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(戦後70年)米国との間合い 日米関係を研究してきた政治学者・五百旗頭真さん
http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/926.html
投稿者 あっしら 日時 2015 年 8 月 20 日 02:03:22: Mo7ApAlflbQ6s
 


(戦後70年)米国との間合い 日米関係を研究してきた政治学者・五百旗頭真さん[朝日新聞]
2015年8月6日05時00分

 戦後日本では二つの米国像がぶつかり合う。民主主義や大衆文化に象徴されるあこがれとしての米国と、強引なパワーとしてふるまい畏怖(いふ)される米国だ。この巨大な存在にどう向き合うべきか。原資料に基づいて日米関係の歩みを研究してきた政治学者に聞いた。


 ――戦後70年は敗戦、占領、安保と米国と向き合う70年でした。

 「開国を迫られたペリーの黒船以来、日本にとっての運命的な関わりは、米国が多いですね。日露戦争の講和はセオドア・ルーズベルト米大統領のあっせんでした。そして、連合国による占領も、マッカーサー最高司令官のもと、米国主導でした」

 「占領とは、占領された側にとっては苦々しいもので、『よい占領』というものはありません。しかし、日本占領は『もっとも少なく悪い占領』でした。米国は真珠湾攻撃の後すぐに、日本の事情に通じた専門家を集め、3年かけて対日占領政策をつくりました。天皇制と官僚機構を残して、間接統治を行った。ニュートラルな技術集団として、官僚機構を使ったのです。既存の軍や警察、バース党などの機構を全部排除して大失敗した最近のイラク占領とは対照的です。そもそも、日本の場合は、明治の自由民権運動や大正デモクラシーなど、自前の民主主義経験もあった。戦後日本は日米の共同作品だと思います」


 ――日本人の対米観には、あこがれと反発が共存しています。

 「米兵が演習場に入った農婦を射殺したジラード事件や、沖縄での少女暴行事件のようなとんでもない事件が起こると、日本側の怒りが爆発する。在日米軍がいることで対外的な安全性は増すけれども、国内に問題が残る。しかし、大きな枠でみると、米国との関係は、知的交流や草の根交流など市民社会同士の絆は太く、相互理解の進んだ関係を築けています」

 「日本が独立を回復したのは朝鮮戦争の最中で、沖縄返還もベトナム戦争の時期でした。米国の軍はともに決定に反対でした。ところが、米国の政治指導者は、軍事的便宜を乗り越え、日米の長期的友好を優先する判断をしました。米国は、日本政府が本気で望むことに対しては、案外ていねいな対応をしています」

    ■     ■
 ――一方、日米は対等でないとの批判もありますが。

 「世界一の超大国と対等な国などありません。軍事的な面でみれば、ずいぶん長い間、米国と日本は大人と赤ちゃんのようなものでした。戦後日本は、安全保障を米国に頼り、経済発展に専念してきた。『同盟』という言葉が、外交文書で使われるようになったのは、1970年代末の大平正芳内閣のとき。米国がベトナム戦争で傷ついて国力がどん底になり、他方、日本がGNP1%の枠内で着実に防衛力を整備し、無視しがたいレベルに達した。さらに冷戦終結後、北朝鮮危機や中国の台頭をにらんで、橋本・クリントン時代に日米安保を再定義し、東アジアの安定のための公共財として位置づけられたのです。こうして日米関係は、米国のアジア政策の中軸となりました」

 「ただし、課題が依然としてあります。米外交に、日本は非常に幻惑されやすいのです」

 ――幻惑されやすいとは。

 「米外交は一つの原理で動いているわけではありません。私の恩師である故高坂正尭(まさたか)・京大教授は、国家を『力の体系』『利益の体系』『価値の体系』であると考えました。米国は、この三つを強烈に持っています」

 「第1次世界大戦に参戦したウィルソン大統領は、『民主主義のための戦争』と説きました。米外交は、はばからず価値を前面に立てる。また『ドル外交』という言葉があるように、経済的利益もよどみなく追求します。経済は相互利益をもたらすものであり、平和の基礎だと考えている。忘れてはいけないのは、力の側面です。米国はアジアにおいて一つの国が排他的に支配することを嫌う。戦前のロシアや日本、現在は中国が問題ですね。三つのレベルで米外交を複眼的に見ることが必要です」

 ――オバマ外交には、あまり「力の体系」を感じませんが。

 「力の面では、オバマは甘い政権でしょう。カーター政権(77〜81年)がベトナム戦争の傷に苦しんだように、オバマはアフガニスタンとイラクの戦争を終えその傷を癒やす役割を担っています。しかし、米外交は振り子の原理で動く。次の政権は、力の行使に敏感な政権になるでしょう」

 「南シナ海における中国の現状変更を認めないと、オバマ政権は遅ればせながら立場を明確にしました。単に言葉だけではないかと思いがちですが、次の政権が自由に行動する根拠を与えているのです。戦前、日本が満州を侵略したとき、スチムソン国務長官は不承認政策をとった。日本の軍部は、高をくくったが、結局その後、中国をめぐって日米は戦争に突入した。米外交の原則を軽く見るのは危うい」

 ――日米関係と中国との関係は今後どうなるでしょうか。

 「日本からみると、日米同盟は巨大な存在です。しかし、米国にとっては、あくまでも多くの国際関係のひとつ、ワン・オブ・ゼムなんです。歴史的に見ると、中国がアジアの大国でした。米国にとって、アジアの中心大国に復帰する中国の絶対値はプラス・マイナスを含めて大きくならざるを得ないでしょう。しかし、だからといって、日米関係を軽視するほど米外交は幼稚ではありません。だからこそ、日米同盟はとりわけ重要だとの判断が基調です」

    ■     ■

 ――米国は、日本の指導者をどう見ているのでしょうか。

 「戦後ワシントンであつく歓迎された首相は、ことごとくアジアとの関係をうまくこなした人です。岸信介は57年の訪米前に東南アジアを回り、やっかいだった戦争の賠償問題に道筋をつけました。佐藤栄作も、訪米前にアジア・太平洋諸国を巡った。中曽根康弘は、就任直後に韓国を電撃訪問した。同盟の価値は、日本がアジアでよき世話役を務めているからこそ高まります。周辺国といがみ合ってばかりいると、米国が仲裁のコストを払わねばならない。いま日韓関係が悪いことが日米同盟にマイナスなのは、明らかです」

 「日本外交にとって、米国とアジアは二者択一ではありません。日米同盟は大変な資産であり、ますます大事にすべきですが、アジアをぞんざいに扱ってはいけない。20世紀の日本は、米中両国と戦争をして国を滅ぼしました。そこから学ばねばなりません。かつて私も参加した小渕恵三首相の諮問機関『21世紀日本の構想』懇談会は、東アジアにおける協力関係を一段と強化すべきだとして『隣交』を提案した。日米同盟+アジアの『隣交』です。中国とは少なくともけんかをしない、利益を共有できる関係を保つことです」

 ――日中間は、歴史問題が大きな障害となっています。

 「和解には相手があることですが、まずは、日本側がほんとうにすまなかったという思いを率直に表明することです。私たちにとって戦争は大昔かもしれませんが、侵略された側にとっては身近な過去なのです。そして、中国側が、戦後日本の平和的発展を評価し、『父祖の代は苦しんだが、いまのあなたたちの世代の責任ではないので、寛容な気持ちが持てる』という言葉を返せれば、戦後日本の平和的発展を評価すれば、ともに前に進めるのです」

 ――それは可能でしょうか。

 「第1次安倍政権から福田康夫政権にかけて、中国の指導者が、戦後日本の平和的発展を評価し、日本の開発援助に感謝を表明した時期がありました。その後またいがみ合いに戻ってしまいましたが、あの信頼関係を再構築せねばなりません」

 ――我々自身も、戦後日本に自信を持たねばなりませんね。

 「戦後日本は『力の体系』一辺倒の国家を反省し、『利益の体系』一辺倒で経済大国になったように見えます。しかし、大切に育んだ価値もあります。青年海外協力隊は今年で50年になりますが、日本の開発援助は、欧米とはひと味違って、途上国の底辺まで入り、現地の人と同じ目線で国造りに努力してきた。人に優しい日本の価値外交です。価値外交とは、民主主義や人権などの理念を振りかざすだけではありません。こういう生き方が、国際世論調査における日本の高い評価を支えています。その資産は今後も大切にしたいものです」
     *
 いおきべまこと 43年生まれ。熊本県立大理事長。神戸大教授、防衛大学校長を歴任。著書に「米国の日本占領政策」「占領期 首相たちの新日本」など。
 
 ■取材を終えて

 小泉首相による自衛隊のイラク派遣、戦争をめぐる政府見解を否定した田母神俊雄・航空幕僚長の発言など、節目節目で五百旗頭さんは批判的見解を明らかにしてきた。ときにはバッシングも浴びたが、筋を通した。背景にあるのは、冷徹なリアリズムと、歴史から謙虚に学ぼうとする健全なナショナリズムである。保守主義が本来持っているはずの美質が、そこにある。(編集委員・三浦俊章)

http://digital.asahi.com/articles/DA3S11900978.html

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2015年08月03日 (月) [NHK総合]
視点・論点 「シリーズ「戦後70年」 戦後日本文明とは何か」
熊本県立大学理事長 五百旗頭 真

戦後日本文明とは何かについてお話したいと思います。

日本史にはたくさんの失敗や挫折がありました。しかしそのどん底から再生バネをきかせて素晴らしい時代を生み出してきた、ということに注目したいと思います。

古い例ですが、663年白村江の戦いがありました。大和王朝は当時としてはたいへんな大軍、2万7000人を朝鮮半島に差し向けましたが、二日にして唐・新羅の連合軍に惨敗いたしました。この国難のどん底から日本再生のDNAが働き始めたと言っていいと思います。

一方で、唐・新羅の連合軍が攻め込んで来るだろうというふうに考えて、初めて対外国防体制をつくりあげました。それ以上に注目すべきことは、唐文明の力強さを敗戦によって知った大和王朝は、唐文明から懸命に学習するということに力を注ぎ始めました。当時の世界最高水準の唐文明、それと日本がある意味で同水準化していくという努力なしに、結局日本の安全はない、と洞察し、懸命の学習をとおして、半世紀後、大和盆地に唐風律令国家の首都、平城京をつくり上げました。それはなかなか立派なもので、東大寺の大仏はいまに残っております。

近代においても1853年、ペリーの黒船によって江戸幕府は国禁を破られました。
そのあと攘夷派が荒れ狂って、日本の自立性を追求しようといたしましたが、同時に江戸幕府も、そして明治政府も西洋文明を熱心に学習するということを行いました。
結局のところ優れた外部文明を取り込んで、自らをエンリッチしていくということがなければ将来はない、という洞察を持ち得たわけであります。

第二次大戦に敗れた日本、昭和20年、1945年、日本の首都・東京をはじめ、京都以外のほとんどすべての大都市は廃墟で瓦礫の山でありました。ポツダム宣言を受諾して、終戦を求めるあの天皇の聖断の中で、昭和天皇は「敗戦は容易なことではない。しかし戦い続ければ民族の種子すらも失われるかもしれない。ここで平和を得ておけば、また将来に復興の光明も考えられる」と言いました。

あの悲惨の中で、家は焼かれ食べ物もない中で、復興の光明ということを考えることができた人は少ないと思います。

しかし、最近公刊された昭和天皇実録を見れば、天皇が本気で復興の光明を考えていたということが分かります。

昭和21年8月14日、つまり敗戦一周年の日に、天皇は元首相たちや閣僚を集めて会の趣旨を語ったというのが出ております。「かつて白村江の戦いでの敗戦を機に改革が行われ、日本文化発展の転機となった例をあげ、今後の日本の進むべき道について述べられた。」白村江のあとと同じように、外部文明を学びながら、この廃墟の日本もまた再生DNAを再活性化すべきではないかというふうに臣下に提案されたわけであります。

実際の戦後日本の再生をリードしたのは吉田茂首相であります。吉田首相は、簡単に言えば明治国家が富国強兵であったのに対して、強兵抜きの富国というのを戦後の道としたわけであります。

戦後日本文明、経済を中心に平和的な発展を遂げる国としての再構築をリードいたしました。かつて京都大学の教授であった高坂正堯氏はこう語ったことがあります。「国際政治は力の体系であり、利益の体系であり、そして価値の体系である」と。その三分法に従えば戦後日本は、純度高く利益の体系を軸にして生きていく社会となった、ということが言えるかと思います。

では、利益以外何もないのか、金目以外ないのかというと、そんなことはもちろんない。GNP1%以下という限られたレベルでありますけれども、防衛力を着実に築いていきました。それ以上に注目されるのは、途上国を助けるという活動に日本が熱心になったことであります。

50年代にはコロンボプランに参加して開発援助に加わりました。65年には青年海外協力隊を創設して、途上国の人々の中に日本の若者が入って、共に汗を流して国の建設に協力するという活動を始め、いまでは累計4万人に達しております。

また、77年に福田赳夫首相がASEAN首脳会談において福田ドクトリンと呼ばれるスピーチをいたしました。その中で福田首相は「日本は経済大国となっても軍事大国にはならない」と宣言いたしました。

つまり戦後日本文明というのは、第一に言うまでもなく民主主義と市場経済に立脚する自由陣営の国であります。第二に、経済を中心に平和的発展を遂げる国であります。第三に、途上国に協力を行う他国に優しい生き方をする国であります。

このような戦後日本の生き方、それは二つの超大国が安全保障を仕切る、冷戦構造があったからこそ可能であったとも言うことが出来ます。

それだけに、冷戦後、新しい時代はたいへんなチャレンジになりました。

2つだけ例をあげますが、ひとつは湾岸戦争であります。イラクがクェートを侵略した。それに対して国連を中心に世界中がそれを抑える戦争を始める。そのときに日本はどう関与するのか。日本は自衛隊はもちろん憲法のもとで派遣できない。後方支援もできない。平和的な協力も難しいというので、国際安全保障にほとんど関与することができない。あれほど石油をたくさん手に入れていながら、安全と秩序を支えるということはしないのか、という非難をあびることになりました。

第二に東アジアの情勢であります。冷戦終結後、北朝鮮が核とミサイルを振りかざすことはたいへんな衝撃でした。それにもまして中国が単に経済的に台頭しただけではなく、軍事的な台頭も行った。そのことが日本にとって、あるいは世界にとって、たいへん重い挑戦となっております。

このような新しい時代にいかに対処するか。かつて力のバランスを大きく変える国との紛争が起こったとき、しばしば戦争に訴えることがあった。いま戦争に訴えることはできません。誰のためにもなりません。力によって変更するようなことを自制させながら、21世紀の新しい秩序を平和のうちにつくる。それが戦後日本に課せられた課題ではないかと思います。

http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/225034.html


 

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コメント
 
1. 嫌ネトウヨ、ネトサヨ 2015年8月20日 05:25:28 : E1lRrqAmBUaXw : 0SfwsTqrlw
通俗的日米外交史てかんじですね。米国なら米国の資本主義政治体制の矛盾がうみだす軋みのようなものと国際関係の関連がまったく考察されていない。
お気楽なご隠居のたわごとだとわたしはおもいます。

2. 2015年8月20日 07:33:38 : YxpFguEt7k
「いま日韓関係が悪いことが日米同盟にマイナスなのは、明らかです」

おっしゃる通りです。韓国と仲良くしましょう。それがお互いにとってプラスです。


3. 北の零年 2015年8月20日 11:39:09 : pi7eKAjFENWsU : qcsL5vw10c
スレッドの主旨、日本のとるべき道筋論、に同意する。
卑近な例に言えば、核家族化、必ずしも望ましい社会への道筋ならずと言う処か。
着かず離れずの距離の良きバランスを希求するのが好いだろう。
ご隠居さんの与太話に聞こえても。

地政学的近隣諸国と『平和条約』の早期締結を提言する。
ディテールのツメは先ず握手してから。



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