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裕福な人が戦争を起こし、貧乏な人が戦争で死ぬ。これが近代戦争の真実
http://www.asyura2.com/15/warb15/msg/232.html
投稿者 神様 日時 2015 年 3 月 01 日 13:59:05: .SgApArfvR98Y
 

フランスの政治哲学者ポール・サルトルの有名な言葉は現代戦争の真実を物語っている。
特に近代の戦争はその傾向が高く貧者ほど戦争になればまっ先に影響を受け(食料等の困窮など)死んでいく。
そういう意味で戦争指導者の罪は非常に重く決して「騙されていた」では済まされないのだ。

 

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コメント
 
01. 2015年3月01日 16:20:50 : URbdINlH4J
金持ちが戦争を作り出し、貧乏人が戦争で死ぬってサルトルだっけ。 将に金言だと思うね。

02. 2015年3月01日 16:55:31 : icU8MxV5zo

>裕福な人が戦争を起こし、貧乏な人が戦争で死ぬ。
あたりまえ。
教育で洗脳し法で縛り一部の餌とする以外に、無能者生かしといてもメリット無し。
有史以来例外は無い。
昔も今も同じ、維新、戦争、原爆投下、原発事故、火山噴火。大地震。
先を予見出来、且操作介入出来る奴と出来ない奴=喰う者と喰われる者
前者は極々一部、後者は自分が家畜奴隷以下なのにも気付けないで、
喰われる為だけに生まれた子孫さえ残して、
めでたく死んでいく大多数のお馬鹿さん(笑

03. 2015年3月01日 17:41:55 : w3M1BHSquE
戦争で儲けるのは、軍需産業や軍と繋がりの深い企業や 国家体制に太いパイプを持った人間だけです
それらの人間達を総じて 「金持ち」 と呼びます

最も罪深いのは、金持ち連中が秘かに囁く 「戦争必要悪論」 なのです
倫理的道徳的には戦争は良くない、しかし経済的には活性化を促し景気を良くするなどと言う
悪魔の囁きのような 完全に詐欺まがいの 騙しの論理なのです

この 戦争必要悪論を 本気で信じている馬鹿どもが いわゆるネトウヨと呼ばれる人種なのです

この戦争必要悪論こそが、かつての日本の国を戦争の道へ引きずり込んだ 本当の真犯人であると言えます

昭和6年、柳条湖事件に端を発した 「満州事変」 これは、関東軍の謀略であり自作自演のテロだった訳ですが
これは 新聞マスコミの人間達は この当時から知っていた訳です 戦後に判明したのではありません
関東軍上層部の将校から直接聞かされていたそうです そしてこれを国民には知らせず
誌面に於いては “張学良の仕業である”と、軍の行動を全面的に支持したのです
これはもう、軍部とマスコミは 癒着していたと言われても仕方の無い事でしょう

だがこれも、謀略を画策した軍部の人間にも それを煽ったマスコミの人間達にも
その思考の根底にあった論理が、「戦争必要悪論」 に他なりません
この当時の世界を席巻していた 世界恐慌への恐れと それを克服しようとする焦りとが
日本の国を間違った方向へミスリードした元凶だったと思います

そしてこれ以降、日本は 武力で獲得した領土を 「血を流して獲得した」 として絶対に放棄する事は出来ず
完膚なきまで叩きのめされ 無条件降伏を受け入れるまで、後戻りは出来なくなってしまったのです


「戦争は経済を活性化する 経済的には得をする」 これは全くの大嘘です 詐欺です ペテンです
得をするのは、ほんの一握りの金持ちだけで 大部分の人間には苦しみしか与えません
しかも その一握りの金持ちでさえ、儲けることが出来るのは最初の内だけで
国家の経済そのものが疲弊しては、後に来るのはその反動だけなのです まさに麻薬のようなもので
実際に “第一次”世界大戦の戦後がまさしくにそうでした

「戦争をして それに勝つ事が 国家を繁栄させる道である」 この考え方が 真っ赤な嘘である事は
戦後の日本の繁栄が 立派に証明しております

それまでの対外戦争に ただの一度も負け知らずで
北は樺太 南は台湾から南洋諸島 西には朝鮮と満州 と、現在と比べ物にならないほどの広大な領土を持っていた
あの当時の日本の国が、どうしてあれ程の“貧乏国家”であったのか

そして、戦争で獲得した全ての領土を取り上げられ、文字通り四島以前に戻らされた戦後の日本が
何故あれほどの 奇跡と呼ばれる程の経済発展を成し得たのか、戦争必要悪論では絶対に説明できないのです

武力を背景に獲得した領土は、国家経済にとって お荷物でしかない と言う事をほんの少しでも理解できたら
中国から撤退する事は 可能だった訳で、あの戦争は起りませんでした。


04. 2015年3月01日 20:28:53 : g3KdjwJNJc
裕福な人は金利を得てますます裕福になり、貧乏な人は金利をとられますます苦労する。この資本主義の仕組みが戦争を起こす一因となっていないか。
政治家と軍関係者以外は誰も戦争なんか望んでいないのではないか。戦争で北方領土取り返すくらいなら、寒いし人住めないし北方領土放棄したほうが犠牲がすくないのではないか。

05. 2015年3月01日 21:14:07 : IH124yrz6I
>>03

日本が中国へ進出したのは、そうする以外に資源を手に入れる方法が他になかったからでしょう。今は経済大国ですが歴史が始まって以来日本が外国に比べて豊かだった事はない。徳川幕府は木を一本切るにも厳しい規制を強いていた。そうしなければ日本社会が崩壊すると知っていたからです。

明治以来の日本官民は列強に伍して自分の地位を確保しようとしていた。富国強兵殖産興業、いくら資源があっても足りない。今の日本本土の資源だけで日本人全員を養うのは無理です。つまり日本人の生殺与奪権は外国に握られている。外国からの輸入がストップすればそこでおしまいです。それを忘れた議論など無意味です。


06. 手紙 2015年3月02日 00:39:22 : ycTIENrc3gkSo : Cy6tcyubiI

>>03
>> 「戦争をして それに勝つ事が 国家を繁栄させる道である」この考え方が 真っ赤な嘘である事は戦後の日本の繁栄が立派に証明しております

戦後日本経済のスタートダッシュが朝鮮戦争とベトナム戦争の戦争特需だったことを忘れてはならない。朝鮮戦争では莫大な武器及び軍需物資を朝鮮に輸出し、それが多くの人々の命を奪った。ベトナム戦争では沖縄県から米軍の戦闘機がシカゴ学派のキルレシオを下地にベトナムの無辜の民を殺し、メコン川を赤く染めた。

武器輸出三原則はその"反省"及び"歯止め"として策定されている。

イラク戦争においては米国侵略戦争の後方支援を演じ、サマワに2年半にわたって駐留し、嘘っぱち給水活動で中東の民から白眼視される。そして帰還した多くの自衛隊員が自殺(戦死)している。

私はこれを平和の歩みとは呼ばない。

最近、天皇の発言がよく引用され、その威光効果が射精のごとくほとばしっているが、偽善ごっこはもう止めにしたほうがよい。

次の70年はアジアの民と連帯し、安定繁栄を保持共有するほかない。

70年があればの話ですが…


07. 2015年3月02日 03:15:52 : w3M1BHSquE
>>06
確かに、朝鮮戦争の特需が キッカケであった事は紛れもない事実でしょう
しかしそれは あくまでもキッカケに過ぎない事、高度経済成長の主因には 全くなってはいません

第一次世界大戦直後の戦争特儒と同様、一時的に景気が良くなりましたが
その反動は必ず来ています、朝鮮戦争の場合は 戦争特需の反動が 高度経済成長の始まりに
かき消されて あまり目立たなかっただけの事

つまるところ、パチンコで儲けた人は 儲けた話ばかり吹聴して、その後どうなったのか
トータルでどれだけ儲けてるか損してるかを なかなか言わないのと同様でしょう

戦争特需が有る事は事実でも、それは決して長続きせず 特需が終わると、それを当てにして
莫大な設備投資をしてしまった企業はぞくぞく倒産しています
第一次世界大戦の後が良い例で、世界恐慌もこれと繋がっていると思います

要するに、戦争特需は たとえ有ってもそれは一時的なもので 必ず反動は来るのが常で
高度経済成長の主因は 全く別の所に有り、それは 戦前戦中に 軍部と外地にばかり投資していた国家予算を
国内産業の育成に注ぎ込んだその結果が 日本の技術力の目覚めを促したと、私はそう考えますが

戦後の経済成長の理由としてよく言われた事は、日本人の手先の器用さと日本人の勤勉さ と言われますが
それはちょっと違うでしょう、戦争に負けたから急に日本人は 手先が器用になった訳では無い
ましてや急に勤勉になった訳でも無い 手先の器用さも勤勉さも どちらも戦前の日本人は一緒です

ならば戦前の日本と戦後の日本と 一体何が違うのか
軍と軍需、外地のインフラ整備などにばかり金を掛け過ぎていた と言う事しか考えつきません
さながら、赤字店舗を閉鎖してリストラを断行して蘇った流通企業みたいなものでしょう
軍と外地(武力を背景に獲得した領土)なんてものは、赤字店舗と一緒です
日本の国益を食い潰していた 寄生虫のような存在だったと思いますが。


08. 2015年3月02日 09:14:43 : 2UPAH5FioM
日本は残念ながら05さんの言うとおり輸入無しでは成り立たない。
だからこそ、お隣さんとの関係を大事にしないといけないのに。。。
他国を挑発することで自分たちの首を絞めてるという事に気づかないのは本当にすごいと思う。
鎖国でもするつもりなのか(笑)
このままだと冗談抜きに日本は国際的に孤立してしまう。



09. 2015年3月02日 11:54:51 : nJF6kGWndY

そんなに単純ではないが

愚か者が戦争を起こし、周囲の貧しい愚か者が、さらにそれを拡大するというのが真実に近いだろうな


10. 2015年3月02日 23:53:24 : WDDTUo4Zrw
日清戦争では、当時の国家予算の3年分弱の賠償金を獲得しました.
清は3国干渉を行った国から借金をして、7年かけて賠償金を日本に支払いました.
清が賠償金を支払い終えると、日露戦争が始まりました.日本はロンドンで戦時国債を発行し、軍事費を確保しました.
日本は、形の上では日露戦争に勝利しましたが、莫大な借金が残りました.
第一次世界大戦では、日本は都合のよい所だけ参戦し、もっぱら軍事物資を売りまくって、日露戦争の借金を全部返済したのみならず、莫大な外貨を獲得しました.
続く、シベリア出兵で、日本は約束の兵力の10倍の兵力を出兵しましたが、欧米諸国は何も言いませんでした.結果、日本は第一次世界大戦で獲得した外貨を全て使い果たし、シベリアから撤退することになりました.
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満州事変以前の日本の国家予算に対する軍事費のしめる割合は、30%でした.
満州事変以降は、50%程度に増え、海軍と陸軍の軍事費の奪い合いが始まります.陸軍は参謀総長に、海軍は軍令部総長に皇族を据え、天皇の顔色を伺って、天皇の気に入るように戦争を始めます.
2.26事件によって、大蔵大臣の高橋是清が暗殺され、ますます軍事費の歯止めがきかなくなり、やがて日中戦争が始まります.
日中戦争が始まると、国家総動員法による管理統制経済に移行し、軍事費は70%を越えるようになりましたが、外貨が不足し、横浜正金銀行を通じて、アメリカで金塊を売りさばき、軍事物資を輸入していました.
『欲しがりません.勝つまでは』、これが当時のスローガンなのですが、ようは出世払いの約束手形と同じ.商品が売れたらお金を返しますと言って借金をすれば、商品が売れなければ破産であり、売れるまで頑張らなければならないのと同じで、勝つまでは戦争を止めるわけに行きません.結果、戦争に負けて日本は破産したのですが、途中で戦争を止めていても破産していたと思われます.
-------------------------
日本は、朝鮮戦争で戦後復興を果し、ベトナム戦争で高度成長を遂げました.そして、その次の高度成長はバブルで終わりました.

日清戦争では、莫大な賠償金を受け取り、なおかつ台湾という一年に2度お米がとれる、裕福な領土を手に入れました.製糖会社は100%の配当を行うまでになりました.台湾では経済発展と共に治安も確保され、戦争によって得をしたのはここまでです.

満州事変の後、『満州には石炭はあるが鉄が無い』と言って熱河省を責めましたが、その時、石原莞爾は『鉄が無ければ買えばよい』と言いました.東条英機は、軍事費の事は考えず、占領して奪い取れば、なんでも、ただで手に入ると考えていたようです.
第二次上海事変の時も、石原莞爾は、居留民を引き上げさせて保証金を払った方が、出兵するよりも安くつくと言いました.

まとめれば、先に書いたとおり、戦争をすれば莫大な軍事費がかかり借金が残る.よその国に戦争をしてもらって軍事物資を売りまくると、莫大な利益が上がります.
-------------------------
書き加えれば、
第一次世界大戦によって、日本は欧米諸国からの工業製品の輸入が止まり、その結果、国内での工業製品の生産が活発化して、工業生産額が第一次産業を上回るようになりました.少なくとも都市部の国民の生活は豊かになったはずです.(豊かな国民の割合が増えた)


11. 2015年3月02日 23:53:48 : b7ww9x8YcQ
居酒屋では良識ある酔っ払いは「表へ出ろ!」とけんかする相手と出て行きますし、店主も客同士取っ組み合いになると、ともかく店の外へと追い出します。それは店が破壊されるのを防止するためと楽しく飲んでいる他の客に迷惑がかからぬようにするためですが、いつから国際戦争は勇気ある店主は不在というか裏に逃げ、居酒屋内ではフーリガンのように無関係な人々を巻き込むようなやり方になったのでしょうか?国際法では戦争では一般人を攻撃してはならないと規定してあるそうですが、国連や安保理は非難声明とか宣言とか監視とか口先ばかりでなく、紛争国軍隊同士を市街地でなくサハラ砂漠のような所へ誘導し思いっきり戦ってもらうか、また損害賠償用紙をいつでも準備しだれでも請求できるようしておけないですか?各国の一般国民は無関係なのに生活や家を破壊され親族を殺され大迷惑して損害の補償もありません。

12. 2015年3月03日 01:38:42 : fkHNi5x9Ng
10の続き

ブラジル移民の移民船、ブラジル丸は1973年まで運行されていました.その後も人数は減って行きましたが、移民自体は1979年まで続いたそうです.
そして、その10年後、1989年からは日系ブラジル人に対する長期滞在が認められて、逆にブラジルから日本へやってくるようになりました.

つい先日終了しましたが、外貨が不足した韓国は、通貨交換協定により日本からお金を借りていました.日本も韓国も、資源を輸入しないと製品を作って輸出することが出来ない、外貨がなければ経済がなり行かない国なのです.1960年頃の日本は、経済発展をする力はあるのに、外貨不足で出来ないでいました.外国旅行をするにも外貨の持ち出しが制限されていた時代なのです.
日本の輸出品目は、繊維製品から、1960年代には電化製品に、そして1970年代には車の時代になって行きますが、品質面で輸出するだけの力をつけるには、国内で相当数、車が売れるようにならなければならなかったはず.
国民が車を買えるだけ豊かになると共に、国内でより多くの車を作るための原料を輸入する外貨も必要であったはずであり、その契機となったのがベトナム戦争であったと考えられます.
1980年代までは輸出が増えても外貨は増えませんが、それは国民の生活が豊かになった分、輸入が増えていったためと考えられます.
そして先に書いたように、ブラジル移民に代表される、人間の輸出が減っていったことは、間違いなく国民の生活が豊かになったことの現れであり、ベトナム戦争で日本人が豊かになったのは、否定できない事実と考えられます.
所詮、日本はアメリカにすがりついて豊かになった汚い国なのです.同盟関係とは、弱い者が強い者にすがりついて、身の安全と利益を得る、そうした関係に過ぎません.
(1990年以降、人間の輸入が増えて国民の生活が豊かになったかどうか?、それは分りませんが)


13. 2015年3月03日 03:14:17 : w3M1BHSquE
>>12
朝鮮戦争は 日本の景気回復へのキッカケを作った事は間違いないものの
ベトナム戦争は 高度経済成長の主因となるほどの巨大な経済効果は無かったと思いますが

実際に昭和30年には 日本の船舶製造は早くも世界一となっており、これが鉄鋼業界に刺激を与え
石炭産業に活気をもたらし 国内各地で高炉建設が盛んに行われた事が、地方を含む日本の経済を
底上げする原動力になったと 私は考えますが。


14. 2015年3月03日 14:44:22 : uifPW1Up8Q
12の続き

1956年に造船世界一になった、その翌年は外貨不足による金融引き締めで、不況になりました.
この頃から炭坑の閉山が始まり、皆、景気がよくなれば復活すると思っていたのだけど、石油へエネルギーシフトが始まって、1960年代に入ると炭坑の閉山は加速して行きました.
1955年頃から1975年まで、集団就職の臨時列車が運転されていたそうです.農村は非常に貧しく、都会へ人口集中が始まった頃でもあります.地方の中核都市が発展を始めるのは、田中角栄の日本列島改造論、産業都市構想によって、一例を上げれば鹿島港、および工業団地が整備される1970年代に入ってからのはずです.
陸奥小河原総合開発のように頓挫して、核燃料再処理工場が作られた所もありますが.

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年次 名目(%) 実質(%) 実額(億円)
1959 12.2   9.2   129260
1960 19.9   14.1   154990
1961 23.4   15.6   191250
1962 10.8   6.4   211990
1963 15.4   10.6   244640
1964 17.9   13.3   288380 新幹線、東京オリンピック
1965 10.2   4.4   317870 不況、鉄鋼会社2社破産
1966 15.0   10.0   365440
1967 17.9   13.1   430960
1968 18.5   14.3   510770
1969 18.6   12.1   648510

1966年以降の実質GDPの増加は、赤字国債発行の影響も考えられますが、ベトナム戦争の影響も無視できないはず.
ベトナム戦争による直接的な日本の特需は、朝鮮戦争に比べれば小さかったのですが、韓国が特需により漢江の奇跡と呼ばれる高度成長を果したように、台湾、フィリピン、タイ等のアジア諸国にも特需があって、それらの国が経済成長をした結果による、間接的な特需もありました.
それに加え、沖縄の嘉手納基地が重要な役割を担ったため、アメリカ兵が、沖縄の女の子を買ったり、当時普及し始めた一眼レフカメラを土産に買って帰る等の特需もあったはずです.


15. 2015年3月04日 04:12:00 : w3M1BHSquE
間接的な特需 それは確かに有ったでしょう しかし高度経済成長そのものがベトナム戦争のお陰とまでは
言い難いのではないでしょうか

戦争や領土拡大が国家経済を発展させるならば、戦前のあの 情けないほどの貧乏国家だった日本が
どう考えても説明は出来ません 19世紀の大英帝国に匹敵する超大国になっていなければおかしい

それに、日露戦争の戦費償還は 100年掛かって ついこの間 ようやく終わったのです
それほど莫大な国家予算を食い潰す存在が 戦争であると言えます

唯一、得をしたと言える戦争が 日清戦争でした しかしこの日清戦争こそが 中国人民の恨みを買い
戦争は得をする などと勘違いし、日本の行く末を間違えた 元凶だったと 私は思います。


16. 2015年3月04日 12:22:45 : AwCive2Bss
例えば、
韓国はベトナム戦争に派兵して経済発展をしましたが、アメリカから兵士の給料をもらって派兵して、戦争でお金を稼ぎました.
日本は、映像でご覧になることがあるはずですが、ベトナムの戦場を日本のピックアップトラックが走り回っています.
先にも書いたように、自分で戦争をすると借金が残り、他国に戦争をやらせて物資を売れば儲かるのです.

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日露戦争の戦費の償還

日露戦争の戦費が償還できず、日本は太平洋戦争を始めたように書いている人がいますが、それは嘘です.
ポンド建の借金で、国債の金利が高騰したため、借り換えが出来ず戦争を始めたと書かれていますが、それは逆で、満州事変により金利が高騰した、日中戦争により金利が高騰した、太平洋戦争により金利が高騰した、つまり、戦争を始めたので高騰したのです.
そう書かれている方のホームページに、金利変動のグラフがあるはずで、良く見てください.

日本は、60年かけて償還する計画で借金をしましたが、太平洋戦争を行った結果20年余計にかかって、1986年までかかって返済を終えた、と考えられます.
戦後、ドルの為替レートが、1ドル2円程度から360円に切り下げられたのと同じように、ポンドに対しても大幅な切り下げがあったはずですが、それは円の大幅なインフレによる変動と相殺される問題であり、もっぱら戦争によって大きく経済が混乱したために、返済が送れたに過ぎないと考えられます.

日清戦争では戦費の1/3が海外に流出した、それを参考に日露戦争では戦費18億円の1/3を、海外で国債を発行して調達しました.
借り換えを含めて13億円の国債を発行したと言われています.戦争に勝利して金利が下がったため借り換えたのであり、実際の調達金額は、国債の発行額の約半分、想定戦費18億円の1/3に、ほぼ等しい数値であろうと思われます.

日露戦争当時のGDPに対して、戦費は0.6で、国外から調達された費用は、その1/3.
第一次世界大戦で、工業製品の輸入が途絶えたため、日本の工業が発達し、第一次産業の生産額を上回るようになりました.
以降、蒸気機関車とか軍艦のような重工業製品が国産化されて行きます.
と言うことで、日露戦争当時では莫大な借金であったけれど、当時の絹織物を輸出して軍艦を買っていたような時代から比べれば、遥かに経済力が増加して行くので、日露戦争の借金は返そうと思えば、もっと早く返済できたはずです.

日本はシベリア出兵で、第一次世界大戦で稼いだ外貨を全て使い果たして撤兵しました.この点は日露戦争も同じで、戦費を使い果たした=弾薬が尽きた=終戦=講和、なのです.
インフレの影響がありますが、シベリア出兵に費やした戦費は、日露戦争よりも多かったそうです.シベリア出兵にどれだけ外貨を必要としたか分りませんが、日本は国外の借金を返すことなく、戦争で外貨を使い果たしたことは間違いありません.
------------------------------
日本汽車製造
国策会社で、蒸気機関車の製造(設計)を始めるのですが、蒸気機関車の製造には、大きな工作機械を必要とするので、輸入して揃えました.そして、この会社、蒸気機関車の製造だけでなく、その大きな工作機械で、大きな工作機械の製造も行いました.
工業力というのはこのように進歩したのです.
(最新鋭の工作機械は、戦後も輸入に頼っていましたが)

先に日露戦争に借金を返そうと思えばもっと早く返済できたと書きました.なぜ返済しなかったかと言えば、借金は外貨で返さなければならないので、例えば外貨を、軍備の拡充のような目的に、優先的に用いた結果であろうと思われます.
日中戦争を4年間行ったのですが、経済力の差および戦争の規模の差を考えれば、日中戦争を行うつもりならば、どんなに控えめに考えても、簡単に日露戦争の借金を返済することが出来たはずです.
お金が無くて返せなかったのではなく、外貨を他の目的を優先させて用い、返さなかっただけです.


17. 2015年3月04日 13:57:51 : YHEmvN6hPB
16の続き
シベリア出兵では、日本は約束の10倍の兵力を出兵して、シベリアでの権益の拡大を図ったのですが、欧米諸国は何も言いませんでした.
当時のシベリアからはなにも得るものが無く、日本が戦費を使い果たすだけに終わることが、誰の目からみても分っていたからであろうと思います.ロシア、ソ連も、囚人を強制労働させるしか、開発の手段が無かった時代です.

日清戦争
清の北洋艦隊が、確か長崎に来て、イギリス製の最新鋭の軍艦の30cm砲を見せつけました.それを見た軍人、とくに陸軍はビビリまくったそうです.日本の主要都市は全て海岸線にあると言って良く、砲弾が15km飛ぶとすれば、沖合い5kmから砲撃しても、日本の主要都市は艦砲射撃だけで壊滅させることが出来る.
清の軍人がこの点を知って、軍備を拡充したら絶対に日本は勝てないので、当時10ヶ年計画で日本も軍備を拡充していたが、その計画が終わると同時、鉄道が広島まで開通すると同時に、広島に大本営を設置して戦争を始めました.
『清朝を倒して、誰から賠償金をとるのだ』、伊藤博文は大本営に乗り込み北京攻撃を止めました.
三国干渉を受けて伊藤博文が陸奥宗光に相談したところ、
『交渉がこじれると、清は賠償金を払わない恐れがある.すぐに受諾するように』と、言ったそうです.
伊藤博文と陸奥宗光、この二人は賠償金を取ることを目的に戦争を行いました.

賠償金をとれなかったらどうなるか、あるいは戦争に負けたらどうなるか?
戦争に負けた結果、清は欧米諸国の食い物になりましたが、日本も負けていれば当然、経済的に欧米諸国の食い物になったはずです.
けれども、当時、日本は軍拡を行っていて、清も同じであった.互いに軍拡を繰り返した上で戦争になれば、勝っても負けても欧米諸国の食い物になってしまう.....
国際金融資本に躍らされて戦争を始めたという人がいますが、私は逆であろうと思います.国際金融資本は、日本、清、両国に軍拡を行わせて、その上で戦争をさせて、両方をつぶそうと考えている、それを見抜いたからこそ、最低限の軍備を揃えたところで戦争を始めたのだと思われます.
書き加えれば、戦争が長引けば欧米諸国が干渉してくるに決まっているので、短期間に要領よく戦争を行って、欧米諸国が干渉する前に講和に持ち込みました.欧米諸国が清が劣勢だと知って、清に加勢したら戦争は長引きましたが、清の劣勢が知れる頃には既に講和をしていて、欧米諸国が戦争の状況を詳しく知ったのは、講和の条件が発表されたときだった、と、言うことのようです.

日露戦争
この契機は、シベリア鉄道の開通にあります.ロシアはシベリア鉄道によって、極東の軍事力の拡充を図ってくるのは間違いなく、日本は旅順の港を封鎖して戦おうとした、結果として203高地から無線連絡によって着弾補正を行い、湾内の艦隊を撃滅したのですが、ロシアが艦隊を2つ揃えて日本を攻めてきたら、全く勝ち目が無かったのです.(バルチック艦隊が来る前に、旅順の艦隊を撃滅しなければならなかった)
一つの艦隊で、日本の艦隊の相手をし、残りの船で日本本土を艦砲射撃されたら、当時の日本には勝ち目がありません.
木更津に巨大な要塞砲が設置されますが、日露戦争の後のことだと思います.

日清戦争、日露戦争、どちらも、負ければ経済的に欧米諸国の食い物になったはず.
では、もし戦争をしなかったのならどうなったか?.清、あるいはロシアの軍艦の艦砲射撃に怯えることになり、結果として欧米諸国の軍事力に頼らなければならず、経済的にも食い物になったはず.

決して戦争を賛美するつもりはありませんが、どちらの戦争も、目的をしっかり考えて、要領よく最低限の戦争を行ったと考えられます.


18. 2015年3月06日 16:54:06 : w3M1BHSquE
『米議会報告』2008年8月11日(月)

イラク、アフガニスタン戦争の米国の戦費は朝鮮戦争やベトナム戦争をはるかに上回り、第二次世界大戦に次ぐものとなっていることが、
米議会調査局がこのほどまとめた報告書で分かりました。

報告書は米国の独立戦争(1775―83年)に始まり、南北戦争(1861―65年)、米西戦争(1898年)から
イラク、アフガン戦争にいたる主要な戦争での戦費を2008年の物価水準で調整した額で示しています。

過去の最高は第二次大戦の4兆1140億ドル(約452兆5400億円、当時の金額で2960億ドル)。
3位のベトナム戦争が6860億ドル(約75兆4600億円、当時の金額で1110億ドル)、
4位の朝鮮戦争が3200億ドル(約35兆2000億円、当時の金額で300億ドル)、
5位の第一次大戦が2530億ドル(約27兆8300億円、当時の金額で200億ドル)です。

これに対し、今も継続中のイラク、アフガン戦争は8590億ドル(同8090億ドル)で、
十年間続いたベトナム戦争の戦費を上回り、第二位となっています。
(一ドル110円で換算すると約94兆4500億円)
この数字は、09年9月末までの予算で算定しており、泥沼化した戦争がなお続く場合、戦費もまた膨れ上がることになります。

 報告は戦争に使われた費用を比較したもので、退役者の恩給などは含まれていません。

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特需景気

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%B9%E9%9C%80%E6%99%AF%E6%B0%97

ただ特需景気に軍需景気にしろ一過性の好景気に過ぎない場合がほとんどであるため、
この特需の間に収支や設備関連への投資の健全化や関連産業の育成といった産業界の姿勢が無い場合には、
特需終了直後に没落するケースも発生、更なる社会的混乱を誘発する傾向も見られる。
こと特需に当て込んで無目的なまでの増産にのみ注力した場合では、需要後退後に拡大させた生産設備を持て余し、
結果的に産業全体が立ち行かなくなる場合すらみられる。

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「戦争は経済を活性化する」は本当か?

http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=183630

以上から、戦争が国全体の経済活性化に繋がるためには以下の4つのポイントを満たす必要が有るようだ。

1.戦争前に低い経済成長で資源が沢山ある時
2.戦時中に巨額の政府支出が出来る時
3.自国が戦場にならない
4.期間が短く、(他国or金貸しから)資金調達が出来る時

そして戦後は必ず不況になる。(ここが重要)

 自国の産業を強化し、技術革新には繋がるが、継続的な経済活性化には繋がらない。
 このことからも、戦争は、任期中の一人の大統領の実績作りや、一部の金貸しの利益にしか繋がらないのは明らかである。
 特に、ベトナム戦争以降、近年の戦争はその傾向が顕著に表れている。

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朝鮮戦争とベトナム戦争は日本を高度経済成長させる大きな原動力でしたか?


ベストアンサーに選ばれた回答

2011/9/1413:16:20

1952年(昭和27年)までの占領総経費は47億ドルとも言われ、この額は朝鮮戦争特需の売り上げに相当する。
つまり米軍から日本企業に支払われた額を政府がそのまま米軍に支払っていたにすぎない。戦争特需はごく一部の企業が潤っただけで、
大半の企業や国民には無縁だったのである。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%B9%E9%9C%80%E6%99%AF%E6%B0%97#....
しかも、その特需も、日本人労働者が必死に働いた結果である。
この当時、日本はどの程度の経済力だったのか?
朝鮮戦争が終結して少したった昭和30年の日本の実質GDPは 47兆750億円(1308億ドル)で、戦争特需の一千倍である。
その後の経済成長は、資源のない日本で国民が必死に技術を磨き、懸命に働いた結果に他ならない。
この数字からも、朝鮮戦争からの特需など微々たるもので、戦後発展がこれのお陰なんて、到底言えない金額である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E5%86%85%E7%B7%8F%E7%94%9F%E...

ベトナム戦争も同じ。

戦争特需が原因だとしたら、ベトナム戦争で日本と同じくらい地理的に優位だった東南アジア諸国やオーストラリアだって経済大国になれたはずなのにね、


どうして東南アジアやオーストラリアは、経済大国になれなかったのか。愚かな《特需》という考えでは説明できないだろうよ。

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第一次大戦の直後や 満州事変の直後には 日本では実際に戦争景気が有った事は事実、しかし全く長続きしなかった
「戦争成金」 という言葉ができたのも 第一次大戦の戦争景気だったが、欧州が復興すると途端に不景気となり
倒産する企業が続出、その悪影響は世界恐慌まで続いてしまいます

要するに、一般庶民はもとより 富裕層 支配者層にとっても、戦争による景気回復など幻想であり
長期的にみると その反動の方が遥かに大きく いわば“麻薬”のようなものであります
後から来る苦しみは、戦争を望む金持ち いわゆる富裕層でさえそれに苦しむのです

戦争により経済が疲弊し貧困を生み、その疲弊した経済を立て直そうとして新たな戦争を画策する
(まさしく満州事変がそれで、謀略を画策した将校たちは 戦争が経済を立て直すと本気で信じていた訳です)
戦争と貧困の 永遠の負のスパイラルに陥ってしまうのです。


19. 2015年3月08日 11:11:34 : URbdINlH4J
あらゆる原料や産物を世界中から輸入し、それを加工して製品として世界中に売りさばく。 その経済活動のために必要な拠点を、世界中に持っているのが現在の日本の姿でしょう。 この日本の経済的な発展に軍事的な支配力を使用していないところが味噌で、そのことを別にすればこれは一種の世界帝国ではないだろうか。 帝国・インペリュームの語源は軍事支配権だったと思うが、その後意味が変わって政治権力の支配力を示すようになった。 今日では支配力の質が軍事力や政治力から経済力、もしくは工業製品の質的な力に代わっていると考えるのなら、日本の今の姿は新しい形の帝国に他ならないと見える。 そのような視点に立って世界を見れば、今将に日本帝国対アメリカ・ヨーロッパの白人キリスト教帝国の覇権争いに見えてくるのではないか。 それも主権国家という古き概念から離れた大企業間の覇権争いだと見るならば、その実態がより見えやすくなると思うけど。 

20. 2017年6月03日 08:13:21 : AVoK6jFtbY : dk@Nuhz3ExU[2]
今の日本は、富と引きかえに、
悪魔に心を売った人たちが跋扈している。

人権を無視するということは、悪魔に心を売るのと同じことだ。
貧しさが嫌で、悪魔に心をうるのは、悪魔を崇拝するものたちだ。
私のような蒙昧な人に答えを聞くのも同様だ。自分で考えてくれ。

革命は、戦争の引き金になる。
決して、武力で解決してはならない。

これを理解した上で、
富の恣意的な分配で支配しているのが、
悪魔崇拝の親玉だ。

別の手段を考えざる追えない状況にある。

また、彼らの本体は、現状の団体名から別の団体名に変更するようだ。
これはビルダーバーグ会議後行動を追えば、分かるだろう。


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