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(インタビュー)強制連行、史実から考える 歴史学者・外村大さん  朝日新聞
http://www.asyura2.com/15/senkyo183/msg/377.html
投稿者 ダイナモ 日時 2015 年 4 月 17 日 14:15:14: mY9T/8MdR98ug
 

 戦時中、日本に動員された朝鮮人犠牲者の追悼碑を、撤去するよう求める動きが最近、各地に広がっている。「強制的」という文字をテープで隠したり、副教材から説明を削除したりした自治体も現れた。史実に揺らぎが生じているのか。朝鮮人強制連行の歴史を追いかけて20年以上になる外村大・東京大学教授に聞いた。

 ――強制連行の歴史に長くこだわってきたのは、なぜですか。

 「どうせ韓国の味方でしょうとか、どうも『反日』らしいとか、色眼鏡で見られがちですが、私は日本近現代史の、実証を重んじる研究者です。戦前の日本帝国の実像は、裏側からのほうがよく見える。今後、日本がどんな社会をつくっていくかを考えるうえでも大切な歴史です。韓国・朝鮮人のためというより日本人自身のため、未来のために記憶し、伝えていくべきだと思っているのです」

 ――強制連行は「なかった」と主張する人がいますが。

 「とんでもない。朝鮮半島で、日本内地への暴力的な労務動員が広く存在していたことは、史料や証言からも否定しようがありません。政府は1939年から毎年、日本人も含めた労務動員計画を立て、閣議決定をした。朝鮮からの動員数も決め、日本の行政機構が役割を担った。手法は年代により『募集』『官あっせん』『徴用』と変わりましたが、すべての時期でおおむね暴力を伴う動員が見られ、約70万人の朝鮮人が主に内地に送り出されました」

 「こんな当たり前の史実が近ごろ、なぜか曲解される。誤解や間違いも目立つ。歴史家の常識と、世間の一部の感覚とが、ずれてきたように感じています」

 ――なぜ、こんなことに?

 「特に90年代半ばからですね、史料の発掘が進み、いろんな話が出てきました。朝鮮人の待遇が日本人よりよかったとか、自ら望んで来た人がいたとか。いずれも事実の断片ではあるんですよ。じゃあ暴力的な連行や虐待は例外的だったかというと、それは違う」

 「事実というものは無限にあるものです。都合のいい事実だけをつなぎあわせれば別の歴史も生まれる。でも、それは『こうあってほしい』というゆがんだ願望や妄想に近い。慰安婦問題で国が直接、連行を命じた文書が出ていないことに乗じ、強制連行までも『なかった』ことにしたい人がいるのでしょう」

    ■     ■

 ――事実の断片と歴史の本筋。どうすれば見分けられますか。

 「何が一般的で、何が例外的な出来事だったかを見分けるには、幅広い史料にあたり、ミクロとマクロの両方から押さえる必要があります。日本の統治機関である朝鮮総督府の調べでは、太平洋戦争開戦前年の40年に朝鮮農村で『転業』を希望していた男性は24万人程度しかいなかった。朝鮮内部の動員や満州への移民もありましたから、その年だけでも底をつく人数です。翌年から人集めが大変になったのは疑いようがない」

 「実際、内務省が調査のため44年に朝鮮に派遣した職員は、動員の実情について『拉致同様な状態』と文書で報告しています。厚生省から出張した職員も45年1月、村の労務係の言葉として、住民から『袋だたきにされたり刃物を突きつけられたり命がけ』だと報告している。それほど抵抗が広がっていたのに、日本帝国は無理に無理を重ね、逆に動員数を増やしていったのです」

 ――そこまでして動員したのは、なぜですか。

 「政府が目指していたのは、あくまでも戦争勝利でした。そのために労働力を総動員し、石炭や食料を増産しようとした。朝鮮人の多くが投入されたのも炭鉱です」

 「炭鉱は重要産業なのに人手不足で困っていた。待遇が悪く、監獄部屋に象徴されるように労務管理も劣悪だったからです。本来なら機械化と意識改革を進めるべきでした。しかし業界は朝鮮農村の困窮や無知につけ込み、安い労働者を確保しようとした」

 「ただ、朝鮮に行政機構は整っていませんでした。識字率が低く、ラジオはおろか電気すら通っていない村々で、日本内地に渡る労働者を集めるのは非常に困難な作業だった。とにかく若い男を呼び出し、最後はトラックに押し込むような事態になったのです」

    ■     ■

 ――「募集」段階では強制とは言えないという人もいます。

 「初期の段階から当局は深く関わっていました。たとえば会社の募集係に同行し、日本人の警官が家の前に立つ。役人から呼び出しがかかる。それだけで多くの朝鮮人が恐れをなし、おとなしく応じたのです。断って大変な目に遭った、というような話が出回っていましたから。それが植民地というものです。その後、戦局が悪化するにつれ、暴力性は誰の目にも明らかになっていきました」

 ――最後は徴用までした、と。

 「そこが誤解されがちですが、『徴用』は国民徴用令に基づき、国が責任をもって配置するもので国の栄誉を担う労働者だったんです。弔慰金や別居手当など援護もついてきた。だから日本人は戦争初期から徴用されました。ところが、朝鮮人にこの制度が適用されたのは戦争末期の44年です。徴用令を適用しないまま、多くを動員したのが特徴でした」

 ――なぜでしょう。

 「日本人と違って、ちゃんとした権利を持つ主体ではなく、法に基づく行政命令がなくても動かせる、と見なされたからでしょう。安くても、厳しい職場でも、つべこべ言わずに働いてくれるだろうと。差別意識があったのです」

 ――最近の外国人労働者問題の議論に似ていますね。

 「そうなんです。人手不足が深刻な分野で、賃金アップや労働環境の改善によって日本人を定着させるのではなく、低賃金でも働いてくれそうな外国人を期間を限って連れてくる、という発想は同じです。省庁をまたいで人員確保に関わる部局が多数あり、利害や思惑の違いを抱えていて、きちんとした方針を打ち出せなかった点も似ている。結果として、なし崩し的に動員が広がっていきました」

    ■     ■

 ――裏側から、日本帝国のどんな姿が見えてきましたか。

 「戦争に勝つための国家運営や構想、政策とはほど遠かった現実です。総力戦では、まさにその国の素の姿が現れます。英国のように労働運動が盛んな国では、労働者の意見を取り入れたほうが生産性も上がると考えた。日本では民主主義も労働運動も弱かったので『ともかく働け』となった」

 「朝鮮に長く住んだ役人の中には、創氏改名に反対した人もいたんですよ。ところが、そういう声は上に届かず、現地の事情に疎い役人が無理な計画を立てた。動員数を達成するため老人や病人まで送り出し、すぐに送り返すようなことまで起きていたのです」

 「民主主義を欠いた社会が、十分な準備も態勢もないまま無謀な目標に突き進めば、結局はその社会でもっとも弱い人々が犠牲になる。社会全体も人間らしさを失っていく。そういう歴史として記憶すべきだと思っています」

 ――戦後70年で出す首相談話が議論になっています。

 「朝鮮半島で起きた歴史を踏まえれば、村山談話にも小泉談話にもあった『植民地支配』への『おわび』は盛り込んで当たり前です。ただ、特定の言葉が入るかどうかだけが注目されることには違和感もある。村山談話には『若い世代に語り伝えて』いくとありますが、では歴代政府はその後、何をしたのか。もっと具体的な行動を積み重ね、信頼関係を築くことこそが大切なはずです」

 「日本には朝鮮をルーツに持つ人も、中国をルーツに持つ人もいます。戦後は一緒に手を携えて、民主的で平和な日本を築いてきました……ということが言えるようになればいいのですが」

 ――歴史を見る目も、外交関係に引きずられがちですね。

 「その時期を生きた私たちの祖先を尊重したい、という思いは私も同じです。ただ、足尾鉱毒事件を闘った田中正造は、日韓併合で浮かれているような民族は滅びると批判していた。朝鮮の植民地官僚の家庭で育った作家の梶山季之も、日本人の責任を問う作品をいくつも残しています。植民地支配に何の矛盾も感じずに職務を遂行した人だけを、私たちが継承すべき日本人の姿だ、歴史だと言うのは、とても不自然です」

 「怖いのは、学校教育の現場で、強制連行の問題は厄介だから触れずにおこう、という雰囲気が広がることです。その気配はすでに現れている。生徒にしてみれば授業では教わらず、書店に行けば嫌韓本が山積みなんです。なかった論を信じ込みはしないまでも、語られてきた歴史は少し違うのではないか、という疑いを持つ人が増えてもおかしくない」

 「追悼碑の問題も、自治体は明らかに腰が引けている。地元の人々が強制連行の歴史を掘り起こした地域も少なくないんです。そんな歴史があったということを自治体トップがきちんと認め、発信する。歴史の真贋(しんがん)を見抜く力が、いま私たちに求められています」

 (聞き手・萩一晶)

    *

 とのむらまさる 66年生まれ。早稲田大学社会科学研究所助手をへて07年から東京大学大学院総合文化研究科准教授、今春から教授。著書に「朝鮮人強制連行」。


4月17日 朝日新聞 朝刊より
 

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コメント
 
01. 2015年4月18日 01:31:08 : rd64QaEHcn
社会科学って早稲田の昔夜間部だったところ?

朝鮮地域での動員について研究してるようですが、当時の日本国内での動員との比較で語らないと実態がよくわからない気がする


02. 2015年4月18日 01:32:03 : rd64QaEHcn
当時の日本国内は男は動員と言うより徴兵が多かったのか
それとも徴兵も動員の一種かな

3. 2015年11月22日 14:08:10 : orkvclBb1s

あじあにゅーす2ちゃんねる
http://asianews2ch.jp/archives/46975548.html


4. 2016年7月04日 12:19:16 : GifVPgfZds : fixIRA5Rdrw[1]

国家基本問題研究所   今週の直言


【第315回】朝鮮人戦時動員の実態を広報せよ
西岡力 / 2015.07.13 (月) .


国基研企画委員・東京基督教大学教授 西岡力
https://jinf.jp/weekly/archives/16549(全文)



 「明治日本の産業革命遺産」が世界文化遺産に登録された。その際、日本大使は、登録された産業施設で戦時中に働いていた朝鮮人労働者について「forced to work under harsh conditions」(厳しい環境の下で労働を強いられた)と演説した。韓国はこの間、これら労働者が「強制労働」をさせられたと国際社会に宣伝してきた。日本が事実関係に踏み込んで反論せず、曖昧な表現を使って妥協したのは、これまでと同じ歴史戦での負けパターンだ。韓国の動きは予想されたことだ。日本外務省は朝鮮人労働者の戦時動員の実態を事前に調査し、英文などの分かりやすい資料で広報をしておくべきだった。


 ●韓国の対日歴史戦

 韓国政府が対日歴史戦を公式に宣言したのは2005年だった。当時の盧武鉉大統領が3月、「侵略と支配の歴史を正当化し、再び覇権主義を貫こうとする(日本の)意図をこれ以上放置できない」と述べて、多額の国費を投じて東アジア歴史財団を作る一方、全世界で日本を非難する外交戦争を展開し、それが現在まで続いている。

 日本は同じ年に小泉純一郎首相の戦後60年談話を出し、「侵略」と「植民地支配」を謝罪したが、日本の国益を守る立場から歴史的事実を研究し、国際広報をする体制を作るという問題意識を持たなかった。

 私はこの年、強い危機意識をもって『日韓「歴史問題」の真実 「朝鮮人強制連行」「慰安婦問題」を捏造したのは誰か』という本を出版し、朝鮮人の戦時動員について以下のように書いた。


 ●強制労働と異なる実態

 一、日本で国家総動員法が施行された1939年から45年までの間に在日朝鮮人は120万人増え、終戦時には200万人になったが、そのうち同法に基づく戦時動員労働者は32万人だった。つまり、動員された者は全体の15%、動員期間中の増加分の25%に過ぎず、それ以外は自分の意思により内地で暮らす者だった。

 一、当時、朝鮮と内地の産業開発の差、及び内地の男性が徴兵で払底していたことなどから、朝鮮からの出稼ぎ希望者が多数存在し、不正渡航者も多かった。動員期間中も、約2万人の不正渡航者が捕まり、朝鮮に強制送還されていた。なかには、徴用者になりすまして不正渡航して捕まった者もいた。

 一、国家総動員法に基づく朝鮮人労働者の動員(募集、官斡旋、徴用の3段階があった)は軍需産業に労働者を向けようとしたものだが、それは全体として失敗だった。募集の時期(1939〜41年)は動員数の3倍が個別に渡航した。官斡旋と徴用の時期(42〜45年)は動員された者の4割が職場を脱出し、待遇の良い他の職場に移った。

 一、徴用工の待遇も悪くなかった。ある者は広島の工場で月給140円を支給され、新しい寄宿舎にふかふかの布団があり、毎晩酒盛りができた。別の者は大阪の工場を逃げ出して東京の朝鮮人親方の飯場に行くと、戦争末期の1945年に白米、牛肉、どぶろくがあり、日給15円ですぐに雇ってもらえた。

 まず、事実関係をきちんと研究・整理し、外交戦に備えなければ、今後も負け戦が続くだろう。(了)


5. 2017年2月03日 01:11:07 : iCBmBkVYEs : MSCqStVyV6I[27]
岩城滉一ってそこまで言う人だったのか・・。いいお年なのに、お気の毒に。
結局、反日的なヒトは、常に日本人を野次り倒してないと生きてる証がないっていうのか、アイデンティティがぐらぐらして死にそうなんだろ。
強制連行問題は、彼らが祖国へ帰りたくないがために苦肉の策でこじつけた捏造物語。
多種多様な情報を入手できる自由な日本に居て、まさか露程も真実を知らない訳でもあるまいに。
知りたくないだけだ。でなければ、洗脳が解けない「強制連行カルト信者」だ。

girlschannel

岩城滉一が問題発言連発し報道陣と一触即発…「(サッカー日本代表は)猿なのか、オランウータンなのか」「日本は真似以外のことができない」

G947コメント2014/11/05(水) 17:09
http://girlschannel.net/topics/214354/2/(抜粋)

533. 匿名 2014/10/09(木) 16:28:26

●報道規制もされてない日本で育ってるのに、祖国がどれだけ愚かで恥ずかしい国かわからないの?
馬鹿ばっかりなの?
強制連行されたんじゃないでしょ?祖国で疎外されてるから戦時中のどさくさに紛れて日本に来たんでしょ?いい加減にして欲しいわ。


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「強制連行論」とその守護者たち

首都大学東京名誉教授 鄭 大均
http://www.jfss.gr.jp/news/20160621/20160621.htm(全文)


「朝鮮人強制連行」という熟語が、日本に対する敵意や憎悪を喚起するとともに日本人の心に集団的なうしろめたさの感覚を植えつけるものであることは前に記した。これに似通ったものに、ナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺などを指して使われる「ホロコースト」の言葉がある。今日を生きるドイツ人は、この言葉に接して、先祖たちが犯した罪のために子孫である自分たちが今でも世界的な非難を受け続けることに、いささかの心の葛藤を覚えるに違いない。

 第二次大戦の敗戦国であるドイツと日本には、このように似たような体験があるといってよいが、「ホロコースト」が強制収容所に連行され、ガス室などで殺害された数百万人のユダヤ人等に対する虐殺やその過程を指して使われるのに対し、「朝鮮人強制連行」には、その言葉に見合う加害者や被害者の姿が見えないということは注意すべきである。

 戦時期、「徴兵」によって戦場に赴いた日本人を補充するために(戦争末期には朝鮮人も徴兵の対象となった)、朝鮮人が「労務動員」や「徴用」の名で「内地」や「外地」の炭坑や工場にかり出されたのは事実である。しかし「朝鮮人強制連行」は、戦場に赴いた日本人を補充するためにという重要な事実には触れないまま、「強制連行」という鮮烈な印象を与える熟語を使って、朝鮮人の被害者性を語るのである。

 孔子の末流である戦国時代の思想家・荀子は、詭弁には三つのタイプの誤りがあるという。「名前をもって、名前を混乱させる誤り…事実をもって名前を混乱させる誤り…名前をもって事実を混乱させる誤りである」

 それから2300年後の東アジアの世界が教えてくれるのは、詭弁の繰り返しの歴史である。60年代半ば、東京小平の朝鮮大学校教員であった朴慶植がその著書『朝鮮人強制連行の記録』(未来社)で実践したのは、戦時期に使われていた「徴用」や「労務動員」の名前を「強制連行」という言葉に置換することによって、朝鮮人徴用労働者を被害者に祭り上げるとともに、日本帝国の暴力性の印象を人びとの心に植えつけようとする試みであり、彼はやがてそれに成功するのである。

 しかしながら、その成功とは荀子のいう詭弁による成功であり、その分かりやすい例は朴の本の冒頭に8ページにわたって掲載されている16枚の口絵写真であろう。口絵写真は1ページ目の「岩手虐殺事件で殺された朝鮮人労働者1932」に始まって、8ページ目の「5.30間島事件、朝鮮人虐殺の惨状1930」に終わり、「まえがき」に続くが、残虐極まりない印象を与える写真の多くは、実は戦時期の日本人の朝鮮人に対する加害者性とは無縁である。

 しかし『朝鮮人強制連行の記録』という名の本を購入した読者がそれに気がつくのは容易ではないだろう。1ページ目の写真は「1932年」という記述をあえて「岩手虐殺事件で殺された朝鮮人労働者1932」として読者を煙にまこうとしている。「5.30間島事件、朝鮮人虐殺の惨状1930」のキャプションのある8ページ目のディスプレイはより詐欺的で、65年の初版では、上部の写真に、「土匪之為惨殺サレタル鮮人之幼児」の記述があり、下部のものには「鉄嶺ニテ銃殺セル馬賊ノ首」の字が見えたというが、手元にある5刷りの1966年版では、それがすでに消されている。なお下部にある「馬賊ノ首」の写真は後に朝日新聞が「南京大客殺」の「生首写真」として利用したものである。

 これはいずれも『朝鮮人強制連行の記録』の読者に、朝鮮人徴用労働者の被害者性や日本帝国の暴力性の印象を植えつけるための方法であり、朴慶植はずいぶん汚い手を使っていたのだなと思う。荀子風にいうなら、『朝鮮人強制連行の記録』とは名前(言葉)とともに「写真」を使って名前を混乱させるとともに事実を混乱させるものであり、それはやがて、日本や韓国に「強制連行」や「慰安婦」の言葉を媒介にしてしかあの時代を想像することができない大量の人間たちを生みだすのに貢献しているのである。

『朝鮮人戦時労働動員』
 その荀子の言葉に啓示を受けて、私は強制連行論のバイブルである朴慶植著『朝鮮人強制連行の記録』に若干の批判を試みたことがある。『在日・強制連行の神話』(文春新書、2004年)がそれで、そうすると、それは少しばかりの効果を発揮したようである。翌年、岩波書店から「強制連行論」批判への反論が刊行されるが、そのタイトルは『朝鮮人戦時労働動員』(岩波書店、2005年)である。

 これは若干の改善であり、評価に値するが、しかしこの本の著者たち(山田昭次、古圧正、樋口雄一)は、私が指摘した荀子的視点からの「強制連行」批判にはなにも触れてくれない。著者の一人である山田昭次氏(立教大学名誉教授)は、「朝鮮人強制連行という呼称では、強制労働、とくに民族差別の問題に眼が向けられなくなるおそれがある」から、今回の本では、「戦時労働動員」の語を使うのだという。

 しかし、そんなことは朴慶植には分かりきったことで、そんなタイトルでは日本人や韓国人の心にゆさぶりをかけることなどできないことを誰よりもよく知っていたのも朴氏であっただろう。そもそも「戦時労働動員」などといったら、「朝鮮人強制連行」なるものが、戦場に送りだされた兵士たちをバックアップするための「生産戦」(炭坑や軍需工場での労働がそれである)の役割に過ぎないことがばれてしまうではないか。「朝鮮人強制連行」の熟語が反日プロパガンダ語としてすぐれているのは、それが国家総動員の時代の前線にいた日本人兵士たちの姿を忘れさせてくれるからである。朴慶植はできの悪い二流の歴史学者であったかもしれないが、しかし彼にはすぐれた直観力があって、それが彼の仕事を今のところは不朽のものにしているのである。対してその信奉者たちに欠けているのはその直観力で、朴慶植が何者かについての勘がまったく働かないのである。

 ところでその山田昭次氏には、拙著を批判した部分がある。拙著で私は朴氏が北朝鮮の社会主義信奉者だったことを批判的に記した。それに山田氏は「当時の彼の思想をすべてこれに還元できるものではなく、生活意識の根底には在日朝鮮人としての痛みと、被害を乗り越えて在日朝鮮人として主体的に生きようとする志向があった。鄭大均の朴批判は朴の思想を単純化して理解したために、朴の思想の根底に無理解な批判となっている」という。

 私は山田氏とは違って朴慶植の信奉者ではないから、「朴の思想の根底に無理解」といわれて仕方がないが、しかし朴の「思想」を「在日朝鮮人としての痛みと、被害を乗り越えて在日朝鮮人として主体的に生きようとする志向」などと形容する態度には、朴を崇め奉る態度があって気持ち悪い。贖罪派というのは、なるほどこういう人間を指すのだということに改めて気がつかせられた文である。

外村大の『朝鮮人強制連行』
 右の本を刊行した岩波書店、早くから「朝鮮人強制連行」という反日プロパガンダの流布に貢献した媒体である。「朝鮮人強制連行」の熟語がはじめてメディアに登場したのも、管見するところ、その月刊誌『世界』に掲載された藤島宇内論文(1960年9月号)であり、当時『世界』には、金沢市出身の安江良介という若き編集者がいて、やがて彼はこの雑誌を北朝鮮の宣伝誌に塗り変えていく。

 その岩波書店の最近の「朝鮮人強制連行論」に、外村大(とのむらまさる)著『朝鮮人強制連行』(岩波新書、2012年)がある。東大教授の外村大氏、今回の著書が刊行される前からそのホームページには「強制連行論」守護者としての顔を見せているが、この人にも朴慶植に対する崇拝の態度があることに気がつかせてくれたのもそのホームページである。

 2004年1月の大学入試センター試験の「世界史」科目に、「日本統治下の朝鮮」に関連して、択一式の出題があったことを記憶されている方がいるだろうか。

 (1) 朝鮮総督府が置かれ、初代総督として伊藤博文が就任した。

 (2) 朝鮮は、日本が明治維新以降初めて獲得した海外領土であった。

 (3) 日本による併合と同時に、創氏改名が実施された。

 (4) 第二次大戦中、日本への強制連行が行われた。

 (4)が正解だというが、本当は正解なぞない。ただし設問を「21世紀の今日、日本統治下の朝鮮に関連する左翼的プロパガンダとして最も成功しているものを一つ選べ」とするなら、正解は(4)であろう。

 この出題に異議申し立てをしたのは「新しい歴史教科書をつくる会」で、「強制連行」という言葉は「日本を批判するための政治的な意味合いをもって造語された言葉」であるという。これに反論したのが外村氏で、「何か不当に日本国家および日本人を攻撃し貶めるというようなニュアンスで使われているとしたら、この主張は誤りである」といい、その後に奇妙な「朝鮮人強制連行」と朴慶植擁護論を展開するのである。

 「朴慶植は、日本と朝鮮の民衆同士が連帯し、友好的な関係をつくりあげることを望んでいた。『朝鮮人強制連行の記録』の序文にもそのような立場からこの著書がまとめられたことが記されている。朝鮮人、とりわけ在日朝鮮人にとっては日本との友好は重要であり、それなしには安定的な生活は成り立たないわけであり、それは当然である。しかしその際、重要なことは正確な史実を認識することが基礎におかれなければならないと朴は考えていたと見られる。そのような意図から『朝鮮人強制連行』の語を用いた著作がまとめられたのである。そこには、問題とし排斥すべき『政治的意味合い』など少しも存在していないはずである」(「朝鮮人強制連行―その概念と史料から見た実態をめぐって―」外村大氏のホームページ参照)。

 先の山田昭次同様、外村大も朴慶植信奉者であり、われわれには理解しにくい思い入れもあるのだろうが、それにしても「正確な史実を認識することが基礎におかれなければならないと朴は考えていた」のだから、それを「政治的」と見るのはおかしいという議論は稚拙過ぎて恥ずかしい。これでは、「政治的」などというある種の烙印語が、われわれが自分を何者と考えるかによって違ってくるのだということにも気がついていないということになるのではないだろうか。

 つまり、日本には、外村氏のように、戦前の日本の加害史や侵略史の糾弾こそが日本人としての使命であると考える人間もいるが、「新しい歴史教科書をつくる会」のメンバーのように、それを日本の尊厳を傷つける行為であると考える人間もいる。「政治的」というような言葉は、それぞれが相手側を批判するときに使う軽い烙印語の類であるが、外村氏には、どうも自分の側にある「政治性」についての自覚が欠けているように見えるのである。

 これはしかし、外村氏に対する善意の解釈に過ぎないのであって、本当は彼だって「朝鮮人強制連行」という言葉のプロパガンダ性をよく知っているのかもしれない。そのように思わせるのが新書『朝鮮人強制連行』で、改めて「強制連行」のタイトルを使うのだが、その根拠が明朗でない。もっとも「序章」の出だしには「用語をめぐる議論」の項があって、そこには「朝鮮人強制連行」の語を使うことの妥当性が記されているのだが、みんなが使っているし、みんなが正しいというから、自分も使ってなにがおかしいという以上の記述がないことに驚かされる。

 つまり、外村によれば、この言葉は「今日の日本ではよく知られているし、しばしば使われる語」であり、「歴史辞典」でも「たいがいのもの」には「強制連行」や「朝鮮人強制連行」の項目があり、また「今日までの歴史研究は、本人の意志に反し暴力的に朝鮮人を労働者として連れて来る行為が行われていたことを明らかにしてきた」のだという(2〜4頁)。しかしそんなことをいうなら、「歴史辞典」(歴史事典?)の「朝鮮人強制連行」の項を記したのも(朴慶植も記したが、より代表的なのは田中宏)、「朝鮮人強制連行」をテーマに歴史研究に従事してきたのも、ほぼ全員が左翼であり、彼らが日本の加害者性の糾弾に情熱を注いできた人々であることをどう考えるのかと反問されておかしくないだろう。

 この本が拙著『在日・強制連行の神話』をまったく無視して議論を進めることにも違和感がある(参考文献にも記されていない)。今回の新書で外村が明らかにしたのは、朝鮮人に対する労務動員が日本人に対するそれに比べて、不利な条件が押しつけられ、差別があり、人権侵害を伴うものであったというようなことであろう。それはそうであろう。この時代の朝鮮人が同じ「帝国臣民」とはいわれても、「二級市民」的な扱いを受けていたということは周知の事実である。

 それにしても、この本はなんで拙著の問いかけを無視したのか。拙著で私は、朝鮮人に対する労務動員とは、戦場に送られた日本人の男たちを代替するものに過ぎなかったのであり、だからその朝鮮人の被害者性を強調する態度はおかしいのだと記したが、外村氏はそれを無視し、改めて朝鮮人の被害者性を強調して見せたのである。

 山田昭次氏も外村大氏も朴慶植の忠実な信奉者であり、「朝鮮人強制連行論」の新旧を代表する守護者であるが、こうして比べると、印象的なのは山田氏の愚直さに対する外村氏の狡猾さであろうか。

 

鄭大均(てい・たいきん) 1948年岩手県生まれ。首都大学東京名誉教授。日韓関係、エスニック研究、ナショナリズム研究。著書に『韓国のイメージ』『日本(イルボン)のイメージ』『在日の耐えられない軽さ』(中公新書)、『在日・強制連行の神話』(文春新書)、『姜尚中を批判する』(飛鳥新社)、編書に『日韓併合期ベストエッセイ集』(ちくま文庫)がある。


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朴慶植
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%B4%E6%85%B6%E6%A4%8D

朴慶植(パク・キョンシク、1922年12月7日 - 1998年2月12日)は、在日朝鮮人の歴史研究者。慶尚北道奉化郡鳳城面金峰里で生まれる。1929年3月に両親とともに来日。1943年9月、日本大学高等師範部地理歴史科(夜間)卒業。1942年9月、国民学校助教となる。1949年3月、東洋大学文学部史学科卒業。朝鮮中高級学校、朝鮮大学校の教員を務める。1998年、自転車で帰宅途中に交通事故死[1]。満75歳没。

(略)

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賢者の説得力

朝鮮人強制連行


日本政府は大勢の朝鮮人を
強制的に朝鮮半島から連れ去り、
日本国内で過酷な労働をさせた、というが…
http://kenjya.org/sonota1.html(一部引用)

●「強制連行」と主張されるようになった背景も、現在ではほぼわかっている。

朝鮮大学校の教師をしていた★朴慶植という人が言い始めたのである。それは在日朝鮮人の北朝鮮への帰国事業と関わりがある。北が「地上の楽園」どころか「この世の地獄」だということがわかって、みんな帰国しなくなった。

●そこで、では自分たちが日本にいるのは一体どういう理由からなのかという話になった。その時、「自分たちは連れて来られたから、やむを得ずここにいる。それは日本政府に責任がある」という理屈にしてしまったわけである。
   《八木秀次
    「日本を愛する者が自覚すべきこと」》


6. 2017年2月03日 01:31:56 : iCBmBkVYEs : MSCqStVyV6I[28]

東アジア黙示録  

軍艦島歴史戦に反撃切り札…“地獄”に居座った朝鮮人
2015/07/10 22:04
http://s.webry.info/sp/dogma.at.webry.info/201507/article_3.html(抜粋)

(略)

・・社説とは言え、具体的な研究書や資料名を掲げないことは許されない。読者を騙す、捏造紙ならではの詐欺テクニック。その一方で陳腐なのが識者のコメントを採用していることだ。

「この問題に詳しい★外村大・東京大教授は『意思に反したことが強制したこと。言葉のごまかしは国際社会では通じない』と指摘する」

ごまかしているのは、捏造紙である。★外村大は“強制連行”のプロパガンダを未だに拡散する御用学者で、密航出稼ぎ人夫の対処策だった官斡旋を“広義の徴用工政策”と決め付けて憚らない。・・

(略)

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ぼやきくっくり 時事ネタぼやきと番組書き起こし

軍艦島元住人『賃金良いので朝鮮半島から自ら来た人も…』 「TVタックル」より

2015.06.16 Tuesday 04:28 |
http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid1736.html

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産経WEST

2015.6.21 12:26更新

【炭鉱物語】

強制でなく「職探しも」…戦後、朝鮮半島に戻るとき互いに「泣いて別れた」

(1/2ページ)【韓国・北朝鮮】
http://www.sankei.com/west/news/150621/wst1506210033-n1.html

(2/2ページ)
http://www.sankei.com/west/news/150621/wst1506210033-n2.html


7. 2017年3月09日 17:31:28 : CbzvCsKqpF : FKG4608VdvE[10]
Wedge Infinity

2017年2月21日


日韓対立煽動に利用された『強制連行の神話』(前編)

軍艦島の説明として取り上げられた捏造写真

崔 碩栄 (ジャーナリスト)
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/8925

映画撮影のために作られた「演出」
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/8925?page=2

日韓の「和解」を妨害するため作られた映画
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/8925?page=3

__________


2017年3月3日


日韓対立煽動に利用された『強制連行の神話』 (後)

捏造された写真が韓国の歴史教科書に登場

崔 碩栄 (ジャーナリスト)
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/8974

反日素材としての小道具
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/8974?page=2(抜粋引用)

(略)

●この映画を制作した在日本朝鮮文学芸術家同盟は今も活動を続けている。韓国と北朝鮮を往来し、学術会議を開いたり、2016年4月には北朝鮮を訪問し金日成と金正日の銅像を参拝するなどした。●映画『乙巳年の売国奴』を撮った監督が1970年代初に北朝鮮に移住したことを考えても、彼らと北朝鮮との「繋がり」が無視できないものであることが分かる。

 ●北朝鮮が韓国と日本を反目させるために捏造した写真を、現在の韓国はその由来も目的も知らないままに公営放送や新聞で繰り返し放送し、教科書で紹介し、日本を批判する材料として利用している。ここまでくると、韓国の現状を批判するより、北朝鮮のプロパガンダ工作の完璧な勝利を褒めるしかない。●元々の目的である日韓国交正常化妨害自体は失敗に終わったが、ある意味それよりも恐ろしい、●日本への「憎悪」と「反感」を数十年間に渡り韓国人の頭の中に植え付けることに成功しているからだ。

(略)


8. 2017年3月09日 17:33:29 : CbzvCsKqpF : FKG4608VdvE[11]
気に入った本

私が読んだ本の中から面白かった本、読んで欲しい本を紹介します。


韓国人が書いた 韓国が「反日国家」である本当の理由 崔碩栄(チェ・ソギョン)著 [社会]
http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2013-01-26


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