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陸自の内部文書「イラク復興支援活動行動史」を情報公開せよ  天木直人(新党憲法9条)
http://www.asyura2.com/15/senkyo191/msg/123.html
投稿者 赤かぶ 日時 2015 年 8 月 20 日 11:16:05: igsppGRN/E9PQ
 

陸自の内部文書「イラク復興支援活動行動史」を情報公開せよ
http://new-party-9.net/archives/2528
2015年8月20日 天木直人のブログ 新党憲法9条


 きょう8月20日の朝日新聞が一面トップで、あのイラク戦争の時派遣されたサマワ駐留自衛隊の当時の実態をスクープ報道している。


 あれほど安全確保に万全を期していたサマワ派遣でさえ、ここまで危険だったのだ。


 安保法制案が成立すれば自衛隊の海外派遣はそれどころではない、と朝日新聞のその記事は訴えている。


 しかしこの記事が教えてくれているのは、その事だけではない。


 この朝日新聞の記事に引用されている陸上自衛隊が2008年に作ったとされる内部文書「イラク復興支援活動行動史」なるものは、立派なイラク戦争検証の報告書でもある。


 あの戦争の検証を行っていないのは、主要国の中では日本だけだ。


 民主党政権が終わろうとしていた2012年の12月末、ドサクサに紛れて外務省はその直前に、紙切れの様な検証メモを提出して検証作業を幕引きした。


 詳細な報告書も作っていたのにそれを公開しないまま、中身のない要旨でごまかそうとしたのだ。


 いまこそ野党はこの陸自のイラク復興活動支援活動行動史という内部文書とともに、外務省が作成した報告書全文の情報公開を求めるべきだ。


 そしてそれらを解読して、あのイラク戦争参加の検証を行い、国民に公表するのだ。


 安保法制案の欺瞞と、その背後にある日本の対米従属が白日の下にさらされるだろう。


 自民党政権は壊滅的なダメージを受けるだろう。


 国会議員が行うべきはパフォーマンスに走る国会質問だけではない。


 一般国民が出来ない国会議員の特権を使って行う地道な検証作業である。


 その妨げとなる特定秘密法を廃止することである(了)


             ◇


銃声、群衆が陸自包囲 撃てば戦闘…サマワ駐留隊員恐怖
http://www.asahi.com/articles/ASH8C4VLCH8CUTFK00F.html?iref=comtop_6_06
2015年8月20日03時54分 朝日新聞



自衛隊車両を囲んで石を投げたりする群衆=2005年12月4日、イラク南部ルメイサ、朝日新聞のイラク人助手撮影


 自衛隊初の「戦地派遣」となったイラクで、隊員たちは危険と隣り合わせの活動を強いられた。政府は当時、「一人の犠牲者も出さなかった」と安全性を強調したが、実際は隊員が銃を撃つ判断を迫られるなどの事態が起きていた。陸上自衛隊が2008年に作った内部文書「イラク復興支援活動行動史」や関係者の証言で明らかになった。新たな安全保障関連法案では活動範囲がより拡大し、危険はさらに高まる。


 突然、銃撃音と怒声が響いた。自衛隊が駐留したイラク南部サマワから約30キロ離れた街ルメイサ。活動開始から2年近くになる2005年12月4日、復興支援群長の立花尊顕(たかあき)1佐ら幹部たちはムサンナ県知事らと、修復した養護施設の祝賀式典に参列していた。


 発端は、会場のそばで起きた反米指導者サドル師派と、自衛隊を警護していた豪州軍の銃撃戦だった。サドル師派は頻繁に多国籍軍を襲撃し、自衛隊も「占領軍」と敵視した。会場内の陸自幹部たちは「ただ事ではすまない」と青ざめた。


 銃撃戦に続き「ノー・ジャパン」などと抗議しながら押し寄せた群衆の渦は、あっという間に100人前後に膨らんだ。幹部らは建物に閉じ込められ、外で警備にあたっていた十数人の隊員は群衆に包囲された。車両に石を投げつける男、ボンネットに飛び乗って騒ぐ男、銃床で車の窓をたたき割ろうとする男までいた。


 「どうすべきかわからず、みんな右往左往していた」と当時の隊員は話す。


 群衆の中には銃器をもつ男たちもいた。もし銃口が自分たちに向けられたら――。政府が認めた武器使用基準では、まず警告し、従わなければ射撃も可能だ。


 「ここで1発撃てば自衛隊は全滅する」。どの隊員も、1発の警告が全面的な銃撃戦につながる恐怖を覚えた。「撃つより撃たれよう」と覚悟した隊員もいた。結局、地元のイラク人に逃げ道を作ってもらい窮地を脱することができた。



 

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コメント
 
1. 日高見連邦共和国 2015年8月20日 11:29:18 : ZtjAE5Qu8buIw : mFuG9qQlTk

ここは、無条件に天木さんに大賛成っ!!

2. 2015年8月20日 11:34:49 : DjLiBlqamS
銃声、群衆が陸自包囲 撃てば戦闘…サマワ駐留隊員恐怖
谷田邦一 今野忍2015年8月20日03時54分 朝日新聞

 自衛隊初の「戦地派遣」となったイラクで、隊員たちは危険と隣り合わせの活動を強いられた。政府は当時、「一人の犠牲者も出さなかった」と安全性を強調したが、実際は隊員が銃を撃つ判断を迫られるなどの事態が起きていた。陸上自衛隊が2008年に作った内部文書「イラク復興支援活動行動史」や関係者の証言で明らかになった。新たな安全保障関連法案では活動範囲がより拡大し、危険はさらに高まる。

 突然、銃撃音と怒声が響いた。自衛隊が駐留したイラク南部サマワから約30キロ離れた街ルメイサ。活動開始から2年近くになる2005年12月4日、復興支援群長の立花尊顕(たかあき)1佐ら幹部たちはムサンナ県知事らと、修復した養護施設の祝賀式典に参列していた。

 発端は、会場のそばで起きた反米指導者サドル師派と、自衛隊を警護していた豪州軍の銃撃戦だった。サドル師派は頻繁に多国籍軍を襲撃し、自衛隊も「占領軍」と敵視した。会場内の陸自幹部たちは「ただ事ではすまない」と青ざめた。

 銃撃戦に続き「ノー・ジャパン」などと抗議しながら押し寄せた群衆の渦は、あっという間に100人前後に膨らんだ。幹部らは建物に閉じ込められ、外で警備にあたっていた十数人の隊員は群衆に包囲された。車両に石を投げつける男、ボンネットに飛び乗って騒ぐ男、銃床で車の窓をたたき割ろうとする男までいた。

 「どうすべきかわからず、みんな右往左往していた」と当時の隊員は話す。

 群衆の中には銃器をもつ男たちもいた。もし銃口が自分たちに向けられたら――。政府が認めた武器使用基準では、まず警告し、従わなければ射撃も可能だ。

 「ここで1発撃てば自衛隊は全滅する」。どの隊員も、1発の警告が全面的な銃撃戦につながる恐怖を覚えた。「撃つより撃たれよう」と覚悟した隊員もいた。結局、地元のイラク人に逃げ道を作ってもらい窮地を脱することができた。

 事件は首相官邸にも報告された。当時、官房副長官補だった柳沢協二氏は「もしあそこで撃っていたら銃撃戦になっていた。一番やばい事件だった」と話す。別の官邸幹部も「自衛隊員が引き金に指をあてるところまで行った事件だったと聞いた」。ルメイサ事件は「行動史」にも繰り返し登場する。当時、陸上幕僚長だった森勉氏は「それだけ危険だったからだ」と認める。

 こんな記述がある。

 「適確に現場の状況を把握しながら冷静に行動した(銃を所持している者は部隊に銃口を向けることはなかったため、弾薬装塡(そうてん)は実施せず)。背景として、類似した状況を反復して訓練した実績があった」

 しかし、発端の銃撃戦には触れず、実情とも開きがある。現場にいた隊員は「生の迫力は違う。自分が殺されるかも知れないという緊張感だった」と言う。

 陸自は2年半の活動中、ほかにも13回に及ぶロケット弾などの宿営地攻撃、仕掛け爆弾による車両被害などの危険に遭遇した。

 当時の小泉政権は「非戦闘地域の中で、安全な場所に自衛隊を派遣する」と説明していた。だが、一見安全と見える派遣先は、瞬時に惨事の現場となる怖さを秘めていた。

■「非戦闘地域」すら危険

 当時の小泉政権は、イラク復興支援特措法で、派遣期間を通じて戦闘が起こる可能性がない「非戦闘地域」という概念を作った。政府は「非戦闘地域の中で安全な場所に派遣する」と説明していた。しかし、陸自は自らの安全確保のため、強力な武器を携行し高度な射撃術を身につけて、最悪の事態に備えていた。

 陸自の内部文書「イラク復興支援活動行動史」には、「至近距離射撃と制圧射撃を重点的に練成して、射撃に対する自信を付与した」という記述がある。

 自衛隊の射撃に詳しい元幹部によると、至近距離射撃は間近であった不意の襲撃への対処を、制圧射撃は敵対勢力を制止するための組織的な対処を意味するという。いずれもテロリストや暴徒の襲撃を想定した撃ち方だ。北海道で制圧射撃を訓練した警備担当は「襲撃を受けて窮地に陥った時、小銃や機関銃を使って相手の攻撃を制止させ、現場から離脱するのが目的だった」と話す。

 自衛隊がとりわけ力を入れたのが至近距離射撃の訓練だ。多国籍軍への襲撃事例を分析し、間近からのテロ襲撃が最も危険と判断したからだ。

 ところが派遣が決まった2003年当時、陸自には至近距離射撃と定義された撃ち方はまだなかった。射撃といえば約300メートル先の目標を狙うのが一般的で、10メートルを切るような射撃は射場規則で禁じられていた。指導できる要員も乏しく、特殊部隊の創設準備のため米軍で射撃術を学んだ一部の隊員たちが教官役として駆り出された。精密な照準装置、小銃を素早く操作するための改造など様々な工夫が取り入れられた。

 テロリストが相手だと、一瞬の判断の遅れが命取りになる。口頭でまず警告。従わなければ足元に威嚇射撃。次は相手にダメージを与える危害射撃と手順を踏む。一連の動作に要するのはわずか4〜5秒だ。

 だが、大半の隊員が人をかたどった標的を撃つことをためらった。射撃の指導幹部は「迷ったら撃て」と強く促した。「行動史」にも「武器使用に関する部隊長の意識」の項に、「最終的には『危ないと思ったら撃て』との指導をした指揮官が多かった」と記されている。

 派遣部隊が備えたのは射撃だけではない。朝日新聞が入手した隊員向けのマニュアル(全84ページ)には「不測事態対処」として、銃撃や自爆テロ、デモ・暴動など10のケース別に「行動原則」を定めていた。

 例えば宿営地への自爆テロ攻撃は、最低15メートル以上の距離で「テロか否かを判断」し攻撃と判明した時点で武器使用を認めていた。

 当時の武器使用基準の枠内では、自分や周囲にいる人が襲われた際の「自己保存」のためにしか武器を使えなかった。

 それでも従来のPKOなどの海外派遣の際にはなかったもので、マニュアル作成に関わった幹部は「憲法9条が許すぎりぎりの限界内だった」としたうえで、こう語った。「政権が『非戦闘地域は安全』と言っても、最悪に備えるのが我々の本務だ」(谷田邦一)

■「訓練だけでリスク減らせない」

 行動史では当時の指揮官がイラク派遣を「本当の軍事作戦」と総括している。行動史や取材からは「非戦闘地域」が実態とかけ離れた虚構だったことがうかがえる。

 サマワは、イラクを視察した外務、防衛両省庁の担当者が5カ所ほど挙げた候補地の一つだった。サマワはその中で最も地味だったという。「こんな田舎に行って国際社会に国際貢献をアピールできるのか」。小泉純一郎首相(当時)の秘書官だった小野次郎氏(現参院議員)が疑問を挟むと、小泉氏は「地味でいい。国際貢献ってのは何年間か行って、こちらが無事で相手を傷つけずに帰ってくれば、立派な国際貢献になるんだ」と言ったという。派遣先はサマワに決まった。

 自衛隊はサマワで、イラク特措法に基づいて、壊れた学校を補修し、住民に水を配った。小野氏は「民間の運送会社や建設会社がやる仕事を、ちょっと危険な場所だから自衛隊に頼む程度だった」と振りかえる。そんなサマワでも宿営地にロケット弾が撃ち込まれることが何度もあった。「ルメイサ事件」では銃撃戦に巻き込まれかけた。

 今回の安保法案では、自衛隊が後方支援や平和維持活動ができる地域がイラクに比べて格段に広がることになる。非戦闘地域という考え方をなくし、法律上「現に戦闘行為が行われている現場」以外ならば活動できるからだ。ただ、活動範囲を非戦闘地域に限ったイラクでさえ、一見安全な場所が突然、惨事の現場に変わりかけた。

 さらに他国軍への弾薬の提供が可能になり、海外での武器の使用基準も拡大する。例えば、現在自衛隊がPKOで派遣されている南スーダンでは、幹線道路の整備や大学の敷地造成など土木工事を担っている。安保法案が成立すれば、他国の部隊や民間の非政府組織(NGO)が危険にさらされたとき、武器を持って助けに行く「駆けつけ警護」や、武器を持ってのパトロールや検問も可能になる。「自己保存」のためだけに武器を使ったイラクの場合と比べ、武器を使うおそれは高まる。

 安保法案の国会審議では、野党は自衛隊の活動範囲が広がることで「隊員のリスクが増える」と指摘した。これに対し、安倍首相は「装備も整え、訓練を積んでいくことで、自らの努力でリスクは減らせる」と強調している。ただ、過去にPKOを経験した陸自幹部の一人は言う。「どんなに訓練を重ねてもそれだけでリスクを減らせるほど海外派遣は単純ではない。隊員のリスクが拡大することを前提に、政治には真剣に向き合って欲しい」(今野忍)

     ◇

 〈自衛隊のイラク派遣〉 イラク復興支援特別措置法に基づき、2003年12月から09年2月にかけ、陸上自衛官延べ約5600人、航空自衛官延べ約3600人などを派遣した。陸自はイラク南部サマワに宿営地を設け、学校や道路の修復、医療支援などをした。空自はクウェートに拠点を設け、イラクの首都バグダッドなどへ多国籍軍兵士らを空輸する活動を担った。

http://www.asahi.com/articles/ASH8C4VLCH8CUTFK00F.html?iref=comtop_6_06


3. 知る大切さ 2015年8月20日 11:45:57 : wlmZvu/t95VP. : rXmQVSTR26
外では市民が立ち上がっている。

政局側でも最大限の努力すべき 、政治家に役割分担して数名のグループで資料集め

内部文書「イラク復興支援活動行動史」とか名目が判れば、今の委員会に資料請求で
公の文章とし公開を勝ち取り、pdfファイルで公開で市民の共有財産とする。


4. 知る大切さ 2015年8月20日 11:56:40 : wlmZvu/t95VP. : rXmQVSTR26
陸自の内部文書「イラク復興支援活動行動史」を情報公開
出てました。
誰かやってくれてました。
http://www.kiyomi.gr.jp/wp/wp-content/uploads/2015/07/イラク復興支援活動行動史完全版1.pdf


防衛庁にといわせたら公開はしていないが、情報公開条例で開示可能との返答でした。


5. 2015年8月20日 12:17:26 : 9MY1qlUkRE
朝日新聞のイラク人助手撮影って
朝日はこれと同種の写真を大量に持ってるはずだわな。

当時朝日がサマワの自衛隊の状況をどう伝えたのか忘れたが
写真のような状況を具に伝えたという記憶はない。

俺が嫌なのは何でこれをもっと前に機会があるごとに
出さなかったのかってことだよ。政権が怖かったからだろう?
いまは安保法案反対の声が大きくなり政権が弱体化してるから
出しても安全と踏んだんだろうか。

日本のマスコミってのは正確な情報を伝えるという信念が
まったくないな。アリバイ情報として出すだけで
自己保身だけだ。伝えないよりはましだが
百歩を出てない。

マスコミ自身は当然のごとく知っていたことを
出しても安全だと分かれば、いま分かりましたかのような
記事作り。鼻について仕方がない。


6. 2015年8月20日 13:56:01 : ZlrgYw9Gpg
5さん然り

7. 2015年8月21日 13:19:29 : rrhrFN6JLd
危険にさらされなくて今の収入が確保出来ればいいという役人根性に近いマスゴミ。要は政府、役人の太鼓持ちの道を選択したんだろ。矜持は無い。

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