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92歳の元日本軍撃墜王 「死ぬとか生きるとか考えなかった」(NEWS ポストセブン)
http://www.asyura2.com/15/warb15/msg/635.html
投稿者 赤かぶ 日時 2015 年 6 月 12 日 16:17:10: igsppGRN/E9PQ
 

92歳の元日本軍撃墜王 「死ぬとか生きるとか考えなかった」
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150612-00000021-pseven-life
NEWS ポストセブン 6月12日(金)16時6分配信


 軍事ジャーナリストの井上和彦氏が、存命の日本軍エースパイロットたちが語る戦場秘話を集めた話題の新刊『撃墜王は生きている!』(小学館)。同書のなかで、もっとも話題を呼んでいるのが、ラバウルで43機を撃墜した日本海軍のエース、本田稔元少尉の証言である。92歳で今も存命中の本田氏は、同書の中である日の戦闘を振り返りながら、当時の心境を語っている。

 * * *
(昭和17年、ガダルカナルでの)敵戦闘機掃討戦では、2機のF4F「ワイルドキャット」を撃墜した本田兵曹(当時)だったが、もう1機のF4Fが本田機の後方に食らいついてきた。不意をつかれた本田兵曹は、なんとかこの敵機の追撃を振り切ろうと日本軍秘伝の「ひねり込み」を繰り返した。「ひねり込み」という技法は、左斜め上方へ向かって宙返りし、頂点で機体を横滑りさせて急転回して敵機を振り切る技法だが(諸説あり、人によって名称も違う)、敵機は執拗に本田機を追い続け、「ダダダダッー!」と12.7ミリ機銃を撃ってきた。すると、敵機が放った機銃弾が左翼に大きな穴を開けたのである。
 
 本田兵曹も必死だった。敵の射線から逃れようと、これまでに培った操縦の技を総動員して自機を操った。そして、敵機があきらめていなくなったことを確認した本田兵曹は仰天した。なんと、操縦席の床に大きな穴が開いていたのだ。本田氏は、両手で10センチほどの輪を作りながら眉間にしわを寄せて言う。
 
「弾は、私の左肩をかすめ、股の間を抜けて床板をぶち抜いていたんです。飛行服の肩の部分も裂けていましたが、身体に当たらなかったのが幸いです。けれども、弾が抜けた床には大きな穴が開いたんですよ。それでその穴から海が見えるんですよ。なにかその穴に吸い込まれるような気がしましてね。これは怖かったですね」

 それにしても、こうした混戦状態となる空中戦で、それ自体に恐怖を感じないものだろうか。

「僕は空戦で恐怖を感じたことはまったくなかったですね。戦争中に、死ぬとか、生きるとかということを考えたことがないんです。ただ、墜とされたくないという気持ちだけでした。だって、墜とされたら、もう飛行機に乗れんでしょう。飛行機に乗りたい、ただその一念だけでした」
 
※井上和彦・著/『撃墜王は生きている!』より


 

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コメント
 
1. 2015年6月12日 18:04:27 : w3M1BHSquE
坂井三郎さんも同様の事を言っていましたね 「ただ飛行機に乗りたい一心で飛行兵を志願した」 と

しかし、中国戦線において 地上を機銃掃射した時 そこで初めて 「ああ、自分は人殺しをしているんだ」
そう認識したそうです これが戦争なのか と気が付いた時には 殺さなければ自分が殺される訳で
後戻りする事も出来なかったそうですね

飛行兵は 敵の飛行機を撃墜するのが仕事だが、そこには人が乗っており 人を殺しているんだと言う意識が
他の地上兵よりも薄いんでしょう。


2. 2015年6月12日 21:53:20 : G9pRncd5P6
日本の旧軍の中では飛行機乗りはエリートだったようだからな。
「幹部搭乗主義」とかでほとんどが士官クラスだったんでしょ?
(よく知らないけど、アメリカはそこまでエリート扱いではなかったような感じだが)
同じ兵隊と云っても徴兵で引っ張られて一兵卒で末期の南方戦線へ送られた人の話とはだいぶ違うようだ。
こういう人の話を聞くのも悪いとは言わんけど、もしこの先、戦争になったら自分はどっちの兵隊にされるのか、よく考えながら聞いた方がいいね。

3. 2015年6月13日 02:43:28 : w3M1BHSquE
>>02
確かに その通り 坂井さんは最初は水兵として戦艦に配属されたそうですが
水兵は地獄だった それに比べ航空兵は天国だった と、著書で述べています

最初から飛行機にどうしても乗りたくて海軍に入り 途中から応募志願で航空兵を目指したそうですが
応募した事が上官に知れると まるで裏切り者扱いで 虐められたそうな。


4. 2015年6月13日 04:22:08 : 9zzvs6iob2
「弾は、私の左肩をかすめ、股の間を抜けて床板をぶち抜いていたんです。飛行服の肩の部分も裂けていましたが、身体に当たらなかったのが幸いです。けれども、弾が抜けた床には大きな穴が開いたんですよ。それでその穴から海が見えるんですよ。なにかその穴に吸い込まれるような気がしましてね。これは怖かったですね」

 それにしても、こうした混戦状態となる空中戦で、それ自体に恐怖を感じないものだろうか。

「僕は空戦で恐怖を感じたことはまったくなかったですね。戦争中に、死ぬとか、生きるとかということを考えたことがないんです。ただ、墜とされたくないという気持ちだけでした。だって、墜とされたら、もう飛行機に乗れんでしょう。飛行機に乗りたい、ただその一念だけでした」
---------------------------
穴が開いて『これは怖かったですね』と言っている.
怖かったということは、恐怖を抱いたはずなのですが.....

井上和彦、この馬鹿は無にが言いたいのか?

--------------------------
http://www5d.biglobe.ne.jp/~u-world/mononofu-sokunokioku2.html

それほどまでに自信と信念をもってして戦場にあった本田氏ではあったが、その反面、恐怖を感じることも少なくなかったという。
「『死ぬ』ということは考えなかったが、戦いで恐怖心が無かったかというとウソになる。口には出さないが、みんなそうだったんじゃないかなあ。」


5. 2015年6月13日 11:02:18 : FQBBZeTk2w
https://www.youtube.com/watch?v=kBN-cEkuPBE

【神風特攻隊】特攻―空母バンカーヒルと二人の神風(ケネディ著)より


戦争の時代は今の時代と違いなにもなかった。

テレビもない、風呂は外で薪を燃やしてわかしたし、キッチンではなく釜戸でこれも窯でご飯を炊く。冷蔵庫もないし、エアコンもないし、ネットもないし、自動車もないし、鉄道も蒸気機関車で全国にあったわけでもなくバスで移動した時代だ。

日本の兵士は皆アンパンマンというか、アメリカという鬼退治に出掛けた桃太郎だったし、西欧流にいえば戦場のホラテイウスだった。当時の兵士の気持ちが僕はわかるな。・・・・・立派だよ。1000年伝えたい日本人の勇士たちだよ。



6. 夏も爽席 2015年6月16日 09:29:39 : YlJzBCjjO2yEw : oNr8WooRZA
撃墜王かなんか知らんが
戦争には負けたんだから
やたら自慢話するのは
どんなもんだろうか
特攻にも参加しなかったんだから
命はそれなりに
惜しかったんだろう

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