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まだいたのか… 安保反対運動に「中核派、革マル派」の姿〈AERA〉
http://www.asyura2.com/15/senkyo197/msg/755.html
投稿者 赤かぶ 日時 2015 年 12 月 09 日 09:35:35: igsppGRN/E9PQ
 

            国会前の車道を埋め尽くす安保関連法案反対デモ。手には思い思いのプラカードが(9月14日) (c)朝日新聞社


まだいたのか… 安保反対運動に「中核派、革マル派」の姿〈AERA〉
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20151209-00000003-sasahi-pol
AERA 2015年12月7日号より抜粋


 安保関連法案反対運動が大きく盛り上がったこの夏。初めての集会、初めてのデモ。そんななか、「新左翼」「運動」といった耳慣れぬ言葉を耳にした人も多いだろう。新左翼って、どういう人たちなんだろう。歴史を振り返って解説する。

 8月30日、国会前で「戦争法案廃案! 安倍政権退陣! 8.30国会包囲行動」と銘打った集会が開かれた。ここで、もはや歴史の後方に追いやられたと思われた「新左翼」に出合えた。1960年代学生運動の原風景がほんのすこしうかがえるが、当時と違うのは、ヘルメットに角材(または鉄パイプ)といういでたちではないこと、機動隊とぶつからないこと、活動家が高齢化していることだ。学生運動に参加した団塊の世代たちは、大学卒業後、おおむね一般社会人の道を歩んでいる。かつての活動家の面影は消え、一見するとどこにでもいる日曜日のお父さんの風情である。
 
 60年代に学生だったいまの60代半ば以上にとっては、「まだ中核派、革マル派がいたのか」という驚きがあるだろうし、40代以下の人にすれば、新左翼といわれてもまるでピンと来ないだろう。彼らが学生時代を過ごした90年代には、身近に活動家は存在しなかった。すでにキャンパスは静かで立て看板もちらほら散見されるばかり。デモに遭遇することもほとんどなかっただろう。

 そもそも新左翼、極左、過激派とは何なのか。ときにツイッターで「○○は中核派と関係がある」などというツイートが流れてくることがあるが、「中核派」って何だ?と思う人も、少なくないはずだ。

 新左翼とは、60年代に既成の左翼政党を否定して世界各国で同時的に現れてきた学生や若者を主体とした左翼運動の総称だ。トロツキー、毛沢東、ゲバラなどの思想の影響を受け、カウンター・カルチャーとも連動して発展した。

 日本の新左翼には、いくつかの流れがある。まずは58年に日本共産党から飛び出した共産主義者同盟(共産同、ブント)。60年安保闘争のとき最前列でデモ隊を組み、国会に突っ込んだ。

 トロツキーの思想に影響を受けた流れからは、革命的共産主義者同盟(革共同)が生まれた。この革共同がのちに運動方針をめぐって、中核派と革マル派に分かれた。

 日本社会党の青年組織から生まれた、社会主義青年同盟解放派(社青同解放派)もあった。

 これらの新左翼党派は60年代後半から70年代前半にかけて街頭で機動隊と激しい衝突を繰り返した。また、共産党を含めてそれぞれ独自に全学連(全日本学生自治会総連合)を作った。これは各党派の影響下におかれた大学自治会の連合組織である。いま、大学の自治会は政治を主張する場として機能していないが、当時は新左翼党派の活動家が自治会役員となって、大学を牛耳っている一面が見られた。

 一方で、大学では全共闘(全学共闘会議)が生まれ、バリケード封鎖を行っている。全学連との違いは、党派に属さないノンセクトと呼ばれる学生が中心となっていたことだ。党派の寄せ集め的なところもあった。

 67年の羽田闘争、68年新宿の国際反戦デー、69年1月東大安田講堂攻防戦では、全学連、全共闘が火炎ビンや石を投げつける、角材や鉄パイプを振りかざして機動隊と衝突する、政府関連施設を襲撃するなど暴れ回った。彼らはなぜ暴力に訴えるようになったのか。世界の左翼運動の動向に詳しい一橋大学教授の鵜飼哲さんはこう分析する。

「一つには、60年安保闘争の敗北の経験から、実力で阻止する気がないと何もできないという教訓を引き出したということ。もう一つは、運動を大きくするためのキャンペーンという側面。“武装カンパニア”という考えがありますが、運動の発展のために自分たちの決意の固さを行動で示し、若者たちに組織に入ってもらう、ということです」


 

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コメント
 
1. 2015年12月09日 10:02:59 : 62QaAmZ1Pg : F9H@HWLLFJE[1]

「まだいたのか」ってあたりまえでしょ 

  代々木のスターリニスト旧左翼が「まだいる」んだから /笑。

   代々木共産党もシールズとかで

     「うたごえ運動」以来の伝統的な若者獲得方法を

        ややリニューアルしてますが   

   それにしてもこの記事は半端すぎて「半可通」以下だなぁ
   


2. 2015年12月09日 10:17:26 : VCf76UEH0u : XRzSsGoj43o[6]
今の安部政権を見れる今のほうが危機的情況た。格差はさらに開き戦争参加は近づいている、

3. 2015年12月09日 11:20:06 : sAhFsiVVv6 : CF21i6rDLaE[1]
確かにまだいたのか?だよな。SEALD'sの親世代の私の学生時代にも若者の政治運動なんてもう、見かけなかったもの。
流行ったのは原宿のホコテンで踊って竹の子族とか言われること。
まあ、私は踊らなかったけどね。w

でも、この記事の人が誤解してるのは、SEALD'sがやってるのがかつての全共闘みたいな"左翼運動"だってこと。

違うんだよ。彼らは保守、かつての自民にいた「保守本流」に近い人たちだってこと。
リーダーの奥田君自身、確かそんなことも言ってたはずだ。
今の共産党も「保守リベラル」だから財界人とも会って話が出来る。

じゃあ、今の自民はなんなのかって?
過激な老人集団。還暦過ぎた暴走族ってとこか?
もちろん、突っ走る方向は右だが、靖国を参拝する一方で、外資に国内市場を引き渡すことには大変熱心な「過激派」だ。

でもこれは不思議ではない。
今も新自由主義の成功例と讃える人もある「チリの奇跡」は、クーデターを起こして政権を握り、国民に身の毛もよだつような弾圧を加えたピノチェト将軍の軍事独裁政権のもとで行われた。

しかも、それは当初言われたような成功例ですらなかった。
多くの国民が貧困に陥り、国内経済は疲弊。さすがに内乱を恐れたピノチェトは新自由主義の使徒であアメリカ帰りのシカゴボーイズたちをお払い箱にして自ら倒した社会主義政権の政策を次々に復活させやっと息をついた。

それがチリの奇跡の正体だ。
日本もまた似たような道を歩もうとしている気がする。
安倍首相をヒトラーに譬える人もあるが、譬えるならむしろピノチェトだろう。


4. 2015年12月09日 12:12:55 : YxpFguEt7k : tA0j4pjYCvs[110]
なかなか絶滅しないものですね。

5. 2015年12月09日 13:31:01 : Kfk4DQMTb2 : WeTQCPIZ0Ak[1]

極右カルトって、どういう人たちなんだろう?
 
自衛隊・財界の巨大利権・・・インチキ防衛費毎月5000億円に群がる極右カルト群。http://esashib.com/syudantekizieiken01.htm

http://blog.goo.ne.jp/raymiyatake/e/ec5fecbd148c1826d6b0f1238787c8d0

まだいたのか… 安保賛成運動に「日本会議、統一教会、幸福」のカルトが姿

http://jp-pride.com/topic/post-80.html
日本会議、統一教会、幸福
宣伝リンク認定26900150.html
http://www.jca.apc.org/~yyoffice/Son%20My/Part2.htm


6. 2015年12月09日 16:48:24 : w3M1BHSquE : 5KToaZSVnLw[45]
おいおい、何か過激な行動を起こしたというなら話は別だが 中核派 革マル派 が、ただ“いた”というだけで
何も驚く事の話ではないし 誰が参加しようとそれは自由だろう
60年代の学生運動の活動家が まだいたからって 何も不思議では無い

むしろ、日本国民に壮絶な苦難いわゆる塗炭の苦しみを与え すべての日本国民から恨みを買った国粋主義者
長州派閥のウヨ連中など 明治維新以前から いまだに滅亡せず のうのうと生き残っている事の方が
よっぽど不思議で珍しい事  「生きて虜囚の辱めを受けず」 と言いながら 米国に媚び諂って生きる事で
恥ずかしくも無く 生き延びてきた連中の方が よっぽどみっともない連中だが。


7. 2015年12月09日 17:50:55 : FxUcssE0UQ : nX8oVt_tv8A[148]
>>6のコメントが正しいなら>>5にも言えるわけだが?

過激な行動を起こした連中が日本で生息していることやできるということに逆に驚きだ

それで与党批判しているとは実に滑稽

「日本国民に壮絶な苦難いわゆる塗炭の苦しみを与え すべての日本国民から恨みを買ってる」のは

そいつらも同じ尤も

当時の本人であるかどうかも怪しいがな


8. 2015年12月09日 20:12:24 : w3M1BHSquE : 5KToaZSVnLw[47]
そもそも、元祖 過激なテロリストは長州人 ウヨ国粋主義者の始祖 吉田松陰ではないか。

9. 2015年12月09日 22:17:54 : v1gbxz7HNs : Ay@h0DQyQEc[17]
過激でない行動は誰も害にならぬかわりに何の役にも立たない。
ただのガス抜き、自己満足にすぎない。

過激派が絶滅するわけがないだろ。

イタリア政府の特務機関が実行していた「極左過激活動」を知ってるか?
グラディオ作戦と言い、イタリアで長年極左暴力集団のテロと考えられていた事件の数々が、実は特務機関による偽旗作戦であったことが近年になって露見した。
イタリアだけだと思うか?
過激派活動家は決して絶滅しない。
なりを潜めても必要ならいつでも現れる。

本物のテロなら必ず対象を絞り込んで攻撃する。
標的を定めるからこそテロが警告、威嚇になり効果的なのだ。
この種類のテロは日本でもカルトや組織暴力が多用している。

そして偽旗は、常に不特定多数を狙う。
日本の偽旗テロの歴史は下山事件か三鷹事件くらいから読み解いてゆく必要がある。


10. 2015年12月09日 23:21:09 : G9pRncd5P6 : kNLawzAmjgA[51]

左翼にもいるなら、当然右翼にも過激派はいるだろう。それから、右翼にも「経済右翼」というのがいて「自由を!もっと自由を!」とか叫んだりしているが、それは個々の人間の自由ではなく「資本の自由」のことだ。彼等は違法なテロはけして行わないが、「99%」の庶民に対して「合法的なテロ」を仕掛けてくる。

そういえば、以下のインタビューで内田樹氏がSEALDsのことを「保守」だと言っている。言われればそういう気がするな。特にこの(↓)辺が笑えると言ったら不謹慎だが、たしかにそうかもしれない。

>この夏に国会内外で起きたのは、国会内では年寄りの過激派たちが殴り合い、国会外では保守的な若者たちが「冷静に」と呼びかけたという私たちがかつて見たことのない光景でした。あれを60年安保になぞらえるのは不適切だと私は思います。日本人は「あんな光景」をかつて見たことないのですから。

>それに気がつかないと今何が起きているのかがわからなくなる。今の日本の政治状況の対立図式はひとことで言えば「暴走/停止」なのです。

この投稿で紹介された記事を書いたAERAの記者はそれに気づいてはいないようだ。

内田樹の研究室 「あるインタビューから」 より
http://blog.tatsuru.com/2015/12/06_1134.php

(以下、一部を抜粋)

SEALDsの活動の際立った特性はそれが現代日本の政治状況における例外的な「保守」の運動だということです。彼らの主張は「憲法を護れ」「戦争反対」「議会制民主主義を守れ」ということです。国民主権、立憲デモクラシー、三権分立の「現状」を護ることを若者たちが叫んでいる。
老人たちのつくる政権はあとさき考えずに暴走し、若者たちが「少し落ち着け」と彼らに冷水を浴びせている。まるで反対です。こんな不思議な構図を私たちはかつて見たことがない。だから、今起きていることをよく理解できないのです。

この夏に国会内外で起きたのは、国会内では年寄りの過激派たちが殴り合い、国会外では保守的な若者たちが「冷静に」と呼びかけたという私たちがかつて見たことのない光景でした。あれを60年安保になぞらえるのは不適切だと私は思います。日本人は「あんな光景」をかつて見たことないのですから。
それに気がつかないと今何が起きているのかがわからなくなる。今の日本の政治状況の対立図式はひとことで言えば「暴走/停止」なのです。

この保守的な護憲運動の特徴は、支持者のウィングを拡げるために「安保法制反対」という「ワン・イシュー」に限定したことです。通常の市民運動はそこから原理的に同一の政策をどんどん綱領に取り込みます。原発問題、沖縄基地問題、人権問題、移民問題、LGBT問題へとどんどん横に拡げて、網羅的な政策リストを作ろうとする。けれども、そうやって政策の幅を拡げることで、市民運動への参加者のハードルはむしろ上がってしまう。

「学者の会」に対しでも、安保法案反対という以外の政策についても会としての統一見解を語るべきだという人がいました。他の政策について意見の違う会員を「除名しろ」という意見を述べた会員もいました。彼らはそうやって政策の整合性や精密性を追求すればするほど仲間が減って行くということはあまり気にならないらしい。
SEALDsはその点ではむしろ「大人」だったという気がします。彼らは政治目標を法案反対一点に絞って政策集団としての綱領的な純粋性や整合性をめざさなかった。だから、あれだけ多くの賛同者を惹きつけることができたのだと思います。
彼らは法案に反対しているだけで「よく戦わないもの」を罵倒したり、冷笑したりすることがなかった。できる範囲のことだけでいいから自分たちの運動を支援して欲しいとていねいに、実に礼儀正しく市民たちに訴えた。世間の耳目を集める政治運動がこれほど謙虚であった例を私は過去に知りません。それだけ彼らの危機感が強かったということだと私は思います。文字通り「猫の手も借りたい」くらいに彼らはせっぱ詰まっていた。だから、「これこれの条件を満たさないような人からの支援は要らない」というような欲張ったことを言わなかった。その例外的な礼儀正しさに、彼らがほんとうに肌に粟を生じるほどに安倍政権の暴走を恐怖していることが私には伝わってきました。

(以下略)


11. 2015年12月10日 00:34:12 : tHIVKuZsdo : _YgkBQOb_8U[17]
国会議事堂の正門前から左右。丸ノ内線の駅から図書館のバス停辺り迄の俯瞰を見て欲しい。
出来れば地下鉄各駅で配布している中綴じの冊子にある、地下の駅と地上の地図が一つの図上に重ねてある奴が良い。

国会議事堂の「『建物』の真ん前」を通り抜ける構内道路と図書館側の道路が同じ位置に取り付けてある。
後者は立ち入り可能。
丸ノ内線国会議事堂前駅の配置は議事堂敷地内に異様に食い込んでいる。
現在駅の出口は食い込みと反対側の僅かに公道にはみ出た側のみだ。設計として実に合理的でない。
そこで食い込み側の取り付け位置に注意してみたい。前出の構内道路絡みで考える。
正面から見て議事堂敷地左手側の角の敷地外の道路の取り回しにも注目してみる。
右手側に対してアンシンメトリーな事には容易に気付くだろう。
現在中洲に当たる部分は道路管理用の特装車の巨大ガレージとなっている。道を挟んで更に左手は機動隊特車のプール兼待機所の敷地だ。
此の部分は元々右手側とシンメトリーだったと云う事だ。
そこで、此等の辻褄が合い易い様に上から筆記具を使って可能性の在る線を引いてみる。
すると現在の国会議事堂正門が後付けされた物だと云う事に気付くだろう。
正門前を横切る道すら怪しいわけだ。
左右に広がる憲政会館の庭と国会前庭は元々国会正門の内側と地続きだった可能性がある。
国会図書館からは国会議事堂の「建物前」を一直線に横切って、現在の地下鉄の議事堂敷地内の其れにアクセス出来たのやも知れない。
「真の正門」は現在の正門の内側にあったのか。或いは無かったのだろうか。

台湾立法院に容易く突入した学生達の映像を見て気づく事がある。
門から建物までが近いのだ。
現在の日本の国会議事堂の正門前に立てば解ると思うが、とても彼らの様に無事に辿り着くことは出来ないだろう。異常に遠すぎるのだ。
この異常さ。 …何時からの物だろうか。
答えは60年代の其れにあると思う。
彼等の失敗の結果、立法の府は国民の手から物理的にも遠ざかったわけだ。
爺さんになっても婆さんになっても、来てくれるのは有難い。
恐らくその光景の差を 口にはせずとも悔やんでいるだろう。ならば最後の力を贖罪に使って頂くのは歓迎だ。
安倍を倒せ。 自公を葬ろう。


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