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プーチン大統領はイスラム教徒に対し「西欧の十字軍」とは異なるアプローチをとっている:最近開所の首都モスクは驚くほど壮麗
http://www.asyura2.com/15/warb15/msg/895.html
投稿者 あっしら 日時 2015 年 9 月 28 日 01:16:43: Mo7ApAlflbQ6s
 


22日頃催されたモスクワで改装されたモスクの開所式には、パレスチナのアッバス議長(非ムスリム)やトルコのエルドアン大統領など中東諸国から政治指導者や宗教指導者が多数列席していた。
 かつて5百人規模であった収容能力が1万人まで拡張され、外壁のグレーと水色の組み合わせが実にきれいな建物である。内部も、豪奢なシャンデリアが吊り下げられ、床一面に絨毯が敷き詰めれた見事なものである。

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メディア報道:プーチン大統領はイスラム教徒に対し「西欧の十字軍」とは異なるアプローチをとっている
© Sputnik/ Aleksey Druzhinin
政治
2015年09月27日 02:39

イスラム教の重要祭日とシリアにおける軍事作戦の前夜にモスクを開くことにより、プーチン大統領は政治的な繊細さを示した。ニコラ・ゴチエ氏がブルヴァール・ヴォルテール誌にこうした見解を示した。

以下、ゴチエ氏の所論を紹介する。

欧米には移民によってイスラムがもたらされたが、ロシアにおけるイスラムの歴史は多年に及ぶものである。ロシアがキリスト教を受容する以前から、カフカス諸国はイスラム圏であった。プーチン氏は「イスラム教はロシアの不可分の一部である」と主張する権利を十全に有する。

ロシアのイスラム教はスーフィズムに近く、食品や衣料を細かく禁止し、同時に米国の後押しを受ける他のムスリム国家にゆさぶりをかける、サウジアラビアのワッハーブ派が浸透する余地のないものである。

プーチン氏はソ連時代の政治的過ちを繰り返さないよう気を付けている。具体的には、アフガニスタン紛争のような泥沼の紛争を回避するよう気を付けている。プーチン氏は自分が「西欧の十字軍」として受け止められ、あたかもイスラムの脅威という口実のもとにシリアで戦闘行為を行うかのように見られることを避けたがっている。地政学の奥義を知る彼は、身内のイスラム教徒を落ち着かせることで、背後を安全に保つ必要があることを理解している。

ただし、このジェスチャーを、狡猾な機略とのみ見ることは、いささか公正に欠ける。聖戦主義者らはイスラムを歪曲している、とプーチン氏は言うが、これは信じてよい。プーチン氏はロシアの伝統やロシアの文化に好意的な「ロシアのイスラム教徒」というものを創り出そうとしている。実はロシア国内のイスラム教徒は何世紀も前からそのような存在になっているのであるが。

ニコラ・ゴチエ氏がブルヴァール・ヴォルテール誌上で以上のような見解を示した。

http://jp.sputniknews.com/politics/20150927/958569.html

 

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コメント
 
1. 2015年9月29日 12:02:09 : OO6Zlan35k

タリバンがアフガン北部主要都市を制圧、軍は反撃作戦に着手 
[クンドゥズ(アフガニスタン) 28日 ロイター] - アフガニスタンの反政府武装勢力タリバンは28日、北部クンドゥズ州の州都クンドゥズを襲撃、州知事公舎などを占拠して都市の大半を制圧した。目撃者や当局者らが明らかにした。

タリバンの戦闘員らは、市内中心部の広場に旗を掲げたほか、地元の刑務所から数百人の仲間の戦闘員を脱走させたという。タリバンによってアフガンの州都が制圧されたのは、タリバン政権が崩壊した2001年以来初めてとみられる。

タリバン報道官によると、戦闘員らは夜明け前に三方面から奇襲攻撃を仕掛け、州知事公舎や州警察本部を支配下に置いた。また報道官は「われわれの戦闘員は空港に向かっている」とツイッターで明らかにした。

アフガン内務省報道官は、「クンドゥズの大半がタリバンの手にわたった」とした上で、アフガン軍部隊が同市の空港に集まっていると述べた。アフガン高官によると、同国軍の特殊部隊が反撃作戦のため、空港に派遣された。

今回の襲撃で、クンドゥズ警察はタリバン戦闘員20人が死亡し、警官3人が負傷したとしているが、負傷者に関する最新の情報は明らかになっていない。
http://jp.reuters.com/article/2015/09/29/afghanistan-attack-idJPKCN0RS2SF20150929

ソ連のアフガニスタン撤退

ソ連のアフガニスタン侵攻とその失敗は1991年のソ連が崩壊もたらしたのみならず、イスラーム原理主義を精神的支柱にした新しい民族主義が台頭し、9・11同時多発テロにつながることとなった。またアメリカにとっても、アメリカが援助した武器で武装したイスラーム反ソ勢力が、湾岸戦争後はその武器で反米闘争を展開することになるのはアメリカにとって皮肉な結果であった。このように、ソ連のアフガニスタン侵攻は、1990年代以降の現代史に向けての重要な転換点であった。

 しかしアフガニスタンにおいては、ソ連軍の撤退は平和をもたらすことはなく、無秩序状態が深刻化して、部族対立が激化、パキスタン、イランなどの介入もあってアフガニスタン内戦が深刻化していった。その中でイスラーム原理主義のターリバーンが急速に台頭し権力を掌握することとなる。

 → 現在のアフガニスタン

Episode アフガニスタンでのソ連軍敗北の一因

(引用)山岳地帯を拠点とするゲリラを掃討すうために、ソ連軍は大量のヘリコプターを送り込み、その数は1000機近くにも達した。しかしこのヘリコプターによる大規模空爆にも弱点があった。標高5000mを超える山々が連なるアフガンでは、主要都市の標高も高く、カーブルでは1800mもある。このため地上からの攻撃を避けるには3000m以上の高度を飛行したいところだったが、空気密度の関係でヘリコプターは低空飛行を余儀なくされた。またアフガンの気候は一年の大半が乾期で、特有の砂嵐がヘリコプターの操縦を難しくしたり、計器類の故障をもたらしたりした。ソ連の最新鋭ヘリコプターを持ち込んでも、アフガンの空を完全に自由にすることはできなかったことになる。その一方で、戦闘の中盤からは、中東諸国や西側諸国からゲリラに対する武器援助が拡大し、射程距離の長い機関砲やミサイルが導入されることになった。なかでもヘリコプターや航空機がエンジンから発する熱を追尾する米国製スティンガー・ミサイルをゲリラが入手したことで、ヘリコプターが相次いで撃墜され始めた。ゲリラに渡ったミサイルは、ソ連軍にとって大きな脅威となり、ソ連軍によるアフガンの空の支配が崩れ始めたのである。<渡辺光一『アフガニスタン』 2003 岩波新書 p.123-4>
http://www.y-history.net/appendix/wh1702-001.html


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