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「床屋談義」で教育政策が決まる日本 日本の大学進学率は先進国中で驚くほど低い
http://www.asyura2.com/15/senkyo186/msg/361.html
投稿者 rei 日時 2015 年 6 月 08 日 18:15:22: tW6yLih8JvEfw
 

「床屋談義」で教育政策が決まる日本

竹中平蔵・慶応義塾大学総合政策学部教授に聞く(1)

2015年6月8日(月)  竹中 平蔵 、 中室 牧子


竹中平蔵・慶応義塾大学教授(写真:陶山勉、以下同)
 「私の体験ではこうだった」「昔はこうだった」…。個人の経験談や信念による発言が横行し、社会的地位のある人間や、現在教育にかかわる人の体験や価値観で施策が決まっていく日本。だが世界を見渡せば、政策のオプションにしろ教育法にしろ、成功例、失敗例、統計的な実証分析に基づいた知見の蓄積が豊富にある。

 教育政策にももっと、信念や価値観だけでなく実証分析に根差したKPI(重要業績評価指標)が必要ではないか。数々の国家的な改革に携わってきた竹中平蔵・慶応義塾大学教授に、竹中ゼミの教え子である気鋭の教育経済学者、中室牧子氏がざっくばらんに聞いた。
(構成は片瀬京子)


実は私は竹中先生の教え子なのですが、これまで教育についてしっかりと話を伺ったことはありませんでした。今日は政策の視点から、教育に対するお考えをお聞きしたいと思います。

竹中:そもそも、教育の話をするのは難しいことだと思っています。なぜかというと、教育と税に関しては、一億総評論家だからです。全員にとって自分の問題です。「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」と言いますが、教育と税については多くの人が愚者になります。一度しかない自分の経験に基づいて議論しようとするので、歪んだ議論にもなるのです。これは、日本の大企業が自社の成功体験に固執して悪くなっていくのと同じです。

ある審議会の議事録を読んでいたら、教育再生が話題に上ったとたん、大臣がみな「私の経験では」と話をしていました。

竹中:そうなってしまうんです。ですから、本当はポリシーボードには、中室先生のような専門家が入ればいいんです。当事者からはヒアリングをすればいい。

 ところが、ヒアリングすればいいような人を全部意思決定機構の中に入れている。これでは、話がまとまるはずがありません。

成功体験に引きずられる親たち

最近は、非常に偏差値の低かった女子高校生が慶応義塾大学に合格した体験本とか、子どもを全員東大に入れた母親の本などが話題になっています。成功した親や子ども自身の体験談を聞きたい、という欲求自体には何の問題もありませんが、子どもの教育成果にはあまりにも多くの要因が影響しているので、1人の体験談は必ずしも一般化できないという点は、受け止める側にも注意が必要です。

竹中:リサーチには、統計的なデータに基づく物と、リアルイシューに基づく物とがあるので、リアルイシューとしての成功体験を聞くのはとてもいいことです。しかし、一人の女子高生、一人の母親の話はバイアスがかかったリアルイシューであり、ジェネラルではありません。リアルイシューはいくつも集めないと意味がありません。

 私の母のところにも、よく取材の依頼が来ます。大臣と社長(編集部注・竹中氏の兄はミサワホーム社長の竹中宣雄氏)を生み育てた母親の話を聞きたいというわけです。私が母に、そんなことはしないでくれと止めています。私の母の話は一般化できるものではないからです。

歴史に学ばず、個人の経験に固執する愚者が多くなってしまう教育に関して、国の施策はどうご覧になっていますか。

教育の当事者が、現状を否定するはずがない

竹中:中央教育審議会(中教審)というものがありますが、この中教審のメンバーはみな、教育の当事者です。ですから、現状の教育を否定するはずがありません。郵政審議会に現役の郵便局長が入っていたら、民営化を提案するはずがないのと同じです。裁判で言えば被告が陪審員を兼ねるようなものです。

審議会に出席しても、1人10分ずつ意見を言って終わりというところが多いですね。

竹中:10分間も話せるのはかなりいい会議ですね。普通は2〜3分です。20人ほどの委員がいる会議では、1人5分話したら100分かかります。しかし、政府の会議はたいてい90分ですから、一言ずつ言って終わりです。さらに各委員には、役所から秘書という名のスタッフがつきます。そうやってすべて発言をコントロールするのです。これは教育に限った話ではありませんが。

「少人数学級」「子ども手当」は費用対効果が低い

私は、日本の教育の大きな問題は、グランドデザインがないことだと思っています。どこにどれだけのお金を投じたら効果的かという議論や分析がされません。米国では、教育であっても「費用対効果」が非常に重視されます。ところが日本の場合、「学力の向上」という目標に対しては、海外の研究で、既に費用対効果が低いことが明らかになっている「少人数学級」や「子ども手当」を積極的に採用してきました。
 もちろん海外での結果が直ちに日本に当てはまるわけではありませんが、海外で費用対効果が低い政策を実施するのであれば、巨額の財政支出を行う前に、その効果測定を行うべきなのではないでしょうか?

竹中:それは、教育に限らず、日本の政策のほとんどすべてに言えることです。たとえば、財政を専門とする経済学者、アルベルト・アレシナによる研究では、財政再建を成功させた国はまず歳出削減をしていて、失敗させた国はまず増税をしていることがはっきりしています(参考:2012年3月13日掲載 「財政再建と経済成長を両立させる『ナナサンの法則』」)。


中室牧子(なかむろ・まきこ)氏
慶応義塾大学総合政策学部准教授
1998年慶応義塾大学卒業後、日本銀行、世界銀行を経て、米コロンビア大学博士課程修了(Ph.D.)、2013年から現職。専門は教育経済学。2015年6月、『「学力」の経済学』(ディスカバー・トウェンティワン)を発刊予定。


 アレシナ教授の研究によれば、かなり義務的経費にまで切り込んで経費を削減し、最後に増税をした国だけが財政再建に成功しています。実は私が2002年から2007年まで、小泉政権時にやったことはそれです。客観的かつ統計的な信頼性のある形でのコストベネフィット分析をした結果であり、それで実際に、28兆円だった財政赤字は6兆円にまで圧縮できました。

 しかし、この国ではそれをしてきませんでした。公共事業についてすら、その分析をしません。だから誰も通らないような農道をいつまでも造り続けたのです。典型的な例は、八ッ場ダムです。


将来のコストよりかけたコストに固執

 工事を中止すべきか否かの議論になったとき「ここまで造ったのだから造りきらないと無駄になる」という声がありましたが、これはコストベネフィット分析を理解していない典型です。過去に使った費用は関係なく、今後起こることについてコストとベネフィットを比較すべきなのに、それをやりません。その理由は、日本人の政策リテラシーが低いからです。

教育政策の目標が明らかではないという問題もあると思います。もちろん教育政策の目標は1つであるはずがありません。学力、学習習慣、あるいは意欲などの非認知スキルなど目標はいろいろと考えられます。しかし、目標に応じて手段が変わってくるはずです。海外では、目標に応じて、手段との関係を明らかにする効果検証が行われています。
 ところが日本の場合は「生きる力の向上」といったような、どうとでも捉えられることを目標に掲げがちです。また、政策手段と目標とが逆転しているものも見受けられます。たとえば、「2020年までに1人に1台のタブレットを配布する」というのも、本来目標ではなく手段のはずです。

竹中:そこも、教育の難しさです。教育の場合、制度全体が目指すものと個人が目指すものとが一致しないのです。経済の場合は、経済成長をさせたければGDP(国内総生産)の成長率を上げればよくて、それによって得られたものは分配をすればいいのですが、教育の場合は成長と分配とが区別されていないので、明確な目標もないのです。


竹中 平蔵(たけなか・へいぞう)氏
慶応義塾大学総合政策学部教授
1951年和歌山市生まれ。73年一橋大学経済学部卒業、日本開発銀行入行。81年、米ハーバード大学およびペンシルバニア大学客員研究員。89年、ハーバード大学客員准教授。96年、慶応義塾大学総合政策学部教授。2001年、経済財政政策担当大臣。2004年、参議院議員当選、経済財政政策・郵政民営化担当大臣。慶応義塾大学教授・グローバルセキュリティ研究所所長。ほか公益社団法人日本経済研究センター研究顧問、アカデミーヒルズ理事長、パソナグループ会長などを兼職。産業競争力会議、国家戦略特別区域会議議員。


 ですから、KPI(重要業績評価指標)を設定しなくてはならないのですが、文部科学省、それから日銀は、このKPIを持っていない数少ない公的機関です。デフレが15年間続いても、日銀は責任を取らないでしょう。

日本の大学進学率は先進国中で驚くほど低い

 教育についても、日本の大学進学率は、先進国の中では驚くほど低いままです。平均的には豊かだと言われながら、これだけ大学進学率が低いのは、私は異様だと思っています。ですから、国の大きな目標に、大学進学率の向上があってもいいと思うのですが、ありません。そもそも、高校も義務教育化されていません。

 もちろん、世界トップ100の大学に日本の大学をいくつランクインさせるとか、ノーベル賞を受賞するような人材を育成するというのも、KPI足り得ます。ですから、教育の専門家には、警告ではなくて、何を目標とすべきかの提言をしてほしいですね。

日本では、大学教育の質も話題になります。質を担保することと進学率を高めることとは、両立し得るでしょうか。私は、どの国を見ても両立はできていないと感じています。質の高い教育を目指せば、持つ者と持たざる者の差が大きくなり、アクセスの平等に注力すると、質を保てなくなります。

竹中:私は、大学で教育を受けた結果、どの程度学力が向上したのかを測ることを目的に、学生に入学時と卒業時に試験を受けさせればいいと思います。すると、成果を出している大学とそうでない大学が明らかになります。成果が出ない大学へは、補助金を出さなければいい。

「L」なのに「G」の顔をする大学が多いワケ

 もちろんこれには、大反対が起こるでしょう。大阪市で学校別に学力テストの成績を公表したら、あれだけ大騒ぎになったわけですから。しかし、補助金を受ける以上は、成果をレビューされる義務があります。

確かに成果は数字で示される必要があります。ところがこれまでは「キャンパスの雰囲気が変わった」など、極めて定性的な評価しかされてきませんでした。

竹中:補助金がどのように役立ったかは、可視化しなくてはなりません。公的資金を使うのですから、当たり前の事ですよね。

大学についてもうひとつお聞きします。経営共創基盤の冨山和彦さんは、大学をG型とL型に二分せよとおっしゃっています。これについて先生はどうお考えですか。つまり、世界で活躍できる高度な人材を養成するグローバル型と、地元にとどまる人向けに教育するローカル型、という切り分けです。

竹中:冨山さんのおっしゃっていることの主旨は、そうやって区別して資金配分をして、日本に必要な人材を育成した方がいいのではないかということで、それは1つのやり方ですが、最もいいのは、自然とG型とL型に分かれることです。

 というのも今、実態としてはLなのにGのような顔をしようとする大学が存在し続けられるのも、補助金があるからです。

(次回へ続く)

このコラムについて
教育ってそういうことだったのか会議

 経験論ばかりが跋扈する、世間の教育改革の論議。教育は誰もが当事者で、誰もが経験に基づいた評論家になりがちだ。

 個人の経験ではなく、世界の事例や実証研究、大局観を持った教育政策を実現するにはどうすればいいのか。

 竹中平蔵・慶応義塾大学総合政策学部教授と、その教え子である若手教育経済学者の中室牧子氏が、政策の観点から、対話形式で掘り下げていく。
 
http://business.nikkeibp.co.jp/article/interview/20150528/281729
 

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コメント
 
1. 2015年6月08日 18:44:57 : 62QaAmZ1Pg

もはや「教育」ではない 

  「教育産業」があるのみ 

 平蔵の教え子 中室牧子准教授 がどれほど卑しいか

     三〇年前の進学塾講師たちが聖人にみえるほどだ 。。。


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