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〔広島原爆〕決して風化させてはいけない!!BBCが当時を再現した映像を公開。
http://www.asyura2.com/15/warb15/msg/785.html
投稿者 gataro 日時 2015 年 8 月 17 日 13:15:42: KbIx4LOvH6Ccw
 


画像:YouTube

こちらは、イギリスの公共放送局BBCによる、広島原爆投下の再現映像。広島に落とされた原爆により、1945年までに14万人が亡くなり、今も障害に苦しめられている人もいます。
人の命を一瞬で奪い去る戦争の恐ろしさを風化させてはダメだと改めて思いました。

出典元:BBCWorldwide

山本 昌彦 · 
アメリカのトライデントミサイル(核弾頭搭載大陸弾道弾)一発の中に、このビッグボーイと同じサイズの核弾頭が12発入っています。そして、このトライデントミサイルは原潜一艇に24発装填されています。
そしてそんな原潜が世界中の海で潜航しています。
やっぱやっつける力を持つことが美徳な国は、やっつけられる国がどうなるかなんて知ったこっちゃないってのがこの事実一つとってもわかりますね。9.11の時にもうちっと学習して欲しかったなぁ。

 

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コメント
 
1. 2015年8月17日 17:14:38 : b5JdkWvGxs
害虫駆除の奥義教えます (こっそり)

反転爆撃

戦時中、広島で原爆を体験した若木重敏氏は、アメリカ軍の爆撃機B29は、広島への原爆投下に先立って「巧妙なトリック」を仕掛け、人間の被害を極大にしたと述べている。

若木氏によれば、8時15分の前に、爆撃機は広島市上空を旋回し、警戒警報を出させ、その後いったん飛び去り、警報が解除されて市民が安堵感から防空壕や家から外に出てきた頃合いを見計らって、直ちに「反転」して広島市上空に戻り、原爆を投下したという。

その証拠に、「エノラ・ゲイ号」とその僚機の当日の航路など、具体的な行動記録については現在に至るまで公表されていないという。

「爆撃を行なった当のアメリカの権威ある数多くの著書のどれにも、エノラ・ゲイ号が日本に近づいてから、どんな航路を取り、またどこでどのように進路を変えたかの具体的な記述をしたものは一冊もない。
これは実に異様なことである。

その異様さの第一は、日本の海軍も陸軍もNHKの放送も、豊後水道および国東半島を北上した大型3機が広島上空に来襲し旋回したので警戒警報が出されたといっているのに、アメリカのどの文献にもその3機のことについての記載が全く出てこないことだ。またアメリカの文献では一様に気象観測機のストレート・フラッシュ号が広島を襲ったので7時9分に警報が出されたと書いている。日本のどの記録にも、ストレート・フラッシュ号のことなどは問題にしていない。問題にしているのはアメリカ人だけである。
第二は、広島が被爆したときに空襲警報も警戒警報も発令されていなかったことは明白な事実なのに、アメリカの代表的な著名文献の全てが、被爆時、警報は発令されていたと、例外なく書いているのである。

この明白な2つのウソをなぜ揃いもそろって書かなければならなかったのだろうか。それは、この2点こそが、アメリカ空軍の作戦を立てた人が、日本人に、いや世界の人に最も知られたくない問題点であったからではないかと私は思うのだ。」

 
●そして若木氏は自著の中で数々の「傍証」をあげながら、次のように述べている。

「私は自分の得た情報に基づき、エノラ・ゲイ号らは、いったん広島上空を西から東に飛び、ついで方向を東から西に変え、いわゆる『反転爆撃』をしたのではないかと推測している。

爆撃機(3機のB29)が広島上空を旋回し警戒警報を出させ、播磨灘に抜けたのは7時25分であり、警報解除になったのが7時31分である。 〈中略〉

……すなわち、私は爆撃機がいったん広島上空を飛んで警戒警報を出させ、ついで飛び去り、警報が解除になり人々が防空壕から出て、リラックスしたその瞬間を狙って爆弾を炸裂させた、謀略的に人間の大量殺戮実験を行なったのではないかという懸念を抱いているのだ。 〈中略〉

広島爆撃の2ヶ月前の名古屋空襲でも、警報解除後を見計らっての爆撃という同じことが行なわれ、恐るべき人員殺傷効果を上げた事実がある。警報発令、次いで解除された状態で、アメリカ空軍が爆撃して大きな殺傷効果を上げたことは、すでにヨーロッパで実験済みである。」

広島の空に白く大きく華やかに開いた「落下傘」の謎
●1945年8月6日、「エノラ・ゲイ号」とともに作戦に参加したB29「グレート・アーティスト号」(科学観測機)は、原爆投下と同時に爆発力測定用のラジオゾンデを吊るした「落下傘」を3つ落下させた。 この青空に目立つ直径3mの「落下傘」は、空を見上げた市民たちに目撃されている。
 
●広島の被爆者である河内朗氏(元・国連本部の財務官)は、著書『ヒロシマの空に開いた落下傘』(大和書房)の中で、このパラシュートの落下は一般に説明されているように、原爆の爆発を確認するための電波を出させる器具であったばかりでなく、人々を死に誘い出すための工夫であったと主張している。

■ヒロシマの空に開いた落下傘 / 河内朗著 (1985年)
原爆攻撃は最初から最後まで、綿密かつ完壁に計画された。
まず10ヶ月の長きにわたり、訓練している。1発だから1機でいいのに、2機も伴走させて人々がいかに死ぬるか、観察した。その3機を見て人々が逃げ出さないよう、あらかじめ馴らした。このような準備は、すべて、可能なかぎりたくさんの人を殺そうとしたからである。 〈中略〉
同じ理由から攻撃の時刻もわざわざ計算に入れた。
月曜日の朝、8時15分。通勤・通学のラッシュ・アワー。人々は勝手を知った身辺の防空壕を離れて移動中であった。

……そして、ひどいと言えば、いまひとつ非道が残っている。

パラシュートである。

朗は江川隆の眼球が溶けて真珠になったのを目撃し、親友が「見てくれ、おれはこうして死んだ」と呼んだのだと信じた。でなければ、あれだけ多数あった死体の中で、かれとも知らず、その一体にだけ惹きつけられた理由がない。
眼球が溶けた、すなわち江川は、何かを、見ていた。
何を見つめていたのか気になった。
爆撃機は点であったし、爆弾は石ころのように落ちたのだから見えはしない。見えたのは、その数分前に、広島の空に、大きく開いた3つの落下傘に間違いない。

落下傘は「観測筒」を吊ったという。

直径35cm、全長1.6mの「観測筒」の内部にはリレーだのスイッチだの発信装置らしいものが入っている。説明も気圧測定のラジオ・ゾンデと同じように原子爆弾炸裂時の圧力その他を無線で送信したとあり、一般もまたそのように納得した。

しかし、それは日本側の自己解釈だから、マンハッタン機構側の裏づけを取る必要がある。ところが、どうしたわけか、観測データどころか、「観測筒」そのものについても説明が見つからない。犠牲者が出るとわかっていたからその場で観測したと発表するのにとがめを感じたのだろうか、とにかく、「観測筒」についてもデータについても話が全く出てこない。 〈中略〉

マンハッタン計画の司令官グローブス少将の陰険な性格と自己顕示の心理からして何かわけがあると直感し、つぎのように調べてみると、なんと、爆発力測定が無益無用であった。

兵器専門家、火薬担当官などに尋ね、科学書で裏づけを取ってみると、爆薬の強さは爆風圧で測るが、爆風圧は距離の二乗に反比例してツルベ落としの急激さで弱まるので、距離はごく精密に設定しなければならない。
1mの誤差があってもダメだという。だからこそ爆弾でも砲弾でも直撃点から少し離れてさえいれば助かる。逆に新しい種類の爆薬の効率を測るには、まず爆発点とセンサー、すなわち感知機との距離を正確に測定する。つぎに爆発させてセンサーの度合いを調べ、それを既知既定の度合いと比較する。したがって正確な2点間の長さが決め手となる。

ということは気圧源との距離を無視するラジオ・ゾンデとは全く似て似つかぬ方法なのであった。


ヒロシマの場合はどうか。

落下傘にブラ下がってフワフワ降りる「観測筒」は風向き次第、感知器はどこへ行くやら知れたものではない。一方、爆弾は石ころのように落ちる。このどちらも動いている両者の間の距離は、絶対に、測り得ない。また、そうまでムリをして概算しなくても7月16日、アラモゴードでは、動かない地上の2点間をあらかじめキッチリ測り、爆発力はすでに計算してあった。

とすると「観測筒」は全く無用──。

しかしあのグローブス少将が不必要なことをするはずがない。

よく考えてみると「観測筒」は見せかけのラジオ・ゾンデとして皆を欺くためであり、実際に必要なのは、だれ一人としてその意味を疑わないであろう「落下傘」なのであった。

なぜ「落下傘」か?

地上の人間の注意を喚起するためである。落下傘は現在ですら珍しい。当時とすれば尚更のことで、結構な見世物になった。かすかな爆音に気づいたヒロシマの人たちが不安を感じてその方角を見上げると、青く晴れた空にポッカリ、見たこともない落下傘が白く大きく華やかに開く。

思いがけない光景に人びとは袖を引き、他の人に声をかけ、アレヨアレヨと皆で3個の落下傘を見守った。

その背後に「原子爆弾」がツーと落ちつつあるとも知らないで……。

そしてその人たちはすべて死ぬか、目を焼き切られた。

「そういえば、爆音がして一番先に気づいたのは落下傘だった」と繁が言った。

「ぼくも見た」と優が言った。

シルク・ロードを描いて有名な平山郁夫画伯をのぞき、他にあの「落下傘」を見て無事な人はいない。
http://inri.client.jp/hexagon/floorA4F_ha/a4fhc700.html#ex15


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