の家族がいます!ここは私のふるさとです!」


裸足のままエリーが連行されるところで終わる。
奇しくもきょう2月20日は、『蟹工船』の作者で知られる
小林多喜二が特高警察の拷問によって虐殺された日。
1933年2月20日、場所は築地警察署。まだ29歳の若さだった。


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小林多喜二、築地警察署内で虐殺さる
http://kyoakubokumetsu.web.fc2.com/kobayashitakiji.html


〈小林多喜二〉
 明治36年(1903)10月13日、
秋田県北秋田郡下川沿村(現・大館市)生まれ。
40年北海道小樽に移住、 小樽高等商業学校(現・小樽商科大学)卒業後、
北海道拓殖銀行小樽支店に勤務。志賀直哉に傾倒して リアリズムの
手法を学ぶ傍ら、貧しく虐げられた人々への共感から労働運動に関わる。
昭和3年(1928)、 「一九二八年三月十五日」を発表し、
プロレタリア文学の有力新人として注目を集める。


4年に発表した 「蟹工船」は、日本プロレタリア文学の最高傑作として
海外でも高い評価を受けたが、銀行を解雇され上京。
6年、日本共産党(当時は非合法)に入党。昭和8年(1933)2月20日、
特高に逮捕され、築地警察署内で 拷問を受け同日虐殺死。
魯迅をはじめ国内外から弔問と抗議が寄せられ、
志賀直哉は日記に「警官に殺さ れたるらし、実に不愉快」と記した。
戦後まで、多くの作品が発売禁止や伏せ字での発表を余儀なくされる
など、弾圧に遭った。(角川文庫「蟹工船」カバーから引用)


― 中略 ―


 「拷問は留置場の上でやられたらしい。どんな方法かわからない。
しかし久しい間やられていたことが わかった。
 連れてこられた時、我々はみんな覗き込んだ。
顔色のまっ蒼になった中肉中背の男がよろよろになって いた
(それが小林であった)、第三房に入れるため三房の戸を開けたが、
拷問の余ふんが残っていて、 小林はそのよろよろになった身体で、
房の中へ入るまいとするように上体をねじって反抗した。
その胸 を特高(原文ではスパイとなっている)が靴で蹴った。
小林が倒れ、あおむけになった。
 それをまた特高(同)が、胸と腹を蹴った。小林が意識不明になり、
ぐったりとしているのを三房の中へ 引きずり込んで入れた。


三房の中には四五日前からやられている若い男がいて、
その男は小林を見て、知っていて非常におど ろいた。
この男も連日拷問されていて立たなくなった膝を無理に起して
小林を介ほうした。
小林は意識 不明ながらも身体が苦しいと見え、
しきりに身体をモヂモヂと動かした。
便所へ行きたいかというと、 顔をイヤイヤとふったが、
放っとけという看守に無理に戸を開けさせて、
三四人で便所へかついでいった。


すると小便は出ず、肛門からたくさん出血した。
小林はぐったりとなっていた。
微かにものが言え、 知っている若い男に
 『とてももう長くない。死因を外の同志に伝えてくれ』
と言った。」


---------------------------------------------


狼たちは知っているさんのサイトより


特高警察は、
「お前も小林多喜二のようにしてやるぞ、覚悟しろ」
と恫喝するのを常とした。
http://06020596.at.webry.info/201305/article_27.html


 戦前の日本で拷問による虐殺80人、
拷問による獄中死114人、
病気による獄中死1503人。
ところが、特高警察は、表向きは拷問死を否定した。


しかし、その一方で、その後の取り調べにあたって、
「お前も小林多喜二のようにしてやるぞ、覚悟しろ」
と恫喝するのを常とした。


特高 は、
いわばそのまま戦後の 公安警察 に
横滑りしていたのです。


<引用終わり>
---------------------------------------------


管理人


戦前、戦中は、あんなに酷かったのかと思わないほうが
良いと思います。
政治家や著名人、記者、警察官、自衛官の不審な自殺、
事故死、病死がやたらと多いです。
しかも、その多くが検視解剖さえされません。


かつての表向き乱暴なやり方は、影を潜めましたが、
現在、プロの暗殺組織が存在しているのは間違いありません。
多くの国民が気付いていないだけです。
国民が気付いてくれなければ、暗殺は今後も続きます。
いや、もっと酷くなっていくに違いありません。
戦前、戦中も今も、本質は何も変わっていないのです。


皆さんは、ここ最近でも、目撃したばかりです。


累積100万アクセスあった記事。


◆報道ステーション、岩路真樹ディレクター
「最後の仕事」、そして、二人の警察幹部の自殺
http://ameblo.jp/64152966/entry-11920660715.html


---------------------------------------------


JAL123便墜落事故・自衛隊員への銃撃・
     更に連続自殺⇒パイナップル・ブリゲイズ
http://ameblo.jp/64152966/entry-11327337215.html


「政府のやる事に反対意見を持つ市民を殺害せよ、
それが軍隊の仕事である。」


「軍隊の仕事は他国との戦争ではなく、
自分の国の市民を殺害する事にある。」


米国アイゼンハワー大統領時代に、こうした戦略を立てた
「ロックフェラー報告」を元に、米国では市民殺害用のFEMAと
呼ばれる軍隊が作られた。 


この「一般市民に対する暗殺部隊」の創設は、1958年1月、
大統領により採択された、国家安全保障局命令第177=
「NSAM.177」によって行われ、
この命令書には 「日本にも同様の部隊を創設させる」
と記載されている。


この大統領命令に基づき、日本では米国、自衛隊の合同による
日本人市民殺害部隊「パイナップル・ブリゲイズ」が既に創立されている。


このFEMAの事実上の総指揮官が、
オバマ大統領のボス=ズビグニュー・ブレジンスキーである。


 ある日深夜、突然あなたの家に米軍が攻め込んで来る。
玄関は蹴り破られ、あなたと家族は誘拐される。
見知らぬ山中で、あなたと家族は殺害され土に埋められる。
あなたの行き先は誰にも分からない。 





 

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コメント
 
01. 2015年2月20日 19:55:59 : rNCAtYD0iQ
小林多喜二:最期、生々しく…隣室収監の学者が書簡に記す
毎日新聞 2015年02月16日 21時32分(最終更新 02月16日 22時41分)

 プロレタリア作家、小林多喜二が1933年に築地署(東京都)で獄死する前後の様子を、同時期に収監されていた生物学者、石井友幸(1903〜72年)が記した書簡が見つかった。拷問で口を利くことができなくなっていたことや、死亡後に人工呼吸が施されたとみられると書かれている。多喜二について研究している北海道小樽市の小樽文学館は「極めて貴重」としている。【遠藤修平】

 ◇栃木の小説家旧宅で発見

 書簡は、石井が多喜二と交流のあった小説家、江口渙(かん)にあてた計3通で、400字詰めの原稿用紙計5枚とはがき1枚。1962〜67年に、やり取りがあったとされる。

 文学館によると、多喜二の死の前後については、遺言をしていたり監房で死亡していたりといった諸説がある。しかし、石井は書簡の中で、多喜二は「ひとことも口をきかなかつたように思います」と記し、監房とは別室で死亡したか「あるいは保護室にいれられるまえに息をひきとつていて、彼ら(警察医)は申しわけ的に人工呼吸などしたかも知れません」と証言している。

 石井は思想犯として、多喜二の隣の監房に収監されていた。書簡には詳しい見取り図が添えられ、多喜二が第2房から石井が入っていた第1房の向かいの保護室に移されたと記されている。文学館の亀井志乃学芸員は「他の証言ではあやふやだった位置関係が詳細にわかる」と話している。

 書簡は、栃木県にある江口の旧宅を調査していた郷土の歴史研究会が発見。昨秋、文学館に連絡があり、確認作業を進めていた。18日から文学館で公開される。

 多喜二は1903年に秋田県で生まれ、4歳で小樽市に移住した。銀行に就職後、「蟹工船」「不在地主」などを発表。特高警察の拷問を受けて死亡した。

http://mainichi.jp/select/news/20150217k0000m040057000c.html


02. 2015年2月20日 20:17:17 : aQq0UGoaxY
小林多喜二を殺した人たちで生きている人もいるよね。
その人は人の顔をした獣として生きている。
罪の意識などこれっぽちもないよね。
安倍(不正選挙&死神)も同じだ。

03. ひでしゃん 2015年2月20日 20:19:12 : dsqbUTCLpgzpY : 9IQbDxI5Uo
イスラム国日本人人質殺害事件もやらせ?
アメリカが仕組んだドラマの一環?
目的は安全保障関連法案の早期成立?
JICA(国際協力機構)は情報収集機関
GPSで湯川、後藤の位置情報が把握されていた筈
二人の背後関係の闇は深い
トルコ政府の情報提供内容は極めて信憑性が高い
殺害された二人の遺体の確認引取り日本送還は日本国政府の責任
杉本祐一さんの旅券返還命令は現地での取材活動により日本政府に都合が悪い情報が取得されることを危惧したか?
今回の人質殺害事件について日本のメディアは野次馬根性丸出しのいつもと様子が違う?去勢され腰抜けになってしまった
それほど政治権力が怖いか?

04. 北の吟遊詩人 2015年2月20日 21:02:28 : 3lfvZQ5gr4BHg : HQSDrbNBIQ
この国家による犯罪行為自体は
色々な証言もあることですし
今からでも人権問題として検証することはできないのでしょうか?
「過去に目を閉ざすものは、未来に対して盲目になる」

事実とすればあまりにもひどすぎますし
この国は同じ道を歩もうとしているように見えます。
植村氏への暴言も
今の沖縄への弾圧も根は同じ構造に思えます。
黙っていたら次は自分たちです!


05. 2015年2月20日 22:04:06 : ul3jH7IiqE

http://esashib.com/syudantekizieiken01.htm
あの残虐な戦争の時代、最も勇敢で、最も聡明で、最も美しい日本人は反戦・反軍のたたかいを貫き通して倒れた若者たちだ。
腐敗を極めた軍事財閥の薄汚い侵略強盗殺人共犯者として諾々と特攻して行った情けない人間のクズとしてのパシリ神風特攻隊の若者たちや朝鮮半島で慰安婦買春に明け暮れていた侵略強盗殺人の日本軍犯罪英霊兵士ども。
http://blogs.yahoo.co.jp/ad

反戦を貫いた勇敢で聡明な若者と侵略強盗殺人共犯者・人間のクズとしての神風特攻隊。
http://hide20.blog.ocn.ne.jp/mokei/2008/02/post_2ba0.html
「この侵略戦争は許せない」と反戦・反軍事財閥のたたかいを貫き通し残酷な拷問で殺されて行った最も聡明で勇敢な若者たち、
そして、
腐敗を極めた軍事財閥の薄汚い侵略強盗殺人共犯者として諾々と特攻して行った人間のクズとしての神風特攻隊。

平成の今も、国を守るためには軍事財閥の犬コロとして見も知らぬ他国の市民に銃口を向けるなどという人間のクズ犯罪者が存在する。
歴史の真実を誤魔化し続ければ同じ腐乱の場所に戻るのは当たり前ではないか。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik11/2012-03-19/2012031915_01_1.html


06. 2015年2月20日 22:22:40 : aeT9xY62tw
中国、北朝鮮、あるいは中東の独裁国家で、今現在、これに近いことが、起きていることも忘れてはいかんと思うよ、オレは。

「イスラム国」はこれよりも酷いけどね。

で爺


07. 2015年2月20日 23:13:28 : X7GbpGuPvs
当時の共産党、共産主義者は思想云々は別としてもあの厳しい時代にも拘らず

揺るぎない信念が有ったように思います。

現在の共産党の連中は見習うべきです。

多喜二が泣いているよ・・・


08. 2015年2月21日 00:10:10 : W2V12x1fBM
小林多喜二、虐殺後の写真発見 母ら悲嘆の様子伝える


 「蟹工船」などで知られるプロレタリア作家の小林多喜二が、特高警察の拷問で死亡し自宅に運ばれた後に撮影された写真の原板が、20日までに東京都内で見つかった。遺体を母親セキらが囲み、悲嘆に暮れている様子を生々しく伝える貴重な史料だ。

 作家仲間らが遺体を囲んでいる写真は有名だが、今回見つかった写真は存在も知られていなかった。双方の写真の原板が一緒に保管されていた。

 見つかったのはガラス乾板という、現在のネガフィルムに当たるもの。プロレタリア文学研究者の伊藤純さん(82)が昨秋、都内の自宅で、父親で多喜二の作家仲間だった貴司山治の遺品を整理中に発見した。

2015/02/20 20:55 【共同通信】
写真↓
http://www.47news.jp/CN/201502/CN2015022001002153.html


09. 北の零年 2015年2月21日 15:30:24 : pi7eKAjFENWsU : Ro0txLSjmk
唱和30年代に出ていた『岩波写真文庫・小林多喜二』に遺体写真の掲載がある。
古書を探せばあるかも。図書館も置いてある処はあるだろう。


10. 2015年2月21日 18:38:22 : 1vmWB8cF0w
戦争は 過去のことだと 勘違い
異なる手法で 道まだ続き

11. 2016年10月29日 03:47:52 : lzAltVZmPo : snrBIwgwN1Y[6]
しばやんの日々

2013年11月02日(土)
特高警察の「拷問」とはどの程度のものであったのか
http://blog.zaq.ne.jp/shibayan/article/297/(抜粋)


●前回まで3回にわたって、宮下弘氏の『特高の回想』の文章を引用しながら、ゾルゲ事件について書いてきた。

●この本を読むまでは「特高(特別高等警察)」という存在は悪いイメージしかもっていなかったのだが、その理由はおそらく、マスコミなどで「日本軍」がロクな書かれ方がされないのと同様に、「特高」も長いあいだ意図的に貶められていた点にあるのではないか。
●よくよく考えると、戦後のマスコミや教育界・出版界・学会を長らく支配してきた左翼系の人々が、天敵であった特高を悪しざまに言うのは当然のことだと思うのだ。

〜略〜

●小林多喜二が死んだ年である昭和8年(1933)の12月23日に、当時の日本共産党中央委員であった大泉兼蔵と小畑達夫の二人が、渋谷区内のアジトで仲間に針金等で手足を縛られ、目隠しとさるぐつわをされて暴行されために、小畑が24日に外傷性ショックにより死亡した「日本共産党スパイ査問事件」という事件があった。
二人に暴行を加えた人物の供述によると「最初に大泉に対して棍棒で殴打するなどのリンチを加え気絶させた。その後小畑を引きずり出し、キリで股を突き刺したり、濃硫酸をかけるなどの凄惨な拷問を加えた。最後に薪割で小畑の頭部に一撃を加えた。そして大泉を引き出して小畑同様のリンチを加えた。大泉はこの拷問に耐え切れず気絶したが、宮本らは死亡したものと早合点しそのまま引き上げた。大泉はまもなく蘇生した。この頃小畑が死亡する。裁判では小畑の死因は外傷性ショックであるとされた」というもので、小林多喜二の場合の場合よりさらに残酷なやり方で小畑は命を奪われていることになる。二人が仲間から暴行された理由は、特高のスパイ行為を働いたというものであった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%85%B1%E7%94%A3%E5%85%9A%E3%82%B9%E3%83%91%E3%82%A4%E6%9F%BB%E5%95%8F%E4%BA%8B%E4%BB%B6#cite_ref-4

●このリンチを行なった中心人物は、後に日本共産党委員長となった宮本顕治である。宮本はこのリンチ事件の2日後で捕えられたが、なぜ宮本の場合は小林多喜二のようにならなくて済んだのか。
●そもそも地下活動に入っていた小林多喜二が、仲間と待ち合わせしていた場所になぜ特高警察が待ち伏せしていたのか。いったい誰が多喜二の待ち合わせ場所を特高に洩らしたのか。●特高が多喜二を拷問にかけて死に追いやったのがプロレタリア作家・江口換の記述の通りなら、仲間や家族が国を相手に訴えなかったのはなぜなのか。

●私には、この事件にはもっとドロドロとした背景があるような気がしてならない。
●ネットでは宮本顕治が怪しいと考えている人もいるようだが、なかなか興味のある視点である。
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/marxismco/nihon/senzennikkyoshico/hosoku_mifuneco.htm

●今まで小林多喜二が特高による拷問で死んだ話は何度も聞かされてきたのだが、その前に日本共産党員が昭和5年「川崎武装メーデー事件」で拳銃を発砲し警官やメーデー実行委員を負傷させた事件があった。昭和7年にはスパイ容疑で仲間を射殺する事件があり、10月には拳銃と実弾購入資金を得るために銀行を強盗した「赤色ギャング事件」が起こっている。
●そして昭和8年2月に小林多喜二事件があり、12月に「日本共産党スパイ査問事件」があった。

●このような事件が当時の日本共産党で相次いだことを知ったのは比較的最近のことなのだが、このような一連の事件を伝えずに小林多喜二の特高の拷問で死んだことばかりが強調されるのが公平な歴史叙述の姿勢であるとは思えないのだ。

●我々は、教科書や新聞などを読み、テレビや映画などを見ているうちに、いつの間にか「共産主義者やコミンテルンにとって都合の良い歴史」に洗脳されてしまっているのではないだろうか。

〜略〜

(コメント欄)

2013年11月06日(水) 19:16 by しばやん
●私もこの本を読むまでは、「特高」には悪いイメージしかありませんでした。が、普通に考えると、「特高」は容疑者を取り調べて調書を取ることが仕事です。リンチにかけることが仕事ではありません。
●特高は右翼団体や宗教団体も捜査対象にしていましたが、なぜ左翼団体だけに「拷問」があったとされるのか、理解に苦しむところです。
●プロレタリア作家の江口換の拷問シーンを読んで、これは共産主義者が仲間にリンチしたやりくちと同じで、特高の拷問とは違うのではないか考えるようになりました。
●本文では書きませんでしたが、小林多喜二の事件も、直前までは仲間からリンチされていた可能性を感じています。


〜略〜


2015年05月04日(月) 17:32 by しばやん
Kaneshigeさん、コメントありがとうございます。
●今となっては何が真実か確かめようがありませんので、残された記録の中で何が正しいかをそれぞれの感性で読み取って判断するしかありません。
特高は被疑者の自白を引き出すために暴力を伴う過酷な尋問、拷問を加えたと、今まで何度も聞かされてきたのですが、私自身は『特高の回想』などを読んで、そのような通説に疑問を持つようになっています。
●特高は、社会主義運動、労働運動などの左翼の政治運動だけではなく、右翼の国家主義運動などをも取り締まっていました。なぜ右翼の拷問の記録がないのでしょうか。●またなぜ宮本顕治や宮城与徳、北林トモ、尾崎秀実らの拷問の記録がないのでしょうか。
●宮下弘氏が書くように、もし特高が自白のために拷問をしていたならば、戦後に特高メンバーは報復されていたでしょうがそんな話は全くありません。
●その当時は共産党の中でリンチ事件やテロ事件が頻発していました。内部の問題を特高の仕業にして広められた可能性も考えておく必要があります。
これ等の疑問を完全に覆すだけの説得力のある論拠があれば、通説に軍配を挙げるところなのですが…

〜略〜


   _________________________



12. 2018年1月27日 16:15:56 : XClbNnXi3s : wi7kFoLd0gE[2]

補足・スパイ三船留吉考

 (最新見直し2013.02.20日)
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/marxismco/nihon/senzennikkyoshico/hosoku_mifuneco.htm(一部引用)

(略)

●れんだいこは、小林多喜二を売ったとすれば宮顕の方こそ怪しく、それをそらすために三船説を流しているように見える。そもそも文芸戦線は特殊なそれであり、●小林多喜二との秘密の連絡網は宮顕−蔵原の方こそ元締めだったのではないのか。これは当然に勘ぐられねばならないのにどの識者も言及していない。補足すれば、立花は、全協の松原氏の冤罪を立証した。その裏腹で三船の根っからのスパイ説を説いている。オカシイではないか。全協の松原冤罪説のように三船冤罪説に向かうのが筋ではないのか。変調な者が手掛けると、どこかで尻尾を出す典型だろう。

(略)


---------

宮本顕治考

 更新日/2016.9.30日
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/marxismco/nihon/miyakenco/miyakenco.htm


13. やもめーる[-1391] guKC4ILfgVuC6Q 2018年1月28日 14:22:09 : FnglWB0kRk : rGKllwB5tfo[36]
特高の孫たちは何故か福島出身が多い。
調べてみると幕末の薩摩長州・の移住者の末裔が混じっている
ようだ。やはり薩長は許せん!!福島原発を推し進めたのも
そいつらだろう。しかし、いくらその孫であれ多喜二氏と
古くから住んでいる福島県民に土下座して謝罪するべきだ。
福島県民もこの恥ずべく事実に対して連中に
もっと怒るべきである。坊主憎けりゃ袈裟まで憎し
という言葉があるように・・・・・

[18初期非表示理由]:担当:言葉遣いが適さないコメント多数により全部処理
14. やもめーる[-1390] guKC4ILfgVuC6Q 2018年1月28日 14:25:04 : FnglWB0kRk : rGKllwB5tfo[37]
訂正
誤:特高の孫たち→正:特高関係者たち
              失礼。

[18初期非表示理由]:担当:言葉遣いが適さないコメント多数により全部処理

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