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虐げられた無名の者たちよ、ピケティよりもマルクス『共産党宣言』を読め!(リテラ )
http://www.asyura2.com/15/senkyo182/msg/894.html
投稿者 赤かぶ 日時 2015 年 4 月 10 日 18:30:06: igsppGRN/E9PQ
 

               『共産主義者宣言』(訳・金塚貞文/太田出版/1993)


虐げられた無名の者たちよ、ピケティよりもマルクス『共産党宣言』を読め!
http://lite-ra.com/2015/04/post-1015.html
2015.04.10. リテラ


 世界が赤く見えないか。

 それは戦火で街が炎に包まれているからか、流された血が大地をおおっているからか。あるいは憤怒で自分の眼球が血走っているためなのか。

 世界がどこまでもくすんだ灰色にしか映らない者は、引き攣った愛想笑いを浮かべながら隣人にへつらっていろ。世界が赤く染まって見える者は、途方にくれる前に左巻き書店をたずねろ。ここには、やつらに見えないものが見えてしまう者の存在に根拠を与える本が揃えてある。

 しばらく休業をもらった左巻き書店もいよいよ新装開店。左巻き書店の本棚に並ぶ本の中から、いくつかの視点に沿ってブックガイドをお届けしていく。まずは「いまこそ左翼入門」だ。世の中がそろって右へならえをし、左翼といえば唾されるいま。ほんとにみんな左翼が何かわかってるのかよ。この体制への反抗を企てる者も、左翼を批判する者も。いま、だからこそ、左翼とは何かを学べ。

「いまこそ左翼入門」ブックガイドの第一弾はもちろんこれだよ。そう。『共産党宣言』。

『共産党宣言』はカール・マルクスと盟友フリードリッヒ・エンゲルスによって共産主義者同盟の綱領として執筆された。綱領とは組織の基本方針を示した文章だ。1848年ロンドンで刊行。マルクスは執筆当時29歳の若さだった。革命組織の綱領として書かれた本書は、『資本論』などの理論研究書ではなく実践的な政治文書だ。ドイツ語原文にして1万語、岩波文庫にして50ページのこの薄いパンフレットは、世界各国語に翻訳され、長年にわたって読み継がれてきた。流布した冊数としても影響力としても『聖書』に比せられることもある。

 ところが、資本主義の暴威やその限界に関する議論がこれだけ世界中で盛りあがっているのに、『共産党宣言』は打ち捨てられたままに見える。資本主義の批判において『共産党宣言』こそが、有効な武器になるはずだのに。

 なるほど確かにいま、マルクスをマルクスとして読むのが、つまりテキストをテキストとして読むのが困難になっている。まずは『共産党宣言』を読むことを阻んでいる障壁を取り除き、もっと自由な読み方ができるテキストとして提示することからとりかかろう。

 テキストをテキストとして読めないのは、『共産党宣言』を読む際に、この書が執筆されて以降の歴史を読み込んでしまうからだ。もちろん読者も歴史に規定されているからには、それはどんな読書にも常につきまとう。しかし、『共産党宣言』においては特に過剰である。例えば「共産党」という一語をとってみても、日本共産党、あるいはソ連や中国の共産党、そしてその国家体制までを読み込んで理解してしまうのだ。マルクスの時代に存在しなかったものをマルクスのテキストに織り込んで読んでしまっている。

 それは読者の政治意識・歴史意識がそうさせているだけではなく、翻訳という作業自体が政治的な改作を忍び込ませ、巧妙に読者を誘導しているからなのだ。

 そもそもこの書はほんとうに「共産党」宣言なのか。先に述べたようにこの書が綱領として書かれた組織名は、「共産主義者同盟」であって「共産党」ではない。中央の厳格な統制による現在の共産党イメージの原型をつくったのはレーニンの前衛党論であり、『共産党宣言』とは無縁である。初版では『Manifest der Kommunistischen Partei』 であったが第二版以降『Das Kommunistische Manifest』となり「Partei(党)」という言葉は失われているように、「党」という概念が重視されていたとは言い難い。こうした問題意識に立って『共産主義者宣言』という新しいタイトルを与えたのが金塚貞文の翻訳(太田出版。のち平凡社ライブラリー)である。解説の柄谷行人は自分の発案であると述べている。さらに『筑摩書房マルクス・コレクション』では、今村仁司の主導の下、「共産主義」という言葉には生産組織としての側面が強すぎ、コミューン(共同体)としての解放的ニュアンスが伝わりにくいとして、手垢にまみれてしまった「共産主義」さえ放擲し『コミュニスト宣言』のタイトルが採用されている。ようやく党派的利害による改作が施されていない翻訳が手にできる時代がやってきたのだ。

 マルクスや共産主義関係文献といえば、日本共産党中央によって、以前から定着している「暴力」「プロレタリア独裁」の訳語の印象が悪いとして「強力」「プロレタリア執権」に改めると政策決定されれば、その系統の出版物の翻訳が全て変更されるという党派操作のもとでしか読めない時代があった。いまようやく初めて、党派性から解放されたマルクス理解のできる条件が整えられている。

『共産党宣言』は「共産党」宣言ではない、「共産主義者」宣言であり、「コミュニスト」宣言であると知った時、この書の読みは解放され、もっと自由になる。

 では、『共産党宣言』(便宜上一般に流布しているこのタイトルを用いる)をマルクスのかっこいいセリフとともに読もう。

『共産党宣言』といえばまず階級闘争史観をおさえなければならない。

「今日に至るまで、あらゆる社会の歴史は、階級闘争の歴史である」との有名な一節にその歴史観が端的に表現されている。自由民と奴隷、貴族と平民、領主と農奴など抑圧する者とされる者の絶え間ない闘いが歴史として展開されてきた。その階級闘争の歴史は、ついにブルジョア階級とプロレタリア階級の対立に至る。封建社会を打ち倒したブルジョアが支配階級となった現在の社会のありよう、ブルジョア階級が果たす役割が克明に描かれている」
「ブルジョア階級は、世界市場の開拓を通して、あらゆる国々の生産と消費を国境を超えたものとした。反動派の悲嘆を尻目に、ブルジョア階級は、産業の足元から民族的土台を切り崩していった」
「そうした産業はもはや国内産の原料ではなく、きわめて遠く離れた地域に産する原料を加工し、そしてその製品は、自国内においてばかりでなく、同時に世界のいたるところで消費される。国内の生産物で満足していた昔の欲望に代わって、遠く離れた国や風土の生産物によってしか満たされない新しい欲望が現れる」
「かれらはすべての民族に、存続と引き換えに、ブルジョア階級の生産様式の採用を強制する。かれらはすべての民族に、いわゆる文明を自国に輸入することを、すなわち、ブルジョア階級になることを強制する。一言で言えば、ブルジョア階級は、かれら自身の姿に似せて世界を創造するのだ」

 いまを生きる読者は、資本主義とは何かをつかもうとする手がかりとしてこのような記述に興味をそそられるだろう。あたかも現下の経済のグローバル化を解説しているかのようだ。もちろん資本主義の世界市場展開についてもいろいろ示唆に富んでいる。さまざまな角度から玩味するに十分値する。しかし、かと言って、現実と合致した文章を発見して予言者の如く崇めても仕方ない。

 むしろ、ここではマルクスの弁証法的な視点に注目すべきだろう。マルクスが弁証法的に歴史を描いているということの意味は、対立する階級が歴史を推進するということではない。ブルジョア社会の発展がそのままプロレタリア階級の勃興を準備する道程である、という裏腹な二面性の同在を指摘したことにある。

 それはこういうことだ。「ブルジョア階級が漫然と担ってきた工業の進歩は、競争による労働者の孤立化に代えて、統合による労働者の革命的団結を作り出す、それゆえ、大工業の発展とともに、ブルジョア階級の足元から、かれらが生産し、また生産物を取得していたシステムの土台そのものが取り去られる。かれらは何にもまして、かれら自身の墓掘り人を生産する。かれらの没落とプロレタリア階級の勝利は、ともに不可避である」

 では、その逢着点としての共産主義とはどのようなものか。

「共産主義を特徴づけるものは、所有一般の廃止ではなく、ブルジョア的所有の廃止である」とマルクスは端的に定義する。

 私有財産が国有化されることが共産主義だという通俗的な理解とは異なり「共産主義は、社会的生産物を取得する権限を誰からも奪いはしない。ただ、この取得によって他人の労働を隷属させる権限を奪うだけである」「資本は、共同の産物であり、多くの人たちの共同の活動によってしか、そして究極的には、社会全員の共同の活動によってしか、機能し続けることはできない」「だから、資本が共同の財産に、社会全員に属する財産に変わったとしても、個人の財産が社会の財産に変わるわけではない。変化するのは、所有の社会的性格だけである。つまり、所有はその階級的性格を失うのだ」

「生活を再生産するための労働生産物を個人が取得することを止めさせようなどとは」考えていない。多くの人の共同によってしか、つまり社会的にしか生産されないものを、支配階級が占有することがなくなるのである。「やっぱりオレの財産を奪おうとしてるじゃないか」という者はいるだろう。それがブルジョア階級だ。プロレタリアは何も失わない。なぜなら失うものを何も有していないからだ。プロレタリアが失うものは鉄鎖だけである。

 プロレタリア階級が政権をにぎったらとるべき政策として、高度な累進課税や相続権の廃止などが挙げられている。これも近頃よく耳にするよな。

 こうして「階級の差異が消滅して、すべての生産が結合された個人の手に集中してゆけば、公的権力は政治的性格を失う」ところにまで進む。階級闘争の終焉とともに他階級を抑圧するために存在した政治権力というものも無化されるのだ。

 そして「階級および階級対立をともなった古いブルジョア社会に代わって、一人一人の自由な発展が、すべての人の自由な発展のための条件となるような連合体が現れる」とマルクスは告げる。

 所有や生産関係に重きを置いた従来の共産主義イメージに代わって、いまはこの一文に注目が集まっている。それはまた、徹底してひとびとの紐帯を断ち切り、個に解体して過酷な競争で対立を煽る、現在の新自由主義との対極の社会像でもある。

『共産党宣言』にはいまも汲むべきところが豊富にある。とはいえ執筆されたのはフランス革命の60年後、明治維新の20年前だ。マルクス、エンゲルス自身も、初版から25年後の刊行時に寄せた新たな序文では、時代遅れになった箇所や時勢の変化に合わせて書き換えるべき箇所があると述べている。超時代的にその片言隻句に至るまで正当性を擁護するような聖典でもない。

 しかし、それでも『共産党宣言』は現在に生きる書としてある。

『共産党宣言』がいつの時代においても新鮮な感動でひとをつかまえるとしたら、それは何より、歴史のとらえ方にあると言えるだろう。歴史の法則といえば決定論的に聴こえるのでそうは呼ばない。ただ、歴史とは、でたらめな偶然の集積でもなければ、英雄の個人的意志が左右するものでもない。『共産党宣言』によれば、階級闘争こそが歴史を動かす要因なのである。

 そして、『共産党宣言』は何も持たない、無名の、虐げられた存在にこそ、その歴史への参画の資格があることを明確に指し示した。だから、これまで多くの若者が『共産党宣言』を掲げながら歴史の前面へと踊り出してきたのだ。

 そう考えると、『共産党宣言』の最大の意義とは、歴史への参画を呼号するアジテーションの熱さだというべきかもしれない。この書はこうしめくくられる。

「共産主義者は、自分の見解や意図を隠すことを恥とする。共産主義者は、かれらの目的が、これまでのいっさいの社会秩序を暴力的に転覆することによってしか達成され得ないことを公然と宣言する。支配階級よ、共産主義革命の前に慄くがいい。プロレタリアには、革命において鉄鎖のほかに失うものは何もない。かれらには獲得すべき全世界がある。
全世界のプロレタリア、団結せよ!」

〈引用は『共産主義者宣言』太田出版より〉

(左巻き書店店主・赤井 歪)

●左巻き書店とは……ものすごい勢いで左に巻いている店主が、ぬるい戦後民主主義ではなく本物の左翼思想を読者に知らしめたいと本サイト・リテラの片隅に設けた幻の書店である。


 

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コメント
 
01. 2015年4月10日 18:38:36 : b5JdkWvGxs
マルクス史観はオリエント・西洋の歴史を元にでっち上げた話だろ

アジアや他の地域では成り立たないというのが定説だからね

マルクス史観はキリスト教の教義と同じで、心理学で言う楽園幻想と遊牧民的直線式進歩史観を元にしてた妄想理論なのさ


02. 2015年4月10日 18:55:46 : 62QaAmZ1Pg

わたくしは「共滅主義」こそ 

  未来にある唯一の思想だと 思う 。。。


03. 2015年4月10日 19:05:11 : YxpFguEt7k
いやぁ… ピケティでしょ。

04. 真相の道 2015年4月10日 19:29:11 : afZLzAOPWDkro : t2OvWPcH6Q
>、ピケティよりもマルクス『共産党宣言』を読め!


マルクスは『共産党宣言』の中で、暴力テロを行なえ!と主張しています。

『共産主義者は、自分たちの目的が、これまでのいっさいの社会秩序の暴力的転覆によってしか達成されえないことを、公然と宣言する。』
http://www.zenshin-s.org/zenshin-s/f-kiji/2010/10/246062.html


こういうテロ思想が革マル派、中核派のようなテロ集団を生んだわけです。

民主国家においてテロを煽るなど言語道断。
   
   


05. 2015年4月10日 20:26:15 : aDRsFk27AQ
> 初版では『Manifest der Kommunistischen Partei』 であったが
> 第二版以降『Das Kommunistische Manifest』となり
> 「Partei(党)」という言葉は失われているように、
> 「党」という概念が重視されていたとは言い難い。

ここは Partei=パルタイと読みましょう。

 

 
>>04
悪いな。あなたが睨みを効かせてる背後にはトロもいるんだぜ。
トロは黒いんだぜー 色眼鏡が赤いと損するぜー (笑)
(俺は灰色ぐらいだけどね

[32削除理由]:削除人:アラシ

06. 2015年4月10日 20:32:19 : aDRsFk27AQ
> 民主国家においてテロを煽るなど言語道断。
煽るねぇ…
安倍っち実行しちゃってるよなぁ

>>04
http://www.asyura2.com/15/senkyo182/msg/815.html#c6

http://www.asyura2.com/15/senkyo182/msg/815.html#c13
で、ちょと考察走らせてるんだが、
知見が増えるのは結構楽しいんで、ご意見賜われるとありがたいな…


[32削除理由]:削除人:アラシ

07. 2015年4月10日 20:33:04 : ZyvnhzOddw
歴史的に有名な本だけど、そこらへんの書店ではなかなか見つからないのだよね。

08. 2015年4月10日 20:34:01 : aDRsFk27AQ
(あ、一応あちらの御題は沖縄のアレなんでTPOして頂けると有り難い)

[32削除理由]:削除人:アラシ
09. 2015年4月10日 20:37:06 : aDRsFk27AQ
>>07
なぜか山岳専門の書店の隅っこ穿り返すとたまーに置いてあったりするんですわ。
気が付く奴もアレですけど(おれかw

[32削除理由]:削除人:アラシ
10. 2015年4月10日 22:09:59 : piGNkVfnWo
マルクスの思想がなければ、今の社会に

国民皆保険制度も年金制度も、労働組合の団体交渉権もないだろう。
労働者が個人としての権利を主張できることもなけ入れば労働時間の上限を決めた労働基準法も生まれなかっただろう。

その労働基準法をつぶし残業代支払いをゼロにしたい、労働組合をつぶし皆を非正規労働者にしたい、個人には自己責任を強調して企業は社会保険の負担を減らしたいのが今の財界、自民党。

社会主義と言う名の官僚独裁は破綻したが、マルクスの思想から生まれた上記の制度は社会に必要なものだ。


11. 2015年4月10日 22:51:21 : gxIazOvQco
「共産主義者宣言」懐かしいな。
出たのがソ連崩壊後だったな。
朝生でも共産主義とマルクスの行く末をどーするなんて討論やってて、左翼関係者が出席者や田原総一郎から冷笑浴びてた時代だった。

太田出版の赤い装丁の本で書店の棚に異様かつすごく目立って置いてあったので、なんとはなしに惹かれて初版買って読んだよ。
柄谷行人があとがき書いてたんだよ。
翻訳の金塚って人が共産党じゃなくて共産主義者てわざわざ変えたんだよな、タイトルを。


12. 2015年4月10日 23:16:51 : tsNCkySFQk
いまさら共産主義持ち出すとか、鼻で笑われて終わりだろう
行き過ぎた資本主義には私も反対だが共産主義を持ち出すとかストレートすぎるだろう。
もっとソフトにやらないと食い付く人は増えないよ。

と思ったけどリテラは左翼メディアだからこれでいいのか。
お仲間しか来ないんだろうから。


13. 手紙 2015年4月11日 00:06:07 : ycTIENrc3gkSo : C9qhLMXdZI

権力による民衆に対する暴力や示威の系譜が途切れてはいないが故に、

民衆による権力に対する暴力や示威の伝統を途切れさせてはならない。


14. 2015年4月11日 00:17:32 : gxIazOvQco
すべてこれまでに立ち現れてきた社会の歴史は、階級闘争の歴史である。
用語上、自由民と奴隷、貴族と平民、領主と農奴、ギルドの親方と職人つまり抑圧するものと抑圧されるものとは、つねに相互に対立し、ときには隠然と、ときには公然と、いつの時代にも終息することなく闘争をおこなってきた。そしてこの闘争は、いつでも社会を大規模に革命的改造して終わるか、さもなければ、相争う階級の共倒れにおわった。
歴史の初期の時代には、我々は、ほとんど至る所に、上下に整序された社会的身分からなる多様な秩序を持つ社会が複雑に編成されていることを見い出す。
古代ローマでは、貴族、騎士、奴隷がいた。中世には、封建領主、家臣、ギルドの親方、熟練職人、徒弟、農奴がいた。なおその上、こうした階級のほとんどいずれにも、さらにその内部に下級序列が敷かれていた。
封建社会の没落から出現した近代ブルジョワ社会は、階級対立を終らせなかった。
それは、古いものにかえて、新しい階級、新しい抑圧状態、新しい闘争形態を持ち込んでしまった。
われわれの時代すなわちブルジョアジーの時代は、階級対立を単純にしたというはっきりした特徴を持っている。全社会は、敵対する二大陣営に即ち直接相対立する二大階級につまりブルジョアジーとプロレタリアートににますます分裂しつつある。
中世の農奴のなかから最初期の諸都市でお墨付きを得た市民(ビュルガーー)が躍如として生まれ出てきた。
そして、この市民のなかから、ブルジョアジーの最初の諸要素が生まれ、発展した。
アメリカの発見、(アフリカの)喜望峰の回航は、勃興しつつあるブルジョアジーのために新しい活動分野をひらいた。
東インドや中国の市場、アメリカの植民地化、諸植民地との貿易、交換手段および一般に商品の増加は、商業に、航海に、産業に、前代未聞の衝撃を与え、そういう諸々の理由によって、崩壊しつつあった封建社会のなかの革命的な要素を急速に発展させた。
産業の封建的な体制は、そこでは産業生産は閉鎖的なギルドによって独占されていたが、今やもはや新市場の中から成長してくる欲求に応じえない。
工場制手工業(マニュファクチュア)がそれにとってかわった。
ギルドの親方は、工業制手工業の中産階級に押しやられ、異なる企業のギルド間の分業は、各々(おのおの)単一の職場における分業に出くわすことにより消滅した。
その間、市場はずっと成長を続け、需要は増加し続けた。遂に、工場制手工業でさえ不十分となった。
その時にまさに、蒸気と機械が産業生産を変革した。
マニュファクチュアに代わって巨大な近代産業が生み出された。産業の中産階級に代わって産業の百万長者が、全産業兵士の指導者が、つまり近代的ブルジョワの登場となった
近代的産業は世界市場を確立した。というのも、アメリカの発見が道を開いた。
この世界市場は商業、航海術、陸上交通にはかりしれない発展をもたらした。
この発展が順次産業の拡大に反応した。産業、商業、航海術、鉄道を拡大させたがその拡大に比例してブルジョワジーが発展し、その資本を増やした。そして、中世から受け継いだあらゆる階級を背後に押しやった。
こうして我々は、近代的ブルジョワジーが、長い発展コースの産物として、そして生産と交換の様式の一連の革命の産物として生み出されてきたことを知る。
ブルジョワジーの発展途中の各段階には、その階級に対応した政治的進歩が伴っていた。
ブルジョワジーは、封建貴族支配下での被抑圧階級であり、中世的なコミューンでは武装自衛した自治的な連合であり、ここでは(イタリアやドイツのように)独立した都市共和国であり、かしこでは(フランスのように)君主制のもとでの納税義務を負う「第三身分」であった。その後、マニュファクチュアが勢いとなった時代には、半封建的君主制や絶対君主制においては貴族に対する釣合いの鐘として奉仕しながら、事実上は、一般的に大君主制の礎石となったのではないのか。
ブルジョワジーはそして遂に、近代的産業と世界市場を確立する。以来、近代的代議制国家において、排他的独占的な政治支配を自分達のために勝ち取った。
近代国家の行政権力とは、ブルジョワジー全体に共通する事務を管理運営する委員会にすぎない。
ブルジョワジーは、歴史的には、もっとも革命的な役割を果たしてきた。
ブルジョワジーは、支配力を握ったところではどこでも、あらゆる封建的な、家父長的な、牧歌的な関係を終わらせていった。
それは、人をその「生まれながらの上位者」と結び付けていた色とりどりの封建的絆を無慈悲にひきちぎり、人と人の間に、むきだしの自己利益以外の、無情な「現金払い」以外の他には何の関係も残さなかった。
宗教的敬虔(けん)や騎士道的忠誠心や俗物的感傷主義という最高に神聖な陶酔(エクスタシー)は、利己的打算という氷のように冷たい水の中で溺れ死にさせられた。
ブルジョワジーは個人の品位を交換価値に取り替え、数多くの勅許された自由の代わりに、あのたった一つの良心なき自由即ち自由営業を据えた。
一言でいえば、宗教的で政治的な幻想で覆いかくされた搾取を、むきだしの、あつかましい、直接的で、粗暴な搾取と取り換えた。
ブルジョワジーは、それまであがめられ、尊敬をこめた畏怖をもって見られてきたあらゆる職業から、その後光をはぎ取った。
医者、法律家、僧侶、詩人、学者を、賃労働者に変えた。
ブルジョワジーは、家族から感傷的な覆い(ブェール)を引きはがし、家族関係をただの金銭的関係にした。
ブルジョワジーは、復古派がしきりに賛美する中世の粗野な生活様式が、非常にテンポの遅い怠惰なのらくら生活と表裏一体をなしていることを見つけ、暴露した。
ブルジョワジーは、初めて、人間の活動がどんなことを成し遂げられるのかを明らかにした。
優れものであるエジプトのピラミッド、ローマの水道路、ゴチック様式の大聖堂をはるかに凌ぐ奇跡を成し遂げ、それまでのあらゆる民族移動や十字軍が色あせるような遠征に乗り出した。
ブルジョワジーは、生産用具を、次に生産関係を、それにより社会関係全体を不断に変革しないでは、生存することができない。
それとは対照的に、古い生産様式をその形を変えることなく保持することが、それまでの全ての初期産業階級の第一の生存条件であった。
不断の生産変革、全社会状態の絶え間ない騒擾、果てることなき不確実性と興奮(アジテーション)が、ブルジョワ時代をして全てのそれ以前の時代から識別する。
 あらゆる固定され牢固にされていた諸関係が、それに連動している古めかしい且つ敬虔な偏見や見解とともに一掃され、あらゆる新しく形成された関係も又血肉化するひまもないうちに古くさくなる。
あらゆる形あるものが溶けて霧散し、あらゆる神聖なるものが世俗のものとなり、人は遂には自分たちのほんとうの生活状態及び一族に纏わる諸関係に、素面(しらふ)で直面せざるをえなくなる。
生産物のたえず拡大し続ける市場に対する必要性から、ブルジョワジーは地球の全表面を駆けずり廻る。
ブルジョワジーはあらゆるところに巣をかけ、いたるところに住み着き、どこにでも取引先をつくらなければならない。 
ブルジョワジーは、世界市場の開発を通じて、あらゆる国の生産と消費に世界主義(コスモポリタン)的性格を与えた。
復古派にははなはだお気の毒だが、ブルジョワジーは産業の足元から、それがよって立っていた国内的基盤を掘り崩した。
あらゆる古くからあった国内的諸産業は破壊されてしまったか、あるいは日々破壊されている。
そうした産業は新しい産業に駆逐されてゆく。新しい産業を導入することはすべての文明諸国の死活問題となっている。産業はもはやその地域固有の原材料を使うだけではなく、はるか遠く離れた地方からもってきた原材料を使い、その生産物は国内だけでなく、世界のいたるところで消費されている。
自国の生産物で満足していた昔の欲望にかわって、我々は、遠く離れた土地や風土の生産物を求める新しい欲望があらわれるのを見出す。
昔の地方的・国内的な棲み分けと自給自足のかわりに、我々は、全ての交易において諸国家(民族)との全域的な相互依存関係に入るようになる。
そして、物質的生産と同じことが、精神的生産においても生じる。
個々の民族の精神的産物は共有の財産となる。
偏狭な民族的なものはますます不可能となり、多くの民族文学や地方文学に代わって世界文学が勃興するようになる
ブルジョワジーは、あらゆる生産用具を急激に改良することで、無限の交通手段によって、あらゆる国家(民族)を、もっとも未開な野蛮人までも、文明へと引き入れる。
商品の安い価格は重砲隊である。重砲隊は、中国の城壁をもぶち壊し、野蛮人のひどく頑固な外国人嫌いも屈伏させるよう強いる。
商品の安い価格は、すべての国家(民族)に、滅亡したくなければブルジョワ的生産様式を採用するように強制し、そのど真中にいわゆる文明を導入すること、すなわちブルジョワになることを強制する。
一言でいえば、ブルジョワジーは自分の姿に象って世界を創造する。

太田出版、「共産主義者宣言」より、抜き出し。


15. 2015年4月11日 01:12:57 : aDRsFk27AQ
>>12
真っ赤な点だったり、カーキ色の点だったり思ってるからそうなるね。
真ん中も点だと思ってるから「中道」なんてな、あり得ない『点』に人束ねて邪な方向に持って行こうとする厄介な連中も何度となく現れた。
百人居れば右の端から左の端迄百の位置があるんよ。
鼻で笑う人間が減った流れは311以降の左右共闘の中にも見えるよね。
「ブサヨが都合の良い時だけ天皇持ち出して云々」茶化す輩(ああいうのって流行なの?)が見受けられる今日この頃なんだけど、
結局こう言った、…それこそ「今時」にしてみたら鼻で笑い飛ばされる視野なんじゃないのかなぁ…。
(ちなみに俺ァ、最近は物理的な居場所が変わっちゃったんで
 疎遠になっちゃったけど、311以降どころか30年其処ら前の学生の時分から
 長らく友達付き合いしてた日の丸街宣さん(珍しく本物国士)達が居たよ。
 靖国の花見でショバ代巻き上げに回ってた似非と切った張ったやって
 蹴散らしてたそうな…って、その時はその場に居なかったんだけどね、
 別な友達から聞いて笑ったなー。なつかしー)
話をする事でお互いの糧になる事を弁えてたんだろね。意識しなかったから今更に思うんだけどね。

そういうみたくのがいま一杯増えてきて嬉しく思う(311は不幸だったけど…)。
そのせいで右から、左から、お互いにいろんな問題に同じ目標で取り組める様になったのはもの凄く素晴らしく思ってるよ。

点だと思い続けてる人は、ちょっとでも合わない人は全部反対側の点にしか見えないんじゃないかな。
そう考えて得る物はなんだろう? 多分目先の安心感だけなんじゃないかなと思うんだよね。
貧困の問題とか、差別の問題とか、…沢山あるよ。勿論原発も。
そういうのに右からも左からも考え始めてる。行動する人さえ増えたね。右からも左からも…。
「点」に閉じこもってると…、そうね。雪合戦みたくイデオローグの投げっぱなしで終わりなんじゃないのかな。
だから「不毛だ」と笑い飛ばす。…でもそれも投げっぱなしで不毛なんじゃないかしら?

>>10さんが…、 多分「何をいまさら言い尽くされたまたアレか」と受け取ったんじゃないかな思いましたが…な一言を書いてくれてるけど、
こういうのって、耳を貸した…或いは知見を取り入れた結果だよね。

みんなが同じ事初めちゃったら、多分そういう知見ってもの凄く狭い範囲に止どまっちゃうんじゃないのかな。
(ファッショって、もしかしたらその先にあるのかも知れないね。
 さっき「真ん中の『点』」について触れたけど大体其処に人々を誘うのって、
 歴史的にそう言う方面が多い気がする)
左に詳しい人がぱらぱら〜って居て、 右に詳しい人がぱらぱら〜って…ね。
「ぃゃ、こんなんあるんけどどーおもう?」「いやそりゃアカンでしょ」「そりゃいいねイタダキっ(笑)」みたくが、先が明るく無いかしら。
今そんな風な芽が葺いてるのがちょと嬉しいんだよね。

だってねぇ。1人がいっぺんに右も左も詳しい知見なんて、そりゃ無理っしょ。有り得ねぇですもん(笑)

ちゅわけでアタシの場合は左に居ます。 どん詰まりじゃぁないよ。
共産党宣言はもちっとコアな人に…、 そう。立ち位置によって「餅は餅屋」ってもんです。お任せです。
あたしは…そうだなぁ、安倍に必殺カニ光線攻撃くれてやる辺りかなぁ(笑

長らくお目汚しざんしたでした。

[32削除理由]:削除人:アラシ

16. 2015年4月11日 01:26:13 : aDRsFk27AQ
>>12
http://fast-uploader.com/file/6984238489163/
よかったら、コレ、おみやげに持って行って下さいまし。
最近頭のなかの概念自分なりに整理してみたもんです。
座標の上の方に、ちょと作った時にまるで失念だったんですけど、安倍ちゃんの名前も入れて御覧になると、もっとソレっぽくなります。

[32削除理由]:削除人:アラシ
17. 2015年4月11日 07:30:36 : E3PP9eRKja
ピケティもマルクスも読むべきでしょう

労働の搾取のしくみを学ぶためにはマルクスの「賃労働と資本」がいいでしょう
岩波文庫で100ページです 
翻訳が硬いですが、読み手が柔軟に解釈しましょう

小川賢太郎とか竹中平蔵といった悪人たちがマルクスを学んで、
その知識を私利私欲のために悪用したことは明らかです

あとブルジョアとかプロレタリアートという用語は硬直的で時代遅れですね
前者は安倍とか麻生とか曽野綾子とか東電とか経団連に属する人々であり
後者は公務員・大会社社員以外の広範な有権者国民と実体に即した現代的な表現に
改めることにより、マルクスの遺産が国民に浸透されやすくなると思います


18. 北の零年 2015年4月11日 11:58:14 : pi7eKAjFENWsU : nLVcr7ZQsY
ピケティもマルクスも…の17.氏に賛同。13.の手紙氏にも同調。
琉球独立運動を支持。その他諸々は各々の場所に書いたので略。



19. 2015年4月11日 13:34:18 : LKXRYf922A
お金がなくて本を買えない人、本屋に行くのが面倒くさい人は、以下をどうぞ。
マルクス主義の基本文献がタダで読めます。
http://homepage2.nifty.com/akanotama/doc/
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/honyakubun/top.htm
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/marxismco/marxism_genriron_gensyo.htm
http://redmole.m78.com/
http://okrchicagob.moto-chika.com/DME/DME.html
http://www.geocities.jp/osaka_multitude_p/gakushuu_bunken/gakushuu_bunken.html
最後のものには、右翼の文献もあります。


英語で読みたい人はこっち
https://www.marxists.org/archive/marx/works/

ドイツ語で読みたい人はこっち
http://www.mlwerke.de/me/


20. 2015年4月11日 15:29:38 : fDG1cWsHyw

右翼左翼いずれも日本政治社会では外人が紛れて内政干渉してきているからその排除を完遂してから

語らないと意味はありませんよ?


21. 2015年4月11日 15:33:46 : R4NKljzD8k
>マルクス史観はオリエント・西洋の歴史を元にでっち上げた話だろ

特定の地域に成り立つ歴史観ではない。
あくまで人類全体の歴史をそれぞれの時代の中心となる文明・地域の
発展衰退から俯瞰したもの。

>アジアや他の地域では成り立たないというのが定説だからね

そんな定説はないよ。


22. mikan 2015年4月11日 15:47:07 : gconFbeNAgrkQ : shdqYBUQDQ
「共産党宣言」をしっかり読むこともよいかも知れないが、マルクスだの弁証法だの言っても、今から150年以上昔の思想家の考えで古いと言うのが一般人の正直な感想ではないか。

マルクスはその当時の最新の知見や科学を使って社会格差、資本主義の問題点などを解こうとしたのに、その間科学は著しい発展を遂げたのに関わらず、その時代から、今まで、「科学」的社会主義については、理論的などれだけの進化があったか。

単なる歴史的経験則を大げさに「科学」呼ばわりして自らを権威づけ、マルクスの著作を教条化し、そこに終始して満足し、マルクスが解き明かそうとした、社会格差や社会や政治、経済の問題を、時代の新しい諸知見を取り入れて解明を試み、マルクス主義やその主張する根本的な部分を批判的発展的に継承していくという姿勢がない不満が、植え付けられた旧ソ連の悪いイメージも手伝って、人々をピケティに向かわせてブームを引き起こしたり、この掲示板の住民の多くが日本共産党でなく山本太郎や小沢一郎に期待を寄せる事につながっている。

ピケティは単に統計的分析から資本主義下の自由主義的政策で社会格差が広がる実態をあぶり出したに過ぎす、マルクスが試みたような共産主義的価値観を理論的科学的に裏付ける総合的な思想体系を作ろうとしたわけではないにしても、マルクスは、あくまで、1つの古典であり、共産党も、戦争反対やブラック企業根絶、格差解消を訴える前に、自分たちが世間から受け入れられない理由をよく考え、自分の足元をよく見るべきだろう。


23. 一主婦 2015年4月11日 20:07:51 : rfKiZAFzfsBYA : 8lwcLsPSAE
>>22. mikan さん

私たちの思っている事を、適切に仰って頂きありがとうございます。

私達は、経済に疎い主婦仲間です。本物の「民主主義」の定着を標榜しています。
「共産主義」には一党独裁のイメージと全体主義のイメージが強く、なじめません。ここで共産党さんが一生懸命に説明なされば為さるほど敬遠する形になってしまっていました。堅苦しいと言うイメージが抜け切れません。本当の事が分かっていない所為かもしれませんが、民主主義を標榜していますから主義が違うのですから理解出来ない、納得出来づらいのは仕方がないことなのかもしれませんね。

経済も、自由主義の弊害を政治の力で補うと言う小沢氏の「国民の生活が第一」の政治姿勢を支持しています。共産主義経済は過去にいくつもの国で失敗している事もあり、どうなのかな〜?とも思っていました。問題の有る新自由主義も、貧富の格差が激しくなり、各国での自由主義経済の見直しがなされているそうですから、どの経済を取り入れても、一長一短であるという事なのでしょうね。

ですから、貴方様のコメントがストンと胸に落ちました。
その二つの中間あたりの経済が取り入れられ、なおかつ政治の力で、その欠点の補強が成されればいいなぁと思っています。ピケティさんのビデオは視聴しましたが、極一般的な事の、証明をグラフや数値で為さっているだけのように感じられました。

こんな、何も分からずにもやもやしていた私達に、分かり易いコメントをありがとうございました。おかげさまで、私たちの胸の内を表現して頂きスッキリしました。また、いろいろと教えてください。


24. 2015年4月11日 21:24:07 : aDRsFk27AQ
>>19
ぉぉぉぉーーー! すごい。
全部有難くいただきます。
最後に北一輝のオマケ付きなのも素敵ですわ。 大感謝です!

[32削除理由]:削除人:アラシ
25. 2015年4月11日 21:29:34 : aDRsFk27AQ
(ぁ、れんだいこさん処とレッドモールが混ざってたw)

[32削除理由]:削除人:アラシ
26. 2015年4月11日 23:35:30 : V8ALKaJfjY
マルクスの時代

資本と定義できるものはロスチャイルドしか存在しないからな

マルクスは、第一段階で共産革命=共産党宣言

第二段階で無政府主義=ブルジョワジーを叩き潰すための共産国家が、今度は解体

諸個人が資本を媒体に、国家が不在な状態で生きて行くとしている

此を共産主義とは呼ばないだろう、、、此は資本主義だ

[12削除理由]:削除

27. mikan 2015年4月12日 12:39:19 : gconFbeNAgrkQ : KkGqjnJQDg
>>23さんへ

経済、財政、少子化など、今の日本が抱えている諸課題は、累進課税の強化(近年日本でも大幅に緩和傾向にある高額所得者層の税負担を増やす)をして消費税をやめ、所得再配分により有効需要を増やす、敵を作って軍事予算を増やすような政策をやめる、社会福祉、教育に予算をまわす、と言う事をまじめに行えばかなり解決できそうな気はします。まともにものを考えられる殆どの庶民はそう思っている筈です。ピケティさんも、グローバルな累進課税が必要だと説いておられます。

経済政策は、共産党が天下をとったとしても、現実にはベトナムや中国のような路線を進むのでしょう。北朝鮮が中国型を警戒するのは、韓国に似た政策をとれば自国の存在意義がなくなるのを恐れているのでしょうか。

共産主義に「一党独裁のイメージと全体主義のイメージが強く」と言うことですが、独裁政権もうまく運営されるとポピュリズム的政策に走りがちな民主主義システムよりも大変効率の良い政策運営が行えるは確かです。しかし、リアカーとトラックの例を挙げると、ハンドルやブレーキの壊れたトラックよりはリアカーの方がまし、と言うことになってしまうのです。この「ハンドルやブレーキ」に該当する部分が、上のスレッドで申し上げた、科学的社会主義の「理論」に含まれるわけです。

一般庶民は、共産主義、社会主義について悪いイメージを叩き込まれている事もあり、選挙行動にあたってはこの事を一番懸念し危惧します。しかし、他県は知りませんが共産党の強い私の地元では選挙の前にはたくさんの共産党の宣伝ビラが配布されますが、ここには、戦争反対やブラック企業規制、政党助成金どうのこうのと言うことはさかんに書かれていても、共産主義の「理論」的なことや、>>23さんの心配する経済政策や一党独裁のことについては触れられておらず、庶民が共産党に対しておそらく一番気にしていることにまともに向き合っていないと言えます。

マルクスを乗り越えると言う事は、共産党に限らず、社会科学分野の大きな課題であり、容易な事ではないでしょう。しかし、「科学」の介在によってより理論が精緻に深化させられ、発展的に継承されていくべきであり、やがてその時代は来るでしょう。人工知能分野による、人間の精神活動、知的行動のシステムの解明を試みようとする流れからも、21世紀の社会科学は新しい研究も生まれてくると思います。共産党も未来志向であって欲しいと思っています。


28. 2015年4月12日 20:05:21 : LKXRYf922A
>>20
プロレタリァは祖国を持たない。国籍にとらわれない利益を追求する。
外人の日本への干渉?確かに現在のアメリカはそうだ。
歴史的には、日本が外国に干渉したほうが、遥かに多い。

>>22
資本主義は、先祖返りをしたのだ。
一時は、ケインズ主義の政府による市場介入や、福祉国家など、社会主義を部分的に取り入れて延命したのだが、1980年代以降、ソ連・東欧圏が傾き、崩壊した。そこで資本主義は、昔のむき出しの収奪を行うようになり、マルクスの主張が再びピッタリと当てはまるようになったのだ。

>>23 一主婦さん
>「共産主義」には一党独裁のイメージと全体主義のイメージが強く、なじめません。
それは、マルクスより後の、レーニン主義あるいはボルシェビズムだよ。そしてそれをスターリンがより悪い方に拡大した。
前衛党論、外部注入論(エリートが労働者階級を指導する)、民主集中制(民主主義的中央集権)などだね。日本共産党は、これらおよび暴力革命、プロレタリア独裁を党の公式文書からは削除した。もっとも民主集中制だけは今でも残っている。私は、日本共産党が本当に政権を取りたいのであれば、これも放棄すべきだと思っている。
レーニンの時代には共産主義者が自由に活動はできなかったから、仕方がないという面もある。
そんなに嫌わないでよ。まずは >>19 でリンクを貼った文献の一つぐらいは読んでみることをお勧めします。

>>26
支離滅裂だね。>>19 でリンクを貼っておいたマルクスの著作を読んでみることをお勧めする。
資本と言ったら、ロスチャしか知らないのかね。
なんで共産主義社会で、資本があるのかね。資本とは、剰余価値(搾取の根源)を生むものだよ。

>>27
ピケティの主張には私も賛同します。しかし彼は累進課税など、税制しか言わないのが不満です。もっと搾取を生む経済的構造に切り込んで欲しいのですが。
マルクス主義は今日では乗り越え不可能な思想、といったのは、あの哲学者サルトルです。
中国は、封建社会から一足飛びに社会主義を目指したが、それは不可能であることに気づいて、今、中国の歴史上始めて、資本主義社会を作ろうとしているのではないでしょうか。
一党独裁は、社会主義・共産主義からの逸脱です。今、マルクスの著作のどこを見ても、そんなことは書いてありません。


29. 2015年4月12日 20:44:40 : LKXRYf922A
>>24
ナラロール(Not at all.) どういたしまして。



30. 一主婦 2015年4月12日 22:28:30 : rfKiZAFzfsBYA : 8lwcLsPSAE
>>27. mikan さん

より詳しい説明をありがとうございます。
でも、難しくて・・・半分も理解できません。「科学」と「社会」がくっ付いた専門用語・・・そしてそれが「経済」に・・・もう、頭が受け付けません。

でも、逆進制の消費税は無くしてほしいと思っています。
私達は「社会保障」のために使うと言う言葉をつけられると、なんとなく賛成してしまうような主婦仲間でしたが、遅まきながら、そんな消費税は社会保障になど回ってこないという事を知って、苦々しく思っています。

本来は、社会保障費も消費税ではなく、一般税収から使うのが本当ですよね?増税と言うと、決まって「消費税」が当たり前になっていて、おかしいですよね?富裕層からの税収も以前より下がっているという事ですから、消費税を挙げるのではなく、消費税を止めて富裕層からの税率を昔に戻したり、上げたりするのが正常な方法ではないのかなぁ?と思います。大企業が税金を払っていないところが多いのだとも聴きますし、なんかデタラメな税収になっていますよね?

こんな程度の事しか書けませんので「マルクスを乗り越える」の意味がどんな事を意味するのかも分かりません。「科学」の介在でゆくゆくはそういう経済にたどり着くのですね?・・・経済と科学?・・・その二つ、私の頭では結びつかないんですけれど・・・貴方様の貴重な説明も、私には宝の持ち腐れですね。もっと基礎を作ってから出なければとても無理ですね。

貴重なお時間を使って頂きましてありがとうございました。


31. mikan 2015年4月13日 19:45:40 : gconFbeNAgrkQ : EnQaRGb8fU
>>30さん

社会保障を強くしようとすると、その財源をどこから捻出するかという話になりますが、一般に、左翼的な政権は、不労所得(土地や配当、金利などから利益を得る)者や、高額所得者から多く税を取り、低所得者層の負担は軽くして、格差を軽減させる政策をとると思います。高所得者は、確かに責任ある仕事をし、単純労働よりもはるかに大きな利益を生み出す生産性の高い仕事をし、それだけ苦労もしてきたから高い報酬を得て当然かも知れなくても、それだけで、一方では働いても働いてもまともに食っていけない、十分な教育機会さえもない人がいる一方で、片方は何千万、何億と言う年収を得、資本家が余剰価値を集積するのは「不公平」と捉えるのが左翼的な発想です。こういう考え方は、金持ちにとっては都合が悪いし、金持ちは政治的、経済的な大きな力を持っており、大手メディアも多くは彼らの味方ですから、左翼的な事を言う人間はソ連や北朝鮮などを引き合いに出して危険扱いされ、悪口を言われているのが現状です。

日本のお金持ちランキング
http://matome.naver.jp/odai/2134883260842257001

ご存じだとは思いますが、ソ連型の社会主義が「失敗した」とされる一方、新自由主義的な経済政策では、金持ちをさらに富ませれば、経済状況がさらによくなり、結果として貧しい者にその富が滴り落ちる(トリクルダウン)ということで、社会福祉を削り、金持ち優遇の政策を行う事が、日本を含め、最近の世界的潮流でしたが、この結果、格差の拡大が日本やアメリカなどで大きな社会問題となっていました。その中で、統計をとって、このトリクルダウン効果を否定したことで、今、ピケティが注目されているわけです。

「経済と科学?・・・その二つ、私の頭では結びつかないんですけれど」と言うことですが、「経済」という概念は、消費、生産、分配、取引、価値、価格など、人間の行動や、知的活動パターンから生まれる概念であり、人間の精神活動、ものの考え、つまりは、大脳における認識や情報処理の特性とその成り立ちが大きく関わってきます。上に挙げた「不公平」という価値観も、「科学的」な人間知性の研究を原点に、客観的に評価されるべき性質のものである筈です。

人間の知性の解析を行う、脳科学、情報科学、人工知能の最近の研究成果は、150年前のマルクスの時代には得たくても得られなかったものです。社会科学というものは、経済に限らず、政治、社会、法、そして哲学の分野に、「科学」的、客観的な説明を試みようとする姿勢の事ですが、つまりは、人間の「行為」の科学的解明が、経済の問題、つまりは、社会格差や貧困の分析、税制の評価などに関わっているという事だと思って下さい。

「マルクスを乗り越える」と書いたのは、マルクスが分析したかった、共産主義的思想体系の理論的構築が、現在の社会において、新しい「科学的」手法により試みられ、世界的に経済や政治の混迷を深める今日、進歩した新しい共産主義思想のあり方が示されても良いと言うことです。

中途半端な説明だと煙に巻いたようで失礼だと思い、あれこれ追加で長文の説明を書きましたが、分かりにくかったと思います。私はもうこれ以上ここにあれこれ書きませんが、興味をお持ちでしたら、この阿修羅掲示板の経済や政治の他の記事、コメントをはじめ、ネット上にもいろいろな方が意見を述べられていると思いますので、また、私も勉強不足なのですが、>>19さんもいろいろ資料を載せて下さってますので、ご自分で勉強されるとよいと思います。>>30さんのような、今の社会に疑問をもち自身で政治や経済の問題を探求をしようとされる方が増えることが、社会が荒廃し、経済が衰退しつつある今の日本の将来にとって明るい話だと思っています。もっと丁寧な説明を見つけて納得される事を願っています。


32. 一主婦 2015年4月13日 23:55:19 : rfKiZAFzfsBYA : 8lwcLsPSAE
>>31. mikan さん

更なる説明をありがとうございました。

なんとなく少し分かってきました。
私が思わされているマルクス主義は、完全なものではなく、失敗したモノを殊更強調して悪く思わされているという事ですね。そして、貴方がおっしゃった「マルクス主義を超える」とは、完成していなかった主義を完全な状態のマルクス主義に近づけ、その上、不完全なな部分や欠点となる部分も修正しながら完全なマルクス主義に近づこうと言う主張ですね。

今、世界中で取り入れられている自由主義も、格差の問題が明らかになってピケティさんの統計と検証によって、トリクルダウン説も否定されたのですね。ピケティさんの分析を待つまでも無く、その事実はみんな実感している事ですよね?上の方々が儲け放題で抱え込むだけ、その儲けの部分を従業員には賃金として分けていませんから、実感として実態としてみんなすでに知っていることですものね・・・科学って、こういう実感を経済論として実証する事のようですね。それならなんか身近に感じられます。

マルクス主義も完全ではなく、マルクスを超える必要がある・・・と、今の自由主義もトリクルダウンが実は無かった・・・と、完全な経済主義は実行された事は無いと言うことのようですね・・・完全なものは無いから、その不完全な部分を政治の力で補うと言う小沢氏の考え方に賛同していますが、自由主義の不完全な格差の部分を政治の力で補うという考えでは無理なのでしょうか?

マルクス主義を超えるの意味も、マルクスの不完全な部分を政治の力で補って完全なモノに・・・と理解していましたが、政治の力ではなく、主義の完全性という事なのですか?政治の力では経済の形は補えない?・・・なんか、疑問ばかりが増えてしまいました。私の頭に合うものを探して勉強して見ます。お蔭様で何が分からないか分からない状態よりは少し増しに成ったかと思います。自分の疑問に対する答えを調べて勉強して見ます。

いろいろとありがとうございました。


33. 2015年4月14日 10:19:33 : LKXRYf922A
>>32. 一主婦さん
また、あらわれてごめんなさい。
そんなに嫌そうな顔をしないでください。今回は小沢さんの悪口は書いていません。

>完全な状態のマルクス主義
完全なものはありませんよ。おそらく、mikanさんのおっしゃっているのは、マルクス主義を今の時代に合わせアップデートする、ということだと思います。
それに、マルクスは資本主義社会の分析をしたのだから、我々の社会が資本主義社会でなくなったら、また別の理論が必要になります。
本当かどうかよくわかりませんが、旧ソ連では、「資本主義経済学」としてマルクスの経済学を教え、「社会主義経済学」として近代経済学(マルクス以外の経済学。新古典派やケインズなど。)を教えていた、という話があります。

私の考えは、以前にも書きましたが、以下です。資本主義が初期の姿のままでは労働者の不満が爆発して革命に至る。それを防ぐために部分的に社会主義を取り入れ、ケインズ主義のように政府による市場介入を勧めたり福祉国家を作ったりしたのだが、ソ連・東欧圏の退潮とともに、資本主義がこれらを投げ捨て、初期の資本主義に先祖返りをした(=新自由主義)。そこで、マルクスの言っていることが、再びよく当てはまるようになった、ということです。

マルクスの言っていることは、驚くほど先進的です。労働者の窮乏化のみならず、近代大工業の発展や小規模事業者の没落、グローバル経済など、日本の江戸時代(1848年)に、そんなものがあったのだろうか、と思ってしまいます。おそらく今ほど発達はしていないが、そういう傾向にあるという事に気づいていたのでしょう。

マルクスが古いという人には、まずマルクスの著作を読んでみて、どこが古いのか具体的に指摘して欲しいと思います。読みもしないのに、単に150年前のものだから古いに決まっている、と決めつけるのは良くありません。
それを言えば、「聖書」や、東洋では「論語」など、マルクスよりはるかに古いのですが、今でも読まれています。

格差拡大や、トリクルダウン説が誤りであることは、ピケティ以前から言われていたことです。最近では、OECDまでが言っているそうですね。ピケティの主張自体は特に目新しいものではないのですが、それを過去300年にわたるデータを使って裏付けたところがすごいです。

ピケティが言っているのは、資本主義は放置すれば、r(資本収益率)>g(経済成長率)の法則により、格差が拡大する。特に富(ストック)の格差の方が所得(フロー)の格差より大きく、それは相続により世襲される。また親の富・所得の格差は子の教育の格差となり世代を連鎖する。それを放置することなく、累進的な税制の導入や教育の平等化を行うべき、としているので、いわば修正資本主義、今の新自由主義が台頭する前の資本主義に戻そうとしているものだと考えます。決して社会主義・共産主義を目指しているのではありません。

末尾ながら、マルクスの「資本論」は難解な上に非常に長く、読み始めても大抵は挫折してしまいます。これをわかりやすく解説したものに、池上彰の「高校生からわかる資本論」というのがあります。

では、また。



34. mikan 2015年4月14日 19:05:02 : gconFbeNAgrkQ : NxsdHXvZ8w
>>32.一主婦さんへ

もうあれこれ書きませんと書きましたが、疑問が増えておられるようなので、私の分かる範囲ですが、追加で少し長くなりますが時間を割いて意見を述べさせていただきます。>>33さんがもう既にわかりやすく、専門的な返答を寄せられていますが。

「自由主義の不完全な格差の部分を政治の力で補うという考えでは無理なのでしょうか?」と言う問いかけですが、確かに、一主婦さんが恐らく思い描かれておられるような、北欧のような高福祉の民主主義国家に日本もなってほしい言う人は多数います。

リーマンショック後、格差を拡大させる新自由主義的な政策に幻滅した人の期待もあって、2009年に民主党が政権を取っても、民主党内は、右も左もいろいろな考え方の人の寄り合い所帯と言うこともあり、結局は、小沢さんや鳩山さんは、官僚、メディアをはじめ、既存の体制を望む各方面の勢力から排斥を受け、民主党はその後、旧来の自民党とあまり変わらない政策をとられるようになりました。小沢さんは今も別の党で孤軍奮闘し頑張っておられますが。

このように、今の政治体制を変えたくない勢力は日本にかなり根強いうえ、全く>>33さんが述べられている通りですが、日本でもソ連崩壊や北朝鮮の拉致問題があり、左翼勢力が退潮して以降、「資本主義のむき出しの収奪」に「何も持たない、無名の、虐げられた存在」がさらされる時代になってきました。

ここで、改めて、一般大衆、特に社会の底辺に置かれた者は、資本主義のあり方を問い直し、なぜ格差が広がるのか、なぜ、そしてどのように労働者は搾取されるのか、なぜ不平等が起こるか、なぜ福祉国家を作らなければいけないか、なぜ弱者を救済しなければいけないか、こうした事を理論的に問い直す必要に迫られています。

そして、こうした既存勢力、資本主義の横暴な側面というものに挑むことは、これは「闘争」であり、強い理念を持った組織、明確な思想と意志がなければ、小沢さんのように袋叩きにあっても組織的に対抗できません。闘争と言っても暴力的な革命ばかりではなく、今の日本の民主主義の社会においては、自らが拠り所とする思想、理論を持って、理論武装する事で、広範囲の人々を納得させ、支持を取り付け、選挙で戦うと言う事が重要なのです。

ピケティがトリクルダウン説の否定を統計的に示したとしても、もともとトリクルダウン効果というものは、富裕層や資産家層が収奪を行う口実に持ち出した「屁理屈」のようなものですから、この程度の事では、またメディアを動かし、いろんな手段を講じ、いろんな理屈をこじつけて巧妙に丸め込もうとするのが支配者層の基本姿勢ですし、これだけで今の日本が冷戦期前の修正資本主義的体制に戻れるかどうかも私には分かりません。今は、新自由主義的価値観を根本から否定する、強力な「理論」や「思想」とそこから沸き起こる「政治力」が、持たざる階層には必要ではないかと思うのですが。

小沢さんの党と日本共産党の違いは、もちろん外交、経済政策など相違はたくさんありますが、同じような高社会福祉志向の政策を行うにしても、その背後、根底の思想に、理論的に新自由主義的な資本主義を批判する強力なツールである、マルクス主義、共産主義のイデオロギーを持ち、これで理論武装をしているかどうかの違いだと思います。「資本主義の批判において『共産党宣言』こそが、有効な武器になるはず」と言うのが、この板のテーマです。もちろん、小沢さんは恐らく穏やかな修正資本主義的な体制を志向しておられ、一方、共産主義にはそうした政策の行き着く先の理念的な共産主義社会を理想に掲げており、この事もソ連や北朝鮮を重ね合わせて>>32さんは気になるのだと思いますが。

日本は、中立国で小国の北欧諸国と違い、巨大財閥、財界があり、根強い階級志向的保守的価値観、そして強力な官僚機構、その背後には日本をうまく利用したい米国が控えています。その中で、近年、新自由主義に欠けるものを「政治の力で補う」事の困難さを感じた人が今回の統一地方選挙で日本共産党に票を入れたことで、共産党が少しですが今回全国的に票を伸ばしたのだと思います。安倍政権が露骨な政策を打ち出す一方、リベラル勢力が軒並み力を失う中で有力な党は共産党くらいで、他にあまり選択肢がなかった事も大きいでしょう。

ここで、私が最初のコメント書き込みで言いたかったことの1つは、マルクスは偉大だが、諸問題を解決できる端緒はつかめても、マルクスで全てを説明し、解決できるわけではないだろう、だから、日本共産党は理論探求をマルクスのところでストップせず、更に有権者に「その先」にあるものを探る姿勢を見せる必要があるのではないかと思った事です。そして、もっと党宣伝のやり方を見直すべきではないかと言うことです。マルクスは共産主義思想の原典ですが、マルクスの扱おうとした概念のそのものの意味や本質を探るのではなく、マルクスがどう言った、こう言ったと、マルクスの著作をただいじくり回しているだけでは、いけないと思っています。

古くても全くそのままで良いものもあれば、よりその真髄を理論的に詰めていく必要があるものもあります。「聖書」や「論語」は今でも読まれていますが、「神」や「仁」や「愛」などを持ち出せば、現在社会の倫理や政策や道徳の問題が有効に解決できるかと言えば、そうではないと思います。ここに書かれている事がどんなに素晴らしくても、それを越えるものがまだ世の中に出てきていないとしても、「聖書」や「論語」を倫理規範の前面に押し出して世の中を統治しようとする政権が日本に出現すれば、一般大衆はどのような反応を示しますか。この思想は「古い」、つまり、もっと新しいもっと普遍的な「何か」が欲しい、このように今の人は感じるのではないでしょうか。

「マルクス主義を今の時代に合わせアップデートする」にとどまらず、その思想の核心的な部分の多面的な議論の模索を志向すればどうかと私は考えています。マルクスの扱う「価値」、「商品」、「貨幣」、「所有」、「階級」、「競争」、「労働」などの概念についても、マルクスの思想に沿って今日的視点で新しく捉え直し、共産主義的理論体系をより先鋭化できる余地があると多くの人が思うのなら、マルクスの著作や時代背景から推測するのにとどまらず、より柔軟に概念規定を求めても良いと思います。

ちなみに、実際に以前日本共産党の志位さんがTV番組で、司会者に政権をとったらどのような国家像にするか聞かれ、敢えて例を挙げるなら、北欧型福祉国家の例を挙げておられたのを聞いたことはありますが、>>33さんが過去に述べられているように、日本共産党が政権を取っても、すぐに、ソ連型の一党独裁の計画経済の国家体制になるわけではなく、おそらく、当面は、西ヨーロッパの左翼政権のような運営をされると私は想像しています。

経済の問題にしても、共産国家になれば旧ソ連のように経済が停滞するように思っている人がいるかもしれませんが、中国共産党のように、資本主義的なシステムをとりながら、少しずつ共産主義の理想に近づけていくと言う戦略をとっている国もあります。実際、中国共産党の経済政策は、比較的うまく行っています。恐らく自民党が中国共産党に経済政策で負けていると言うことになれば都合が悪く、ここが気にくわないから、中国の悪口をメディアを通して国民にさかんに宣伝し、中国が今にも崩壊するようなことが言われ続けましたが、戦後日本の高度成長期、所得再配分が行われ、社会福祉が今よりマシで、中間層が健在だった時代と言うのは、資本主義システムの中で社会主義的政策が行われた時代であり、こういう事を考えても、共産党など左翼的な党が政権を取ると、新自由主義的経済政策より経済が退潮するのではなく、むしろ内需が増え活性化し、逆になるのではないかと思っています。特に、阿修羅の他の経済板などご覧になって分かると思いますが、今の安倍政権の経済政策は無責任でかなり危険なものに思えます。


35. 2015年4月14日 20:32:16 : LKXRYf922A
>>34. mikanさん
もう、このスレを見ている人は少ないと思うので、簡単に書きます。
資本主義が社会主義を部分的に取り入れて延命することはマルクスの想定外だったと思います。では、社会主義・共産主義は、もういらないのか?

市場経済と計画経済の限界とその打開策について。

体制を転覆するために、必ずしも暴力革命は必要ではありません。ソ連・東欧圏の崩壊時には(ルーマニアを除いて)暴力と言えるほどのものは使われていません。
ただし、「不正選挙だ」と主張する人たちには、暴力を使わず政権交代する方法をちゃんと示してほしいと思います。

一党独裁、これはレーニンが、マルクス主義に組織論・運動論を追加して以降の流れの、さらにスターリンにより大幅に強化された考えです。当官僚が国家を支配する、というのは、マルクス主義からの逸脱だと思います。

また、別の機会に詳述したいと思います。

ではまた。


36. 一主婦 2015年4月15日 08:48:52 : rfKiZAFzfsBYA : 8lwcLsPSAE
>>33. LKXRYf922Aさん

あらぁ、しかめっ面が見えちゃいました?
なんか、あなたのIDが見えちゃうと、条件反射で眉間に皺が寄っちゃうのよ〜
また〜小沢さんの悪口か〜って・・・スルーしたい気持ちにもなってしまいます。

でも、いろいろと、共産主義のお話をありがとう。
少しだけ、あっちこっち読んで回りました。でも、はっと気がついたんです。
今は、安倍が放った付け火の大火事の真っ最中だってことに・・・ですから、いつ実現できるかも分からない共産主義のために共産党に投票していたのでは、それこそ国民全員が焼死しちゃうって気が付きました。そんな事をしている場合ではないのだと、少しでも早く政権交代をする必要があり、その事のほうが重要だってことに私たちみんなの意見が一致しました。

いろいろ読み漁って見て、マルクス主義経済や、共産主義経済で成功した国の例が皆無である事や、共産主義である中国、ソ連、北朝鮮、なども、決して他の国よりも幸せな国になっていなかったという事、そして中国なども大変な格差社会になっているという事が書かれていました。マルクス経済は論理としては素晴らしいところが多いけれども、グローバル化した今の世界では、完全にマルクス経済や共産主義を実際に取り入れている国も皆無と言う事ですし、成功した国の例も無いと言う事実、所詮は論理だけのお伽噺だと書かれていました。

やはり、この経済や主義も共産党のお得意のお飾りのようですね。政策だけでなく経済主義も実際には実現しづらい、お飾りだけの七夕の短冊飾りと言う風に感じました。私達は、このグローバル化した世界の中で生きていますので、実際に行われている経済に即した政治的救済の、小沢氏が実現しようとしている「国民の生活が第一」の政治に賭けたいと思います。

共産党の目指すマルクス経済主義は、やはり、今の大火事真っ最中の消火活動としての政権交代が必要な今の時期の日本には、共産党に投票する事は政権交代が不可能になりますし、弱者救済も出来ずに見殺しになります。ですから、こんな状態の最中に、マルクス経済や共産主義経済を目指すことは、やはり御伽噺としか考えられません。でも、論理として、聖書的なモノとしてなら価値があるように思います。

せっかく、一生懸命に説明して頂きましたが、今は大火事消化の大仕事の為の政権交代が必要な時期ですので、おとぎ話のその次期ではないと思いました。でも、誠意ある説明をいただいた事は感謝です。ありがとう。


37. 一主婦 2015年4月15日 08:58:44 : rfKiZAFzfsBYA : 8lwcLsPSAE
>>34. mikan さん

わぁ!こんなにご丁寧な解説を恐縮です。

上で、LKXRYf922Aさんに返事を書きましたような結論になってしまいました。
でも、mikan さんのご親切に応える為にも、時間を作ってみんなでマルクスも勉強して見たいと思っています。

ありがとうございました。


38. mikan 2015年4月15日 19:26:58 : gconFbeNAgrkQ : cQvDswCJ3I
>>35. LKXRYf922Aさん

この度は、いろいろご教示頂きましてありがとうございます。

ただ、「マルクスの想定外」、「マルクス主義からの逸脱」と言うような表現を使われることについて、マルクスは偉大ではあっても「教祖さま」ではないのですから、「現在もしマルクスが生きていたらどう考えたか」と言うくらいの考え方のほうが、現実の政治の世界では一般には受け容れられやすい気がします。

自分は、むしろ、共産主義政党とただのリベラル政党との違いは、党の理念や政策に、「科学」を持ち込もうとしているかどうかの違いだ、というような程度の認識でおります。マルクスの枠を越えて、共産主義の思想や理論を、科学的に裏付けながら、その本質を探っていくためにも、今後の新しい人工知能や社会科学を含めた研究の進展が待たれるでしょう。共産主義の思想や理論は、マルクスで完結している訳ではなく、まだまだ学問的に詰めてく必要があること満載の、発展途上のものであり、既成の共産主義政党は、理論本来の意味の原点に立ち返り、今は手探りで方策を探っていく存在だと捉えております。

日本共産党が妥協のない独善的な態度なのも、「科学」的社会主義の政党という看板に対する自負からなんだろうと思いますが、それなら、古い文献をいじるだけで満足せず、本当に、より科学的で普遍的な理論を目指して下さいと言いたい気持ちがあります。マルクスが生きた時代には、それしかなかったから、当時は恐らく「科学的」と思われていた、ヘーゲル思想、唯物論、歴史理論と言うものを、社会の矛盾を解明し社会的不幸から人類を救済せんとする自らの共産主義の理論体系に使用したのであり、今日的視点から見れば、それらは「科学」ではなく「空想」、つまり科学もどきの、遅れた古い分析ツールかも知れないという事を再検証する必要があります。

>「資本主義が社会主義を部分的に取り入れて延命することはマルクスの想定外だったと思います。では、社会主義・共産主義は、もういらないのか?」

「資本主義が社会主義を部分的に取り入れて延命」とは政策期待による国民の選挙行動による力の行使(例えば小沢さんの政党などを使う)か、保守政治家の処世術によるものであり、そこに「こうあるべき」という思想やそれを支える理論を感じられません。これが成り立つためには、選挙権を持つ個々が、知識を持ち、印象操作されず、騙されずに賢明であるか、大きな外力が働くかしないといけないし、そこに普遍的に格差などを引き起こせさせない、国家の政策のシステムや自律性と言うものを感じません。ケインズがどういう「思想」を持っていたかなどについては、自分も機会があれば今後調べてみたいと思っていますが。

また、科学とは、多様な考え方を「理屈」により収斂させることですから、それが良いか悪いかは別にして、実は「独裁」的なやり方とは相性が良いのは事実なのですが。

普段は、阿修羅のスレッドを全て見ている訳ではないのですが(タイトル一覧を目で追って、本当にたまに中の記事をじっくり読む程度で)、またどこかで詳しい解説にお目にかかれることを期待しております。


39. mikan 2015年4月15日 19:28:34 : gconFbeNAgrkQ : cQvDswCJ3I
>>37. 一主婦さん

安倍政権の行き着く先、今はごくごく少数派ですが、小沢さんが目指す「国民の生活が第一」の政治が国民に見直されて、大幅に票を伸ばして返り咲くかもしれないですね。更に格差解消や社会福祉政策で、野党が主義や細かい理念を越えて共闘できればいいと思います。


40. 2015年4月16日 06:26:13 : LKXRYf922A
>>38. mikanさん
だいぶ誤解があるようで、それについて、いずれ詳しく書いています。それをこのスレッドの中に書き込むかどうかはわかりません。ご要望があればそうします。
尚、現在の日本共産党に、そういう誤解を生む原因があるのも事実です。それについても書きます。

41. 2015年4月16日 09:24:17 : LKXRYf922A
>>38. mikanさん
まだ未完成ですがとりあえず投稿します。

まず、「マルクスの想定外」、「マルクス主義からの逸脱」についてですが、両者は全然意味が違います。前者の方は、「マルクスが見通せなかったこと」という意味で、むしろマルクスの限界を指摘しているのです。もっともマルクスだって全知全能ではありませんから、彼が生きていた時代にはなかったものまで頭の中で考え出す要求をするのは無理な要求だと思います。後者の方は、「マルクスの考えとは違う」という意味で、マルクスのオリジナルの考えの方が正しい、と言っているのです。当然、どちらも、「現在もしマルクスが生きていたらどう考えたか」ということですよ。

>共産主義政党とただのリベラル政党との違いは、党の理念や政策に、「科学」を持ち込もうとしているかどうかの違いだ
日本共産党が、科学という言葉をよく使うのは事実です。そしてこのことは、「我々は科学的だ、ほかの政党は非科学的だ」と言っているように聞こえ、共産党員以外の人からは反発を受けるでしょう。従って私はあまり科学的というのを強調するのは、戦術的にあまり良くない、と思います。

科学という言葉は普通に使われる言葉で、自然科学、人文科学、社会科学に分かれます。自然科学ではほとんどの学者の意見が一致する(ボーアーアインシュタイン論争など一部を除く)のに対し、人文科学と社会科学では幾つかの流派に分かれます。そういうものだと考えれば何も問題はないのですが。

日本共産党は「科学的社会主義」という言葉をよく使いますが、社会主義の中に科学的なものとそうでないものがあり、我々は科学的な方を採用する、ということで、「社会主義以外のものは非科学的だ」、と言っているわけではありません。

もともと科学という言葉が出てくる根拠は、マルクスの盟友であるエンゲルスの「空想から科学への社会主義の発展」という書に記述されています。
「空想的社会主義」と、この書で表現されているのは、サンシモン・フーリエ・ロバートオーウェンの考え方で、引用すると、
「ほんとうの理性と正義がこれまで世の中でおこなわれなかったのは、ただ、それらが正しく認識されたことがなかったからである。まさに天才的な個人が欠けていたのであり、いまやその天才が出現し、真理を認識した。いまその天才が出現したということ、真理がちょうどいま認識されたということは、歴史的発展の連関から必然的にでてくる、避けられない出来事ではなくて、まったく偶然な幸運である。」
歴史的発展の結果としての社会主義の出現を論述するのが科学的で、歴史と関係なく天才が頭の中で構想するのが空想的と言っているわけです。

>発展途上のものであり
これはまさにその通りで、マルクス主義を自称する人たちはそれをしてきたのです。
例えばレーニンは「帝国主義論」という書を著しました。マルクスの時代にはなかった、帝国主義について分析したものです。ここでレーニンはホブソンの「帝国主義論」に強く影響を受けています。しかしホブソンはマルクス主義者ではありません。違う立場をとる人からも、いいものは取り入れる、という態度なのです。
レーニンは、さらに、マルクスにはなかった組織論・運動論を付け加えました。こちらには大きな問題があると私は考えますが、しばらく後で書きます。

独裁は科学とは相容れないと考えます。科学の発展には、自由や議論が必要ですから。

さて、共産党は他の政党と協力しない、とよく言われますが、歴史的に見ると事実でははく、1970年代は社共共闘していたのだが、1980年の社公合意以来、共産党が外されるようになったのです。以降、非自民非共産の8党連立の細川政権ができ、さらに自社さ連立の村山政権に至るのです。それまでの政策を投げ捨てた社会党(社民党)は国民の信頼を失い、かつての大政党が、共産党よりも少数勢力にまで落ちたのですね。


42. mikan 2015年4月22日 02:24:54 : gconFbeNAgrkQ : k8Qw315eSI

「誤解がある」と言う事でいろいろご指摘がありましたが、「誤解」との表現で、私の主張したかった内容の全体的な趣旨が否定されている気がしましたので、長くなってしまいますが、これに対して意見を述べさせていただきます。


>まず、「マルクスの想定外」、「マルクス主義からの逸脱」についてですが、両者は全然意味が違います。
>後者の方は、「マルクスの考えとは違う」という意味で、マルクスのオリジナルの考えの方が正しい、と言っているのです。当然、どちらも、「現在もしマルクスが生きていたらどう考えたか」ということですよ。

「マルクスの想定外」については、文脈を無視した不要な私の指摘だったと思いますが、35番の書き込みで、LKXRYf922Aさんが、「一党独裁」や「党官僚が国家を支配」する事が、「マルクス主義からの逸脱」だと言う価値観を示され、そして、41番の書き込みでも、「マルクスのオリジナルの考え方が正しい」と言う判断が示されています。「一党独裁」の在り方の是非の客観的議論を飛び越えて、マルクス以降に共産主義体制の国家運営を実際に行った各政権のマルクス主義の解釈、継承、発展に対して、「一党独裁」の官僚支配的運営へ否定的な見解が見えました。だから、38番の書き込みで、私は、「現在もしマルクスが生きていたらどう考えたか」と指摘したかったわけです。

マルクスは、著作でこの問題を議論し、明確に「一党独裁」を否定していたのではなく、単に一党独裁の問題に明確に言及をしなかったと言う事ではないのですか。「マルクスが今もし生きていたら」、果たして一党独裁を完全否定したかと言うことについては、わからないと思います。マルクスがその主張や理論に普遍的価値観を追求して、その延長線上に共産主義国家を捉えていたとすれば、他の理念や価値観、主義を持つ他の政党を認める複数党による民主主義を肯定して共産党独裁を否定することは、共産主義は普遍的価値観を持たない相対的な価値観であり、一つの価値感に基づき一党による自律的運営を行う存在ではないと自ら認めてしまうことになりますから。

>科学という言葉は普通に使われる言葉で、自然科学、人文科学、社会科学に分かれます。自然科学ではほとんどの学者の意見が一致する(ボーアーアインシュタイン論争など一部を除く)のに対し、人文科学と社会科学では幾つかの流派に分かれます。そういうものだと考えれば何も問題はないのですが。

「科学的社会主義」と言う党の看板に使われる「科学」は、純自然科学的な「科学」とは違うし、社会科学における「科学」と言う概念にはいくつかの流派による定義の違いがあると強調されたいわけです。

しかし、だからと言って、紛らわしいから、「科学的」と言う言葉はマルクス主義を示す党の看板から外せるかといえば、やはりそうではないでしょう。共産主義者には、「社会科学」の一般的な定義である、「客観的に社会の真実を追求する」と言う党の看板への思い入れがあるはずです。エンゲルスがマルクス思想に「科学的」と言う表現を使ったのは、マルクスの分析が、当時の視点で「科学的である」と言う矜持が込められており、これを使うものにも、この思想が科学志向である事に対する期待があるはずです。

また、唯物論的な認識方法は「自然科学的」、「客観的」、「普遍的」な事象の捉え方だと言う自負がある筈です。マルクスの弁証法についても、ヘーゲルを批判した自然科学志向のものではなかったですか、つまり自らの思想の自然科学的な修飾づけを当時の状況下において図ったものではなかったのですか。

マルクスやエンゲルスが、そして今日の共産主義者が、ここに挙げれたような狭義の「科学」を超えて、自然科学一般につながる「科学」の手法を究極には志向していないと言えますか。「社会科学」と「自然科学」は別物ではなく、将来は、「社会科学」は「自然科学」のようなより客観的な知識体系と「なり得る」ものだと解釈するのは間違いでしょうか。

>日本共産党は「科学的社会主義」という言葉をよく使いますが、社会主義の中に科学的なものとそうでないものがあり、我々は科学的な方を採用する、ということで、「社会主義以外のものは非科学的だ」、と言っているわけではありません。

マルクスは果たして、他とは違う「普遍的な」思想体系を目指さなかったか、マルクス主義者は、分析手法への科学的な手段のみならず、「思想」の価値的領域に科学を持ち込もうとはしなかったのか、こう言う事を私は問いたかった訳です。

>もともと科学という言葉が出てくる根拠は、マルクスの盟友であるエンゲルスの「空想から科学への社会主義の発展」という書に記述されています。
>歴史的発展の結果としての社会主義の出現を論述するのが科学的で、歴史と関係なく天才が頭の中で構想するのが空想的と言っているわけです。


ここで引用される「科学」の使われ方についても、「歴史的発展の連関から必然的に社会主義が出現する」とは、私としては、富の蓄積、生産技術、社会構造の変化と、政治、経済システムの合理性との因果関係を捉えようとした、マルクスの、科学的な分析への志向が感じられます。

38番のコメントで「空想」と言う語を私が使ったのは、誤解して使ったのではなく、単に古い分析方法にしがみつく事への皮肉の意志を示す為に用いたつもりです。マルクスを教条主義的に捉えて、共産主義の本質的な理論探求をマルクスでストップさせ、時代から目を背けて150年前の手法をいまだに新しいと言い、新しい技術や情報にも疎く、エンジンが発明されてもこれを車に載せる事に想像が及ばず、頑なに車とは人間か馬が曳くものと思い続け、実際に自動車が普及して初めて目が覚める人を見るような気がします。

>独裁は科学とは相容れないと考えます。科学の発展には、自由や議論が必要ですから。

全く話のすり替えなのではないでしょうか。論理的に誰も否定できないただ1つの結論を導こうとするのが科学のやり方ではないでしょうか。独裁そのものが問題なのではなく、独裁される内容とその決定過程が問題なのではないですか。導き出した結論に自由や議論の余地があるものが「科学」と言えますか。

日本共産党は、単なる労働者階級の利益追求の代弁機関であり、必ずしも政治的に追求する価値の「科学」的に裏打ちされた普遍性を目指しているわけではないと言うことで、他の党の主張している事は、共産党と相対的で等価的なものであり、だから「民主的」に有権者の価値、つまり各「党」の主張をすり合わせ、その力関係に従い政策を決定するのが正しいと解釈するのが正しいでしょうか。

「唯物論的弁証法」と言うものは、物質志向、科学志向の意思決定、因果解明システムではないのですか。党の価値観に、収束すべき普遍的価値を見いだし、これに従い、党内の意思決定で、自律的に政策を行うことは志向しておられないと言うことでしょうか。

>さて、共産党は他の政党と協力しない、とよく言われますが、歴史的に見ると事実でははく、

私は、もし自らの思想に普遍性があると思い入れがあるなら独自路線を突き進む形でも良いかとは思いますが、おそらくこの掲示板などでも、「政党と協力しない」という不満が聞かれるのは、そのような歴史的な事をさしているのではなく、最近の野党共倒れにより有権者の投票意欲がそがれ、安倍政権の独走を許している状況をさしているのではないでしょうか。

根幹部分に、曖昧な解釈や姿勢を残したまま、独自路線を進んでも、有権者の支持は集まらないと思いますが。



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