★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK184 > 812.html
 ★阿修羅♪  
▲コメTop ▼コメBtm 次へ 前へ
5歳の安倍晋三氏 デモ隊まね「アンポハンターイ」繰り返す(週刊ポスト)
http://www.asyura2.com/15/senkyo184/msg/812.html
投稿者 赤かぶ 日時 2015 年 5 月 15 日 08:31:05: igsppGRN/E9PQ
 

5歳の安倍晋三氏 デモ隊まね「アンポハンターイ」繰り返す
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150515-00000008-pseven-soci
週刊ポスト2015年5月22日号


 米議会で壇上に立った安倍晋三・首相の顔には、「歴史に名を残した」という充足感が満ちていた。自民党史上初となる首相再登板を果たしてからの安倍首相は、時に党内からも“独裁者”との批判が上がる。数の論理を背景に集団的自衛権行使容認、憲法改正へと前のめりになるその姿は、60年安保締結を断行し、「昭和の妖怪」の異名をとった祖父・岸信介とも重なる。

 一方で、前回登板が敵前逃亡に終わったように、ガラスのシンゾウ、小心者との月旦評も少なくない。40年超の政治記者人生を安倍家取材に費やしてきた政治ジャーナリスト・野上忠興氏が、膨大な取材資料を元に人間・安倍晋三を形成したルーツに迫る。(文中敬称略)

 * * *
 1960年。東京・渋谷の南平台にあった岸の邸宅には、連日、日米安保条約改定に反対するデモ隊が押し寄せた。いわゆる60年安保闘争だ。

 その岸邸の中では、まだ5歳と幼かった安倍晋三と兄・寛信(当時7歳)がデモ隊の口まねをして、「アンポハンターイ! アンポハンターイ!」と繰り返すのを岸がニコニコしながら見ていた──安倍が政治の「原体験」としてよく語るエピソードである。

 だが、その背景に、甘えたい盛りの時期に両親が不在がちだったという家庭の事情があったこと、幼心に感じていた孤独が隠されていたことはほとんど語られていない。

 安倍は毎日新聞政治部記者だった父・晋太郎と岸の長女・洋子の次男として1954年9月に生まれた。2つ上の兄・寛信(現・三菱商事パッケージング社長)が父方の祖父・安倍寛と母方の祖父・岸信介から1字ずつ受け継いだのに対し、安倍は父の「晋」の字をもらったものの、次男なのに晋三と名付けられた。母の洋子に、なぜ晋三なのかと聞いたことがある。

「主人も私も女の子を欲しかったが、2人目も男の子だった。父(岸)は喜んでいましたが。名前の由来はよく聞かれますが、晋二より晋三の方が字画が良いとか。主人も字の据わりが良いからとはじめから『晋三だ』といいました」

 安倍の誕生は、まさに岸が権力への階段を駆け上がっていった時期に重なる。

 開戦時の東条内閣の商工大臣を務めた岸は敗戦後、A級戦犯として巣鴨プリズンに収監された。不起訴となり公職追放が解除されると、1953年の総選挙で国政に復帰。晋三誕生の翌年(1955年)の保守合同による自由民主党結成で初代幹事長に。1956年に石橋内閣の外相、1957年には首相へと瞬く間に頂上へ上りつめた。安倍が2歳の頃だ。

 岸のスピード出世に伴い、晋太郎は政治記者から総理秘書官に転身。そして1958年の総選挙に出馬するや、安倍家の状況は一変した。

「普通の家庭の団欒は、なかった。父親は全然家にいなかったから。父親がいたりすると家の中がギクシャクしたほどだった」

 安倍は筆者のインタビューにそう振り返ったことがある。総理秘書官の父は連日のように深夜に帰宅し、休日も仕事。母の洋子は夫の選挙のために地元の下関に張り付き、東京の家には幼い安倍兄弟がポツンと残された。

「友人宅で一家団欒の光景を見たりすると、『ああ、いいな』と思ったりした」と“普通の家庭”への憧れを語った安倍の言葉が改めて思い出される。

 両親に代わって、安倍兄弟が成人するまで世話をしたのが、晋三の乳母兼養育係だった久保ウメ。岸、安倍両家に40年仕え生涯独身を通したウメは、筆者の取材のなかで、こんな「安倍家の日常」を明かした。

「安保の頃は晋ちゃんがまだ5歳、ママは地元だし、パパは仕事だから昼間も私やお手伝いさんしかいない。子供には危険だからと安倍家は岸邸と別のところに住んでいて、晩ご飯だけは南平台(岸邸)で食べると決まっていた。私が左手で代筆した夏休みの日記は、必ず『今日も、おじいちゃんの所で夕食を食べました』が書き出しだった」

 ウメによると、安倍は幼稚園に通っていた頃、おんぶをよくねだる子だったという。

「朝、お兄ちゃんの仕度ばかりやっていると、晋ちゃんが拗(す)ねちゃって。拗ねるとテコでも動かない。幼稚園のカバンをかけてやって、バス停までおんぶしていった。あんなにおんぶが好きだったのは、やっぱり両親が不在がちだったからでしょう」

 甘えたい盛りの安倍にとって、岸邸での祖父母との夕食や、時には庭で遊んでくれた祖父とのふれあいは貴重な団欒だった。

 であれば、安倍が「A級戦犯」「妖怪」呼ばわりされた岸を「おじいちゃんは絶対正しい」と信じ込んだとしても、「安保反対!」を叫ぶデモ隊が「祖父の敵」として幼心に刻まれたとしても、解せなくはない。安倍は当時の岸との会話をこう回想している。

「『アンポってなぁに?』と聞くと、『日本をアメリカに守ってもらうための条約だよ。なんでみんな反対するのかわからない』──そんなやりとりをしたことをかすかに覚えている」


 

  拍手はせず、拍手一覧を見る

コメント
 
01. 2015年5月15日 08:37:31 : KzvqvqZdMU
60年安保ってのも変な騒動だったよな。
安保条約の片務性をすこしでもなにしようっていうことだから、そんなに
反対する理由は無いのだが、馬鹿な愚民らが、政府転覆を画策する共産主義
革命からに扇動されただけのはなしだ。
 いまも、似たようなもんだ。中国を利するだけの反対運動。



[32削除理由]:削除人:アラシ

02. 2015年5月15日 10:08:05 : leSwsH6EVs
60歳の安倍晋三氏にたいしデモ隊「アンポンターン」繰り返す。

03. 2015年5月15日 11:11:17 : d1INYqu1to

>その岸邸の中では、まだ5歳と幼かった安倍晋三と兄・寛信(当時7歳)がデモ隊の口まねをして、「アンポハンターイ! アンポハンターイ!」と繰り返すのを岸がニコニコしながら見ていた──安倍が政治の「原体験」としてよく語るエピソードである。
 
 
平澤勝栄から定規で叩かれすぎたために「記憶のすり替え」が起きたのであろう。

本当の原体験は晋三が日常的に祖父とおこなっていた受け答えであり、以下の通りである。

信介「アンポンタン」
晋三「ハーイ」

信介「アンポンタン」
晋三「ハーイ」

信介「アンポンタン」
晋三「ハーイ」


04. 2015年5月15日 13:47:13 : vjAsmoXaW2
01>おまえはほんまあほやな。60年代安保運動に右翼や財界から資金が

出ていたの知らんのか。政治には裏の裏があるんや。おまえみたいな馬鹿が

手を出すものではない。おまえは分相応にぱちんこでもしとれ。ダボ。

[32削除理由]:削除人:アラシ

05. 2015年5月15日 19:16:37 : PHkuSka9vI
祖父様を 無理に真似てる アンポンタン
演技の下手さ 皆にバレても


  拍手はせず、拍手一覧を見る

フォローアップ:


★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
投稿コメント全ログ  コメント即時配信  スレ建て依頼  削除コメント確認方法

▲上へ      ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK184掲示板 次へ  前へ

★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/ since 1995
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。
 
▲上へ       
★阿修羅♪  
政治・選挙・NHK184掲示板  
次へ