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下っ端自衛隊員に実施される娑婆っ気抜取り方術=これから何が?(最新米軍マニュアル?/旧陸軍は無抵抗支那人を刺突命令)
http://www.asyura2.com/15/warb15/msg/880.html
投稿者 琴姫七変化 日時 2015 年 9 月 22 日 17:14:28: tnhUvIUh.Oh3w
 

下っ端自衛隊員に実施される娑婆っ気抜取り方術=これから何が?(最新米軍マニュアル?/旧陸軍は無抵抗支那人を刺突命令)

恥じて言わない人が居た、家族にさえ言わなかったのをいいことに体験者が鬼籍多数になったいま日本人を戦争にまた駆り立てようとしている。

実際の戦闘に利用するために下っ端にはどんな方術が施されるだろうか。どんなに辛くてもそれを乗り越え落し穴に嵌らぬためには日本人はもし目を瞑ってしまってはどうか、またもや走狗よろしく 弱夫かもかも にされちまはないか。
((映画「兵隊やくざ」の描写))4:24ごろ〜 上官:「初年兵、着剣しろ!・・・命令だ!!」
有田上等兵:「・・・まてー!ムボーナ命令には従う必要は無いっ!!」
上官:「キサマー!クッ、((殴打音)バキッ) 突ケエーッ!」
一同「・・」
大宮二等兵「・・辞めようぜ」(と言って自ら列を離脱)
(映画はこの後、他の初年兵も離脱してしまうのだった・・・)
https://youtu.be/ucFSVGqXnAU?t=4m24s

(初年兵に根性を着けさすために殺人をさせる。柱に縛り付けられた無抵抗の支那人等の“捕虜”であった。“捕虜”とは言っても蒋介石軍でも八路軍でもない農民のことさえあったそうだ。


この映画はフィクションだ、こんな抗命は命がけだ。しかし戦後ずっと経ってから、60年代で日中国交回復以前だが、支那戦線にかつて従軍させられた日本人の先人たちが「コノヤロー」と忸怩たる思いをぶつけて体験を描き直したのがこれらの戦後映画群だと言えよう。蝉、自転車漕ぎ・・・軍隊の階級統制のための執拗なイジメと制裁がこれでもかこれでもかと描写されている。


中には、無実の人を殺したために死ぬまで口を噤んでいたオトコもいるだろう。


中国戦線に兵隊で従軍した人の体験談を投稿者も偶然聞いたことがある。

野良で捕まえた支那人の農民二人に、一斗樽ほどの水浄化装置を担がせ、行軍の間中延々連れ廻し、困憊してとうとう動けなくなった。上官が、金を払ってやるからちょっと来いと物陰に連れて込んで行った、とパンパンと乾いた銃声がした、隊の誰もが何があったか知っていたが誰もが黙っていたのだ、、、そういう心理状態に落とし込まれた。日本軍の居所を知られると攻撃されるから殺してしまえという理屈を教えられたそうだ。


敵に攻撃される、作戦だ、黙っていろ。それが兵隊の人心操縦術であったと。
命令で共同加害殺人者(共犯者)に引き込み、以降ずっと命令服従と沈黙とを強いる『悪の修行』が横行したのだった。)



米軍にも銃撃マニュアルがあったそうだ。

山本太郎の国会質疑から重引

「米軍上層部から各兵士に命令される交戦規定は・・・毎日のように、下着を着替えるように、振り向くたびに変わって行った・・・
攻撃されていなくても、不審な人物と思ったら発砲してよし、
不安を感じたら発砲してよし、
目が合えば発砲してよし、
イスラム教徒の衣装の者は敵対していると看做して撃ってよい、
路上にいる者は全て敵の戦闘員と看做せ、
息をしている者は全て撃て、
・・・冬の兵士 良心の告白 というDVD ・・・
14歳以上の男子を戦闘可能年齢と看做した。・・・」 




新兵訓練としての無抵抗“捕虜”の刺突殺人について

〜〜〜〜〜〜〜〜
「里山のフクロウ」ブログから引用開始。
http://minoma.moe-nifty.com/hope/2012/08/td4.html

2012年8月15日 (水)

渡部良三著『歌集 小さな抵抗−殺戮を拒んだ日本兵−』

 私たちは、日中戦争時の日本軍による住民虐殺や人体実験等の戦争犯罪について、戦後30年たったころ、本多勝一の『中国の旅』(1972年刊)や森村誠一の『悪魔の飽食』(81年刊)などを通して、広く知るようになりました。また武田泰淳は戦後すぐに、日本人兵士による、無抵抗な中国人老人に対する「不必要な殺人」をテーマにした小説(『審判』47年)を発表し、日本人の戦争犯罪に対する痛烈な自己批判を試みました。
 これらはいずれも、加害者や被害者への取材をもとに、第三者によって書かれたものでした。しかし、『歌集 小さな抵抗−殺戮を拒んだ日本兵−』(岩波現代文庫 2011年刊)は、著者である渡部良三氏が、みずからの軍体験を密かに短歌に詠み、メモを軍服に縫い込んで持ち帰った、極めて貴重な記録です。冒頭章の「捕虜虐殺」(100首)を紹介します。

 著者は、大学在学中に学徒出陣で中国河北省の駐屯部隊に配属され、陸軍二等兵として新兵教育を受けました。そこで直面したのが、捕虜虐殺でした。新兵に度胸をつけさせるためとして、中国共産党第八路軍(「八路」パロ)の捕虜5名を、新兵48名で虐殺させました。

 朝飯を食みつつ助教は諭したり「捕虜突殺し肝玉をもて」 あさいいを はみつつ・・・
 
刺し殺す捕虜の数など案ずるな言葉みじかし「ましくらに突け」

 まず教官が、模範を示します。

 「刺突の模範俺が示す」と結びたる訓示に息をのみぬ兵等は
 ひと突きしゆるゆるきびすをかえしつつ笑まえる将の血に色ありや えまえる
 
人殺し笑まいつくろう教官の親族おもえば背の冷え来ぬ  うからおもえば



 捕虜を突き刺した後、笑いながら戻ってくる教官。一方、捕虜となった八路軍兵士は、笑みつつ刑台に向かいます。決定的に異質な「笑い」が、交差します。

 憎しみもいかりも見せず穏やかに生命も乞わず八路死なむとす    
 徒らに剣おびたるつわものに八路の笑まいの澄むもむなしよ

 捕虜虐殺の現場を、地元の中国人たちが、遠巻きに見ています。そして、そのなかから、ひとりの女が、近づいてきました。

 纏足の女は捕虜のいのち乞えり母ごなるらし地にひれふして
 生命乞う母ごの叫び消えしとき凛と響きぬ捕虜の「没有法子!」メイファーズ(仕方がない)

 教官の刺突命令に従順に、戦友たちは、捕虜を虐殺しつづけた。

 刺突せし戦友はいくたり刑台の捕虜の便衣は血を垂る襤褸 らんる(ぼろのこと)
あらがわず否まず戦友ら演習に藁人形を刺す如く突く

 渡部二等兵の順番が、迫ってきます。殺人をしなければならないという現実を前に、どうしてよいのかわからないといった情況に、追い込まれました。ついに、殺人専用の銃剣を手渡されました。

 血と人膏まじり合いたる臭いする刺突銃はいま我が手に渡る ちとあぶら
 いかがなる理にことよせて演習に罪明からぬ捕虜虐殺するとや
 
 ぎりぎりのところで、キリスト者であり反戦論者であった父の、別れの際の言葉を思い出しました。「神を忘れるな」。捕虜虐殺を、宗教的理由により、拒絶します。

 「殺す勿れ」そのみおしえをしかと踏み御旨に寄らむ惑いことなく 
 祈れども踏むべき道は唯ひとつ殺さぬことと心決めたり
 虐殺されし八路と共にこの穴に果つるともよし殺すものかや

 捕虜虐殺を拒否。上官や戦友たちは衝撃を受けます。





 「捕虜殺すは天皇の命令」の大音声眼するどき教官は立つ  すめらぎのめい
 
新兵ひとり刺突拒めば戦友らみな息をのみたり吐くものもあり
 縛らるる捕虜も殺せぬ意気地なし国賊なりとつばをあびさる

 しかし、虐殺は中止させられることなく、つづきました。

 「次」「次」のうながし続き新兵の手をうつりゆく刺突銃はも
 塚穴のまわりは血の海四人目がひかれて来て虐殺なお止まぬなり
 新兵らみな殺人に馴れてきたるらし徐ろなれど気合い強まる

  渡部二等兵による捕虜虐殺拒否の情報は、中国人たちの耳にも入ります

 炊事苦力ゆき交いざまに殺さぬは大人なりとぞ声細め言う クーリー、たいじん
 
むごき殺し拒める新兵の知れたるや「渡部」を呼ぶ声のふえつ とうべえ
 小さき村の辻をし行けばもの言わず梨さしいだす老にめぐりぬ
 村人のまなざし温しいと小さきわがなしたるを誹ることなく ぬくしい、そしる

 以上が、『歌集』冒頭の「捕虜虐殺」の章です(最後の4首は後章から)。表現は「短歌」という形式をとっていますが、捕虜虐殺の実態が赤裸々に描かれ、戦友や教官たちの心の動きも的確に捉えられ、また、中国人たちの無言で抵抗する姿を、垣間見ることができます。短歌による稀有な歴史証言の書といえます。
 このあと、八路軍の女性スパイに対する「拷問見学」の命令が下ります。そして、虐殺拒否に対するリアクションは、軍法会議による処罰ではなく、上官による陰湿なリンチへとすすみます。著者は、それぞれ拷問と私刑についても、詳細に短歌として詠いつづけました。今日敗戦の日、これらを含めた700首にのぼる稀有な歴史証言に、静かに耳を傾けたい。  


〜〜〜〜〜

以上、刺突“訓練”を拒否した人の体験談の重引、引用終了。

以下は、刺突してしまった人の懺悔

「刺突訓練と決めつけ攻撃」から「刺突訓練」部分だけ重引開始、
http://hide20.web.fc2.com/burogu3.html#36
−−−−−−−−−−−−捕虜刺突訓練と決めつけ攻撃 −−−−−−−−−−−−−

 陸軍第五十九師団師団長陸軍中将藤田茂筆供述書に「俘虜殺害の教育指示」というのがあった。部下全員を集めて
次の如く談話し、教育したというものである。
 「兵を戦場に慣れしむる為には殺人が早い方法である。即ち度胸試しである。之には俘虜を使用すればよい。4月には
初年兵が補充される予定であるからなるべく早く此の機会を作って初年兵を戦場に慣れしめ強くしなければならない」
 「此には銃殺より刺殺が効果的である」


 上記のような訓練が常態化していたと思われるが、当時初年兵として実際に中国人の捕虜刺突を命ぜられた土屋芳
雄氏(後に憲兵となる)の証言を
聞き書きある憲兵の記録」朝日新聞山形支局(朝日文庫)から抜粋する。

鬼になる洗礼
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 昭和7年(1932年)1月のある日だった。入営して二ヶ月にもならない。兵舎から200メートルほど離れた射撃場か
らさらに100メートルの所に、ロシア人墓地があった。その墓地に三中隊の60人の初年兵が集められた。大隊長や
中隊長ら幹部がずらりと来ていた。「何があるのか」と、初年兵がざわついているところに、6人の中国の農民姿の男
たちが連れてこられた。全員後ろ手に縛られていた。上官は「度胸をつける教育をする。じっくり見学するように」と指示
した。男たちは、匪賊で、警察に捕まったのを三中隊に引き渡されたという。はじめに、着任したばかりの大隊長(中佐)
が、細身の刀を下げて6人のうちの一人の前に立った。だれかが「まず大隊長から」と、すすめたらしい。内地からきた
ばかりの大隊長は、人を斬ったことなどなかった様子だった。部下が「自分を試そうとしている」ことは承知していたろう。
どんな表情だったか、土屋は覚えていない。彼は、刀を抜いたものの、立ちつくしたままだった。「度胸がねえ大隊長だ
ナ」と、土屋ら初年兵たちは見た。すぐに中尉二人が代行した。
 ヒゲをピアーッとたてた、いかにも千軍万馬の古つわもの、という風情だった。こういう人ならいくら弾が飛んできても立
ったままでいられるだろうな、と思った。その中尉の一人が、後ろ手に縛られ、ひざを折った姿勢の中国人に近づくと、刀
を抜き、一瞬のうちに首をはねた。土屋には「スパーッ」と聞こえた。もう一人の中尉も、別の一人を斬った。その場に来
ていた二中隊の将校も、刀を振るった。後で知ったが、首というのは、案外簡単に斬れる。斬れ過ぎて自分の足まで傷
つけることがあるから、左足を引いて刀を振りおろすのだという。三人のつわものたちは、このコツを心得ていた。もう何
人もこうして中国人を斬ってきたのだろう。
 首を斬られた農民姿の中国人の首からは、血が、3,4メートルも噴き上げた。「軍隊とはこんなことをするのか」と、土
屋は思った。顔から血の気が引き、小刻みに震えているのがわかった。そこへ、「土屋!」と、上官の大声が浴びせられ
た。 上官は「今度は、お前が突き殺せ!」と命じた。

・・・
「ワアーッ」。頭の中が空っぽになるほどの大声を上げて、その中国人に突き進んだ。両わきをしっかりしめて、といった
刺突の基本など忘れていた。多分へっぴり腰だったろう。農民服姿、汚れた帽子をかぶったその中国人は、目隠しもし
ていなかった。三十五、六歳。殺される恐怖心どころか、怒りに燃えた目だった。それが土屋をにらんでいた。
 目前で仲間であろう三人の首が斬られるのを見ていたその中国人は、生への執着はなかった、と土屋は思う。ただ、
後で憲兵となり、拷問を繰り返した時、必ず中国人は「日本鬼子」と叫んだ。「日本人の鬼め」という侵略者への憎悪の
言葉だった。そう叫びながら、憎しみと怒りで燃え上がりそうな目でにらんだ。今、まさに土屋が突き殺そうという相手
の目もそうだった。
 恐怖心は、むしろ、土屋の側にあった。それを大声で消し、土屋は力まかせに胸のあたりを突いた。・・・




以上、「刺突訓練」部分引用終了。
 

コメント
 
1. 2015年9月22日 19:44:54 : w3M1BHSquE
上官の命令は 天皇陛下の命令である とされていた訳だから、初年兵などにそれを拒否できる訳がない
中国戦線から返ってきた兵士は、精神を病んでしまう兵士が多かったそうな
「下っ端兵士に度胸を付けさせるためには 捕虜を殺させるのが一番である」
これは、当時の 現地部隊では ほとんど常識だったそうな

実際、南京事件での虐殺行為を後日、「君たちは何と言う事をしてくれたのだ」 と、部下達を叱責した
松井岩根 陸軍大将に対し、師団長たちは せせら笑っている者もいたそうな
これが、皇軍と呼ばれた軍隊の 真の姿である 中国人など人間扱いしていないのである。

これに比べて 中国軍(八路軍)は、日本軍兵士を捕虜としても 自分達に協力と忠誠を誓えば
仲間として迎え入れ 共に戦ったという(ただし、共産主義思想を徹底的に叩きこまれるが)
中国人の方が よっぽど合理的な考えである。


2. 2015年9月22日 20:14:33 : gSpZwTCeec
安倍公明党のほうが もう少数派だぞ
 
 
 
初年兵ひとりじゃ無理でも今や戦争反対日本人のほうが大多数だ

インチキなニセ立法には従うまい!

 
 
 


3. 2015年9月22日 23:25:16 : aQq0UGoaxY
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%B5%E5%9B%BD%E6%9D%A1%E9%A0%85
自公は敵国条項を無視しているようだけど、国連の指示なく統合幕僚長が命令を出し殺人を行った場合、常任理事国によって統合幕僚長は戦争犯罪者にされてしまう。

また、裁判所が戦争法について違憲判決を出した時点までに統合幕僚長や大臣が殺人を命令していれば、日本の法律で殺人教俊罪で刑務所行きになるだろう。

日本の戦争法は世界で承認されている法律とは言えないので、日本人が戦争行為をした場合、その指導者はスロボダン・ミロシェヴィッチのように収監中の独房で心臓発作で死亡させられることになる。

集団的自衛権を拡大解釈しても、他国のために戦争することは認められないのだ。


4. 2015年9月23日 01:06:40 : m2Ogj29ANH
イタリア軍を見習え。

他国の軍の為に他国へ行って戦うなんて駄目だよ、
日本が兵を出し戦うのはアメリカ本土が敵に侵略された時であり
日本本土が侵略された時はアメリカに助けを求めるでいいんじゃないかな。

他国へ行って戦うなんて駄目駄目なんだな。


5. 2015年9月23日 16:58:13 : QGFhsJTg32
敵国人は全て憎い、度胸試しも必要、
民間人に紛れたり装ったりのゲリラ攻撃も有り得る、
それが戦争…。

6. 2015年9月23日 20:04:16 : axzjDG9kfs
不安を感じたら発砲してよし、
目が合えば発砲してよし、>>>

メンチ切ったら殺されるのかよwww。


7. 2015年9月27日 00:23:27 : K528j9SMZU
「それが戦争」 きりっ

ヒーロー漫画好き?


8. 2015年10月04日 22:58:07 : aAwUxcyHJ2
米兵は人を殺す命令で活動するためにはまともな神経ではいられないので薬物に頼る。

とんでもない数の退役軍人の犯罪やPTSDで社会に適応できないケースが起こっている。

日本では世間を騒がせた淡路島の大量殺人や家族を6人ほど焼き殺した事件の犯人も元自衛官または現職自衛官。


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