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きょう3月4日の朝日新聞の村山談話特集記事は国民必読である  天木直人
http://www.asyura2.com/15/senkyo180/msg/873.html
投稿者 赤かぶ 日時 2015 年 3 月 04 日 17:25:15: igsppGRN/E9PQ
 

きょう3月4日の朝日新聞の村山談話特集記事は国民必読である
http://www.amakiblog.com/archives/2015/03/04/#003172
2015年03月04日 天木直人のブログ


  きょう3月4日の朝日新聞は、村山談話が出来た時の経緯を検証する特集記事を大きく掲載している。

 当時の関係者の証言をもとに検証されたその記事は国民必読だ。

 そこで書かれている事は、当時の政治家や外務官僚たちが必死になって作った談話だったということだ。

 社会党の村山首相でなければ作れなかった談話であったが、自民党の領袖も協力し、極右の自民党政治家も最後は受け入れた文字通り歴史的偉業としての談話であったということだ。

 「終戦」か「敗戦」かとためらう村山首相に、即座に「敗戦だ」と答えた橋本龍太郎首相や、「村山談話の歴史認識は正しい。植民地支配とおわびは(小泉談話に)引き継ぐように」と指示した小泉首相のエピソードは貴重だ。

 なによりも当時の外務官僚が村山談話実現に多大な貢献をしていたのだ。

 この朝日新聞の特集記事は同時にまた、安倍首相の村山談話に対する嫌悪を過去にさかのぼって紹介してくれている。

 それを読むと、我々は安倍晋三という政治家の、歴史に無知、無学でそれでいて傲慢な姿を嫌と言うほど知る。

 こんな首相に服従する今の外務官僚の劣化を知る。

 繰り返して言う。

 村山談話成立の経緯を検証したきょう3月4日の朝日新聞の特集記事は国民必読だ。

 どんなに政治に無関心な国民でも、村山談話否定に固執する安倍首相の愚かさに気づくに違いない(了)

 

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コメント
 
01. 2015年3月04日 17:28:44 : IB6ZFrSOoI
中国「歴史を深く反省すべき」 安倍首相の談話を牽制
2015年3月2日20時28分

 中国の国政助言機関である全国政治協商会議(政協)の呂新華報道官は2日の記者会見で、戦後70年に合わせて安倍晋三首相が出す「安倍談話」について、「私たちは日本政府の現在の指導者に『第2次世界大戦終了後70年が経ち、歴史を深く反省する時がきた』と申し上げたい」と語り、過去の首相談話の見直しをしないよう強く牽制(けんせい)した。

 呂氏は戦後50年、60年に合わせてそれぞれ出された「村山談話」と「小泉談話」について、「日本の過去の指導者は侵略戦争が中国とアジア諸国にもたらした災難について態度を表明した」と述べ、一定の評価をした。その一方、「現在の政府の指導者を含む多くの政治家は、ドイツの指導者がナチスによるユダヤ人虐殺に対して行ったような深い反省などをしていない。それどころか、靖国神社や南京大虐殺などの問題では真相を隠し、歴史の正義と人類の良識に挑戦している」と批判した。

 また、呂氏は習近平(シーチンピン)国家主席が進める汚職摘発について「どんなトラ(大物官僚)でも隠れることはできないと深く信じている」と語り、党幹部も摘発の例外ではないとの考えを強調した。

 政協は3日、中国の国会に当たる全国人民代表大会(全人代)は5日、いずれも北京で開幕する。(北京=益満雄一郎)

http://www.asahi.com/articles/ASH3264JMH32UHBI033.html


02. 2015年3月04日 17:30:16 : IB6ZFrSOoI
安倍氏は国会決議を欠席、村山首相は談話を決断 95年
2015年3月4日04時59分

 20年前、「村山談話」はなぜ生まれたか。

 村山政権で連立を組んだ自民、社会、新党さきがけ3党は、1994年6月の政権発足時、「戦後50年を契機に、過去の戦争を反省し、未来の平和への決意を表明する国会決議の採択などに積極的に取り組む」との合意を交わした。

 決議の文案づくりは翌95年に始まったが、協議は難航。「不戦」や「謝罪」の表現を求めた社会党に対し、自民党慎重派「終戦50周年国会議員連盟」を中心に「後世に歴史的禍根を残す」と反発が広がった。

 同年3月、新人議員の安倍晋三氏が国会で「我が国が一方的に不戦の決議をするのは意味がない」と訴えた。安倍氏は議連の事務局長代理に抜擢(ばってき)されていた。

 3党は6月6日、ようやく合意にたどり着く。不戦や謝罪には触れず、「植民地支配」「侵略的行為」との文言が入った。ただ、妥協の末の決議文は3党それぞれに不満を残した。

 3日後の衆院本会議。決議は賛成多数で採択されたが、与野党から欠席者が続出。安倍氏の姿も議場にはなかった。全会一致が原則の国会決議が不調に終わり、政権は大きく傷ついた。「これではいけない」。村山富市首相は、首相談話の作成を決意した。

■「おわび」入れるかどうか

 1995年8月15日の「村山談話」につながる動きは、6月9日の国会決議から始まった。

 侵略や謝罪の表現があいまいにされた決議に対し、首相官邸には落胆が広がっていた。「何のために社会党から首相が出たのか、悔しい思いだった」。村山富市首相の政務秘書官だった園田原三氏は振り返る。

 談話作成の検討は、国会決議前からあったものの、それは閣議決定された村山談話とは別のものだった。首相の演説などを担当する内閣参事官室が準備を進めていた。

 しかし国会決議が不調に終わり、村山首相や五十嵐広三官房長官は、より明確な外交メッセージの作成を決意する。書き手に指名したのは官邸で外交を補佐する外務省出身の谷野作太郎・内閣外政審議室長だった。同じく外務官僚で首相秘書官だった槙田邦彦氏は「歴史認識は外交問題と直結する。能力を考えても谷野さんしかいなかった」と回想する。7月上旬、村山首相は谷野氏に「一文を書いてくれ」と伝えた。

 谷野氏は、1週間ほどで草稿を書き上げた。当時の自民党や国会決議があいまいにしていた「侵略的行為」という表現を、最初から「侵略」と明記した。「私自身、『侵略的行為』という表現に強い違和感を持っていた」

 ただ、谷野氏は「おわび」の文言を盛り込むことをためらった。槙田氏も、草稿に「おわび」がなかったことを覚えている。谷野氏は「あの頃、すでに日中、日韓間の主題は謝罪ではないと感じていた」と語る。重要なのは歴史をゆがめることなく次世代に正しく伝えることだと考えた。

 槙田氏の考えは違った。「おわびという言葉を入れるかどうかは、世界が注目している。入れるべきだ」。五十嵐長官にこう進言し、その場にいた園田博之官房副長官もうなずいた。五十嵐長官からおわびを盛り込むよう指示を受けた谷野氏は、「最終的には政治判断に従った」。こうして村山談話の骨格が整った。

 詰めの作業をほぼ終えた8月7日午前。村山首相、河野洋平自民党総裁のほか、正副長官らが官邸に顔をそろえた。

 村山首相が文案を示すと、河野氏の表情がゆがんだ。「これはなかなか厳しいぞ」。国会決議ですら反発が出た党内を抑えられるのか。翌日に控えた内閣改造では、タカ派の平沼赳夫氏や江藤隆美氏らの入閣も内定していた。河野氏に不安がよぎった。

 自民党の空気を察してか、8日の内閣改造で官房長官に就いた社会党の野坂浩賢氏は、談話を閣議決定して政府の公式見解とすることを提案する。野坂長官は平沼、江藤両氏や島村宜伸文相らを一人ずつ回り、事前了解を取りつけたと著書「政権」に記している。槙田氏によると、改造前まで運輸相だった亀井静香氏も党内の説得にあたった。

 焦点は橋本龍太郎通産相の意向だった。大物閣僚である橋本氏は、戦後50年国会決議に反発した日本遺族会の会長も務めていた。橋本氏の説得には、村山首相が自ら動いた。

 8月11日、村山首相は首相執務室から橋本氏に電話をかけた。談話を説明すると、橋本氏は「現物を見たい」と言った。

 発表前の談話が通産省に届けられ、村山首相は返事を待った。間もなく、電話が鳴った。2人のやりとりは、「村山富市回顧録」に詳しい。

 村山「あの文案見てくれたか」

 橋本「見た」

 村山「異議はありませんか」

 橋本「別にないですよ。ただ強いて言えば、あの文章を見たら『終戦』と『敗戦』の二つの言葉が使われている。どっちか一本に絞った方がいいんじゃないでしょうか」

 村山「どっちがいいと思いますか」

 橋本「そりゃあ『敗戦』の方がいいんじゃないですか」

 談話には「終戦」と「敗戦」が1カ所ずつあったが、「敗戦」にそろった。槙田氏は「橋本さんのコメントは意外だった」と当時を振り返る。

 8月15日午前10時、官邸の閣議室。野坂長官の「副長官が総理談話を読み上げるので謹んで聞いてください」との発言に続き、古川貞二郎官房副長官が談話を読み上げた。

 古川氏の回顧録「霞が関半生記」に当時の様子が記されている。

 「僕は丹田に力を込めて読み上げた。閣議室は水をうったようにシーンとしていた。だれも発言しない。僕は心底ホッとした」

 午前11時。村山首相は、記者会見で談話への思いを語った。「謙虚に反省し、国民全体としておわびの気持ちを表すことが、50年目の節目に大事なことではないか」=肩書は当時(藤原慎一)

■05年「小泉談話」、独自色も

 村山談話の歴史認識を受け継ぎつつ、より未来志向を目指したのが2005年の「小泉談話」だ。伏線は同年4月、インドネシアでのアジア・アフリカ会議(バンドン会議)の50周年記念首脳会議にあった。

 1955年に開かれたバンドン会議は、第2次世界大戦後の旧植民地独立運動に弾みをつけた。記念式典に参加した小泉純一郎首相は「植民地支配と侵略」「心からのおわび」などに言及し、村山談話を踏襲する演説を行った。同年1月、スマトラ沖大地震の緊急首脳会議のためインドネシアに向かう機中で、町村信孝外相から「戦後60年の節目にメッセージを出す方がいい。バンドン会議がふさわしいのでは」と提案されたのがきっかけだったという。

 大型連休が明けると、8月15日に向けた談話作成に着手。二橋正弘官房副長官を中心にチームが作られた。小泉首相は「村山談話の歴史認識は正しい。植民地支配とおわびは引き継ぐように」と指示した。

 当時の政府高官は、途中段階の草稿に小泉首相自ら赤ペンで手を入れたのを覚えている。「分かりやすさ、伝わりやすさを意識した直し方だった」。「心ならずも命を落とされた」「300万余の同胞が、祖国を思い、家族を案じつつ」などの独特のフレーズは、小泉首相によって書き足されたようだ。

 一方、村山談話にある「国策を誤り」との表現は消えた。談話発表後の会見で細田博之官房長官は「文章の流れの問題であり、首相もかつてその趣旨の発言をしている。否定するものではない」と語った。実際に小泉首相は01年8月の靖国神社参拝後に出した談話で「過去の一時期、誤った国策にもとづく植民地支配と侵略を行い」と記している。

=肩書は当時(冨名腰隆)

http://www.asahi.com/articles/ASH330G9RH32UTFK01N.html


03. 2015年3月04日 17:37:46 : UWLF1fDbng
右とか左ではなく、ネゴシエーションの力量の違いだな。
外務省なんてほとんどこれが業務だろうし。

04. 赤かぶ 2015年3月04日 17:49:51 : igsppGRN/E9PQ : IB6ZFrSOoI
自主・平和・親善のために
http://blog.livedoor.jp/tabakusoru/archives/65847072.html
2015年03月04日 

村山談話、おわび明記 戦後50年、草稿段階から「侵略」表現


 1995年8月15日の「村山談話」につながる動きは、6月9日の国会決議から始まった。

 侵略や謝罪の表現があいまいにされた決議に対し、首相官邸には落胆が広がっていた。「何のために社会党から首相が出たのか、悔しい思いだった」。村山富市首相の政務秘書官だった園田原三氏は振り返る。

 談話作成の検討は、国会決議前からあったものの、それは閣議決定された村山談話とは別のものだった。首相の演説などを担当する内閣参事官室が準備を進めていた。

 しかし国会決議が不調に終わり、村山首相や五十嵐広三官房長官は、より明確な外交メッセージの作成を決意する。書き手に指名したのは官邸で外交を補佐する外務省出身の谷野作太郎・内閣外政審議室長だった。同じく外務官僚で首相秘書官だった槙田邦彦氏は「歴史認識は外交問題と直結する。能力を考えても谷野さんしかいなかった」と回想する。7月上旬、村山首相は谷野氏に「一文を書いてくれ」と伝えた。

 谷野氏は、1週間ほどで草稿を書き上げた。当時の自民党や国会決議があいまいにしていた「侵略的行為」という表現を、最初から「侵略」と明記した。「私自身、『侵略的行為』という表現に強い違和感を持っていた」

 ただ、谷野氏は「おわび」の文言を盛り込むことをためらった。槙田氏も、草稿に「おわび」がなかったことを覚えている。谷野氏は「あの頃、すでに日中、日韓間の主題は謝罪ではないと感じていた」と語る。重要なのは歴史をゆがめることなく次世代に正しく伝えることだと考えた。

 槙田氏の考えは違った。「おわびという言葉を入れるかどうかは、世界が注目している。入れるべきだ」。五十嵐長官にこう進言し、その場にいた園田博之官房副長官もうなずいた。五十嵐長官からおわびを盛り込むよう指示を受けた谷野氏は、「最終的には政治判断に従った」。こうして村山談話の骨格が整った。

 詰めの作業をほぼ終えた8月7日午前。村山首相、河野洋平自民党総裁のほか、正副長官らが官邸に顔をそろえた。

 村山首相が文案を示すと、河野氏の表情がゆがんだ。「これはなかなか厳しいぞ」。国会決議ですら反発が出た党内を抑えられるのか。翌日に控えた内閣改造では、タカ派の平沼赳夫氏や江藤隆美氏らの入閣も内定していた。河野氏に不安がよぎった。

 自民党の空気を察してか、8日の内閣改造で官房長官に就いた社会党の野坂浩賢氏は、談話を閣議決定して政府の公式見解とすることを提案する。野坂長官は平沼、江藤両氏や島村宜伸文相らを一人ずつ回り、事前了解を取りつけたと著書「政権」に記している。槙田氏によると、改造前まで運輸相だった亀井静香氏も党内の説得にあたった。


 ■閣議で読み上げ、異論出ず

 焦点は橋本龍太郎通産相の意向だった。大物閣僚である橋本氏は、戦後50年国会決議に反発した日本遺族会の会長も務めていた。橋本氏の説得には、村山首相が自ら動いた。

 8月11日、村山首相は首相執務室から橋本氏に電話をかけた。談話を説明すると、橋本氏は「現物を見たい」と言った。

 発表前の談話が通産省に届けられ、村山首相は返事を待った。間もなく、電話が鳴った。2人のやりとりは、「村山富市回顧録」に詳しい。

 村山「あの文案見てくれたか」

 橋本「見た」

 村山「異議はありませんか」

 橋本「別にないですよ。ただ強いて言えば、あの文章を見たら『終戦』と『敗戦』の二つの言葉が使われている。どっちか一本に絞った方がいいんじゃないでしょうか」

 村山「どっちがいいと思いますか」

 橋本「そりゃあ『敗戦』の方がいいんじゃないですか」

 談話には「終戦」と「敗戦」が1カ所ずつあったが、「敗戦」にそろった。槙田氏は「橋本さんのコメントは意外だった」と当時を振り返る。

 8月15日午前10時、官邸の閣議室。野坂長官の「副長官が総理談話を読み上げるので謹んで聞いてください」との発言に続き、古川貞二郎官房副長官が談話を読み上げた。

 古川氏の回顧録「霞が関半生記」に当時の様子が記されている。

 「僕は丹田に力を込めて読み上げた。閣議室は水をうったようにシーンとしていた。だれも発言しない。僕は心底ホッとした」

 午前11時。村山首相は、記者会見で談話への思いを語った。「謙虚に反省し、国民全体としておわびの気持ちを表すことが、50年目の節目に大事なことではないか」


 ■戦後60年の小泉談話 歴史認識踏襲しつつ独自色

 村山談話の歴史認識を受け継ぎつつ、より未来志向を目指したのが2005年の「小泉談話」だ。伏線は同年4月、インドネシアでのアジア・アフリカ会議(バンドン会議)の50周年記念首脳会議にあった。

 1955年に開かれたバンドン会議は、第2次世界大戦後の旧植民地独立運動に弾みをつけた。記念式典に参加した小泉純一郎首相は「植民地支配と侵略」「心からのおわび」などに言及し、村山談話を踏襲する演説を行った。同年1月、町村信孝外相から「戦後60年の節目にメッセージを出す方がいい。バンドン会議がふさわしいのでは」と提案されたのがきっかけだったという。

 大型連休が明けると、8月15日に向けた談話作成に着手。二橋正弘官房副長官を中心にチームが作られた。小泉首相は「村山談話の歴史認識は正しい。植民地支配とおわびは引き継ぐように」と指示した。

 当時の政府高官は、途中段階の草稿に小泉首相自ら赤ペンで手を入れたのを覚えている。「分かりやすさ、伝わりやすさを意識した直し方だった」。「心ならずも命を落とされた」「300万余の同胞が、祖国を思い、家族を案じつつ」などの独特のフレーズは、小泉首相によって書き足されたようだ。

 一方、村山談話にある「国策を誤り」との表現は消えた。談話発表後の会見で細田博之官房長官は「文章の流れの問題であり、首相もかつてその趣旨の発言をしている。否定するものではない」と語った。実際に小泉首相は01年8月の靖国神社参拝後に出した談話で「過去の一時期、誤った国策にもとづく植民地支配と侵略を行い」と記している。
 =肩書は当時


 
村山談話(全文)


 先の大戦が終わりを告げてから、50年の歳月が流れました。今、あらためて、あの戦争によって犠牲となられた内外の多くの人々に思いを馳(は)せるとき、万感胸に迫るものがあります。

 敗戦後、日本は、あの焼け野原から、幾多の困難を乗りこえて、今日の平和と繁栄を築いてまいりました。このことは私たちの誇りであり、そのために注がれた国民の皆様一人一人の英知とたゆみない努力に、私は心から敬意の念を表わすものであります。ここに至るまで、米国をはじめ、世界の国々から寄せられた支援と協力に対し、あらためて深甚な謝意を表明いたします。また、アジア太平洋近隣諸国、米国、さらには欧州諸国との間に今日のような友好関係を築き上げるに至ったことを、心から喜びたいと思います。

 平和で豊かな日本となった今日、私たちはややもすればこの平和の尊さ、有難(ありがた)さを忘れがちになります。私たちは過去のあやまちを二度と繰り返すことのないよう、戦争の悲惨さを若い世代に語り伝えていかなければなりません。とくに近隣諸国の人々と手を携えて、アジア太平洋地域ひいては世界の平和を確かなものとしていくためには、なによりも、これらの諸国との間に深い理解と信頼にもとづいた関係を培っていくことが不可欠と考えます。政府は、この考えにもとづき、特に近現代における日本と近隣アジア諸国との関係にかかわる歴史研究を支援し、各国との交流の飛躍的な拡大をはかるために、この二つを柱とした平和友好交流事業を展開しております。また、現在取り組んでいる戦後処理問題についても、わが国とこれらの国々との信頼関係を一層強化するため、私は、ひき続き誠実に対応してまいります。

 いま、戦後50周年の節目に当たり、われわれが銘記すべきことは、来し方を訪ねて歴史の教訓に学び、未来を望んで、人類社会の平和と繁栄への道を誤らないことであります。

 わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤(あやま)ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫(わ)びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。

 敗戦の日から50周年を迎えた今日、わが国は、深い反省に立ち、独善的なナショナリズムを排し、責任ある国際社会の一員として国際協調を促進し、それを通じて、平和の理念と民主主義とを押し広めていかなければなりません。同時に、わが国は、唯一の被爆国としての体験を踏まえて、核兵器の究極の廃絶を目指し、核不拡散体制の強化など、国際的な軍縮を積極的に推進していくことが肝要であります。これこそ、過去に対するつぐないとなり、犠牲となられた方々の御霊(みたま)を鎮めるゆえんとなると、私は信じております。

 「杖(よ)るは信に如(し)くは莫(な)し」と申します。この記念すべき時に当たり、信義を施政の根幹とすることを内外に表明し、私の誓いの言葉といたします。


 
小泉談話(全文)


 私は、終戦60年を迎えるに当たり、改めて今私たちが享受している平和と繁栄は、戦争によって心ならずも命を落とされた多くの方々の尊い犠牲の上にあることに思いを致し、二度と我が国が戦争への道を歩んではならないとの決意を新たにするものであります。

 先の大戦では、300万余の同胞が、祖国を思い、家族を案じつつ戦場に散り、戦禍に倒れ、あるいは、戦後遠い異郷の地に亡くなられています。

 また、我が国は、かつて植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。こうした歴史の事実を謙虚に受け止め、改めて痛切な反省と心からのお詫(わ)びの気持ちを表明するとともに、先の大戦における内外のすべての犠牲者に謹んで哀悼の意を表します。悲惨な戦争の教訓を風化させず、二度と戦火を交えることなく世界の平和と繁栄に貢献していく決意です。

 戦後我が国は、国民の不断の努力と多くの国々の支援により廃墟(はいきょ)から立ち上がり、サンフランシスコ平和条約を受け入れて国際社会への復帰の第一歩を踏み出しました。いかなる問題も武力によらず平和的に解決するとの立場を貫き、ODAや国連平和維持活動などを通じて世界の平和と繁栄のため物的・人的両面から積極的に貢献してまいりました。

 我が国の戦後の歴史は、まさに戦争への反省を行動で示した平和の60年であります。

 我が国にあっては、戦後生まれの世代が人口の7割を超えています。日本国民はひとしく、自らの体験や平和を志向する教育を通じて、国際平和を心から希求しています。今世界各地で青年海外協力隊などの多くの日本人が平和と人道支援のために活躍し、現地の人々から信頼と高い評価を受けています。また、アジア諸国との間でもかつてないほど経済、文化等幅広い分野での交流が深まっています。とりわけ一衣帯水の間にある中国や韓国をはじめとするアジア諸国とは、ともに手を携えてこの地域の平和を維持し、発展を目指すことが必要だと考えます。過去を直視して、歴史を正しく認識し、アジア諸国との相互理解と信頼に基づいた未来志向の協力関係を構築していきたいと考えています。

 国際社会は今、途上国の開発や貧困の克服、地球環境の保全、大量破壊兵器不拡散、テロの防止・根絶などかつては想像もできなかったような複雑かつ困難な課題に直面しています。我が国は、世界平和に貢献するために、不戦の誓いを堅持し、唯一の被爆国としての体験や戦後60年の歩みを踏まえ、国際社会の責任ある一員としての役割を積極的に果たしていく考えです。

 戦後60年という節目のこの年に、平和を愛する我が国は、志を同じくするすべての国々とともに人類全体の平和と繁栄を実現するため全力を尽くすことを改めて表明いたします。(2015年3月4日 朝日新聞デジタル)



05. 2015年3月04日 17:51:43 : qFBZAvwg0G

 そんなこと言っても 安倍は独自色出したいんだから〜〜

 やらせておけば〜〜〜〜

 ===

 栃木大学の先生に 内視鏡手術させたら 全員死んじゃった!!!

 安倍に 包丁持たせたんだから 何か人殺し(人の努力を無に)するでしょう〜〜〜
 
 


[32削除理由]:削除人:アラシ

06. 2015年3月04日 17:53:45 : qFBZAvwg0G

 今回の A少年だって 韓国系だと言われている〜〜〜

 安倍も先祖は 朝鮮だから 何するかわからん!!!
 

[32削除理由]:削除人:アラシ

07. 2015年3月04日 17:56:45 : KoQQU1NXzI
20年前の採決欠席、安倍談話へ続く
2015年3月4日05時00分

 20年前、「村山談話」はなぜ生まれたか。

 村山政権で連立を組んだ自民、社会、新党さきがけ3党は、1994年6月の政権発足時、「戦後50年を契機に、過去の戦争を反省し、未来の平和への決意を表明する国会決議の採択などに積極的に取り組む」との合意を交わした。

 決議の文案づくりは翌95年に始まったが、協議は難航。「不戦」や「謝罪」の表現を求めた社会党に対し、自民党慎重派「終戦50周年国会議員連盟」を中心に「後世に歴史的禍根を残す」と反発が広がった。

 同年3月、新人議員の安倍晋三氏が国会で「我が国が一方的に不戦の決議をするのは意味がない」と訴えた。安倍氏は議連の事務局長代理に抜擢(ばってき)されていた。

 3党は6月6日、合意にたどり着く。不戦や謝罪には触れず、「植民地支配」「侵略的行為」との文言が入った。ただ、妥協の末の決議文は3党それぞれに不満を残した。

 3日後の衆院本会議。決議は賛成多数で採択されたが、与野党から欠席者が続出。安倍氏の姿も議場にはなかった。全会一致が原則の国会決議が不調に終わり、政権は大きく傷ついた。「これではいけない」。村山富市首相は、首相談話の作成を決意した。

        ◇

 今年、安倍首相が予定する戦後70年談話の原点には村山談話がある。談話は過去の誤った国策による植民地支配と侵略を認め、その後の歴代政権も踏襲する政府の公式見解だ。関係者への取材や残された証言から作成過程を追った。(冨名腰隆、藤原慎一)


http://www.asahi.com/articles/DA3S11631289.html


08. 2015年3月04日 19:46:19 : 0Dv68fzSLU
馬鹿なことをよく言ううもんだ。呆れてしまう。
戦後生まれ平成生まれの人には関係ないこと。、
いつまでもアメリカ、中国、韓国に媚を売るなよ、日本のことだけ考えて。

09. 大和狼 2015年3月04日 21:20:19 : 4bXKnGQAUaNEQ : 71rPyeRfow
転々と同じようなスレを立てて、異なる意見を消し去り足跡を消す手法。

実に卑怯、卑劣なプロパンダファシスト中国共産党宣伝工作。

はっきり言えば今のファシスト中国エセ共産党のどこが偉いんだ。

中国洗脳宣伝工作機関は赤匪新聞だとはっきりした今となっては赤ずきんちゃんの 物語は終わったのよ。

朝日が何を言ったからという引用では従軍慰安婦の吉田清の作り話としか日本国民は思わないだろう。
朝日新聞=頭巾を被った狼さん。 日本の子弟にはこう警告しておいたほうがいい。
戦争を煽り太平洋で日本が連戦連勝であると嘘を喧伝し続けたジャーリズムの精神基盤さえ持ち合わせないみっともない精神は特攻隊員の爪の垢を煎じて飲む資格もない。
ジャ―ナリズムの武士道精神のかけらも理解できない根性と知性では情け無さすぎる。
サラリーマン支那ポチアメポチ赤匪電通ごみ売りなど日本国には不要だ。
支那ポチNHKr労組には安倍籾井がお似合いだ。
知性ある日本人にはどちらもゴミだ。

いつまで支那朝鮮オバマアメリカの奴隷になってるんだ、非日亡霊ども。

先の戦争はアジア植民地奴隷支配開放戦争、アジア独立戦争、反人種差別戦争だった。
何が侵略で植民地支配だ。大日本帝国と大和民族はそのような人種ではないわ。
従順で皆の言う通りにするところが玉にキズだがよ。


http://www.asyura2.com/15/senkyo180/msg/796.html


10. 2015年3月04日 22:02:03 : jknXauazqc

   まだ歴史を自分勝手に捻じ曲げようとする奴がいるな。1945年の敗戦時に戻って考えたらすぐ分かることだ。

   1945年日本は「ポツダム宣言」を受諾し、連合国に無条件降伏した。これは間違いないだろう。これをはっきりと思い出すことだ。
 
   受諾したということは、日本は「ポツダム宣言」の内容を認めたということだな。これも間違いない。今頃になって「内容を認めません」と卑怯未練なことは言えないだろう。では、「ポツダム宣言」になんとあるのか。

   六、吾等ハ無責任ナル軍国主義カ世界ヨリ駆逐セラルルニ至ル迄ハ平和、安全及正義ノ新秩序カ生シ得サルコトヲ主張スルモノナルヲ以テ日本国国民ヲ欺瞞シ之ヲシテ世界征服ノ挙ニ出ツルノ過誤ヲ犯サシメタル者ノ権力及勢力ハ永久ニ除去セラレサルヘカラス
    http://www.ndl.go.jp/constitution/etc/j06.html

   日本はこの「ポツダム宣言」を、1945年8月に受け入れたのだ。一旦認めたことを後になって「日本は間違ってなかった」というのは、通らないだろう。ふつう、こういうのを卑怯未練とか卑劣とかいうのだ。

   一旦「ポツダム宣言」を受諾し降伏をしながら、後になって、あれは自衛の戦争だったの、日本だけが悪いのではないの、やれ自虐史観だのと、未練がましい態度を出したり引っ込めたりする奴がいるが、首尾一貫した潔さ(いさぎよさ)がない。実に見苦しいとしか言いようがない。


11. 日高見連邦共和国 2015年3月04日 22:28:45 : ZtjAE5Qu8buIw : mFuG9qQlTk

>きょう3月4日の朝日新聞の村山談話特集記事は国民必読である  

ほう。
じゃ、今日の帰りぎわに、マガジンとサンデーと一緒に朝日を一紙購入しましょうか!(笑)


12. 大和狼 2015年3月05日 06:22:39 : 4bXKnGQAUaNEQ : 71rPyeRfow
おい10番紅衛兵。ポツダム宣言を出した国は旧植民地支配国とスターリンだ。毛沢東も朝鮮も関係ないんだよ。なあ3国人タワーリシチ。

あんたらには関係ないし当事国以外が成りすまし戦勝国として偉そうに言う権利など何もない。

東京裁判の法的正当性は殆ど無理筋の仕返しリンチで裁かれたのは個人であって日本国ではない。

いずれにしてもサンフランシスコ講話条約ですべては終了している。
条約締結国以外には文句つける権利はない。一番の問題は国家にもなっていなかった毛沢東の中国の残党が日本にイチャモンを偉そうにつけて来ることだ。村山河野談話支持者は中国ファシストニセ共産党ワイロ国、東洋のISIL国の仲間だよ。(笑)

工作員マニュアルのポツダム宣言論は聞きあきたから、特亜の詭弁は現代の日本人にはもう通用しない。


13. 日高見連邦共和国 2015年3月05日 09:37:22 : ZtjAE5Qu8buIw : mFuG9qQlTk

11ですが、買って読んだけど、さて、大した内容ではなかったな・・・
“2つの談話全文”が載ってたから“紙の資料”としての価値はあります。

ま、これも、僅かな“朝日支援活動”の一環ですから・・・

さて、節目の年の談話云々、国民的関心と長期に渡る議論、戦争責任に対する考察の深長、
それら歴史を踏まえて未来を向いた具体的な方向性の思慮と世界への関わり方・・・
それらがなんら“熟成”されてもいないのに、“70年”とういう訳の分からない
“節目”とやらで談話を出す意味も必要性も感じないのは、私だけではあるまい。

国会承認を踏まえた“2015年国会見解”ならまだしも、“総理談話”なんぞという
“犬も喰わない茶飲み話し”ならば、勝手に出して自分が“赤っ恥”をかけばイイだけだゼ、安倍さんよぅ?


14. 北の零年 2015年3月05日 11:46:52 : pi7eKAjFENWsU : nLVcr7ZQsY
小沢談話も一緒に出せば? 言論は自由だ。


15. 2015年3月06日 18:04:55 : tduhFRXVDY
>> 09, 12

●当時の歴史を何ひとつ知らぬ、受け売りのネトウヨゾンビ腐脳!!

●残念ながら、すでに国際間に定着済み、第二次大戦の理念は、「ファシズム(ナチスドイツ+日本軍国主義)」Vs 「反ファシズム」の戦いに集約されるんだ!!

@台湾に逃げこんだ蒋介石の国民政府は、1949年、中華人民共和国の成立建国と同時に中国全土の(実効支配権)を失い、代表権も消滅している、従ってそれ以前の国民政府(中華民国)の権能規範の全ても、自動的に継承されるのは不文律だ!!

A>アジア植民地奴隷解放戦争、アジア解放戦争、反人種差別戦争だった>

ならば、当時の朝鮮半島、台湾、いわゆる「満州国」、ミクロネシア委任統治領は一体何なんだ、紛れもない日本の植民地じゃないのか!!

●自国の植民地はスルーで差し置き、他国のそれを解放云々など、そんな身勝手な戯言がどこに通用するんだ!!
日本だろうが他国だろうが、植民地は同じ植民地に変わりはない!!

●それら植民地の真の独立は、全てあくまで日本の敗戦後であり、ビルマ、インドネシア、フィリッピンの3カ国は、巨額の対日戦時賠償金を、容赦なく取り立てている。

それに反し十五年戦争で、最大の犠牲と被害を受けた中国は、1500億ドルの対日賠償金を放棄した上、43名の重要戦犯を全員釈放し、関東軍に見捨てられた4300人の残留孤児を帰還させている。

●どだい1941年後半〜42年前半当時の、世界情勢を知っているのか!!
いわゆる電撃攻撃のナチスドイツと緒戦で日本軍の優勢はほぼピークに達して、戦争のイニシアティブを握り、オランダ、フランス両国は既にナチスに降伏で占領下にあり、イギリスは大苦戦の孤軍奮闘に喘ぎ、ソ連とアメリカはようやく態勢を立て直す段階で、いづれもまともな植民地経営どころではなく、全く有名無実の状況だった!!

●一方、別の極右どもは >いわゆるABCD経済封鎖の包囲網に包囲され、自存自衛(資源確保)のため、止むに止まれず立ち上がった>

などとほざき、緒戦に於ける隠し切れぬ優勢の口実か、暗黙に侵略戦争を是認すような、この矛盾した支離滅裂さは一体何なんだ!!

●要するに極右外道どもは、歴史の流れも時系列も何もかも全く無視し、ただ見境無く常に場当たりの思い付きで、気に入らぬ事項のみを抜き出し、全てを都合よく歪曲改竄するために、前後の脈略だろうが、他者との関係や繫がりだろうが、ズタズタに切断され、著しく整合性や一貫性を欠く、極めて不自然で歪んだ代物となる!!
それをまた、辻褄をムリヤリ合わせようと歪曲に歪曲を重ね、バカげた妄言の上塗りに狂奔する、これがいわゆる、自称「歴史修正主義」とほざく、歴史偽造妄論の正体なのだ!!


16. 2015年3月08日 09:01:28 : mE5zaAHhu2
↑ 間抜け極左外道。人食い紅衛兵。

17. 大和狼 2015年3月09日 12:20:47 : 4bXKnGQAUaNEQ : PGFb8NWbeg
紅衛兵さんよ。
もっと歴史を勉強しないと、王外務大臣みたいになっちゃうよ。
植民地支配とは何かこれで勉強しなさい。

日本がアジアの植民地奴隷支配を開放し独立を助け人種差別や反植民地主義、反共産主義の戦いを戦ったことくらいわかるだろう。
これは世界の常識だよ
日本人が知らないといけないイギリスの残虐植民地政策: http://youtu.be/FTdRz4d4ECE

欧米のアジア植民地支配の歴史(Japan Liberated Asia from Euro-American Colonizers ): http://youtu.be/_PwbHPaGWLw
アジアを植民地支配から解放させた「大東亜戦争」: http://youtu.be/2hyujupHAk0

日本の真実[親日国インドが「日本はアジアの希望」と植民地解放について感謝]: http://youtu.be/yfhMBPXx1f0

【戦前】欧米の日本叩き: http://youtu.be/lQo2FVfbiyw

【日帝の植民地支配】 これはヒドイ! 思わず目を背ける・・・日本が朝鮮半島で行った、人類史上例を見ない残虐で卑劣な植民地支配: http://youtu.be/kLenp_qYP6A



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