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戦後70年の検証H 全編を貫くたぶらかしの安倍談話(生き生き箕面通信)
http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/670.html
投稿者 笑坊 日時 2015 年 8 月 15 日 10:52:16: EaaOcpw/cGfrA
 

http://blog.goo.ne.jp/ikiikimt/e/ce024cc815edea808fbad59417f7081f
2015-08-15 09:02:33

 今回の安倍談話の本音を要約すれば、「皆さんの望む言葉は全部入れましたよ。だけど、私はそれとは関係なく“戦争法案”をやりますよ。謝罪は今回もしませんでしたが、今後もしませんよ」ということになりましょうか。なにしろこの男、言うことは、「耳触りのいい言葉を連ねるが、やることはそれとはまったく逆だよ」と、現行不一致の名人です。

 ただ一か所、言行一致の文言があります。「子ども達に謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」というくだりです。自分が謝罪したくないのを、「子どもたちに謝罪の宿命を背負わせてはならない」と、見事にすりかえました 。

 驚くことに、安倍談話は、「無責任の体系」で貫かれています。本文中に「責任」の文字が使われているのは、次の3か所です。「過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります」「アジア、そして世界の平和と繁栄に力を尽くす。その大きな責任があります」「核兵器の不拡散と究極の廃絶を目指し、国際社会でその責任を果たしてまいります」。ここで使われる「責任」は、どの国のどの指導者でも当たり前のことで、言わずもがなのことです。

 安倍談話で明らかにしなければならない「責任」は、ずばり「戦争責任」のはずです。ところが、為政者の戦争責任に関連するくだりは実に巧妙に避けています。たしかに、多くの言葉を費やして過去の戦争に触れました。多くの人を犠牲にし、傷つけたことを認めた言葉もあります。しかし、そこからは、まるで他人ごとのようなニュアンスがたちのぼってき、とても反省とお詫び、あるいは「真面目な責任」というものは感じられません。

 戦時中の軍部主導体制が天皇を含め、丸山真男がいうところの「無責任の体系」でしたが、安倍談話も見事に「無責任の体系」で貫かれています。

  前半の部分に、「満州事変、そして国際連盟からの脱退」と、先の大戦の経過に触れた個所がありますが、その後はいきなり、「そして七十年前。日本は、敗戦しました」と、羅列するだけです。戦争責任への言及は一切なし。あるのは、「国内外にたおれた すべての人々の命の前に、深く頭を垂れ、痛惜の念を表すとともに、永劫の、哀悼の誠を捧げます」という、得意のフレーズです。こういっては、犠牲になった人々に失礼になるかもしれませんが、お涙ちょうだいの噴飯ものなのです。

 自分の祖父、岸信介氏は、満州事変の起きたその満州で植民地経営の責任者であり、地元の人々を搾取する当事者だったのです。

 後半では、やたら上から目線のお説教調が目立ちます。「私たちは、心に留めなければなりません」「私たちは、思いを致さなければなりません」などです。

 締めの部分では、「『積極的平和主義』の旗を高く掲げ世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献してまいります」と、“崇高な決意”をしてみせました。足元の国会では、戦争法案の成立に余念がないにもかかわらずです。言ってることとやることがどんなに食い違っていても平気です。カエルの面にしょんべんなのです。

 朝日新聞は本日の社説で、「何のために出したのか」と問いました。分かり切ったことです。アベの、アベによる、アベのための談話。つまり自己満足だけのための談話にすぎない。全編、たぶらかしの談話。戦後70年の総括と検証をすべきはずのものなのに、こんなくだらないものならわざわざ出す意味は全くありませんよね。


 

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コメント
 
1. 2015年8月15日 11:09:05 : Ns4lmygKjc
 「アベ流戦争法案」をかわすのに四苦八苦しているところへ「アベ流ウソ談話」についての釈明でまたまた国会は面白くなりますなあ。 
 モミイさんよ、観覧料をとってるんだからシッカリ放送しろよ。

2. 嫌ネトウヨ、ネトサヨ 2015年8月15日 11:09:09 : E1lRrqAmBUaXw : 3zZ64mZUMA
阿倍の談話はなかなか考え尽くされたいい談話だよ。
だれが草稿をつくったかしらないが、したたかな知恵者がそばについていることを伺わせる。
わたしは阿倍の政策にはことごとく反対だがこの談話はなにひとつ問題はないとおもうね。

3. 2015年8月15日 11:10:48 : 6lEL0QePhA

 8月15日・小沢一郎代表が戦後70年を迎えて談話を発表しました。

 戦後70年を迎えて(談話) 生活の党と山本太郎となかまたち

代表 小沢一郎

戦後70年という節目を迎えるにあたり、先の大戦において犠牲となられた内外のすべての人々に対し、謹んで哀悼の誠を捧げます。

戦後70年を迎えた今も、日本は政治、経済、社会のあらゆる面において、まだ戦後を脱し切れていません。これは「戦後」の前提となる「戦前」、特に昭和史についての検証と認識が全くなされないまま今日に至っているからだと思います。

私たちは戦前の歴史的事実を冷静に見つめ、謝るべきは謝り、正すべきは正すべきだと思います。その上で、将来に向けてアジアの国々がお互いに力を合わせてやっていこうと呼びかけていくべきです。歴史ときちんと正面から向き合おうとしないから、世界各国、特に隣国の中国や韓国から歴史問題を常に蒸し返されることになるのです。

私は愛国者の一人だと自認していますが、軍事裁判という形を取って懲罰を科す手法がよいかどうかは別として、日本の戦争指導者たちがアジアの隣人に大変な苦痛と被害を与え、また自国民の多くの命と多大な財産を失わせたのは紛れもない事実です。連合国側に裁かれるまでもなく、あんなばかげた戦争を指導した当時の政治家や軍人たちは、自ら責任を取るのが当たり前です。

指導者たる者は、指揮を誤った時には自ら潔く責任を取らなければいけません。日本は8月15日を終戦記念日と言い続けてきましたが、事実は敗戦記念日です。誰も責任を取らないまやかしのナショナリズムではなく、70年前の「敗戦」をしっかりと受け止めて戦後をスタートさせ、新しい国づくりをしていかないと、日本はまた同じ過ちを繰り返すことになります。

日本は戦後、アメリカ占領軍の下で形の上での民主主義が導入されました。そして、アメリカから与えられるままに、全てを惰性で曖昧なままにして70年間を過ごしてきました。

国民一人ひとりが第二次世界大戦を自分の問題として捉えず、自らの意思で戦前の日本に向き合い、検証し、考え、そして民主主義とは何かという結論を導き出す作業を怠ってきたのです。その結果、戦後70年を迎えても、日本は依然として民主主義を本当に理解している国になれないでいます。

昭和の初めには大飢饉があり、農村では身売りしなくては家族が生活できないという現象が日本のあちこちで見られました。また、貧しい農村の人たちは徴兵制で兵役に就きました。

そうした世の中で、「財閥富を誇れども 社稷(しゃしょく)を思う心なし♪」と『昭和維新の歌』で唄われたように、「日本の世の中はおかしい。誰も国のことを考えていない」と青年将校が決起して5.15事件や2.26事件という軍事的クーデターが起きたのです。

更に日本の経済的困窮に拍車をかけたのが、1929年のウォール街の株価大暴落に始まった世界恐慌でした。結局、これに日本は対処できず、軍事的な拡大で戦争景気をあおるしか方法がなく、最終的により大きな悲劇へと突入していきました。

私は5.15事件や2.26事件を政治的に肯定するつもりは全くありませんが、今の社会構造は当時と非常に似てきていると思います。現在はまだ非正規社員でも何とか食べていけますが、ひとたび世界規模の経済恐慌に襲われたら、国民は相当混乱に陥るはずです。

そういう時でも、日本人が自立していて、日本に本当の民主主義がきちんと根付いていれば、皆で知恵を出して合って、何とか困難な状況を解決していく方策を思いつくでしょう。しかし、民主主義の土壌がなければ、5.15事件や2.26事件の時のように、「今の政党政治はだめだ」「民主主義は無力だ」ということで、国民が極端な行動に走ることもあるかもしれません。私は戦後70年の節目の今年こそ、国民一人ひとりが本当に民主主義を身につけるべき年ではないかと思っています。

そして、日本に議会制民主主義を定着させ、国民が一人ひとり自分の頭で考え、投票し、自分たちの政権をつくる。自分たちが選んだ政権がおかしいとなれば、もう一方の政権を選び直す。そういう仕組みを確立する中で、政党も国民もお互いに力を合わせていけば、今後どんなことが起きようとも、日本はそれを乗り越えていくことができると思います。

私は特に最近、一日も早くそういう日本にしなければ危ないと強い危機感を抱いています。戦後70年を機に日本に本当の民主主義を根付かせ、アジアの範となるような国になることに、国民の皆さまと一緒に全力で取り組んで参りたいと思います。


4. 2015年8月15日 11:14:38 : Ns4lmygKjc
>2
 
 作文はうまいかもね。しかしこれほどの「言行不一致」はまさに「オウンゴール」でないかい?

5. 2015年8月15日 11:45:17 : jXbiWWJBCA
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やりなおす戦後史
【第7回】 2015年8月14日 蔭山克秀
なぜ民主党政権はうまくいかなかったのか?
戦後70年、“自立国家”への遠い道のり
戦後史は日米関係の駆け引きの歴史であり、対米「追従」路線VS対米「自立」路線の政治ドラマでもあった。民主党は、戦後からの悲願だった「自主独立」路線をめざした政党だったが、それがうまくいかなかったのはなぜだろうか?戦後70年の節目に考える、日本の国家としての自立とは?


夢に終わったユニーク政策――鳩山由紀夫

 2009年8月30日、事実上の任期満了選挙に追い込まれた麻生自民党は、衆院選で惨敗し、前回の“小泉劇場”郵政選挙で稼いだ300の議席を、119にまで減らした。逆に前回の115議席を、308議席というとてつもない数にまで伸ばした民主党が、ついに結党以来の悲願であった政権交代を実現したのだ。

 国民の多くは、小泉政権に感じた爽快感が、実は政権交代の気持ちよさに似ていることに気づいていた。でもその後の安倍・福田・麻生で、また自民党は昔に戻ってしまった。 これでは物足りない。そんななか、民主党待望論が出てくるのは、ある意味当然だった。


鳩山由紀夫 photo:wikipedia Copyright by Jerry Morrison
 この選挙圧勝劇を受け、2009年9月16日、国会は民主党党首・鳩山由紀夫を首班指名し、ついに鳩山は第93代内閣総理大臣となった。鳩山由紀夫といえば、元首相・鳩山一郎の孫だ。鳩山一郎は対米追従型からの脱却をめざした人だし、孫の由紀夫も「追従だけでなく、独立国としての気概を持たなくてはならない」と毎日新聞のインタビューで答えている。

 これは変革の予感がするぞ――国民の期待は高まった。実際国民の鳩山内閣に対する期待は高く、共同通信社の世論調査によると、発足当初の内閣支持率はなんと72%にまで達した。

 しかし結論から言うと、鳩山の政権運営は、ことごとく失敗に終わった。「政治主導」を打ち出して官僚にコントロールされる政治を嫌ったまではよかったものの、実際にやってみると、官僚との根回しをまったくしない政治は、想像以上に難しかった。

 しかも鳩山の政治スタイルは、党内での意見調整もないままいきなり自らの構想を国民に示すものが多かったため、同じ民主党内からも不満が噴出した。

 結局、彼が示した構想の数々は、しばしば「突発的」「独断的」「狙いがわからない」などと酷評されることとなり、最終的には「首相の思いつきの政策を、誰も支持しない」形になることが多かった。

 そのため、鳩山内閣はどんどん支持率を下げ(2010年5月には19.1%にまでダウン)、最終的には辞任に追い込まれることになる。しかしそこで示された政策は、アイデアとしては実はとても面白いものばかりだったのだ。

 まず鳩山は、2009年9月にニューヨークの国連本部で開かれた国連気候変動サミットに出席し、そこで「CO2の25%削減案」を打ち出した。普通に考えれば、こんなけた外れに大きな削減目標、環境税の導入や排出権取引(各国に割り当てられた削減数値目標の%の売買)だけで、実現できるわけがない。

 しかし鳩山は、そこに「原発の積極稼働」で現実味を持たせようと考えたのだ。確かに原発は、化石燃料を燃やす火力と違い核分裂エネルギーで発電するから、CO2を出さない。つまりはクリーン・エネルギーだ。ならその稼働を最大限高めていけば、CO2の25%削減は夢ではないはずだ。

 しかしこの構想は、夢と終わった。2011年に発生した東日本大震災で、原発の積極稼働など不可能になってしまったからだ。2012年12月、自民党政権に移ったことで、この「25%構想」は完全に撤回された。

新しい日米関係を求めて――自主独立構想

 次に鳩山は、外交面で従来の自民党とは違ったユニークな方向性を打ち出した。“友愛外交”に基づく「東アジア共同体」構想だ。

 友愛外交とは、価値観の違う国々と、互いに尊重し合いながら共存共栄を図っていこうという鳩山内閣の外交方針だが、それに基づく東アジア共同体とは、日中韓で集団安全保障体制や通貨統合まで視野に入れたEU型の共同体を形成することで、東アジアにアメリカ・欧州に匹敵する第三極をつくり、それを足がかりに対米従属から徐々に脱却し、対等な日米関係を築いていこうというものだ。

 もし実現したら、日本が対米追従路線と決別するきっかけにもなりえる面白い案だ。しかも時期的に2009年という時期は、ちょうどリーマン・ショックとギリシア問題で欧米という大巨人の足元がふらつき、かわりに中国が台頭してきた時期だ。もし日本が本気でアメリカと決別したいと考えるなら、タイミング的にも絶妙と言えるだろう。

 ただしこれを実現するには、3ヵ国の間に今なお根強く残っている歴史認識の問題、そこに端を発する反日感情の問題、それから日米同盟弱体化を狙っているフシすらある中国の軍事的脅威の問題など、課題は山のようにある。

 結局、鳩山の提唱した東アジア共同体構想は、具体化の動きを示す前に鳩山が辞任してしまい、フェードアウトしてしまった。

なぜ普天間基地は移設できなかったのか?

 そして、その辞任への流れを作る不人気のきっかけになったのが、「普天間飛行場の移設問題」だ。鳩山はマニフェストにこそ書いていなかったものの、自分たち民主党が政権をとったあかつきには、沖縄にある米軍普天間飛行場を「最低でも県外、できれば国外」に移設したい旨を、選挙時発言として行っている。

 もともと普天間飛行場には1990年代半ばから“県内移設案”があり、1996年にはその受け入れ先が「名護市辺野古」に決まっていた。しかし鳩山は、それを県外か国外に移そうという。これがもしうまくいけば、政治主導で初めて沖縄問題に大きく日本の意向を反映させた例になる。成功すれば、アメリカからの自主独立への大いなる第一歩だ。

 ただこの問題は、鳩山の強調する「政治主導」で解決するには、あまりにも大きすぎた。実務面を担っている官僚との協力・根回しもなく「米軍基地の移設」などという巨大な壁に立ち向かうには、鳩山民主党はあまりにも与党として若かったのだ。

 しかも鳩山には、欠けていたものが二つあったように見受けられる。一つはアメリカと対等に交渉するのに必要な“駆け引き材料”、そしてもう一つは、現行安保体制にかわりうる“新しい安全保障政策のビジョン”だ。

 正確に言うと、この二つがつながりを持ったものになれば、アメリカは大いに動揺し、日本の言うことを聞いてくれた可能性が高い。つまり「もしアメリカが普天間基地を県外か国外に移設してくれないなら、日本は今後、中国と手を組むぞ」という“脅し”だ。

 アメリカの腰巾着にすぎない日本が、アメリカを困らせられる脅しがあるとすれば、それだけだ。つまり「本気で中国と組んで新たな安全保障システムをつくるぞ!」というブラフを全身全霊こめてかますことだけが、アメリカを慌てさせ、日米関係を“追従型”から“対等”にできる唯一の切り札だったと思う。

 もちろんそんなこと、本気でやるとは思えない。そんなことをすれば、今まで味方だったアメリカと、今後は険悪でよそよそしい間柄になる。それにそれをやれば、僕らの生活はハリウッド映画やメジャーリーグやMTVやグーグルと縁遠くなり、かわりに『赤いコーリャン』や太極拳や海賊版音楽や百度(バイドゥ)と親しむことになる。ここまでアメリカナイズされた生活に親しんでしまった僕らに、いきなりそんな生活への転換ができるとは思わない。

 でもだからこそ、「本気でそれをするぞ」という覚悟を示すことが、大いなる力になる。その意味でいうと、この移設案を本気で成功させたかったのなら、「東アジア共同体構想」とセットで(しかも両方とも本気で)取り組まなければならなかったことになる。

 というより、もともとこの東アジア共同体構想を聞いたとき、僕は「あ、鳩山政権は中国シフトでいく気なのか」と思ったぐらいだから、やるならやる、やらないならやらないと、いずれにしても本気度を示して行動を起こさないと。それをまさか「東アジア共同体構想を示すだけで、アメリカは動揺するはず」などと思ったのなら、それは見通しが甘すぎだ。アメリカぐらい貫録たっぷりのボスになると、そんな空手形ぐらいでいちいち動揺したりしない。

 結局、鳩山の示した程度のブラフではアメリカは動揺せず、鳩山はその後、移設先に苦慮することになる。その後「腹案がある」と言って出してきた徳之島案も地元自治体にフラれ、最終的には2010年5月、元の「名護市辺野古案」に戻してしまった。

 これにより、国民は鳩山を「できもしない夢物語で県民をその気にさせておきながら、結局状況を引っ掻き回しただけで何も実現できなかった嘘つき」ととらえ、大いに失望した。民主党はこのままでは7月に迫った参院選を戦えないとする声が高まり、鳩山は辞任した。このあたりから、民主党に対する国民の目は厳しくなっていった。

ピークを過ぎて首相になった男の悲劇――菅直人


菅直人 photo:wikipedia Copyright by Remy Steinegger
 鳩山辞任後、首相の座を引き継いだのは菅直人だった。菅はもともと学生運動・市民運動出身の政治家で、初当選のときは社会民主連合(社民連)に所属していた。その後は一九九四年に社民連が解散したのを受けて新党さきがけに所属し、そのときに橋本龍太郎の「自社さ連立内閣」で厚生大臣として初入閣して、薬害エイズ問題やO157問題に積極的に取り組む姿勢で名を上げた。

 薬害エイズ問題では、菅自身が大臣として厚生省内の内部調査を陣頭指揮し、エイズ研究ファイルを発見して非加熱製剤の危険性を国が認識していた事実を突きとめ、改めて国の責任を認めて被害者家族らに謝罪した。

 また出血性大腸菌O157の集団感染問題では、厚生省が「カイワレ大根が感染源」と発表したことで生まれた風評被害を払しょくするため、菅自らがカメラの前でカイワレサラダを頬張ってみせるというパフォーマンスを披露した。

 とにかく、この厚生大臣時代の菅は「かっこいい」の一言に尽きた。学生運動出身の野党気質の正義漢が与党政治にピッタリはまると、こんなにも気持ちがいいものなのかと、国民の多くは感動すら覚えた。菅の人気は日に日に高まっていった。

 その後、菅は鳩山の民主党旗揚げに参加し、鳩山とともに党の共同代表となった。その後も何度か代表に就任し、2003年には小沢一郎の民主党との合併などを実現させたが、その翌年の2004年、小泉内閣閣僚の「年金未納問題」あたりから、かつてのかっこよさのイメージはなくなっていった。

 これは菅が、未納期間のあった三閣僚(中川昭一・石破茂・麻生太郎)を「未納三兄弟」と呼んで厳しく追及している最中、自らが4人目の兄弟と発覚して代表を辞任し、頭を丸めて“お遍路さん”になった事件で、菅代表はこれで相当国民からの人気をなくした。

 しかし、党内での影響力は残し、2006年に民主党代表となった小沢一郎を鳩山・菅で支える「トロイカ体制」の一翼を担いつつ、今回の首相選出となった。

 こう見ていくと、菅には首相就任時、すでに厚生大臣だった頃の人気はなく、その意味では首相就任は新鮮味に欠け盛り上がらなかった。しかし、主要スタッフを“反小沢”の枝野幸男(幹事長)や仙谷由人(官房長官)で固めたことが国民から評価され、内閣支持率は発足当初は61%、最高で65%と高い支持を得た。

 しかしその後、消費税増税案が国民の不興を買って7月の参院選に惨敗し、衆議院とのねじれ現象を作ってしまった。その後、9月には尖閣諸島沖での中国漁船衝突事件で中国漁船の船長を釈放したことで支持率が急落し、2011年3月には東日本大震災で危機管理能力の甘さを露呈し、さらには自民党の谷垣禎一総裁に入閣要請したことが指導力の弱さととらえられて、支持率の伸び悩みに苦しむ。

 その後は首相を「辞める・辞めない」と発言が二転三転して内閣支持率は2011年7月には最低の16%を記録し、ついに8月、辞任した。

どじょう内閣の迷走――野田佳彦


野田佳彦 photo:wikipedia Copyright by Leon E. Panetta
 菅の後を引き継ぎ内閣総理大臣に就任した野田佳彦は、民主党代表選の演説で自らを泥臭いどじょうに例えたことで「どじょう内閣」と呼ばれた。これは、不人気でも泥臭く国民のために汗をかいていきたいという決意を表した言葉だ。

 日本新党結党に参加して衆議院議員となった野田は、その後小沢一郎が作った新進党に参加した後民主党に参加し、菅内閣では財務大臣に就任した。国民的知名度は低かったが、むしろそれが新鮮な印象を与え、民主党への不信感が高まるなか、国民から好意的に受け入れられ、内閣支持率は発足当初62%と上々だった。

 最初野田は、震災対策に取り組み、その復興財源の調整や原発対応などに尽力した。しかしその後、消費税を段階的に10%に引き上げる案を示したあたりから、野田内閣への批判が始まった。確かに税収不足と震災対応で財源不足は理解できるが、それでもまだ震災復興のめどが立ってない段階での消費税増税論は、国民感情を逆なでした。

 これを期に、野田内閣の支持率は下がり始める。その後は大飯原発の再稼働、李明博韓国大統領の竹島上陸、尖閣諸島国有化宣言後の中国との緊張などでどんどん支持率を下げ、11月半ばの段階でついに19%と20%を切った。

 結局、野田は解散総選挙に打って出るタイミングすらつかめず、2012年12月、任期満了直前に解散総選挙となり、自民党に惨敗することになる。

なぜ民主党政権はうなくいかなかったのか?

 あれだけ国民から期待された民主党政権が、最後はボロボロの延命内閣になってしまった理由は、いくつかある。まずは「政治主導」という言葉のとらえ違い、これが大きかった。政治主導とは決して官僚の“排除”ではなく、政治家のリーダーシップの下、官僚を“うまく使いこなす”ことだ。

 民主党は政権発足当初から「政治主導・脱官僚」を唱えていた。確かに官僚政治を悪とし、それを排除する方向性は、国民から支持されやすい。だがそれは、自分たちに確固たる政策立案能力と執行能力があってこそ実現するものだ。

 ところが民主党は、官僚を完全に閉め出して政策決定を行うには、あまりにも若かった。政治家サイドから省庁に出向する大臣・副大臣・大臣政務官の中に、官僚以上の政策立案や予算編成をできる者はおらず、また官僚以上に根回しに長けた者はいなかった。

 しかも、政治サイドで意思決定するとはいっても、党全体で討議にかけることはなく、ごくごく一部の人間だけで意思決定された。これはリーダーシップではなく、単に党として成熟していないだけだ。結局民主党は官僚を排除したことで、政治を拙く、無駄な予算のかかるものにしてしまった。

 また、この誤った政治主導のせいもあって、選挙時の「政権公約」、いわゆるマニフェストがほとんど守られなかったことも、民主党の人気を下げる結果となった。

 確かに民主党がマニフェストに示した政策は、どれも素晴らしかった。高速道路の原則無料化、公立高校の実質無償化、中学卒業まで月2万6000円の「子ども手当」支給、国家公務員の天下りや“渡り”の斡旋を禁止、ガソリン税に上乗せされている「暫定税率」の廃止……これらが本当に実現されるのならば、これ以上素晴らしいことはない。

 だがこのマニフェストの内容は、ほぼすべて実現できなかった。実現したものはといえば、公立高校の無償化ぐらいだ。

 なぜそうなったか? 一つは政治主導の弊害のせい、そしてもう一つは、予算の見通しが甘かったためだ。

 実は民主党は、これらマニフェストに書かれた政策執行の予算を「埋蔵金」に求めたのだが、これがそもそも甘かった。埋蔵金とは、霞が関に眠っているとされる、特別会計の剰余金・積立金の俗称だ。

 民主党の読みでは、これが8兆円ぐらいある上、現行予算からも20兆円ほどぜい肉は削れるはずだから、これらを使えば国債をほぼ発行しなくても、マニフェスト実行のための予算は組めるはず――民主党はそう考えた。

 そして、その埋蔵金を探し、予算のムダを削るべく行われたのが「事業仕分け」だ。これは民主党政権下にあった「行政刷新会議」が、国家予算の中でも不透明な部分の多い独立行政法人や特別会計予算の必要性を判定したイベントだが、当初はかなり注目された。

 なぜなら予算編成のプロセスを、事業担当者を呼びつけて追い込む姿まで含めて「テレビ中継」したからだ。事業担当の役人たちが、蓮舫など民主党国会議員の鋭い追及にたじたじとなり、ペコペコする。その姿はかなり面白く、政権交代したと実感させる映像だった。蓮舫が次世代スーパーコンピューター開発費の予算を話し合っているときに飛び出したフレーズ「2位じゃダメなんですか?」が飛び出したのも、この事業仕分けだ。

 ただ残念ながら、その追及は不十分で、しかもその判定結果に拘束力はなかった。結局合計3回やった事業仕分けでは、埋蔵金は見つからず、予算のムダも削れず、仮に見つかっても「廃止の判定」や「返納を求める」ぐらいしかできなかった。

 この結果に国民は「事業仕分けは単なる国民へのガス抜きか」と失望し、2回目以降急速に注目されなくなっていった。また、民主党は社会党・さきがけ・日本新党・新進党など多くの政党が集まって結成された政党だけに、党内に小グループが乱立し、意見を取りまとめることが難しかった。

 この辺が自民党との大きな違いであり、党としての成熟度の差だ。自民党のすごいところは、ふだん仲が悪くていがみ合っている議員たちが、いざ議決の段階になると、とたんに一枚岩の結束を示す。この腰の強さがあるからこそ、仲の悪さも「活発な議論」に見え、国民から支持される。

 対して民主党は、仲間のミスをフォローするどころか笑い、結束すべき局面で足を引っ張り合った。そういう部分を国民に見えるところでやったのでは、国民の支持を取りつけるのは難しい。

※ここから先の内容に興味をお持ちの方は、書籍『やりなおす戦後史』をぜひお買い求めください。

http://diamond.jp/articles/ /76428


6. 2015年8月15日 16:13:52 : 7rnswaTcLs
2. 嫌ネトウヨ、ネトサヨ さん
本気で思ってるのかい?

歴史を知らんお人だねぇ!
突っ込みどころ満載の「安倍ちゃん談話」だろ
安倍にとったら大日本帝国憲法が立憲主義の象徴らしいしね(笑)

せっかくの70年談話で
安倍に日本の歴史を教えてもらうとは思わなかった!
それも歴史に忠実ではなく単なる右翼のご都合主義歴史だったのが恥ずかしい。

挙句の果てに
今も戦争時の当事者たちが生きている
たった70年しかたっていないのに
まるで300年でも経ったように
「子ども達に謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」
っていうくだりにはぶったまげた!
自分の爺さんが「A級戦犯」として捕まったってことを
いつまでも言われ続けたくないだけの話。
『自分が謝罪したくないのを、
「子どもたちに謝罪の宿命を背負わせてはならない」と、
 見事にすりかえました 。』
ってその通りだろう!


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